バディ再考 ― 2014年06月27日 04:33
バディ再考
久保氏のコラムを読んで、考えさせられた。
(初めて会ったバディって意味あるの?ソロ・ダイビングのススメ)
http://oceana.ne.jp/column/49882
初めに断っておくが、久保氏はソロダイビングを勧めているわけでは、決してない。
この標題は、あくまでも、キャッチだ。
「したがって、このコラムの表題は少し(かなりか?)舌足らずだったようです。正確には「ソロ・ダイビングが出来るほど“自立したダイバーであり続けること”の薦め…」とすべきでした。」
ほっとした。
浮沈子は、ダブルタンクという切り口で、ダイビングの安全性について書いたことがある。
(ダブルタンク)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/02/08/7215513
サイドマウントで、ダブルタンクを運用できるようになったものだから、調子に乗って書いているだけだということは、読む人が読めば、たちどころにばれてしまう。
まあいい。
今、レスキューダイバーとして、いささか考えるのは、器材トラブルやガスの管理だけに注目して、ダブルタンクを推奨するのは、間違いではないが偏っているということだ。
久保氏が書いているように、「ダイバー」という「器材」は、1つしかないのである。
浮沈子も、水中拘束の事例を挙げて、器材故障だけではないトラブルに言及しているが、ダイバー自身の問題に考えが及んでいない。
外傷や内臓の疾患といった傷病、水中拘束などの外的要因による行動制限、水中危険生物による傷害など、1つしかない「器材」のトラブルの原因は、枚挙に暇がない。
単独潜水じゃあ、これらに対応することは不可能ではないかもしれないが困難である。
もっとも、バディがいたとしても、水中では大したことができるわけではない。
泳力を補ったり、浮上のコントロールをしてあげたり、そんなことくらいしかできない。
ああ、特に浮沈子の場合は、誰か他の人に状況を伝えて助けを求めるというのが、最も役に立つ援助になるだろう。
で、それはいいとして、バディやチーム、ユニット、呼び方は何でもいいが、お互いをチェックしあうダイバーが一緒に潜っていることの最大のメリットは、水中でパニックになったときの援助が期待できるということだろう。
パニックの原因はストレスだと教わるが、それは事前に回避できる場合と、そうでない場合がある。
水中でのパニックは、場所が場所だけに、命に関わる。
(パニック)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF
「語源は、ギリシア神話の神・パーンにちなむ。古代ギリシアの人々は、家畜の群れが何の前触れもなく突然騒ぎだし、集団で逃げ出す現象について、家畜の感情を揺り動かす見えない存在が牧神・パーンと関係していると考え、これを「パーンに関係するもの」(ギリシア語: πανικόν = 英語: panic)と呼んだ。」
知らなかったな。
「近代以降は、人間や動物の集団を突然襲う恐慌状態を「パニック」と呼ぶようになり、やがて群集心理に留まらず、個々人の恐慌状態や心理状態をも指すようになった。今では心拍数120を超えるとパニック状態と判断される場合がある。」
浮沈子は、頻脈症で、完全に安静にしている時でも、脈拍は80くらいであり、ちょっと動くと100を超え、いわゆる運動などしようものなら、120超えなんて朝飯前である。
ダイビングなんかしたら、毎回パニック状態と判断されるかもしれない(まあ、そんなことはありませんが)。
「暴発行動:
動物の場合、脳の処理能力を超える状況に陥った場合に、人間のパニック状態同様の、非論理的な行動が見られる。例を挙げれば、室内に閉じ込められた鳥が出口を求めて窓ガラスや壁などに体当たりをする行動や、罠に掛かった動物が傷付くのも厭わずに暴れ回る行動などがある。」
「人間にしても動物にしても、強いストレスの下で衝動的な行為を起こした場合、偶発的にでも、ストレスの元から逃れる可能性が生じるため、このような緊急的な行動様式が発達したと考えられている。」
まあ、水中で一番怖いのは、何らかの理由(ストレス)で息苦しさを感じた時(別にエアが来てない訳ではない)に、マウスピースを吐き出して、周りにある(はずの)空気を吸おうとすることだ。
もちろん、周りは水だらけ、溺水すること間違いない。
少し理性が残っていたら、水面に急浮上するかも知れない。
水面に行けば、空気があることだけは分かっているのだが、まずいことに減圧症やエアエンボリズムのことは、頭の中から綺麗に消えてしまっている。
「パニックによって引き起こされる衝動的な行動は、目前の火災や頭上から崩れ落ちてくる岩石群といった危険物からいち早く逃れようとする場合には一定の効果が見られる」
役に立つこともあるわけだし、人間はそうやって生き延びてきたからこそ、パニックになる能力を維持しているわけである。
しかし、自然の摂理に逆らったダイビングなどという不届きな遊びをしている時は、この能力は概ね逆効果となる。
これは、ソロダイビングでは全く対応できない。
「生き残りの可能性がない場合にはパニックは起こりにくい。」
まあ、そういうこともあるだろうが、浮沈子はむしろ例外なのではないかと思っている。
「危機を逃れる可能性がたとえ僅かでもある場合にこそ、人は何としてもそれを達成しようしてパニック状態になる」
「充分に訓練された集団ではパニックが発生しにくい。これは、充分に訓練を受けた個人であっても同様だが、特に集団では、危機的状況でも速やかに各人の役割分担がなされ、全員が全員で同じ行動に走り、結果パニックに陷る事態が防止される。また、各々が割り当てられた役割を果たすことで、危機的状況が引き起こすストレスを軽減できる。強度のストレスに晒された人間の脳は、より衝動的な考えが支配的になるが、このストレスを軽減できれば、結果として理性的な行動を行いやすいという理屈である。」
まあ、いつもこうだといいんだが、なかなかそうはいかない。
しかし、ダイバーは、本来、「十分に訓練された個人」であるはずなんだがなあ。
「集団中に一定の権力や威厳といったヒエラルキーが存在する場合も、パニック状態が抑制されやすい。」
これについては、項を改めて書きたい。
生理的には、パニックは、脳機能障害として説明されている。
(パニック障害)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9A%9C%E5%AE%B3
「原因:
原因についてはそれぞれ異なるが、当人のそれまでの経験から心理的あるいは身体的に危険だと察知した状態の場合、潜在意識が「発作」を起こす事で顕在意識に再認識させるために起こす症状。 その要因としては、脳の病気や心の病などではなく「思い込み」や「思い違い」による発作であるために投薬では寛解までは可能でも完治する事は不可能だと言える。」
「原因についてはまだ完全に解明されていないが、脳内不安神経機構の異常によって起きるものだと考えられている。ヒトの脳には無数の神経細胞(ニューロン)があり、その間を情報が伝わることで、運動、知覚、感情、自律神経などの働きが起きる。パニック発作や予期不安、恐怖などもこの脳の機能のあらわれで、そこに何らかの誤作動が生じるために起こっていると考えられている。神経細胞間の情報を伝える化学物質(神経伝達物質)や、それを受けとめる受容体(レセプター)の機能の異常が関係しているのではないか、という研究が進められている。」
まあ、どうでもいいんですが。
原因はともかく、何らかのきっかけでパニックになってしまったときに、水中では大事になるわけで、こればかりはどんなベテランダイバーでもどうしようもない。
なるべくストレスを感じないで済むようなダイビングを心がけたり、体調を管理するくらいが関の山で、完全にパニックを起こさないようにすることは出来ないのだ。
器材が完璧であっても、呼吸できるガスが山のように(海のように?)あっても、身体的には健康そのものであっても、パニックを起こして衝動に駆られ、致命的な行動に走ってしまったらどうしようもない。
また、逆に、忘我の境地に陥って、水中でぼーっとしてしまうという静的パニックというのもあると教わった(レスキューダイバーのコースで)。
パニックの症状の中には、動悸、息切れ、めまいなどの自律神経症状と空間認知(空間等の情報を収集する力)による強烈な不安感、手足のしびれやけいれん、吐き気、胸部圧迫のような息苦しさなどがあるそうだ。
繰り返しになるが、陸上ならば、それ自体が生命身体に危険を及ぼすものではないだろうが、水中ではそうはいかない。
それでなくても、水中という特殊環境の中に身を置くことは、それだけでストレスである。
本人がそう思っていなくても、脳のどこかでスイッチが入ってしまうことはあるだろう。
誰のせいでもない、人間はそういうふうに作られているのだ。
これは、浮沈子の仮説だが、バディは、多分、そこにいるだけでパニックに陥ることを抑止している可能性もある。
(おまえに:フランク永井)
http://j-lyric.net/artist/a000b3a/l001398.html
「そばにいてくれるだけでいい
黙っていてもいいんだよ・・・」
バディって、そんな存在かもしれない。
久保氏のコラムを読んで、考えさせられた。
(初めて会ったバディって意味あるの?ソロ・ダイビングのススメ)
http://oceana.ne.jp/column/49882
初めに断っておくが、久保氏はソロダイビングを勧めているわけでは、決してない。
この標題は、あくまでも、キャッチだ。
「したがって、このコラムの表題は少し(かなりか?)舌足らずだったようです。正確には「ソロ・ダイビングが出来るほど“自立したダイバーであり続けること”の薦め…」とすべきでした。」
ほっとした。
浮沈子は、ダブルタンクという切り口で、ダイビングの安全性について書いたことがある。
(ダブルタンク)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/02/08/7215513
サイドマウントで、ダブルタンクを運用できるようになったものだから、調子に乗って書いているだけだということは、読む人が読めば、たちどころにばれてしまう。
まあいい。
今、レスキューダイバーとして、いささか考えるのは、器材トラブルやガスの管理だけに注目して、ダブルタンクを推奨するのは、間違いではないが偏っているということだ。
久保氏が書いているように、「ダイバー」という「器材」は、1つしかないのである。
浮沈子も、水中拘束の事例を挙げて、器材故障だけではないトラブルに言及しているが、ダイバー自身の問題に考えが及んでいない。
外傷や内臓の疾患といった傷病、水中拘束などの外的要因による行動制限、水中危険生物による傷害など、1つしかない「器材」のトラブルの原因は、枚挙に暇がない。
単独潜水じゃあ、これらに対応することは不可能ではないかもしれないが困難である。
もっとも、バディがいたとしても、水中では大したことができるわけではない。
泳力を補ったり、浮上のコントロールをしてあげたり、そんなことくらいしかできない。
ああ、特に浮沈子の場合は、誰か他の人に状況を伝えて助けを求めるというのが、最も役に立つ援助になるだろう。
で、それはいいとして、バディやチーム、ユニット、呼び方は何でもいいが、お互いをチェックしあうダイバーが一緒に潜っていることの最大のメリットは、水中でパニックになったときの援助が期待できるということだろう。
パニックの原因はストレスだと教わるが、それは事前に回避できる場合と、そうでない場合がある。
水中でのパニックは、場所が場所だけに、命に関わる。
(パニック)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF
「語源は、ギリシア神話の神・パーンにちなむ。古代ギリシアの人々は、家畜の群れが何の前触れもなく突然騒ぎだし、集団で逃げ出す現象について、家畜の感情を揺り動かす見えない存在が牧神・パーンと関係していると考え、これを「パーンに関係するもの」(ギリシア語: πανικόν = 英語: panic)と呼んだ。」
知らなかったな。
「近代以降は、人間や動物の集団を突然襲う恐慌状態を「パニック」と呼ぶようになり、やがて群集心理に留まらず、個々人の恐慌状態や心理状態をも指すようになった。今では心拍数120を超えるとパニック状態と判断される場合がある。」
浮沈子は、頻脈症で、完全に安静にしている時でも、脈拍は80くらいであり、ちょっと動くと100を超え、いわゆる運動などしようものなら、120超えなんて朝飯前である。
ダイビングなんかしたら、毎回パニック状態と判断されるかもしれない(まあ、そんなことはありませんが)。
「暴発行動:
動物の場合、脳の処理能力を超える状況に陥った場合に、人間のパニック状態同様の、非論理的な行動が見られる。例を挙げれば、室内に閉じ込められた鳥が出口を求めて窓ガラスや壁などに体当たりをする行動や、罠に掛かった動物が傷付くのも厭わずに暴れ回る行動などがある。」
「人間にしても動物にしても、強いストレスの下で衝動的な行為を起こした場合、偶発的にでも、ストレスの元から逃れる可能性が生じるため、このような緊急的な行動様式が発達したと考えられている。」
まあ、水中で一番怖いのは、何らかの理由(ストレス)で息苦しさを感じた時(別にエアが来てない訳ではない)に、マウスピースを吐き出して、周りにある(はずの)空気を吸おうとすることだ。
もちろん、周りは水だらけ、溺水すること間違いない。
少し理性が残っていたら、水面に急浮上するかも知れない。
水面に行けば、空気があることだけは分かっているのだが、まずいことに減圧症やエアエンボリズムのことは、頭の中から綺麗に消えてしまっている。
「パニックによって引き起こされる衝動的な行動は、目前の火災や頭上から崩れ落ちてくる岩石群といった危険物からいち早く逃れようとする場合には一定の効果が見られる」
役に立つこともあるわけだし、人間はそうやって生き延びてきたからこそ、パニックになる能力を維持しているわけである。
しかし、自然の摂理に逆らったダイビングなどという不届きな遊びをしている時は、この能力は概ね逆効果となる。
これは、ソロダイビングでは全く対応できない。
「生き残りの可能性がない場合にはパニックは起こりにくい。」
まあ、そういうこともあるだろうが、浮沈子はむしろ例外なのではないかと思っている。
「危機を逃れる可能性がたとえ僅かでもある場合にこそ、人は何としてもそれを達成しようしてパニック状態になる」
「充分に訓練された集団ではパニックが発生しにくい。これは、充分に訓練を受けた個人であっても同様だが、特に集団では、危機的状況でも速やかに各人の役割分担がなされ、全員が全員で同じ行動に走り、結果パニックに陷る事態が防止される。また、各々が割り当てられた役割を果たすことで、危機的状況が引き起こすストレスを軽減できる。強度のストレスに晒された人間の脳は、より衝動的な考えが支配的になるが、このストレスを軽減できれば、結果として理性的な行動を行いやすいという理屈である。」
まあ、いつもこうだといいんだが、なかなかそうはいかない。
しかし、ダイバーは、本来、「十分に訓練された個人」であるはずなんだがなあ。
「集団中に一定の権力や威厳といったヒエラルキーが存在する場合も、パニック状態が抑制されやすい。」
これについては、項を改めて書きたい。
生理的には、パニックは、脳機能障害として説明されている。
(パニック障害)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9A%9C%E5%AE%B3
「原因:
原因についてはそれぞれ異なるが、当人のそれまでの経験から心理的あるいは身体的に危険だと察知した状態の場合、潜在意識が「発作」を起こす事で顕在意識に再認識させるために起こす症状。 その要因としては、脳の病気や心の病などではなく「思い込み」や「思い違い」による発作であるために投薬では寛解までは可能でも完治する事は不可能だと言える。」
「原因についてはまだ完全に解明されていないが、脳内不安神経機構の異常によって起きるものだと考えられている。ヒトの脳には無数の神経細胞(ニューロン)があり、その間を情報が伝わることで、運動、知覚、感情、自律神経などの働きが起きる。パニック発作や予期不安、恐怖などもこの脳の機能のあらわれで、そこに何らかの誤作動が生じるために起こっていると考えられている。神経細胞間の情報を伝える化学物質(神経伝達物質)や、それを受けとめる受容体(レセプター)の機能の異常が関係しているのではないか、という研究が進められている。」
まあ、どうでもいいんですが。
原因はともかく、何らかのきっかけでパニックになってしまったときに、水中では大事になるわけで、こればかりはどんなベテランダイバーでもどうしようもない。
なるべくストレスを感じないで済むようなダイビングを心がけたり、体調を管理するくらいが関の山で、完全にパニックを起こさないようにすることは出来ないのだ。
器材が完璧であっても、呼吸できるガスが山のように(海のように?)あっても、身体的には健康そのものであっても、パニックを起こして衝動に駆られ、致命的な行動に走ってしまったらどうしようもない。
また、逆に、忘我の境地に陥って、水中でぼーっとしてしまうという静的パニックというのもあると教わった(レスキューダイバーのコースで)。
パニックの症状の中には、動悸、息切れ、めまいなどの自律神経症状と空間認知(空間等の情報を収集する力)による強烈な不安感、手足のしびれやけいれん、吐き気、胸部圧迫のような息苦しさなどがあるそうだ。
繰り返しになるが、陸上ならば、それ自体が生命身体に危険を及ぼすものではないだろうが、水中ではそうはいかない。
それでなくても、水中という特殊環境の中に身を置くことは、それだけでストレスである。
本人がそう思っていなくても、脳のどこかでスイッチが入ってしまうことはあるだろう。
誰のせいでもない、人間はそういうふうに作られているのだ。
これは、浮沈子の仮説だが、バディは、多分、そこにいるだけでパニックに陥ることを抑止している可能性もある。
(おまえに:フランク永井)
http://j-lyric.net/artist/a000b3a/l001398.html
「そばにいてくれるだけでいい
黙っていてもいいんだよ・・・」
バディって、そんな存在かもしれない。
最中(もなか) ― 2014年06月27日 10:48
最中(もなか)
(最中)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E4%B8%AD
「さいちゅう」ではない。
「もなか」である。
「最中(もなか)とは、餅から作った皮で餡を包んだ和菓子の一種。皮は皮種、菓子種、最中種、種物という。餡に栗、求肥や餅などを入れた変わり最中もある。」
「名前の由来:
池の面に照る月なみを数ふれば今宵ぞ秋のもなかなりける
拾遺和歌集(巻3・秋171)にある源順の歌を知っていた公家たちが、宮中で行われた月見の宴において白くて丸い餅菓子が出されたのを見て、会話の中で「もなかの月」という言葉が出たことから、そのまま菓子の名前として定着したという由来がある。」
知らなかったな。
浮沈子は、この和菓子には、思い出がある。
もう、10数年前、母が亡くなる直前、もなかが食べたいと言い出した。
実家の近くの和菓子屋で、適当に買い求めて病院に持って行って食べさせたのだが、この味ではないと言う。
病気のせいで、味覚が鈍っているということもあるのだが、違う菓子屋を探して実家の近所の商店街を歩き回り、売っている限りの店で買った。
届けると、一口齧っては、どれも違うと言う。
悲しさと、悔しさと、情けなさが交じり合った、なんともいえない感情が込み上げて来て、やりきれなかった。
やがて、母は亡くなり、葬儀の際にお棺の中にもなかを入れたいといったら、葬儀屋に断られた。
水気の多いものは駄目だと言う。
それ以来、もなかを買ったことはないし、食べたこともない。
母が食べたかったもなかの味とは、いったいどんな味だったのだろうか。
浮沈子は、あの皮が口の中に張り付く感じが好きではなくて、もなかを余り食べなかったので、なかなか想像ができない。
子供の頃は、それでも与えられて食べていたが、大人になってからは自分で買って食べた記憶はない。
味の感覚を失っていた母のために、夜の商店街を歩き回った切ない思い出だけが、今も鮮明に残っている。
あれから、長い年月が経って、最近すっかり忘れていたら、今日、その夢を見た。
夢は、少しアレンジされていて、どこか外国の町でもなかを探していた。
言葉が通じなくて、お店の人に「もなか」といっても「???」状態である(当然か・・・)。
早く買って届けなければならない。
飛行機の時間も迫っていて、焦りは募るばかりである。
焦燥と、自分に対する憤りとが交錯した、言いようのないやりきれなさの中で目が醒めた。
どうも、単なる空腹の中で見た夢のような気がする。
やれやれ。
母が食べ残したもなかの味は、最早覚えていない。
好きな菓子ではないので、自分で買って食べることもないだろう。
遠い記憶を呼び起こされた、夢の話である。
(最中)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E4%B8%AD
「さいちゅう」ではない。
「もなか」である。
「最中(もなか)とは、餅から作った皮で餡を包んだ和菓子の一種。皮は皮種、菓子種、最中種、種物という。餡に栗、求肥や餅などを入れた変わり最中もある。」
「名前の由来:
池の面に照る月なみを数ふれば今宵ぞ秋のもなかなりける
拾遺和歌集(巻3・秋171)にある源順の歌を知っていた公家たちが、宮中で行われた月見の宴において白くて丸い餅菓子が出されたのを見て、会話の中で「もなかの月」という言葉が出たことから、そのまま菓子の名前として定着したという由来がある。」
知らなかったな。
浮沈子は、この和菓子には、思い出がある。
もう、10数年前、母が亡くなる直前、もなかが食べたいと言い出した。
実家の近くの和菓子屋で、適当に買い求めて病院に持って行って食べさせたのだが、この味ではないと言う。
病気のせいで、味覚が鈍っているということもあるのだが、違う菓子屋を探して実家の近所の商店街を歩き回り、売っている限りの店で買った。
届けると、一口齧っては、どれも違うと言う。
悲しさと、悔しさと、情けなさが交じり合った、なんともいえない感情が込み上げて来て、やりきれなかった。
やがて、母は亡くなり、葬儀の際にお棺の中にもなかを入れたいといったら、葬儀屋に断られた。
水気の多いものは駄目だと言う。
それ以来、もなかを買ったことはないし、食べたこともない。
母が食べたかったもなかの味とは、いったいどんな味だったのだろうか。
浮沈子は、あの皮が口の中に張り付く感じが好きではなくて、もなかを余り食べなかったので、なかなか想像ができない。
子供の頃は、それでも与えられて食べていたが、大人になってからは自分で買って食べた記憶はない。
味の感覚を失っていた母のために、夜の商店街を歩き回った切ない思い出だけが、今も鮮明に残っている。
あれから、長い年月が経って、最近すっかり忘れていたら、今日、その夢を見た。
夢は、少しアレンジされていて、どこか外国の町でもなかを探していた。
言葉が通じなくて、お店の人に「もなか」といっても「???」状態である(当然か・・・)。
早く買って届けなければならない。
飛行機の時間も迫っていて、焦りは募るばかりである。
焦燥と、自分に対する憤りとが交錯した、言いようのないやりきれなさの中で目が醒めた。
どうも、単なる空腹の中で見た夢のような気がする。
やれやれ。
母が食べ残したもなかの味は、最早覚えていない。
好きな菓子ではないので、自分で買って食べることもないだろう。
遠い記憶を呼び起こされた、夢の話である。
最近のコメント