😼梅開花:んでも冬の寒さかな ― 2025年02月01日 23:41
梅開花:んでも冬の寒さかな
(東京で梅が開花 平年より1週間遅く スギ花粉対策も)
https://tenki.jp/forecaster/deskpart/2025/01/29/32304.html
「今日29日は、東京で梅が開花しました。平年より1週間遅い開花です。」
いつの間にか、咲いてたんだな。
浮沈子の生息する東京都大田区界隈でも、咲き始めているに違いない(未確認)。
“梅咲くと 聞けども朝の 寒さかな”(浮沈子)
明日は節分、明後日は立春だが、朝晩の寒さは格別だ。
“春立つと いえども朝の 寒さかな”(浮沈子)
やれやれ・・・。
氷点下になることはないものの、毎朝2度とか3度とかいう感じだ。
仏の顔も3度。
忍耐強い仏さまも、寒くなって気温が3度になると我慢できなくなるわけだ(そういうことかあ?:良い子は信じないでね!)。
まあいい。
今の時期は、1年で最も気温が低い。
「東京が1年で最も寒い時期はいつですか」
<以下は、グーグルのAI要約>
「東京で1年で最も寒い時期は、1月です。1月の平均気温は5.2℃と低く、日中でも10℃前後となっています。
また、二十四節気の1つである「大寒(だいかん)」の時期も、1年で最も寒い時期と言われています。」
最近、グーグル検索すると、AIが回答を書いてくれるようになった。
そのうち、ブログも書いてくれるようになるんだろう。
やれやれ・・・。
(大寒)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AF%92
「1月20日頃。大寒の期間は次の節気の立春前日までの約2週間。」
明日までは、大寒なわけだ。
おおさぶ!。
“「大寒」を 「おおさぶ!」と読む 寒さかな”(浮沈子)
(2日の関東の雪 東京23区で3センチの降雪予想 朝がピークで積雪の恐れ)
https://tenki.jp/forecaster/m_kimura/2025/02/01/32356.html
「明日2日の関東の雪は、朝がピークとなりそうです。最新で東京23区は3センチの降雪予想(明日18時まで、多い所)で、状況次第では積雪となる可能性があります。」
勘弁してくれえ!。
“雪予報 うなずける夜の 寒さかな”(浮沈子)
が、気温はまだ8.9度とある(うなずけるほど寒くはない)。
これからぐんぐん落ちていくんだろう。
冬は寒くて当たり前。
(「冬来りなば春遠からじ」)
https://www.dwc.doshisha.ac.jp/research/faculty_column/2016-03-28-12-39
「寒い冬になると、一刻も早い春の訪れが待ち遠しいものですね。そういう時につい口に出るのが「冬来りなば春遠からじ」という言葉ではないでしょうか。」
「ひょっとすると中国の漢詩(冬来春不遠)が原典だと思っている人もいるかもしれません。」
浮沈子も、てっきり漢詩とかが由来と思っていた。
「西風に寄せる歌」(イギリスの詩人シェリーの詩)
(ODE TO THE WEST WIND)
https://dac.gijodai.ac.jp/studiom/deapa/poem_shelley01.htm
「The trumpet of a prophecy ! O, Wind,
If Winter comes, can Spring be far behind ?」(末尾)
「予言のラッパを吹き鳴らしてくれ!おお西風よ、
冬が来たなら、春の遠いことがあり得ようか。」(対訳:日本語訳の蘊蓄については、同志社大のページを参照)
書いていて、このネタは、以前にもブログに上げたような気がしてきた。
記憶違いかもしれない。
まあ、どうでもいいんですが。
夜明け前が一番暗いとも言われる。
<以下は、グーグルのAI要約>
「「夜明け前が一番暗い」は、苦しい時期は終わりかけが最も苦しいが、乗り越えれば事態が好転するという意味の慣用句です。
「夜明け前が一番暗い」の由来は、シェイクスピアの戯曲『マクベス』に登場するマルカム王子がマクダフに向かって決起を呼びかける際の台詞と言われています。」
おっと、これも英国由来か・・・。
(It's always darkest before the dawn.)
https://www.toshin.com/proverb/story-p.php?id=3
「この言葉を意訳すると「朝の来ない夜はない」となり、「苦しい状況はずっと続くわけではなく、耐えれば必ず良いことがある」という意味になります。」
「「マクベス」は実在のスコットランド王マクベスがモデルであり、『ハムレット』、『オセロー』、『リア王』と並ぶシェイクスピアの四大悲劇の1つとされる名作」
「マルカム王子がマクダフに向かって「あとは暴君マクベスを倒すのみだ」と決起を呼びかける際の台詞で、絶望を感じるほどの長い・暗い夜でもその時間がずっと続くことはなく、必ず希望の朝日が差してくる、という鼓舞の意が込められていたのでしょう。」
「困難な状況で諦めずに努力し続けるのは決して簡単なことではありません。しかし、努力が報われると信じて行動し続けなければ、目標を達成することはできません。苦しい状況にあるときは、この言葉を思い出してみてください。」
いや、若い頃ならそうでなくっちゃいけないかも知れないけど、ジジイになってそんなことしてたら、腰痛になったり転んでケガしちまうのがオチだ。
テキトーに手抜きして、その日その日を平穏に過ごすのがよろしい。
寒い夜は、暖かい飲み物でも飲んで、暖房をガンガン利かせ、さっさと寝ちまうに限る。
一番寒い時期を乗り越えれば、暖かい春がやってくることは間違いない。
一年の季節の巡り(=地球の公転運動)に間違いはない(今年だけ春が来ないなどということはない:断定的!)。
そういえば、「夜明け前」という小説もあったっけ・・・。
(夜明け前)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E6%98%8E%E3%81%91%E5%89%8D
「島崎藤村による長編小説、2部構成。「木曾路はすべて山の中である」の書き出しで始まる。」
「幕末・明治維新の激動期を、中山道の宿場町だった信州木曾谷の馬籠宿(現在の岐阜県中津川市馬籠)を舞台に、主人公・青山半蔵をめぐる人間群像を描き出した藤村晩年の大作」
「半蔵のモデルは、旧家に生まれて国学を学び、役人となるが発狂して座敷牢内で没した藤村の父親・島崎正樹である」
まあ、壮絶な小説だ。
藤村自身も波瀾万丈の生涯を送る。
浮沈子は若い頃(もう、半世紀も前だ)、藤村の詩を口ずさんだ時期があった。
(千曲川旅情の歌)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%9B%B2%E5%B7%9D%E6%97%85%E6%83%85%E3%81%AE%E6%AD%8C
「小諸なる古城のほとり」
-落梅集より-
島崎藤村
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ)
日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど
野に満つる香(かをり)も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮行けば浅間も見えず
歌哀(かな)し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁(にご)り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
「千曲川旅情の歌」
-落梅集より-
島崎藤村
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪
明日をのみ思ひわづらふ
いくたびか栄枯の夢の
消え残る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き帰る
嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過し世を静かに思へ
百年もきのふのごとし(百年もきのふのごとし)
千曲川柳霞みて
春浅く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁を繋ぐ(この岸に愁を繋ぐ)
懐かしいな・・・。
「昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪
明日をのみ思ひわづらふ」(再掲)
10代の未熟な時期に、この感慨は理解できなかった(今でも怪しい?:あくせくしてるしな)。
年譜を見ると、藤村が30代の頃の作品のようだ。
夜も更けてきたからな。
明日の天気を思い煩いながら、そろそろ寝るとしようか・・・。
(東京で梅が開花 平年より1週間遅く スギ花粉対策も)
https://tenki.jp/forecaster/deskpart/2025/01/29/32304.html
「今日29日は、東京で梅が開花しました。平年より1週間遅い開花です。」
いつの間にか、咲いてたんだな。
浮沈子の生息する東京都大田区界隈でも、咲き始めているに違いない(未確認)。
“梅咲くと 聞けども朝の 寒さかな”(浮沈子)
明日は節分、明後日は立春だが、朝晩の寒さは格別だ。
“春立つと いえども朝の 寒さかな”(浮沈子)
やれやれ・・・。
氷点下になることはないものの、毎朝2度とか3度とかいう感じだ。
仏の顔も3度。
忍耐強い仏さまも、寒くなって気温が3度になると我慢できなくなるわけだ(そういうことかあ?:良い子は信じないでね!)。
まあいい。
今の時期は、1年で最も気温が低い。
「東京が1年で最も寒い時期はいつですか」
<以下は、グーグルのAI要約>
「東京で1年で最も寒い時期は、1月です。1月の平均気温は5.2℃と低く、日中でも10℃前後となっています。
また、二十四節気の1つである「大寒(だいかん)」の時期も、1年で最も寒い時期と言われています。」
最近、グーグル検索すると、AIが回答を書いてくれるようになった。
そのうち、ブログも書いてくれるようになるんだろう。
やれやれ・・・。
(大寒)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AF%92
「1月20日頃。大寒の期間は次の節気の立春前日までの約2週間。」
明日までは、大寒なわけだ。
おおさぶ!。
“「大寒」を 「おおさぶ!」と読む 寒さかな”(浮沈子)
(2日の関東の雪 東京23区で3センチの降雪予想 朝がピークで積雪の恐れ)
https://tenki.jp/forecaster/m_kimura/2025/02/01/32356.html
「明日2日の関東の雪は、朝がピークとなりそうです。最新で東京23区は3センチの降雪予想(明日18時まで、多い所)で、状況次第では積雪となる可能性があります。」
勘弁してくれえ!。
“雪予報 うなずける夜の 寒さかな”(浮沈子)
が、気温はまだ8.9度とある(うなずけるほど寒くはない)。
これからぐんぐん落ちていくんだろう。
冬は寒くて当たり前。
(「冬来りなば春遠からじ」)
https://www.dwc.doshisha.ac.jp/research/faculty_column/2016-03-28-12-39
「寒い冬になると、一刻も早い春の訪れが待ち遠しいものですね。そういう時につい口に出るのが「冬来りなば春遠からじ」という言葉ではないでしょうか。」
「ひょっとすると中国の漢詩(冬来春不遠)が原典だと思っている人もいるかもしれません。」
浮沈子も、てっきり漢詩とかが由来と思っていた。
「西風に寄せる歌」(イギリスの詩人シェリーの詩)
(ODE TO THE WEST WIND)
https://dac.gijodai.ac.jp/studiom/deapa/poem_shelley01.htm
「The trumpet of a prophecy ! O, Wind,
If Winter comes, can Spring be far behind ?」(末尾)
「予言のラッパを吹き鳴らしてくれ!おお西風よ、
冬が来たなら、春の遠いことがあり得ようか。」(対訳:日本語訳の蘊蓄については、同志社大のページを参照)
書いていて、このネタは、以前にもブログに上げたような気がしてきた。
記憶違いかもしれない。
まあ、どうでもいいんですが。
夜明け前が一番暗いとも言われる。
<以下は、グーグルのAI要約>
「「夜明け前が一番暗い」は、苦しい時期は終わりかけが最も苦しいが、乗り越えれば事態が好転するという意味の慣用句です。
「夜明け前が一番暗い」の由来は、シェイクスピアの戯曲『マクベス』に登場するマルカム王子がマクダフに向かって決起を呼びかける際の台詞と言われています。」
おっと、これも英国由来か・・・。
(It's always darkest before the dawn.)
https://www.toshin.com/proverb/story-p.php?id=3
「この言葉を意訳すると「朝の来ない夜はない」となり、「苦しい状況はずっと続くわけではなく、耐えれば必ず良いことがある」という意味になります。」
「「マクベス」は実在のスコットランド王マクベスがモデルであり、『ハムレット』、『オセロー』、『リア王』と並ぶシェイクスピアの四大悲劇の1つとされる名作」
「マルカム王子がマクダフに向かって「あとは暴君マクベスを倒すのみだ」と決起を呼びかける際の台詞で、絶望を感じるほどの長い・暗い夜でもその時間がずっと続くことはなく、必ず希望の朝日が差してくる、という鼓舞の意が込められていたのでしょう。」
「困難な状況で諦めずに努力し続けるのは決して簡単なことではありません。しかし、努力が報われると信じて行動し続けなければ、目標を達成することはできません。苦しい状況にあるときは、この言葉を思い出してみてください。」
いや、若い頃ならそうでなくっちゃいけないかも知れないけど、ジジイになってそんなことしてたら、腰痛になったり転んでケガしちまうのがオチだ。
テキトーに手抜きして、その日その日を平穏に過ごすのがよろしい。
寒い夜は、暖かい飲み物でも飲んで、暖房をガンガン利かせ、さっさと寝ちまうに限る。
一番寒い時期を乗り越えれば、暖かい春がやってくることは間違いない。
一年の季節の巡り(=地球の公転運動)に間違いはない(今年だけ春が来ないなどということはない:断定的!)。
そういえば、「夜明け前」という小説もあったっけ・・・。
(夜明け前)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E6%98%8E%E3%81%91%E5%89%8D
「島崎藤村による長編小説、2部構成。「木曾路はすべて山の中である」の書き出しで始まる。」
「幕末・明治維新の激動期を、中山道の宿場町だった信州木曾谷の馬籠宿(現在の岐阜県中津川市馬籠)を舞台に、主人公・青山半蔵をめぐる人間群像を描き出した藤村晩年の大作」
「半蔵のモデルは、旧家に生まれて国学を学び、役人となるが発狂して座敷牢内で没した藤村の父親・島崎正樹である」
まあ、壮絶な小説だ。
藤村自身も波瀾万丈の生涯を送る。
浮沈子は若い頃(もう、半世紀も前だ)、藤村の詩を口ずさんだ時期があった。
(千曲川旅情の歌)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%9B%B2%E5%B7%9D%E6%97%85%E6%83%85%E3%81%AE%E6%AD%8C
「小諸なる古城のほとり」
-落梅集より-
島崎藤村
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ)
日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど
野に満つる香(かをり)も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮行けば浅間も見えず
歌哀(かな)し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁(にご)り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
「千曲川旅情の歌」
-落梅集より-
島崎藤村
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪
明日をのみ思ひわづらふ
いくたびか栄枯の夢の
消え残る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き帰る
嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過し世を静かに思へ
百年もきのふのごとし(百年もきのふのごとし)
千曲川柳霞みて
春浅く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁を繋ぐ(この岸に愁を繋ぐ)
懐かしいな・・・。
「昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪
明日をのみ思ひわづらふ」(再掲)
10代の未熟な時期に、この感慨は理解できなかった(今でも怪しい?:あくせくしてるしな)。
年譜を見ると、藤村が30代の頃の作品のようだ。
夜も更けてきたからな。
明日の天気を思い煩いながら、そろそろ寝るとしようか・・・。
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