ワクチン接種は何故効果がないのか2018年12月23日 01:38

ワクチン接種は何故効果がないのか
ワクチン接種は何故効果がないのか


既に、数万人に接種されているエボラのワクチン。

カクテル療法も始まり、コンゴ民主共和国東北部でのエボラ流行に対しては、4年前とは比較にならないほど、強力に撲滅への取り組みが行われている・・・。

はずなんだがな。

既に、563人の感染者と343人の死者を出している(いずれも、疑い症例を除く)。

(SITUATION ÉPIDÉMIOLOGIQUE DANS LES PROVINCES DU NORD-KIVU ET DE L'ITURI
Vendredi 21 décembre 2018)
https://mailchi.mp/sante.gouv.cd/ebola_kivu_21dec

致死率は、上記によれば6割を超えてきた。

従来のエボラ発生地域からは離れていて、初期には現地スタッフのトレーニングが追い付かなかったり、報道されているように武装闘争の温床だったり、西アフリカ地域と同じように、地元の協力が得られなかったりしている。

しかし、繰り返すが、ワクチン接種も行い、新しい治療法も試みられている。

何故、流行が収まらないのか?。

浮沈子は、今回行われているリングワクチン接種のやり方に問題があるのではないかと思っている。

もともと、家畜などの伝染病の流行を食い止めるための手法と言われているが、移動を管理され、概ね同一地域で飼育されている家畜と、基本的に自由に移動している人間を同じように扱うわけにはいかない。

生活のためには移動しなければならないし、マーケットに買い物に行くこともある。

それを制限しない限り、感染者の周りにワクチン接種による防壁を築くという方法は、根本的に穴だらけになりかねないのではないか。

エボラのような高致死率の感染症は、そもそも発症すれば入院したりして移動が制限されることから、リングワクチン接種が有効とみなされているのかもしれないが、それは、先進国のように医療機関が整備され、地域が協力的である場合に限られるのではないか。

我が国でも、致死性の高い新型インフルエンザなどが大流行すれば、同じ様に、限られたワクチンをリング接種することになるらしい。

治療に当たる医療関係者とか、社会インフラを維持するための公的な事業のスタッフから始まり、患者周辺の感染の可能性が高い人々から、周辺に向かって接種していく。

ごく初期の段階から、十分な資源を投じてトレースが出来ていれば、大きく広がって手が付けられなくなる前に、効果的にバリアーを張ることが出来るんだろうが、ずさんなトレースで穴だらけになってしまっては効果は期待できない。

年末を落ち込んだ気分で過ごさざるを得ない状況について、ワイアードが記事にしている。

(THE DRC'S EBOLA OUTBREAK IS AN END-OF-YEAR NIGHTMARE)
https://www.wired.com/story/the-drc-ebola-outbreak-is-an-end-of-year-nightmare/

「8月以来、WHOは実験的なエボラワクチンで5万人近くの人々に予防接種をしてきました。」(自動翻訳のまま:以下同じ)

「しかし、新しい場所に新しい病気の集団が出現するにつれて、ワクチンがその発生を封じ込めるのに十分であろうという当初の希望が枯れてしまった。」

「アウトブレイクの最初に、1月までにこれをコントロールできるようになると考えていました」とフォール氏は言います。「今、私たちは少なくとも4月末まで戦闘し続けると信じています。」」

さて、それで済むのかどうか。

リベリアの首都モンロビアで起きたような、極端な感染爆発はまだ起こっていない。

記事の中でも、ブテンボでの感染については神経をとがらせているようだ。

「発生がButemboでより広範囲に広がった場合、曝露された人々の数はすぐにワクチンの供給に負担をかける可能性があります。」

複数の地域で感染が広がっているが、それらは個別に抑制されつつある。

しかし、完全に収まるところまでには至っていない。

明日予定されていた大統領選挙は、1週間延期されたという。

「投票はもともと12月23日に予定されていましたが、投票用紙の供給における暴力と不確実性の増大のために1週間延期されました。」

首都では選挙でエボラどころではないのかもしれない。

エボラの流行にとって、選挙の投票行動は百害あって一利なしだからな。

多くの人々の移動を伴い、感染の機会が増えるわけだしな。

医療スタッフの訓練が行き届き、患者の補足が正確に行われ、かつ、医療機関への収容がスムーズにいって、リングワクチン接種の効果が十分に発揮されれば、終息の兆しが見えてくるかもしれない。

しかし、それは、地域紛争がなく、保健医療活動が恙なく行われる場合の、言ってみれば、今回の流行では有り得ない理想的な状況ということになる。

年内決着はおろか、春になっても終息するかどうかは断言できない。

夏になっても、まだエボラの記事を書いているかもしれないのだ。

今回の流行の可能性事例が報告されたのは、4月末頃ということになっているようだ(グラフ参照)。

1年を超えて、致死性の高いウイルス感染が継続するというのもまた、例外的な話ということになる。

人間は、安定宿主(自然宿主)にはなり得ないからな(つまり、病気になって死んでしまうか、ウイルスをやっつけて治ってしまう)。

共存できないはずのウイルスの流行が長引くということは、ワクチンの有無にかかわらず、感染の鎖が断ち切れないで、ダラダラと続いているということなわけだ。

致死性が低いウイルスの場合は、排出している期間が長かったり、一般に重症化しないので、元気に動き回って排出期間中に感染放題になるわけだが、致死性が高いと、排出期間が短かったり、その間重症化して動き回れなかったりするので、流行という観点からは不利なわけだ。

だから、通常は、早期に終息する。

そうでない場合は、何か特殊な要因が働いているということになる。

エボラは、接触感染がメインで、飛沫感染もあるが、いわゆる空気感染と言われる飛沫核感染はないとされている。

麻疹(はしか:最強の感染効率を誇る)とは違うわけだ。

そんな、比較的感染しにくいと言われているウイルスが、しかも、6割が死んじまうのに、なぜ1年も続くのかといえば、理由は簡単。

人間が、わざと広めているからに過ぎない。

えーと、誤解を招かないように断れば、その行為が感染を広めることを知らずに、という注釈付きだがな。

遺体を埋葬する際の感染は、よく知られるところとなっているが、今回、子供の感染者が多いということを考えると、感染した親を通じて、他の子供たちへ家族内感染させている可能性もある。

手を洗う習慣とか、どの程度徹底しているのか。

医療スタッフ自身が感染し、亡くなっていることを考えると、保健医療機関を通じた感染も相当あるに違いない(未確認)。

先進国の医療常識を遥かに超えた現場の状況を認識することなく、この事態を理解することはできないだろう。

治験中のワクチンや、実験的治療法を手に入れ、4年前よりは遥かに多くの武器を手にしたはずの人類は、何を間違ったか、別の武器を手にして、お互いを殺し合っている。

このアホな状況が続く限り、エボラの撲滅などあり得ない。

物事には、理由がある。

エボラの流行は、その時代の社会を映す鏡だ。

それは、アフリカの奥地の風土病(エボラは、正確には風土病ではありませんが)という目に見える姿だけではなく、その地域を取り巻く社会経済状況や、それに絡んだ人間同士の争い、一見無関係に見えながら、紆余曲折を経て繋がっている浮沈子のような傍観者まで、21世紀初頭の人類の姿全体が被ってくる。

根本的には、アフリカの貧困と社会資源の欠如を何とかしない限り、この問題は収まらないわけだが、経済を発展させようとジャングルの奥地に展開すれば、そこで新たな感染症に見舞われるという自己矛盾もはらんでいる。

また、豊かな鉱物資源を支配下に入れようとして、地域紛争が絶えないことにもなる。

その戦争経済の駆動力が、ひょっとしたら地下資源を狙う企業活動そのものだったりするのかもしれないしな。

人間によってその原因が作られ、人間によって広められ、撲滅のための行動が阻害されている病気なわけだ。

やれやれ・・・。

自業自得といえばそれまでだが、しかし、現実の問題として、始まっちまった流行は抑え込まなければならない。

地道な活動の中で、トレースの精度を上げ、捕捉率を高め、ワクチンによる防壁を高くし、穴を塞ぎ、感染者を早期に隔離・治療し、孤児や保護を断たれた子供に対する施策を施し、まあ、ふつーやるだろうと思われることを淡々と行えば、この程度の流行は収まるはずだからな。

4年前にリベリアやシエラレオネで行ったような、大規模な物量作戦は必要ないはずなんだがな。

8月1日:6
9月2日:49
10月2日:73
11月2日:182
12月3日:264

数字は、疑い症例を含めた感染者の数から、同日の死者の数を引いた数字だ(歴月の初日:ウィキによる)。

中には、治った患者も含まれている。

この数字は、エボラに苦しんだか、今まさに苦しんでいる人々の数だ。

そして、今苦しんでいる人々の半分以上は助からない。

その3人に1人は子供である。

ゆず湯に浸かり、かぼちゃを食べて過ごす地球の裏側の我が国と異なり、彼らには厳しい現実の日々が続いている。

我々は、様々な意味で、感謝しなければなるまい・・・。

(アフリカ中部のエボラ出血熱、終息が見えぬアウトブレイクという悪夢:追加)
https://wired.jp/2018/12/23/the-drc-ebola-outbreak/

ワイアードの日本語の記事が出ていたので、追加でリンクを張っておく。

ついでに、もう一つ。

(再び「エボラ」発生のニュースを聞いて:追加)
https://globe.asahi.com/article/11628859

今年前半の流行と時の記事なんだが、「分かっちゃいるけど止められない」状況を、別の視点から解説ている。

浮沈子的には、行動に結びつかない知識は、クソの役にも立たないという典型だと思ってるんだがな。

ただし、一つの重要な観点であることは間違いない。

じゃあ、それをどうするのかというところまで、踏み込んでもらいたかったんだがな。

まあ、一つの選択としては、何もしないで自然終息に任せるという方法もある。

人間の生き方としては、それも立派な生き方には違いない。

そういう社会が下等だとか、未開だとかというのは、別の社会規範から見た差別に過ぎないということも出来る。

この話、機会があったらまた書く。

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