🐱水泳ネタ:表現としての泳ぎ2022年10月26日 07:42

水泳ネタ:表現としての泳ぎ
水泳ネタ:表現としての泳ぎ


7月のテック1やら8月の眼内レンズの手術の関係で、水曜日の初級水泳教室に参加できない日が続き、振り替えが溜まって中級教室への振り替えが続いている。

来週は久米島ツアーで参加できないけど、11月いっぱいまでは続く。

そう、例の頭が疲れる木原センセのご指導・・・。

昨日は、背泳ぎの最終日ということで、完成形を目指して手の回し方に集中する。

肩、二の腕、肘、腕、手先と、順番に水から出ることを意識する。

ローリングし過ぎず、水中で掻く際の手の深さを意識して、体幹のバランスを崩さない泳ぎを目指す・・・。

ムリポ!。

浮沈子は、背泳ぎが苦手だ。

もちろん、出来ることはできるけど、真っ直ぐ泳げないし、鼻に水は入るし(呼吸は口でしましょう!)、後ろが見えないので不安だし、お尻が落ちるので水の抵抗が大きく進まないし。

背浮きからして出来ない。

右側を下にして、ずぶずぶと沈んでいく。

それらのバランスの悪さを、手先、足先の動きで誤魔化し誤魔化し泳いでいる。

それは、初級の泳ぎだ。

中級の背泳ぎは、身体の真ん中で泳ぐ(イメージです)。

体幹のバランスを整え、そこから離れる程、力を抜いていく。

手先や足先は、ぷらんぷらん。

バタ足は、少しできるようになってきた。

まだ、太ももに力が入っていると言われるが、そこの力を抜いて、股関節を動かすことが出来ない。

意識とは裏腹に、身体の中心から離れる程、力が入る。

1か月の背泳ぎの指導の最後に、一応、木原センセの目指していたスキルを「表現できる」ようになったという講評を頂く。

そうか、水泳も自己表現の一つの形なのかと、改めて納得する。

競技水泳で競うのはタイムであることが多いが、飛び込みとか、シンクロナイズドスイミングでは、動きそのものが評価の対象だからな。

絶対的な速度を競うことがないジジババの水泳も、身体の動きを作って表現する手段ではあるわけだ。

進まなければ、25m先の対岸に辿り着くことはできないけど、何となく泳げればそれでいいというわけではない(うーん、浮沈子は何となく泳ぎたいんだがなあ・・・)。

見せる水泳というのもあるのかもしれない。

月曜日(クロールブレス)の代行のセンセが、目指すのは高級ホテルのプールの泳ぎ(ワケワカ)と言っていたのも、同じことかも知れない。

手段と目的の取り違いということはあるかも知れないが、効率の良い泳法が、楽な泳ぎに繋がることは確かだ。

それは、傍から見ていれば、何となくわかる。

疲れそうなのか、楽そうなのか。

楽そうに泳いでいる泳ぎは、きっと楽なのに違いない・・・。

表現としての水泳。

表現することが目的ではないけど、そう意識することで何かが変わる気がする(気のせいじゃね?)。

まあいい。

頭が疲れる水泳教室の最後は、50m一気泳ぎ×2本。

1本目に、ピッチを上げて泳いだら、伸びが足りないと言われ、2本目は少し伸びてゆっくり手を回したら、それでいいと言われた。

まだ、手先に力が入っているとも言われる。

やれやれ・・・。

教室が終わってから、コースを変えて、ウイップキックの特訓に励む。

蹴って蹴って蹴りまくる。

踵の引き付け、膝の寄せ、蹴り始める際の足先の開き、蹴る方向と速度、足首のスナップの利かせ方、足先を揃えてグライドする際の、脚全体の形を意識しながら蹴る。

そして、そこからの引き付け・・・。

そして蹴る!。

とにかく蹴る。

25mプールで10回蹴ると、だいたい対岸に辿り着く(もちろんノーブレ)。

まだ、効率が悪い。

腰が反ってしまって、ストリームラインが作れていないということもある。

膝が落ち、足先の開きの角度が浅い。

蹴る方向にも問題がありそうだ(下向き過ぎるかも)。

水面スタートで壁蹴って、6回とか7回くらいの回数で対岸に辿り着けないとな。

今までのウエッジキックでは、そのくらいの回数で着いている。

浮沈子の場合、手を付けると回数が増えるからな(そうなのかあ?)。

手を付けて、ふつーに泳いで、シングルで着きたい。

そのためにも、蹴って蹴って蹴りまくる。

キック!、キック!!、キック!!!。

ああ、自己表現も楽じゃないなあ・・・。