植民 ― 2016年08月04日 10:28
植民
いろいろ調べていたら、以前にどこかで読んだことがある話が出ているページを見つけた。
(火星植民地のパイオニアになろう!)
http://metamorphose-planet.blog.so-net.ne.jp/2010-11-04
「火星への有人飛行計画で、NASA(米国航空宇宙局)が帰還を考慮しない有人飛行を計画している」
「同計画についてがSchulze-Makuch教授とDavies教授の二人が講演会を行ったところ、最初の火星パイオニアになることを希望する科学者たちがたくさん出たとのこと。」
(Is NASA Covering Up the 100-Year Starship?:元記事?)
http://www.foxnews.com/tech/2010/10/29/nasa-cover-up-hundred-year-starship.html?test=faces
民間の片道切符の話が出てくる以前の話だ。
(マーズワン)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%AF%E3%83%B3
「2025年までに火星に人類初の永住地を作ることを目的にするオランダの民間非営利団体」
「宇宙飛行計画は2012年に発表され、4人の宇宙飛行士を送る予定」
浮沈子に言わせれば、どちらもヨタ話に過ぎないんだが、世界中の人々の中には、酔狂な連中が大勢いるということも分かった。
「2013年12月30日、約20万人の移住希望者の中から日本人10人を含む1058人の候補者を選んだと発表した。」
有人宇宙探査につて、JAXAがシンポジウムを開いたことがあるようだ。
(有人宇宙探査の意義を考える~日本人はなぜ宇宙へ行くのか?~)
http://www.jaxa.jp/article/special/space_exploration/index_j.html
パネルディスカッションも行われた。
(パネルディスカッション「ヒトはなぜ宇宙に行くのか?」)
http://stage.tksc.jaxa.jp/astrosym/astronaut20/event01/report_detail02.html
「人間の冒険心だとか、知的好奇心だとか、「宇宙って何だ」「人間って何だ」「僕らはどこから来て、どこへ行くのだろう」「人間って何だろう」「どうやったら幸せになれるのだろう」「どんな社会をつくればいいのだろう」という知的好奇心を働かせて、自分の世界を広げてきたのが人間の進化でした。」
そういう言い方をすれば、まあ、おそらく誰も否定はできない(実際に、人間が行くかどうかは別にしてもだ)。
だいたい、こういう場に呼ばれたりする連中は、本音はイケイケドンドンのヤツばっかしだからな。
立花隆だって、最後は本音をゲロしている。
「日本は宇宙開発にもう少し金をかけてやっていくべきだと、本心ではそう思っています。」
浮沈子が考えさせられたのは、人間の中に、そういう拡張主義というか、植民主義というか、自分たちの生活圏を広げたいという本能的ともいえる欲望がインプリントされているかもしれないということだ。
地球上にだって、人類が継続的に住めない場所は多い。
空の上や、海中だけではなく、空気が希薄な高山や極地などに永住することは出来ない。
短期間、支援を得て、留まることは出来ても、そこで生活することは難しい。
南極とかは、極めて例外だな。
物流が発達した現代、我々は意識することは殆どないが、都市は、本来、人類の生存に適したところではない。
営巣し、外部からの物資の供給を受けて初めて成り立つ生存の場ということからいえば、南極と変わるところはない。
(都市)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%B8%82
「商業、流通などの発達の結果、限られた地域に人口が集中している領域」
「都市にはライフライン、食料の供給と水、電力、通信などの手段が、都市における住民の生活を維持し、その他の都市とのつながりを確保する手段として必要とされる。」
宇宙へ進出しようとしている人類は、当面、この都市のように、地球からの支援を受けて生活を維持せざるを得ない。
いきなり、独立した経済を営むわけにはいかないのだ。
「世界最大のメガシティは人口3500万人を超える東京圏である。」
その一角にいながら、浮沈子は自分が宇宙コロニーの中にいるという実感は持ったことがない。
空梅雨で、ダムの貯水量が少ないという話にしても、大震災が起こって、交通機関がマヒし、物流が深刻な影響を受けるという話にしても、自分が孤立した状況でサバイバルしなければならないという危機感はない。
飼いならされ、依存した生活に慣れてしまっている。
溜め込んだ皮下脂肪以外の災害対策はしていないわけだな。
まあ、どうでもいいんですが。
現代において、人類の多くが都市に住んでいることを考えれば、たとえそこが補給を受けなければ生活が営めない宇宙空間のようなところであったとしても、すんなりと馴染んでしまうのかもしれない。
適度な気晴らしさえあれば。
宇宙植民だって、その意味では、投資価値があれば、意外に抵抗なく受け入れられてしまうかもしれない。
技術的な問題とか、経済効果とか、その辺りが整理される必要はあるだろうけど。
ワンポイントで行くことと、継続的に滞在すること、世代交代を重ねて永住することは、プロセスとして区別するべきだろうが、一連の流れの中にある。
たとえば、月は、ワンポイントだが、地球低軌道はISSによる継続的な滞在、南極の大部分と同じだが、永続的な居住は地球上だけだ。
(アルゼンチン領南極)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%B3%E9%A0%98%E5%8D%97%E6%A5%B5
「エスペランサ基地では人類初の南極生まれの子供が生まれている。」
「1991年の時点で、南極のアルゼンチン基地では合計142人の「常住住民」がおり、うち未成年が19人を数えた。ここで「住民」とされるのは南極生活をする軍人や科学者の家族、および2年以上南極で生活している科学者らが含まれている。うち男性は121人で女性が21人であり、ほとんどはエスペランサ基地に住んでいた。エスペランサ基地では彼らのための学校やラジオ局も成立している。1998年から1999年にかけての期間、アルゼンチン領南極で冬を越した人口は165人であった。」
スペイン語のウィキには、人口統計も出ている。
「国勢調査:
1991年:142人
2001年:163人
2010年:230人」
ISSで子供が生まれたりしたら、国籍はともかく、誕生日とか難しいだろうな。
まあいい。
浮沈子は、何度も書いているように、本音でも、建て前でも、有人宇宙開発には否定的だ。
有人火星探査には、明確に反対である。
ただ行くだけでも、リスクが高過ぎる。
先々、継続的滞在や植民が見込めるならともかく、現時点では、技術的にもその見通しはない(月も同じ)。
有人探査の最終目標とされているが、どう考えても中途半端だ(なんで、木星圏じゃないんだあ?)。
もとより、経済的なメリットは何もない。
精神的な価値は計り知れない(文字通り、計量できない)だろうが、それは、政治過程を経て計量可能になる。
浮沈子は、反対票を入れるだろうがな。
それは、人類が決めることだ。
植民として行きたい人が、何十万人もいて、生中継で観たい人が何十億人も見込まれているなら、商業ベースで実現することだって可能かもしれない。
しかし、植民地からの撤退は悲惨だろうな。
放棄された時には、その地で生き延びることは出来ない。
もちろん、片道切符なので、還ってくることは出来ないのだ。
(Neil Sedaka - One way ticket (to the blues) - 1959:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=xGGU-15Tt6M
(恋の片道切符 ニール・セダカ:Neil Sedaka – One Way Ticket)
http://www.magictrain.biz/wp/?p=17178
浮沈子も知らなかったが、カタログソングだったわけだな。
まあ、どうでもいいんですが。
人類の地平の拡張は、究極には植民がある。
我々の祖先が大洋から陸地に上がり、紆余曲折を経て世界中に広がって、陣取り合戦でドンパチやらかすようになったのは、そもそも、そういう本能があったからなのかもしれない。
理屈じゃないんだ、きっと。
それにしても、やはり、最後は経済的に見合うかどうかで判断されるんだろう。
月は、一度は見放された土地だ。
地球低軌道は、無人衛星なら経済価値があると見做されているようだ。
静止軌道は、ちょっと遠いけど、これも価値がある。
地球ー月や、太陽ー地球のラグランジュ点も、経済的にはともかく、科学的な観測上の価値はあるに違いない。
しかし、それ以外は、積極的に追い求める価値はない。
地球低軌道の有人衛星(ISSとか、天宮とか)も、精神的価値しかないだろう(ただ行くだけとか、一時滞在なら、観光資源としての価値はある)。
人類が、文明を営む以上、それは無視できないだろうけどな。
植民というのは、その2段階後の話だ。
いきなり、植民というのは、有り得ない。
そこで、独立した経済が成り立たないことが分かり切っているから。
冒頭に引用したNASAの片道切符計画では、火星移住した人類の余命は10年と見積もられている。
これは、移民ではなく、棄民だ。
(棄民)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%84%E6%B0%91
「自国民を国外追放することは国際法上許容されないこととされているが、中華人民共和国政府は自国民の民主活動家の入国を拒否し「中国公民の事実上の国外追放」と批判されている。」
ああ、あの国ならやるかもしれないな。
国内の民主活動家を、まとめて送り込むかもしれない。
シベリア送りのようなもんか。
(世界史ジョーク)
http://yellow.ribbon.to/~joke/worldhistory.html
「ある男が酔っ払って赤の広場で「スターリンの馬鹿野郎!」と叫んだ。
すぐに飛んできた民警につかまり、シベリヤ送りに。」(シベリヤ→シベリア)
「男「罪状は?」
警「国家元首侮辱罪と、国家機密漏洩罪だ」」
ホント、どうでもいいんですが・・・。
いろいろ調べていたら、以前にどこかで読んだことがある話が出ているページを見つけた。
(火星植民地のパイオニアになろう!)
http://metamorphose-planet.blog.so-net.ne.jp/2010-11-04
「火星への有人飛行計画で、NASA(米国航空宇宙局)が帰還を考慮しない有人飛行を計画している」
「同計画についてがSchulze-Makuch教授とDavies教授の二人が講演会を行ったところ、最初の火星パイオニアになることを希望する科学者たちがたくさん出たとのこと。」
(Is NASA Covering Up the 100-Year Starship?:元記事?)
http://www.foxnews.com/tech/2010/10/29/nasa-cover-up-hundred-year-starship.html?test=faces
民間の片道切符の話が出てくる以前の話だ。
(マーズワン)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%AF%E3%83%B3
「2025年までに火星に人類初の永住地を作ることを目的にするオランダの民間非営利団体」
「宇宙飛行計画は2012年に発表され、4人の宇宙飛行士を送る予定」
浮沈子に言わせれば、どちらもヨタ話に過ぎないんだが、世界中の人々の中には、酔狂な連中が大勢いるということも分かった。
「2013年12月30日、約20万人の移住希望者の中から日本人10人を含む1058人の候補者を選んだと発表した。」
有人宇宙探査につて、JAXAがシンポジウムを開いたことがあるようだ。
(有人宇宙探査の意義を考える~日本人はなぜ宇宙へ行くのか?~)
http://www.jaxa.jp/article/special/space_exploration/index_j.html
パネルディスカッションも行われた。
(パネルディスカッション「ヒトはなぜ宇宙に行くのか?」)
http://stage.tksc.jaxa.jp/astrosym/astronaut20/event01/report_detail02.html
「人間の冒険心だとか、知的好奇心だとか、「宇宙って何だ」「人間って何だ」「僕らはどこから来て、どこへ行くのだろう」「人間って何だろう」「どうやったら幸せになれるのだろう」「どんな社会をつくればいいのだろう」という知的好奇心を働かせて、自分の世界を広げてきたのが人間の進化でした。」
そういう言い方をすれば、まあ、おそらく誰も否定はできない(実際に、人間が行くかどうかは別にしてもだ)。
だいたい、こういう場に呼ばれたりする連中は、本音はイケイケドンドンのヤツばっかしだからな。
立花隆だって、最後は本音をゲロしている。
「日本は宇宙開発にもう少し金をかけてやっていくべきだと、本心ではそう思っています。」
浮沈子が考えさせられたのは、人間の中に、そういう拡張主義というか、植民主義というか、自分たちの生活圏を広げたいという本能的ともいえる欲望がインプリントされているかもしれないということだ。
地球上にだって、人類が継続的に住めない場所は多い。
空の上や、海中だけではなく、空気が希薄な高山や極地などに永住することは出来ない。
短期間、支援を得て、留まることは出来ても、そこで生活することは難しい。
南極とかは、極めて例外だな。
物流が発達した現代、我々は意識することは殆どないが、都市は、本来、人類の生存に適したところではない。
営巣し、外部からの物資の供給を受けて初めて成り立つ生存の場ということからいえば、南極と変わるところはない。
(都市)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%B8%82
「商業、流通などの発達の結果、限られた地域に人口が集中している領域」
「都市にはライフライン、食料の供給と水、電力、通信などの手段が、都市における住民の生活を維持し、その他の都市とのつながりを確保する手段として必要とされる。」
宇宙へ進出しようとしている人類は、当面、この都市のように、地球からの支援を受けて生活を維持せざるを得ない。
いきなり、独立した経済を営むわけにはいかないのだ。
「世界最大のメガシティは人口3500万人を超える東京圏である。」
その一角にいながら、浮沈子は自分が宇宙コロニーの中にいるという実感は持ったことがない。
空梅雨で、ダムの貯水量が少ないという話にしても、大震災が起こって、交通機関がマヒし、物流が深刻な影響を受けるという話にしても、自分が孤立した状況でサバイバルしなければならないという危機感はない。
飼いならされ、依存した生活に慣れてしまっている。
溜め込んだ皮下脂肪以外の災害対策はしていないわけだな。
まあ、どうでもいいんですが。
現代において、人類の多くが都市に住んでいることを考えれば、たとえそこが補給を受けなければ生活が営めない宇宙空間のようなところであったとしても、すんなりと馴染んでしまうのかもしれない。
適度な気晴らしさえあれば。
宇宙植民だって、その意味では、投資価値があれば、意外に抵抗なく受け入れられてしまうかもしれない。
技術的な問題とか、経済効果とか、その辺りが整理される必要はあるだろうけど。
ワンポイントで行くことと、継続的に滞在すること、世代交代を重ねて永住することは、プロセスとして区別するべきだろうが、一連の流れの中にある。
たとえば、月は、ワンポイントだが、地球低軌道はISSによる継続的な滞在、南極の大部分と同じだが、永続的な居住は地球上だけだ。
(アルゼンチン領南極)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%B3%E9%A0%98%E5%8D%97%E6%A5%B5
「エスペランサ基地では人類初の南極生まれの子供が生まれている。」
「1991年の時点で、南極のアルゼンチン基地では合計142人の「常住住民」がおり、うち未成年が19人を数えた。ここで「住民」とされるのは南極生活をする軍人や科学者の家族、および2年以上南極で生活している科学者らが含まれている。うち男性は121人で女性が21人であり、ほとんどはエスペランサ基地に住んでいた。エスペランサ基地では彼らのための学校やラジオ局も成立している。1998年から1999年にかけての期間、アルゼンチン領南極で冬を越した人口は165人であった。」
スペイン語のウィキには、人口統計も出ている。
「国勢調査:
1991年:142人
2001年:163人
2010年:230人」
ISSで子供が生まれたりしたら、国籍はともかく、誕生日とか難しいだろうな。
まあいい。
浮沈子は、何度も書いているように、本音でも、建て前でも、有人宇宙開発には否定的だ。
有人火星探査には、明確に反対である。
ただ行くだけでも、リスクが高過ぎる。
先々、継続的滞在や植民が見込めるならともかく、現時点では、技術的にもその見通しはない(月も同じ)。
有人探査の最終目標とされているが、どう考えても中途半端だ(なんで、木星圏じゃないんだあ?)。
もとより、経済的なメリットは何もない。
精神的な価値は計り知れない(文字通り、計量できない)だろうが、それは、政治過程を経て計量可能になる。
浮沈子は、反対票を入れるだろうがな。
それは、人類が決めることだ。
植民として行きたい人が、何十万人もいて、生中継で観たい人が何十億人も見込まれているなら、商業ベースで実現することだって可能かもしれない。
しかし、植民地からの撤退は悲惨だろうな。
放棄された時には、その地で生き延びることは出来ない。
もちろん、片道切符なので、還ってくることは出来ないのだ。
(Neil Sedaka - One way ticket (to the blues) - 1959:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=xGGU-15Tt6M
(恋の片道切符 ニール・セダカ:Neil Sedaka – One Way Ticket)
http://www.magictrain.biz/wp/?p=17178
浮沈子も知らなかったが、カタログソングだったわけだな。
まあ、どうでもいいんですが。
人類の地平の拡張は、究極には植民がある。
我々の祖先が大洋から陸地に上がり、紆余曲折を経て世界中に広がって、陣取り合戦でドンパチやらかすようになったのは、そもそも、そういう本能があったからなのかもしれない。
理屈じゃないんだ、きっと。
それにしても、やはり、最後は経済的に見合うかどうかで判断されるんだろう。
月は、一度は見放された土地だ。
地球低軌道は、無人衛星なら経済価値があると見做されているようだ。
静止軌道は、ちょっと遠いけど、これも価値がある。
地球ー月や、太陽ー地球のラグランジュ点も、経済的にはともかく、科学的な観測上の価値はあるに違いない。
しかし、それ以外は、積極的に追い求める価値はない。
地球低軌道の有人衛星(ISSとか、天宮とか)も、精神的価値しかないだろう(ただ行くだけとか、一時滞在なら、観光資源としての価値はある)。
人類が、文明を営む以上、それは無視できないだろうけどな。
植民というのは、その2段階後の話だ。
いきなり、植民というのは、有り得ない。
そこで、独立した経済が成り立たないことが分かり切っているから。
冒頭に引用したNASAの片道切符計画では、火星移住した人類の余命は10年と見積もられている。
これは、移民ではなく、棄民だ。
(棄民)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%84%E6%B0%91
「自国民を国外追放することは国際法上許容されないこととされているが、中華人民共和国政府は自国民の民主活動家の入国を拒否し「中国公民の事実上の国外追放」と批判されている。」
ああ、あの国ならやるかもしれないな。
国内の民主活動家を、まとめて送り込むかもしれない。
シベリア送りのようなもんか。
(世界史ジョーク)
http://yellow.ribbon.to/~joke/worldhistory.html
「ある男が酔っ払って赤の広場で「スターリンの馬鹿野郎!」と叫んだ。
すぐに飛んできた民警につかまり、シベリヤ送りに。」(シベリヤ→シベリア)
「男「罪状は?」
警「国家元首侮辱罪と、国家機密漏洩罪だ」」
ホント、どうでもいいんですが・・・。
アンドロイドAlter ― 2016年08月04日 17:07
アンドロイドAlter
ネットの記事を読んでいたら、こんなニュースがあったので、お台場に行って、早速見てきた。
(生命らしさを持つ「機械人間オルタ(Alter)」が発表)
http://robotstart.info/2016/07/29/alter.html
「オルタは「人間らしい見かけだけが、人間を表現する方法か?」「生命を持つように感じさせられるものは何か?」といった問題を提起する。」
まあ、正直な感想を言えば、出来の悪い操り人形(マリオネット)のような、ぎこちない動きで、生命を持つとか持たないとか以前の出来といえよう。
ただ、敢えて機械をむき出しにして、動きにこそ、生命が宿るというコンセプトを前面に出しているというのは面白いと思った。
現場で、少し離れて見ていたスタッフに声をかけてみたら、5つのセンサーに反応する動きにも、化学反応のプロセスを咬ませていたり、動きの制御にニューラルネットワークを使っていたりするそうで、玄人目には凝った仕掛けになっているそうだ(眼球のアクチュエイターは故障中だそうです)。
つーか、10分ほど、その場に留まっていたのだが、次々と展示室に入ってくるガキども(失礼!、お子様方)の反応を見ている方が面白かったな。
実に千差万別で面白い。
手に持った飴の缶をあげようと差し出す子もいれば、握手しようとする子もいる。
その一方で、「こわいよー」と言って、部屋の外に出てしまう子もいる。
大人は、見ててもつまらん!。
ボケーッと突っ立っているだけ・・・。
浮沈子は、10分ほどその場にいたが、ピンとくるものは感じない。
見かけの印象は、ボーグの女ボスみたいな感じだったな。
(スタートレック:ファーストコンタクト)
http://ja.memory-alpha.wikia.com/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%EF%BC%9A%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%88
「機関室ではデータは変わらず多くのボーグに取り囲まれたまま拘束されていた。するとそこへボーグ・クイーンが姿を現した。」
浮沈子は、この映画を劇場で観たんだが、オープニングと、このボーグ・クイーンの登場が印象に残っている。
そう、映画の中では、まるで生きているようにウネウネと動く脊髄が気持ち悪い・・・。
(The Borg Queen's First Appearance:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=4n25pdHlIjI
まあ、それに比べれば、今回のオルタは子供騙しだ(文字通り?)。
(機械人間「オルタ」(Alter):動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=9qmSbLSoNw4
まあいい。
スタティックな外形ではなく、ダイナミズム(動き)の中に、生命の本質があるというアプローチは面白い。
まあ、関節の動きの周期性を意図的に壊してみたり、センサーの感度に揺らぎを与えたりと、場当たり的な工夫をしているが、本物の生命が持つ無秩序な秩序(?)を再現するのははるか先のことだろう。
20世紀から21世紀に掛けて、生命科学は目覚ましい発展を遂げきた。
遺伝子が特定され、生化学的手法が確立され、生命を化学や物理の法則で説明しようとする流れが本流になっている(そうなのかあ?)。
しかし、そういうアプローチ、つまり、還元的に生命をバラバラにして、DNAみたいな要素にしてしまって、それを演繹的に組み上げても、未だに人工生命は生まれない(似たようなことはやってますが)。
全体としての生命を、どう認識するかというアプローチは、あまり聞かないな(心理学とかでは、あるのかも知れない)。
特に、人間の動きを、人間が認識して生物と捉えらえるかどうかというのは、今までなかったような気がする。
(実験人形ダミー・オスカー)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E9%A8%93%E4%BA%BA%E5%BD%A2%E3%83%80%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC
「生きている人間と見分けがつかないほどのダミー=超人間を作る驚異の人形師・渡胸俊介」
確か、あの人形も、圧縮空気で動かしていたような気がする。
21世紀のダミーは、そのレベルにも達していない。
オルタは、時々、唸るような声を出す。
ちょっとブキミーな感じだが、これがまた、ガキどもにウケるんだな。
人間という、ありきたりの生物ではなく、もっと独自の生き物を創造して、それを生物として認識させられれば、それはそれですごい話だ。
金属と樹脂とゴムで出来た物体が、生き物として認識され、その何者かとのコミュニケーションによって人間が成長するようになるかもしれない。
「今回展示できる段階と判断し、製作途中ながら展示することとなった。展示中も開発は続け来場者からの意見を聞きながら、より人間らしさを追求する。」
人間ではないものに、人間性を見出し、そこに感情移入していくという話は、よくある話だ。
また人間は、自分に似せたものを作る、唯一の存在かも知れない(神様は、別だけどな)。
その一つの形がここにある。
ぎこちない、無意味な動き・・・。
そこに、何かの意図を感じ、反応する本物の人間の方に、浮沈子は興味を持った。
と同時に、こんな機械をこしらえる人間にも、大いに興味をそそられる。
今日、立ち話をしたスタッフは、たぶん本物の人間だろう。
しかし、そうだと断言できるだろうか?。
もっともらしい受け答えと、専門知識を披露するようにプログラムされたアンドロイドではないと、いいきれるだろうか?(あるいは、同化されたボーグとか)。
いよいよ、幻覚が見えてきたのかもしれないな・・・。
ネットの記事を読んでいたら、こんなニュースがあったので、お台場に行って、早速見てきた。
(生命らしさを持つ「機械人間オルタ(Alter)」が発表)
http://robotstart.info/2016/07/29/alter.html
「オルタは「人間らしい見かけだけが、人間を表現する方法か?」「生命を持つように感じさせられるものは何か?」といった問題を提起する。」
まあ、正直な感想を言えば、出来の悪い操り人形(マリオネット)のような、ぎこちない動きで、生命を持つとか持たないとか以前の出来といえよう。
ただ、敢えて機械をむき出しにして、動きにこそ、生命が宿るというコンセプトを前面に出しているというのは面白いと思った。
現場で、少し離れて見ていたスタッフに声をかけてみたら、5つのセンサーに反応する動きにも、化学反応のプロセスを咬ませていたり、動きの制御にニューラルネットワークを使っていたりするそうで、玄人目には凝った仕掛けになっているそうだ(眼球のアクチュエイターは故障中だそうです)。
つーか、10分ほど、その場に留まっていたのだが、次々と展示室に入ってくるガキども(失礼!、お子様方)の反応を見ている方が面白かったな。
実に千差万別で面白い。
手に持った飴の缶をあげようと差し出す子もいれば、握手しようとする子もいる。
その一方で、「こわいよー」と言って、部屋の外に出てしまう子もいる。
大人は、見ててもつまらん!。
ボケーッと突っ立っているだけ・・・。
浮沈子は、10分ほどその場にいたが、ピンとくるものは感じない。
見かけの印象は、ボーグの女ボスみたいな感じだったな。
(スタートレック:ファーストコンタクト)
http://ja.memory-alpha.wikia.com/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%EF%BC%9A%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%88
「機関室ではデータは変わらず多くのボーグに取り囲まれたまま拘束されていた。するとそこへボーグ・クイーンが姿を現した。」
浮沈子は、この映画を劇場で観たんだが、オープニングと、このボーグ・クイーンの登場が印象に残っている。
そう、映画の中では、まるで生きているようにウネウネと動く脊髄が気持ち悪い・・・。
(The Borg Queen's First Appearance:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=4n25pdHlIjI
まあ、それに比べれば、今回のオルタは子供騙しだ(文字通り?)。
(機械人間「オルタ」(Alter):動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=9qmSbLSoNw4
まあいい。
スタティックな外形ではなく、ダイナミズム(動き)の中に、生命の本質があるというアプローチは面白い。
まあ、関節の動きの周期性を意図的に壊してみたり、センサーの感度に揺らぎを与えたりと、場当たり的な工夫をしているが、本物の生命が持つ無秩序な秩序(?)を再現するのははるか先のことだろう。
20世紀から21世紀に掛けて、生命科学は目覚ましい発展を遂げきた。
遺伝子が特定され、生化学的手法が確立され、生命を化学や物理の法則で説明しようとする流れが本流になっている(そうなのかあ?)。
しかし、そういうアプローチ、つまり、還元的に生命をバラバラにして、DNAみたいな要素にしてしまって、それを演繹的に組み上げても、未だに人工生命は生まれない(似たようなことはやってますが)。
全体としての生命を、どう認識するかというアプローチは、あまり聞かないな(心理学とかでは、あるのかも知れない)。
特に、人間の動きを、人間が認識して生物と捉えらえるかどうかというのは、今までなかったような気がする。
(実験人形ダミー・オスカー)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E9%A8%93%E4%BA%BA%E5%BD%A2%E3%83%80%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC
「生きている人間と見分けがつかないほどのダミー=超人間を作る驚異の人形師・渡胸俊介」
確か、あの人形も、圧縮空気で動かしていたような気がする。
21世紀のダミーは、そのレベルにも達していない。
オルタは、時々、唸るような声を出す。
ちょっとブキミーな感じだが、これがまた、ガキどもにウケるんだな。
人間という、ありきたりの生物ではなく、もっと独自の生き物を創造して、それを生物として認識させられれば、それはそれですごい話だ。
金属と樹脂とゴムで出来た物体が、生き物として認識され、その何者かとのコミュニケーションによって人間が成長するようになるかもしれない。
「今回展示できる段階と判断し、製作途中ながら展示することとなった。展示中も開発は続け来場者からの意見を聞きながら、より人間らしさを追求する。」
人間ではないものに、人間性を見出し、そこに感情移入していくという話は、よくある話だ。
また人間は、自分に似せたものを作る、唯一の存在かも知れない(神様は、別だけどな)。
その一つの形がここにある。
ぎこちない、無意味な動き・・・。
そこに、何かの意図を感じ、反応する本物の人間の方に、浮沈子は興味を持った。
と同時に、こんな機械をこしらえる人間にも、大いに興味をそそられる。
今日、立ち話をしたスタッフは、たぶん本物の人間だろう。
しかし、そうだと断言できるだろうか?。
もっともらしい受け答えと、専門知識を披露するようにプログラムされたアンドロイドではないと、いいきれるだろうか?(あるいは、同化されたボーグとか)。
いよいよ、幻覚が見えてきたのかもしれないな・・・。
夜のドライブ ― 2016年08月05日 02:36
夜のドライブ
03ボクスターと83タルガを入れ替える。
夜、渋滞が終わった頃に行って、戻ってくるのは夜中だ。
今日は(日付が変わって昨日ですが)、結局3台を全部乗ったわけだ(お台場には500Eで行ったんで)。
どれも、それなりに個性的で、薄味の03ボクスターのあとに、コテコテの83タルガに乗ると、その違いに驚く。
エアコンのないタルガは、窓を開けて走るので、エンジン音が容赦なく聞こえる(今日は、屋根は外しませんでした)。
ラジオの音などは、全く聞き取れない。
そこにいくと、ボクスターは、穏やかな水冷エンジンのおかげで、フルオープンでも静かなものだ。
浮沈子は、基本的に、クルマの中ではNHKのラジオ(しかもAM)くらいしか聞かない。
たまに、CDとかも聞くけど、音楽を聴いていると、眠くなるしな。
BGMを掛けるのは、渋滞にはまった時くらいだ。
今日は、そういう目には合わなかったな。
500Eで、ちっとだけ聞いたけど。
短い間隔で、3台を乗り継ぐ機会が多いが、どれも捨て難いので困る。
真っ先に切るのは、03ボクスターと決めているのだが、これが、なかなか使い勝手も良く、故障もしない優れモノなので困る(ホントに困ってはいないですが)。
83タルガは、クルマに乗れなくなるまで持っていようと決めている。
500Eは、まあ、実用車だから、手放せば、別のクルマに替えることになる。
維持費が嵩んできて、手放すことは有り得るが、今のところは大丈夫だ(ATも快調、エンジンも、デスビの失火以外は快調、エアコンも、まあまあ快調)。
ボクスターは、これといって非の打ち所のないクルマで、これ1台でもいい。
殆ど1人で移動するので、ダイビング器材を運ぶ以外の用途で、他のクルマが必要になったことはない。
器材だって、空港まで送ればいいだけだしな。
しかし、その選択はないだろう。
あと2年くらい乗ったら、次のオーナーの元に旅立たせる。
タルガは、終生手元に置きたい。
クルマはボロボロ、足回りはヨレヨレだが、こんな面白いクルマは乗ったことがない。
乗れるだけで十分だな。
何というか、人間臭い。
今日見学したオルタより、リアリティを感じる。
浮沈子は、何かに感情移入するには、コミュニケーションが不可欠だと感じている。
オルタには、それがない。
一方的に動いているだけで、こちらのアクションに反応しない。
本当はしているのかもしれないが、コミュニケーションとして成立していない。
そこの曖昧さが、過大なのだ。
返ってくるアクションが、向こうの都合だけで決まる。
それは、反応かも知れないが、キャッチボールにはならない。
こちらに、何かを伝えようという意思がない。
開発者は、赤ん坊のようなものだという表現をしているが、まあ、そんな感じか。
眼球のアクチュエイターが動かない状態だったこともあり、アイコンタクトもない。
機械は、決まりきった反応を返す。
コンピューターで作ったプログラムも、まあ、似たようなもんだ。
多少複雑になるかも知れないが、慣れてくれば、こんな時にはこうなるというのが分かる。
それは、もちろん生物的とはいえない。
文字通り、機械的だ。
そして、確実に決まった反応を返してくるとき、オペレーターは満足することが出来る。
調子が悪ければ、どうしたんだろうと心配になる。
治れば嬉しい。
そういう、機械との歴史の積み重ねが、信頼や、不安を醸成する。
そうして、深みにはまっていくのだ。
アンドロイドは、複雑な機械というだけでは、その意味が不足する。
人間と似ているところに意義がある。
それには、決まりきった反応を返すクルマのような機械とは異なる、何かが必要だ。
人間臭さのようなもの。
浮沈子は、正真正銘の機械である83タルガに、それを感じている。
オイルが温まらないうちに走り出すと、ぐずって回転が安定しなかったり、無理なハンドル操作をすれば、クルマが思ったように向きを変えてくれなかったりもする。
回転を合せずにシフトしようとすれば、シンクロが効くまで待たされることになる。
あの手この手を使って、なだめすかして運転する。
そうして、薬籠中にしていく時、こいつは、なんて面白いんだということになる。
正しく使えば、楽しく使える。
そうしなければ、扱い辛く、乗りにくいだけのクルマになってしまう。
乗り手を選ぶクルマだな。
そんなクルマが、人間臭いと感じる方がおかしいんだろうか?。
自分勝手に、外界の刺激を解釈して反応しているだけのオルタは、浮沈子にはあまり好ましくは感じられなかった。
そう、感情移入できないのだ。
コミュニケーションが取れない。
自律的に動いているだけでは、それが不規則であるだけでは、人間臭くはなれないのだ。
不規則の中の規則性、定型的ではないバラエティのある応答、表層的にはとりとめもない反応のように見えながら、深い部分では個性を感じさせる何かが必要なのだ。
それこそが、人間性なのではないか。
非常にセンシティブな話題に踏み込むとすれば、重症の発達障害のような感じも受ける。
浮沈子が展示室を出た後に、車椅子に乗った障害児の方が入って行ったが、ちょっとドキドキした。
人間の反応は、ランダムに見えて、決してそうではない。
高次機能が十分に働いていなくても、そこには、統合された行動のパターンがあり、それが個性を形成する。
同じ人間は、二人といない。
イヌネコ系が苦手の浮沈子だが、おそらくペットにだって、個性はある。
哺乳類は、そうやって生存の可能性を高めてきたんだから。
オルタに感じたのは、統合される以前の散逸した反応だけだ。
未分化の生な反応・・・。
83タルガには、明らかな個性がある。
この個体には、固有の癖があり、それを飲み込んでやらなければ、上手く動かせない。
吊るしで売られている状態から、33年の時を経て、あちこち故障し、ぶつけ、すり減ってきた挙句に獲得した個性だ。
そして、明確に反応する。
いつも同じではなく、状況に応じて変化するが、ある条件にハマると、素晴らしい動きになる。
それを引き出すことを、こちらに求めているのが分かる。
浮沈子は、オルタの展示室に10分程度しかいなかった。
それ以上いても、同じだと思った。
事前に読んだネットの記事で、10分間の観察に耐えられると書いてあったから。
浮沈子は、ちょっと耐えられなかったな。
ランダムな動きを見ているのは、結構シンドイ。
飽きるというより、苦痛なのだ。
こちらの動きや働きかけ、存在そのものに対する反応との因果関係が希薄で、耐えられない。
そこに、何らかの個性、反応の規則性を見出そうとして、疲れてしまう。
10分間の観察に耐えるというのは、その規則性を見破られない程度にランダムになっているということだけなのかもしれない。
生命の本質的な要素が、そういう不確かさ、曖昧さ、散逸した状態であるのかは分からない。
オルタの体験と、83タルガの乗り味が、真夏のねっとりとした深夜の空気の中で、混ざり合う。
このクルマを人間臭いと思う浮沈子は、確かに異常だ。
ヘンタイである。
そして、オルタを生命が宿る機械とは見なせない。
もちろん、開発途上の何物かではある。
もう一つ、気付いたことを書いておこう。
オルタは、何かを求めているようには感じられなかった。
それは、生命の反応としては不可欠なものだと思う。
何かをしたい、何かをして欲しい、どこかへ行きたい、何かが欲しい・・・。
その欲求が感じられない。
両手をひらひらと動かし、指まで折って見せるが、何かを求めているようなしぐさには見えない。
時折、口を開けて唸るような声を立てるが、空腹や苦痛、感情を表現するというよりは、声が出せるから出しているだけのように思えてならない。
元より、こちらとのコミュニケーションの手段として、発声しているようには見えない。
そういった、欲求の欠如、意思の欠如、行動の統合のありとあらゆる要の欠如が、生命らしさ、人間らしさの欠如に繋がっているのではないか。
紙に書かれた乱数表を見るような味気無さ・・・。
ひょっとしたら、10分ではなく、もっと長時間、そうだな、浮沈子が83タルガに乗っていた1時間くらい見ていたら、何かを感じることが出来たかもしれない。
しかし、そんな長時間を、この物体の前で過ごすのは耐えられないだろう。
そして、むしろ、その前に、次々と現れては、様々な反応を見せる本物の人間たちの方に、興味が移ってしまうに違いない。
この、本物の人間のリアクションをフィードバックさせられれば、もっと人間臭さを出せるのではないか。
或いは、オルタ2のような、もう一体の物体を作って、相互に自律的なコミュニケーションをさせるとか。
その会話(?)の中に、本物の人間を組み入れるような、コミュニケーションモデルを構築するとか。
5つのセンサーや、多くのアクチュエイター、それらを司る高機能の制御プログラムの集合体は、33年前のポルシェよりも無機質に思える。
もちろん、そう感じる浮沈子が、ただのヘンタイなだけなのかもしれない。
それは、否定しない。
しかし、世の中に、あの乗りにくい空冷ポルシェの愛好家が多いことを考えれば、単なる例外では済まされないだろう。
RRという宿痾(しゅくあ)を抱え、それとともに発展してきたクルマなのだ。
個性が宿らずにいられようか。
ボクスターにも、500Eにも、それなりの個性はある。
乗り心地、素直な操縦性、荷物が詰める便利さなど、道具としての価値は、それぞれ高い(911だって、4人乗りでゴルフバッグが2セット積める設計にはなっているけどな)。
限られたレイアウトの中で、他に引けをとらない性能を出さなければならなかった、911ならではの個性は、FRや2座MRでは発揮されなかっただろう。
オルタには、試練が必要だ。
生命は、生き続けなければならないという制約(?)を課せられた存在だ。
生きたいという意思、欲望、なんというか、そういったギラギラしたものがなければ、人間らしさは生まれてこないのではないか。
それは、開発者に対する試練でもある。
ちっと、予算でも削ってみようかあ?。
03ボクスターと83タルガを入れ替える。
夜、渋滞が終わった頃に行って、戻ってくるのは夜中だ。
今日は(日付が変わって昨日ですが)、結局3台を全部乗ったわけだ(お台場には500Eで行ったんで)。
どれも、それなりに個性的で、薄味の03ボクスターのあとに、コテコテの83タルガに乗ると、その違いに驚く。
エアコンのないタルガは、窓を開けて走るので、エンジン音が容赦なく聞こえる(今日は、屋根は外しませんでした)。
ラジオの音などは、全く聞き取れない。
そこにいくと、ボクスターは、穏やかな水冷エンジンのおかげで、フルオープンでも静かなものだ。
浮沈子は、基本的に、クルマの中ではNHKのラジオ(しかもAM)くらいしか聞かない。
たまに、CDとかも聞くけど、音楽を聴いていると、眠くなるしな。
BGMを掛けるのは、渋滞にはまった時くらいだ。
今日は、そういう目には合わなかったな。
500Eで、ちっとだけ聞いたけど。
短い間隔で、3台を乗り継ぐ機会が多いが、どれも捨て難いので困る。
真っ先に切るのは、03ボクスターと決めているのだが、これが、なかなか使い勝手も良く、故障もしない優れモノなので困る(ホントに困ってはいないですが)。
83タルガは、クルマに乗れなくなるまで持っていようと決めている。
500Eは、まあ、実用車だから、手放せば、別のクルマに替えることになる。
維持費が嵩んできて、手放すことは有り得るが、今のところは大丈夫だ(ATも快調、エンジンも、デスビの失火以外は快調、エアコンも、まあまあ快調)。
ボクスターは、これといって非の打ち所のないクルマで、これ1台でもいい。
殆ど1人で移動するので、ダイビング器材を運ぶ以外の用途で、他のクルマが必要になったことはない。
器材だって、空港まで送ればいいだけだしな。
しかし、その選択はないだろう。
あと2年くらい乗ったら、次のオーナーの元に旅立たせる。
タルガは、終生手元に置きたい。
クルマはボロボロ、足回りはヨレヨレだが、こんな面白いクルマは乗ったことがない。
乗れるだけで十分だな。
何というか、人間臭い。
今日見学したオルタより、リアリティを感じる。
浮沈子は、何かに感情移入するには、コミュニケーションが不可欠だと感じている。
オルタには、それがない。
一方的に動いているだけで、こちらのアクションに反応しない。
本当はしているのかもしれないが、コミュニケーションとして成立していない。
そこの曖昧さが、過大なのだ。
返ってくるアクションが、向こうの都合だけで決まる。
それは、反応かも知れないが、キャッチボールにはならない。
こちらに、何かを伝えようという意思がない。
開発者は、赤ん坊のようなものだという表現をしているが、まあ、そんな感じか。
眼球のアクチュエイターが動かない状態だったこともあり、アイコンタクトもない。
機械は、決まりきった反応を返す。
コンピューターで作ったプログラムも、まあ、似たようなもんだ。
多少複雑になるかも知れないが、慣れてくれば、こんな時にはこうなるというのが分かる。
それは、もちろん生物的とはいえない。
文字通り、機械的だ。
そして、確実に決まった反応を返してくるとき、オペレーターは満足することが出来る。
調子が悪ければ、どうしたんだろうと心配になる。
治れば嬉しい。
そういう、機械との歴史の積み重ねが、信頼や、不安を醸成する。
そうして、深みにはまっていくのだ。
アンドロイドは、複雑な機械というだけでは、その意味が不足する。
人間と似ているところに意義がある。
それには、決まりきった反応を返すクルマのような機械とは異なる、何かが必要だ。
人間臭さのようなもの。
浮沈子は、正真正銘の機械である83タルガに、それを感じている。
オイルが温まらないうちに走り出すと、ぐずって回転が安定しなかったり、無理なハンドル操作をすれば、クルマが思ったように向きを変えてくれなかったりもする。
回転を合せずにシフトしようとすれば、シンクロが効くまで待たされることになる。
あの手この手を使って、なだめすかして運転する。
そうして、薬籠中にしていく時、こいつは、なんて面白いんだということになる。
正しく使えば、楽しく使える。
そうしなければ、扱い辛く、乗りにくいだけのクルマになってしまう。
乗り手を選ぶクルマだな。
そんなクルマが、人間臭いと感じる方がおかしいんだろうか?。
自分勝手に、外界の刺激を解釈して反応しているだけのオルタは、浮沈子にはあまり好ましくは感じられなかった。
そう、感情移入できないのだ。
コミュニケーションが取れない。
自律的に動いているだけでは、それが不規則であるだけでは、人間臭くはなれないのだ。
不規則の中の規則性、定型的ではないバラエティのある応答、表層的にはとりとめもない反応のように見えながら、深い部分では個性を感じさせる何かが必要なのだ。
それこそが、人間性なのではないか。
非常にセンシティブな話題に踏み込むとすれば、重症の発達障害のような感じも受ける。
浮沈子が展示室を出た後に、車椅子に乗った障害児の方が入って行ったが、ちょっとドキドキした。
人間の反応は、ランダムに見えて、決してそうではない。
高次機能が十分に働いていなくても、そこには、統合された行動のパターンがあり、それが個性を形成する。
同じ人間は、二人といない。
イヌネコ系が苦手の浮沈子だが、おそらくペットにだって、個性はある。
哺乳類は、そうやって生存の可能性を高めてきたんだから。
オルタに感じたのは、統合される以前の散逸した反応だけだ。
未分化の生な反応・・・。
83タルガには、明らかな個性がある。
この個体には、固有の癖があり、それを飲み込んでやらなければ、上手く動かせない。
吊るしで売られている状態から、33年の時を経て、あちこち故障し、ぶつけ、すり減ってきた挙句に獲得した個性だ。
そして、明確に反応する。
いつも同じではなく、状況に応じて変化するが、ある条件にハマると、素晴らしい動きになる。
それを引き出すことを、こちらに求めているのが分かる。
浮沈子は、オルタの展示室に10分程度しかいなかった。
それ以上いても、同じだと思った。
事前に読んだネットの記事で、10分間の観察に耐えられると書いてあったから。
浮沈子は、ちょっと耐えられなかったな。
ランダムな動きを見ているのは、結構シンドイ。
飽きるというより、苦痛なのだ。
こちらの動きや働きかけ、存在そのものに対する反応との因果関係が希薄で、耐えられない。
そこに、何らかの個性、反応の規則性を見出そうとして、疲れてしまう。
10分間の観察に耐えるというのは、その規則性を見破られない程度にランダムになっているということだけなのかもしれない。
生命の本質的な要素が、そういう不確かさ、曖昧さ、散逸した状態であるのかは分からない。
オルタの体験と、83タルガの乗り味が、真夏のねっとりとした深夜の空気の中で、混ざり合う。
このクルマを人間臭いと思う浮沈子は、確かに異常だ。
ヘンタイである。
そして、オルタを生命が宿る機械とは見なせない。
もちろん、開発途上の何物かではある。
もう一つ、気付いたことを書いておこう。
オルタは、何かを求めているようには感じられなかった。
それは、生命の反応としては不可欠なものだと思う。
何かをしたい、何かをして欲しい、どこかへ行きたい、何かが欲しい・・・。
その欲求が感じられない。
両手をひらひらと動かし、指まで折って見せるが、何かを求めているようなしぐさには見えない。
時折、口を開けて唸るような声を立てるが、空腹や苦痛、感情を表現するというよりは、声が出せるから出しているだけのように思えてならない。
元より、こちらとのコミュニケーションの手段として、発声しているようには見えない。
そういった、欲求の欠如、意思の欠如、行動の統合のありとあらゆる要の欠如が、生命らしさ、人間らしさの欠如に繋がっているのではないか。
紙に書かれた乱数表を見るような味気無さ・・・。
ひょっとしたら、10分ではなく、もっと長時間、そうだな、浮沈子が83タルガに乗っていた1時間くらい見ていたら、何かを感じることが出来たかもしれない。
しかし、そんな長時間を、この物体の前で過ごすのは耐えられないだろう。
そして、むしろ、その前に、次々と現れては、様々な反応を見せる本物の人間たちの方に、興味が移ってしまうに違いない。
この、本物の人間のリアクションをフィードバックさせられれば、もっと人間臭さを出せるのではないか。
或いは、オルタ2のような、もう一体の物体を作って、相互に自律的なコミュニケーションをさせるとか。
その会話(?)の中に、本物の人間を組み入れるような、コミュニケーションモデルを構築するとか。
5つのセンサーや、多くのアクチュエイター、それらを司る高機能の制御プログラムの集合体は、33年前のポルシェよりも無機質に思える。
もちろん、そう感じる浮沈子が、ただのヘンタイなだけなのかもしれない。
それは、否定しない。
しかし、世の中に、あの乗りにくい空冷ポルシェの愛好家が多いことを考えれば、単なる例外では済まされないだろう。
RRという宿痾(しゅくあ)を抱え、それとともに発展してきたクルマなのだ。
個性が宿らずにいられようか。
ボクスターにも、500Eにも、それなりの個性はある。
乗り心地、素直な操縦性、荷物が詰める便利さなど、道具としての価値は、それぞれ高い(911だって、4人乗りでゴルフバッグが2セット積める設計にはなっているけどな)。
限られたレイアウトの中で、他に引けをとらない性能を出さなければならなかった、911ならではの個性は、FRや2座MRでは発揮されなかっただろう。
オルタには、試練が必要だ。
生命は、生き続けなければならないという制約(?)を課せられた存在だ。
生きたいという意思、欲望、なんというか、そういったギラギラしたものがなければ、人間らしさは生まれてこないのではないか。
それは、開発者に対する試練でもある。
ちっと、予算でも削ってみようかあ?。
ISといえば ― 2016年08月05日 13:22
ISといえば
イスラム国の話じゃない。
何度か書いているように、浮沈子は原発推進の立場だ(もちろん、条件付き)。
狭い国土に大勢がひしめき、資源小国の我が国で、現実的なエネルギー源を模索した時、人力(!)や水力(広い意味での太陽光)などと共に、少ない燃料で高いエネルギーを取り出せる原子力は無視できない。
不幸な事故が起こって、電力会社の不作為が問われることもないまま、ろくな見直しもせずに既存の原発のままで突っ走ろうとしている現状が、必ずしもいいとは思わないが、将来に渡って活用可能なエネルギー源として、活用しない手はない。
全電源喪失で、冷却能力を失い、金属と水で水素が発生して大爆発を起こした原子炉が、そのままで安全なわけないだろう?。
どう考えても、全部の原子炉を廃止して、作り直せというのが筋というものだ。
スクラム停止が働いて、制御棒が挿入されたにも関わらず、暴走が防げないような原子炉が、抜本的な対策もされずに運転を再開されるようなことがあってはならない。
冷却なんかしなくたって、熱暴走しない、そんな美味い話はないものか・・・。
(高温ガス炉)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E9%AB%98%E6%B8%A9%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%82%89#.E9.AB.98.E6.B8.A9.E3.82.AC.E3.82.B9.E7.82.89
「高温ガス炉は一次冷却材に液体金属ではなくヘリウムを用いるガス直接冷却黒鉛炉である。」
「黒鉛は温度があがると中性子を吸収するため、制御棒が刺さらない事故がおきても、黒鉛の中性子吸収でブレーキがかかり一定温度で安定化して暴走しにくい。」
「水を必要としないため、水をかけなければ水素爆発も水蒸気爆発も非常に起こりにくい」
「原子炉容器の中性子脆化が遅く、配管が水腐食しないので原子炉寿命が長い。」
「炉心溶融しにくいため、プルトニウム富化度20%の粒燃料を使用可能で、熱効率のよさと相俟って、使用済み核燃料の排出は1/5(ただし核の灰の排出量は1/1.7)で再処理コストが安く、六ヶ所村の能力不足問題が解決され、再処理工場を増やさなくて済む」
「ヘリウムは多くの高温ガス炉に使われている冷却材で、ピーク温度と出力は炉心設計に依存する。ヘリウムは不活性気体であり、このためほとんどの素材に対して化学的反応が起こらない。加えて、ほかの冷却材と比べ、中性子の放射にさらされても放射化しない」
「1000度近い高い炉心出口温度により、熱エネルギーを工業的なプロセス加熱のために利用する事が可能である。」
もちろん、欠点もある。
「配管等が破断して、隔離弁が作動せず空気が流入した場合、黒鉛火災の可能性がある」
「出力の割りに大きく重くなりやすく、出力の割りに設備費は嵩む。」
中国は、既に商業炉を完成させ、来年から動かすという。
技術開発中の要素技術もあり、ものになるかどうかはこれからということになる。
我が国では、発電は行っていないが、研究炉があり、既に試験稼働を行っているようだ。
(高温工学試験研究炉)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%B8%A9%E5%B7%A5%E5%AD%A6%E8%A9%A6%E9%A8%93%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%82%89
「日本原子力研究所(現 : 日本原子力研究開発機構)が茨城県大洗町に建設した実験用の原子炉である。炉の形式は、冷却材としてヘリウムを利用した黒鉛減速ガス冷却炉である。燃料集合体は、ペブルベット型とは異なる六角柱型となっている。」
(高温ガス炉とこれによる熱利用技術の研究開発)
http://www.jaea.go.jp/04/o-arai/research/research_03.html
この施設に併設して、高温のヘリウムを使った水素製造プラントが作られている(まだ、接続はされていないようです)。
(ISプロセス信頼性確証試験グループ)
http://www.jaea.go.jp/04/o-arai/nhc/jp/intro/is/is_top.htm
「原子炉施設と水素製造施設の接続時の安全基準策定、並びに安全基準に適合する設計対策を確立するためHTTR熱利用試験(HTTR-GT/H2試験)を計画中です。」
浮沈子は、水を直接熱分解するのかと思っていたが、かなり複雑な工程を経て、ようやく分解するという方法のようだな。
(高温ガス炉を用いた水素製造 に関する研究開発)
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/iinkai/teirei/siryo2013/siryo09/siryo2.pdf
(ISプロセス)
https://www.chiyoda-corp.com/technology/energy/is.html
やっぱ千代田か。
まあ、そうだろうな。
この水素製造方法は、原子力とは独立して、産業界にフィードバックされていくかもしれない。
水と熱だけあればいいわけだしな。
技術的ハードルと、コスト的なハードルが横たわっているという気はする。
当面は他の方法で作られることになると思われるが、可能性は追求しておいた方がいい。
冷却用ヘリウム配管の破断など、過酷事故につながりかねないリスクもある。
また、核廃棄物の問題は、量の違いこそあれ、無くなることはない。
二酸化炭素の減量なのか、核廃棄物の減量なのか、二者択一ではなく、現実的な落としどころを見つけていくしかないだろう。
高温ガス炉の燃料は、軽水炉の物とは違っているようだが、中身は同じウラン化合物だ。
いろいろ模索しているようだが、核廃棄物の問題は、避けて通れない。
使った電気量に応じて、消費した自治体が引き受けるというのが筋だと思うんだがな。
核廃棄物列島だ。
その覚悟がなければ、原発なんて使えないだろう。
用地確保や、利害関係の調整、膨大な補償費・・・。
原子力は、高くつくに決まっている。
それでも、使おうという話なら、浮沈子は賛成だがな。
イスラム国の話じゃない。
何度か書いているように、浮沈子は原発推進の立場だ(もちろん、条件付き)。
狭い国土に大勢がひしめき、資源小国の我が国で、現実的なエネルギー源を模索した時、人力(!)や水力(広い意味での太陽光)などと共に、少ない燃料で高いエネルギーを取り出せる原子力は無視できない。
不幸な事故が起こって、電力会社の不作為が問われることもないまま、ろくな見直しもせずに既存の原発のままで突っ走ろうとしている現状が、必ずしもいいとは思わないが、将来に渡って活用可能なエネルギー源として、活用しない手はない。
全電源喪失で、冷却能力を失い、金属と水で水素が発生して大爆発を起こした原子炉が、そのままで安全なわけないだろう?。
どう考えても、全部の原子炉を廃止して、作り直せというのが筋というものだ。
スクラム停止が働いて、制御棒が挿入されたにも関わらず、暴走が防げないような原子炉が、抜本的な対策もされずに運転を再開されるようなことがあってはならない。
冷却なんかしなくたって、熱暴走しない、そんな美味い話はないものか・・・。
(高温ガス炉)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E9%AB%98%E6%B8%A9%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%82%89#.E9.AB.98.E6.B8.A9.E3.82.AC.E3.82.B9.E7.82.89
「高温ガス炉は一次冷却材に液体金属ではなくヘリウムを用いるガス直接冷却黒鉛炉である。」
「黒鉛は温度があがると中性子を吸収するため、制御棒が刺さらない事故がおきても、黒鉛の中性子吸収でブレーキがかかり一定温度で安定化して暴走しにくい。」
「水を必要としないため、水をかけなければ水素爆発も水蒸気爆発も非常に起こりにくい」
「原子炉容器の中性子脆化が遅く、配管が水腐食しないので原子炉寿命が長い。」
「炉心溶融しにくいため、プルトニウム富化度20%の粒燃料を使用可能で、熱効率のよさと相俟って、使用済み核燃料の排出は1/5(ただし核の灰の排出量は1/1.7)で再処理コストが安く、六ヶ所村の能力不足問題が解決され、再処理工場を増やさなくて済む」
「ヘリウムは多くの高温ガス炉に使われている冷却材で、ピーク温度と出力は炉心設計に依存する。ヘリウムは不活性気体であり、このためほとんどの素材に対して化学的反応が起こらない。加えて、ほかの冷却材と比べ、中性子の放射にさらされても放射化しない」
「1000度近い高い炉心出口温度により、熱エネルギーを工業的なプロセス加熱のために利用する事が可能である。」
もちろん、欠点もある。
「配管等が破断して、隔離弁が作動せず空気が流入した場合、黒鉛火災の可能性がある」
「出力の割りに大きく重くなりやすく、出力の割りに設備費は嵩む。」
中国は、既に商業炉を完成させ、来年から動かすという。
技術開発中の要素技術もあり、ものになるかどうかはこれからということになる。
我が国では、発電は行っていないが、研究炉があり、既に試験稼働を行っているようだ。
(高温工学試験研究炉)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%B8%A9%E5%B7%A5%E5%AD%A6%E8%A9%A6%E9%A8%93%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%82%89
「日本原子力研究所(現 : 日本原子力研究開発機構)が茨城県大洗町に建設した実験用の原子炉である。炉の形式は、冷却材としてヘリウムを利用した黒鉛減速ガス冷却炉である。燃料集合体は、ペブルベット型とは異なる六角柱型となっている。」
(高温ガス炉とこれによる熱利用技術の研究開発)
http://www.jaea.go.jp/04/o-arai/research/research_03.html
この施設に併設して、高温のヘリウムを使った水素製造プラントが作られている(まだ、接続はされていないようです)。
(ISプロセス信頼性確証試験グループ)
http://www.jaea.go.jp/04/o-arai/nhc/jp/intro/is/is_top.htm
「原子炉施設と水素製造施設の接続時の安全基準策定、並びに安全基準に適合する設計対策を確立するためHTTR熱利用試験(HTTR-GT/H2試験)を計画中です。」
浮沈子は、水を直接熱分解するのかと思っていたが、かなり複雑な工程を経て、ようやく分解するという方法のようだな。
(高温ガス炉を用いた水素製造 に関する研究開発)
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/iinkai/teirei/siryo2013/siryo09/siryo2.pdf
(ISプロセス)
https://www.chiyoda-corp.com/technology/energy/is.html
やっぱ千代田か。
まあ、そうだろうな。
この水素製造方法は、原子力とは独立して、産業界にフィードバックされていくかもしれない。
水と熱だけあればいいわけだしな。
技術的ハードルと、コスト的なハードルが横たわっているという気はする。
当面は他の方法で作られることになると思われるが、可能性は追求しておいた方がいい。
冷却用ヘリウム配管の破断など、過酷事故につながりかねないリスクもある。
また、核廃棄物の問題は、量の違いこそあれ、無くなることはない。
二酸化炭素の減量なのか、核廃棄物の減量なのか、二者択一ではなく、現実的な落としどころを見つけていくしかないだろう。
高温ガス炉の燃料は、軽水炉の物とは違っているようだが、中身は同じウラン化合物だ。
いろいろ模索しているようだが、核廃棄物の問題は、避けて通れない。
使った電気量に応じて、消費した自治体が引き受けるというのが筋だと思うんだがな。
核廃棄物列島だ。
その覚悟がなければ、原発なんて使えないだろう。
用地確保や、利害関係の調整、膨大な補償費・・・。
原子力は、高くつくに決まっている。
それでも、使おうという話なら、浮沈子は賛成だがな。
冷却系 ― 2016年08月06日 04:32
冷却系
浮沈子は、2台のポルシェの面倒を見ている(見られている?)。
まあいい。
片や空冷、此方水冷のエンジンだ。
もう、ブロックからして違うし、1984年(カレラのエンジンに換装)と2003年だから、20年近くの時間が経っていて、比較にはならない。
水は温まりにくく冷めにくいが、空気は温まりやすく冷めやすい。
比熱というらしいが、浮沈子には良く分からん(物理、サボってたんで!)。
(比熱とは)
http://d-engineer.com/netsuriki/hinetu.html
「1kg の物質の温度を 1K (=1℃)上げるのに必要な熱量」
「比熱の例 単位:[J/kgK]
物質:比熱
・水:4186
・空気(湿度100%):1030
・空気(乾燥):1005」
なんだ、4倍くらいしか違わないのか。
993が水冷化して996になった時の技術的なネックは、通過時の騒音がクリアできなかったからだという話を読んだ記憶がある。
パワーじゃなかったんだ・・・。
でも、レーシングマシンでは、水冷ヘッドの導入を行っていたし、やっぱ、今時は水冷でしょう!。
昨日から、高温ガス炉のことを調べていて、一次側の冷却はヘリウムガスで行っているということが書いてある。
熱的な負荷が掛かって、二次側に奪われていけば、自然に温度は下がるんだろうが、水素発生装置も、発電用のタービンも、これからつながるようだ。
それにしても、二次側の負荷は一定とは限らないし、原子炉側の出力を自由自在に変えられるわけではないので、どこかで熱収支を調整しなければならない。
冷却系統の図を見ると、一次加圧水冷却器、二次加圧水冷却器、補助冷却器というのがあって、なんと、水冷だ!。
で、この純水を何で冷やしているかといえば、最後は空冷で、大気放熱している。
まあ、水冷の03ボクスターだって、ラジエーターで大気放熱してるからな。
(冷却系統)http://httr.jaea.go.jp/index_top.html
まず、メインの中間熱交換器(IHX)というのがあって、一次側と二次側が、ここで熱交換をする。
「伝熱管はヘリカルコイル型で外側をヘリウムガス、内側もヘリウムガスが流れる構造です。伝熱管が破損した場合に核分裂生成物(FP)を含んだ1次冷却材が2次側に漏れないよう2次側の圧力を1次側より高くしています。」
表を見ても、細かいことは分からないが、この解説を読むと気になることが書かれている。
放射化しないはずのヘリウムガスに、核分裂生成物(FP)が混じっているということだ。
系統間の圧力差は、0.1MPaとなっている(画像参照)。
一次側が4.0MPa、二次側が4.1MPa。
気圧でいえば、約1気圧の差だ。
そして、一次側、二次側のそれぞれに、加圧水冷却器が付いている。
さらに、一次側には並列に補助冷却器がついていて、これも加圧水で冷却している。
一次加圧水冷却機については、解説が載っている。
「伝熱管はU字管で、外側をヘリウムガス、内側を加圧水が流れる構造です。伝熱管が破損した場合に、加圧水が1次系に流入するのを防止するため、加圧水の圧力をヘリウムガスより低圧にしてあります。」
「主要材質:ステンレス鋼(伝熱管)」
なんか、昔、どっかの原発で、伝熱管の振動によって破断したとかいう記憶があるんだが、気体中では大丈夫なのかあ?。
(原子力発電所蒸気発生器の伝熱細管破断)
http://www.sozogaku.com/fkd/cf/CB0061010.html
「伝熱細管の1本が第6支持板付近で破断していることが判明」
「主蒸気隔離弁を遠隔操作により閉止しようとしたが、完全閉止を確認できなかった」
「加圧器逃がし弁を開放しようとしたが作動せず、加圧器補助スプレで系の圧力を下げる」
対応の中でも、作動するはずの機器が動かなかったりしているしな。
穴が開けば、当然、エア噛み(エアじゃないけど)を起こすわけで、ポンプが機能しなくなる(ヘリウムの圧力の方が高い)。
熱交換はストップということだ。
加圧水の圧力は3.5Mpaだが、穴が開いたんだから、いずれは同じになる(たぶん)。
二次ガス系統に、高温高圧になった水蒸気が混入するというわけだ(たぶん)。
ここで、最悪の事態を考えれば、先ほどのガス・ガスで熱交換をしていた中間熱交換器にも穴が開いてしまって、こっちは、二次側の圧力が高いから、一気に一次側に流れ込んで、いきなり原子炉内が水蒸気で一杯になったりするわけだ。
ここんとこ、どうにかならないものなんだろうか?。
原子炉内には、金属も使われているだろうし、そこから発生した水素ガスや1000度くらいの高温になった水蒸気で、有り得ないはずの、想定外の爆発が起こる可能性は否定できないだろう(配管の破れが、他にも起これば、当然空気中の酸素も入ってくる)。
そもそも、ヘリウム通すことしか考えていないんだから、黒鉛炉に水ぶっかけるなんて試験はやらないだろう。
やっば・・・。
冷却系統の図を見ると、原子炉格納容器境界が、赤い破線で表示してあるが、その内部圧力は3.5Mpaとある。
(高温ガス炉水素・熱利用研究センター:「高温工学試験研究炉(HTTR)の構造」参照)
http://www.jaea.go.jp/04/o-arai/nhc/jp/_top/top.htm
原子炉建屋のイラストが載っているが、圧力容器の中に、中間熱交換器や加圧水冷却器が納まっている様子が分かる。
(高温工学試験研究炉「HTTR」仕様)
http://www.jaea.go.jp/04/o-arai/research/research_03.html
同じようなイラストが描かれているが、こちらでは空気冷却器が建屋の屋上に付いていることが分かる。
何の負荷も接続されていないわけだから、今のところは、全ての熱は、ここから捨てられているわけだ(地球温暖化じゃん!?)。
まあ、どうでもいいんですが。
原子炉格納容器は地下に設置されている。
原子炉は、基本的には、同じ原理、つまり、放射性元素の崩壊熱を何らかの形で取り出して、動力や高温として利用しようという仕掛けなのだから、大きく違うわけではない。
いずれにしても、空冷(空気じゃないですが)と思われていた高圧ガス炉が、実は水冷だったという点は、注目すべきだ。
配管の径や流量などから、気相のままで冷やすことが出来ず、水が禁忌であるにもかかわらず、システムの中で水冷を取り入れざるを得なかったのかもしれない。
もちろん、それなりの対策はとっているんだろうが(圧力差を与えるなど)、想定外の事故は、起こり得るわけだしな(実際起こったし)。
試験研究炉ということで、その点の設計は改善されるのかもしれない。
原子炉内に水が入らないという前提で、様々な設計をしているんだろうから、万が一、入った時には悲惨だろうな。
配管破断と、全電源喪失が同時に起これば、嬉しくない話にもなりかねない。
ヘリウム自体も、実は気になっている。
この気体は、漏れる。
漏れて、減っていくから、「減り」ウムというくらいだ(ウソです!)。
世の中では、水素の次に軽い物質で、単原子分子だから、分子量は4ということになる。
水素は、気体では2原子分子で、分子量は2だから、2倍しかない。
お祭りで風船を買ってきても、萎んでしまうしな。
放射線に晒されても、放射化しないというが、一次冷却ガスを閉じ込めておく必要はあるようだ。
やっぱ、何か混じるのかもしれないし、事故の際の封じ込めということかもしれない。
そこも、良く分からない点だ。
どのくらい漏れるものなのか、漏れた分の補充は行われるのか、二次系もヘリウム使うのはなぜなのか。
ちなみに、原子炉側の幹事会社は三菱重工だ。
(高温ガス炉)
https://www.mhi.co.jp/products/detail/high-temperature_gas-cooled_reactor.html
「幹事会社として、その推進に主導的役割を果たし・・・」
「HTTR当社担当主要機器:
・格納容器
・非常用空気浄化設備
・主冷却設備
・高温二重配管
・加圧水冷却器、ヘリウム循環機等
・原子炉補助設備
・計測制御設備」
水を持ち込んだのは、三菱かあ・・・。
さらに、パンフレット(6ページ)を見ると、炉容器冷却設備というのがあって、これがちゃっかり水冷だったりしている。
(パンフレット)
http://httr.jaea.go.jp/images/index/panf_2015.pdf
ちなみに、ここ(1ページ目)に掲載されているお問い合わせ先の電話は、繋がらない(今年の6月に更新されたばかりなのに・・・)。
いろいろ突っ込みが出来そうな話だな。
この炉容器というのは、原子炉格納容器の内部にあって、原子炉圧力容器の外側に設置されているようだ。
ちょっと整理しておこう。
「原子炉(HTTR)の構成:
・燃料(ウラン化合物)
・4重にコーティングされた被覆粒子燃料(直径0.92mm)
・竹輪型の燃料コンパクト(被覆粒子燃料を素地材の中に散らして保持)
・竹輪を詰めた燃料棒
・燃料棒を束ねた燃料体(六角柱)
・黒鉛の減速材
・冷却材(ヘリウム)
・原子炉圧力容器(内圧:4MPa)
・スタンドパイプ(燃料交換用?)
・炉容器冷却設備(水冷)
・原子炉容器(材質等不明)
・中間熱交換器(二次側:4.1MPa)
・一次加圧水冷却器(水冷)(内圧:3.5MPa)
・二次加圧水冷却器(水冷)(内圧:3.5MPa)
・補助冷却器(水冷)(内圧:3.5MPa?)
・高温二重配管
・原子炉格納容器
・使用済み燃料貯蔵プール
・燃料交換機
・中央制御室
・原子炉建屋(屋上に空気冷却器)」
これに、別棟で、水素製造施設が接続される。
タービン発電機や廃熱利用の熱交換器がどこにあるのかは、イラストや図によって異なるので、ハッキリとはわからない(パンフ9ページと10ページではタービン建屋の有無が違う)。
シンプルとはいえない構成だな。
十分複雑だ。
パンフ11ページには、内陸部に設置可能というのと、海水淡水化の話が続いて出ていて笑える。
しかし、確かに、離島などでは必要な要素だな。
ディーゼルエンジンでは燃料を頻繁に運ばなくてはならないことを考えると、一度作ってしまえば水不足にもならず、燃料電池自動車は乗り放題だし。
放射性廃棄物は、他に捨て場がないので、施設内で2万年くらい保管というところか。
どうも、廃棄物の話になると原発は分が悪い。
燃料のウランにしても、エネルギー換算した資源量は石油より少ないらしいしな。
(第97回小出裕章ジャーナル)
http://www.rafjp.org/koidejournal/no97/
「石油に比べても、発生できるエネルギーに換算して、石油に比べても数分の1しかありませんし、石炭に比べれば、数10分の1しかない」
「地球上に存在しているウラン自身は大変貧弱な資源なので、原子力を推進しようとしてきた人達は、そのウランの一部、燃えない、ほんとは役立たずのウランをプルトニウムに変えて利用する。そうすれば、原子力の資源量が60倍になるので、石炭と同じぐらいの資源にはなる」
まあ、余程楽観的に見ても、増殖炉が動き出すのは来世紀の話だろう。
別に、急ぐ必要はない。
石油をどんどん燃やして、二酸化炭素を蓄積していけばいい(ちっと暑いですが)。
そんでもって、その二酸化炭素を分解して燃料にすればいいわけだ。
(逆転の発想 二酸化炭素をエネルギー源に)
http://www.swissinfo.ch/jpn/sci-tech/co2_%E9%80%86%E8%BB%A2%E3%81%AE%E7%99%BA%E6%83%B3-%E4%BA%8C%E9%85%B8%E5%8C%96%E7%82%AD%E7%B4%A0%E3%82%92%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E6%BA%90%E3%81%AB/38371582
まだ研究段階を出ていないようだが、100年くらい経てば、物になっているだろう。
原子力は、燃やしている段階では二酸化炭素を排出しないので、将来のエネルギー源を生み出さない、非効率な方法かもしれない。
核廃棄物も、再利用できるといいんだがな。
浮沈子は、2台のポルシェの面倒を見ている(見られている?)。
まあいい。
片や空冷、此方水冷のエンジンだ。
もう、ブロックからして違うし、1984年(カレラのエンジンに換装)と2003年だから、20年近くの時間が経っていて、比較にはならない。
水は温まりにくく冷めにくいが、空気は温まりやすく冷めやすい。
比熱というらしいが、浮沈子には良く分からん(物理、サボってたんで!)。
(比熱とは)
http://d-engineer.com/netsuriki/hinetu.html
「1kg の物質の温度を 1K (=1℃)上げるのに必要な熱量」
「比熱の例 単位:[J/kgK]
物質:比熱
・水:4186
・空気(湿度100%):1030
・空気(乾燥):1005」
なんだ、4倍くらいしか違わないのか。
993が水冷化して996になった時の技術的なネックは、通過時の騒音がクリアできなかったからだという話を読んだ記憶がある。
パワーじゃなかったんだ・・・。
でも、レーシングマシンでは、水冷ヘッドの導入を行っていたし、やっぱ、今時は水冷でしょう!。
昨日から、高温ガス炉のことを調べていて、一次側の冷却はヘリウムガスで行っているということが書いてある。
熱的な負荷が掛かって、二次側に奪われていけば、自然に温度は下がるんだろうが、水素発生装置も、発電用のタービンも、これからつながるようだ。
それにしても、二次側の負荷は一定とは限らないし、原子炉側の出力を自由自在に変えられるわけではないので、どこかで熱収支を調整しなければならない。
冷却系統の図を見ると、一次加圧水冷却器、二次加圧水冷却器、補助冷却器というのがあって、なんと、水冷だ!。
で、この純水を何で冷やしているかといえば、最後は空冷で、大気放熱している。
まあ、水冷の03ボクスターだって、ラジエーターで大気放熱してるからな。
(冷却系統)http://httr.jaea.go.jp/index_top.html
まず、メインの中間熱交換器(IHX)というのがあって、一次側と二次側が、ここで熱交換をする。
「伝熱管はヘリカルコイル型で外側をヘリウムガス、内側もヘリウムガスが流れる構造です。伝熱管が破損した場合に核分裂生成物(FP)を含んだ1次冷却材が2次側に漏れないよう2次側の圧力を1次側より高くしています。」
表を見ても、細かいことは分からないが、この解説を読むと気になることが書かれている。
放射化しないはずのヘリウムガスに、核分裂生成物(FP)が混じっているということだ。
系統間の圧力差は、0.1MPaとなっている(画像参照)。
一次側が4.0MPa、二次側が4.1MPa。
気圧でいえば、約1気圧の差だ。
そして、一次側、二次側のそれぞれに、加圧水冷却器が付いている。
さらに、一次側には並列に補助冷却器がついていて、これも加圧水で冷却している。
一次加圧水冷却機については、解説が載っている。
「伝熱管はU字管で、外側をヘリウムガス、内側を加圧水が流れる構造です。伝熱管が破損した場合に、加圧水が1次系に流入するのを防止するため、加圧水の圧力をヘリウムガスより低圧にしてあります。」
「主要材質:ステンレス鋼(伝熱管)」
なんか、昔、どっかの原発で、伝熱管の振動によって破断したとかいう記憶があるんだが、気体中では大丈夫なのかあ?。
(原子力発電所蒸気発生器の伝熱細管破断)
http://www.sozogaku.com/fkd/cf/CB0061010.html
「伝熱細管の1本が第6支持板付近で破断していることが判明」
「主蒸気隔離弁を遠隔操作により閉止しようとしたが、完全閉止を確認できなかった」
「加圧器逃がし弁を開放しようとしたが作動せず、加圧器補助スプレで系の圧力を下げる」
対応の中でも、作動するはずの機器が動かなかったりしているしな。
穴が開けば、当然、エア噛み(エアじゃないけど)を起こすわけで、ポンプが機能しなくなる(ヘリウムの圧力の方が高い)。
熱交換はストップということだ。
加圧水の圧力は3.5Mpaだが、穴が開いたんだから、いずれは同じになる(たぶん)。
二次ガス系統に、高温高圧になった水蒸気が混入するというわけだ(たぶん)。
ここで、最悪の事態を考えれば、先ほどのガス・ガスで熱交換をしていた中間熱交換器にも穴が開いてしまって、こっちは、二次側の圧力が高いから、一気に一次側に流れ込んで、いきなり原子炉内が水蒸気で一杯になったりするわけだ。
ここんとこ、どうにかならないものなんだろうか?。
原子炉内には、金属も使われているだろうし、そこから発生した水素ガスや1000度くらいの高温になった水蒸気で、有り得ないはずの、想定外の爆発が起こる可能性は否定できないだろう(配管の破れが、他にも起これば、当然空気中の酸素も入ってくる)。
そもそも、ヘリウム通すことしか考えていないんだから、黒鉛炉に水ぶっかけるなんて試験はやらないだろう。
やっば・・・。
冷却系統の図を見ると、原子炉格納容器境界が、赤い破線で表示してあるが、その内部圧力は3.5Mpaとある。
(高温ガス炉水素・熱利用研究センター:「高温工学試験研究炉(HTTR)の構造」参照)
http://www.jaea.go.jp/04/o-arai/nhc/jp/_top/top.htm
原子炉建屋のイラストが載っているが、圧力容器の中に、中間熱交換器や加圧水冷却器が納まっている様子が分かる。
(高温工学試験研究炉「HTTR」仕様)
http://www.jaea.go.jp/04/o-arai/research/research_03.html
同じようなイラストが描かれているが、こちらでは空気冷却器が建屋の屋上に付いていることが分かる。
何の負荷も接続されていないわけだから、今のところは、全ての熱は、ここから捨てられているわけだ(地球温暖化じゃん!?)。
まあ、どうでもいいんですが。
原子炉格納容器は地下に設置されている。
原子炉は、基本的には、同じ原理、つまり、放射性元素の崩壊熱を何らかの形で取り出して、動力や高温として利用しようという仕掛けなのだから、大きく違うわけではない。
いずれにしても、空冷(空気じゃないですが)と思われていた高圧ガス炉が、実は水冷だったという点は、注目すべきだ。
配管の径や流量などから、気相のままで冷やすことが出来ず、水が禁忌であるにもかかわらず、システムの中で水冷を取り入れざるを得なかったのかもしれない。
もちろん、それなりの対策はとっているんだろうが(圧力差を与えるなど)、想定外の事故は、起こり得るわけだしな(実際起こったし)。
試験研究炉ということで、その点の設計は改善されるのかもしれない。
原子炉内に水が入らないという前提で、様々な設計をしているんだろうから、万が一、入った時には悲惨だろうな。
配管破断と、全電源喪失が同時に起これば、嬉しくない話にもなりかねない。
ヘリウム自体も、実は気になっている。
この気体は、漏れる。
漏れて、減っていくから、「減り」ウムというくらいだ(ウソです!)。
世の中では、水素の次に軽い物質で、単原子分子だから、分子量は4ということになる。
水素は、気体では2原子分子で、分子量は2だから、2倍しかない。
お祭りで風船を買ってきても、萎んでしまうしな。
放射線に晒されても、放射化しないというが、一次冷却ガスを閉じ込めておく必要はあるようだ。
やっぱ、何か混じるのかもしれないし、事故の際の封じ込めということかもしれない。
そこも、良く分からない点だ。
どのくらい漏れるものなのか、漏れた分の補充は行われるのか、二次系もヘリウム使うのはなぜなのか。
ちなみに、原子炉側の幹事会社は三菱重工だ。
(高温ガス炉)
https://www.mhi.co.jp/products/detail/high-temperature_gas-cooled_reactor.html
「幹事会社として、その推進に主導的役割を果たし・・・」
「HTTR当社担当主要機器:
・格納容器
・非常用空気浄化設備
・主冷却設備
・高温二重配管
・加圧水冷却器、ヘリウム循環機等
・原子炉補助設備
・計測制御設備」
水を持ち込んだのは、三菱かあ・・・。
さらに、パンフレット(6ページ)を見ると、炉容器冷却設備というのがあって、これがちゃっかり水冷だったりしている。
(パンフレット)
http://httr.jaea.go.jp/images/index/panf_2015.pdf
ちなみに、ここ(1ページ目)に掲載されているお問い合わせ先の電話は、繋がらない(今年の6月に更新されたばかりなのに・・・)。
いろいろ突っ込みが出来そうな話だな。
この炉容器というのは、原子炉格納容器の内部にあって、原子炉圧力容器の外側に設置されているようだ。
ちょっと整理しておこう。
「原子炉(HTTR)の構成:
・燃料(ウラン化合物)
・4重にコーティングされた被覆粒子燃料(直径0.92mm)
・竹輪型の燃料コンパクト(被覆粒子燃料を素地材の中に散らして保持)
・竹輪を詰めた燃料棒
・燃料棒を束ねた燃料体(六角柱)
・黒鉛の減速材
・冷却材(ヘリウム)
・原子炉圧力容器(内圧:4MPa)
・スタンドパイプ(燃料交換用?)
・炉容器冷却設備(水冷)
・原子炉容器(材質等不明)
・中間熱交換器(二次側:4.1MPa)
・一次加圧水冷却器(水冷)(内圧:3.5MPa)
・二次加圧水冷却器(水冷)(内圧:3.5MPa)
・補助冷却器(水冷)(内圧:3.5MPa?)
・高温二重配管
・原子炉格納容器
・使用済み燃料貯蔵プール
・燃料交換機
・中央制御室
・原子炉建屋(屋上に空気冷却器)」
これに、別棟で、水素製造施設が接続される。
タービン発電機や廃熱利用の熱交換器がどこにあるのかは、イラストや図によって異なるので、ハッキリとはわからない(パンフ9ページと10ページではタービン建屋の有無が違う)。
シンプルとはいえない構成だな。
十分複雑だ。
パンフ11ページには、内陸部に設置可能というのと、海水淡水化の話が続いて出ていて笑える。
しかし、確かに、離島などでは必要な要素だな。
ディーゼルエンジンでは燃料を頻繁に運ばなくてはならないことを考えると、一度作ってしまえば水不足にもならず、燃料電池自動車は乗り放題だし。
放射性廃棄物は、他に捨て場がないので、施設内で2万年くらい保管というところか。
どうも、廃棄物の話になると原発は分が悪い。
燃料のウランにしても、エネルギー換算した資源量は石油より少ないらしいしな。
(第97回小出裕章ジャーナル)
http://www.rafjp.org/koidejournal/no97/
「石油に比べても、発生できるエネルギーに換算して、石油に比べても数分の1しかありませんし、石炭に比べれば、数10分の1しかない」
「地球上に存在しているウラン自身は大変貧弱な資源なので、原子力を推進しようとしてきた人達は、そのウランの一部、燃えない、ほんとは役立たずのウランをプルトニウムに変えて利用する。そうすれば、原子力の資源量が60倍になるので、石炭と同じぐらいの資源にはなる」
まあ、余程楽観的に見ても、増殖炉が動き出すのは来世紀の話だろう。
別に、急ぐ必要はない。
石油をどんどん燃やして、二酸化炭素を蓄積していけばいい(ちっと暑いですが)。
そんでもって、その二酸化炭素を分解して燃料にすればいいわけだ。
(逆転の発想 二酸化炭素をエネルギー源に)
http://www.swissinfo.ch/jpn/sci-tech/co2_%E9%80%86%E8%BB%A2%E3%81%AE%E7%99%BA%E6%83%B3-%E4%BA%8C%E9%85%B8%E5%8C%96%E7%82%AD%E7%B4%A0%E3%82%92%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E6%BA%90%E3%81%AB/38371582
まだ研究段階を出ていないようだが、100年くらい経てば、物になっているだろう。
原子力は、燃やしている段階では二酸化炭素を排出しないので、将来のエネルギー源を生み出さない、非効率な方法かもしれない。
核廃棄物も、再利用できるといいんだがな。
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