強力わかもと2013年11月02日 02:01

強力わかもと
強力わかもと


SF映画史上に燦然と輝く、浮沈子イチオシの傑作、不世出の名作と信じて疑わない「ブレードランナー」。

(ブレードランナー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC

「SF映画の金字塔として評され、1993年にはアメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録された。」

(アメリカ国立フィルム登録簿)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%A0%E7%99%BB%E9%8C%B2%E7%B0%BF

「十二人の怒れる男、2001年宇宙の旅、エイリアン、地獄の黙示録、バック・トゥ・ザ・フューチャー、ベン・ハー、未知との遭遇、ディア・ハンター、E.T.、スター・ウォーズ、エクソシスト、ゴッドファーザー、風と共に去りぬ、卒業、ジョーズ、アラビアのロレンス、カッコーの巣の上で、猿の惑星、サイコ、レイダース、ロッキー、ローマの休日、サタデー・ナイト・フィーバー、シンドラーのリスト、羊たちの沈黙、サウンド・オブ・ミュージック、タクシードライバー、十戒、ターミネーター、ウエスト・サイド物語・・・」

永久保存ですぞ!。

「2019年、地球環境の悪化により人類の大半は宇宙に移住し、地球に残った人々は人口過密の高層ビル群が立ち並ぶ都市部での生活を強いられていた。宇宙開拓の前線では遺伝子工学により開発された「レプリカント」と呼ばれる人造人間が、奴隷として過酷な作業に従事していた。レプリカントは、外見上は本物の人間と全く見分けがつかないが、過去の人生経験が無いために「感情移入」する能力が欠如していた。ところが製造から数年経てば彼らにも感情が芽生え、人間に反旗を翻す事態にまで発展した。しばしば反乱を起こし人間社会に紛れ込む彼等を「処刑」するために結成されたのが、専任捜査官“ブレードランナー”である。」

「タイレル社が開発した最新レプリカント"ネクサス6型"の男女6名が人間を殺害し脱走、シャトルを奪い、密かに地球に帰還し潜伏していた。人間そっくりなレプリカントを処刑するという自らの職に疑問を抱き、ブレードランナーをリタイアしていたデッカードだったが、その優秀な能力ゆえに元上司ブライアントから現場復帰を強要される。捜査のためにレプリカントの開発者であるタイレル博士に面会に行くが、タイレルの秘書レイチェルの謎めいた魅力に惹かれていく。」

まあ、どうでもいいんですが。

(Nexus 5)
http://www.google.co.jp/nexus/5/

(グーグルのヤーガ氏が語る「Nexus 5」「Android 4.4」の狙い)
http://k-tai.impress.co.jp/docs/news/20131101_621847.html

「Nexus 5は、LGと開発した最新機種。その特徴は、意図的に非常にシンプルなデザインとして、なおかつ性能をアップさせたことだという。」

タネを明かせば、ケータイネタである。

ネクサス1、ネクサス4、ネクサス7、ネクサス10と続き、ネクサス5が出たわけだな(ネクサスSなんてのもあったけど)。

ネクサス1は別として、他は、画面の対角線のインチ表示を表している。

浮沈子は、モバイル端末のディスプレイの最適解は、6インチであると信じて疑わないのだが、世間では、なかなかこの大きさのデバイスにお目にかからない。

今回も、1インチ足りない・・・。

(Googleの5インチスマホ「Nexus 5」ついに登場、日本からも購入可能なので買ってみました)
http://gigazine.net/news/20131101-nexus5/

6インチで、「Nexus 6」だったら、コレクターズアイテムとして、買ってもよかったんだけど・・・。

というより、フィリップ・K・ディックの遺族から、今度こそ訴訟を起こされるんじゃないだろうか?。

(GoogleのNexus Oneは知財権侵害」(ディックの遺族談))
http://japanese.engadget.com/2010/01/06/google-nexus-one/

アンドロイドOS積んだ、ネクサスシリーズということで、だれがどう考えたって、ブレードランナーネタであることは明らかである。

ホントに出たら、浮沈子は買うだろうな。

さて、キットカットで4.4になったアンドロイドOSだが、動作メモリを512メガバイトにしたため、安いハードウェアでも動作することになった。

技術的には、大したことはないんだろうが、様々な動作を丁寧に見直す必要があったので、作業的には大変だったのではないか。

アプリの開発ツールにしても、全面的に見直しが必要であったはずだし、ウブンツーに対抗するためとはいえ、グーグルの戦略的な開発姿勢には恐れ入る。

次の10億人がターゲットなのだという。

(本日公開のAndroid 4.4 KitKat詳細レビュー―すべてのデバイスで動作可能、Googleの野心はフラグメンテーションの抜本的解消)
http://jp.techcrunch.com/2013/11/01/20131031android-4-4-kitkat-google/

「Androidのボス、Sundar Pichaiは今日のプレスイベントで「通常OSの新バージョンは以前より多くのメモリーを必要とする。しかしKitKatはそうではない。われわれはエントリーレベルの古い製品を含めてすべてのAndroidデバイスでKitKatが作動するようにした。2014年にはたったひとつのAndroidOSがすべてのAndroidスマートフォンで作動するようになる」と述べた。」

「KitKatの最大のセールスポイントがすべてのAndroidで動作可能という点にあることが明らかになった。KitKatはフラグメンテーションの抜本的な解消を目指すOSであるようだ。1年でOSのバージョンを一本化するというのはおそろしく野心的なプログラムだが、Googleが主張するとおりになるなら、その影響するところは甚大だろう。ただしKitKatを導入するかどうかはあくまでデバイスのメーカーの判断によるということなので、古いデバイスの相当の部分はKitKatにバージョンアップされずに取り残されるだろう。」

実際には、新製品からの導入になっていくだろう。

それでも、低コストで最新のOSが使用でき、アプリの開発環境も合わせて提供されているということは、画期的なことである。

4.4は、その意味では、今までのアンドロイドOSとは違う役割を期待されているわけだな。

しかし、この選択が、足枷となり、機能的にライバルに差を付けられる可能性もある。

浮沈子は、長期的には、再びリッチハードを指向したOSの路線に戻らざるを得なくなるのではないかと考えている。

まあいい。

ちなみに、画像のシーンに出てくる「強力わかもと」は、胃腸薬であり強壮剤ではないので、念のため。

(強力わかもと)
http://www.wakamoto-pharm.co.jp/products/item/si_01.html

確かに、女性が飲む強壮薬というのは聞いたことがない。

さて、ネクサス6は、いつになったら出てくるのだろうか。

セブン1602013年11月02日 03:11

セブン160
セブン160


生産型が登場するのは、来年のことになるが、既にプロトタイプの試乗記が出ている。

(ケータハム・セブン160)
http://www.autocar.jp/firstdrives/2013/10/24/55478/

「2000rpmから5000rpmの間に回転を保っていれば、活発なレスポンスが味わえる。ちなみにケータハムのトップ・モデルである620Rは1速で96km/hまでカバーできるが、160は7750rpmのレブ・リミットまでまわしても1速でカバーできるのは64km/hだ。しかし、それが素晴らしい結果を生み出すこととなる。」

「リラックスできる低い速度域でも、160は充分なスポーツカーとしてのテイストが味わえる。特に、ワインディング・ロードでは軽快なスタアリング・フィールを楽しむことができる。また、160は、他のすべてのセブンよりも機敏であると感じることだろう。ドライ路面であれば、どんなギアであろうとも安全にフルスロットルを与えることができる。リミテッド・スリップ・デフは装備されていないが、それでもタイヤのスキール音と共に、軽快な走行が味わえるのだ。予想するよりも低いスピードで、われわれが大好きなパワースライドも楽しめるというもの。」

軽自動車のエンジンを、少しだけチューンして、軽自動車と同じ車重のクルマに押し込んだのだから、軽自動車そのものの走りになるのは当然だ。

「「買い」か?
サーキットでの速さを求めないのであれば、このセブン160は非常に面白いクルマだ。少しばかり古典的なレーサーのように、テールスライドを味わいながらワインディングを攻めるのにはもってこいのスポーツカーと言える。また、地球上で最も機敏なスポーツカーと言っても過言ではない。」

お世辞もいいところだろう。

キット価格でも240万円というが、中古のセブンを買い求めた方がいいに決まっている。

ま、160を新車で買っても、直ぐに飽きが来て手放すオーナーが続出すること間違いない。

中古価格がなかなか下がらないことは予想できるが、それでも、200万円を切ってくるだろう。

浮沈子のターゲットになってくるわけだな。

ワンメイクレースなんかの素材としては、うってつけなんじゃないだろうか。

限界低い、横転とは無縁のクルマで、和気藹々とレースを楽しむ。

しかし、もともと、セブンは草レースを楽しむためのクルマである。

サーキットで速く走れなければ、セブンではない。

欲求不満が溜まることだろう。

セブンが、スーパーセブンに進化したように、160も、進化していくのだろうか。

それとも、ケーターハムの戦術に引っかかって、より高いクルマを買わされる羽目になる犠牲者を呼び込むための広告塔の役割を果たすに留まるのだろうか。

(スマート:ロードスター)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%88_(%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A)#.E3.83.AD.E3.83.BC.E3.83.89.E3.82.B9.E3.82.BF.E3.83.BC

マクラーレンF1の設計者であるゴードン・マーレーをして、真のスポーツカーと言わしめたクルマである。

軽自動車のエンジンを積んだ、スーパーカーである。

(スマート ロードスター)
http://www.motordays.com/newcar/articles/smartroadster20040117/

「軽自動車の規格があるがゆえ、日本ではスマートロードスターが作れない。サイズに縛られると、コペンになってしまうのだ。エンジンも軽よりわずか40ccほど大きいだけなのに、パワーには比較にならない余裕がある。規格をほんのわずか超えたところに理想があるという歯がゆさを感じずにはいられない。」

160も、まさにそのあたりのクルマである。

浮沈子が求めるスポーツカーとは、少し違う領域にあるが、気になるクルマではあるな。

直訴!?2013年11月02日 17:45

直訴!?
直訴!?


だれもが、まさか!?、と思い、ある人々は、やられた!、と感じ、さもなければ、けしからん!、と怒りつつも、なす術のない、とんでもないパフォーマンスをしでかした人がいる。

(日本で新人議員が天皇に手紙、政界で批判高まる)
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/11/02/2013110200427.html

もちろん、天皇陛下は、お渡しした手紙をお読みになってはいないと思うが、憲法の規定により、国政に関する権能を有しないばかりか、選挙権や被選挙権まで、公職選挙法の付則により、時の政権から剥奪されている(当分の間とある)、形式的には浮沈子よりも政治権力を有しない相手に対して、何の目的で手紙を渡したのか。

(日本国憲法)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html

「第一章 天皇

第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条  皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。
第三条  天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条  天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
○2  天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
第五条  皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
第六条  天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
○2  天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七条  天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一  憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二  国会を召集すること。
三  衆議院を解散すること。
四  国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五  国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七  栄典を授与すること。
八  批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九  外国の大使及び公使を接受すること。
十  儀式を行ふこと。
第八条  皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。」

野党も含めて、この日本国憲法第一章を改正しようという政治勢力はないので、今のところ、天皇家の安泰は保証されているようだ。

(天皇に選挙権はありますか? ないのなら、その理由はなんですか?)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q115696881

まあ、政治家に政治的パフォーマンスをするな、というのは、ハナから無理があるし、法的には何ら問題ないらしいし(今は、不敬罪とかありません)、当該行為を非難するということ自体が、政治的パフォーマンス以外の何物でもないということは、多くの国民が分かっている。

我が国には、天皇家に対する特別の思いを有する人々が多く、おかげで天皇家は、おおっぴらに国民の税金を使って生活をしているのである(不敬罪だな・・・)。

世襲の身分とあるので、皇太子とか、天皇なんかになりたくないと思っていたとしても(そんなことはないと思うが)、イヤだ!とかいって、パン屋の職人になることは出来ないようだ(パン屋も世襲なのかあ?)。

まあいい。

考えてみれば、不自由な身の上であるな。

自動車に乗りたくても、概ね皇居の中とかでしか走れないし、高速を法定速度の倍以上でぶっ飛ばすことなど、夢のまた夢であろう(法定速度は守りましょう!)。

我が国のマスコミは、なぜ、大きく取り上げ、政治家は、なぜ、これほど反応しているのか。

そもそも、園遊会は、国事行為ではない。

天皇家のプライベートな催しだろう。

(園遊会)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%92%E9%81%8A%E4%BC%9A

「「園遊会」の名称で行われる行事は、1953年から始まる」

それほど古くからあるわけではない。

「皇太子をはじめ各皇族も列席する催しであり、招待客に内閣総理大臣、国務大臣、衆議院議長・参議院議長及び副議長、主な国会議員、統合幕僚長(旧統合幕僚会議議長)、最高裁判所長官、裁判官、その他に認証官など三権各機関の要人、都道府県の知事・都道府県議会の議長、市町村の首長・議会の議長、各界の著名人(芸能人、著者など)、功績者(勲章の受賞者:メダリストなど)と、その配偶者を含めた約2,000名が招かれる。」

内閣総理大臣はじめ、国務大臣は招待される側なんだから、これを国事行為というのは、いささか無理があるような気がする(儀式じゃあないでしょ?)。

(天皇の公的行為)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E5%85%AC%E7%9A%84%E8%A1%8C%E7%82%BA

「外国賓客との会見は、憲法に定める内閣の助言と承認により行う「国事行為」ではなく、宮内庁長官が助言役を務める天皇の意思を反映した「公的行為」であり、皇室外交の国際礼譲である。最終的な責任は内閣が負うとの解釈が確立されている。外国訪問のうち、海外旅行については内閣の助言と承認に拘束されることなく、理論上、終局的には天皇の意思によって決定することになるとされる。」

なんだか、随分お堅い感じがするな。

「ガーデン・パーティは、19世紀後半にイギリスで行われるようになった。庭園の美しい時期(イギリスでは晩春・初夏)に、自宅や別荘の庭園、あるいは著名な庭園に多数の客を招き、軽食や音楽などでもてなす。」

英国王室との親交が深い天皇家は、この習慣を取り入れたのだろう。

皇室と市民が親しく交わる場を持つという意味では、浮沈子などは好ましい行事であると考えている(普通の人だし・・・)。

公的か私的かはともかく、そういう場で「直訴」するというのは、いかに傍若無人の浮沈子でも、さすがに大人気ない行為のような気がする。

マナーのレベルだな(それ以上でも、それ以下でもない)。

当事者には、少し、ハズカシイ思いをしてもらった方がいいかもしれない(国会議員を辞めるかどうかより、その反省のほうが大切だと思うんだが)。

それと、国政に関する権能を有しない天皇に、「直訴」するという当事者の時代錯誤的な感覚も、思いっきりズレている。

左翼系の「識者」は、与党が行った行事に天皇を招き、天皇陛下バンザイを唱えたことを問題にしているが、その与党を選挙で選んだのは、われわれ国民であり、明らかな違法行為がなければ、象徴天皇であっても、時の政権に利用されるというのは自然な成り行きだと思われる。

むしろ、そんなことは一切しないというのなら、象徴天皇を蔑ろにすることになるのではないか。

書類にサインしたり、大使とかを接受(接待ではない)するだけなら、誰でもいいわけで、長い歴史のある我が国切っての名家の当主が行う意味はない。

過去の歴史はそれとして、21世紀の天皇の果たす役割を、もう少し前向きに考えていく必要があるのではないか。

このブログは、なるべく政治向きの話には触れないようにしているのだが、天皇の地位は、民主主義の我が国においては、タブーにしてはならないと考える(憲法にも、日本国民の総意によると、明記されているし)。

象徴ではなく、正真正銘の国家元首として担ぐつもりなら、せめて、選挙権くらい与えてあげないと、かわいそうなんじゃない?。

ポルシェな日2013年11月02日 19:31

ポルシェな日
ポルシェな日


83タルガが出来上がった。

本日、アウトバーンモーターに引き取りに行く。

もう、足回りは、見違えるように素直になった。

心なしか、ハンドルも軽くなった気がする(気がするだけなんですが・・・)。

まあいい。

タコメーターの中のウインカーのインジケーターランプ(右側)が点かなかったので、都内某ポルシェセンターで、見てもらった。

1時間以上待って、球切れではなく、コネクターが外れていただけと分かる。

工賃は、しっかり取られた。

コーヒーと、クリストフォーラス(2冊も!!)をゲットしたので、多少の割安感がある(画像参照)。

久々に、認定中古車も見てみたが、ケイマンが300万円台(といっても、殆んど400万円ですが)で、出ている。

ケイマン欲しい人には、ようやく、いい時代が訪れたというわけだな。

新車は、やはり高いが、この店に来ると、600万円台とかのクルマが、安く感じる・・・。

ビョーキだな。

そういえば、フェラーリを見に行った後は、1000万円のクルマがお買い得に思えたりする。

重症であるな。

まあ、どうでもいいんですが。

浮沈子の83タルガも古いクルマだが、お客さんが乗って来た2.7リッターのクーペは、74年くらいだろう。

バウンというエンジンをかける時の音で振り返ったら、そこに止まっていた。

独特の迫力ある音、ガサツでワイルドな元気のいい音・・・。

空冷ポルシェは、確かに個性的だ。

周りに駐車している現代の水冷モデルの中にあって、我こそが911ナリと、明確に自己主張しているようだ。

しかも、こうして並んでいるところを比べてみると、明らかに小さい。

小雨が降る中を、窓を開けて走る。

ハンドルの中立付近が、まだ左に取られる。

このあたりは、どこで納得するかということだろう。

第三京浜の高速走行では、さほど気にならなかったが、道路のかまぼこがキツイ下道では、やはり気になる。

とはいえ、初期の頃に比べたら、巌のような直進安定性である。

左肘をドアにかけ、右手だけでシフトレバーを操る間、ハンドルは、真っ直ぐになっていて、何の不安もない(手放し運転は、危険なので止めましょう!)。

ブレーキングの際の片効きの挙動は、皆無になった。

新車同様かどうかは、新車に乗ったことがないので、何ともいえない。

クリストフォーラスには、御歳66歳のワルター・ロールの記事が出ていたが、彼が現役で走っていたころは、このクルマも真っ当なハンドリングだったのだろう。

(ヴァルター・ロール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB#1983.E5.B9.B4

1980年及び82年のWRCのドライバーズチャンピオンである。

「フィアット、ポルシェ、オペル、ランチア、アウディ等多数のチームに在籍し、WRCタイトルを獲得したフィアットを離れ、オペル移籍後の1982年モンテカルロ・ラリー後よりポルシェの当時の開発トップであるヘルムート・ボットよりオファーを受け、断続的にポルシェ・911試作4WDの開発に関わる。」

「1987年、40歳になったのを機に、惜しまれつつラリーを引退。」

「20歳になると兄の影響によりはじめてのクルマとしてポルシェ・356スーパーを買い、その数年後、フォードとドライバー契約をすると、911に乗り換え、以後、プライベートでは911ユーザーと言う事もありポルシェとの深い関わりがある。」

「1993年以降はポルシェの市販車全般のテスト・ドライバーを務めており、近年(2011年4月時点)でもニュルブルクリンク市販車での北コースの主な記録にてしばしば名前が見受けられ、2012年現在でもポルシェのテストドライバーを継続」

意外にも、レースでのポルシェとの係わりは深くはない。

ラリーでは、1981年だけ。

耐久レースでは、数回乗っているようだ。

ポルシェにとっては、近年の開発ドライバーとしての貢献が大きいだろう。

クリストフォーラスの記事では、ポルシェターボのリアアクスルステアに、高い評価を与えていた。

販売への貢献も、大きいだろう!。

さてと、83タルガの足回りは、とりあえず、一段落というところか。

これからは、とにかく走りこむことに注力しよう。

エンジンは、相変わらず絶好調のようであるし、ドライバーの熟成が必要であることは確かだ。

前回、クラッチワイヤーの調整もしてもらっており、このところ、エンストは皆無である。

坂道発進も、サイドを引くことは殆んどない。

クルマに馴染んで来たことが分かる。

箱根の坂道が、恋しくなる季節であるな。

ポルシェな形2013年11月03日 00:57

ポルシェな形
ポルシェな形


画像は、今日、都内某ポルシェセンターで撮影したもの。

浮沈子が座った席から、眺めた風景。

結論からいうと、フロントのデザインは、共通している。

手前から、ボクスター、911、パナメーラ(左に写っているのはケイマン)。

これぞ、ポルシェ、という、先の尖ったカエルヅラを並べているわけだな。

ポルシェであることのアイデンティティを、ここぞとばかりに見せ付けている。

こうしてみると、鼻先にエンジンを搭載するパナメーラが、若干フロントのスラント具合がよろしくないことが分かる。

ボクスターにしても、911にしても、そのあたりの融通は利くのだ。

フロントフェンダーは、ストラットタワーの高さを確保するために、一定のでっぱりが必要となるので、フロントトランクのフードを低くして、精悍なデザインとしている。

このあたりも、パナメーラは、明確なメリハリを出しづらい。

5メートルを超える全長を使って、なんとか辻褄を合わせている。

911の50年記念モデルの記事がある。

(エクステリア:フロント、サイドビュー参照)
http://www.porsche.com/microsite/911-50/japan.aspx?ws=1

「フロント
フェリー・ポルシェがフィンと呼んだフェンダーがフロントの輪郭を強調します。 だから歴代911モデルのドライバーは、車内にいるときですら、エクステリアのシェイプを大いに楽しむことができたのです。そして911のデザインにおいて基本的に重要な役割を果たしてきたもの、 それは丸型ヘッドライトです。このヘッドライトが、911を911たらしめてきたと言っても過言ではありません。」

リアエンジンのメリットを、最大に生かしたフロントビュー。

太腿(ふともも)といわれた、両サイドのフェンダーの盛り上がりを、「エクステリアのシェイプを大いに楽しむ」という抑制された表現で強調している。

996の時に、手痛いしっぺ返しを食らった涙目ヘッドライトのことなど、すっかり忘れてしまった丸型ヘッドライトの記述は、まるで、歴代911がずっと丸型を継承してきたかのような表現である。

まあいい。

P社にも表現の自由はある。

売れてなんぼの商売である。

文化事業をやっているわけじゃあない。

しかし、ナローは、スッキリしたいいデザインだな。

ビッグバンパーモデルになると、なんか重ったるくなってしまう。

特に、浮沈子の83タルガは、ブットイBピラーや、角型電動サイドミラーの影響で、ずっしり感が強い。

いろいろ便利になるのはいいのだが、シンプルな造詣の良さは、わずかなディテイルの変化で崩されてしまう。

「サイドビュー
すっきりしたルーフラインは、リアへとダイナミックに下降していきます。ポルシェのデザイナーの間で「フライライン」と呼ばれるこのルーフラインも、911に特徴的なデザイン要素です。これは、サイドウィンドウの形状にも影響を与えています。911 50thアニバーサリーエディションのウィンドウエッジは、アルマイト処理されたアルミニウム製で、初期の911を思い出させます。ニュー911 GT3でお馴染みの特別なディテール、 スポーツデザインのドアミラーも取り入れられています。」

後席の居住性(ヘッドクリアランス)を犠牲にして成り立つ、カッコ優先のデザインの言い訳としては、いささか弱い表現である。

実は、クーペよりもタルガトップの方が、後席の居住性はいいのだそうだ。

まあ、83タルガの後席に乗る気にはならないが。

しかし、こうして見ると、リアのクォーターウインドウの造詣などは、そのままガラスが嵌るんじゃないかと思う程、よく似ている。

この、50年前の911のデザインモチーフを、半世紀たっても引きずり続けているということは、驚くべきことである。

しかも、全モデルが、右に習えで、カイエンも、マカンも、パナメーラも、もちろんボクスター・カイエンも、同じデザインを採っている。

浮沈子は、今日、コーヒーをいただきながら、ふと、フロントが重なり合う3台のポルシェをみて、このメーカーの拘りの凄さを思い知った。

もちろん、先の996のヘッドライトの話ではないが、914、924、928、944、968といった、異なるアプローチが試みられ、消えていったことは承知している。

シュツットガルトでは、既に次のモデル、992のデザインが、深く静かにスタートしているだろう。

(シュトゥットガルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%88

「ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル - 哲学者
ロバート・ボッシュ - 発明家
ゴットリープ・ダイムラー - 技術者
ローランド・エメリッヒ - 映画監督
フリードリヒ・フォン・シラー - 詩人・歴史学者・劇作家・思想家」

浅学菲才な浮沈子が知る、ご当地出身の有名人である。

ポルシェ車のような高付加価値商品の生産は、いってみれば、博打のようなものである。

機能的な価値だけでは、その価格は付けられない。

ニッサンGTーRが、いくら逆立ちしても、ポルシェの築き上げたブランドを覆すことは出来ない。

あと、100年経っても難しいかもしれない。

ニッサンが、マーチからフーガまで、フロントデザインを統一するなんてことは、有り得ない話だ。

また、50年間、同一のデザインモチーフを継続することも、現実的な話ではない。

節操のない日本企業が、そんなヘンタイなことをやるわけがない。

いや、世界のどんな自動車メーカーでも、そんなことは不可能だ。

誰もがそう思い、それを疑わないところが、既に、ポルシェマジックに目が眩んでいる証なのだ。

浮沈子が見るところ、ポルシェもフルラインアップを揃えた、普通の自動車メーカーになりたがっているようだ。

フォルクスワーゲン・アウディグループの高級スポーツカー部門を担う、戦略的な製品展開を推進してくるのだろう。

来年のルマンが、実に楽しみである。

予定調和で、ポルシェがワンツーフィニッシュなんかしたら、絶対に八百長(というか、出来レースというか)に決まっている。