台風20号去る2018年08月25日 07:35

台風20号去る


関東地方にも、しこたま雨を降らせた台風が通り過ぎた(午後3時に温帯低気圧になったそうです)。

さすがに体が疲れていて、朝起きたのは11時近くになってからだった。

早めの昼飯を食って、ちょこっと用足しをしてから神田詣で。

必要なものを買い整えて、後は例によって、我が国のテクニカルダイビングを憂える会(会員2名:つーか、浮沈子のダイビング技量を嘆く会?)をひとしきり。

その片りんを齧りながら、いつまでたっても本格的なテクニカルダイビングに踏み込もうとしない浮沈子。

やはり、リスクの高いテクニカルダイビングに対する不安がある。

段階的にトレーニングを積めば、そのリスクは相対的になるとはいえ、減圧を伴ったり(仮想閉鎖環境)物理的に浮上できない閉鎖環境でのダイビングは、オープンウォーター環境での減圧停止不要ダイビングとは質的に異なる。

アバウトなダイビングは許されず、きっちりした計画潜水と、それを履行する磨き抜かれたスキルが求められる。

器材もややっこしい・・・。

そんなこと(!)しなくても、ダイビングは充分に楽しめるしな。

大手の指導団体が導入したので、俄かテックダイバーやら、テクニカルダイビングのインストラクターが増えて、ようやく認知度が高まってきた。

しかし、それと合わせてテクニカルダイビングのリスクが十分に認知されているかどうかは怪しい。

つーか、ふつーのレクリエーショナルダイビングのリスクについても、認知されているかどうかは分からない。

レクリエーションの一環としてのダイビングが、一定の市場を形成し、レジャーの一つとして普及してきたことは喜ばしいが、その中身が正確に伝わっているとは思えないしな。

浮沈子は、その責任の一端は、水中写真の普及にあると見ている(そうなのかあ?)。

ダイビング技術の鍛錬無き水中カメラパーソンを量産したこと、綺麗な写真で人々に水中世界を誤解(?)させ続けていることの二重の意味で、その罪は重い。

水中写真撮るなんて、10年早いと思しきダイバー達が、今日も量産され続けている(浮沈子も、その一人でした:今でもそうかも・・・)。

逆に、十分な技量を持つテクニカルダイバーたちは、何故かカメラなんかに興味ないしな(あんなもん、持って潜るのは邪道だ・・・)。

うーん、何でなのかな・・・。

水中は、もちろん、美しいだけではない。

ゴミは落ちてるし、生物の死骸とかにも溢れている。

陸上では、犬猫の死骸などは、清掃当局に電話すればすぐに片づけてくれるけど、水中ではそうはいかないしな。

しかし、世の中に出回るのは、綺麗なおさかなとかの写真ばかりだ。

先日、靖国神社内の遊就館に、戸村さんの写真展を見に行ったが、ごく一部の沈船マニアか、戦争の歴史を追いかけているミリオタくらいにしか受けない写真であることは間違いない(そんなあ!)。

浮沈子は、ごく一部の沈船マニアの端くれかも知れない。

歴史的背景に興味があるわけではない。

浮沈子は、純粋に沈船そのものに興味があるのだ。

浮かんでいた時の船の歴史とかには、ほとんど関心がない。

今、そこに沈んでいる船に興味がある。

名もなく、浮かんでいた時の面影もなく、水底に横たわっている姿に感動する。

中には、深いところに沈んでいる船もある。

タイタニックのように、沈んでいる深さが数千メートルなら、スクーバダイバーが訪れることはできないが、数十メートル程度なら、訓練を受ければ行けない深さではない。

その程度の、中途半端な深さに沈む沈船を見に行きたいから、仕方なく(ここ、重要です!)、それに向けての訓練を続けている。

もちろん、毎日、そんなダイビングがしたいわけではない。

年に数回潜れればいい。

普段は、浅く明るく暖かいダイビングでいいのだ。

エアディリュエントの身体に優しいCCRとかで。

昨日、オープンサーキットのデコダイブして、CCRの有難さを思い知った。

あの程度のダイビングなら、浮上途中で減圧停止は消えてしまうに違いない。

絶対的なガス量の問題があるから、どちらが安全かという問題については何とも言えない。

器材の選択は、トータルで考えなければならないからな。

深いところに沈船があれば、それを見に行くために深潜りする。

そのための技術が必要なら、教えてもらって練習する。

プラクティス、プラクティス、プラクティス・・・。

今のところ、目標は60m。

この深度を、安全確実にクリアできればいい。

保証はないから、自己責任だ。

指導団体にしても、テクニカルダイビングのデータを持っているわけではない(未確認)。

正真正銘のオウンリスクになる。

だから、リスクとそれに伴う結果を受け入れることが出来なければ、絶対行うべきではないし、漫然と大深度潜水(40mオーバー)や減圧潜水に挑戦するのは考えものだ。

もちろん、個人の選択だから、何を目標として鍛錬を続けるかは自由だがな。

深度を競い、他の人が行かない深さに挑戦するのもありかもしれないが、その深さなりのリスクは充分承知し、その結果を受け入れる準備はしておかなければならない。

浮沈子自身は、現在はそういう環境にないから、日常的にテクニカルダイビングそのものを行うことはできない(重大な結果を受け入れることはできないからな)。

トレーニングを続けながらスキルを上げ、いつか環境が整った時に、目的を果たすことが出来るようにしておくことだけだ。

カバーン講習を受けている最中だから、まだ決定的なことは書けないが、オーバーヘッド環境についても食わず嫌いにならないように、それなりに練習はしていくつもりだけれど、今のところ、あまり興味が湧く対象ではない。

暗い穴倉の奥へと1時間も泳ぎ続けて、さらに同じ時間かけて戻ってくるなどというのは、信じられない行為だ。

そこにどれ程美しい景色があるとしても、自らを危険に晒して直接見たいと思わせるような対象とは思えない。

もちろん、それは浮沈子の感想だから、人それぞれでいい。

世界中には、ダイビングなんかしなくても、素晴らしい人生を送っている方は大勢いるからな。

つーか、アットーテキに多い。

水中の世界がどれほどの魅力にあふれていようと、それを知らずに過ごせてしまうというのは、それはそれで幸せなのかもしれない。

潜り続ける中で、自分の興味の対象を絞り込んだり、広げたりすることが出来れば、それも良いことなのだろう。

いや、漫然と潜っていてどこが悪いのか。

別に、それが悪いというわけではない。

漫然と潜っているテクニカルダイバーだって、大勢いるに違いない(そうなのかあ?)。

皆、それぞれの思いがあって潜る。

水中写真だって、別に完璧に潜れなければ撮れないというわけじゃないしな。

水中生物に食い散らされた死骸だって、そのうち、立派な被写体として認知されるかもしれないし・・・。

美しいビジョンだけでなく、この地球上の生き物すべてに通じる真実(死は、全ての生命に訪れる)を知るためにも、そういうネガな対象を写し取って広めてもらいたいものだ。

沈船だって、そういう意味では似たようなものだからな。

いずれは崩れ、消え去り、海に還っていく。

薄暗い水中で、メインライトの明かりがくっきりと照らし出す世界は、地上の喧騒とは無縁だ。

厳かで、絶対的な力を感じる(やっぱ、ガス酔い?)。

そこに留まっていたいとは思わないが、たまに訪れて、この世の真実の片鱗を垣間見るのもいい。

そのためにトレーニングが必要なら、続けられる範囲で続けるだけ。

明日からは、8日間ダイビング漬けの毎日になる。

ファンダメンタルズの初日は、ダイビングはしないけどな(スケジュールは、インストラクターによって若干異なるかも)。

遠泳と素潜り(シュノーケリングではありません:15m水平潜水)はする。

スキンダイビングのようなもんか。

まあいい。

中日頃にガス抜きが出来て、ちょうどいいかもしれないな。

買い物は終わったから、後は印刷するデータをUSBに入れて、コンビニで印刷するだけだ。

ダイコンの充電も終わったしな。

神田でのボヤキの後は、大井町のスキューバプロショップへ行って、予備用マスクの曇り止めシールなどを仕入れて、ついでにフィットネスで汗を流した。

といっても、あまり汗かかなかったけどな。

かるーく筋トレして、500mだけ泳いで上がった。

保存的フィットネスだな。

筋力維持と、適度な有酸素運動。

3日間、ダブルタンク担いで、Vドリルとかすると、筋肉痛(主に太腿)と関節痛(両肩)が、半端ないからな。

今日は、早めに行って、同じメニューをさっさとこなして、午後からは身体を休めよう。

ペトレル(初代)用バッテリー(単三サイズのリチウムイオン電池)の充電は終わったけどな。

人間様は、これからだからな・・・。

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