深夜の第三京浜 ― 2016年01月05日 01:58
深夜の第三京浜
83タルガにダックテイルを付けた。
カッコ悪い・・・。
もう少し、サマになるかと思ったんだがな。
ちょっとがっかりだ。
おまけに、前が浮く(オープンだと、特に)。
フロントにスポイラーが付いているが、リアスポイラーとバランスして、いい具合になると思ったんだがな。
ブレーキにジャダーが出ている。
ディスクが寿命なのか。
うーん、悩ましいところだ。
サーペンタイルベルトが鳴く。
ハンドルが左に取られる癖が、少し強くなったようだ。
シフトレバーがセンターに戻らないのは、慣れればどうということはない。
このままでも、全く支障はない。
しかし、屋根を付けたときの風切り音は、耐えられない程大きくなった。
久々にノリのいいスピードだったので、気になっただけかもしれない。
明日、少し補修してから走ってみよう。
屋根と三角窓との隙間風であることは分かっている。
トリップメーターが、積算しなくなっていたので、再度リセットしたら動き出したようだ。
50km程、追加して計算すればいい。
リセットの度に、気を付けることにしよう。
ドアの閉まりは、調整したら、余計に悪くなった気がする。
勢いよく閉めないと、浮いてしまう。
ちょっと興醒めだな。
せっかく調整してもらったのに・・・。
ウェザーストリップが、へたっているのかもしれない。
いろいろ、細かいところは気になるが、それらを全て帳消しにしてくれるのが、いったん温まると、モーターのようにスムーズに回るエンジンだ。
この感触を楽しむためだけに、このクルマを維持しているようなもんだな。
まるで、マルチシリンダーのオートバイのエンジンのように、滑らかに澱みなく吹け上がる・・・。
6200回転まで、キッチリ回る。
点火系か、燃料カットか分からないが、そこでガクッと落ちる。
パーシャルで回している時でも、気持ちいい回転は変わらない。
ショックがへたり、トーションバーが柔になっても、このエンジンと、相性のいいトランスミッションがあれば、恐いものはない。
ストリートカーは、タイムを削り取るマシンではない。
基本的に、走って気持ちがいいかどうかだ。
残念なのは、その速度域が、我が国の交通環境や法規に馴染まないだけ。
浮沈子は、袖ケ浦で走らせる時でも、タイムより気持ちよさを優先させる(だから、1分30秒切れないんだな)。
今日は、深夜の第三京浜で、ダックテイルの特性を確認するために、それなりの速度で短距離を走ってみる。
何度かブレーキも掛けて、踏み代や踏力を確認する。
ジャダーが出るのは、軽く街道で踏んだ時だけで、高速から一気に踏んでも、片効きしているようなことはない。
袖ケ浦で走らせる分には問題ないだろう。
ブレーキパッドとかも、点検してもらっているはずだ(未確認)。
左に取られるのは、タイヤのせいかもしれない。
山は十分あるので、暫くこのまま乗ることにしよう。
ダックテイルは、屋根を付けて走れば、気になる挙動はない。
やや安定感が増した感じはするが、気のせいかもしれないしな。
ケツを振って走っているような気配は、微塵もない。
リアの接地性が向上したことは、間違いない。
高速走行時の安定感は、損なわれていない。
まあ、法定速度に毛が8本付いたくらいでは、本当のところは分からない(良い子は、マネしないでね!)。
袖ケ浦の最高速くらいなので、その速度域までで妙な挙動を示さなければ、それでいいのだ(法定速度は、守りましょう!)。
保土ヶ谷往復だけではもったいない気がして、環七を少し走って、目黒通りから、もう一度第三京浜に入る。
都筑までのショートコースを流す。
料金所からの加速で、リミッターを効かせて、再度健康診断して戻った(あそこの法定速度は60kmです!)。
まあ、こんなもんかな。
このエンジン、美味しい。
ツボにはまったときの感じは、絶妙だ。
ターボのような湧き上がるトルクはないが、回転の高まりに素直に追随する、リニアなトルクを味わえる。
3速とかで走っていると、とろけそうだ・・・。
ホイールベースの短さで、クイクイと進路変更する。
それも楽しい。
無意味に車線を変えたくなる(蛇行運転は、危険なのでやめましょう!)。
周りのクルマに迷惑を掛けないように、綺麗に抜き去ってから車線変更する。
真夜中に走り回る、怪しげな黒いダックテイルの空冷タルガ・・・。
そんなオリジナルモデルなんて、ありっこないって!。
が、これで、カッコは一応整った。
冬、エンジンに一番いい季節だ。
しっかりと暖機してから、丁寧に回していけば、美味しい回転域では、甘いとろけるような感触を味わうことができる。
ダックテイルは、オープンにしている時には効き過ぎるということが分かっただけでも、今日は収穫だった。
屋根付けた時の風切り音対策だけで、とりあえずはいいかな。
空調のファンコイルを交換した効果は、あまり感じられなかったが、カラカラとした異音がしなくなっただけでも、少し回してみようという気になる。
雨の日とかのガラスの曇りが取れればいいのだ。
さてと、心地良いエンジンの咆哮を夢で聞きながら、眠るとするか・・・。
83タルガにダックテイルを付けた。
カッコ悪い・・・。
もう少し、サマになるかと思ったんだがな。
ちょっとがっかりだ。
おまけに、前が浮く(オープンだと、特に)。
フロントにスポイラーが付いているが、リアスポイラーとバランスして、いい具合になると思ったんだがな。
ブレーキにジャダーが出ている。
ディスクが寿命なのか。
うーん、悩ましいところだ。
サーペンタイルベルトが鳴く。
ハンドルが左に取られる癖が、少し強くなったようだ。
シフトレバーがセンターに戻らないのは、慣れればどうということはない。
このままでも、全く支障はない。
しかし、屋根を付けたときの風切り音は、耐えられない程大きくなった。
久々にノリのいいスピードだったので、気になっただけかもしれない。
明日、少し補修してから走ってみよう。
屋根と三角窓との隙間風であることは分かっている。
トリップメーターが、積算しなくなっていたので、再度リセットしたら動き出したようだ。
50km程、追加して計算すればいい。
リセットの度に、気を付けることにしよう。
ドアの閉まりは、調整したら、余計に悪くなった気がする。
勢いよく閉めないと、浮いてしまう。
ちょっと興醒めだな。
せっかく調整してもらったのに・・・。
ウェザーストリップが、へたっているのかもしれない。
いろいろ、細かいところは気になるが、それらを全て帳消しにしてくれるのが、いったん温まると、モーターのようにスムーズに回るエンジンだ。
この感触を楽しむためだけに、このクルマを維持しているようなもんだな。
まるで、マルチシリンダーのオートバイのエンジンのように、滑らかに澱みなく吹け上がる・・・。
6200回転まで、キッチリ回る。
点火系か、燃料カットか分からないが、そこでガクッと落ちる。
パーシャルで回している時でも、気持ちいい回転は変わらない。
ショックがへたり、トーションバーが柔になっても、このエンジンと、相性のいいトランスミッションがあれば、恐いものはない。
ストリートカーは、タイムを削り取るマシンではない。
基本的に、走って気持ちがいいかどうかだ。
残念なのは、その速度域が、我が国の交通環境や法規に馴染まないだけ。
浮沈子は、袖ケ浦で走らせる時でも、タイムより気持ちよさを優先させる(だから、1分30秒切れないんだな)。
今日は、深夜の第三京浜で、ダックテイルの特性を確認するために、それなりの速度で短距離を走ってみる。
何度かブレーキも掛けて、踏み代や踏力を確認する。
ジャダーが出るのは、軽く街道で踏んだ時だけで、高速から一気に踏んでも、片効きしているようなことはない。
袖ケ浦で走らせる分には問題ないだろう。
ブレーキパッドとかも、点検してもらっているはずだ(未確認)。
左に取られるのは、タイヤのせいかもしれない。
山は十分あるので、暫くこのまま乗ることにしよう。
ダックテイルは、屋根を付けて走れば、気になる挙動はない。
やや安定感が増した感じはするが、気のせいかもしれないしな。
ケツを振って走っているような気配は、微塵もない。
リアの接地性が向上したことは、間違いない。
高速走行時の安定感は、損なわれていない。
まあ、法定速度に毛が8本付いたくらいでは、本当のところは分からない(良い子は、マネしないでね!)。
袖ケ浦の最高速くらいなので、その速度域までで妙な挙動を示さなければ、それでいいのだ(法定速度は、守りましょう!)。
保土ヶ谷往復だけではもったいない気がして、環七を少し走って、目黒通りから、もう一度第三京浜に入る。
都筑までのショートコースを流す。
料金所からの加速で、リミッターを効かせて、再度健康診断して戻った(あそこの法定速度は60kmです!)。
まあ、こんなもんかな。
このエンジン、美味しい。
ツボにはまったときの感じは、絶妙だ。
ターボのような湧き上がるトルクはないが、回転の高まりに素直に追随する、リニアなトルクを味わえる。
3速とかで走っていると、とろけそうだ・・・。
ホイールベースの短さで、クイクイと進路変更する。
それも楽しい。
無意味に車線を変えたくなる(蛇行運転は、危険なのでやめましょう!)。
周りのクルマに迷惑を掛けないように、綺麗に抜き去ってから車線変更する。
真夜中に走り回る、怪しげな黒いダックテイルの空冷タルガ・・・。
そんなオリジナルモデルなんて、ありっこないって!。
が、これで、カッコは一応整った。
冬、エンジンに一番いい季節だ。
しっかりと暖機してから、丁寧に回していけば、美味しい回転域では、甘いとろけるような感触を味わうことができる。
ダックテイルは、オープンにしている時には効き過ぎるということが分かっただけでも、今日は収穫だった。
屋根付けた時の風切り音対策だけで、とりあえずはいいかな。
空調のファンコイルを交換した効果は、あまり感じられなかったが、カラカラとした異音がしなくなっただけでも、少し回してみようという気になる。
雨の日とかのガラスの曇りが取れればいいのだ。
さてと、心地良いエンジンの咆哮を夢で聞きながら、眠るとするか・・・。
TP10アップデート ― 2016年01月05日 10:02
TP10アップデート
ThinkPad10をウインドウズ10240から、アップデートする。
この機種は、2か月くらい遅れてアップデートされるようだ。
いわゆる、ノーベンバー・アップデートというやつ。
順番が遅いのか、それとも、機種ごとに対応が異なっているのかは不明だ。
(Windows 10初の大型アップデートはココに注目 (1/3))
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1511/24/news046.html
「実際にシステムのバージョン情報を確認すると「1511」の名称が表示される。」
どれどれ・・・。
「バージョン1511(OSビルド10586.36)」
なるほど。
このブログを打ち込んでいるノートパソコンであるTPのX220と同じになった。
アップデート後の修正パッチも当てて、細心になったことを確認する。
このアップデートの目的は、何なのだろうか。
単なるバグ取りなのか、機能の追加があるのか(その中には、当然、新たなバグが・・・)。
「Microsoftが最初のWindows 10リリース(7月29日時点)で本来出したかったもの」
「新機能の追加などブラッシュアップ以上の変更点もあるが、全体として未完成な感のあったWindows 10を補強するような(より完成品に近い)アップデートだ。」
(次のWindows 10大型アップデート「Redstone」はいつ登場する? (1/3))
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1511/18/news046.html
「OSを代替わりすることなく、定期的なアップデートでバグ修正やセキュリティ対策を行いつつ、OSの機能強化を少しずつ進めていく「永遠に未完成」の状態を維持していくとみられている。」
「悪く言えば「当初計画していて実装が間に合わなかった機能を後のアップデートで追加するやり方」となる」
なんだ、今までと同じじゃん!。
ユーザーは、永遠にベータテストをやらされる羽目になるわけだな(場合によっては、アルファテストも?)。
まあいい。
マイクロソフトとは、そういう会社だし、それを承知で製品を買うのは、消費者の自由だ。
具体的なアップデートの内容は、この記事に出ている。
(「Windows 10は皆さんと一緒に作るOSです」――“November Update”で日本語版はどう変わった? (1/3))
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1511/19/news052.html
「パーソナルアシスタント「Cortana」が日本語に対応」
「日本語フォント「游ゴシック」の改善」
「話題のワードも簡単に変換できるMS-IMEのクラウド候補」
「細かい使い勝手が向上したMicrosoft Edge」
「標準搭載アプリの改良」
「多数の法人向け機能も強化」
初出の記事で注目しているのは、コルタナのウインドウズストアとの関連での発展と、エッジの機能強化(不足?)、企業対応の強化ということになる。
浮沈子には、あまり関係ないな。
ブラウザーはクロームだし。
「以上を振り返ると、日本語がサポートされたCortanaを除けば、November Update(1511)の主要な新機能は、企業向けのものに偏っているのではないかと考えられる。」
「これは、同アップデートのタイミングで初めて登場したWindows 10 Mobileに由来するものだ。MicrosoftはWindows 10のモバイル環境における企業ユーザーへの浸透を重視しているのだろう。」
パソコンのOSを、がっちり握るマイクロソフトならではの戦略だが、そううまくいくのだろうか。
今回のアップデートは、企業向けの改善が中心だったということで、納得した。
浮沈子には余り関係ないが、来年辺りリリースされる次期大型バージョンアップに期待というところかな。
コルタナを使ってみたが、合成音声がショボイのでガッカリ(追加)。
ThinkPad10をウインドウズ10240から、アップデートする。
この機種は、2か月くらい遅れてアップデートされるようだ。
いわゆる、ノーベンバー・アップデートというやつ。
順番が遅いのか、それとも、機種ごとに対応が異なっているのかは不明だ。
(Windows 10初の大型アップデートはココに注目 (1/3))
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1511/24/news046.html
「実際にシステムのバージョン情報を確認すると「1511」の名称が表示される。」
どれどれ・・・。
「バージョン1511(OSビルド10586.36)」
なるほど。
このブログを打ち込んでいるノートパソコンであるTPのX220と同じになった。
アップデート後の修正パッチも当てて、細心になったことを確認する。
このアップデートの目的は、何なのだろうか。
単なるバグ取りなのか、機能の追加があるのか(その中には、当然、新たなバグが・・・)。
「Microsoftが最初のWindows 10リリース(7月29日時点)で本来出したかったもの」
「新機能の追加などブラッシュアップ以上の変更点もあるが、全体として未完成な感のあったWindows 10を補強するような(より完成品に近い)アップデートだ。」
(次のWindows 10大型アップデート「Redstone」はいつ登場する? (1/3))
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1511/18/news046.html
「OSを代替わりすることなく、定期的なアップデートでバグ修正やセキュリティ対策を行いつつ、OSの機能強化を少しずつ進めていく「永遠に未完成」の状態を維持していくとみられている。」
「悪く言えば「当初計画していて実装が間に合わなかった機能を後のアップデートで追加するやり方」となる」
なんだ、今までと同じじゃん!。
ユーザーは、永遠にベータテストをやらされる羽目になるわけだな(場合によっては、アルファテストも?)。
まあいい。
マイクロソフトとは、そういう会社だし、それを承知で製品を買うのは、消費者の自由だ。
具体的なアップデートの内容は、この記事に出ている。
(「Windows 10は皆さんと一緒に作るOSです」――“November Update”で日本語版はどう変わった? (1/3))
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1511/19/news052.html
「パーソナルアシスタント「Cortana」が日本語に対応」
「日本語フォント「游ゴシック」の改善」
「話題のワードも簡単に変換できるMS-IMEのクラウド候補」
「細かい使い勝手が向上したMicrosoft Edge」
「標準搭載アプリの改良」
「多数の法人向け機能も強化」
初出の記事で注目しているのは、コルタナのウインドウズストアとの関連での発展と、エッジの機能強化(不足?)、企業対応の強化ということになる。
浮沈子には、あまり関係ないな。
ブラウザーはクロームだし。
「以上を振り返ると、日本語がサポートされたCortanaを除けば、November Update(1511)の主要な新機能は、企業向けのものに偏っているのではないかと考えられる。」
「これは、同アップデートのタイミングで初めて登場したWindows 10 Mobileに由来するものだ。MicrosoftはWindows 10のモバイル環境における企業ユーザーへの浸透を重視しているのだろう。」
パソコンのOSを、がっちり握るマイクロソフトならではの戦略だが、そううまくいくのだろうか。
今回のアップデートは、企業向けの改善が中心だったということで、納得した。
浮沈子には余り関係ないが、来年辺りリリースされる次期大型バージョンアップに期待というところかな。
コルタナを使ってみたが、合成音声がショボイのでガッカリ(追加)。
エピソード7(ネタバレ注意!) ― 2016年01月05日 21:13
エピソード7(ネタバレ注意!)
超ネタバレ(!?)なので、迂闊にも読み始めてしまった方のために、少し、周辺の話から始めようか。
といっても、予告編の話から。
(「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」予告編:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=BDvZ9UECfj8
この予告編、実によくできている。
というより、本編そのものが、壮大な予告編のようなものだから、どこを取っても絵になる。
本編では、巨大な構造物が出てきて、当然、高所恐怖症の浮沈子には、脚のすくむシーンもある。
宇宙船の追いかけっこも迫力満点、ご都合主義的な設定も相変わらずだが、分かり辛いところもある。
<<<この辺りから、本格的なネタバレなので、知りたくない方は、読まない方がいいです。>>>
(「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」予告編2:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=SdAUiyeJMFQ
予告編に登場している女性が、新たなヒーロー(ヒロイン?)である。
まあ、エピソード7は、浮沈子的にはエピソード4(第1作)のネクストジェネレーション版というとこだな。
親子の確執を描いた物語は、今度は兄妹げんかのような感じになってきた。
強いフォースを宿していたのは、ダースベイダーの孫にあたる2人の兄妹ということだ(たぶん)。
レイア姫(レイア・オーガナ将軍)には、あんまフォースはなさそうなので、隔世遺伝というところか。
(隔世遺伝)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%94%E4%B8%96%E9%81%BA%E4%BC%9D
「個体の持つ遺伝形質が、その親の世代では発現しておらず、祖父母やそれ以上前の世代から世代を飛ばして遺伝しているように見える遺伝現象のこと。」
ははあ、それで副題がフォースの隔世(?:覚醒!)ということになっているわけだな(いきなり、オヤジギャグかよ!?)。
(【ユーザー寄稿】レイの正体、出生の謎を考える)
http://star-wars-episode7.com/manakin-skywalker/
ハンソロは、レイのことを知らなさそうなので、浮沈子の読みでは、異父兄弟ということもあり得る。
父親は、一体誰なんだあ?(後述)。
まあいい。
シス(今回からは、ファースト・オーダーと改名?)の親玉(スノーク)がホログラム映像だけというのも、ちょっとな。
ベン・ソロ(カイロ・レン)が、実の父親を手に掛けるシーンは、本作の最大の極秘ネタだ(あーあ、バラしちゃった!)。
まあ、ハリソンフォードは、このシーンでお役御免になったわけで、あとは母ちゃん役のキャリーフィッシャーが頑張るんだろう。
あんたが、ちゃんと育てなかったから、息子がひねくれて悪道に走ったんだからね!、とかグチグチいわれて、柄にもなく父親面して不用意に近づいたのが運の尽き・・・。
男は辛いよ!。
ルークの時には、フォースを引き出すのに、オビワンとか、ヨーダのところに弟子入りして特訓するんだが、レイの場合は簡単に使えてしまうというのも、ご都合主義的、女性重視的、やっぱ、王女様はいいな的、男は辛いよ的設定だな。
最初、映画館で観た時に、マックスフォンシドーが扮してるのがルークなのかと思った(別の役みたいですな)。
ちょっと混乱したが、最後にチラッとだけマーク・ハミルふんするルークが出てくる(これも、超ネタバレだな)。
ひょっとしたら、レイの父親は、実はルークなんじゃないかってのが、浮沈子の読みなんだがな(とすると、母ちゃんは・・・)。
隠し子だから、人目につかない砂漠の惑星「ジャクー」に置き去りにされたんじゃなかろうか?。
フォースが強いのも、当たり前だ。
フォース、特盛つゆだくでお願いしまーす!。
レイの出生については、謎ということになっているが、その辺りが次回作で明かされるのかどうか。
無謀にも、カイロ・レンに立ち向かって、あっさりやられちゃったフィンについても、生きてるんだか死んでるんだか分からない。
どう見たって生きてっこないと思ってたポーが生きてたりするんだから、何だってアリなストーリーに期待だな。
浮沈子的にイケてると思ったのは、酒場の女主人(マズ・カナタ)と、新登場のドロイドBB-8だな。
BB-8は、キャラを作り過ぎてるきらいはあるが、C-3POのような通訳ロボットを介さないでもコミュニケーションが取れるという設定のようだ。
デススターを巨大化しただけのスターキラー基地に、Xウイングが突入するという設定は、第1作(エピソード4)へのオマージュだな。
オシレーター(本来は、発信機の意味)を破壊すると、惑星ごと吹っ飛ぶという設定も、似たようなもんだ。
さて、新しい3部作のプロローグの幕は、切って落とされた。
新たなヒーロー(ヒロイン?)、新たな悪役(ちっと、役不足感あるけどな)、脇を固める魅力的な存在・・・。
宇宙のどこへでも、超光速で移動できるくせに、ラストシーンでルークに会いに行く時には、階段登ったりしてる辺りはご愛敬である。
しかし、フォースというのは、いささか考え物だな。
怨念といってもいい。
ふつーの生活を破壊し、それを持つものに艱難辛苦を与える。
そんなもん、持ってない一般市民は、惑星ごと吹っ飛ばされちまうので、どっちがいいかはビミョーだがな。
銀河の運命が掛かっている時に、好いた女のことしか頭にないフィンの存在が、妙に新鮮だったりもする(フォース、なさそうだし)。
レイがフォースを使って頸木から逃れるシーンでは、砂の惑星デューンのワンシーンを思い出した。
まあ、あれもフォースみたいなもんだがな。
通奏低音のように、このシリーズを通して存在するフォースとは、一体何を象徴しているんだろう?。
御伽噺の中では、例えば指輪物語のリングとか、何らかのアイテムを手に入れると万能な力を得たりするのもある。
あるいは、忍者やカンフーなど、苦しい修行を積むと、超人的な力を得たりするというのもある。
しかし、この物語のフォースというのは、ちょっと違うようだ。
ごくごくふつーの人にも、何か隠された力があって、特定の、それが強い人がたまにいるという、潜在力のようなもんだな。
それが、遺伝的な存在と関連してたりもする(隔世遺伝?)。
その強力な力が、人や組織を支配する。
力なき正義は無力なり、正義なき力は暴力なり。
じゃあ、何が正義かというところで、物語は発展していく。
帝国は不正義で、共和国は正義なのか?。
フォースの暗黒面(ダークサイド)は不正義で、ライトサイドは正義なのか?。
娯楽映画の限界というのもあって、営業上、若者の成長とか、困難に立ち向かう勇気とか、そういう点を強調したお話にしなければならない。
家族愛とか、ロマンスとか、そういう観点も重要だ(世の中の価値観は、概ねそれで動いている)。
エピソード7。
今日、川崎の109シネマコンプレックスで、アイマックス3D字幕で見てきた。
F-18の席で、前から6列目の中央だったが、右隣のサラリーマン(サボリですかあ?)の足を蹴ったりして(すいません・・・)、大興奮で観てきた。
娯楽作品としては、超一級である。
スターウォーズの知識がなくても楽しめるが、全6作品を観て、あらすじや人物関係を把握してから観ると、100倍楽しめるに違いない。
浮沈子は、このシリーズを劇場で観るのは40年ぶりくらいだ。
第1作しか、映画館では観ていない。
その第1作に相当するドラマ性と、特撮の凄さがある。
チャラいSFなんて、御免被るという方は、観ても仕方ない。
観ようかな、どうしようかな、と思っている方は、観て損はしない(たぶん)。
若者の物語であり、親子の物語であり、宇宙の物語であり、戦争の物語である。
当代一流の俳優が脇を固め、新しい俳優が育っていく。
世代を超えて楽しめる、優れたエンターテインメントであることだけは確かだ。
そこに、何を見出して、何を感じるかは人それぞれでいい。
浮沈子の個人的な好みから言うと、正直、レイについては、それほど感情移入は出来なかった。
ハンソロが、実の息子に殺されるシーンは、ちょっとアドレナリンが出過ぎたな。
ライトセイバーで刺し貫かれながら、ベン(カイロ・レン)の頬を左手で撫でる演出は心憎い・・・(ポロッ)。
浮沈子は思うのだが、フォースなんてない方がいいのではないか。
人の力には限りがあり、運命に身を委ねて、心静かに生き、穏やかに死ぬのがよろしい。
家族の愛を否定したり、お互いに争ったり戦ったりせず、限りある時間と富を分け合いながら助け合うに限る。
神に全能が与えられているのは、人にはそれを使いこなすことが出来ないからに他ならない。
ルーク探しに旅立つレイを、レイアが見送る際に、例の決め台詞が出る。
「May the Force be with you.」(フォースとともにあらんことを)
元々は、「神のご加護を」(May God be with ye.)という言葉から来ているらしい。
(スターウォーズで「フォースとともにあらんこ・・・)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q105298355
現代人は、昔の人々から見たら、さながらフォースの使い手である。
ライトセイバーならぬスマホを手に、世界の情報を居ながらにして得る。
買い物はネットでポチるし、航空機の予約も、ホテルの手配も可能だ。
宇宙に観光で行くようになるのも間近だし、自動車に乗れば好きなところに連れて行ってもらえる。
スターウォーズの世界は、すぐそこにある。
しかし、その一方で、格差の拡大や、残忍な統治、帝国さながらな国家も存在する。
フォースの暗黒面の面目躍如というところだ。
知恵の実を食べた時から、人間はフォースを得たといってもいい。
それを使いこなして、幸福になれればいいが、不幸を招く使い方も覚えた。
フォースと共にあるということは、結構シンドイ話なんだろう。
そう考えると、軽々しくメイザフォースビウィズユーとは言えないな。
ネットには、スターウォーズネタが溢れている。
似たような感想もあるに違いない。
しかし、浮沈子は、自分の目で観て、心で感じ、頭で考えたことを書いている。
浮沈子のフォースなんて、高々そんな程度だ。
実は、この作品で、最大に涙腺が緩んだのが、スリープモードになっていたR2-D2が復旧するシーンだった。
やはり浮沈子は、頭が少し(?)イカレているようだ。
人間の覚醒より、機械の覚醒に感動している。
まあ、どうでもいいんですが。
ルークを探せプロジェクトは終了し、ファーストオーダーとの戦いが、本格的に始まる。
エピソード8は、近々作成されるようだ。
(スター・ウォーズ エピソード8)
http://ja.starwars.wikia.com/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BA_%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%898
「公開予定日は2017年5月26日」
来年の5月じゃん!?。
「『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』の公開から数えて40年と1日後」
そういう時代だということだ。
(スター・ウォーズ エピソード9)
http://ja.starwars.wikia.com/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BA_%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%899
「公開は2019年を予定している。」
2年に1度の公開が決定しており、レイ役は同じ俳優だ。
新しい主役で織りなす銀河の物語。
それは、人間の物語であり、愛と友情の物語である。
家族、友人、仲間、組織、国家、レジスタンス・・・。
そこには、神の姿はないが、帝国も共和国も、何かに弄ばれているような気がする。
浮沈子は、新世代のスターウォーズには夢中になれないんじゃないかと心配していたが、杞憂に終わった。
新3部作は、全て劇場で観たいものだ。
どんな物語が展開し、フォースの謎が解き明かされていくのかが楽しみである。
あるいは、謎は謎のままになるかも知れないけどな。
画像は、レイ役のレイジー・リドリー。
オジサン的には、感情移入しにくいキャラだが、是非とも素晴らしい演技で、観客を魅了してもらいたい。
その意味で、最後にリドリーに、決め台詞を・・・。
フォースと共にあらんことを!。
超ネタバレ(!?)なので、迂闊にも読み始めてしまった方のために、少し、周辺の話から始めようか。
といっても、予告編の話から。
(「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」予告編:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=BDvZ9UECfj8
この予告編、実によくできている。
というより、本編そのものが、壮大な予告編のようなものだから、どこを取っても絵になる。
本編では、巨大な構造物が出てきて、当然、高所恐怖症の浮沈子には、脚のすくむシーンもある。
宇宙船の追いかけっこも迫力満点、ご都合主義的な設定も相変わらずだが、分かり辛いところもある。
<<<この辺りから、本格的なネタバレなので、知りたくない方は、読まない方がいいです。>>>
(「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」予告編2:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=SdAUiyeJMFQ
予告編に登場している女性が、新たなヒーロー(ヒロイン?)である。
まあ、エピソード7は、浮沈子的にはエピソード4(第1作)のネクストジェネレーション版というとこだな。
親子の確執を描いた物語は、今度は兄妹げんかのような感じになってきた。
強いフォースを宿していたのは、ダースベイダーの孫にあたる2人の兄妹ということだ(たぶん)。
レイア姫(レイア・オーガナ将軍)には、あんまフォースはなさそうなので、隔世遺伝というところか。
(隔世遺伝)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%94%E4%B8%96%E9%81%BA%E4%BC%9D
「個体の持つ遺伝形質が、その親の世代では発現しておらず、祖父母やそれ以上前の世代から世代を飛ばして遺伝しているように見える遺伝現象のこと。」
ははあ、それで副題がフォースの隔世(?:覚醒!)ということになっているわけだな(いきなり、オヤジギャグかよ!?)。
(【ユーザー寄稿】レイの正体、出生の謎を考える)
http://star-wars-episode7.com/manakin-skywalker/
ハンソロは、レイのことを知らなさそうなので、浮沈子の読みでは、異父兄弟ということもあり得る。
父親は、一体誰なんだあ?(後述)。
まあいい。
シス(今回からは、ファースト・オーダーと改名?)の親玉(スノーク)がホログラム映像だけというのも、ちょっとな。
ベン・ソロ(カイロ・レン)が、実の父親を手に掛けるシーンは、本作の最大の極秘ネタだ(あーあ、バラしちゃった!)。
まあ、ハリソンフォードは、このシーンでお役御免になったわけで、あとは母ちゃん役のキャリーフィッシャーが頑張るんだろう。
あんたが、ちゃんと育てなかったから、息子がひねくれて悪道に走ったんだからね!、とかグチグチいわれて、柄にもなく父親面して不用意に近づいたのが運の尽き・・・。
男は辛いよ!。
ルークの時には、フォースを引き出すのに、オビワンとか、ヨーダのところに弟子入りして特訓するんだが、レイの場合は簡単に使えてしまうというのも、ご都合主義的、女性重視的、やっぱ、王女様はいいな的、男は辛いよ的設定だな。
最初、映画館で観た時に、マックスフォンシドーが扮してるのがルークなのかと思った(別の役みたいですな)。
ちょっと混乱したが、最後にチラッとだけマーク・ハミルふんするルークが出てくる(これも、超ネタバレだな)。
ひょっとしたら、レイの父親は、実はルークなんじゃないかってのが、浮沈子の読みなんだがな(とすると、母ちゃんは・・・)。
隠し子だから、人目につかない砂漠の惑星「ジャクー」に置き去りにされたんじゃなかろうか?。
フォースが強いのも、当たり前だ。
フォース、特盛つゆだくでお願いしまーす!。
レイの出生については、謎ということになっているが、その辺りが次回作で明かされるのかどうか。
無謀にも、カイロ・レンに立ち向かって、あっさりやられちゃったフィンについても、生きてるんだか死んでるんだか分からない。
どう見たって生きてっこないと思ってたポーが生きてたりするんだから、何だってアリなストーリーに期待だな。
浮沈子的にイケてると思ったのは、酒場の女主人(マズ・カナタ)と、新登場のドロイドBB-8だな。
BB-8は、キャラを作り過ぎてるきらいはあるが、C-3POのような通訳ロボットを介さないでもコミュニケーションが取れるという設定のようだ。
デススターを巨大化しただけのスターキラー基地に、Xウイングが突入するという設定は、第1作(エピソード4)へのオマージュだな。
オシレーター(本来は、発信機の意味)を破壊すると、惑星ごと吹っ飛ぶという設定も、似たようなもんだ。
さて、新しい3部作のプロローグの幕は、切って落とされた。
新たなヒーロー(ヒロイン?)、新たな悪役(ちっと、役不足感あるけどな)、脇を固める魅力的な存在・・・。
宇宙のどこへでも、超光速で移動できるくせに、ラストシーンでルークに会いに行く時には、階段登ったりしてる辺りはご愛敬である。
しかし、フォースというのは、いささか考え物だな。
怨念といってもいい。
ふつーの生活を破壊し、それを持つものに艱難辛苦を与える。
そんなもん、持ってない一般市民は、惑星ごと吹っ飛ばされちまうので、どっちがいいかはビミョーだがな。
銀河の運命が掛かっている時に、好いた女のことしか頭にないフィンの存在が、妙に新鮮だったりもする(フォース、なさそうだし)。
レイがフォースを使って頸木から逃れるシーンでは、砂の惑星デューンのワンシーンを思い出した。
まあ、あれもフォースみたいなもんだがな。
通奏低音のように、このシリーズを通して存在するフォースとは、一体何を象徴しているんだろう?。
御伽噺の中では、例えば指輪物語のリングとか、何らかのアイテムを手に入れると万能な力を得たりするのもある。
あるいは、忍者やカンフーなど、苦しい修行を積むと、超人的な力を得たりするというのもある。
しかし、この物語のフォースというのは、ちょっと違うようだ。
ごくごくふつーの人にも、何か隠された力があって、特定の、それが強い人がたまにいるという、潜在力のようなもんだな。
それが、遺伝的な存在と関連してたりもする(隔世遺伝?)。
その強力な力が、人や組織を支配する。
力なき正義は無力なり、正義なき力は暴力なり。
じゃあ、何が正義かというところで、物語は発展していく。
帝国は不正義で、共和国は正義なのか?。
フォースの暗黒面(ダークサイド)は不正義で、ライトサイドは正義なのか?。
娯楽映画の限界というのもあって、営業上、若者の成長とか、困難に立ち向かう勇気とか、そういう点を強調したお話にしなければならない。
家族愛とか、ロマンスとか、そういう観点も重要だ(世の中の価値観は、概ねそれで動いている)。
エピソード7。
今日、川崎の109シネマコンプレックスで、アイマックス3D字幕で見てきた。
F-18の席で、前から6列目の中央だったが、右隣のサラリーマン(サボリですかあ?)の足を蹴ったりして(すいません・・・)、大興奮で観てきた。
娯楽作品としては、超一級である。
スターウォーズの知識がなくても楽しめるが、全6作品を観て、あらすじや人物関係を把握してから観ると、100倍楽しめるに違いない。
浮沈子は、このシリーズを劇場で観るのは40年ぶりくらいだ。
第1作しか、映画館では観ていない。
その第1作に相当するドラマ性と、特撮の凄さがある。
チャラいSFなんて、御免被るという方は、観ても仕方ない。
観ようかな、どうしようかな、と思っている方は、観て損はしない(たぶん)。
若者の物語であり、親子の物語であり、宇宙の物語であり、戦争の物語である。
当代一流の俳優が脇を固め、新しい俳優が育っていく。
世代を超えて楽しめる、優れたエンターテインメントであることだけは確かだ。
そこに、何を見出して、何を感じるかは人それぞれでいい。
浮沈子の個人的な好みから言うと、正直、レイについては、それほど感情移入は出来なかった。
ハンソロが、実の息子に殺されるシーンは、ちょっとアドレナリンが出過ぎたな。
ライトセイバーで刺し貫かれながら、ベン(カイロ・レン)の頬を左手で撫でる演出は心憎い・・・(ポロッ)。
浮沈子は思うのだが、フォースなんてない方がいいのではないか。
人の力には限りがあり、運命に身を委ねて、心静かに生き、穏やかに死ぬのがよろしい。
家族の愛を否定したり、お互いに争ったり戦ったりせず、限りある時間と富を分け合いながら助け合うに限る。
神に全能が与えられているのは、人にはそれを使いこなすことが出来ないからに他ならない。
ルーク探しに旅立つレイを、レイアが見送る際に、例の決め台詞が出る。
「May the Force be with you.」(フォースとともにあらんことを)
元々は、「神のご加護を」(May God be with ye.)という言葉から来ているらしい。
(スターウォーズで「フォースとともにあらんこ・・・)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q105298355
現代人は、昔の人々から見たら、さながらフォースの使い手である。
ライトセイバーならぬスマホを手に、世界の情報を居ながらにして得る。
買い物はネットでポチるし、航空機の予約も、ホテルの手配も可能だ。
宇宙に観光で行くようになるのも間近だし、自動車に乗れば好きなところに連れて行ってもらえる。
スターウォーズの世界は、すぐそこにある。
しかし、その一方で、格差の拡大や、残忍な統治、帝国さながらな国家も存在する。
フォースの暗黒面の面目躍如というところだ。
知恵の実を食べた時から、人間はフォースを得たといってもいい。
それを使いこなして、幸福になれればいいが、不幸を招く使い方も覚えた。
フォースと共にあるということは、結構シンドイ話なんだろう。
そう考えると、軽々しくメイザフォースビウィズユーとは言えないな。
ネットには、スターウォーズネタが溢れている。
似たような感想もあるに違いない。
しかし、浮沈子は、自分の目で観て、心で感じ、頭で考えたことを書いている。
浮沈子のフォースなんて、高々そんな程度だ。
実は、この作品で、最大に涙腺が緩んだのが、スリープモードになっていたR2-D2が復旧するシーンだった。
やはり浮沈子は、頭が少し(?)イカレているようだ。
人間の覚醒より、機械の覚醒に感動している。
まあ、どうでもいいんですが。
ルークを探せプロジェクトは終了し、ファーストオーダーとの戦いが、本格的に始まる。
エピソード8は、近々作成されるようだ。
(スター・ウォーズ エピソード8)
http://ja.starwars.wikia.com/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BA_%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%898
「公開予定日は2017年5月26日」
来年の5月じゃん!?。
「『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』の公開から数えて40年と1日後」
そういう時代だということだ。
(スター・ウォーズ エピソード9)
http://ja.starwars.wikia.com/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BA_%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%899
「公開は2019年を予定している。」
2年に1度の公開が決定しており、レイ役は同じ俳優だ。
新しい主役で織りなす銀河の物語。
それは、人間の物語であり、愛と友情の物語である。
家族、友人、仲間、組織、国家、レジスタンス・・・。
そこには、神の姿はないが、帝国も共和国も、何かに弄ばれているような気がする。
浮沈子は、新世代のスターウォーズには夢中になれないんじゃないかと心配していたが、杞憂に終わった。
新3部作は、全て劇場で観たいものだ。
どんな物語が展開し、フォースの謎が解き明かされていくのかが楽しみである。
あるいは、謎は謎のままになるかも知れないけどな。
画像は、レイ役のレイジー・リドリー。
オジサン的には、感情移入しにくいキャラだが、是非とも素晴らしい演技で、観客を魅了してもらいたい。
その意味で、最後にリドリーに、決め台詞を・・・。
フォースと共にあらんことを!。
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