世界が忘れられない日 ― 2018年09月11日 10:48
世界が忘れられない日
ニュースを見るまでは、正直いって忘れていた。
今日は、9.11だったな・・・。
(アメリカ同時多発テロ事件)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%8C%E6%99%82%E5%A4%9A%E7%99%BA%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
「2001年9月11日にアメリカ合衆国内で同時多発的に発生した、航空機等を用いた4つのテロ事件の総称」
もう17年が経つけど、鮮明な記憶は消えない。
産経の記事では、その時お腹にいた子供が、16歳になったとあるから、事件を直接知らない世代が育ちつつあるわけだ。
(息子の姿捜し続け… 目黒区の住山さん 今年もニューヨークへ)
https://www.sankei.com/affairs/news/180910/afr1809100044-n1.html
「日本人24人を含む約3千人が犠牲になった2001年9月の米中枢同時テロは11日で丸17年を迎える。」
真夜中の中継で繰り返し流された映像を、浮沈子は忘れることが出来ない。
カーラジオで聞いた第一報は、どこか現実離れしていて、ラジオドラマでもやっているのかと思ったほどだ。
現代のハイテクの塊であるジェット旅客機が、米国の大都会ニューヨークにそびえるツインタワーに体当たりするという、映画のネタとして考えても突飛な状況が現実に起こったわけだ。
ワールドトレードセンター以外に、国防総省などにも体当たりは行われた。
「標的:
ワールドトレードセンターの北棟と南棟、アメリカ合衆国国防総省本部庁舎ペンタゴン。」
「第4の標的は不明。ワシントンD.C.の場所だと考えられている。アルカイダは合衆国議事堂が第4の標的になっていたと主張している。」
多くの犠牲者を出したことはもちろんだが、米国を初め、世界が受けた衝撃は計り知れない。
大きな事件だが、やがては人々の記憶から消えていく。
それでも、世界が忘れることはない。
忌まわしきテロ事件だったからではなく、この時から世界が変わったからだ。
航空機搭乗の際の厳格な検査を受ける度に、また、預託荷物のチェックで呼び出される毎に、我々はこの事件のことを思い出す。
間違いなく、世界は変わった。
この事件の前にも後にも、テロ事件は起きているが、規模と与えた影響を考えれば、空前絶後といっていい。
今日は、そんなことがあってから、ちょうど17年になる日だ。
ああ、米国時間だけどな。
日本では、真夜中のことになる。
グラウンド・ゼロには、追悼施設が建てられているという。
(ナショナル・セプテンバー11メモリアル&ミュージアム)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%97%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC11%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%26%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A0
「アメリカ同時多発テロ事件の公式追悼施設として2011年に開業した国営の施設。」
「同時多発テロ事件に関するさまざまな資料が展示されているほか、メモリアルにはテロ事件犠牲者の全員の名前が記載されている。」
直接の関係はないけれど、また、行ったこともないけれど、ふと真珠湾のアリゾナ・メモリアルを思い出した。
(真珠湾:アリゾナ・メモリアル)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE#%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BE%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB
「アリゾナ・メモリアルは、戦死した乗組員の名が刻まれた大理石の壁が船体の上を横切る形で設置されている。」
「海上自衛隊の艦艇は真珠湾を通過する際、「アリゾナ」に対して敬礼を行っている。」
人間が人間を殺す行為を、記念建造物として残すのもまた人間の行為だ。
愚かな、あまりにも愚かな人間の行為を、歴史はそうやって受け入れてきたのかもしれない。
見渡せば、世界はそういう追悼の記憶に溢れている。
今日は、そんな思いを新たにする日になったな・・・。
ニュースを見るまでは、正直いって忘れていた。
今日は、9.11だったな・・・。
(アメリカ同時多発テロ事件)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%8C%E6%99%82%E5%A4%9A%E7%99%BA%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
「2001年9月11日にアメリカ合衆国内で同時多発的に発生した、航空機等を用いた4つのテロ事件の総称」
もう17年が経つけど、鮮明な記憶は消えない。
産経の記事では、その時お腹にいた子供が、16歳になったとあるから、事件を直接知らない世代が育ちつつあるわけだ。
(息子の姿捜し続け… 目黒区の住山さん 今年もニューヨークへ)
https://www.sankei.com/affairs/news/180910/afr1809100044-n1.html
「日本人24人を含む約3千人が犠牲になった2001年9月の米中枢同時テロは11日で丸17年を迎える。」
真夜中の中継で繰り返し流された映像を、浮沈子は忘れることが出来ない。
カーラジオで聞いた第一報は、どこか現実離れしていて、ラジオドラマでもやっているのかと思ったほどだ。
現代のハイテクの塊であるジェット旅客機が、米国の大都会ニューヨークにそびえるツインタワーに体当たりするという、映画のネタとして考えても突飛な状況が現実に起こったわけだ。
ワールドトレードセンター以外に、国防総省などにも体当たりは行われた。
「標的:
ワールドトレードセンターの北棟と南棟、アメリカ合衆国国防総省本部庁舎ペンタゴン。」
「第4の標的は不明。ワシントンD.C.の場所だと考えられている。アルカイダは合衆国議事堂が第4の標的になっていたと主張している。」
多くの犠牲者を出したことはもちろんだが、米国を初め、世界が受けた衝撃は計り知れない。
大きな事件だが、やがては人々の記憶から消えていく。
それでも、世界が忘れることはない。
忌まわしきテロ事件だったからではなく、この時から世界が変わったからだ。
航空機搭乗の際の厳格な検査を受ける度に、また、預託荷物のチェックで呼び出される毎に、我々はこの事件のことを思い出す。
間違いなく、世界は変わった。
この事件の前にも後にも、テロ事件は起きているが、規模と与えた影響を考えれば、空前絶後といっていい。
今日は、そんなことがあってから、ちょうど17年になる日だ。
ああ、米国時間だけどな。
日本では、真夜中のことになる。
グラウンド・ゼロには、追悼施設が建てられているという。
(ナショナル・セプテンバー11メモリアル&ミュージアム)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%97%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC11%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%26%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A0
「アメリカ同時多発テロ事件の公式追悼施設として2011年に開業した国営の施設。」
「同時多発テロ事件に関するさまざまな資料が展示されているほか、メモリアルにはテロ事件犠牲者の全員の名前が記載されている。」
直接の関係はないけれど、また、行ったこともないけれど、ふと真珠湾のアリゾナ・メモリアルを思い出した。
(真珠湾:アリゾナ・メモリアル)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE#%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BE%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB
「アリゾナ・メモリアルは、戦死した乗組員の名が刻まれた大理石の壁が船体の上を横切る形で設置されている。」
「海上自衛隊の艦艇は真珠湾を通過する際、「アリゾナ」に対して敬礼を行っている。」
人間が人間を殺す行為を、記念建造物として残すのもまた人間の行為だ。
愚かな、あまりにも愚かな人間の行為を、歴史はそうやって受け入れてきたのかもしれない。
見渡せば、世界はそういう追悼の記憶に溢れている。
今日は、そんな思いを新たにする日になったな・・・。
夏の終わり、そして ― 2018年09月11日 12:53
夏の終わり、そして
心の夏が始まる。
季節は、昨日で変わった。
来年の夏まで、心の夏を育んで過ごす。
海外に出かけられれば、いつでも夏を満喫できたんだがな。
暫くはお預け・・・。
涼しい朝を迎え、今日はフィットネスに行く気がせずに、うだうだとしている。
ハッキリ言ってサボりだ。
身体も心も、夏の名残を惜しんでいる。
まだ、サイドマウントのトレーニングダイブとか、カバーン講習の海洋ダイブとかを残しているし、何より水泳大会を控えている。
しかし、季節は変わった。
空気がひんやりと穏やかになり、ギラギラした日差しは無くなった。
曇り空の柔らかい光だけだな。
昼寝して、夕方から出かけるかどうかは分からない。
そんな気分じゃない。
週末の疲れが、少し遅れて出てきたようで、だるさと重苦しさが重なっている。
いつものレストランでランチを平らげ、いつものように眠気が襲ってきている。
北海道の地震では、行方不明になった最後の一人がご遺体で発見されたそうだ。
土砂崩れで埋まってしまったという。
想定外だからな。
やりきれない気がする。
窒息死だったようだが、苦しかったろうな。
ダイビングでも、エア切れになれば苦しいだろう。
レギュレーターの流量が足りなくなれば、それも苦しいに違いない。
二酸化炭素の換気ができなければ、それも苦しい。
セカンドを外して、水の中で息をしようとする。
もちろん、そんなことはできないから、溺れてしまうに違いない。
呼吸ガスの管理と器材のメンテナンスが欠かせないわけだ。
通常のダイビングなら、緊急スイミングアセントして、なんとか助かることが出来るかもしれないし、バディが気の利いたダイバーなら、ひょっとしたら予備の空気源を与えてくれるかもしれない。
我が国では、スーパーガイドがチーム全体のバディとして、10人くらいにエアシェアしてくれるかもな(そんなあ!)。
まあいい。
水中だろうが陸上だろうが、呼吸に頼って生きている以上、それが十全に行われなければ苦しいに違いない。
肺をがんに侵されて亡くなった人は、呼吸不全なわけだから、きっと苦しかったに違いない。
そういう死に方は、出来ればしたくないけど、加齢に伴い、換気能は確実に衰えていく。
いつかはダイビングが出来なくなり、陸上でも在宅酸素療法に頼るようになり、それも効果が薄れてくると、いよいよお迎えが来る。
その前に、他のところが具合が悪くなって、この世におさらばするかもな。
レギュレーターと違って、パーツ入れ替えて洗浄すれば、8割がた復帰するというわけにはいかない。
せめて、タバコを吸うのを止めるとか、アルコールの過度の摂取を控えるとか、バランスの良い控えめな食事を心がけ、ケガしない程度の適度な運動を続けるのがせいぜいだ。
果てしなく壊れていく身体を、どこまで労わり、長く使っていくことが出来るかに腐心することになる。
美味しいものは、まあ、概ね身体に良くないしな。
腹いっぱい食えば、至上の喜びを味わえるが、後に残るのは悔いだけだ。
現代人は食物を得るためのエネルギーが少なくて済むから、偏食や過食に染まる。
食いたいものを食いたい時に食いたいだけ食う。
それでも太らない人はいるけど、そういう人は災害備蓄がないからな。
いざという時に、生き延びることが出来ないかもしれない。
現代では、そういう事態は稀だしな。
羨ましい限りだ。
災害備蓄を溜め込んだ浮沈子は、それを減らすことに汲々としている。
なんとも贅沢な話だが、長く身体を使っていくためには仕方ない。
いざという時の災害備蓄は、外部にためておくしかない。
北海道の地震の影響で、いろいろな食材が不足したり、値段が高くなったりしているそうだ。
が、まあ、その程度も、その期間も、限定的なものに留まるだろう。
現地の方々は大変だろうが、東京にいる限り、そのご苦労を実感することはない。
大雨や地震による災害が続いている。
この地球で生活する以上、それは致し方ない。
災害に備え、それを切り抜け、生き延びていくしかないのだ。
幼少の頃、食事をしてすぐ横になると、牛になってしまうと言われて育った。
もちろん、そんなわけはなかったが、豚には近くなってしまったかもしれない。
与太ブログを書いているうちに、どうにも眠気に耐えられなくなってきた。
せっかく、プチリバウンドを切り抜けたと思ったのにな。
ここで寝ころんでしまえば、元の木阿弥かもしれない。
しかし、ああ、意識がぼんやりしてくるのをどうしようもない・・・。
心の夏が始まる。
季節は、昨日で変わった。
来年の夏まで、心の夏を育んで過ごす。
海外に出かけられれば、いつでも夏を満喫できたんだがな。
暫くはお預け・・・。
涼しい朝を迎え、今日はフィットネスに行く気がせずに、うだうだとしている。
ハッキリ言ってサボりだ。
身体も心も、夏の名残を惜しんでいる。
まだ、サイドマウントのトレーニングダイブとか、カバーン講習の海洋ダイブとかを残しているし、何より水泳大会を控えている。
しかし、季節は変わった。
空気がひんやりと穏やかになり、ギラギラした日差しは無くなった。
曇り空の柔らかい光だけだな。
昼寝して、夕方から出かけるかどうかは分からない。
そんな気分じゃない。
週末の疲れが、少し遅れて出てきたようで、だるさと重苦しさが重なっている。
いつものレストランでランチを平らげ、いつものように眠気が襲ってきている。
北海道の地震では、行方不明になった最後の一人がご遺体で発見されたそうだ。
土砂崩れで埋まってしまったという。
想定外だからな。
やりきれない気がする。
窒息死だったようだが、苦しかったろうな。
ダイビングでも、エア切れになれば苦しいだろう。
レギュレーターの流量が足りなくなれば、それも苦しいに違いない。
二酸化炭素の換気ができなければ、それも苦しい。
セカンドを外して、水の中で息をしようとする。
もちろん、そんなことはできないから、溺れてしまうに違いない。
呼吸ガスの管理と器材のメンテナンスが欠かせないわけだ。
通常のダイビングなら、緊急スイミングアセントして、なんとか助かることが出来るかもしれないし、バディが気の利いたダイバーなら、ひょっとしたら予備の空気源を与えてくれるかもしれない。
我が国では、スーパーガイドがチーム全体のバディとして、10人くらいにエアシェアしてくれるかもな(そんなあ!)。
まあいい。
水中だろうが陸上だろうが、呼吸に頼って生きている以上、それが十全に行われなければ苦しいに違いない。
肺をがんに侵されて亡くなった人は、呼吸不全なわけだから、きっと苦しかったに違いない。
そういう死に方は、出来ればしたくないけど、加齢に伴い、換気能は確実に衰えていく。
いつかはダイビングが出来なくなり、陸上でも在宅酸素療法に頼るようになり、それも効果が薄れてくると、いよいよお迎えが来る。
その前に、他のところが具合が悪くなって、この世におさらばするかもな。
レギュレーターと違って、パーツ入れ替えて洗浄すれば、8割がた復帰するというわけにはいかない。
せめて、タバコを吸うのを止めるとか、アルコールの過度の摂取を控えるとか、バランスの良い控えめな食事を心がけ、ケガしない程度の適度な運動を続けるのがせいぜいだ。
果てしなく壊れていく身体を、どこまで労わり、長く使っていくことが出来るかに腐心することになる。
美味しいものは、まあ、概ね身体に良くないしな。
腹いっぱい食えば、至上の喜びを味わえるが、後に残るのは悔いだけだ。
現代人は食物を得るためのエネルギーが少なくて済むから、偏食や過食に染まる。
食いたいものを食いたい時に食いたいだけ食う。
それでも太らない人はいるけど、そういう人は災害備蓄がないからな。
いざという時に、生き延びることが出来ないかもしれない。
現代では、そういう事態は稀だしな。
羨ましい限りだ。
災害備蓄を溜め込んだ浮沈子は、それを減らすことに汲々としている。
なんとも贅沢な話だが、長く身体を使っていくためには仕方ない。
いざという時の災害備蓄は、外部にためておくしかない。
北海道の地震の影響で、いろいろな食材が不足したり、値段が高くなったりしているそうだ。
が、まあ、その程度も、その期間も、限定的なものに留まるだろう。
現地の方々は大変だろうが、東京にいる限り、そのご苦労を実感することはない。
大雨や地震による災害が続いている。
この地球で生活する以上、それは致し方ない。
災害に備え、それを切り抜け、生き延びていくしかないのだ。
幼少の頃、食事をしてすぐ横になると、牛になってしまうと言われて育った。
もちろん、そんなわけはなかったが、豚には近くなってしまったかもしれない。
与太ブログを書いているうちに、どうにも眠気に耐えられなくなってきた。
せっかく、プチリバウンドを切り抜けたと思ったのにな。
ここで寝ころんでしまえば、元の木阿弥かもしれない。
しかし、ああ、意識がぼんやりしてくるのをどうしようもない・・・。
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