機上の空論(パリ帰国編) ― 2014年06月17日 12:40
機上の空論(パリ帰国編)
シャルル・ド・ゴール空港のM31ゲートから、今、登場が始まった。
ーーーー
既に、機はスカンジナビア半島に差し掛かっている。
足掛け6日間のフランス滞在を終え、極東(正に、東の極みだな)の日本という国に向かっている。
シベリア上空を経て、成田に向かっているのだ。
一週間足らずのフランス旅行、パリとルマンだけ。
周りは外人だらけ、みんな聞いたこともないフランス語を話している(当たり前です!)。
ホテルとかでは、大体英語が通じるので不自由はないが、ルマンサーキットから20分くらい歩いたところにあるスーパーマーケットのレジのおばちゃんや、その近くのパン屋のおかみさんは、英語を喋ろうとする気はさらさらなさそうだったな。
まあいい。
考えてみれば、うちの近所の蕎麦屋の耳の遠いおばちゃんに、そんなことを要求しても無理な話だ。
フランスは、米国圏とは一味違った国だ。
もちろん、東南アジアとも異なる。
街中を歩いて、タバコを吸っている人が多いのに驚く。
スリに気をつけろという放送が、地下鉄の中で聞こえる(日本語で!)。
その代わり、乞食が少ない。
路上生活者はいるが、あからさまな物乞いはいなかったな。
週末の地下鉄の車内で、ギターを弾きながら歌を歌ったりしている人や、カラオケで歌っているひとがいるが、まあ、物乞いではない。
そこは、福祉が行き届いた欧州の誇りといってもいいだろう。
スリはどうなんだあ?。
まあ、どうでもいいんですが。
往きと異なり、隣の席が空いているので、ゆったりと過ごすことができる。
機材は、同じB777-300ERである。
ーーーー
機内食を食べた(画像参照)。
今回はビーフカレーで、家畜の餌(エコノミーの機内食)としては、マトモな味がしたな。
例によって、味噌汁付である。
うーん、カレーに味噌汁かあ・・・。
まあいい。
出発してから1501km飛んだ。
バルト海を北上中である。
往きもそうだが、こういうルートになるとは知らなかったな。
北極の上を飛ぶと思っていた。
来る時にはトータルで9700kmだったので、まだまだ先は長い。
食後の飲み物が来たら、少し機内をうろついてみよう。
時折、少し揺れるが、概ね気流も安定していて快適な飛行である。
ーーーー
まあ、改めて詳しく書くんだが、今回のルマンは最高の経過と最低の結果というのが現在の印象である。
スタートしてしばらくすると、予報どおり雨が降ってきて、憎っくき(常勝)アウディの3号車が死んだ。
ざまあみろ(過激)、ついでにトヨタの8号車も貰い事故でクラッシュした。
この時は、まさか、このクルマが表彰台に上がることになるとは夢にも思わなかったな。
このとき、上位を走っていたトヨタ7号車、ポルシェ14号車、ポルシェ20号車、アウディ1号車、3号車のうち、生き残ったのはアウディの2台だけ。
終盤、一時ポルシェの20号車がトップを走っていたので、儚い夢を見させてもらったが、まあ、露と消えたわけだ。
それにしても、トヨタの7号車は惜しかったな。
24時間という耐久レースの怖さというか、難しさというか、敢えていえば面白さが分かった。
快調に走っていたポルシェ14号車も、いつの間にか消えていたし・・・。
最後の1周だけちゃっかり走っていたのには驚いたが、まあ、いろいろあるんだろう。
各車、トラブルを抱えながらのぎりぎりの走行だったようだ。
ルマン24時間レースは、かくして終わり、浮沈子の観戦ツアーも終わろうとしている。
結果はアウディの5連覇を見届けるという、想定されるシナリオのうちで、ほぼ最低の結果となった(真の最低は、アウディの表彰台独占だから、一矢報いたトヨタには、感謝しなければなるまい)。
そして、浮沈子が思ったことは、こと、ルマン「観戦」に関する限り、結果はさほど重要ではないということだ。
刻々と変わる順位や、マシンの状態を見ながら、筋書きのないドラマに酔う。
そのプロセスこそが、観客としての醍醐味なのだ。
結果というのは、その観点からいうと、24時間のプロセスの中の、最後の一瞬に過ぎない。
もちろん、その一瞬のためにプロセスがあるには違いないのだが、それはレースをしている当事者の視点であって、観客のそれではない。
浮沈子は、予選の第3レグを見たのだが、それだってレースの一部だし、本当ならルマンウィークの間、ずっと滞在して楽しむのが正当な観戦というものだろう。
一週間続くのが、ルマンというレースなのだと知った。
来年も、また来ようと思う。
来られるかどうかは、その時の状況次第だが、来ることができれば嬉しい。
この時期の欧州は、実に気持ちのいい季節だ。
フランスの北西部に限っていえば、1年で一番いい季節かもしれない(他の時期を知らないので、適当です)。
そんな素敵な時期に、自動車レースを楽しむ習慣を、100年近く続けている人々がいるというのが、素晴らしいと思う。
何百年でも続いて欲しいような気がする。
そう考えると、たった1年の、しかも結果だけを云々するというのは、実に浅はかなことだし、ひょっとすると何の意味もないのかも知れない。
予選を観たり、本戦を観たりするために、TGVや高速道路で移動する際、フランス西部平野の牧歌的な田園風景を眺めながら走る。
この国は、欧州の中で最大の農業国であり、農産物の輸出国だったはずだ。
1年掛けて育てた作物を、収穫して糧としているのである。
浮沈子は、ふと気付いた。
ルマン24時間レースとは、作物を育てるようなものなのだと。
畑を耕し種を播き、手入れをしながら大切に育て、太陽や雨や風といった自然の恵みを受けながら、実りの時期を迎えて刈り入れを行う。
収穫された作物の出来・不出来は、刈り入れの時に決まるのではもちろん、ない。
長いプロセスの中にこそ、結果を導く全てがあるのだ。
ルマンと農業は同じなのだ。
農業国フランスの片田舎、ルマンの地で世界有数の耐久レースが連綿と続いているというのは、実はそういうことがあるのではないか。
収穫祭なのである。
観客は、そのプロセスを楽しみに来る。
ヨーロッパ中から、多くのファンが押し寄せる。
浮沈子は、自動車レースというのは、現代のヨーロッパが育んだ文化だと思っている。
自動車は、確かに工業製品だが、その工業製品を農業の文化に取り込んで楽しんでいるのが耐久レースなのではないか。
もし、そうだとしたら、浮沈子が来年また観に来るというのは、小麦に穂が付いて実るのと同じく、自然で、当然で、当たり前の成り行きなのではなかろうか。
まあ、どうでもいいんですが。
ルマンを楽しむ観客を見ていると、なんとかくそんな気がしてくる。
結果は重要だが、最重要ではない。
ルマンというレースが、夏至に最も近い週末に開催されるということ、開催され続けるということが、最も重要なのだ。
極東のメーカーが勝とうが、地元欧州のメーカーが勝とうが、それは上辺だけの事象に過ぎない。
来年、何処のメーカーが優勝するか、それは、誰にも分らない。
ただ、戦争による中断があったにせよ、100年近くもレースを続けている中で、誰もが確信を持って言えることは、「ルマン24時間レースが、来年も、夏至に最も近い週末に、同じ場所で行われる」ということだ。
毎朝太陽が東から昇るのと同じくらいの確かさで、皆がそれを信じている。
それがルマンの本質であり、このレースが持っている根源的な意味なのだと浮沈子は感じる。
まあいい。
長い歴史を持つ耐久レースが行われる国は他にもあるが、ルマンの歴史は別格だ。
しかも、世界に冠たるメーカーの力をもってしても、このレースに勝つことは難しい。
その魅力が、また一つ増えたことになるわけだ。
浮沈子にとっては、サイテーの結果だが、しかし、そんなことには、たぶん何の意味もないのだ。
延々と見わたす限り続く小麦畑の一畝の、たった1本の麦の穂が、温かい日差しの中で、そよ風に吹かれて、しばし揺れただけに過ぎない。
人が作りしものである自動車が、互いに競うという営みが続く限り・・・。
この地に、その営みを観に訪れる人々の流れの絶えることがない限り・・・。
ーーーー
B777-300ERは、そろそろ出発から2800kmになろうとする距離を飛行しつつある。
ロシア上空、1万フィートの高さを、ひたすらに飛び続けている。
まだ、8時間5分もかかると表示されたところだ。
ルマンの地から遠く離れれば離れるほど、このレースを見に来て良かったという思いは強くなる。
それは、このレースが、何か人間の営みの根源的なものと深く、強く、別ち難く結びついているからに違いない。
今回の旅行は、それを確信させてくれた。
トヨタがヨタッタとか、ポルシェがポシャッタとか、そんなレベルの低い話ではないと(確かに低いな・・・)。
スポーツの世界では、ワールドカップとやらが流行っている。
ニュースはその話で持ちきりで、ルマンのことは、思い出したように流れるに過ぎない。
4年に1度行われる世界大会というのは、浮沈子から見れば自然の摂理に反している。
うん、来年もまた来よう。
ーーーー
機は既にバイカル湖の北方に差し掛かっている。
到着まではおよそ4時間。
ジョージ・クルーニーとサンドラ・ブロックのグラビティを、たぶん3回目になるが、日本語吹き替えで観た。
3万5千フィートは、グラビティの描く宇宙に比べれば、遥かに地表に近いが、生身の人間には耐えられない高度である。
マイナス55度、対地速度850kmだと。
ロシアの上空を飛ぶのは、今回のフランス行きが初めてだが、日本から欧州に行くには避けて通れないルートだろう。
フランスに合わせていた時刻を、日本標準時に戻す。
地球の丸さを感じる。
帰りの移動は、往きに比べて短く感じるな。
機材に慣れてきたということ、日本語が通じる国に行く(帰る)という気分的な問題、そして、たぶん実際の飛行時間もいくぶん短いだろう。
既に到着まで4時間を切った。
飛行経路の地図に、日本海が表示されるようになる。
距離は3200km余りである。
パリから6500kmを飛んだわけだ。
ルマンカーが24時間で走る距離は、せいぜい5000km余りである(13.62kmを、今回は379周)。
サルトサーキットが、いくら高速サーキットだといっても、せいぜい平均時速は245km程度に過ぎない。
旅客機が出すスピードというのは、一般人が経験するスピードの限界だろう。
そのとてつもない時速850kmもの速度で移動しながら、このヨタブログを書いているのだ。
シャルル・ド・ゴール空港のM31ゲートから、今、登場が始まった。
ーーーー
既に、機はスカンジナビア半島に差し掛かっている。
足掛け6日間のフランス滞在を終え、極東(正に、東の極みだな)の日本という国に向かっている。
シベリア上空を経て、成田に向かっているのだ。
一週間足らずのフランス旅行、パリとルマンだけ。
周りは外人だらけ、みんな聞いたこともないフランス語を話している(当たり前です!)。
ホテルとかでは、大体英語が通じるので不自由はないが、ルマンサーキットから20分くらい歩いたところにあるスーパーマーケットのレジのおばちゃんや、その近くのパン屋のおかみさんは、英語を喋ろうとする気はさらさらなさそうだったな。
まあいい。
考えてみれば、うちの近所の蕎麦屋の耳の遠いおばちゃんに、そんなことを要求しても無理な話だ。
フランスは、米国圏とは一味違った国だ。
もちろん、東南アジアとも異なる。
街中を歩いて、タバコを吸っている人が多いのに驚く。
スリに気をつけろという放送が、地下鉄の中で聞こえる(日本語で!)。
その代わり、乞食が少ない。
路上生活者はいるが、あからさまな物乞いはいなかったな。
週末の地下鉄の車内で、ギターを弾きながら歌を歌ったりしている人や、カラオケで歌っているひとがいるが、まあ、物乞いではない。
そこは、福祉が行き届いた欧州の誇りといってもいいだろう。
スリはどうなんだあ?。
まあ、どうでもいいんですが。
往きと異なり、隣の席が空いているので、ゆったりと過ごすことができる。
機材は、同じB777-300ERである。
ーーーー
機内食を食べた(画像参照)。
今回はビーフカレーで、家畜の餌(エコノミーの機内食)としては、マトモな味がしたな。
例によって、味噌汁付である。
うーん、カレーに味噌汁かあ・・・。
まあいい。
出発してから1501km飛んだ。
バルト海を北上中である。
往きもそうだが、こういうルートになるとは知らなかったな。
北極の上を飛ぶと思っていた。
来る時にはトータルで9700kmだったので、まだまだ先は長い。
食後の飲み物が来たら、少し機内をうろついてみよう。
時折、少し揺れるが、概ね気流も安定していて快適な飛行である。
ーーーー
まあ、改めて詳しく書くんだが、今回のルマンは最高の経過と最低の結果というのが現在の印象である。
スタートしてしばらくすると、予報どおり雨が降ってきて、憎っくき(常勝)アウディの3号車が死んだ。
ざまあみろ(過激)、ついでにトヨタの8号車も貰い事故でクラッシュした。
この時は、まさか、このクルマが表彰台に上がることになるとは夢にも思わなかったな。
このとき、上位を走っていたトヨタ7号車、ポルシェ14号車、ポルシェ20号車、アウディ1号車、3号車のうち、生き残ったのはアウディの2台だけ。
終盤、一時ポルシェの20号車がトップを走っていたので、儚い夢を見させてもらったが、まあ、露と消えたわけだ。
それにしても、トヨタの7号車は惜しかったな。
24時間という耐久レースの怖さというか、難しさというか、敢えていえば面白さが分かった。
快調に走っていたポルシェ14号車も、いつの間にか消えていたし・・・。
最後の1周だけちゃっかり走っていたのには驚いたが、まあ、いろいろあるんだろう。
各車、トラブルを抱えながらのぎりぎりの走行だったようだ。
ルマン24時間レースは、かくして終わり、浮沈子の観戦ツアーも終わろうとしている。
結果はアウディの5連覇を見届けるという、想定されるシナリオのうちで、ほぼ最低の結果となった(真の最低は、アウディの表彰台独占だから、一矢報いたトヨタには、感謝しなければなるまい)。
そして、浮沈子が思ったことは、こと、ルマン「観戦」に関する限り、結果はさほど重要ではないということだ。
刻々と変わる順位や、マシンの状態を見ながら、筋書きのないドラマに酔う。
そのプロセスこそが、観客としての醍醐味なのだ。
結果というのは、その観点からいうと、24時間のプロセスの中の、最後の一瞬に過ぎない。
もちろん、その一瞬のためにプロセスがあるには違いないのだが、それはレースをしている当事者の視点であって、観客のそれではない。
浮沈子は、予選の第3レグを見たのだが、それだってレースの一部だし、本当ならルマンウィークの間、ずっと滞在して楽しむのが正当な観戦というものだろう。
一週間続くのが、ルマンというレースなのだと知った。
来年も、また来ようと思う。
来られるかどうかは、その時の状況次第だが、来ることができれば嬉しい。
この時期の欧州は、実に気持ちのいい季節だ。
フランスの北西部に限っていえば、1年で一番いい季節かもしれない(他の時期を知らないので、適当です)。
そんな素敵な時期に、自動車レースを楽しむ習慣を、100年近く続けている人々がいるというのが、素晴らしいと思う。
何百年でも続いて欲しいような気がする。
そう考えると、たった1年の、しかも結果だけを云々するというのは、実に浅はかなことだし、ひょっとすると何の意味もないのかも知れない。
予選を観たり、本戦を観たりするために、TGVや高速道路で移動する際、フランス西部平野の牧歌的な田園風景を眺めながら走る。
この国は、欧州の中で最大の農業国であり、農産物の輸出国だったはずだ。
1年掛けて育てた作物を、収穫して糧としているのである。
浮沈子は、ふと気付いた。
ルマン24時間レースとは、作物を育てるようなものなのだと。
畑を耕し種を播き、手入れをしながら大切に育て、太陽や雨や風といった自然の恵みを受けながら、実りの時期を迎えて刈り入れを行う。
収穫された作物の出来・不出来は、刈り入れの時に決まるのではもちろん、ない。
長いプロセスの中にこそ、結果を導く全てがあるのだ。
ルマンと農業は同じなのだ。
農業国フランスの片田舎、ルマンの地で世界有数の耐久レースが連綿と続いているというのは、実はそういうことがあるのではないか。
収穫祭なのである。
観客は、そのプロセスを楽しみに来る。
ヨーロッパ中から、多くのファンが押し寄せる。
浮沈子は、自動車レースというのは、現代のヨーロッパが育んだ文化だと思っている。
自動車は、確かに工業製品だが、その工業製品を農業の文化に取り込んで楽しんでいるのが耐久レースなのではないか。
もし、そうだとしたら、浮沈子が来年また観に来るというのは、小麦に穂が付いて実るのと同じく、自然で、当然で、当たり前の成り行きなのではなかろうか。
まあ、どうでもいいんですが。
ルマンを楽しむ観客を見ていると、なんとかくそんな気がしてくる。
結果は重要だが、最重要ではない。
ルマンというレースが、夏至に最も近い週末に開催されるということ、開催され続けるということが、最も重要なのだ。
極東のメーカーが勝とうが、地元欧州のメーカーが勝とうが、それは上辺だけの事象に過ぎない。
来年、何処のメーカーが優勝するか、それは、誰にも分らない。
ただ、戦争による中断があったにせよ、100年近くもレースを続けている中で、誰もが確信を持って言えることは、「ルマン24時間レースが、来年も、夏至に最も近い週末に、同じ場所で行われる」ということだ。
毎朝太陽が東から昇るのと同じくらいの確かさで、皆がそれを信じている。
それがルマンの本質であり、このレースが持っている根源的な意味なのだと浮沈子は感じる。
まあいい。
長い歴史を持つ耐久レースが行われる国は他にもあるが、ルマンの歴史は別格だ。
しかも、世界に冠たるメーカーの力をもってしても、このレースに勝つことは難しい。
その魅力が、また一つ増えたことになるわけだ。
浮沈子にとっては、サイテーの結果だが、しかし、そんなことには、たぶん何の意味もないのだ。
延々と見わたす限り続く小麦畑の一畝の、たった1本の麦の穂が、温かい日差しの中で、そよ風に吹かれて、しばし揺れただけに過ぎない。
人が作りしものである自動車が、互いに競うという営みが続く限り・・・。
この地に、その営みを観に訪れる人々の流れの絶えることがない限り・・・。
ーーーー
B777-300ERは、そろそろ出発から2800kmになろうとする距離を飛行しつつある。
ロシア上空、1万フィートの高さを、ひたすらに飛び続けている。
まだ、8時間5分もかかると表示されたところだ。
ルマンの地から遠く離れれば離れるほど、このレースを見に来て良かったという思いは強くなる。
それは、このレースが、何か人間の営みの根源的なものと深く、強く、別ち難く結びついているからに違いない。
今回の旅行は、それを確信させてくれた。
トヨタがヨタッタとか、ポルシェがポシャッタとか、そんなレベルの低い話ではないと(確かに低いな・・・)。
スポーツの世界では、ワールドカップとやらが流行っている。
ニュースはその話で持ちきりで、ルマンのことは、思い出したように流れるに過ぎない。
4年に1度行われる世界大会というのは、浮沈子から見れば自然の摂理に反している。
うん、来年もまた来よう。
ーーーー
機は既にバイカル湖の北方に差し掛かっている。
到着まではおよそ4時間。
ジョージ・クルーニーとサンドラ・ブロックのグラビティを、たぶん3回目になるが、日本語吹き替えで観た。
3万5千フィートは、グラビティの描く宇宙に比べれば、遥かに地表に近いが、生身の人間には耐えられない高度である。
マイナス55度、対地速度850kmだと。
ロシアの上空を飛ぶのは、今回のフランス行きが初めてだが、日本から欧州に行くには避けて通れないルートだろう。
フランスに合わせていた時刻を、日本標準時に戻す。
地球の丸さを感じる。
帰りの移動は、往きに比べて短く感じるな。
機材に慣れてきたということ、日本語が通じる国に行く(帰る)という気分的な問題、そして、たぶん実際の飛行時間もいくぶん短いだろう。
既に到着まで4時間を切った。
飛行経路の地図に、日本海が表示されるようになる。
距離は3200km余りである。
パリから6500kmを飛んだわけだ。
ルマンカーが24時間で走る距離は、せいぜい5000km余りである(13.62kmを、今回は379周)。
サルトサーキットが、いくら高速サーキットだといっても、せいぜい平均時速は245km程度に過ぎない。
旅客機が出すスピードというのは、一般人が経験するスピードの限界だろう。
そのとてつもない時速850kmもの速度で移動しながら、このヨタブログを書いているのだ。
ルマン観戦記(その1:出発からパリ初日) ― 2014年06月17日 22:52
ルマン観戦記(その1:出発からパリ初日)
現地では、とにかく行動することが先になって、悠長にブログを書いている暇はなかった。
そんな時間があったら、パリの街をうろついたり、ルマンの会場を歩き回ったりしたかったからだ。
それ以外の時間は、移動中か、ほぼ寝ている。
こうして、帰国した後で無いと、ブログを書く暇もない。
パリに向かって旅立つ際、一応準備していたつもりだったが、せっかく買った地球の歩き方の「パリ&近郊の町」を忘れた。
あるはずだったコンセントの変換プラグも、見つからなかったので、成田の薬局(なんで、こんなところに売ってるんだあ?)で買った(540円)。
まあ、大きなトラブルもなく、無事に帰国できたのは何よりであった。
例によって、海外旅行保険は、成田の入国審査を通ってから、自動販売機で買った。
集合場所に行って、添乗員の杉山さんと初めてお目にかかる。
成田から出発するのは、杉山さんを入れて7人である。
現地で3人が合流して、トータルで10人が今回のグループになるわけだ。
浮沈子のように、自動車レースが始めてという方は皆無で、皆さん、海外を含めてレース観戦が豊富である。
F1のモナコを観戦された方も、複数いた。
なんだかんだで、往きの道中はあっという間だったな。
シャルル・ド・ゴール空港に着いて、一番印象的だったのは、高速道路の橋脚が細いこと。
日本では考えられない細さだ。
地震がない国というのは、こんなところにその影響が出るんだな。
マイクロバスに乗車して、一路、パリ市内に向かう。
市内で渋滞にあったりして、1時間ほどでホテルに着く。
初めてのヨーロッパ、初めてのパリ!。
ムーランルージュから程近い小さなホテルに入った。
(ティムホテル オペラ ブランシュ フォンテーヌ)
http://www.expedia.co.jp/Paris-Hotels-Timhotel-Opera-Blanche-Fontaine.h565590.Hotel-Information
浮沈子は、相部屋だったのだが、いろいろあって、1部屋をゲットした!。
ラッキーである。
ルマン観戦が夜通しなので、14日朝にいったんチェックアウトするわけだが、それまでは個室を堪能できる。
改修されたばかりの、小奇麗なホテルだ。
デザインがおしゃれすぎて、どう扱ったらいいか、しばし苦労する。
晩飯を食べに、ムーランルージュの先のレストランに皆で行った。
ご夫婦で来られている方以外の、オヤジーズ5人である。
サンドイッチをつまみながら、話はフランスやパリのことではなく、モナコや富士のレースの話ばっかし・・・。
浮沈子などは、全くついていけない。
で、ホテルに戻って、爆睡である。
ムーランルージュは、すごい人だかりがしていた。
日本でいえば、歌舞伎座みたいなもんだろう(そういう比較かよ!)。
金も興味もないので、詳しくは知らない。
翌朝は、7時からホテルの朝食。
ビュッフェ式で、好きなだけ取って食べられるが、大したものはない。
バゲットの小さいのがあって、これは美味しかった。
ベーコン、スクランブルエッグ、ヨーグルトその他諸々である。
腹ごしらえをして、グーグルアースの地図を落としたソニーのスマホを片手に、初めてのパリの街を一人散歩した。
オペラ座まで行って、戻ってきたが、帰りは道に迷ってしまったので、ムーランルージュを目指して帰ってきた。
やれやれ、もう少しで市内観光ツアーに遅れるところだったな。
半日(3時間)の観光のガイドをしてくれたのは、現地に住んでいるリンダさんというおばさん(おねえさん?)だった。
明るく、元気で、ガイド向きだな。
運転手は、元レーシングドライバーだという。
渋滞での空きスペースへの突っ込みの鋭さは、さすがであった。
ノートルダム寺院(ここだけ中に入りました)、リュクサンブール宮殿、シャンゼリゼ通り(通り過ぎただけ)、凱旋門(ちらっと観ただけ)、セント・ラザレ駅(ちらっと観ただけ)、トロカデロ広場からのエッフェル塔(ちらっと観ただけ)、皆さんの希望で、パッシー墓地のルノー家の墓(トロカデロの近所だったので)。
まあ、メインはノートルダム寺院だった。
荘厳にして、絢爛。
(ノートルダム大聖堂 (パリ))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%A0%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82_(%E3%83%91%E3%83%AA)
「パリのノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム寺院とも) はゴシック建築を代表する建物」
「現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されている。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指す。」
単なる観光資源ではなく、現役の宗教施設なのである。
当日も、中では説教が流れ、ミサが行われているようだった。
ガイドさんは、回廊の奥、入り口の反対側のところにある横たわった聖人の像について、いろいろと説明していた。
(パリのディオニュシウス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%81%AE%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%82%B9
「ディオニュシウスは、多くの人々を改宗させたために異教の僧侶の怒りを買い、ドルイドの聖地であったと思われるパリ近郊の最も高い丘(現在のモンマルトル)で斬首刑に処せられた。現在のモンマルトルという名は、古いフランス語で「殉教者の山」という意味であり、ディオニュシウスらの殉教にちなんで名づけられたものである」
「ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』によると、ディオニュシウスは、首を斬り落とされた後、それを拾い上げ、説教をしながら数キロメートルを歩いたという。彼が説教をやめ本当に死んだ場所には、小さな礼拝所が建てられ、歴代フランス国王が埋葬されるサン=ドニ大聖堂になった。」
やれやれ、フランス人も、グロな話が好きなんだな。
リュクサンブール宮殿は、庭の一部を散歩しただけだったが、四角に切りそろえられた庭木が印象的だった。
幾何学模様の庭は、フランス庭園の典型だな。
(リュクサンブール宮殿)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%AE%AE%E6%AE%BF
「フランスのパリにある宮殿。フランス元老院(上院)の議事堂として使用され、その周囲はリュクサンブール公園として一般に公開されている。」
池の辺りをぶらぶらしただけだが、パリのど真ん中にあるという意味では、日比谷公園のようなものか(そういう比較かよ!)。
まあいい。
マロニエの並木の下を歩いて車に戻る。
(セイヨウトチノキ:フランスではマロニエ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%81%E3%83%8E%E3%82%AD
リンダさんによれば、花の季節は素晴らしいそうだ。
セント・ラザレ駅は、車の中からちらっと見ただけだったが、モネの作品にもあり、記憶に残った。
(サン・ラザール駅)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB%E9%A7%85
「パリではパリ北駅に次ぐ利用者数のターミナル駅である。ただし近郊列車の利用が大半を占め、TGVの発着もない。地元の人々の日常的な利用が多いが観光客は目立たず、パリのターミナル駅の中では華やかさが薄い。」
渋谷のようなもんかあ?(そういう比較かよ!)。
「印象派絵画:
19世紀の印象派絵画との関わりが深い。その代表例として、画家のモネはこのサン・ラザール駅を題材にした連作をいくつか書いている。駅内部の列車が到着する様子数枚、および駅ホームの北端よりウロップ橋とその下を通る線路を眺めた場面の絵などがある。」
オルセーの5階にも、1枚飾ってあった。
パリの市内観光は、盛りだくさんだったが、やはり時間を掛けて自分が見たいところを見るというのがいいな。
それは、この日、12日の午後からと、この翌日に予定していた。
ざっと見てまわるという感じだったが、ガイドさんの丁寧な解説で好印象であった。
パリの街の雰囲気を味わうのには、ちょうどいいかもしれない。
一旦ホテルに戻り、いよいよパリ探検に出発する。
たった一人、初めてのヨーロッパ、初めてのフランス、初めてのパリ!(ドキドキでしたなあ・・・)。
で、浮沈子が何をしたかというと、昨日、水を買いに行った近所のスーパーで買ってきた乾パンをボリボリと食べながら、ホテルでもらった地下鉄路線図を見ながら戦術を練る。
とにかく、オルセー美術館に行って、印象派の絵画を鑑賞しなければならないのだが、それには地下鉄の切符を買わなければならない。
カルネという10枚ものを買おうと思っているのだが、どうやって買ったらいいのか。
部屋のネットで調べて、自動販売機で買うことにする。
どうやら、アメックスは使えないらしい(添乗員情報)。
(パリのメトロ乗り方ガイド)
http://www.paris-metro.biz/
このページは、非常に分かりやすく書かれていて、浮沈子的にはお勧めである。
乗り換えのコツも大体分かった。
そこで、パリの街一人歩きの練習として、ブランシェの駅で、地下鉄の切符を買うというミッション(?)から始めることに。
VISAカードを持って、いざ、出陣。
150mくらい離れたブランシェの駅の階段を降りると、左右に販売機がある。
右側のヤツは、現金が使えそうな感じだったが、左側はカードだけらしい。
こっちの方が空いてる。
一人の乗客が買うのを良く見て、機械の前に立つ。
心臓、バクバクもんだな。
画面にタッチすると、左上に言語が選択できるように、国旗が書いてあるので、ユニオンジャックを選択する(日の丸はありません)。
適当にタッチして、カードを入れるが、インコレクトだと弾かれる。
マジかよ!?。
いや、単に暗証番号を間違えただけらしい。
いとも簡単に切符が10枚出てきた。
回数券のように繋がっているのかと思ったが、バラである。
有効期限もないらしい。
こりゃ、カルネで買わないと損であるな。
無事にゲットしたので、一旦ホテルに戻る。
小休止の後、いよいよ本番である。
オルセーに行くには、ブランシェから1駅乗って、ピガレとかいう駅で12号線に乗り換え、アセンブリーナショナルという駅に行かなければならない(ソルフェリーノの方が近いらしい)。
ブランシェのある2号線は、ドアは全自動だが、12号線は半自動である。
降りたいときには、ドアの近くにいる乗客がドアを開ける操作をしなければならない。
ちいさなハンドルを持ち上げればいいだけなのだが、君子危うきに近寄らず、誰かが開けてくれるのを祈ることにする。
まあ、見よう見まねで、最後には簡単にできるようになった。
止まってからだとバチンというので、駅に入線するタイミングで持ち上げておくのがコツであるな。
乗る際には、外から同じことをするのだが、浮沈子は外側から開けたことはなかった。
乗り換えも、表示に従って行くと簡単に出来る。
しかし、ピガレで12号線から2号線に乗り換える際に誤って出口から出てしまった。
近いので歩いて帰ったが、今度は道を間違えて延々と歩く羽目になった。
とりあえず、オルセーの近くの駅で降りることには成功する。
午前中に、オルセーの前の道を車で通っているので迷うことはなかった。
問題は、美術館の2日券を買うということだな。
特に並んではいなかったが、リンダさん情報に従って、キオスクで買うことにする。
片言の英語でも、ちゃんと通じて、2日券をゲットした。
日付と名前を書き入れて、オルセーに入る。
入り口で、係員に呼び止められて、リュックをクロークに預ける。
日本語のパンフレットはなかった。
中に入ると、音声ガイドの機械を5ユーロで貸してくれるというので、日本語バージョンを借りることにした。
ハッキリ言って、浮沈子には必要なかったな。
当日は、ゴッホの特別展示をやっていたのだが、これは、また別の音声ガイドが必要らしい。
展示と一致していない音声もあって、借りるかどうかは考え物である。
浮沈子は、美術史の勉強に来ているわけではなく、絵画の鑑賞に来ているのだ。
一通り見てまわったが、5階にある印象派のコレクションは圧巻だな。
点数は少ないが、物がいい。
オランピアは見られなかったのだが、モネ、ルノワール、シスレーなどのコレクションは素晴らしい。
印象派以外のコレクションも充実していて、たぶん、1日中見ていても飽きない。
晩鐘、落穂拾いなど、美術本でしか見たことがなかった絵画の「ホンモノ」が目の前にあって、絵の具の盛りや筆遣いを間近に見ることができる。
感動もんだな。
浮沈子は、目頭が熱くなってしまった。
アールヌーボーの家具などの展示もあったが、あまりピンとこなかったな。
この後、モンパルナスからルマンの予選を見るためにTGVに乗らなければならなかったので、後ろ髪を引かれる思いでオルセーを後にした。
(この項続く)
現地では、とにかく行動することが先になって、悠長にブログを書いている暇はなかった。
そんな時間があったら、パリの街をうろついたり、ルマンの会場を歩き回ったりしたかったからだ。
それ以外の時間は、移動中か、ほぼ寝ている。
こうして、帰国した後で無いと、ブログを書く暇もない。
パリに向かって旅立つ際、一応準備していたつもりだったが、せっかく買った地球の歩き方の「パリ&近郊の町」を忘れた。
あるはずだったコンセントの変換プラグも、見つからなかったので、成田の薬局(なんで、こんなところに売ってるんだあ?)で買った(540円)。
まあ、大きなトラブルもなく、無事に帰国できたのは何よりであった。
例によって、海外旅行保険は、成田の入国審査を通ってから、自動販売機で買った。
集合場所に行って、添乗員の杉山さんと初めてお目にかかる。
成田から出発するのは、杉山さんを入れて7人である。
現地で3人が合流して、トータルで10人が今回のグループになるわけだ。
浮沈子のように、自動車レースが始めてという方は皆無で、皆さん、海外を含めてレース観戦が豊富である。
F1のモナコを観戦された方も、複数いた。
なんだかんだで、往きの道中はあっという間だったな。
シャルル・ド・ゴール空港に着いて、一番印象的だったのは、高速道路の橋脚が細いこと。
日本では考えられない細さだ。
地震がない国というのは、こんなところにその影響が出るんだな。
マイクロバスに乗車して、一路、パリ市内に向かう。
市内で渋滞にあったりして、1時間ほどでホテルに着く。
初めてのヨーロッパ、初めてのパリ!。
ムーランルージュから程近い小さなホテルに入った。
(ティムホテル オペラ ブランシュ フォンテーヌ)
http://www.expedia.co.jp/Paris-Hotels-Timhotel-Opera-Blanche-Fontaine.h565590.Hotel-Information
浮沈子は、相部屋だったのだが、いろいろあって、1部屋をゲットした!。
ラッキーである。
ルマン観戦が夜通しなので、14日朝にいったんチェックアウトするわけだが、それまでは個室を堪能できる。
改修されたばかりの、小奇麗なホテルだ。
デザインがおしゃれすぎて、どう扱ったらいいか、しばし苦労する。
晩飯を食べに、ムーランルージュの先のレストランに皆で行った。
ご夫婦で来られている方以外の、オヤジーズ5人である。
サンドイッチをつまみながら、話はフランスやパリのことではなく、モナコや富士のレースの話ばっかし・・・。
浮沈子などは、全くついていけない。
で、ホテルに戻って、爆睡である。
ムーランルージュは、すごい人だかりがしていた。
日本でいえば、歌舞伎座みたいなもんだろう(そういう比較かよ!)。
金も興味もないので、詳しくは知らない。
翌朝は、7時からホテルの朝食。
ビュッフェ式で、好きなだけ取って食べられるが、大したものはない。
バゲットの小さいのがあって、これは美味しかった。
ベーコン、スクランブルエッグ、ヨーグルトその他諸々である。
腹ごしらえをして、グーグルアースの地図を落としたソニーのスマホを片手に、初めてのパリの街を一人散歩した。
オペラ座まで行って、戻ってきたが、帰りは道に迷ってしまったので、ムーランルージュを目指して帰ってきた。
やれやれ、もう少しで市内観光ツアーに遅れるところだったな。
半日(3時間)の観光のガイドをしてくれたのは、現地に住んでいるリンダさんというおばさん(おねえさん?)だった。
明るく、元気で、ガイド向きだな。
運転手は、元レーシングドライバーだという。
渋滞での空きスペースへの突っ込みの鋭さは、さすがであった。
ノートルダム寺院(ここだけ中に入りました)、リュクサンブール宮殿、シャンゼリゼ通り(通り過ぎただけ)、凱旋門(ちらっと観ただけ)、セント・ラザレ駅(ちらっと観ただけ)、トロカデロ広場からのエッフェル塔(ちらっと観ただけ)、皆さんの希望で、パッシー墓地のルノー家の墓(トロカデロの近所だったので)。
まあ、メインはノートルダム寺院だった。
荘厳にして、絢爛。
(ノートルダム大聖堂 (パリ))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%A0%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82_(%E3%83%91%E3%83%AA)
「パリのノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム寺院とも) はゴシック建築を代表する建物」
「現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されている。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指す。」
単なる観光資源ではなく、現役の宗教施設なのである。
当日も、中では説教が流れ、ミサが行われているようだった。
ガイドさんは、回廊の奥、入り口の反対側のところにある横たわった聖人の像について、いろいろと説明していた。
(パリのディオニュシウス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%81%AE%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%82%B9
「ディオニュシウスは、多くの人々を改宗させたために異教の僧侶の怒りを買い、ドルイドの聖地であったと思われるパリ近郊の最も高い丘(現在のモンマルトル)で斬首刑に処せられた。現在のモンマルトルという名は、古いフランス語で「殉教者の山」という意味であり、ディオニュシウスらの殉教にちなんで名づけられたものである」
「ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』によると、ディオニュシウスは、首を斬り落とされた後、それを拾い上げ、説教をしながら数キロメートルを歩いたという。彼が説教をやめ本当に死んだ場所には、小さな礼拝所が建てられ、歴代フランス国王が埋葬されるサン=ドニ大聖堂になった。」
やれやれ、フランス人も、グロな話が好きなんだな。
リュクサンブール宮殿は、庭の一部を散歩しただけだったが、四角に切りそろえられた庭木が印象的だった。
幾何学模様の庭は、フランス庭園の典型だな。
(リュクサンブール宮殿)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%AE%AE%E6%AE%BF
「フランスのパリにある宮殿。フランス元老院(上院)の議事堂として使用され、その周囲はリュクサンブール公園として一般に公開されている。」
池の辺りをぶらぶらしただけだが、パリのど真ん中にあるという意味では、日比谷公園のようなものか(そういう比較かよ!)。
まあいい。
マロニエの並木の下を歩いて車に戻る。
(セイヨウトチノキ:フランスではマロニエ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%81%E3%83%8E%E3%82%AD
リンダさんによれば、花の季節は素晴らしいそうだ。
セント・ラザレ駅は、車の中からちらっと見ただけだったが、モネの作品にもあり、記憶に残った。
(サン・ラザール駅)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB%E9%A7%85
「パリではパリ北駅に次ぐ利用者数のターミナル駅である。ただし近郊列車の利用が大半を占め、TGVの発着もない。地元の人々の日常的な利用が多いが観光客は目立たず、パリのターミナル駅の中では華やかさが薄い。」
渋谷のようなもんかあ?(そういう比較かよ!)。
「印象派絵画:
19世紀の印象派絵画との関わりが深い。その代表例として、画家のモネはこのサン・ラザール駅を題材にした連作をいくつか書いている。駅内部の列車が到着する様子数枚、および駅ホームの北端よりウロップ橋とその下を通る線路を眺めた場面の絵などがある。」
オルセーの5階にも、1枚飾ってあった。
パリの市内観光は、盛りだくさんだったが、やはり時間を掛けて自分が見たいところを見るというのがいいな。
それは、この日、12日の午後からと、この翌日に予定していた。
ざっと見てまわるという感じだったが、ガイドさんの丁寧な解説で好印象であった。
パリの街の雰囲気を味わうのには、ちょうどいいかもしれない。
一旦ホテルに戻り、いよいよパリ探検に出発する。
たった一人、初めてのヨーロッパ、初めてのフランス、初めてのパリ!(ドキドキでしたなあ・・・)。
で、浮沈子が何をしたかというと、昨日、水を買いに行った近所のスーパーで買ってきた乾パンをボリボリと食べながら、ホテルでもらった地下鉄路線図を見ながら戦術を練る。
とにかく、オルセー美術館に行って、印象派の絵画を鑑賞しなければならないのだが、それには地下鉄の切符を買わなければならない。
カルネという10枚ものを買おうと思っているのだが、どうやって買ったらいいのか。
部屋のネットで調べて、自動販売機で買うことにする。
どうやら、アメックスは使えないらしい(添乗員情報)。
(パリのメトロ乗り方ガイド)
http://www.paris-metro.biz/
このページは、非常に分かりやすく書かれていて、浮沈子的にはお勧めである。
乗り換えのコツも大体分かった。
そこで、パリの街一人歩きの練習として、ブランシェの駅で、地下鉄の切符を買うというミッション(?)から始めることに。
VISAカードを持って、いざ、出陣。
150mくらい離れたブランシェの駅の階段を降りると、左右に販売機がある。
右側のヤツは、現金が使えそうな感じだったが、左側はカードだけらしい。
こっちの方が空いてる。
一人の乗客が買うのを良く見て、機械の前に立つ。
心臓、バクバクもんだな。
画面にタッチすると、左上に言語が選択できるように、国旗が書いてあるので、ユニオンジャックを選択する(日の丸はありません)。
適当にタッチして、カードを入れるが、インコレクトだと弾かれる。
マジかよ!?。
いや、単に暗証番号を間違えただけらしい。
いとも簡単に切符が10枚出てきた。
回数券のように繋がっているのかと思ったが、バラである。
有効期限もないらしい。
こりゃ、カルネで買わないと損であるな。
無事にゲットしたので、一旦ホテルに戻る。
小休止の後、いよいよ本番である。
オルセーに行くには、ブランシェから1駅乗って、ピガレとかいう駅で12号線に乗り換え、アセンブリーナショナルという駅に行かなければならない(ソルフェリーノの方が近いらしい)。
ブランシェのある2号線は、ドアは全自動だが、12号線は半自動である。
降りたいときには、ドアの近くにいる乗客がドアを開ける操作をしなければならない。
ちいさなハンドルを持ち上げればいいだけなのだが、君子危うきに近寄らず、誰かが開けてくれるのを祈ることにする。
まあ、見よう見まねで、最後には簡単にできるようになった。
止まってからだとバチンというので、駅に入線するタイミングで持ち上げておくのがコツであるな。
乗る際には、外から同じことをするのだが、浮沈子は外側から開けたことはなかった。
乗り換えも、表示に従って行くと簡単に出来る。
しかし、ピガレで12号線から2号線に乗り換える際に誤って出口から出てしまった。
近いので歩いて帰ったが、今度は道を間違えて延々と歩く羽目になった。
とりあえず、オルセーの近くの駅で降りることには成功する。
午前中に、オルセーの前の道を車で通っているので迷うことはなかった。
問題は、美術館の2日券を買うということだな。
特に並んではいなかったが、リンダさん情報に従って、キオスクで買うことにする。
片言の英語でも、ちゃんと通じて、2日券をゲットした。
日付と名前を書き入れて、オルセーに入る。
入り口で、係員に呼び止められて、リュックをクロークに預ける。
日本語のパンフレットはなかった。
中に入ると、音声ガイドの機械を5ユーロで貸してくれるというので、日本語バージョンを借りることにした。
ハッキリ言って、浮沈子には必要なかったな。
当日は、ゴッホの特別展示をやっていたのだが、これは、また別の音声ガイドが必要らしい。
展示と一致していない音声もあって、借りるかどうかは考え物である。
浮沈子は、美術史の勉強に来ているわけではなく、絵画の鑑賞に来ているのだ。
一通り見てまわったが、5階にある印象派のコレクションは圧巻だな。
点数は少ないが、物がいい。
オランピアは見られなかったのだが、モネ、ルノワール、シスレーなどのコレクションは素晴らしい。
印象派以外のコレクションも充実していて、たぶん、1日中見ていても飽きない。
晩鐘、落穂拾いなど、美術本でしか見たことがなかった絵画の「ホンモノ」が目の前にあって、絵の具の盛りや筆遣いを間近に見ることができる。
感動もんだな。
浮沈子は、目頭が熱くなってしまった。
アールヌーボーの家具などの展示もあったが、あまりピンとこなかったな。
この後、モンパルナスからルマンの予選を見るためにTGVに乗らなければならなかったので、後ろ髪を引かれる思いでオルセーを後にした。
(この項続く)
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