夜のドライブ2016年08月05日 02:36

夜のドライブ
夜のドライブ


03ボクスターと83タルガを入れ替える。

夜、渋滞が終わった頃に行って、戻ってくるのは夜中だ。

今日は(日付が変わって昨日ですが)、結局3台を全部乗ったわけだ(お台場には500Eで行ったんで)。

どれも、それなりに個性的で、薄味の03ボクスターのあとに、コテコテの83タルガに乗ると、その違いに驚く。

エアコンのないタルガは、窓を開けて走るので、エンジン音が容赦なく聞こえる(今日は、屋根は外しませんでした)。

ラジオの音などは、全く聞き取れない。

そこにいくと、ボクスターは、穏やかな水冷エンジンのおかげで、フルオープンでも静かなものだ。

浮沈子は、基本的に、クルマの中ではNHKのラジオ(しかもAM)くらいしか聞かない。

たまに、CDとかも聞くけど、音楽を聴いていると、眠くなるしな。

BGMを掛けるのは、渋滞にはまった時くらいだ。

今日は、そういう目には合わなかったな。

500Eで、ちっとだけ聞いたけど。

短い間隔で、3台を乗り継ぐ機会が多いが、どれも捨て難いので困る。

真っ先に切るのは、03ボクスターと決めているのだが、これが、なかなか使い勝手も良く、故障もしない優れモノなので困る(ホントに困ってはいないですが)。

83タルガは、クルマに乗れなくなるまで持っていようと決めている。

500Eは、まあ、実用車だから、手放せば、別のクルマに替えることになる。

維持費が嵩んできて、手放すことは有り得るが、今のところは大丈夫だ(ATも快調、エンジンも、デスビの失火以外は快調、エアコンも、まあまあ快調)。

ボクスターは、これといって非の打ち所のないクルマで、これ1台でもいい。

殆ど1人で移動するので、ダイビング器材を運ぶ以外の用途で、他のクルマが必要になったことはない。

器材だって、空港まで送ればいいだけだしな。

しかし、その選択はないだろう。

あと2年くらい乗ったら、次のオーナーの元に旅立たせる。

タルガは、終生手元に置きたい。

クルマはボロボロ、足回りはヨレヨレだが、こんな面白いクルマは乗ったことがない。

乗れるだけで十分だな。

何というか、人間臭い。

今日見学したオルタより、リアリティを感じる。

浮沈子は、何かに感情移入するには、コミュニケーションが不可欠だと感じている。

オルタには、それがない。

一方的に動いているだけで、こちらのアクションに反応しない。

本当はしているのかもしれないが、コミュニケーションとして成立していない。

そこの曖昧さが、過大なのだ。

返ってくるアクションが、向こうの都合だけで決まる。

それは、反応かも知れないが、キャッチボールにはならない。

こちらに、何かを伝えようという意思がない。

開発者は、赤ん坊のようなものだという表現をしているが、まあ、そんな感じか。

眼球のアクチュエイターが動かない状態だったこともあり、アイコンタクトもない。

機械は、決まりきった反応を返す。

コンピューターで作ったプログラムも、まあ、似たようなもんだ。

多少複雑になるかも知れないが、慣れてくれば、こんな時にはこうなるというのが分かる。

それは、もちろん生物的とはいえない。

文字通り、機械的だ。

そして、確実に決まった反応を返してくるとき、オペレーターは満足することが出来る。

調子が悪ければ、どうしたんだろうと心配になる。

治れば嬉しい。

そういう、機械との歴史の積み重ねが、信頼や、不安を醸成する。

そうして、深みにはまっていくのだ。

アンドロイドは、複雑な機械というだけでは、その意味が不足する。

人間と似ているところに意義がある。

それには、決まりきった反応を返すクルマのような機械とは異なる、何かが必要だ。

人間臭さのようなもの。

浮沈子は、正真正銘の機械である83タルガに、それを感じている。

オイルが温まらないうちに走り出すと、ぐずって回転が安定しなかったり、無理なハンドル操作をすれば、クルマが思ったように向きを変えてくれなかったりもする。

回転を合せずにシフトしようとすれば、シンクロが効くまで待たされることになる。

あの手この手を使って、なだめすかして運転する。

そうして、薬籠中にしていく時、こいつは、なんて面白いんだということになる。

正しく使えば、楽しく使える。

そうしなければ、扱い辛く、乗りにくいだけのクルマになってしまう。

乗り手を選ぶクルマだな。

そんなクルマが、人間臭いと感じる方がおかしいんだろうか?。

自分勝手に、外界の刺激を解釈して反応しているだけのオルタは、浮沈子にはあまり好ましくは感じられなかった。

そう、感情移入できないのだ。

コミュニケーションが取れない。

自律的に動いているだけでは、それが不規則であるだけでは、人間臭くはなれないのだ。

不規則の中の規則性、定型的ではないバラエティのある応答、表層的にはとりとめもない反応のように見えながら、深い部分では個性を感じさせる何かが必要なのだ。

それこそが、人間性なのではないか。

非常にセンシティブな話題に踏み込むとすれば、重症の発達障害のような感じも受ける。

浮沈子が展示室を出た後に、車椅子に乗った障害児の方が入って行ったが、ちょっとドキドキした。

人間の反応は、ランダムに見えて、決してそうではない。

高次機能が十分に働いていなくても、そこには、統合された行動のパターンがあり、それが個性を形成する。

同じ人間は、二人といない。

イヌネコ系が苦手の浮沈子だが、おそらくペットにだって、個性はある。

哺乳類は、そうやって生存の可能性を高めてきたんだから。

オルタに感じたのは、統合される以前の散逸した反応だけだ。

未分化の生な反応・・・。

83タルガには、明らかな個性がある。

この個体には、固有の癖があり、それを飲み込んでやらなければ、上手く動かせない。

吊るしで売られている状態から、33年の時を経て、あちこち故障し、ぶつけ、すり減ってきた挙句に獲得した個性だ。

そして、明確に反応する。

いつも同じではなく、状況に応じて変化するが、ある条件にハマると、素晴らしい動きになる。

それを引き出すことを、こちらに求めているのが分かる。

浮沈子は、オルタの展示室に10分程度しかいなかった。

それ以上いても、同じだと思った。

事前に読んだネットの記事で、10分間の観察に耐えられると書いてあったから。

浮沈子は、ちょっと耐えられなかったな。

ランダムな動きを見ているのは、結構シンドイ。

飽きるというより、苦痛なのだ。

こちらの動きや働きかけ、存在そのものに対する反応との因果関係が希薄で、耐えられない。

そこに、何らかの個性、反応の規則性を見出そうとして、疲れてしまう。

10分間の観察に耐えるというのは、その規則性を見破られない程度にランダムになっているということだけなのかもしれない。

生命の本質的な要素が、そういう不確かさ、曖昧さ、散逸した状態であるのかは分からない。

オルタの体験と、83タルガの乗り味が、真夏のねっとりとした深夜の空気の中で、混ざり合う。

このクルマを人間臭いと思う浮沈子は、確かに異常だ。

ヘンタイである。

そして、オルタを生命が宿る機械とは見なせない。

もちろん、開発途上の何物かではある。

もう一つ、気付いたことを書いておこう。

オルタは、何かを求めているようには感じられなかった。

それは、生命の反応としては不可欠なものだと思う。

何かをしたい、何かをして欲しい、どこかへ行きたい、何かが欲しい・・・。

その欲求が感じられない。

両手をひらひらと動かし、指まで折って見せるが、何かを求めているようなしぐさには見えない。

時折、口を開けて唸るような声を立てるが、空腹や苦痛、感情を表現するというよりは、声が出せるから出しているだけのように思えてならない。

元より、こちらとのコミュニケーションの手段として、発声しているようには見えない。

そういった、欲求の欠如、意思の欠如、行動の統合のありとあらゆる要の欠如が、生命らしさ、人間らしさの欠如に繋がっているのではないか。

紙に書かれた乱数表を見るような味気無さ・・・。

ひょっとしたら、10分ではなく、もっと長時間、そうだな、浮沈子が83タルガに乗っていた1時間くらい見ていたら、何かを感じることが出来たかもしれない。

しかし、そんな長時間を、この物体の前で過ごすのは耐えられないだろう。

そして、むしろ、その前に、次々と現れては、様々な反応を見せる本物の人間たちの方に、興味が移ってしまうに違いない。

この、本物の人間のリアクションをフィードバックさせられれば、もっと人間臭さを出せるのではないか。

或いは、オルタ2のような、もう一体の物体を作って、相互に自律的なコミュニケーションをさせるとか。

その会話(?)の中に、本物の人間を組み入れるような、コミュニケーションモデルを構築するとか。

5つのセンサーや、多くのアクチュエイター、それらを司る高機能の制御プログラムの集合体は、33年前のポルシェよりも無機質に思える。

もちろん、そう感じる浮沈子が、ただのヘンタイなだけなのかもしれない。

それは、否定しない。

しかし、世の中に、あの乗りにくい空冷ポルシェの愛好家が多いことを考えれば、単なる例外では済まされないだろう。

RRという宿痾(しゅくあ)を抱え、それとともに発展してきたクルマなのだ。

個性が宿らずにいられようか。

ボクスターにも、500Eにも、それなりの個性はある。

乗り心地、素直な操縦性、荷物が詰める便利さなど、道具としての価値は、それぞれ高い(911だって、4人乗りでゴルフバッグが2セット積める設計にはなっているけどな)。

限られたレイアウトの中で、他に引けをとらない性能を出さなければならなかった、911ならではの個性は、FRや2座MRでは発揮されなかっただろう。

オルタには、試練が必要だ。

生命は、生き続けなければならないという制約(?)を課せられた存在だ。

生きたいという意思、欲望、なんというか、そういったギラギラしたものがなければ、人間らしさは生まれてこないのではないか。

それは、開発者に対する試練でもある。

ちっと、予算でも削ってみようかあ?。

アンドロイドAlter2016年08月04日 17:07

アンドロイドAlter
アンドロイドAlter


ネットの記事を読んでいたら、こんなニュースがあったので、お台場に行って、早速見てきた。

(生命らしさを持つ「機械人間オルタ(Alter)」が発表)
http://robotstart.info/2016/07/29/alter.html

「オルタは「人間らしい見かけだけが、人間を表現する方法か?」「生命を持つように感じさせられるものは何か?」といった問題を提起する。」

まあ、正直な感想を言えば、出来の悪い操り人形(マリオネット)のような、ぎこちない動きで、生命を持つとか持たないとか以前の出来といえよう。

ただ、敢えて機械をむき出しにして、動きにこそ、生命が宿るというコンセプトを前面に出しているというのは面白いと思った。

現場で、少し離れて見ていたスタッフに声をかけてみたら、5つのセンサーに反応する動きにも、化学反応のプロセスを咬ませていたり、動きの制御にニューラルネットワークを使っていたりするそうで、玄人目には凝った仕掛けになっているそうだ(眼球のアクチュエイターは故障中だそうです)。

つーか、10分ほど、その場に留まっていたのだが、次々と展示室に入ってくるガキども(失礼!、お子様方)の反応を見ている方が面白かったな。

実に千差万別で面白い。

手に持った飴の缶をあげようと差し出す子もいれば、握手しようとする子もいる。

その一方で、「こわいよー」と言って、部屋の外に出てしまう子もいる。

大人は、見ててもつまらん!。

ボケーッと突っ立っているだけ・・・。

浮沈子は、10分ほどその場にいたが、ピンとくるものは感じない。

見かけの印象は、ボーグの女ボスみたいな感じだったな。

(スタートレック:ファーストコンタクト)
http://ja.memory-alpha.wikia.com/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%EF%BC%9A%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%88

「機関室ではデータは変わらず多くのボーグに取り囲まれたまま拘束されていた。するとそこへボーグ・クイーンが姿を現した。」

浮沈子は、この映画を劇場で観たんだが、オープニングと、このボーグ・クイーンの登場が印象に残っている。

そう、映画の中では、まるで生きているようにウネウネと動く脊髄が気持ち悪い・・・。

(The Borg Queen's First Appearance:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=4n25pdHlIjI

まあ、それに比べれば、今回のオルタは子供騙しだ(文字通り?)。

(機械人間「オルタ」(Alter):動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=9qmSbLSoNw4

まあいい。

スタティックな外形ではなく、ダイナミズム(動き)の中に、生命の本質があるというアプローチは面白い。

まあ、関節の動きの周期性を意図的に壊してみたり、センサーの感度に揺らぎを与えたりと、場当たり的な工夫をしているが、本物の生命が持つ無秩序な秩序(?)を再現するのははるか先のことだろう。

20世紀から21世紀に掛けて、生命科学は目覚ましい発展を遂げきた。

遺伝子が特定され、生化学的手法が確立され、生命を化学や物理の法則で説明しようとする流れが本流になっている(そうなのかあ?)。

しかし、そういうアプローチ、つまり、還元的に生命をバラバラにして、DNAみたいな要素にしてしまって、それを演繹的に組み上げても、未だに人工生命は生まれない(似たようなことはやってますが)。

全体としての生命を、どう認識するかというアプローチは、あまり聞かないな(心理学とかでは、あるのかも知れない)。

特に、人間の動きを、人間が認識して生物と捉えらえるかどうかというのは、今までなかったような気がする。

(実験人形ダミー・オスカー)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E9%A8%93%E4%BA%BA%E5%BD%A2%E3%83%80%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC

「生きている人間と見分けがつかないほどのダミー=超人間を作る驚異の人形師・渡胸俊介」

確か、あの人形も、圧縮空気で動かしていたような気がする。

21世紀のダミーは、そのレベルにも達していない。

オルタは、時々、唸るような声を出す。

ちょっとブキミーな感じだが、これがまた、ガキどもにウケるんだな。

人間という、ありきたりの生物ではなく、もっと独自の生き物を創造して、それを生物として認識させられれば、それはそれですごい話だ。

金属と樹脂とゴムで出来た物体が、生き物として認識され、その何者かとのコミュニケーションによって人間が成長するようになるかもしれない。

「今回展示できる段階と判断し、製作途中ながら展示することとなった。展示中も開発は続け来場者からの意見を聞きながら、より人間らしさを追求する。」

人間ではないものに、人間性を見出し、そこに感情移入していくという話は、よくある話だ。

また人間は、自分に似せたものを作る、唯一の存在かも知れない(神様は、別だけどな)。

その一つの形がここにある。

ぎこちない、無意味な動き・・・。

そこに、何かの意図を感じ、反応する本物の人間の方に、浮沈子は興味を持った。

と同時に、こんな機械をこしらえる人間にも、大いに興味をそそられる。

今日、立ち話をしたスタッフは、たぶん本物の人間だろう。

しかし、そうだと断言できるだろうか?。

もっともらしい受け答えと、専門知識を披露するようにプログラムされたアンドロイドではないと、いいきれるだろうか?(あるいは、同化されたボーグとか)。

いよいよ、幻覚が見えてきたのかもしれないな・・・。

二匹目のドジョウ2016年07月25日 17:00

二匹目のドジョウ
二匹目のドジョウ


久々のアンドロイドネタ。

(スマートフォンをノートPCにする「Superbook」―スマホを買い換えれば、ノートPCも最新スペックに!)
http://internetcom.jp/201322/superbook-turns-android-smartphone-intolaptop

ゲートウエイノートのキーボードで、心身症になりそうな状況でブログを打っていると、こういう記事に当たる。

「「Superbook」は、AndroidスマートフォンをノートPCにするシェル。大画面とキーボード、タッチパッドを提供する。」

ウインドウズ端末の、コンティニュアムのアンドロイド版ということだな。

(ウインドウズ10の欠点)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2016/02/15/8018758

(出ましたねえ)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2016/03/07/8042030

いろいろ記事の中では妄想しているが、浮沈子は、こういうデバイスは大好きだな。

時代の変化を感じることができる。

パーソナルなデバイスが、パソコンからスマホになって既に久しい。

今の若い者は、パソコンというのは仕事で使う機械だと割り切っている(パソコンじゃないじゃん!?:オフコンかあ?←懐かしいですなあ・・・)。

まあ、スペック的にも、それに近いものがあるしな。

スマホが個人の道具になり、ネット越しに巨大サーバーの計算資源にアクセスし、フリック入力で大学の卒論が書かれる時代に、この手のマンマシン・インターフェースが必要なのは、老眼になった浮沈子のようなフリック入力ができないジジババに違いない。

だいたい、今どきの若いもんは、タッチタイピングできないしな。

しかしなあ、アンドロイドでやるかなあ・・・。

数年に1度、予算5万円くらいでノートパソコンを買い替え、スマホはたまにしか使わない浮沈子は、あまり必要性を感じないんだがな。

それぞれが、独立したデバイスとして機能し、連携が取れていればいいわけだしな。

データはクラウドに置いて、ネット越しにアクセスすればいい。

メールのお返事くらいは、スマホやタブレットで十分だろう。

長文の作成や、表計算ソフトを使った処理、データベースへのアクセスなどは、それなりの計算資源があった方がいいし、使い易いマンマシン・インターフェイスが必要だ。

現在のモバイル環境が、それに近いものであることは確かだし、パソコンがオフコン化している現状を考えると、まあ、パーソナルな環境で、マンマシン・インターフェイスの充実を図るという方向性があってもいいかもしれない。

つーか、セキュリティとか考えると、今後、ビジネスシーンでの普及がカギになるかもしれない。

昔のダム端末をモバイル化したようなもんだな。

シンクパッド10とかも、そういう使い方を想定したタブレットパソコンのような気がする。

まあ、あれは、完全なウインドウズパソコンだけど。

アンドロイドを、そういうビジネスシーンで使える代物にするかどうかは考え物だ。

あくまでも、パーソナルユースでの使い勝手の向上という範囲に留めておいた方がいいかも。

「何年かに一度、高額なPCを買い換え続けてきた人にはこれはうれしいニュースではないだろうか?」

何年かに1度、高額なスマホを買い替える方が大変な気がするんだがな。

でも、現代は、それが当たり前なんだろう。

浮沈子は、2.3.4のアンドロイド(Gingerbread)を、今でも使っている。

画像は記事からのパクリだが、こういう状況の2人なら、他にやることがあるような気もするんだがな(子供は、分かんなくていいです!)。

こんなのもありました。

(MacBook? いえ、これは“Androidブック”です―右クリックやドラッグ&ドロップにも対応した「Hybrx」:追加)
http://internetcom.jp/201187/hybrx-is-ultra-slim-laptop-powered-by-remix-os-20-compatible-with-android-os

さらば現実192016年05月12日 21:27

さらば現実19


ようこそ、VRの世界へ!。

IT界の巨人、グーグルがいよいよ動くのか?。

(GoogleのVR HMDはやはりスタンドアロン型でGoogle I/Oで発表か?)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1605/12/news114.html

「Android VRが来週発表されるのは確かだ。情報筋によると、HTC ViveやOculus Riftより性能が劣るようだ」

「モバイル端末をセットするものでもない」

「(PCに接続するものでもないのかという質問に対し)その通り。Android VRはスタンドアロンなヘッドセットになる」

「Gear VRよりは良くて、ViveやRiftには劣るらしい」

ITメディアでは、この噂を信じるか信じないかの投票を行っていて、現在は、63パーセントが信じるといっている。

このブログでも、AMDが密かに(?)スタンドアローンのHMDを開発しているらしいということは取り上げている。

(さらば現実14)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2016/03/15/8050149

「2016年春出荷」

既に、季節は夏だ。

まあ、どうでもいいんですが。

AMDの発想は、PC丸ごと頭の後ろに乗っけるというものだが(ウインドウズ10が動くそうです)、もちっと、スマートな発想にはならんのかと思っていたが、アンドロイドVRが、ぶっちぎってくれるかもしれない。

浮沈子は、もちろん、この噂を信じる。

グーグルなんだから、そのくらいやって当然だろうと思う。

アッと言わせる凄いのを・・・。

レティナディスプレイが、文字通り目の中に入るとかな(「Retina」とは英語で「網膜」を意味する)。

レンズがディスプレイになって、そこに映像を映し出す。

透過率を変えれば、素通しにしたり、ハーフアンドハーフでダブらせたり、自由自在だ。

カメラ機能もあったりして、録画中は、瞳が赤く点灯するのだ・・・。

空想科学小説張りだが、あながち夢ではない。

(グーグルが「眼に注射する」極小デバイスを開発中 特許資料で判明)
http://forbesjapan.com/articles/detail/12077

「デバイスは眼球内に注射で打ち込まれ、目の水晶体や周辺の膜組織と一体化する。注射は“眼球から水晶体を取り除いた作業の後”に行われる」

「デバイス内にはいくつかの小さなコンポーネントが収められ、データストレージ、センサー、通信チップ、バッテリー、電子レンズ等を内蔵」

「眼球内のデバイスには特殊なアンテナを経由し、ワイヤレスで電源が供給される。特許には外部デバイスについての記述もあり、眼球内の機器と無線で連携し、外部デバイスのプロセッサーがコンピューティング処理を実行する。」

「眼球内のデバイスの電子レンズは、外部からの光の焦点を絞り、網膜上に投影する際のアシスト機能を果たす」

いきなりこれが出てくるとは思わないが、劇画のゴクウのような話が現実になるわけだ。

(ゴクウ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%AF%E3%82%A6

「2014年の東京を舞台に、ふとしたことがきっかけで左目に「神の目」と言われる全てのコンピューターにアクセス可能な端末を埋め込まれた探偵・風林寺悟空の活躍を描いた、SFハードボイルドアクションである。」

水晶体を人工のものに交換するというのは、普通に行われている白内障の手術である。

(水晶体)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%99%B6%E4%BD%93

「水晶体は加齢とともに硬くなるため、焦点を調整することが困難となる。」

どれどれ(近くにピントを合わせようと、顔をしかめ、目を細くする浮沈子・・・)。

ああ、だいぶ硬いなあ。

(白内障:手術療法)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%86%85%E9%9A%9C#.E6.89.8B.E8.A1.93.E7.99.82.E6.B3.95

「生活に支障がある場合は、混濁した水晶体を除去して眼内に眼内レンズを挿入する外科手術を行っている。」

ここから先は、記事を読んでいただきたい。

浮沈子には、とても読むに堪えない(なんか、痛そうでやだな)。

さて、グーグルの次の一手はどうなるんだろうか。

仮にうわさが本当だとすると、VRの世界はHMDを中心としたデバイスの技術で、独自の展開をするようになるかも知れない。

最適化の先にあるのは、ウェアラブルなコンピューティングの世界だ。

人間の感覚とデバイスの一体化。

「右手をご覧ください、一番高いのが中指でございます」

むかし、山田邦子のバスガイドのネタがあったが(古っ!)、リアルな世界に、バーチャルな世界がそのまま入り込んでくるのかもしれない。

バーチャルな世界で、リアルな世界の行為が反映される。

そこに見えているのは、バーチャルな世界なのか、それとも、リアルな世界なのか。

浮沈子が、VRに注目している最大の理由であり、このシリーズのタイトルにもしている「さらば現実」というのは、最早、その区別が付け難くなり、夢の世界に生きる人々が出てくるのではないかという問題意識だ。

(胡蝶の夢)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E8%9D%B6%E3%81%AE%E5%A4%A2

「夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話である。」

その夢と、現実の世界が融合したり、地続きになったりするかもしれない。

なかには、行きっぱなしになる人だっているんじゃないのかあ?。

(山月記)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%88%E8%A8%98

「唐代、詩人となる望みに破れて虎になってしまった男・李徴が、自分の数奇な運命を友人の袁傪に語るという変身譚」

まあ、タイガーマスクのようなもんだな(違います!)。

(タイガーマスク)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AF

「『タイガーマスク』は、梶原一騎原作、辻なおき作画のプロレス漫画およびアニメ作品。」

「知名度の点では、『巨人の星』や『あしたのジョー』と並んで、梶原一騎の代表作に数えられる。」

(【アニメ】タイガーマスク OP:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=OdJVSFh6008

「虎だ、お前は虎になるのだ」

いや、言いたかったのは、冒頭のセリフだけなんですが・・・。

人間が夢を見るのは、脳の自然な反応なのだが、起きているにも関わらず、脳に人工的な夢を見させる手立てを与えようというわけだ。

もちろん、小説を読んだり、単に空想したりすることによって、あっちの世界に行ってしまうことだってあるだろうし、テレビや映画、ゲームなど、最近の娯楽にハマってしまう方もいるが、どっちかといえば、リアリティに乏しいので、まあ、区別は付けやすかった。

(アバター症候群って何ですか?)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1435651689

「映画アバターを見た人に現れる症状の事」

「映画の舞台となっている星とあの青い生物の世界観があまりにも綺麗なため、この映画を見た後、現実世界があまりにも汚く見えてしまい「うつ状態」に陥ってしまう」

リアリティが高くなればなるほど、その世界に引き込まれる人々は増えるんだろうな。

人間は、現実社会との関係を絶って生活することは出来ない。

VRが、人間の生活にどういう影響を与えるのか、また、それをコントロールするには、どうしたらいいのかを、真剣に考えなければならないだろう。

低年齢の子供の使用については、制限が掛けられているようだが、たぶん、そういうことでは解決できないのではないか。

朝、目が醒めて、天井を見る時、その天井に手を伸ばして自分の指を見る時、それが現実の目覚めなのか、それとも水晶体の代わりに埋め込まれたデバイスが網膜に投影している世界なのか、リセットする呪文「OK,Google!」を唱えて確認しなければならなくなるかもしれないな。

ああ、もしも、システムがハッキングされて、リセットが効かなくなってしまったら大ごとだけどな。

もう、こっちの世界には、戻って来られなくなってしまうかもしれない。

蝶になったきり、虎になったきり・・・。

きっと、その頃には、ダイエット出来た仮想世界の自分とかも、アプリになっているに違いない。

まあ、そんなら、戻って来られなくてもいいかな・・・。

さらば現実52016年02月08日 16:45

さらば現実5


このブログでは、今年(2016年)を、VR元年として捉え、各社のVRデバイスや、周辺の情報を中心に書いてきた。

(さらば現実!?)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2016/01/16/7993713

まあ、オキュラス体験というところか。

(さらば現実2)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2016/02/01/8006420

StarVRの記事も載せた。

(さらば現実3)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2016/02/01/8006713

本命と考えられる、ソニーのPlayStation VR見参。

(さらば現実4)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2016/02/02/8007026

穴馬的存在のHTC Viveも取り上げた。

今回は、既にVRの起爆剤として、ボール紙製のゴーグルを提供してきたグーグルが、新たなデバイスを出すというので取り上げる。

(グーグル、新たなVRヘッドセットを2016年中に発売か)
http://japan.cnet.com/news/service/35077515/

「スマートフォンと組み合わせて使う新しいヘッドセットは、Googleが2014年に発売したVRビューア「Google Cardboard」の後継で、改良したセンサとレンズを固いプラスチックの筺体に収めたもの」

「この動きは、IT企業各社がVRに示してきた関心の高まりをいっそう強調するものだ。」

「プラットフォームとしてのVRは今なお最初期の段階であり、Cardboardは第一歩にすぎないが、われわれはこれまでに見てきた進歩に興奮している」

うーん、慎重な姿勢だなあ。

(Googleが新型仮想現実ヘッドセットを開発中か)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/020800390/?rt=nocnt

「Cardboardと異なり、本体はプラスチック製で、より高品質のレンズやセンサーを用いる。」

「スマートフォンを利用する従来のヘッドセットは、ディスプレーに表示される画像がユーザーの頭の動きよりも遅れる「レイテンシー」が生じるため、いわゆる「VR酔い」が起きる。GoogleはモバイルVRにあるこうした問題を解消したいと考えており、ハードウエアとソフトウエアを改善する。」

かなり具体的に検討してるじゃないの!。

「GoogleのVRへの取り組みについては先ごろ、同社がこの技術分野に特化した部門を新設したと伝えられた。報道によると、新部門の責任者には、これまで「Gmail」「Drive」「Docs」などのGoogle AppsとVR事業を率いていたClay Bavor氏が任命された。」

選択と集中ってやつね!。

いよいよ、大所が揃ってきたが、マイクロソフトには、大きな動きはない。

スマホの画面を使うという方式は、サムスンのGear VRというのもある。

Galaxy S6とかの販促グッズの域を出ないが、誰もが手軽に体験できるという点では、優れた方法だ。

しかし、専用ヘッドギアには遠く及ばない。

そこを、どうするのか。

グーグルが、いよいよ勝負に出てくる予感がする。

従来のビジネスモデルを根底から覆しかねない、パーソナルなアイテムだけに、慎重さも求められる。

グラスでケチをつけたグーグルが、どういうアプローチを採るのかも見ものだ。

OSから弄れるグーグルやアップル(そしてマイクロソフト?)と、徐々に外堀は埋まりつつある。

マンマシンインターフェースの革命は、OS抜きには語れない。

そして、チップレベルから弄りだせば、確実に世界が変わる。

VR対応チップのないグラボは、一気に消える。

パソコンの前には、モニターの代わりにヘッドギアが置かれるようになるのだ。

今からでも遅くないから、タッチタイピングの特訓でもしようかなあ?(そういうことじゃ、ないんじゃね?)。