薫風 ― 2016年05月07日 15:53
薫風
風薫る5月、夕べの小雨も上がって、東京地方は穏やかな初夏の天気。
ゆっくりめに起きて、フィットネスに行き、軽く汗を流して、野菜中心の食事。
最近、野菜中心の食事を止めようとかいう本が流行っているらしいが、まあ、バランス重視というところだな。
何でも手に入る我が国の食料事情では、特に意識して食生活を組み立てなければならない。
人間は、自分では作ることが出来ないアミノ酸とか、ビタミン類があって、外部から取り入れなければならない宿命にある。
必要ではあるが、外部に依存する。
それが生き残りに有利だったということだ。
その分の機能は、他に振り向けることで生き残れたわけだしな。
だから、野菜だけ食べていればいいということもなければ、お肉だけ頂いていていいということもない。
糖質制限によるダイエットというのがあるようだが、何か特定の栄養素を制限しても、他でバクバク食ってしまえば結果は同じだ。
浮沈子は、現在、体重減少に鋭意取り組んでいるが、何かを制限しているということはない。
塩も、脂も食べる(ダイスキです!)。
で、何をしているかというと、全体の量を少なくして、トータルのカロリーを減らす。
嗜好品は、コーヒーだけだが、それも、飲み過ぎないように心掛ける(結果は、また別ですが)。
本格的なテクニカルダイビングを始めたら、コーヒーも止めなければなるまい。
水だけ・・・。
ああっ・・・(絶望のため息)。
体脂肪率も、相当落とさなくっちゃならないし、キビシー話になるな。
でも、それって、身体にとってはヤサシー話である。
キビシーのは、今の方だ。
テクニカルダイビングは、もちろん身体にはキビシーわけだから、少しでもリスクを減らしたいわけで、身体的なリスクは比較的簡単に排除できる。
メンタルな部分については、浮沈子は、まだ良く分かっていない。
最後まで生き残ろうとすることが、生死を分けるといわれるが、そのことの意味も良く分からない。
どんなに経験を積んでも、パニックになるときはなるという話も聞いた。
メンタルな部分のトレーニングについては、また、機会があれば書くが、それこそ個人差が多く、一般的な話として書くことは難しいだろう。
器材トラブルや、身体的なトラブルの要素を減らし、想定される状況に対するトレーニングを重ねて、慣熟していても、そういうこととは関係なく起こるパニックというのはある。
もちろん、トラブルが進行し、対応が難しくなっていく中で起こるパニックというのが一般的なんだろうが、まあ、それにはいろいろ対策があるわけで、とりあえずは、それを突き詰めていくしかないな・・・。
レストランの外は、陽の光が溢れ、薫風が若葉をそよがせている。
それはそれは、穏やかな佇まいで、パニックに陥るような要素はかけらもないように見える。
しかし、内面の真の恐怖は、そういう外的環境とは、おそらく無縁なのだ。
(パニック)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF
「古代ギリシアの人々は、家畜の群れが何の前触れもなく突然騒ぎだし、集団で逃げ出す現象について、家畜の感情を揺り動かす見えない存在が牧神・パーンと関係していると考え、これを「パーンに関係するもの」(古代ギリシア語: πανικόν = 英語: panic)と呼んだ。」
ダイビングで真に恐ろしいのは、エア切れでも、ガス昏睡でも、ルート喪失でもない(まあ、それはそれでヤバイですが)。
その状況の中で、理性を失い、衝動的な行動に走って、本当の危機に陥ってしまうことだ。
「人間にしても動物にしても、強いストレスの下で衝動的な行為を起こした場合、偶発的にでも、ストレスの元から逃れる可能性が生じるため、このような緊急的な行動様式が発達したと考えられている。」
陸上とは異なり、元々人間が生きられない水中でのパニックに、いいことは何もない。
想定し、備えをして、パニックに陥らないように最善を尽くすしかない。
それでも、対処できないときが来るかもしれない。
その中で、生き残ろうとする最後の足掻きを、本能に委ねることなく、理性に求めることが出来るんだろうか?。
十分に訓練され、優れたリーダーシップのもとにあったとしても、個々のレベルでパニックに起こる可能性はある。
それをグループ内でフォローするということなんだろうが、それが出来ないこともあるだろう。
内面の恐怖に、どう向き合うか。
その時に、理性を保つにはどうすべきか。
「生き残りの可能性がない場合にはパニックは起こりにくい」
うーん、それじゃあ仕方ないんだがな。
でも、参考にはなる。
人間は、いつか死んでしまうわけだが、ジジババになって、それだけでパニックに陥るという話はあまり聞かない。
死の受容ということが、日常的に行われ、心の中で合理的に対応できるようになっていれば、落ち着いていられるのかもしれない。
浮沈子は、まだその境地にはない。
ジタバタしている(パニックかあ?)。
諦めるのではなく、生き残るための最善を尽くす。
そのためのメンタルのトレーニングについて、そろそろ意識しだしている。
今までは、余り考えることはなかった。
これって、ダイビングにおけるハードプロブレムかもしれないな・・・。
風薫る5月、夕べの小雨も上がって、東京地方は穏やかな初夏の天気。
ゆっくりめに起きて、フィットネスに行き、軽く汗を流して、野菜中心の食事。
最近、野菜中心の食事を止めようとかいう本が流行っているらしいが、まあ、バランス重視というところだな。
何でも手に入る我が国の食料事情では、特に意識して食生活を組み立てなければならない。
人間は、自分では作ることが出来ないアミノ酸とか、ビタミン類があって、外部から取り入れなければならない宿命にある。
必要ではあるが、外部に依存する。
それが生き残りに有利だったということだ。
その分の機能は、他に振り向けることで生き残れたわけだしな。
だから、野菜だけ食べていればいいということもなければ、お肉だけ頂いていていいということもない。
糖質制限によるダイエットというのがあるようだが、何か特定の栄養素を制限しても、他でバクバク食ってしまえば結果は同じだ。
浮沈子は、現在、体重減少に鋭意取り組んでいるが、何かを制限しているということはない。
塩も、脂も食べる(ダイスキです!)。
で、何をしているかというと、全体の量を少なくして、トータルのカロリーを減らす。
嗜好品は、コーヒーだけだが、それも、飲み過ぎないように心掛ける(結果は、また別ですが)。
本格的なテクニカルダイビングを始めたら、コーヒーも止めなければなるまい。
水だけ・・・。
ああっ・・・(絶望のため息)。
体脂肪率も、相当落とさなくっちゃならないし、キビシー話になるな。
でも、それって、身体にとってはヤサシー話である。
キビシーのは、今の方だ。
テクニカルダイビングは、もちろん身体にはキビシーわけだから、少しでもリスクを減らしたいわけで、身体的なリスクは比較的簡単に排除できる。
メンタルな部分については、浮沈子は、まだ良く分かっていない。
最後まで生き残ろうとすることが、生死を分けるといわれるが、そのことの意味も良く分からない。
どんなに経験を積んでも、パニックになるときはなるという話も聞いた。
メンタルな部分のトレーニングについては、また、機会があれば書くが、それこそ個人差が多く、一般的な話として書くことは難しいだろう。
器材トラブルや、身体的なトラブルの要素を減らし、想定される状況に対するトレーニングを重ねて、慣熟していても、そういうこととは関係なく起こるパニックというのはある。
もちろん、トラブルが進行し、対応が難しくなっていく中で起こるパニックというのが一般的なんだろうが、まあ、それにはいろいろ対策があるわけで、とりあえずは、それを突き詰めていくしかないな・・・。
レストランの外は、陽の光が溢れ、薫風が若葉をそよがせている。
それはそれは、穏やかな佇まいで、パニックに陥るような要素はかけらもないように見える。
しかし、内面の真の恐怖は、そういう外的環境とは、おそらく無縁なのだ。
(パニック)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF
「古代ギリシアの人々は、家畜の群れが何の前触れもなく突然騒ぎだし、集団で逃げ出す現象について、家畜の感情を揺り動かす見えない存在が牧神・パーンと関係していると考え、これを「パーンに関係するもの」(古代ギリシア語: πανικόν = 英語: panic)と呼んだ。」
ダイビングで真に恐ろしいのは、エア切れでも、ガス昏睡でも、ルート喪失でもない(まあ、それはそれでヤバイですが)。
その状況の中で、理性を失い、衝動的な行動に走って、本当の危機に陥ってしまうことだ。
「人間にしても動物にしても、強いストレスの下で衝動的な行為を起こした場合、偶発的にでも、ストレスの元から逃れる可能性が生じるため、このような緊急的な行動様式が発達したと考えられている。」
陸上とは異なり、元々人間が生きられない水中でのパニックに、いいことは何もない。
想定し、備えをして、パニックに陥らないように最善を尽くすしかない。
それでも、対処できないときが来るかもしれない。
その中で、生き残ろうとする最後の足掻きを、本能に委ねることなく、理性に求めることが出来るんだろうか?。
十分に訓練され、優れたリーダーシップのもとにあったとしても、個々のレベルでパニックに起こる可能性はある。
それをグループ内でフォローするということなんだろうが、それが出来ないこともあるだろう。
内面の恐怖に、どう向き合うか。
その時に、理性を保つにはどうすべきか。
「生き残りの可能性がない場合にはパニックは起こりにくい」
うーん、それじゃあ仕方ないんだがな。
でも、参考にはなる。
人間は、いつか死んでしまうわけだが、ジジババになって、それだけでパニックに陥るという話はあまり聞かない。
死の受容ということが、日常的に行われ、心の中で合理的に対応できるようになっていれば、落ち着いていられるのかもしれない。
浮沈子は、まだその境地にはない。
ジタバタしている(パニックかあ?)。
諦めるのではなく、生き残るための最善を尽くす。
そのためのメンタルのトレーニングについて、そろそろ意識しだしている。
今までは、余り考えることはなかった。
これって、ダイビングにおけるハードプロブレムかもしれないな・・・。
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