怒り、祈り、そして沈黙2016年08月11日 21:29

怒り、祈り、そして沈黙
怒り、祈り、そして沈黙


(画像は、本文とは関係ありません:大洗水族館のバックヤードの写真。)

人類史上、初めて核兵器の被害を受けた広島、今のところ、最後の核兵器の被害地である長崎、そして、兵器ではないが、我が国で原子力発電所の過酷事故を起こした福島について、象徴する形容なんだそうだ。

誰が言い出したのかは不明だが、そんな言い方をされているという。

まあ、福島は、我が国の身から出た話だし、戦争の惨禍とは異なるが、前二者になぞらえて形容したんだろう。

ネットを調べてみると、宗教的な背景があったり、地域的な問題が絡んでいたりするらしく、特に長崎については複雑なようだ。

福島は、現在進行形だから、歴史というには生々し過ぎるが、広島、長崎は、そろそろ歴史の中に埋もれていこうとしている。

一次体験として語れる人々がいなくなり、記録の中だけの事象になりつつあるということだ。

第二次世界大戦も、太平洋戦争も、その他、我が国が戦火を交えた戦いの記憶も薄れつつある。

気になるのは、尖閣の中国船だったり、北朝鮮の核兵器やミサイルだったり、ロシアや中国の領空への接近だったりで、米軍が駐留するのは当たり前、自衛隊が海外行くのも当たり前になった。

原子力空母はしょっちゅう寄港するしな。

8月15日は、終戦の日だが、その行事もいつまで続くことやら。

昭和は遠くなりにけりだ。

生前退位で元号が変われば、なお、遠くなるような気がする。

現在の皇太子は、もちろん、戦争は知らない・・・。

怒り、祈り、そして沈黙というのは、たまたま、原子力のもたらした災いに対する態度の形容だが、時間がたつにつれて変容する態度の形容なのかもしれない。

どこでだって、怒りもあれば、祈りもあり、声を上げずに沈黙している人もいるのだ。

そして、少しでも早く、災いの記憶から逃れたいと願っている。

忘れてはいけないといわれているが、忘れたいのだ。

誰だってそうだろう。

忘れたくても忘れられないから不幸なのであって、忘れられるなら、忘れた方がいい。

当事者でもない浮沈子が、勝手なことを言って申し訳ないが、やはり忘れたいのだ。

そんなことはなかったということではなく、日常の中から追い出したい。

怒り、祈り、沈黙のどれもが、忘れることを許されないことの裏返しだ。

忘れていい。

それが許されないなどというのは、それこそ身勝手というものだろう。

歴史の中に、しっかりと留めて、個人の記憶からは、押し出しておこう。

その上で、今日明日を生きていかなければ、人間はとても耐えられない。

それでなくても、日常は苦痛に満ちているのだから。

そして、1年に1回、その日に黙祷して、思い出せばいい。

あと、何十年かすれば、そういう習慣も必ずなくなる。

休日にすることによって、長く覚えておきたいのは、目出度いこと、喜ばしいこと、望ましいことであって、辛いこと、苦しいこと、悲惨なことは、早く忘れてしまいたいからだ。

それでも、まだ、暫くは、記憶を呼び起こす日が必要だ。

今日は、初めての山の日で、浮沈子は知らなかったが、休日だそうだ。

山の日は作っても、原爆忌や、終戦の日は作らない。

祝日には馴染まないしな。

9月後半から、また、ダイビングでパラオに行くことになりそうだ。

行けば、沈船とかに潜るだろう。

戦火に沈んだ船たちの傍らで、呑気に遊んでていいものか、若干後ろめたい気もするが、そういうことが出来る時代を喜びたい。

記憶のかなたに消えていこうとしている原爆と戦争、未だ進行中で、長く長く続く福一の事故。

2度の原爆投下の日が過ぎて、敗戦の日までの数日、オリンピックの話題がニュースを賑わせても、浮沈子の耳には入らない。

71年前の、この時期に、当時の我が国が置かれた状況、絶望と、本土決戦への悲壮な覚悟と、日常的に繰り返される通常爆撃の中で、追い詰められていく狂気の日々を、どうやって過ごしていたのか。

怒りと、祈りと、沈黙と。

そして、敗戦を決意し、時が止まる。

歴史家は、まだ、その実態を描き切ることはできないだろう。

米国においてさえ、トルーマンが、就任直後、ワケワカの状態で、成り行きに任せて原爆を投下したなどという話は、タブーなのだ。

あと300年くらいして、関係者や家族がこの世からいなくなり、当時の国家を支えていた勢力もぐちゃぐちゃになって、いや、国家そのものも変容していく中で、ようやく、何かが見えてくるんだろうな。

そして、何かに気づく。

気づいた時には、いつも遅過ぎるんだろうが・・・。