「夜明け前」 ― 2013年03月28日 23:06

「夜明け前」
ご存知、島崎藤村の「夜明け前」は、木曽路馬籠の宿の幕末から明治にかけての変遷を、青山半蔵をモチーフとして綴った長編小説である。
(夜明け前:書評)
http://1000ya.isis.ne.jp/0196.html
青空文庫で読むことが出来る。
(夜明け前:青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000158/card1504.html
かつて、「破戒」を読んだ時、その重苦しい世界が嫌で、そう、ドストエフスキーの「罪と罰」との酷似も気に入らず、どーせ、自分のオヤジをモチーフにした私小説のようなものだろうと思っていた。
中山道の宿場なんて、面白くもないし、ド田舎の文人気取りの宿場の元締めなど、主人公としての魅力に乏しい。
王政復古の夢破れ、寺に放火し、座敷牢の中でクソまみれになって死んでいく・・・。
この狂人の血を怖れる藤村の、いわば、懺悔のような小説である。この小説を物すことにより、自らの発狂を抑えようとしたのではないか。
しかし、血は争えないというか、親父が自分の娘(藤村の妹)と関係を持ったように、藤村自身も姪と不倫することになる。その後、ほとぼりが冷めるまでフランスに逃げちゃうわけだが、3年後に戻ってくると、またまた、その姪っ子とエッチしちゃうという、しょうもない助兵衛オヤジである。
(島崎藤村:親譲りの憂鬱、年譜も参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%B4%8E%E8%97%A4%E6%9D%91#.E8.A6.AA.E8.AD.B2.E3.82.8A.E3.81.AE.E6.86.82.E9.AC.B1
「千曲川旅情の歌 一、二」
「小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ)
日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど
野に満つる香(かをり)も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛(歌哀し)
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁(にご)り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む」
「昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく)
明日をのみ思ひわづらふ
いくたびか栄枯の夢の
消え残る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き帰る
嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過し世を静かに思へ
百年もきのふのごとし
(百年もきのふのごとし)
千曲川柳霞みて
春浅く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁を繋ぐ
(この岸に愁を繋ぐ)」
浮沈子が中学生の頃は、藤村といえば、これらの詩が浮かび、叙情的な詩人だとばかり思っていたが、どろどろの人間関係に嵌っていたわけだな。
「名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子〔やし〕の実一つ
故郷〔ふるさと〕の岸を離れて
汝〔なれ〕はそも波に幾月
旧〔もと〕の樹は生ひや茂れる
枝はなほ影をやなせる
われもまた渚〔なぎさ〕を枕
孤身〔ひとりみ〕の浮寝の旅ぞ
実をとりて胸にあつれば
新〔あらた〕なり流離の憂〔うれひ〕
海の日の沈むを見れば
激〔たぎ〕り落つ異郷の涙
思ひやる八重の潮々
いづれの日にか国に帰らん」
同じく「落梅集」に収められた有名な「椰子の実」であるが、望郷の思いは、ずっと胸に秘めていたのかも知れぬ。
今年は、藤村の没後70年にあたるという。
浮沈子には、社会派を気取ったロマンチストに思えるんだが、何か分裂気味というか、今風に言えば統合失調症というか、煮え切らないヤツだ。
作品を、作者と関連付けて味わおうとする時、最も違和感を感じさせる小説家・詩人である。
初出の書評にもあるが、日本はいつの時代も「夜明け前」なのかもしれない。脱亜入欧とか日米重視とかいったって、真の文明国家として世界の一等国(古っ!)になったためしはなく、経済一流(最近はそれも怪しい)といわれていても、文化で一流といわれたことはなく、科学技術でも全体としては欧米の後追いに終始してきた。
そんな、何をやってみても、どう足掻いても、二流国家でしかない日本の憂鬱が、藤村の「親譲りの憂鬱」と妙に重なるような気がする。
柄にもなく、ブンガクを語ってしまった・・・。
ご存知、島崎藤村の「夜明け前」は、木曽路馬籠の宿の幕末から明治にかけての変遷を、青山半蔵をモチーフとして綴った長編小説である。
(夜明け前:書評)
http://1000ya.isis.ne.jp/0196.html
青空文庫で読むことが出来る。
(夜明け前:青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000158/card1504.html
かつて、「破戒」を読んだ時、その重苦しい世界が嫌で、そう、ドストエフスキーの「罪と罰」との酷似も気に入らず、どーせ、自分のオヤジをモチーフにした私小説のようなものだろうと思っていた。
中山道の宿場なんて、面白くもないし、ド田舎の文人気取りの宿場の元締めなど、主人公としての魅力に乏しい。
王政復古の夢破れ、寺に放火し、座敷牢の中でクソまみれになって死んでいく・・・。
この狂人の血を怖れる藤村の、いわば、懺悔のような小説である。この小説を物すことにより、自らの発狂を抑えようとしたのではないか。
しかし、血は争えないというか、親父が自分の娘(藤村の妹)と関係を持ったように、藤村自身も姪と不倫することになる。その後、ほとぼりが冷めるまでフランスに逃げちゃうわけだが、3年後に戻ってくると、またまた、その姪っ子とエッチしちゃうという、しょうもない助兵衛オヤジである。
(島崎藤村:親譲りの憂鬱、年譜も参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%B4%8E%E8%97%A4%E6%9D%91#.E8.A6.AA.E8.AD.B2.E3.82.8A.E3.81.AE.E6.86.82.E9.AC.B1
「千曲川旅情の歌 一、二」
「小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ)
日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど
野に満つる香(かをり)も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛(歌哀し)
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁(にご)り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む」
「昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく)
明日をのみ思ひわづらふ
いくたびか栄枯の夢の
消え残る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き帰る
嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過し世を静かに思へ
百年もきのふのごとし
(百年もきのふのごとし)
千曲川柳霞みて
春浅く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁を繋ぐ
(この岸に愁を繋ぐ)」
浮沈子が中学生の頃は、藤村といえば、これらの詩が浮かび、叙情的な詩人だとばかり思っていたが、どろどろの人間関係に嵌っていたわけだな。
「名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子〔やし〕の実一つ
故郷〔ふるさと〕の岸を離れて
汝〔なれ〕はそも波に幾月
旧〔もと〕の樹は生ひや茂れる
枝はなほ影をやなせる
われもまた渚〔なぎさ〕を枕
孤身〔ひとりみ〕の浮寝の旅ぞ
実をとりて胸にあつれば
新〔あらた〕なり流離の憂〔うれひ〕
海の日の沈むを見れば
激〔たぎ〕り落つ異郷の涙
思ひやる八重の潮々
いづれの日にか国に帰らん」
同じく「落梅集」に収められた有名な「椰子の実」であるが、望郷の思いは、ずっと胸に秘めていたのかも知れぬ。
今年は、藤村の没後70年にあたるという。
浮沈子には、社会派を気取ったロマンチストに思えるんだが、何か分裂気味というか、今風に言えば統合失調症というか、煮え切らないヤツだ。
作品を、作者と関連付けて味わおうとする時、最も違和感を感じさせる小説家・詩人である。
初出の書評にもあるが、日本はいつの時代も「夜明け前」なのかもしれない。脱亜入欧とか日米重視とかいったって、真の文明国家として世界の一等国(古っ!)になったためしはなく、経済一流(最近はそれも怪しい)といわれていても、文化で一流といわれたことはなく、科学技術でも全体としては欧米の後追いに終始してきた。
そんな、何をやってみても、どう足掻いても、二流国家でしかない日本の憂鬱が、藤村の「親譲りの憂鬱」と妙に重なるような気がする。
柄にもなく、ブンガクを語ってしまった・・・。
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