ビキニ ― 2016年08月12日 00:21
ビキニ
南の島だ!。
浮沈子の得意な話だな。
プライバシーのカケラもなく、よそ者以外のことは、家族以上に知り合っている、息が詰まりそうな世界だ(そうなのかあ?)。
燦々と輝く太陽、周りは海ばかり(だから、島なんですが)。
ぶっ倒れそうな暑さと、土砂降りのスコール・・・。
が、しかし、この島は、ちょっと様子が違うようだな(そもそも、観光で行くことは出来ないようです)。
(ビキニ環礁)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%AD%E3%83%8B%E7%92%B0%E7%A4%81
「ビキニ環礁で行なわれた最初の核実験は、1946年7月1日と7月25日のクロスロード作戦である。これは1945年のニューメキシコ、広島、長崎に続く史上4番目と5番目の核爆発であった。」
世界遺産になっているが、風光明媚な観光名所というわけではないようだ。
(Bikini Atoll Nuclear Test Site)
http://whc.unesco.org/en/list/1339/
「The cumulative force of the tests in all of the Marshall Islands was equivalent to 7,000 times that of the Hiroshima bomb.」(マーシャル諸島の全てでのテストの累積的な力は、広島原爆の7000倍に相当しました。:自動翻訳のまま)
そうか、核爆発は、プルトニウム、ウラン、プルトニウムときて、次は、原子爆弾ではなく、水素爆弾になったわけだ。
「1954年3月1日のキャッスル作戦(ブラボー実験)では、広島型原子爆弾約1,000個分の爆発力(15Mt)の水素爆弾が炸裂し、海底に直径約2キロメートル、深さ73メートルのクレーターが形成された。」
(キャッスル作戦)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%B9%E3%83%AB%E4%BD%9C%E6%88%A6
「アメリカ合衆国が1954年にビキニ環礁、エニウェトク環礁の二つの環礁で行なった、一連の核実験。合計で6回の実験が行われ、特に3月1日に行なわれたブラボー実験が有名。」
「ブラボー実験:
・ブラボー実験の成功が、爆撃機に搭載可能な、実用兵器としての水爆の出現を意味した。
・アメリカの不十分な危険水域設定により、第五福竜丸を始めとする数百隻の漁船が被曝し、またロンゲラップ環礁などにも死の灰の降灰があり、2万人以上が被曝した。これはアメリカが核実験で引き起こした最悪の被曝事故である。
・実験を行なった島は消え去り、深さ120m、直径1.8kmのクレーターが出来た。(座標:北緯11度41分50秒 東経165度16分19秒)」
「危険水域の設定が不十分だったのは、核出力の見積りを誤ったせいである。見積りでは4-8Mtとされていたが、実際にはリチウム7の核反応による出力が予想以上で、その3倍程度の15.0Mtに及んだ。これは、設計を担当したロスアラモス研究所のミス、と言われている。」
「合衆国の至宝」 (ロスアラモス研究所)も、大したことなかったわけだな。
「第五福竜丸の被爆は日本国内で反響を呼び、大きな反核運動となった。また、怪獣映画「ゴジラ」制作にはこの事件が大きな影響を及ぼしている。」
この第五福竜丸の被爆後、2か月後に、水産庁の調査船が派遣されたようだ。
(海の放射能に立ち向かった日本人)
http://www.dailymotion.com/video/x15bioi_%E6%B5%B7%E3%81%AE%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E3%81%AB%E7%AB%8B%E3%81%A1%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA_news?GK_FACEBOOK_OG_HTML5=1
まあ、映像がいつまで見られるかわからないが、こんな記事もあった。
(ビキニ調査船俊こつ丸、放射性降下物漂う海へ)
http://www.nihs.go.jp/nihs/history/syunkotsumaru_20120308.pdf
この中の図(ビキニ環礁の核実験場地図)のグラウンドゼロは、ちょっと場所が違うんじゃないかな。
まあいい。
俊こつ丸の奮闘の一方で、米国の核の傘に入るべく、我が国は手打ちをする。
見舞金を受け取り、損害賠償請求を放棄した。
国民を欺き、後の原発事故の際、対応が後手後手に回る遠い遠い原因を作ったのかも知れない。
爆弾と違って、原発は放射能をまき散らすことはない、だから、その時の対応は考えなくて良いのだ・・・。
今、米国が、核先制不使用宣言を行うことに、我が国は全力で反対し、これを阻止しようとしている。
それが叶わなければ、我が国が核武装に突っ走る可能性については、今のところ米国も否定していない。
これって、いつか来た道のような気がするのは、浮沈子だけなんだろうか?。
南の島だ!。
浮沈子の得意な話だな。
プライバシーのカケラもなく、よそ者以外のことは、家族以上に知り合っている、息が詰まりそうな世界だ(そうなのかあ?)。
燦々と輝く太陽、周りは海ばかり(だから、島なんですが)。
ぶっ倒れそうな暑さと、土砂降りのスコール・・・。
が、しかし、この島は、ちょっと様子が違うようだな(そもそも、観光で行くことは出来ないようです)。
(ビキニ環礁)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%AD%E3%83%8B%E7%92%B0%E7%A4%81
「ビキニ環礁で行なわれた最初の核実験は、1946年7月1日と7月25日のクロスロード作戦である。これは1945年のニューメキシコ、広島、長崎に続く史上4番目と5番目の核爆発であった。」
世界遺産になっているが、風光明媚な観光名所というわけではないようだ。
(Bikini Atoll Nuclear Test Site)
http://whc.unesco.org/en/list/1339/
「The cumulative force of the tests in all of the Marshall Islands was equivalent to 7,000 times that of the Hiroshima bomb.」(マーシャル諸島の全てでのテストの累積的な力は、広島原爆の7000倍に相当しました。:自動翻訳のまま)
そうか、核爆発は、プルトニウム、ウラン、プルトニウムときて、次は、原子爆弾ではなく、水素爆弾になったわけだ。
「1954年3月1日のキャッスル作戦(ブラボー実験)では、広島型原子爆弾約1,000個分の爆発力(15Mt)の水素爆弾が炸裂し、海底に直径約2キロメートル、深さ73メートルのクレーターが形成された。」
(キャッスル作戦)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%B9%E3%83%AB%E4%BD%9C%E6%88%A6
「アメリカ合衆国が1954年にビキニ環礁、エニウェトク環礁の二つの環礁で行なった、一連の核実験。合計で6回の実験が行われ、特に3月1日に行なわれたブラボー実験が有名。」
「ブラボー実験:
・ブラボー実験の成功が、爆撃機に搭載可能な、実用兵器としての水爆の出現を意味した。
・アメリカの不十分な危険水域設定により、第五福竜丸を始めとする数百隻の漁船が被曝し、またロンゲラップ環礁などにも死の灰の降灰があり、2万人以上が被曝した。これはアメリカが核実験で引き起こした最悪の被曝事故である。
・実験を行なった島は消え去り、深さ120m、直径1.8kmのクレーターが出来た。(座標:北緯11度41分50秒 東経165度16分19秒)」
「危険水域の設定が不十分だったのは、核出力の見積りを誤ったせいである。見積りでは4-8Mtとされていたが、実際にはリチウム7の核反応による出力が予想以上で、その3倍程度の15.0Mtに及んだ。これは、設計を担当したロスアラモス研究所のミス、と言われている。」
「合衆国の至宝」 (ロスアラモス研究所)も、大したことなかったわけだな。
「第五福竜丸の被爆は日本国内で反響を呼び、大きな反核運動となった。また、怪獣映画「ゴジラ」制作にはこの事件が大きな影響を及ぼしている。」
この第五福竜丸の被爆後、2か月後に、水産庁の調査船が派遣されたようだ。
(海の放射能に立ち向かった日本人)
http://www.dailymotion.com/video/x15bioi_%E6%B5%B7%E3%81%AE%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E3%81%AB%E7%AB%8B%E3%81%A1%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA_news?GK_FACEBOOK_OG_HTML5=1
まあ、映像がいつまで見られるかわからないが、こんな記事もあった。
(ビキニ調査船俊こつ丸、放射性降下物漂う海へ)
http://www.nihs.go.jp/nihs/history/syunkotsumaru_20120308.pdf
この中の図(ビキニ環礁の核実験場地図)のグラウンドゼロは、ちょっと場所が違うんじゃないかな。
まあいい。
俊こつ丸の奮闘の一方で、米国の核の傘に入るべく、我が国は手打ちをする。
見舞金を受け取り、損害賠償請求を放棄した。
国民を欺き、後の原発事故の際、対応が後手後手に回る遠い遠い原因を作ったのかも知れない。
爆弾と違って、原発は放射能をまき散らすことはない、だから、その時の対応は考えなくて良いのだ・・・。
今、米国が、核先制不使用宣言を行うことに、我が国は全力で反対し、これを阻止しようとしている。
それが叶わなければ、我が国が核武装に突っ走る可能性については、今のところ米国も否定していない。
これって、いつか来た道のような気がするのは、浮沈子だけなんだろうか?。
第五福竜丸は「公開中」? ― 2016年08月12日 15:38
第五福竜丸は「公開中」?
(モルモット)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/10/19/7015194
「当初想定の2倍から4倍の威力で爆発したなんてことを、まともに受け取ることは到底出来ない。
これは、明らかな故意であろう。
人間をモルモットにした人体実験である。
2万人のモルモットだ。
極悪非道、到底許されざる悪魔の所業である。」
やや興奮気味の、浮沈子の以前のブログ。
その展示館に行ってきた。
ついでに、「第五福竜丸は航海中」という2014年3月1日発行の冊子も買ってきた。
3月1日は、もちろん、1954年に第五福竜丸が被曝した日である。
だから、発行日がホントに3月1日だったかどうかは、問題ではない(そうなのかあ?)。
この本の40ページから「ビキニの海へ 俊鶻丸(しゅんこつまる)による調査」として、10ページほどの記述がある。
1954年5月15日から7月4日にかけて調査を行ったが、米国は5月14日にも核実験を行っており、今では有り得ないような状況下での調査航海だった。
(キャッスル作戦:実験内容)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%B9%E3%83%AB%E4%BD%9C%E6%88%A6#.E5.AE.9F.E9.A8.93.E5.86.85.E5.AE.B9
この本で初めて知ったが、第二次調査が1956年5月26日から6月30日にかけて行われている。
これなんぞは、実験期間中の調査である・・・。
(レッドウィング作戦)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E4%BD%9C%E6%88%A6
「1956年の5月から7月にかけて行われた。」
怖いもの知らずというか、無謀というか。
今年の5月、厚労省は、第五福竜丸以外の船舶の被ばくは確認できなかったと公式に発表した。
(ビキニ被ばく
健康影響「確認できず」 「福竜丸」以外の10隻 厚労省調査報告)
http://mainichi.jp/articles/20160601/ddn/012/040/024000c
「現存データで可能な限り計算したが、個人の線量の推計は難しい。当時の記録が少なく、ビキニ事件が長く関心が注がれてこなかった事実を改めて感じる」
ちょっとカチンとくる発言だが、まあ、昔の話だしな。
当時、第五福竜丸についても、うやむやにしたかったに違いない。
俊鶻丸についても、水産庁が余計なことしやがってくらいに思ってるかも知れない。
米国は、1955年2月に、タニー号という調査船を派遣している。
たぶん、金の掛け方は10倍くらい違うだろうから、情報開示を掛けてはどうか。
(ビキニ水爆被災60年・連続市民講座第1回「その国内的影響」)
http://article9.jp/wordpress/?p=2505
「遅ればせながら55年2月に、アメリカも調査船タニー号を派遣するが俊鶻丸の調査結果を追認することとなった。」
ちなみに、この記事の中で、本の帯に「核なき世界に」と書かれていると紹介されているが、手元の帯には、「核なき世界へ」とある。
まあ、どうでもいいんですが。
その筋の人たちは、核実験が停止されたのは、反対運動の結果だというが、浮沈子には信じられないな。
核を持てる国が、一定程度開発を終了したからに他ならない。
未臨界核実験は、今も行われているし、スーパーコンピューターの中では、人類が見たこともないようなスゲー核兵器が開発されているんだろう。
実験を禁止したのは、他国が追従できないようにシャットアウトを掛けただけの話だ。
インドは、今でも認めていないし、お隣の国はやりたい放題だ。
さて、米国の核の傘に隠れたいから、先制不使用宣言に反対し、それが無くなれば核武装も辞さない(!?)と公言する防衛大臣の言うことは、内閣の方針と矛盾しないという首相を戴く我が国は、一体どうするんだろうな。
第五福竜丸の展示館は、なんと入場無料である。
近くの駐車場(江東区の野球場に併設)も、1時間停めて100円だった。
外庭には、エンジンが屋根付きで展示されている。
月曜日以外は、原則開館している(月曜が祝日の時は開館して、火曜日が閉館:エンジンは、屋外なので、いつでも見られます)。
幸い、今のところ、第五福竜丸は「公開中」である。
「核なき世界へ航海を続ける第五福竜丸」が、その目的を果たして無事に航海を終えるか、残念ながら轟沈するか。
それは誰にも分からない。
誰か、他の人が決めるのではない。
我々が決める。
次の世代かも知れないし、もっと先になるかもしれない。
この船には、浮沈子のように、我が国も核武装を真剣に検討すべきだなどと与太を飛ばしている輩は乗ることは出来ない。
核なき世界を信じて、たゆまぬ努力を続ける者だけが、その航海に参加できる。
この展示館がある場所は、「夢の島」だ。
物理的な船は、エンジンを外されて、さっさと夢の島に到着したが、核なき世界という夢の島に辿り着くための長い長い航海は、まだまだ続きそうだ・・・。
(モルモット)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/10/19/7015194
「当初想定の2倍から4倍の威力で爆発したなんてことを、まともに受け取ることは到底出来ない。
これは、明らかな故意であろう。
人間をモルモットにした人体実験である。
2万人のモルモットだ。
極悪非道、到底許されざる悪魔の所業である。」
やや興奮気味の、浮沈子の以前のブログ。
その展示館に行ってきた。
ついでに、「第五福竜丸は航海中」という2014年3月1日発行の冊子も買ってきた。
3月1日は、もちろん、1954年に第五福竜丸が被曝した日である。
だから、発行日がホントに3月1日だったかどうかは、問題ではない(そうなのかあ?)。
この本の40ページから「ビキニの海へ 俊鶻丸(しゅんこつまる)による調査」として、10ページほどの記述がある。
1954年5月15日から7月4日にかけて調査を行ったが、米国は5月14日にも核実験を行っており、今では有り得ないような状況下での調査航海だった。
(キャッスル作戦:実験内容)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%B9%E3%83%AB%E4%BD%9C%E6%88%A6#.E5.AE.9F.E9.A8.93.E5.86.85.E5.AE.B9
この本で初めて知ったが、第二次調査が1956年5月26日から6月30日にかけて行われている。
これなんぞは、実験期間中の調査である・・・。
(レッドウィング作戦)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E4%BD%9C%E6%88%A6
「1956年の5月から7月にかけて行われた。」
怖いもの知らずというか、無謀というか。
今年の5月、厚労省は、第五福竜丸以外の船舶の被ばくは確認できなかったと公式に発表した。
(ビキニ被ばく
健康影響「確認できず」 「福竜丸」以外の10隻 厚労省調査報告)
http://mainichi.jp/articles/20160601/ddn/012/040/024000c
「現存データで可能な限り計算したが、個人の線量の推計は難しい。当時の記録が少なく、ビキニ事件が長く関心が注がれてこなかった事実を改めて感じる」
ちょっとカチンとくる発言だが、まあ、昔の話だしな。
当時、第五福竜丸についても、うやむやにしたかったに違いない。
俊鶻丸についても、水産庁が余計なことしやがってくらいに思ってるかも知れない。
米国は、1955年2月に、タニー号という調査船を派遣している。
たぶん、金の掛け方は10倍くらい違うだろうから、情報開示を掛けてはどうか。
(ビキニ水爆被災60年・連続市民講座第1回「その国内的影響」)
http://article9.jp/wordpress/?p=2505
「遅ればせながら55年2月に、アメリカも調査船タニー号を派遣するが俊鶻丸の調査結果を追認することとなった。」
ちなみに、この記事の中で、本の帯に「核なき世界に」と書かれていると紹介されているが、手元の帯には、「核なき世界へ」とある。
まあ、どうでもいいんですが。
その筋の人たちは、核実験が停止されたのは、反対運動の結果だというが、浮沈子には信じられないな。
核を持てる国が、一定程度開発を終了したからに他ならない。
未臨界核実験は、今も行われているし、スーパーコンピューターの中では、人類が見たこともないようなスゲー核兵器が開発されているんだろう。
実験を禁止したのは、他国が追従できないようにシャットアウトを掛けただけの話だ。
インドは、今でも認めていないし、お隣の国はやりたい放題だ。
さて、米国の核の傘に隠れたいから、先制不使用宣言に反対し、それが無くなれば核武装も辞さない(!?)と公言する防衛大臣の言うことは、内閣の方針と矛盾しないという首相を戴く我が国は、一体どうするんだろうな。
第五福竜丸の展示館は、なんと入場無料である。
近くの駐車場(江東区の野球場に併設)も、1時間停めて100円だった。
外庭には、エンジンが屋根付きで展示されている。
月曜日以外は、原則開館している(月曜が祝日の時は開館して、火曜日が閉館:エンジンは、屋外なので、いつでも見られます)。
幸い、今のところ、第五福竜丸は「公開中」である。
「核なき世界へ航海を続ける第五福竜丸」が、その目的を果たして無事に航海を終えるか、残念ながら轟沈するか。
それは誰にも分からない。
誰か、他の人が決めるのではない。
我々が決める。
次の世代かも知れないし、もっと先になるかもしれない。
この船には、浮沈子のように、我が国も核武装を真剣に検討すべきだなどと与太を飛ばしている輩は乗ることは出来ない。
核なき世界を信じて、たゆまぬ努力を続ける者だけが、その航海に参加できる。
この展示館がある場所は、「夢の島」だ。
物理的な船は、エンジンを外されて、さっさと夢の島に到着したが、核なき世界という夢の島に辿り着くための長い長い航海は、まだまだ続きそうだ・・・。
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