🐱さらば現実:ビジョンプロ:空間に浮かぶ言葉2023年06月14日 08:59

さらば現実:ビジョンプロ:空間に浮かぶ言葉


(Vision Proを体験した人たちの感想を見て、僕はちょっと凹んでいる… #WWDC23)
https://www.gizmodo.jp/2023/06/vision-pro-column.html

「Vision Proに触れた人たちはなんと語彙力を失ってしまう」

こなれた表現だと、「言葉を失う」というところか。

「まだ体験できていない今だからこそ、Vision Pro自体がどうかというより、これが広まった未来の世界のことを考えたいと思います。」

未体験の今だからこその記事だが、浮沈子的には別の観点からこの記事を読んだ。

つーか、眺めたと言っていい。

ギズモードは、普段はあまり読まないんだが、この記者の癖なのか、ボールド体(太字)を多用している気がする。

そして、その言葉が、まるで宙に浮いているかのように錯覚する(老眼のせいじゃね?)。

いや、実際にふわふわと漂い、文章から浮遊しているように感じたのだ。

それが錯覚に過ぎないことは分かっている・・・。

「テックが好きじゃなかったのかよ…!」

「体験するまで結局わからない」

「これが広まった未来の世界のこと」

「“Vision Air”」

「Vision Proは新しい種類のコンピュータ」

「本質的にはコンピュータである」

「プロのクリエイターが制作物を作るため」

「Macの延長線としてVision Proを位置づけている」

「超自由な作業環境を得るためのプロダクト」

「現実空間でもアプリが動くよ」

「アプリ体験はどうあるべきか」

「3Dオブジェクトをほとんど出さなかった」

「クリエイターシーンの変化を感じました」

「入力インターフェースと触覚フィードバック」

「メガネサイズになるまで待つかな」

「Vision Pro自体が成功するかどうか」

こうして気になったところを抜き出してみても、それだけでは、浮遊感が漂った理由は分からない。

この記事のエッセンスなわけでもない(たぶん)。

文脈の中で捉えて初めて、強調される意味が出てくる。

そして、その強調された言葉が、逆に文章から浮遊して独自の存在感を持つのだ・・・。

空間コンピュータというビジョンプロの背景が、その幻影に影響したのかもしれない(そうなのかあ?)。

映像やアイコンは空間に浮遊するかもしれないが、言葉は平面の中に閉じ込められ、想念の中だけで浮遊する。

人間の脳は、抽象化された概念や、シンボライズされた記号(文字)の持つある程度具体化されたイメージを、仮想化された時空の中で取り扱うことが可能だ。

それは、記号を記号としてしか取り扱えないAIとは異なる能力だ(記号に意味を与えているのは人間だからな)。

機械とのインターフェースをどの次元に置くかというのは、相手の機械の出来不出来による。

それは、相手が人間であっても同じだ。

豊かな言語空間と経験値を持つ人間同士なら、僅かのインターフェイスでも必要にして十分なコミュニケーションを取り得る。

媒体は、それを繋ぐ細い糸に過ぎない。

数千万画素のディスプレイであれ、一昔前のスーパーコンピューターに匹敵する計算能力であれ、現実の体験を想起する人間の能力には及ばない。

そのトリガーをどう引くかが問われるのだ。

書物によって文字を読み、ラジオで音を聞き、テレビで映像を見るようになって、我々は一見豊かになった。

そして、一方では現実の体験をどんどん失っていく。

今また、新たな媒体が登場して、その体験を奪っていこうとしているが、どこかで転換点のようなものが訪れるかもしれない。

現実が、仮想体験の媒体になるのだ(自分で書いていて、ちょっとゾクッとする)。

(胡蝶の夢)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E8%9D%B6%E3%81%AE%E5%A4%A2

「夢の中の自分が現実か、現実のほうが夢なのかといった説話」

「どちらが真実の姿か、それは問題ではなく、胡蝶であるときは栩栩然として胡蝶になり、荘周であるときは荘周となっている。そのいずれも真実であり、己であることに変わりはなく、どちらが真の世界であるかを論ずるよりも、いずれをも肯定して受け容れ、それぞれの場で満足して生きればよいのである。」

浮沈子はそこまで達観できない。

仮想の空間で生きることを是とするなら、その媒体を叩き壊さなければならないだろう。

仮想の体験は実体を伴わないからな。

夢の世界ということならば、クリストファーノーランのインセプションというのもあったな。

(インセプション)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

「「インセプション」とは、「エクストラクト」の様な抜き取り術とは逆に相手にアイディアを植え付けることであった。」

この話は、あらすじを読んでもさっぱり分からないだろう(映画を見た浮沈子も、未だにどこまでが夢なのか、そして、どのステージの夢なのかが判然としない)。

印象に残っているのは、調合師ユスフの運営するアヘン窟のようなシーンだ。

人々は、そこに「目覚め」にやってくるという(薬を注射されて夢を見ているだけなのに)。

やれやれ・・・。

例によって話は飛んだが、ビジョンプロをめぐっては、現物が販売されるまでの間も様々な話題が出てくるだろう。

空間コンピュータは、果たしてものになるのか。

我々の未来は、ごっついゴーグルを掛けた生活になるのか。

平面の液晶モニターは、かつてのブラウン管のモニターがそうなったように、全てお払い箱になるのか・・・。

浮沈子は、仮にそうなったとしても、キーボードだけは手放さないぞ(えーと、この際、仮想空間のバーチャルなヤツでもいいや)。

仮想のやつでも、できればブルートゥースじゃなくて、USB接続のがいいな(一体、何と接続してるんだあ?)。

膝の上で怪しげに指を動かし、胡蝶となった夢の世界を綴る(蝶には指はないけどな)。

ボールド体を多用しつつ、仮想の空間に文字を躍らせながらな。

しかし、そういうのは過渡的な話に過ぎないだろう。

イーロンマスクのニューラリンクが成功すれば、電極を張り付けられた脳細胞が外部のコンピューターの刺激に興奮して、白日夢を見られるようになる。

すばらしき新世界だ。

ユスフのアヘン窟の現代版といえよう。

たどり着く先は、マトリックスの人間農場だな。

栽培され、一生夢を見させられて、廃棄される。

ソイレントグリーンというのもあった。

(ソイレント・グリーン)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3

「人口爆発により資源が枯渇し、格差が拡大した、暗鬱な未来社会で起こる殺人事件とその背景を描いたディストピアSF映画」

「人間の死体からソイレント・グリーンが生産されている」(ここがボールド体になっているところがミソか。)

単に、MR機能を高めたゴーグルが発表されただけ(まだ、市販前)なのに、ビジョンプロを巡っては未来的な話が次々と出てくる。

我々の脳が、仮想化された現実にいかに飢えているかを目の当たりにする。

(空想・妄想することはどのような利点があるのか?)
https://gigazine.net/news/20230612-benefit-daydream/

「特に10代の若者は、(中略)自分で考える余地を奪うことなく、ぼんやりとした思考の旅の中でとりとめのない空想や妄想をしていくことを大切にできると望ましい」

60代後半になっちまったジジイは、救いようがないということか。

さて、メイン機のOSの更新も終わったようなので、再起動でもするとしようかな・・・。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
kfujitoの徒然の筆者のペンネームは、
「○○子」です。
○○を記入してください。

コメント:

トラックバック