素晴らしい時代 ― 2019年03月18日 00:28
素晴らしい時代
我が国のダイビング業界は、不況の中、生き残りをかけて必死に喘いでいる(そうなのかあ?)。
新規にダイバーとなる人々は少なくなる一方だ。
そして、ベテランダイバーたちは、歳を取り、かつての栄光を胸に秘めたまま引退していく。
キツイ、汚い、危険な3Kレジャーだからな、ダイビングは・・・。
重いタンクを背負い、汚染された川からの水が流れ込む、だれがションベンしたか分からない水に潜り、圧平衡に失敗してして耳を傷めたり、減圧症や溺水のリスクを負う。
夏は暑く、冬は寒い。
多くのレクリエーショナルダイビングの団体では、40歳を越えたらジジイ扱いだしな。
身体的ストレスの掛かるダイビングでは、生活習慣病は命取りになる。
ダイビングなんてしなくたって、陸上には素晴らしい娯楽が溢れている。
スマホでのチャットやネットゲーム、バーチャルリアリティや体験型映画館。
最近は禁煙が流行っているけど、お酒飲んだりタバコ吸ったりすることだってできる。
ダイビングでは、飲酒後の潜水は禁止だし、タバコの吸い過ぎによる呼吸機能や循環機能への甚大な影響から、多くの指導団体では禁煙を推奨している。
それら陸上での楽しみで十分ではないか?。
何も好き好んで、ダイビングなんて面倒くさいレジャーを始めなくたっていいのに・・・。
それでも、水中世界に魅せられた人々は後を絶たず、少なくなったとはいえ、未だに巷のダイビングショップの門を叩く。
おさかなと一緒に泳いだり、写真撮ったりできると思って来るんだろう。
もちろん、そういうことも出来る。
つーか、まあ、それがメインだけどな。
ジャケットタイプのBCの背中にシングルタンク(我が国では概ねメタリコン塗装したスチールタンク)を背負い、ネオプレン性のドライスーツ(1年のうち、3分の2の期間お世話になる)を着て、カラフルなフィンを履き、手には必ずカメラを持つ。
ショップの勧められるままにライトを持ち、ダイコンをはめ、浮沈子が苦手のシュノーケルを咥えて水面移動する。
ダイビングは、概ね、浜からエントリーするスタイルだからな。
そうして、レギュレーター(最近は、ファーストステージもセカンドステージも、随分コンパクトで軽くなってきたのには驚き!)に咥え直して潜降開始。
味噌汁の中へ・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
それでも、浮沈子が出入りしたりするショップの中では、サイドマウントやったり、リブリーザーやったり、ダブルタンク担いだりするところもあって、いろいろなダイビングを楽しむことが出来るようになってきた。
いい時代だ。
80年代のバブルのころには、そういうダイビングをする人々はごく一部だった。
ふつーのダイビングだけしていれば、十分楽しかったし、業界も潤っていたからな。
ダイビング人口が減ってきて、そういう一山10円のダイビングだけでは物足りなくなって、メーカーも、サービスを提供する側も、様々な工夫を凝らすようになってきた。
そうしないと、お客さんが来なかったり、直ぐに飽きられたりするしな。
ダイビングそのものは奥が深く、たぶん、一般の人が一生かかっても極めることはできない。
浮沈子はあまり関心がないんだが、水中写真(最近は動画が主流だそうですが)一つとっても、一筋縄ではいかない。
いい写真を撮るために、リブリーザーに手を出したりしようものなら、カメラやハウジングだけではなく、海に穴掘って捨てるほど金がかかることになる。
トレーニングだって、半端じゃないしな。
深場に行ったり、洞窟の中、沈船の中に行こうとするなら、テクニカルダイビングの知識と技術が必要だし、それは適性の問題も含めて、誰もが出来ることではない。
でも、リスクを負うことが出来る恵まれた状況にいて、本人にその覚悟があれば、必要なトレーニングを受けた上で挑戦することは可能かもしれない。
もし仮に、本人に適性がなければ、トレーニングの過程でインストラクターがその旨伝えてくれることがあるかも知れない。
レクリエーショナルレベルで楽しまれた方がいいですよ、って。
浮沈子はそう言われたしな。
別に、それでつらい思いをしたわけではない。
全力を尽くしてトレーニングしたので、悔いもない。
CCRやサイドマウントを含めて、やることは沢山あるしな。
何より、シングルタンクのバックマウントが、たぶん、一番出番が少ないからな。
それで潜る機会があれば(講習のサポートが多いですが)、なるべくふつーのカッコして潜るように心がけている。
えーと、ドライスーツとかも、たまにしか着ないので、苦手だけどな。
最近買ったシェルドライも、練習しとかないとな。
忙しくて、テックやってる暇がない・・・。
今のダイビング業界が賑わっていないのは、そういう様々な潜り方、遊び方を正しく伝えられていないからではないのか。
今までのような、供給側主体のダイビングスタイルを押し付け、このスタイルで潜らなければならないという狭い世界に押し込めているとしたら不幸だ。
ダイビングは、ダイバーのためのものだ。
ダイバーが楽しめ、満足して初めて成立するビジネスだからな。
さまざまな潜り方を提案し、適性に応じた指導を提供し、その後の楽しみ方も用意出来れば最高だ。
器材の選択、コンフィギュレーション、スキルに応じたバージョンアップをアドバイスできれば言うことはない。
かつて、一部の人たちだけのものだった特殊器材(CCRやサイドマウントなど)が、広く普及している現代は、ダイバーにとっては素晴らしい時代だ。
規模が縮小している影響で、業界的には厳しいかもしれないけど、それだけ手厚いサービスが期待できる。
ダイビングショップオリエンテッドな時代から、ダイバーオリエンテッドな時代へ。
収益最大化を追求する時代から、顧客満足度最大を追求する時代へ。
アフターダイビングでの満足を追求する時代から、ダイビングそのものでの満足を追求する時代へ。
難行苦行のトレーニングダイブから、そのトレーニングを楽しみ、スキルアップする喜びを得られる時代へ。
今回の名古屋行きを通して、浮沈子の頭に常にあったのは、この苦境の時代こそ、ダイビング業界にとって願ってもない飛躍の時代なのではないかということだ。
本物だけが生き残り、本物だけが伸びていく時代。
ジャパニーズスタンダードが悪いことばかりじゃないけど、ワールドレベルでのスタンダードを、本気で追求しなければならなくなってきた。
そうでなければ、我が国から出た途端、全く相手にされなくなってしまうからな。
何かを変えていかなければ生き残れない時代こそ、変革のチャンスだ。
器材メーカーの展示会で、日本では展開していないモデルが多くあることを耳にした。
海外ではふつーに売っているアウトローとかが、カタログモデルになっていない(浮沈子的には、アウトローを万人に勧める気はないけどな)。
ダイコンとかも、国内販売していない機種とかもあるという。
井の中の蛙、大海を知らず・・・。
コックをひねればいつでも酸素が充填出来、リブリーザーの使用が当たり前で、専用のメンテナンス台があり、サイドマウント用の左右バルブを付けたアルミタンク(ラクスファーでもカタリナでもいいけど)がゴロゴロしているところばかり見てきたので、メタリコン塗装の達磨スチールタンクしかなく、ネオプレンのドライ着て、シングルタンクバックマウントだけで潜るスタイルに馴染むまでには時間が掛かった。
繰り返すが、それが悪いわけではない。
それしかないことが問題なわけだ。
選択肢がない。
ダイビングスタイルは、こんなにも豊かで多様なのに・・・。
先日、ケアンズを拠点にGBRを潜った時、せっかく持って行ったカメラが使えず、6日間の内、5日間はカメラを持たずに潜った。
楽しかった!。
サカナの写真を撮るのではなく、プカリと浮いて、自分自身がサカナになるのだ。
周りの岩に擬態しているコブシメのカップルの前で、そのコブシメに擬態する・・・。
警戒色になって、イソギンチャクに義理立てしているアネモネフィッシュとにらめっこする。
写真撮ってる暇があったら、海の生き物たちとの会話を楽しむべきだと思った。
書を捨てて街へ出る感覚で、カメラを置いて海へ出よう。
いままでレンズの向こうで曇っていた、生き生きとした海の様子が見えてくるかもしれない(えーと、浮沈子の場合、老眼なので細かいのはダメだけどな)。
いずれにしても、多様なダイビングを提案し、ニーズに合わせたおぜん立てが出来るのがいい。
ダイバーがサービスを選ぶ時代になって、単一のスタイルしか提案できなければ、そして、それがダイバーのニーズに合わなければ、いつか消えてなくなっていく。
多様なニーズに応えるには、投資が必要だからな。
それに見合う収益が期待できなければ、提供する方にもリスクが生じる。
頭で考えるほど、単純ではないし、楽な話ではない。
しかし、そこで投じられたコストは、業界全体としては財産になる。
次の時代を育むことに通じる。
当面は、それが可能な一部のショップやサービスだけの話になるかも知れないが、やがてはそこで育った人材が、次の時代を生きていくための肥やしになる。
現世利益だけを追求しても、何も生まれず、何も変わらず、質的変化は期待できない。
どんな業界でも、次世代への投資を行わなければ衰退する。
どんな投資を、どの程度行うかが問題だがな。
うーん、それが分かれば苦労はしないんだがな・・・。
我が国のダイビング業界は、不況の中、生き残りをかけて必死に喘いでいる(そうなのかあ?)。
新規にダイバーとなる人々は少なくなる一方だ。
そして、ベテランダイバーたちは、歳を取り、かつての栄光を胸に秘めたまま引退していく。
キツイ、汚い、危険な3Kレジャーだからな、ダイビングは・・・。
重いタンクを背負い、汚染された川からの水が流れ込む、だれがションベンしたか分からない水に潜り、圧平衡に失敗してして耳を傷めたり、減圧症や溺水のリスクを負う。
夏は暑く、冬は寒い。
多くのレクリエーショナルダイビングの団体では、40歳を越えたらジジイ扱いだしな。
身体的ストレスの掛かるダイビングでは、生活習慣病は命取りになる。
ダイビングなんてしなくたって、陸上には素晴らしい娯楽が溢れている。
スマホでのチャットやネットゲーム、バーチャルリアリティや体験型映画館。
最近は禁煙が流行っているけど、お酒飲んだりタバコ吸ったりすることだってできる。
ダイビングでは、飲酒後の潜水は禁止だし、タバコの吸い過ぎによる呼吸機能や循環機能への甚大な影響から、多くの指導団体では禁煙を推奨している。
それら陸上での楽しみで十分ではないか?。
何も好き好んで、ダイビングなんて面倒くさいレジャーを始めなくたっていいのに・・・。
それでも、水中世界に魅せられた人々は後を絶たず、少なくなったとはいえ、未だに巷のダイビングショップの門を叩く。
おさかなと一緒に泳いだり、写真撮ったりできると思って来るんだろう。
もちろん、そういうことも出来る。
つーか、まあ、それがメインだけどな。
ジャケットタイプのBCの背中にシングルタンク(我が国では概ねメタリコン塗装したスチールタンク)を背負い、ネオプレン性のドライスーツ(1年のうち、3分の2の期間お世話になる)を着て、カラフルなフィンを履き、手には必ずカメラを持つ。
ショップの勧められるままにライトを持ち、ダイコンをはめ、浮沈子が苦手のシュノーケルを咥えて水面移動する。
ダイビングは、概ね、浜からエントリーするスタイルだからな。
そうして、レギュレーター(最近は、ファーストステージもセカンドステージも、随分コンパクトで軽くなってきたのには驚き!)に咥え直して潜降開始。
味噌汁の中へ・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
それでも、浮沈子が出入りしたりするショップの中では、サイドマウントやったり、リブリーザーやったり、ダブルタンク担いだりするところもあって、いろいろなダイビングを楽しむことが出来るようになってきた。
いい時代だ。
80年代のバブルのころには、そういうダイビングをする人々はごく一部だった。
ふつーのダイビングだけしていれば、十分楽しかったし、業界も潤っていたからな。
ダイビング人口が減ってきて、そういう一山10円のダイビングだけでは物足りなくなって、メーカーも、サービスを提供する側も、様々な工夫を凝らすようになってきた。
そうしないと、お客さんが来なかったり、直ぐに飽きられたりするしな。
ダイビングそのものは奥が深く、たぶん、一般の人が一生かかっても極めることはできない。
浮沈子はあまり関心がないんだが、水中写真(最近は動画が主流だそうですが)一つとっても、一筋縄ではいかない。
いい写真を撮るために、リブリーザーに手を出したりしようものなら、カメラやハウジングだけではなく、海に穴掘って捨てるほど金がかかることになる。
トレーニングだって、半端じゃないしな。
深場に行ったり、洞窟の中、沈船の中に行こうとするなら、テクニカルダイビングの知識と技術が必要だし、それは適性の問題も含めて、誰もが出来ることではない。
でも、リスクを負うことが出来る恵まれた状況にいて、本人にその覚悟があれば、必要なトレーニングを受けた上で挑戦することは可能かもしれない。
もし仮に、本人に適性がなければ、トレーニングの過程でインストラクターがその旨伝えてくれることがあるかも知れない。
レクリエーショナルレベルで楽しまれた方がいいですよ、って。
浮沈子はそう言われたしな。
別に、それでつらい思いをしたわけではない。
全力を尽くしてトレーニングしたので、悔いもない。
CCRやサイドマウントを含めて、やることは沢山あるしな。
何より、シングルタンクのバックマウントが、たぶん、一番出番が少ないからな。
それで潜る機会があれば(講習のサポートが多いですが)、なるべくふつーのカッコして潜るように心がけている。
えーと、ドライスーツとかも、たまにしか着ないので、苦手だけどな。
最近買ったシェルドライも、練習しとかないとな。
忙しくて、テックやってる暇がない・・・。
今のダイビング業界が賑わっていないのは、そういう様々な潜り方、遊び方を正しく伝えられていないからではないのか。
今までのような、供給側主体のダイビングスタイルを押し付け、このスタイルで潜らなければならないという狭い世界に押し込めているとしたら不幸だ。
ダイビングは、ダイバーのためのものだ。
ダイバーが楽しめ、満足して初めて成立するビジネスだからな。
さまざまな潜り方を提案し、適性に応じた指導を提供し、その後の楽しみ方も用意出来れば最高だ。
器材の選択、コンフィギュレーション、スキルに応じたバージョンアップをアドバイスできれば言うことはない。
かつて、一部の人たちだけのものだった特殊器材(CCRやサイドマウントなど)が、広く普及している現代は、ダイバーにとっては素晴らしい時代だ。
規模が縮小している影響で、業界的には厳しいかもしれないけど、それだけ手厚いサービスが期待できる。
ダイビングショップオリエンテッドな時代から、ダイバーオリエンテッドな時代へ。
収益最大化を追求する時代から、顧客満足度最大を追求する時代へ。
アフターダイビングでの満足を追求する時代から、ダイビングそのものでの満足を追求する時代へ。
難行苦行のトレーニングダイブから、そのトレーニングを楽しみ、スキルアップする喜びを得られる時代へ。
今回の名古屋行きを通して、浮沈子の頭に常にあったのは、この苦境の時代こそ、ダイビング業界にとって願ってもない飛躍の時代なのではないかということだ。
本物だけが生き残り、本物だけが伸びていく時代。
ジャパニーズスタンダードが悪いことばかりじゃないけど、ワールドレベルでのスタンダードを、本気で追求しなければならなくなってきた。
そうでなければ、我が国から出た途端、全く相手にされなくなってしまうからな。
何かを変えていかなければ生き残れない時代こそ、変革のチャンスだ。
器材メーカーの展示会で、日本では展開していないモデルが多くあることを耳にした。
海外ではふつーに売っているアウトローとかが、カタログモデルになっていない(浮沈子的には、アウトローを万人に勧める気はないけどな)。
ダイコンとかも、国内販売していない機種とかもあるという。
井の中の蛙、大海を知らず・・・。
コックをひねればいつでも酸素が充填出来、リブリーザーの使用が当たり前で、専用のメンテナンス台があり、サイドマウント用の左右バルブを付けたアルミタンク(ラクスファーでもカタリナでもいいけど)がゴロゴロしているところばかり見てきたので、メタリコン塗装の達磨スチールタンクしかなく、ネオプレンのドライ着て、シングルタンクバックマウントだけで潜るスタイルに馴染むまでには時間が掛かった。
繰り返すが、それが悪いわけではない。
それしかないことが問題なわけだ。
選択肢がない。
ダイビングスタイルは、こんなにも豊かで多様なのに・・・。
先日、ケアンズを拠点にGBRを潜った時、せっかく持って行ったカメラが使えず、6日間の内、5日間はカメラを持たずに潜った。
楽しかった!。
サカナの写真を撮るのではなく、プカリと浮いて、自分自身がサカナになるのだ。
周りの岩に擬態しているコブシメのカップルの前で、そのコブシメに擬態する・・・。
警戒色になって、イソギンチャクに義理立てしているアネモネフィッシュとにらめっこする。
写真撮ってる暇があったら、海の生き物たちとの会話を楽しむべきだと思った。
書を捨てて街へ出る感覚で、カメラを置いて海へ出よう。
いままでレンズの向こうで曇っていた、生き生きとした海の様子が見えてくるかもしれない(えーと、浮沈子の場合、老眼なので細かいのはダメだけどな)。
いずれにしても、多様なダイビングを提案し、ニーズに合わせたおぜん立てが出来るのがいい。
ダイバーがサービスを選ぶ時代になって、単一のスタイルしか提案できなければ、そして、それがダイバーのニーズに合わなければ、いつか消えてなくなっていく。
多様なニーズに応えるには、投資が必要だからな。
それに見合う収益が期待できなければ、提供する方にもリスクが生じる。
頭で考えるほど、単純ではないし、楽な話ではない。
しかし、そこで投じられたコストは、業界全体としては財産になる。
次の時代を育むことに通じる。
当面は、それが可能な一部のショップやサービスだけの話になるかも知れないが、やがてはそこで育った人材が、次の時代を生きていくための肥やしになる。
現世利益だけを追求しても、何も生まれず、何も変わらず、質的変化は期待できない。
どんな業界でも、次世代への投資を行わなければ衰退する。
どんな投資を、どの程度行うかが問題だがな。
うーん、それが分かれば苦労はしないんだがな・・・。
10日間の休養または自己鍛錬 ― 2019年03月18日 10:24
10日間の休養または自己鍛錬
金曜日に、苦手のシュノーケル練習会があるけど、今週は水泳教室がフィットネスクラブの定休日に重なったこともあって、来週水曜日の水泳教室までは、定例の予定は無くなっている。
ダイビングについては、28日早朝出発の沖縄慶良間諸島ダイビングまではお休み(10日間の休養だな)。
せっせと電動バイクに乗って、自己鍛錬しなきゃあ(どこが鍛錬?)。
尻の皮、厚くしとかないとな(そういうことかあ?)。
今考えているのは、古くなって穿かなくなったポケットパンツの再利用だ。
自前の尻の皮ではなく、他力本願だな。
早速試してみよう。
ダイビングに終わりがないように、ダイビング器材にも終わりはない(そんなあ!)。
名古屋での衝撃の講習を終えて、IDCのお手伝いも済んで、ほっと一安心。
何かを伝えようとする時に、伝えるべきものの厚みというか、質的付加価値のようなものがないと、相手に上手く伝わらないということを悟る。
言葉の中に、本質を突いた真実の響きが必要なのだ。
相手もまた、何かを必死で求めているからな。
誤解を生むことなく、正しく伝えることが出来れば、人間の持つ自ら成長する力が遺憾なく発揮されるというものだ。
教える側は、いつでも、いかなる時でも、自己鍛錬を怠ってはならない。
その姿勢がまた、学び取ろうとする側の意欲を掻き立て、吸収する力に繋がる。
成長するということは、ある意味では辛いことでもある。
壁に当たってもがくこともある。
それを乗り越え、新たな境地に至る喜びが、次の学習への意欲に繋がっていく。
AIには、暫くできないだろうな。
人間が学び続ける姿勢を見せるには、100年早い・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
新しい世界への扉が開かれるとき、それは、何か魔法を見るような気持ちになる。
理解できない、常識を覆す出来事に、言葉を失う。
適性と才能に恵まれ、継続した努力を積み重ねて到達した境地なんだろうが、それは何も知らない浮沈子にとっては別世界だ。
田原さんのデモンストレーションは、魔法だ。
見かけだけ真似ることはできるかもしれないけど、あの安定感はマネできない。
真横で30分泳ぎ続けることが出来るものだけが見せられるデモだ。
ダイブライトのフィンから、マレスのフィンに履き替えた理由を尋ねたら、行くところがだんだんシビアな所になってきたからという答えが返ってきた。
究極のフィンコントロールが求められる環境では、フィンの重さに依存したバランスは好ましくないからな。
ダイブライトのは、淡水ではそれなりに重い。
浮沈子が分かったのは、その程度。
あとは、ぽかんと口を開けてみているだけ・・・。
学ぶ力がないと、そういうことになる。
ハイレベル過ぎて、付いていけないところが多すぎだが、凄まじく参考になった。
レイザーが、究極の環境でなぜ選択されるかという解説(宣伝?)は、説得力の塊だしな。
そうじゃないという、反論の余地は殆どない。
ポーチの中の子袋が、胸パッドの入れ物でなくてもいいんじゃないかということくらいか(ワケワカ・・・)。
翌朝少しお話しした時に、スキルの開発は、頭の中に新しい回路を作るようなものだという話が出た。
まあ、それはそうなんだが、その線を太く確かなものにして、フィジカルメモリー(体で覚えるの意?)とするには、繰り返し染みつくまで練習しなければならない。
次のレベルのスキルは、それを土台にして積み上げられるからな。
中途半端にしておくことは許されない。
水泳教室でも、同じ様な話が出ていたな。
一流の競泳選手が、日々のトレーニングで行っているのは、基礎練習ばっかしだそうだ。
繰り返し行い、微修正し、改善する。
それを怠れば、第一線にはとどまれない。
10日間のアクアノートの休日(潜っていない日は、安静にして窒素とか抜かないとな)。
そんな時でも、頭の中でシミュレーションを繰り返す・・・。
サイドマウントにおける緊急時のエアシェアの手順のデモを見せていただいた翌々日、稲取でIDCのお手伝いをさせていただいた話は既に書いた。
お題の中に、水中でのエア切れというのがあったけど、オクトパスを取り出してレギュレーターを差し出すとき、思わず自分の頭越しに持ち上げてから渡したことを思い出した(分かる人だけ、笑ってください!)。
やれやれ・・・。
まあ、それでもいいんですが(軌道が長くなるので、レクリエーショナルでは推奨できませんけど)。
今日は、久しぶりに神田詣でにでも行って来ようかな。
電動バイク乗って・・・。
金曜日に、苦手のシュノーケル練習会があるけど、今週は水泳教室がフィットネスクラブの定休日に重なったこともあって、来週水曜日の水泳教室までは、定例の予定は無くなっている。
ダイビングについては、28日早朝出発の沖縄慶良間諸島ダイビングまではお休み(10日間の休養だな)。
せっせと電動バイクに乗って、自己鍛錬しなきゃあ(どこが鍛錬?)。
尻の皮、厚くしとかないとな(そういうことかあ?)。
今考えているのは、古くなって穿かなくなったポケットパンツの再利用だ。
自前の尻の皮ではなく、他力本願だな。
早速試してみよう。
ダイビングに終わりがないように、ダイビング器材にも終わりはない(そんなあ!)。
名古屋での衝撃の講習を終えて、IDCのお手伝いも済んで、ほっと一安心。
何かを伝えようとする時に、伝えるべきものの厚みというか、質的付加価値のようなものがないと、相手に上手く伝わらないということを悟る。
言葉の中に、本質を突いた真実の響きが必要なのだ。
相手もまた、何かを必死で求めているからな。
誤解を生むことなく、正しく伝えることが出来れば、人間の持つ自ら成長する力が遺憾なく発揮されるというものだ。
教える側は、いつでも、いかなる時でも、自己鍛錬を怠ってはならない。
その姿勢がまた、学び取ろうとする側の意欲を掻き立て、吸収する力に繋がる。
成長するということは、ある意味では辛いことでもある。
壁に当たってもがくこともある。
それを乗り越え、新たな境地に至る喜びが、次の学習への意欲に繋がっていく。
AIには、暫くできないだろうな。
人間が学び続ける姿勢を見せるには、100年早い・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
新しい世界への扉が開かれるとき、それは、何か魔法を見るような気持ちになる。
理解できない、常識を覆す出来事に、言葉を失う。
適性と才能に恵まれ、継続した努力を積み重ねて到達した境地なんだろうが、それは何も知らない浮沈子にとっては別世界だ。
田原さんのデモンストレーションは、魔法だ。
見かけだけ真似ることはできるかもしれないけど、あの安定感はマネできない。
真横で30分泳ぎ続けることが出来るものだけが見せられるデモだ。
ダイブライトのフィンから、マレスのフィンに履き替えた理由を尋ねたら、行くところがだんだんシビアな所になってきたからという答えが返ってきた。
究極のフィンコントロールが求められる環境では、フィンの重さに依存したバランスは好ましくないからな。
ダイブライトのは、淡水ではそれなりに重い。
浮沈子が分かったのは、その程度。
あとは、ぽかんと口を開けてみているだけ・・・。
学ぶ力がないと、そういうことになる。
ハイレベル過ぎて、付いていけないところが多すぎだが、凄まじく参考になった。
レイザーが、究極の環境でなぜ選択されるかという解説(宣伝?)は、説得力の塊だしな。
そうじゃないという、反論の余地は殆どない。
ポーチの中の子袋が、胸パッドの入れ物でなくてもいいんじゃないかということくらいか(ワケワカ・・・)。
翌朝少しお話しした時に、スキルの開発は、頭の中に新しい回路を作るようなものだという話が出た。
まあ、それはそうなんだが、その線を太く確かなものにして、フィジカルメモリー(体で覚えるの意?)とするには、繰り返し染みつくまで練習しなければならない。
次のレベルのスキルは、それを土台にして積み上げられるからな。
中途半端にしておくことは許されない。
水泳教室でも、同じ様な話が出ていたな。
一流の競泳選手が、日々のトレーニングで行っているのは、基礎練習ばっかしだそうだ。
繰り返し行い、微修正し、改善する。
それを怠れば、第一線にはとどまれない。
10日間のアクアノートの休日(潜っていない日は、安静にして窒素とか抜かないとな)。
そんな時でも、頭の中でシミュレーションを繰り返す・・・。
サイドマウントにおける緊急時のエアシェアの手順のデモを見せていただいた翌々日、稲取でIDCのお手伝いをさせていただいた話は既に書いた。
お題の中に、水中でのエア切れというのがあったけど、オクトパスを取り出してレギュレーターを差し出すとき、思わず自分の頭越しに持ち上げてから渡したことを思い出した(分かる人だけ、笑ってください!)。
やれやれ・・・。
まあ、それでもいいんですが(軌道が長くなるので、レクリエーショナルでは推奨できませんけど)。
今日は、久しぶりに神田詣でにでも行って来ようかな。
電動バイク乗って・・・。
最近のコメント