D-デイ ― 2014年06月07日 00:30
D-デイ
今日は何の日?。
6月6日、しっかりと雨が降っている。
(D-デイ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/D-%E3%83%87%E3%82%A4
「D-デイ(D-Day)とは、戦略上重要な攻撃もしくは作戦開始日時を表す際にしばしば用いられたアメリカの軍事用語。語頭のDの由来については諸説あるが、一例として漠然とした日付を表すDayの頭文字という解釈がある。」
「歴史上最も有名なD-デイは1944年6月6日であり、これは第二次世界大戦中にナチス・ドイツ占領下のヨーロッパに連合国軍が侵攻を開始した「オペレーション・オーバーロード」の決行日である。詳しくはノルマンディー上陸作戦を参照のこと。」
しかしだな、本当のD-デイは、6月5日だったって知ってたあ?。
「ノルマンディー上陸作戦のD-デイは当初1944年6月5日に設定されたが、悪天候により連合軍最高司令官ドワイト・D・アイゼンハワー元帥は翌6月6日に作戦を延期した。」
まあ、どうでもいいんですが。
(ノルマンディー上陸作戦)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E4%B8%8A%E9%99%B8%E4%BD%9C%E6%88%A6
「最終的に300万人近い兵員がドーバー海峡を渡ってフランス・コタンタン半島のノルマンディーに上陸した。現在に至るまで最大規模の上陸作戦である。」
(史上最大の作戦)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E6%9C%80%E5%A4%A7%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%88%A6
「出演者:
ジョン・ウェイン、ロバート・ミッチャム、ヘンリー・フォンダ、エディ・アルバート、リチャード・バートン、クルト・ユルゲンス」
豪華絢爛、空前絶後の戦争映画だな。
「アメリカからジョン・ウェインやヘンリー・フォンダらが参加した他、英仏独からも豪華キャストを迎え、40億円以上の巨費を投じた、当時としては「史上最大の」映画。連合国側だけでなくドイツ側の視点でも描いているドキュメンタリー風の映画で、臨場感に溢れている事で評価が高い。」
ショーン・コネリーも出ている。
日本では、あまり流行らなかったようだな。
「日本ではDVDおよびBDはおろか、テレビで再放送する予定すらなく、唯一ビデオ版だけが発売されており、一部の通販サイトなどで、希少ながら入手は可能。」
「20世紀FOXから発売されているDVDの日本語版字幕では役職や肩書きで大きな表記ミスや、不親切な点が散見される」
あれ?、DVD出てんじゃね?。
まあいい。
(史上最大の作戦マーチ/ミッチ・ミラー楽団)
https://www.youtube.com/watch?v=-JiRvw7lUxw
(史上最大の作戦 [DVD])
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E6%9C%80%E5%A4%A7%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%88%A6-DVD-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%B3/dp/B000A0K5DC
(史上最大の作戦 (2枚組) [Blu-ray])
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E6%9C%80%E5%A4%A7%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%88%A6-2%E6%9E%9A%E7%B5%84-Blu-ray-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%B3/dp/B002PHBINO
ブルーレイも出てますな。
ちなみに、ノルマンディ上陸作戦は、オーバーロード作戦の一部であり、パリ開放(1944年8月25日)をもって終了する。
(パリの解放)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%81%AE%E8%A7%A3%E6%94%BE
「ド・ゴールは連合国軍ヨーロッパ戦域最高司令官ドワイト・D・アイゼンハワー大将にパリ攻略を急ぐよう何度も要請したが、アイゼンハワーの司令部はドイツ軍の抵抗が強固であると予想されること、占領した際のパリを給養する物資が膨大なものになると予想されること、ヴィシー政府の退陣を待ってフランス国民が臨時政府を受け入れる用意が出来るのが望ましいことなどを理由に、パリを一部部隊で包囲するにとどめる計画であった」
「ド・ゴールは8月20日にアルジェを発ってノルマンディーに到着し、アイゼンハワー大将に臨時政府指揮下にあるフランス第2機甲師団をパリに進軍させるよう要請した。アイゼンハワーは要請を受け入れたものの、時期については明言しなかった。」
「ガロワ少佐の連絡隊がオマール・ブラッドレー大将がいる第12軍集団司令部に到着し、次の内容を告げた。
・パリの大部分とすべての橋はFFIの支配下にある
・パリ防衛ドイツ軍の主力は退却した
・ドイツ軍が休戦に応じたのは退却のため
・コルティッツ大将は形式的に戦闘したら降伏することになっている
・休戦期限は8月23日正午までになっているが、両軍とも尊重する意思はなく、ドイツ軍は休戦期間終了後にパリを破壊するおそれがある。」
「しかしこの情報は事実とは異なっており、ド・ゴールの側近の工作による完全な嘘であった。ド・ゴールとの交渉でパリ進軍もやむなしと考えはじめたアイゼンハワー大将と第12軍集団のブラッドレー大将はこの情報を信じ、第12軍集団の指揮下にあるアメリカ軍第1軍第5軍団を向かわせる事にした。」
「イギリス軍のバーナード・モントゴメリー大将にも部隊派遣要請があったが、指揮権の問題でアイゼンハワーと確執があったモントゴメリーはこれを拒否した」
まあ、いろいろあったようだな。
とにかく、パリは開放され、ヨーロッパ戦線(西部戦線)は連合国の反撃が開始された。
(西部戦線 (第二次世界大戦))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%A8%E6%88%A6%E7%B7%9A_(%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6)
浮沈子が若かりし頃、「遠すぎた橋」という戦争映画があった。
(遠すぎた橋)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E3%81%99%E3%81%8E%E3%81%9F%E6%A9%8B
「1977年に公開されたイギリス・アメリカ合作の戦争映画。第二次世界大戦後期に行われた連合軍の空挺作戦であるマーケット・ガーデン作戦を題材にしている。」
「ライン川北岸のアーンヘムの町に降下したイギリス第1空挺師団は偶然同地付近で休養していたドイツ軍機甲師団の攻撃を受け、壊滅的な損害を受けて敗退した。他の地区に降下したアメリカ軍空挺部隊の作戦は成功し、オランダ領内に長さ96Kmの回廊を確保することができたものの、アーンヘムでの敗退により、ライン川を越えて橋頭堡を築きドイツのルール地方を占領して戦争を早期終結させるという夢は消え去った」
まあ、失敗に終わったわけだ。
この後、バルジの戦いなどを経て、1945年にドイツは降伏する。
ヨーロッパ戦線への米軍の参戦は、決定的な要素だったわけだ。
そして、その引き金を引いたのは、我が国の1941年12月の太平洋戦線への参戦であったというのは皮肉としか言いようがない(それまでは、米国は中立国)。
(第二次世界大戦)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6
イタリア戦線で米軍が活躍したとの記述もあるが、大規模な作戦では、やはりノルマンディーだろうな。
「一方、本格的な反攻のチャンスをうかがっていた連合軍は6月6日、アメリカ陸軍のドワイト・アイゼンハワー将軍指揮の元、北フランスノルマンディー地方にアメリカ軍、イギリス軍、カナダ軍、そして自由フランス軍など、約17万5000人の将兵、6,000以上の艦艇、延べ12,000機の航空機を動員した大陸反攻作戦「オーバーロード作戦」(ノルマンディー上陸作戦)を開始。多数の死傷者を出す激戦の末、上陸を成功させた。」
浮沈子の中では、第二次世界大戦というと、太平洋戦線のことが真っ先に頭に浮かんで、ヨーロッパ戦線のことは、遠い歴史の話のように思っていた。
インドシナにおけるフランス支配の終了などは、両戦線における関連を示す好例だろう。
「日本は1940年以来、ヴィシー政権との協定をもとにフランス領インドシナに駐屯し続けていたが、前年の連合軍のフランス解放、臨時政府によるヴィシー政権と日本の間の協定の無効宣言が行われたことを受け、進駐していた日本軍は3月9日、「明号作戦」を発動してフランス植民地政府及び駐留フランス軍を武力で解体し、インドシナを独立させた。なお、この頃においてもインドシナ駐留日本軍は戦闘状態に陥る事は少なく、かなりの戦力を維持していたので連合軍も目立った攻撃を行わず、また日本軍も兵力温存のため目立った軍事活動を行なわなかった。」
まあ、太平洋戦線にしても、浮沈子にとっては、歴史の中の話には違いないんだが。
我が国の周辺の状況を見ると、戦後はまだ続いている。
我が国周辺の島々の所属で、各国が揉めているのは、戦後処理の中で、その帰属を曖昧なままに放置したからに他ならない。
海洋資源の確保で奔走する各国は、その不作為のとばっちりを受けているわけだ。
その話は、遠く1944年の6月6日のD-デイまで続いている。
外の雨は、まだ音を立てて降っている。
70年後の今日は、そんな日である・・・。
(Dデイ70周年~史上最大の作戦の意義:追加)
http://diamond.jp/articles/-/53980
D-デイって、いくつもあったんですねえ!。
・5月1日
・5月21日
・6月5日
・7月19日
で、アイクは6月5日に、翌朝から決行すると決めたわけだな。
今日は何の日?。
6月6日、しっかりと雨が降っている。
(D-デイ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/D-%E3%83%87%E3%82%A4
「D-デイ(D-Day)とは、戦略上重要な攻撃もしくは作戦開始日時を表す際にしばしば用いられたアメリカの軍事用語。語頭のDの由来については諸説あるが、一例として漠然とした日付を表すDayの頭文字という解釈がある。」
「歴史上最も有名なD-デイは1944年6月6日であり、これは第二次世界大戦中にナチス・ドイツ占領下のヨーロッパに連合国軍が侵攻を開始した「オペレーション・オーバーロード」の決行日である。詳しくはノルマンディー上陸作戦を参照のこと。」
しかしだな、本当のD-デイは、6月5日だったって知ってたあ?。
「ノルマンディー上陸作戦のD-デイは当初1944年6月5日に設定されたが、悪天候により連合軍最高司令官ドワイト・D・アイゼンハワー元帥は翌6月6日に作戦を延期した。」
まあ、どうでもいいんですが。
(ノルマンディー上陸作戦)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E4%B8%8A%E9%99%B8%E4%BD%9C%E6%88%A6
「最終的に300万人近い兵員がドーバー海峡を渡ってフランス・コタンタン半島のノルマンディーに上陸した。現在に至るまで最大規模の上陸作戦である。」
(史上最大の作戦)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E6%9C%80%E5%A4%A7%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%88%A6
「出演者:
ジョン・ウェイン、ロバート・ミッチャム、ヘンリー・フォンダ、エディ・アルバート、リチャード・バートン、クルト・ユルゲンス」
豪華絢爛、空前絶後の戦争映画だな。
「アメリカからジョン・ウェインやヘンリー・フォンダらが参加した他、英仏独からも豪華キャストを迎え、40億円以上の巨費を投じた、当時としては「史上最大の」映画。連合国側だけでなくドイツ側の視点でも描いているドキュメンタリー風の映画で、臨場感に溢れている事で評価が高い。」
ショーン・コネリーも出ている。
日本では、あまり流行らなかったようだな。
「日本ではDVDおよびBDはおろか、テレビで再放送する予定すらなく、唯一ビデオ版だけが発売されており、一部の通販サイトなどで、希少ながら入手は可能。」
「20世紀FOXから発売されているDVDの日本語版字幕では役職や肩書きで大きな表記ミスや、不親切な点が散見される」
あれ?、DVD出てんじゃね?。
まあいい。
(史上最大の作戦マーチ/ミッチ・ミラー楽団)
https://www.youtube.com/watch?v=-JiRvw7lUxw
(史上最大の作戦 [DVD])
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E6%9C%80%E5%A4%A7%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%88%A6-DVD-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%B3/dp/B000A0K5DC
(史上最大の作戦 (2枚組) [Blu-ray])
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E6%9C%80%E5%A4%A7%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%88%A6-2%E6%9E%9A%E7%B5%84-Blu-ray-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%B3/dp/B002PHBINO
ブルーレイも出てますな。
ちなみに、ノルマンディ上陸作戦は、オーバーロード作戦の一部であり、パリ開放(1944年8月25日)をもって終了する。
(パリの解放)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%81%AE%E8%A7%A3%E6%94%BE
「ド・ゴールは連合国軍ヨーロッパ戦域最高司令官ドワイト・D・アイゼンハワー大将にパリ攻略を急ぐよう何度も要請したが、アイゼンハワーの司令部はドイツ軍の抵抗が強固であると予想されること、占領した際のパリを給養する物資が膨大なものになると予想されること、ヴィシー政府の退陣を待ってフランス国民が臨時政府を受け入れる用意が出来るのが望ましいことなどを理由に、パリを一部部隊で包囲するにとどめる計画であった」
「ド・ゴールは8月20日にアルジェを発ってノルマンディーに到着し、アイゼンハワー大将に臨時政府指揮下にあるフランス第2機甲師団をパリに進軍させるよう要請した。アイゼンハワーは要請を受け入れたものの、時期については明言しなかった。」
「ガロワ少佐の連絡隊がオマール・ブラッドレー大将がいる第12軍集団司令部に到着し、次の内容を告げた。
・パリの大部分とすべての橋はFFIの支配下にある
・パリ防衛ドイツ軍の主力は退却した
・ドイツ軍が休戦に応じたのは退却のため
・コルティッツ大将は形式的に戦闘したら降伏することになっている
・休戦期限は8月23日正午までになっているが、両軍とも尊重する意思はなく、ドイツ軍は休戦期間終了後にパリを破壊するおそれがある。」
「しかしこの情報は事実とは異なっており、ド・ゴールの側近の工作による完全な嘘であった。ド・ゴールとの交渉でパリ進軍もやむなしと考えはじめたアイゼンハワー大将と第12軍集団のブラッドレー大将はこの情報を信じ、第12軍集団の指揮下にあるアメリカ軍第1軍第5軍団を向かわせる事にした。」
「イギリス軍のバーナード・モントゴメリー大将にも部隊派遣要請があったが、指揮権の問題でアイゼンハワーと確執があったモントゴメリーはこれを拒否した」
まあ、いろいろあったようだな。
とにかく、パリは開放され、ヨーロッパ戦線(西部戦線)は連合国の反撃が開始された。
(西部戦線 (第二次世界大戦))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%A8%E6%88%A6%E7%B7%9A_(%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6)
浮沈子が若かりし頃、「遠すぎた橋」という戦争映画があった。
(遠すぎた橋)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E3%81%99%E3%81%8E%E3%81%9F%E6%A9%8B
「1977年に公開されたイギリス・アメリカ合作の戦争映画。第二次世界大戦後期に行われた連合軍の空挺作戦であるマーケット・ガーデン作戦を題材にしている。」
「ライン川北岸のアーンヘムの町に降下したイギリス第1空挺師団は偶然同地付近で休養していたドイツ軍機甲師団の攻撃を受け、壊滅的な損害を受けて敗退した。他の地区に降下したアメリカ軍空挺部隊の作戦は成功し、オランダ領内に長さ96Kmの回廊を確保することができたものの、アーンヘムでの敗退により、ライン川を越えて橋頭堡を築きドイツのルール地方を占領して戦争を早期終結させるという夢は消え去った」
まあ、失敗に終わったわけだ。
この後、バルジの戦いなどを経て、1945年にドイツは降伏する。
ヨーロッパ戦線への米軍の参戦は、決定的な要素だったわけだ。
そして、その引き金を引いたのは、我が国の1941年12月の太平洋戦線への参戦であったというのは皮肉としか言いようがない(それまでは、米国は中立国)。
(第二次世界大戦)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6
イタリア戦線で米軍が活躍したとの記述もあるが、大規模な作戦では、やはりノルマンディーだろうな。
「一方、本格的な反攻のチャンスをうかがっていた連合軍は6月6日、アメリカ陸軍のドワイト・アイゼンハワー将軍指揮の元、北フランスノルマンディー地方にアメリカ軍、イギリス軍、カナダ軍、そして自由フランス軍など、約17万5000人の将兵、6,000以上の艦艇、延べ12,000機の航空機を動員した大陸反攻作戦「オーバーロード作戦」(ノルマンディー上陸作戦)を開始。多数の死傷者を出す激戦の末、上陸を成功させた。」
浮沈子の中では、第二次世界大戦というと、太平洋戦線のことが真っ先に頭に浮かんで、ヨーロッパ戦線のことは、遠い歴史の話のように思っていた。
インドシナにおけるフランス支配の終了などは、両戦線における関連を示す好例だろう。
「日本は1940年以来、ヴィシー政権との協定をもとにフランス領インドシナに駐屯し続けていたが、前年の連合軍のフランス解放、臨時政府によるヴィシー政権と日本の間の協定の無効宣言が行われたことを受け、進駐していた日本軍は3月9日、「明号作戦」を発動してフランス植民地政府及び駐留フランス軍を武力で解体し、インドシナを独立させた。なお、この頃においてもインドシナ駐留日本軍は戦闘状態に陥る事は少なく、かなりの戦力を維持していたので連合軍も目立った攻撃を行わず、また日本軍も兵力温存のため目立った軍事活動を行なわなかった。」
まあ、太平洋戦線にしても、浮沈子にとっては、歴史の中の話には違いないんだが。
我が国の周辺の状況を見ると、戦後はまだ続いている。
我が国周辺の島々の所属で、各国が揉めているのは、戦後処理の中で、その帰属を曖昧なままに放置したからに他ならない。
海洋資源の確保で奔走する各国は、その不作為のとばっちりを受けているわけだ。
その話は、遠く1944年の6月6日のD-デイまで続いている。
外の雨は、まだ音を立てて降っている。
70年後の今日は、そんな日である・・・。
(Dデイ70周年~史上最大の作戦の意義:追加)
http://diamond.jp/articles/-/53980
D-デイって、いくつもあったんですねえ!。
・5月1日
・5月21日
・6月5日
・7月19日
で、アイクは6月5日に、翌朝から決行すると決めたわけだな。

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