細胞内共生 ― 2013年10月06日 18:58
細胞内共生
生物の基本単位である細胞には、様々な細胞小器官が存在して、むちゃくちゃ多い機能を果たしている。
(細胞小器官)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E8%83%9E%E5%B0%8F%E5%99%A8%E5%AE%98
この細胞小器官を持っているのは、真核生物という分類に属する生物群である。
(真核生物)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E6%A0%B8%E7%B4%B0%E8%83%9E
(原核生物)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%A0%B8%E7%B4%B0%E8%83%9E
「古細菌は真正細菌よりむしろ真核生物に近いことがわかった。」
「すなわち、このことは原核生物は大きく異なった二つの系統からなり、加えて生物界を真核生物と原核生物に二分する分類が必ずしも実際の系統関係を反映しているとは限らないことを意味する。」
この説明にもあるとおり、真核生物と原核生物という分類が、必ずしも進化の系統を反映したものではなく、形態的、構造的、機能的な、ご都合主義的な分類である可能性は大きい。
しかし、まあ、現実的な分類であり、概ね現代の通説に適っている。
「真核生物(しんかくせいぶつ、学名: Eukaryota)は、動物、植物、菌類、原生生物など、身体を構成する細胞の中に細胞核と呼ばれる細胞小器官を有する生物である。真核生物以外の生物は原核生物と呼ばれる。」
細胞小器官の中でも、細胞核というのは特別な地位を与えられているらしい。
こいつがあるか、ないかで、扱いがグッと違ってくる。
もちろん、細胞核だけではなく、他の細胞小器官もたくさんあり、大きさも大きく、構造も複雑で、機能も豊富である。
格(核?)が違うというわけであるな(なんちゃって!)。
(細胞核の起源に関する研究)
http://www.takemura-lab.com/own
「核の起源は古細菌に感染したDNAウイルス」という仮説が提唱されている。
浮沈子が知る限り、細胞核がウイルス由来という説は、共生説が唱えられていたかなり初期から提唱されていた。
手を変え、品を変え、何度でも出てくるわけだな。
このなかに、ミミウイルスというのが出てくる。
(ミミウイルス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%9F%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9
もっとでかいのもある。
(メガウイルス・キレンシス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9
「最大で680nmに達するその大きさは、可視光線の赤に相当する波長と等しい大きさで、インフルエンザウイルスの8倍近くもあり、巨大であることで知られる天然痘ウイルスの2倍以上の大きさを持つ。また、この大きさは生物であるマイコプラズマ・ゲニタリウムの250nmやナノアルカエウム・エクウィタンスの400nmなど、いくつかの生物より大きい。通常ウイルスの観察には電子顕微鏡が必要だが、メガウイルス・キレンシスは光学顕微鏡で観察できるほどサイズが大きい。」
大きいことはいいことだ!。
さて、ミミウイルスの存在が、なぜ真核生物の細胞核がDNAウイルスの共生だということになるのだろうか。
(ウイルスとバクテリアの中間「ミミウイルス」、3D撮影に成功)
http://wired.jp/2009/05/08/%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E4%B8%AD%E9%96%93%E3%80%8C%E3%83%9F%E3%83%9F%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%80%8D%E3%80%813d/
「ウイルスと分類されたものの、ミミウイルスは、ウイルスの定義に当てはまらない部分が多い。サイズの巨大さに加え、その遺伝子の大部分がバクテリアから来ている。それゆえミミウイルスのことを、「無生物とされるウイルス」と「生物」の境界にあるミッシング・リンクだと考える研究者もいる。」とある。
話がややこしい。
バクテリアというのは、れっきとした生物である。
(真正細菌:バクテリアのこと)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E6%AD%A3%E7%B4%B0%E8%8F%8C
「古細菌ドメイン、真核生物ドメインとともに、全生物界を三分する。」とある。
そのゲノムが、ウイルスに取り込まれているわけだ。
逆じゃね?。
普通は、ウイルスがバクテリアに寄生して増殖している。
「構造に関する今回の発見は、従来の遺伝子的・形態論的研究と同様に、ミミウイルスが、ウイルスとバクテリアと、さらには真核生物(細胞核の中にDNAを封じ込めている生物)に見られるさまざまな遺伝子や構造を、奇妙に組み合わせたものであることを裏付けるものだ」
「2008年8月には、パリの水冷却塔で採取されたアメーバの中から、ミミウイルスの新しい株でミミウイルスよりも大きい『ママウイルス』(Mamavirus)が検出された。このママウイルスが、より小さなウイルスによって感染されていたことから、ウイルスの新しい定義として、「外殻(カプシド)に包まれた生物」という説も提唱されている」
ミミの次は、ママかよ!。
しかも、こっちは、ウイルスがウイルスに感染しているという話だ。
(ウイルスと共に生きる:図21 生命体としてのウイルスの役割など)
http://www.primate.or.jp/rensai/zakki/081222figs.pdf
「・最初の生命体 (RNAワールドの遺物?)
ウイルス→DNA→原核生物(細菌)→真核生物(植物、動物)」
「・進化の原動力
遺伝子の運び屋としてのウイルス」
ウイルスが共生するということは、遺伝子のポーテーションが起こっているわけだし、そのポーターが、そのまま居候して居心地良く暮らしているのが真核生物だとしたら、分かりやすい話ではある。
共生説に対して、膜進化説というものある。
(膜進化説)
http://members.tripod.com/blue100_02/html/e_m-devl.htm
(ミトコンドリアと葉緑体の起源)
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=1987&number=3208&file=/SPLUSsp0HXCyO83AUorPLUS161A==
あとの論文は、殆んどケンカふっかけてるが、膜進化である必然性については、何も述べられていないように感じる。
多くの指摘は、反語的であり、必然性はないというに留まっていて、問題点の指摘の域を出ていない。
膜進化が必然というなら、その進化プロセスを分子進化として提示する必要があるだろう。
共生説の強みは、それがどんなに困難であったにせよ、現に共生が成立しているように見えるという状況証拠だけで勝負できてしまうことにある。
偶然だとか、有り得ないとかいっても、現にそうなっているのだから。
膜進化が起こったというのは、あくまでも仮説の域を出ないし、実際にその過程を再現することも出来ない。
ただし、浮沈子が注目したのは、進化の過程の中で、足し算ではなく引き算が起こり、葉緑体の欠失や、機能の喪失が起こったという点だ。
分子進化の計量的な検証に耐える必要はあるだろうが、考え方としては理解できる。
しかし、まあ、勝ち目はないな。
共生説の強みは、実験的に検証可能性があることだ。
様々な共生を試みて、成功するかどうかを試すことが可能だ(概ね、失敗するだろうが)。
さらには、人工細胞を作り上げていく過程で、必要な構造や機能を外挿するという工学的手法との親和性も高い。
進化を加速することも出来る。
もう、生物学は、生命という永遠の謎に徒手空拳で挑む博物学的手法から、ああでもない、こうでもないと、遺伝子やタンパク質を弄くりながら工学的手法で生化学のプロセスを有限回繰り返すことにより再現する、実験科学へと変わってしまっているようだ。
しかし、忘れてはならないことは、現存するどんな生物も、40億年の歴史を背負い、現実の環境の変化に適応して生き延びてきた、つわもの達であるということだ。
絶滅する種というのは、どんな時代にもあったし、これからもあるだろうが、それ以上の新しい種を生み出してきたのが生物界である。
人間による環境汚染や温暖化などとは、比較にならない大変動を生き抜いてきたのだ。
浮沈子は、遺伝子工学に興味があって、一時期、いろいろ調べたことがあったが、現代は、その頃とは比較にならない知見が得られている。
様々な環境と渡り合い、「生存」という勝利を収めてきた現代の生物達。
個体の生存を切り捨てて、種としての生存を選択した有性生殖生物としては、いささか、複雑な心境ではある・・・。
生物の基本単位である細胞には、様々な細胞小器官が存在して、むちゃくちゃ多い機能を果たしている。
(細胞小器官)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E8%83%9E%E5%B0%8F%E5%99%A8%E5%AE%98
この細胞小器官を持っているのは、真核生物という分類に属する生物群である。
(真核生物)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E6%A0%B8%E7%B4%B0%E8%83%9E
(原核生物)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%A0%B8%E7%B4%B0%E8%83%9E
「古細菌は真正細菌よりむしろ真核生物に近いことがわかった。」
「すなわち、このことは原核生物は大きく異なった二つの系統からなり、加えて生物界を真核生物と原核生物に二分する分類が必ずしも実際の系統関係を反映しているとは限らないことを意味する。」
この説明にもあるとおり、真核生物と原核生物という分類が、必ずしも進化の系統を反映したものではなく、形態的、構造的、機能的な、ご都合主義的な分類である可能性は大きい。
しかし、まあ、現実的な分類であり、概ね現代の通説に適っている。
「真核生物(しんかくせいぶつ、学名: Eukaryota)は、動物、植物、菌類、原生生物など、身体を構成する細胞の中に細胞核と呼ばれる細胞小器官を有する生物である。真核生物以外の生物は原核生物と呼ばれる。」
細胞小器官の中でも、細胞核というのは特別な地位を与えられているらしい。
こいつがあるか、ないかで、扱いがグッと違ってくる。
もちろん、細胞核だけではなく、他の細胞小器官もたくさんあり、大きさも大きく、構造も複雑で、機能も豊富である。
格(核?)が違うというわけであるな(なんちゃって!)。
(細胞核の起源に関する研究)
http://www.takemura-lab.com/own
「核の起源は古細菌に感染したDNAウイルス」という仮説が提唱されている。
浮沈子が知る限り、細胞核がウイルス由来という説は、共生説が唱えられていたかなり初期から提唱されていた。
手を変え、品を変え、何度でも出てくるわけだな。
このなかに、ミミウイルスというのが出てくる。
(ミミウイルス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%9F%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9
もっとでかいのもある。
(メガウイルス・キレンシス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9
「最大で680nmに達するその大きさは、可視光線の赤に相当する波長と等しい大きさで、インフルエンザウイルスの8倍近くもあり、巨大であることで知られる天然痘ウイルスの2倍以上の大きさを持つ。また、この大きさは生物であるマイコプラズマ・ゲニタリウムの250nmやナノアルカエウム・エクウィタンスの400nmなど、いくつかの生物より大きい。通常ウイルスの観察には電子顕微鏡が必要だが、メガウイルス・キレンシスは光学顕微鏡で観察できるほどサイズが大きい。」
大きいことはいいことだ!。
さて、ミミウイルスの存在が、なぜ真核生物の細胞核がDNAウイルスの共生だということになるのだろうか。
(ウイルスとバクテリアの中間「ミミウイルス」、3D撮影に成功)
http://wired.jp/2009/05/08/%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E4%B8%AD%E9%96%93%E3%80%8C%E3%83%9F%E3%83%9F%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%80%8D%E3%80%813d/
「ウイルスと分類されたものの、ミミウイルスは、ウイルスの定義に当てはまらない部分が多い。サイズの巨大さに加え、その遺伝子の大部分がバクテリアから来ている。それゆえミミウイルスのことを、「無生物とされるウイルス」と「生物」の境界にあるミッシング・リンクだと考える研究者もいる。」とある。
話がややこしい。
バクテリアというのは、れっきとした生物である。
(真正細菌:バクテリアのこと)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E6%AD%A3%E7%B4%B0%E8%8F%8C
「古細菌ドメイン、真核生物ドメインとともに、全生物界を三分する。」とある。
そのゲノムが、ウイルスに取り込まれているわけだ。
逆じゃね?。
普通は、ウイルスがバクテリアに寄生して増殖している。
「構造に関する今回の発見は、従来の遺伝子的・形態論的研究と同様に、ミミウイルスが、ウイルスとバクテリアと、さらには真核生物(細胞核の中にDNAを封じ込めている生物)に見られるさまざまな遺伝子や構造を、奇妙に組み合わせたものであることを裏付けるものだ」
「2008年8月には、パリの水冷却塔で採取されたアメーバの中から、ミミウイルスの新しい株でミミウイルスよりも大きい『ママウイルス』(Mamavirus)が検出された。このママウイルスが、より小さなウイルスによって感染されていたことから、ウイルスの新しい定義として、「外殻(カプシド)に包まれた生物」という説も提唱されている」
ミミの次は、ママかよ!。
しかも、こっちは、ウイルスがウイルスに感染しているという話だ。
(ウイルスと共に生きる:図21 生命体としてのウイルスの役割など)
http://www.primate.or.jp/rensai/zakki/081222figs.pdf
「・最初の生命体 (RNAワールドの遺物?)
ウイルス→DNA→原核生物(細菌)→真核生物(植物、動物)」
「・進化の原動力
遺伝子の運び屋としてのウイルス」
ウイルスが共生するということは、遺伝子のポーテーションが起こっているわけだし、そのポーターが、そのまま居候して居心地良く暮らしているのが真核生物だとしたら、分かりやすい話ではある。
共生説に対して、膜進化説というものある。
(膜進化説)
http://members.tripod.com/blue100_02/html/e_m-devl.htm
(ミトコンドリアと葉緑体の起源)
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=1987&number=3208&file=/SPLUSsp0HXCyO83AUorPLUS161A==
あとの論文は、殆んどケンカふっかけてるが、膜進化である必然性については、何も述べられていないように感じる。
多くの指摘は、反語的であり、必然性はないというに留まっていて、問題点の指摘の域を出ていない。
膜進化が必然というなら、その進化プロセスを分子進化として提示する必要があるだろう。
共生説の強みは、それがどんなに困難であったにせよ、現に共生が成立しているように見えるという状況証拠だけで勝負できてしまうことにある。
偶然だとか、有り得ないとかいっても、現にそうなっているのだから。
膜進化が起こったというのは、あくまでも仮説の域を出ないし、実際にその過程を再現することも出来ない。
ただし、浮沈子が注目したのは、進化の過程の中で、足し算ではなく引き算が起こり、葉緑体の欠失や、機能の喪失が起こったという点だ。
分子進化の計量的な検証に耐える必要はあるだろうが、考え方としては理解できる。
しかし、まあ、勝ち目はないな。
共生説の強みは、実験的に検証可能性があることだ。
様々な共生を試みて、成功するかどうかを試すことが可能だ(概ね、失敗するだろうが)。
さらには、人工細胞を作り上げていく過程で、必要な構造や機能を外挿するという工学的手法との親和性も高い。
進化を加速することも出来る。
もう、生物学は、生命という永遠の謎に徒手空拳で挑む博物学的手法から、ああでもない、こうでもないと、遺伝子やタンパク質を弄くりながら工学的手法で生化学のプロセスを有限回繰り返すことにより再現する、実験科学へと変わってしまっているようだ。
しかし、忘れてはならないことは、現存するどんな生物も、40億年の歴史を背負い、現実の環境の変化に適応して生き延びてきた、つわもの達であるということだ。
絶滅する種というのは、どんな時代にもあったし、これからもあるだろうが、それ以上の新しい種を生み出してきたのが生物界である。
人間による環境汚染や温暖化などとは、比較にならない大変動を生き抜いてきたのだ。
浮沈子は、遺伝子工学に興味があって、一時期、いろいろ調べたことがあったが、現代は、その頃とは比較にならない知見が得られている。
様々な環境と渡り合い、「生存」という勝利を収めてきた現代の生物達。
個体の生存を切り捨てて、種としての生存を選択した有性生殖生物としては、いささか、複雑な心境ではある・・・。
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