サイドマウント:両脇にタンクが付いている以外は全てが違うケーブ仕様:はるか遠くに霞むメキシコ行き ― 2021年02月03日 08:55
サイドマウント:両脇にタンクが付いている以外は全てが違うケーブ仕様:はるか遠くに霞むメキシコ行き
東京ロックダウン2(2度目の緊急事態宣言)のさ中、県境をまたいで不要不急の移動な非国民浮沈子・・・。
サイドマウントでデコタン1本持って、往復1時間の遠泳トレーニング。
浅いところに戻ってきて、フロートを上げたんだが、上を確認するのを忘れ、抜いたBCへの給気もタイミングが遅れる。
おまけに、フロートに穴が開いていて役立たず・・・。
グローブはめずに潜って、手のあちこちが傷だらけ・・・。
デブリの時に、水中での姿勢が悪いとか、泳ぐ速度が速過ぎる(グラインドの時間が短い)とか、ライトの持ち方が悪いとか、ハーネスがドライスーツに合わせてないとか、ウエイトの取り付け方が悪いとか、山のような指摘を頂く(それはそれで、非常に貴重で有難いんですが)。
心も体もボロボロになって、軽くデコまで出してダイビングを終わる(デコタンの中身は48パーのナイトロックスなので、多少は窒素抜けがいいくらいか)。
帰ってから、このビデオを見て、姿勢とかのイメトレするように追加の指示も・・・。
(Go Side MountさんはAnne-Laure Huynhさん、Ute Hartmannさんと一緒にいます。)
https://www.facebook.com/GoSideMount/posts/3209742052389835
ため息が出るような美しいダイビングシーンだ・・・。
真っ暗な狭いところで、おまけに天井や床からは鬱陶しい出っ張り(鍾乳石とかいって、わざわざそんなもんを見に行くために潜るらしいです)がいっぱいある。
浮沈子が理解し難いダイビングだが、潜っているダイバーのスキルは羨ましい。
同じサイドマウントでの潜水だが、天と地ほどの違いがある(似て非なる感じも)。
同じなのは、両脇にタンクを2本ぶら下げていることだけだ。
全てが違い過ぎ、全てがかけ離れている。
浮沈子にとっては、未来永劫埋めることのできない絶対的なギャップを感じる。
こんなもんを見せられて、参考にしろと言われても、余計落ち込むだけだな・・・。
海洋におけるフィンキックの方は、スティーブボガーツのあまりに有名なこの動画・・・。
(Steve Bogaerts Sidemount Skills demo in a Razor Harness:動画出ます。)
https://www.youtube.com/watch?v=8ahQYqho7w4&feature=share
ダメだ、余計落ち込む・・・。
脳内にイメージを形成して、その通りに潜れれば苦労はない。
自分の身体を使い、頭のてっぺんからつま先まで神経を研ぎ澄まして、どんな姿勢でどう動かすかを意識しなければ、10年以上染みついた悪い癖のまま潜ることになる。
たぶん、一生直らないだろうと思うけど、直そうとしなければ、決して直ることはない。
それだけは確かだ。
成らぬは人の為さぬなりけり。
非国民な浮沈子は、来週もサイドマウントで潜る。
なんちゃってサイドマウントからの脱却の道は遠い。
新型コロナの終息が先か、サイドマウントでそれなりに潜れるようになるのが先か(新型コロナの終息の方に100票だな・・・)。
まあいい。
為せば成る。
おほぞらに そびえて見ゆる たかねにも
登ればのぼる 道はありけり
(おほぞらに そびえて見ゆる たかねにも
登ればのぼる 道はありけり)
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h2901
「必要なのは、頂上を究めなければ止まない勇気と努力」
勇気か・・・。
まあ、それも必要だな。
先人たちの残した数々の呪文(?)を唱えながら、コツコツとトレーニングに勤しむ。
とはいえ、耳の奥に聞こえてくるのは、このフレーズばかり・・・。
(よせばいいのに)
https://www.uta-net.com/movie/579/
「馬鹿ね 馬鹿ね よせばいいのに」
「駄目な駄目な 本当に駄目な
いつまでたっても 駄目な私ね」
まあ、どうでもいいんですが。
ローマは一日にして成らず。
今までの経験から、出来るようになるのは自分の中にある壁を、ひょんなきっかけで破る時だ。
それは、頑丈なドアを思い切り蹴破るのではなく、腐った扉を軽く押すだけで開けることができるような感じだ。
個人差もあり、誰もが同じ経験になるわけではないだろうが、浮沈子の場合は、インストラクターに「やれ」と言われたことを必死にやり続ける中で、いつの間にか出来るようになっている。
脳内に新しい回路が出来るまでは、苦痛以外の何ものでもないけど、一度出来てしまえば、そうでない方が苦しい。
優れた指導者に巡り会って、その指示を信じて努力を続けることができるかどうか。
自らの努力を続けようという勇気を持ち続けられるかどうか。
人間の行為は、結局、他人や自分を信じられるかどうかで決まるような気がする。
指導者とのめぐり逢いも、自分自身とのめぐり逢い(ここ、重要です!)も、何か運命的なものを感じる。
とかなんとか、所詮、気休めに過ぎないけどな。
身体の傷は時が癒す。
心の傷は、自分で癒すしかない。
ボロボロになって、このブログに書けるようになるまで4日もかかった。
次回のトレーニングは来月末を予定している(たぶん、そっちもまだ緊急事態宣言中)。
自主トレを積んで、少しずつでも改善していかないとな・・・。
東京ロックダウン2(2度目の緊急事態宣言)のさ中、県境をまたいで不要不急の移動な非国民浮沈子・・・。
サイドマウントでデコタン1本持って、往復1時間の遠泳トレーニング。
浅いところに戻ってきて、フロートを上げたんだが、上を確認するのを忘れ、抜いたBCへの給気もタイミングが遅れる。
おまけに、フロートに穴が開いていて役立たず・・・。
グローブはめずに潜って、手のあちこちが傷だらけ・・・。
デブリの時に、水中での姿勢が悪いとか、泳ぐ速度が速過ぎる(グラインドの時間が短い)とか、ライトの持ち方が悪いとか、ハーネスがドライスーツに合わせてないとか、ウエイトの取り付け方が悪いとか、山のような指摘を頂く(それはそれで、非常に貴重で有難いんですが)。
心も体もボロボロになって、軽くデコまで出してダイビングを終わる(デコタンの中身は48パーのナイトロックスなので、多少は窒素抜けがいいくらいか)。
帰ってから、このビデオを見て、姿勢とかのイメトレするように追加の指示も・・・。
(Go Side MountさんはAnne-Laure Huynhさん、Ute Hartmannさんと一緒にいます。)
https://www.facebook.com/GoSideMount/posts/3209742052389835
ため息が出るような美しいダイビングシーンだ・・・。
真っ暗な狭いところで、おまけに天井や床からは鬱陶しい出っ張り(鍾乳石とかいって、わざわざそんなもんを見に行くために潜るらしいです)がいっぱいある。
浮沈子が理解し難いダイビングだが、潜っているダイバーのスキルは羨ましい。
同じサイドマウントでの潜水だが、天と地ほどの違いがある(似て非なる感じも)。
同じなのは、両脇にタンクを2本ぶら下げていることだけだ。
全てが違い過ぎ、全てがかけ離れている。
浮沈子にとっては、未来永劫埋めることのできない絶対的なギャップを感じる。
こんなもんを見せられて、参考にしろと言われても、余計落ち込むだけだな・・・。
海洋におけるフィンキックの方は、スティーブボガーツのあまりに有名なこの動画・・・。
(Steve Bogaerts Sidemount Skills demo in a Razor Harness:動画出ます。)
https://www.youtube.com/watch?v=8ahQYqho7w4&feature=share
ダメだ、余計落ち込む・・・。
脳内にイメージを形成して、その通りに潜れれば苦労はない。
自分の身体を使い、頭のてっぺんからつま先まで神経を研ぎ澄まして、どんな姿勢でどう動かすかを意識しなければ、10年以上染みついた悪い癖のまま潜ることになる。
たぶん、一生直らないだろうと思うけど、直そうとしなければ、決して直ることはない。
それだけは確かだ。
成らぬは人の為さぬなりけり。
非国民な浮沈子は、来週もサイドマウントで潜る。
なんちゃってサイドマウントからの脱却の道は遠い。
新型コロナの終息が先か、サイドマウントでそれなりに潜れるようになるのが先か(新型コロナの終息の方に100票だな・・・)。
まあいい。
為せば成る。
おほぞらに そびえて見ゆる たかねにも
登ればのぼる 道はありけり
(おほぞらに そびえて見ゆる たかねにも
登ればのぼる 道はありけり)
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h2901
「必要なのは、頂上を究めなければ止まない勇気と努力」
勇気か・・・。
まあ、それも必要だな。
先人たちの残した数々の呪文(?)を唱えながら、コツコツとトレーニングに勤しむ。
とはいえ、耳の奥に聞こえてくるのは、このフレーズばかり・・・。
(よせばいいのに)
https://www.uta-net.com/movie/579/
「馬鹿ね 馬鹿ね よせばいいのに」
「駄目な駄目な 本当に駄目な
いつまでたっても 駄目な私ね」
まあ、どうでもいいんですが。
ローマは一日にして成らず。
今までの経験から、出来るようになるのは自分の中にある壁を、ひょんなきっかけで破る時だ。
それは、頑丈なドアを思い切り蹴破るのではなく、腐った扉を軽く押すだけで開けることができるような感じだ。
個人差もあり、誰もが同じ経験になるわけではないだろうが、浮沈子の場合は、インストラクターに「やれ」と言われたことを必死にやり続ける中で、いつの間にか出来るようになっている。
脳内に新しい回路が出来るまでは、苦痛以外の何ものでもないけど、一度出来てしまえば、そうでない方が苦しい。
優れた指導者に巡り会って、その指示を信じて努力を続けることができるかどうか。
自らの努力を続けようという勇気を持ち続けられるかどうか。
人間の行為は、結局、他人や自分を信じられるかどうかで決まるような気がする。
指導者とのめぐり逢いも、自分自身とのめぐり逢い(ここ、重要です!)も、何か運命的なものを感じる。
とかなんとか、所詮、気休めに過ぎないけどな。
身体の傷は時が癒す。
心の傷は、自分で癒すしかない。
ボロボロになって、このブログに書けるようになるまで4日もかかった。
次回のトレーニングは来月末を予定している(たぶん、そっちもまだ緊急事態宣言中)。
自主トレを積んで、少しずつでも改善していかないとな・・・。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。