🐼メキシコへの道:第2章:よく気が付きますか?:動物の言葉とダイビング2022年01月20日 08:48

メキシコへの道:第2章:よく気が付きますか?:動物の言葉とダイビング


もう、半世紀以上前に読んだ本の話から。

(ドリトル先生航海記)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AB%E5%85%88%E7%94%9F%E8%88%AA%E6%B5%B7%E8%A8%98

「スタビンズ自身もポリネシアの指導で先生には及ばないながらも動物の言葉がわかるようになって行く。」

トミースタビンズはドリトル先生の助手、ポリネシアはオウム(メス:ババア?)。

そのポリネシアが、スタビンズに動物の言葉を教えるシーンに出てくるのが、表題に掲げた「よく気が付きますか?」というセリフだ。

原本が手元にないので、半世紀前の記憶だけで書いているから正確かどうかは怪しいが、浮沈子の記憶が確かならば、たしか章のタイトルにもなっていたはずだ。

動物は、音声だけではなく、様々なしぐさでコミュニケーションしているから、というのがポリネシアの言わんとするところなわけで、動物のちょっとしたしぐさを見逃さずに目配りすることの重要性を指摘している部分だ。

細部については忘れたけれど、50年以上の歳月を経て記憶に残っているというのも驚きだな(夕べ食べたメニューは覚えていなかったりするけど:そっちの方が驚きかあ?)。

まあいい。

で、何故この話を思い出したかと言えば、ダイビングでは、概ね音声によるコミュニケーションが出来ず(最近は、ロゴシーズとかありますけど)、ハンドシグナルやライトシグナルでコミュニケーションする。

カバーンやケーブでは、タッチコンタクトによるコミュニケーションもある。

人間以外の動物と会話できるかどうかは別として、水中で音声を使わない意思疎通を行うことは、スタビンズが動物の言葉を理解しようとする時と同じなわけだ。

そして、その時のポイントも同じ。

「よく気が付きますか?」

意図的に送り出すサインだけではない。

チームのダイバーや、バディのちょっとした動き、しぐさ、呼吸の間隔や深さ、器材の操作、トリムやバランス、フィンキックの速度や動きなど、無意識に送り出される様々な情報に注意している必要がある。

ライトの動き、照らしている位置なども重要だ。

逆に言えば、自分自身も同じように無意識の情報を送り出しているわけで、バディやチームを混乱させるノイズを出すことは避けなければならない。

インストラクションの観点からは、教える側は常に生徒に観察されているわけで、いつ、いかなる時も手本となる動作やしぐさを守ることが必要だし、生徒の無意識のサインに目配りし、どこで躓いているのか、何がストレスになっているのかを見極めていくことになる。

よく気が付きますか?。

言葉は、時にウソをつく。

誤魔化したり、騙したり、煙に巻いたり(得意です!)。

脅したり賺したり、煽ったり足を引っ張ったりもする。

その中から、正確な情報を見つけ出し、意図をくみ取るのは容易ではない。

水中でも、ウソがないとは言えないけどな。

ガイドに残圧を尋ねられて、見栄張って多めに申告するとか(あるある・・・)。

まあ、どうでもいいんですが。

陸上のコミュニケーションでも、しぐさや表情など、言葉を捕捉する情報に注意することは大切だが、水中ではその重要性は遥かに大きい。

沈黙の世界での饒舌さに、如何に気付くか。

その饒舌な、非音声的情報の中から、的確にサインを見つけ出し、必要に応じて介入したり、後で捕捉したりすることができるか。

浮沈子は、普段、漫然と潜っている。

ガイドの意図的なサインにも気付かなかったりしてな。

ぼーっと、惰性で、何となく、ゆらゆらと漂っている。

ダイビングはレクリエーションだからな。

非日常的環境に身を置き、浮世の雑事を忘れ、異世界の生き物や周りの風景に見とれていたいわけだ。

何が悲しくて、一緒に潜っている連中(我が国のファンダイブは、概ねバディ設定しないし)の無言のサインに注意していなけりゃならんのか。

自分の一挙手一投足が、見られていることを意識し続けなければならんのか。

俺様は客だ!。

金を払ってまで、そんなことに気を使わなければならないなんて、納得いかない!。

が、しかし、それはたぶん重要なことに違いない。

レクリエーションとはいえ、ダイビングは命の危険を伴うレジャーだからな。

心や身体のストレス、器材の不具合が、連鎖的に膨れ上がって暴走し、トラブルやパニックに発展しないとも限らない。

巻き込まれれば、こっちの身も危なくなる可能性だってあるわけだ。

もちろん、ダイビングの講習では、そうならないような様々な手立てを教えてはいる。

自分自身のストレスに気付いたり、対応するための具体的な方法や手順も丁寧に指導する。

それでも、水中では何が起こるかは分からない。

最近、稲取のプールでおひとりさま合宿をしていて気付いたのは、マスクの中に水が少し入っているだけで、ストレスが蓄積していくということだ。

加温されているとはいえ、水温は22度。

7mmのウエットスーツでも、3時間以上連続して漬かっていると寒くなってくる。

SドリルやVドリルで暴れていたり、その度にゲージを確認したりすると、マスクがズレて少し水が入ってきたりする。

視界を妨げる程ではないけれど、それを放置していると、やがて不快になり、ストレスが溜まってくることに気付いたのだ。

注意が散漫になり、手順が乱れ、確認すべきことが疎かになり、スキルの精度が落ち、中性浮力やトリムが崩れ、コントロールが効かなくなる。

自分自身にムカつき、イライラし、腹が立ってくる。

わずか1cmほど溜まったマスクの中の水が、その引き金になっていることに気付いたわけだ(気付いたのは、スキルが破綻して収拾がつかなくなり、動きを止めてリラックスした時でした)。

こまめにマスククリアをして排水しておくと、格段に快適になり、安定し、落ち着き、気にならず、集中し、コントロールできるようになった。

あらゆることが、いい循環に向かい出す。

えーと、もちろん、自分にあったマスクを選び、正しく装着していることが大前提だけどな。

SやVのスキル程度でズレて浸水する方が問題とは言える。

だが、そのことに気づけたのは良かった。

逆に言えば、チームの誰かがマスク内に水を溜めたままでいれば、おそらく同じようにストレスを蓄積していく可能性があるわけだ。

そいつが不快であるかどうかは浮沈子の知ったことではないが、たとえばケーブの中で、たまりにたまったストレスに加え、何か他のことがきっかけでパニクり、暴走して襲い掛かってきたりしたらただでは済まないわけで、全く無縁とは言えない。

よく気が付くことは、場合によっては命に係わる。

水中では、人間は音声による言葉を失い、他の動物と同じような存在になってしまう。

ポリネシアの言うように、しぐさや態度に注意して、無言のサインを見逃さないことが肝要だ。

意図的なシグナルではない、そうした兆候に注意することが、安全なダイビングを続けるうえでも大切なことなわけだな。

いやあ、しかし、やっぱ、浮沈子としては、漫然と、だらだらと、ののほーんと、ぼーっと潜っていたいなあ・・・。

<以下追加>ーーーーーーーーーー

ブログ本文では、動物の言葉を比喩的に(人間の水中でのコミュニケーションと似ているという意味で)使ったわけだが、書き終わってから、そもそも、本来の意味での動物の言葉と人間の言葉の違いが気になって調べた。

文字や音声と言った、伝達の媒体(メディア)の違いだけではなく、本質的な所でも違うという話が出ていた。

(人間以外の動物も「言語」を持っているのか?)
https://gigazine.net/news/20180108-animal-have-language/

「言語には4つの性質があります。」

・DISCRETENESS(分離性):個々の音や単語を持っており、これらが組み合わさることで言語が新しい意味を持つ
・GRAMMAR(文法):それらの音や単語がどのように並ぶのかを定めたルール
・PRODUCTIVITY(生産性):言語を使って無数の表現を行う能力
・DISPLACEMENT(超越性):言語を使って「目の前で起きていない出来事」について話す能力

「カニやイカが使う信号には「分離性」がない」

「ミツバチが伝えたいミツのある場所は巣の外にあるため、「目の前にあるもの」以外について話していることになり、「超越性」の性質を示しています。」

「ココは「ボール」という名前のネコをかわいがっていて、ボールが死んだあとにボールへの愛情を手話で表現するなど、ココの手話は「超越性」を示していました。」(ココ:メスのゴリラの名前)

まあ、この辺りまでは想定の範囲内だったんだがな。

「ココなどの個体は自然に手話を習得したのではなく、あくまでも人間によって手話を教えられたから手話を使えるようになった」

「ゴリラやチンパンジーと同じく、自然界のイルカが行うコミュニケーションには文法がありません。」

野生動物同士の会話と、彼らが人間とコミュニケーションする時は異なる。

彼らは、人間が理解しやすい言語体系を習得し、我々のために「外国語」(?)を使ってくれているわけだ(そうなのかあ?)。

「動物が持つコミュニケーションツールと人間が持つ言語とは、決して非連続的なものではなく、なだらかにつながった連続的なものであるはず」

そう考える根拠は何処にもない。

「そういう意味では、「人間もまた動物である」と言えるかもしれません。」

人間が動物であることは確かだが、その非連続性が人間を特異な存在にしていることも確かだ。

こんな記事もあった。

(言葉を使う動物たち)
http://www.kashiwashobo.co.jp/book/b508749.html

「動物は人間には感じ取れない方法でコミュニケーションをとる。」

「仲間同士、さらに他の種の動物とも情報交換していることが見えてくる。そう、動物も思考し、過去の経験から状況を理解し言葉でそれを伝えている」
「著者は哲学者でもあるため、言語とは何かを意識する。」

哲学的な意味は、まあ、どうでもいい気がする。

だって、それは人間が勝手に考え出した概念に過ぎないわけだからな。

「動物にも人間と同じような権利がある」

うーん、そうだろうか?。

「権利」なんてのは、人間の都合で考え出したもんだからな。

従属栄養生物である限り、他の生命を食って生き続け、子孫を残さなければならないわけで、人間にも動物と同じような「権利」があるともいえる。

食いたい時に、食いたいものを、食いたいだけ食う(そういうことかあ?)。

自然保護や持続的開発なんてのは、結局は人間のための行為なわけだからな。

最近はエスディージーズ(SDGs:Sustainable Development Goals)なんてのも流行っているようだが、人間は人間以外の存在を利用し尽くすことしかできないし、それは悪いことじゃないと思うんだがな(もっといえば、人間同士も利用するけどな)。

捕鯨問題でも、鯨類を保護して観光資源として利用するか、タンパク源や油脂として利用するかという違いがあるだけだ。

まあいい。

他の動物の無用な殺生はご法度だし、人間同士が殺し合うのは論外だが、ゲーム(遊び)としての狩猟や釣り、ウクライナで今にも勃発しそうな紛争など、人間はそういうのが大好きだからな。

人間以外の動物たちは、そんな我々をどんな目で見ているんだろうな・・・。