読書の春 ― 2015年04月10日 07:04
読書の春
スーパーカー誕生(重版)を買ってきた。
(スーパーカー誕生(重版))
https://daikanyama-ec.tsite.jp/tsutaya/248/7439/
沢村慎太郎の著書であり、820ページ(本文740ページ、索引・年表・参考文献53ページ、あとがき他27ページ)に渡る大著である。
うーん、何ともいえない重さだな(重さかよ!)。
スーパーカー世代とは、ちょっと距離がある浮沈子は、余りのめり込んではいなかったが、逆に、カッコと性能に憧れていた世代の方が今読むと面白いのかもしれない。
ああ、そういうことだったのか、と。
忽然と現われた「スーパーカー」という代物が、まるで、手品の種明かしのように、実は当時の社会や自動車産業の思惑の中で、半ば必然的に生まれ、消えていったということが判る。
「半ば」と断るのは、そこに技術者や作り手の情熱が溢れているからである。
単に、一発当てて金儲けしたいとか、マーケティングや企業イメージ作りのためのツールとしてではなく、この技術を生かしたクルマを作りたいとか、自分の名前を冠したクルマを世に出したいとかいう、まあ、自己実現的、個人的欲求の発露としての存在でもあったわけだ。
スーパーカーの故郷ともいえるモデナが、なぜそれらを生み出すことが出来たかという背景も記されている。
この辺りは、もう少し掘り下げて欲しかったな。
まだ、途中までしか読んでいないが、スーパーカーを切り口にして、当時の自動車業界の一端を知ることも出来る。
スーパーカーが、レーシングカーにウインカー付けただけのクルマではないことも判る。
高性能車としてだけではなく、それを買うことが出来る顧客が乗る高級車としての「性能」も満たさなければならない。
ただ、尖ったクルマ(性能もカッコも)を作ればいいというものではなかったわけだ。
オイルショックや環境問題、ヨーロッパと北米を股に掛けたコラボレーション、作り手や技術者の栄光と挫折(まあ、挫折の方が多いんですが)。
著者自身がいうように、歴史の縦糸と横糸を織り交ぜて描く壮大な物語である。
大著ではあるが、おそらくもっと書きたかったに違いない・・・。
浮沈子は、前半では、シトロエンSMに興味を持った。
(シトロエン・SM)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BBSM
「SMはDSのボディ構造をベースとして2ドアボディを架装し、当時シトロエンと提携関係にあったマセラティ製のV型6気筒DOHCエンジンを搭載した前輪駆動の高性能クーペである。」
「この車は量産高性能クーペという側面よりも、当時は不可能とされていた「前輪駆動で200km/hを超える」車を目指した実験車としての要素が強い。」
「油圧系のホースが取り巻く独特なエンジン周りの整備には、経験豊富な熟練メカニックの卓越した手腕と知恵、そしてオーナーの情熱が不可欠である。」
オーナーの情熱=出費ということだな(浮沈子は、良く分かります!)。
マセラティ・メラクとの関係もあるが、スーパーカーを作り上げるという意味で、当時のシトロエンの若き技術者たちの情熱が感じられるクルマだ(ちょうど、世代交代の時期に当っていたという)。
(マセラティ・メラク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BB%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%82%AF
「マセラティ・ボーラの弟分的存在として、ボーラをベースに当時のマセラティの親会社、シトロエンと共同開発された。」
「メーターパネルはシトロエン・SMから流用され、エンジンはマセラティからシトロエン・SMに供給されていた」
(マセラティ・ボーラ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BB%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%A9
「マセラティは1968年、当時親会社であったシトロエンからの提案を受け、ランボルギーニ・ミウラに端を発したスーパーカーの条件とも言える『ミッドシップ・2シーター・スーパーカー』というコンセプトを踏襲し、プロトタイプティーポ117(Tipo117 、後のボーラ)を制作。」
「1971年のジュネーヴ・モーターショーでボーラとして発表、マセラティ初のミッドシップ2シーターとなる。」
まあ、関連するクルマを引用していくと、沢村氏の本に登場するクルマを全部書かなければならなくなるかもしれない。
それ程に、当時、スーパーカーを世に出すために尽力した人と技術の繋がりは深い。
レーシングカーをロードカーにするということとは、全く異なるアプローチだったということを知っただけでも、浮沈子には価値がある。
また、エンジンをリアミッドに積むという構成が、どれ程市販のロードカーにとって困難を極めることであるかを知った。
今(というより、史上)、最も売れているMR車といえばポルシェのボクスター/ケイマンだろうが、少し見方が変わったな。
また、ホンダのS660(えすろくろくまる)の存在意義というのも改めて考えてみる必要がありそうだ。
読書の春。
読了後、また書く。
スーパーカー誕生(重版)を買ってきた。
(スーパーカー誕生(重版))
https://daikanyama-ec.tsite.jp/tsutaya/248/7439/
沢村慎太郎の著書であり、820ページ(本文740ページ、索引・年表・参考文献53ページ、あとがき他27ページ)に渡る大著である。
うーん、何ともいえない重さだな(重さかよ!)。
スーパーカー世代とは、ちょっと距離がある浮沈子は、余りのめり込んではいなかったが、逆に、カッコと性能に憧れていた世代の方が今読むと面白いのかもしれない。
ああ、そういうことだったのか、と。
忽然と現われた「スーパーカー」という代物が、まるで、手品の種明かしのように、実は当時の社会や自動車産業の思惑の中で、半ば必然的に生まれ、消えていったということが判る。
「半ば」と断るのは、そこに技術者や作り手の情熱が溢れているからである。
単に、一発当てて金儲けしたいとか、マーケティングや企業イメージ作りのためのツールとしてではなく、この技術を生かしたクルマを作りたいとか、自分の名前を冠したクルマを世に出したいとかいう、まあ、自己実現的、個人的欲求の発露としての存在でもあったわけだ。
スーパーカーの故郷ともいえるモデナが、なぜそれらを生み出すことが出来たかという背景も記されている。
この辺りは、もう少し掘り下げて欲しかったな。
まだ、途中までしか読んでいないが、スーパーカーを切り口にして、当時の自動車業界の一端を知ることも出来る。
スーパーカーが、レーシングカーにウインカー付けただけのクルマではないことも判る。
高性能車としてだけではなく、それを買うことが出来る顧客が乗る高級車としての「性能」も満たさなければならない。
ただ、尖ったクルマ(性能もカッコも)を作ればいいというものではなかったわけだ。
オイルショックや環境問題、ヨーロッパと北米を股に掛けたコラボレーション、作り手や技術者の栄光と挫折(まあ、挫折の方が多いんですが)。
著者自身がいうように、歴史の縦糸と横糸を織り交ぜて描く壮大な物語である。
大著ではあるが、おそらくもっと書きたかったに違いない・・・。
浮沈子は、前半では、シトロエンSMに興味を持った。
(シトロエン・SM)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BBSM
「SMはDSのボディ構造をベースとして2ドアボディを架装し、当時シトロエンと提携関係にあったマセラティ製のV型6気筒DOHCエンジンを搭載した前輪駆動の高性能クーペである。」
「この車は量産高性能クーペという側面よりも、当時は不可能とされていた「前輪駆動で200km/hを超える」車を目指した実験車としての要素が強い。」
「油圧系のホースが取り巻く独特なエンジン周りの整備には、経験豊富な熟練メカニックの卓越した手腕と知恵、そしてオーナーの情熱が不可欠である。」
オーナーの情熱=出費ということだな(浮沈子は、良く分かります!)。
マセラティ・メラクとの関係もあるが、スーパーカーを作り上げるという意味で、当時のシトロエンの若き技術者たちの情熱が感じられるクルマだ(ちょうど、世代交代の時期に当っていたという)。
(マセラティ・メラク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BB%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%82%AF
「マセラティ・ボーラの弟分的存在として、ボーラをベースに当時のマセラティの親会社、シトロエンと共同開発された。」
「メーターパネルはシトロエン・SMから流用され、エンジンはマセラティからシトロエン・SMに供給されていた」
(マセラティ・ボーラ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BB%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%A9
「マセラティは1968年、当時親会社であったシトロエンからの提案を受け、ランボルギーニ・ミウラに端を発したスーパーカーの条件とも言える『ミッドシップ・2シーター・スーパーカー』というコンセプトを踏襲し、プロトタイプティーポ117(Tipo117 、後のボーラ)を制作。」
「1971年のジュネーヴ・モーターショーでボーラとして発表、マセラティ初のミッドシップ2シーターとなる。」
まあ、関連するクルマを引用していくと、沢村氏の本に登場するクルマを全部書かなければならなくなるかもしれない。
それ程に、当時、スーパーカーを世に出すために尽力した人と技術の繋がりは深い。
レーシングカーをロードカーにするということとは、全く異なるアプローチだったということを知っただけでも、浮沈子には価値がある。
また、エンジンをリアミッドに積むという構成が、どれ程市販のロードカーにとって困難を極めることであるかを知った。
今(というより、史上)、最も売れているMR車といえばポルシェのボクスター/ケイマンだろうが、少し見方が変わったな。
また、ホンダのS660(えすろくろくまる)の存在意義というのも改めて考えてみる必要がありそうだ。
読書の春。
読了後、また書く。
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