天気晴朗なれども大事をとって静養に専念するということにしてサボりを決め込む ― 2019年04月22日 12:45
天気晴朗なれども大事をとって静養に専念するということにしてサボりを決め込む
頭痛がひどくて起きられなかった昨日から一転、気分は良くなったし食欲も出て何の問題もなくなった今朝。
単なる風邪の初期症状だったのか。
右背部痛もなくなり、単なる筋肉痛だったようで一安心。
朝、ゆっくり目に起き出していつものレストランで健康的な食事を頂く。
ここ2日間くらい、エボラの記事を書いているんだが、なかなかリリース出来ないでいる。
爆発的な流行にならずに、細く長く感染が続いているのはなぜなのか。
感染地域が、北キブ州とイツリ州に限定され続けているのはなぜなのか。
浮沈子なりに考えを纏めようとしてるんだが、専門家さえ分からないような話に素人が首を突っ込んでどうなるものでもない。
それにしても不思議だ。
何か、見えない意思のようなものが働いているようにすら思える。
世界は現地の状況を冷静な目で見ている。
感染地域が急拡大したり、それこそ国際感染症に発展しない限り、何千人、いや何万人の感染者と死者を出したとしても同じ対応のままだろう。
高致死率の感染症であるとはいえ、感染力は強いわけではない。
仮に、先進国に少数はいってきたとしても、広範囲に広まったりする危険は小さい。
西アフリカの大流行の際に、それは実証済みだ。
今回はワクチンもある。
接種の展開が十分かどうかは別として、一定の効果を発揮していると思われる。
それがなければ、爆発的流行に至っていたかもしれない。
詳細は知らないが、新しい治療方法も試みられているようだ。
その一方で、武装勢力の襲撃、地元の無理解に依る非協力的な状況は続いている。
戦闘地域においては、医療施設は聖域のはずなんだが、どうもそうではないようで、格好の標的にされいるようだ。
やれやれ・・・。
それが、流行の消長にどれ程の影響を及ぼしているかどうかは分からない。
全てが、あるバランスを取るために、意図的に働いているようにすら感じられる。
定常状態を作り出している。
たまたま、流行の過程の中で、そういう状態にはまっているだけなのかもしれないし、終息に向けてのプロセスが動き出している予兆なのかもしれない(そうであって欲しいと願ってますが)。
1日平均で10人程度の感染が続いていて、特定地域に封じ込められている。
ブテンボなど集計が怪しい地域もあるが、致死率は60パーセント前半を維持している。
まあいい。
いろいろ考えて、何かが分かるわけでもない。
今日の報告には、先日の襲撃で亡くなったカメルーンの医師の写真が掲載されていた。
(SITUATION ÉPIDÉMIOLOGIQUE DANS LES PROVINCES DU NORD-KIVU ET DE L'ITURI
Dimanche 21 avril 2019)
https://mailchi.mp/sante.gouv.cd/ebola_kivu_21avr19
「A LA MEMOIRE DU DR RICHARD VALERY MOUZOKO KIBOUNG」
個別の事案に目を向ければ、無数のドラマがあり、苦痛と悔悟が渦巻いている。
報告される死者、感染者の数字は、木石の数ではない・・・。
「流行の開始以来、累積症例数は1,336人であり、そのうち1,270人が確認され、66人が推定されている。合計で870人の死者が確認され(804人が確認され、66人が推定)、387人が治癒した。」
その向こうにあるノイズこそが、人間が生きているということの意味だ。
遠からず、死者の数が1000人を超える日を迎える。
その数字には、おそらく何の意味もない。
意味があるのは、1000の苦しみと1000の絶望、1000の呻き、1000の後悔だ。
そして、それはさらに増え続けるだろう・・・。
窓の外を見やれば、明るい陽射しの中に、暖かい風に揺れるハナミズキの花。
同じ惑星の同じ空気を吸う彼の地で起こっていることなど、想像することもできない。
しかし、それは紛れもない現実で、仮想空間の話ではない。
それを、自分に繋がる問題としてとらえる必要はないのかもしれない。
我々は、そのために社会的役割を分担し、担当部署を作り、専任者を置いている。
そんなことは分かっている・・・。
200人を超える死者となったスリランカの爆弾テロも、神戸の路線バス暴走事故も、衆院補選も浮沈子に直接の関係はない。
地元大田区の区長選挙や区議会議員選挙でさえ、たぶん、大して関係はないだろう(そうかあ?)。
選挙の結果とか、知らないしな(そんなあ!)。
まあ、どうでもいいんですが。
春の日はうららかに過ぎていく。
いつものレストランは、大入り満員になっている。
うだうだと与太ブログを書いていないで、そろそろ退散しよう・・・。
頭痛がひどくて起きられなかった昨日から一転、気分は良くなったし食欲も出て何の問題もなくなった今朝。
単なる風邪の初期症状だったのか。
右背部痛もなくなり、単なる筋肉痛だったようで一安心。
朝、ゆっくり目に起き出していつものレストランで健康的な食事を頂く。
ここ2日間くらい、エボラの記事を書いているんだが、なかなかリリース出来ないでいる。
爆発的な流行にならずに、細く長く感染が続いているのはなぜなのか。
感染地域が、北キブ州とイツリ州に限定され続けているのはなぜなのか。
浮沈子なりに考えを纏めようとしてるんだが、専門家さえ分からないような話に素人が首を突っ込んでどうなるものでもない。
それにしても不思議だ。
何か、見えない意思のようなものが働いているようにすら思える。
世界は現地の状況を冷静な目で見ている。
感染地域が急拡大したり、それこそ国際感染症に発展しない限り、何千人、いや何万人の感染者と死者を出したとしても同じ対応のままだろう。
高致死率の感染症であるとはいえ、感染力は強いわけではない。
仮に、先進国に少数はいってきたとしても、広範囲に広まったりする危険は小さい。
西アフリカの大流行の際に、それは実証済みだ。
今回はワクチンもある。
接種の展開が十分かどうかは別として、一定の効果を発揮していると思われる。
それがなければ、爆発的流行に至っていたかもしれない。
詳細は知らないが、新しい治療方法も試みられているようだ。
その一方で、武装勢力の襲撃、地元の無理解に依る非協力的な状況は続いている。
戦闘地域においては、医療施設は聖域のはずなんだが、どうもそうではないようで、格好の標的にされいるようだ。
やれやれ・・・。
それが、流行の消長にどれ程の影響を及ぼしているかどうかは分からない。
全てが、あるバランスを取るために、意図的に働いているようにすら感じられる。
定常状態を作り出している。
たまたま、流行の過程の中で、そういう状態にはまっているだけなのかもしれないし、終息に向けてのプロセスが動き出している予兆なのかもしれない(そうであって欲しいと願ってますが)。
1日平均で10人程度の感染が続いていて、特定地域に封じ込められている。
ブテンボなど集計が怪しい地域もあるが、致死率は60パーセント前半を維持している。
まあいい。
いろいろ考えて、何かが分かるわけでもない。
今日の報告には、先日の襲撃で亡くなったカメルーンの医師の写真が掲載されていた。
(SITUATION ÉPIDÉMIOLOGIQUE DANS LES PROVINCES DU NORD-KIVU ET DE L'ITURI
Dimanche 21 avril 2019)
https://mailchi.mp/sante.gouv.cd/ebola_kivu_21avr19
「A LA MEMOIRE DU DR RICHARD VALERY MOUZOKO KIBOUNG」
個別の事案に目を向ければ、無数のドラマがあり、苦痛と悔悟が渦巻いている。
報告される死者、感染者の数字は、木石の数ではない・・・。
「流行の開始以来、累積症例数は1,336人であり、そのうち1,270人が確認され、66人が推定されている。合計で870人の死者が確認され(804人が確認され、66人が推定)、387人が治癒した。」
その向こうにあるノイズこそが、人間が生きているということの意味だ。
遠からず、死者の数が1000人を超える日を迎える。
その数字には、おそらく何の意味もない。
意味があるのは、1000の苦しみと1000の絶望、1000の呻き、1000の後悔だ。
そして、それはさらに増え続けるだろう・・・。
窓の外を見やれば、明るい陽射しの中に、暖かい風に揺れるハナミズキの花。
同じ惑星の同じ空気を吸う彼の地で起こっていることなど、想像することもできない。
しかし、それは紛れもない現実で、仮想空間の話ではない。
それを、自分に繋がる問題としてとらえる必要はないのかもしれない。
我々は、そのために社会的役割を分担し、担当部署を作り、専任者を置いている。
そんなことは分かっている・・・。
200人を超える死者となったスリランカの爆弾テロも、神戸の路線バス暴走事故も、衆院補選も浮沈子に直接の関係はない。
地元大田区の区長選挙や区議会議員選挙でさえ、たぶん、大して関係はないだろう(そうかあ?)。
選挙の結果とか、知らないしな(そんなあ!)。
まあ、どうでもいいんですが。
春の日はうららかに過ぎていく。
いつものレストランは、大入り満員になっている。
うだうだと与太ブログを書いていないで、そろそろ退散しよう・・・。
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