潜り初めなど2013年01月02日 20:52

潜り初めなど
潜り初めなど


昨日、今日と新年のダイビングを楽しむ。

体調はまあまあだが、昨日は酸素センサーの1つが水中でオシャカになり、今日は、左耳の耳抜きに苦労した。

まあ、無事に5本のファンダイブをこなしただけでもよしとしよう。

5月の連休にまた来ることが決まっている。

さて、そうすると、次回はサイドマウントなんてことになるかもしれない。

まだ、計画の段階ですが。

CCRでも、OCでも、ダイビングは楽しいレジャーだ。

日常から完全に切り離された世界、集中しなければならないので、余計なことを考えることなく別世界に遊べる。

ケイタイもテレビもインターネットも繋がらない世界(今のところは)。考え様によっては、ISSの宇宙飛行士よりも世間から隔絶されている。

半世紀以上、楽しまれているレジャーだが、登山などと比べて敷居が高いのも事実だ。山で遭難してニュースになることはあっても、ダイビングの事故が巷間に知られることは殆どない(浮沈子が、テレビを見ないだけかも)。

「あたしには、向かないレジャーだわ!。」

そういうナマの声を聞いたこともある。

まあ、物事は何でもそうだが、やっているうちに楽しくなることもあるだろう。敷居の高い遊びではある。

5年間、ダイビングを続けてきたが、初めて水中に入った時の驚きは鮮明に覚えている。

「水族館と、同じじゃん!。」

神奈川県の八景島にある水族館は、下から魚を見上げるような水槽があり、頭の上を泳いでいるのが見られる。

ったく、ダイビング業界も、難しくなってきたものだ。水族館の見学と比較される時代になったということか。

バーチャルな体験(水族館も、そういうことになるが)と、リアルな体験との本質的な違いは、そこに潜むリスクの有無である。水中に行くことと、アクリルのガラス越しに眺めることは、体験としては別のものだ。

圧倒的な臨場感(当然ですが)、リアリティ(これも、当たり前)、死と隣り合わせの緊張感(ワオッ!)。たまに、本当に命を落とすリアリティ!(・・・)。

水中土木工事、研究者、水産業従事者等でなければ、そこへわざわざ行く必要はない。インストラクターやガイドはともかく、用もないのに水中に入るのは、自殺行為だ。

それでも、ダイバーは次々と生まれ、ダイビングは楽しまれている。指導団体も普及し、徒弟制度のような技術の伝承も、少しは近代的になってきた。全体としてみれば、(文字通り)浮き沈みはあるが、このレジャーは発展し続けている。

軍用の特殊装備であったリブリーザーも、レジャー用の器材として定着した。圧倒的なその能力を、遊びに使うことができるようになった。有難い事である。民生用として一般に使われるようになったことで、軍人の体力と根性(?)でカバーしていた使い勝手も向上している。

重いとか、面倒だとかいっているとバチが当るぞ!。

ハイハイ、分かってます(実は、全然わかってない・・・)。

実際重いし、面倒だから。

今回のダイビングは、海ダイブのブランクを埋めるだけになったが、器材の扱いに対するストレスがない、普通のダイビングであった。こんなに楽なダイビングも初めてである。

ちょっと物足りなかった。

そのくらいが、ちょうど良い。

今年の目標も決まった!(サイドマウントに、大改造!)。

今のままの構成で、ダイビングの質やレベルアップを図った方がいいのではないか。

両方出来れば、なお良い。

かくして、セブでのダイビングは、全て終了した。

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