曲げる2017年01月03日 11:35

曲げる
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最近の秋葉原では、カーブした画面の液晶ディスプレイが流行っている。

つーか、ゲーム用パソコン(既に、デスクトップ型は概ねそういうことになっているようだが)のお店でよく見かける。

店によっては、その曲面ディスプレイ(っつーのかあ?)を、3台も横に並べて、ゲームソフトをグリグリ動かしている。

VR元年といわれた2016年が終わり、今年は曲面ディスプレイが流行るのかもしれない。

ゲーム用のディスプレイは、局面でなくても、やたらと横長のものが多い。

(【34型】ウルトラワイドモニターの選び方と、おすすめ9機種まとめ)
http://koshitatu.com/?p=7221

「アスペクト比16:9のフルHDモニターや4Kモニターよりも、21:9のウルトラワイドモニターの方が見た目が全然カッコイイ」

個人の好みだからな。

ははあ、ウルトラワイドモニターというのか。

曲面についても書かれている。

「中央付近から画面端に視線を移動した時にピント調節がしやすいメリットがあります。それと、ゲームをしたり動画や映画を見る時に映像に包み込まれている感覚になります。」

「ただ問題もあって、真っすぐな横線が真っすぐに見えず、微妙に湾曲してみえるのでシビアな画像編集にはオススメしません。」

ちなみに、浮沈子がこのブログを書くのにつかっているのは、エイサーの24インチ平面ディスプレイで、これ以上デカいのはパソコンラックからはみ出すので置けない。

24ポイントのMSゴシックが、ちょうどいい大きさに映る。

十分だな。

で、曲面モニターが曲がっているといっても、手でぐにゃぐにゃするわけにはいかない。

曲げることが出来るということではなく、曲がったまま固まっているわけだ。

こんな記事があった。

(曲がる液晶パネル、JDIが17年度にも実用化)
http://www.yomiuri.co.jp/economy/20161230-OYT1T50146.html

「液晶大手ジャパンディスプレイ(JDI)は2017年度にも、曲げることができる液晶パネルを実用化する方針を固めた。」

ウエアラブルにするためには、柔らか素材で曲げられるようにするのがよろしい。

それ以外でも、設置場所に応じてフレキシブルに曲げられる方が、施工にも汎用性があるしな。

デジタルサイネージなどへの展開も進んでいくんだろう。

今は、シールを貼っている痛車なども、曲面ディスプレイを貼ることになるのかもしれない。

貼り直しの手間もいらないしな。

まあ、どうでもいいんですが。

本当に柔らか素材になるのかどうかは分からない。

耐久性や安全性の問題を解決できれば、電飾を着て歩くようになるのかもしれない。

ハサミでチョキチョキ切れたりして!。

当分先の話だろう。

センサーやカメラと連動させて、光学迷彩のような機能を実現させることが出来るようになる可能性もある。

透明人間は難しいとしても、透明車両や透明航空機ができれば、軍事技術としても発展する可能性はある。

光学的ステルスというやつだな。

もう、電波では見えないしな。

あらゆるものに、ディスプレイが埋め込まれる時代が来る。

このキーボード(今、打っているやつ)のキートップだって、モードを切り替えたら表示が変わるようにできるかもしれない。

タッチタイピングしてるから、あんま関係ないともいえる。

商品としては面白い。

部屋の内装、鏡(もう、鏡像ではなく、正鏡が写る!)、照明など、応用範囲は広い。

問題はコストだが、それは解決されるはずだ。

大昔は、紙というのはハイテク素材だったわけだしな。

液晶はそのうち使い捨てになるかもしれない。

クリネックスのティッシュのように、紙のボックスの中に折りたたまれて、取り出されると、近距離無線でガジェットから送信された映像を表示する。

一通り見終わったら、丸めてリサイクルボックスに放り込んでしまえばいい。

耐久性を考慮しなくていい分、価格は下げられるというわけだ。

ああ、紙製のボックスはもったいないので、詰め替えて再使用する・・・。

そんな未来も見えてくる(こねーよ!)。

まあいい。

今日の非常識は、明日の常識だ。

未来がどうなるかは、結局分からないのだ。

浮沈子的には、どこでもディスプレイよりは、使い捨ての方がしっくりくるんだがな。

身の回りを見渡せば、印刷された紙やビニール、プラスチックが溢れ、文字や絵柄がカラフルに踊っている。

1000年前の人類には、想像もできなかったに違いない。

人類の欲望は、想像すら超えて広がっていく。

愛読している須賀次郎さんのブログに、こんな記事が載った。

(0102 海底2万マイル)
http://jsuga.exblog.jp/26524675/

「ヴェルヌのSFに登場する潜水機は、酸素発生装置を持っていて、海底に8時間以上とどまることができ、水深も数百メートルまで行動できる。」

「現在のリブリーザーでもベルヌの想像した潜水機のれべるには到達していない。」

ちょっと計算してみる。

現在のCCRで携行できる酸素は、せいぜい200気圧くらいだが、燃料電池車に積まれている高圧タンクは700気圧である。

CCRは、深度に関係なく、酸素の消費量は同じだから、どんな深さでもその消費量は人間が使った分だけ。

多めに見積もっても、せいぜい1分間に1リッターくらいだから、1リッターのタンクに700気圧詰め込めば、700分使えることになる。

12時間近くになるわけで、ベルヌの想像を超えてしまっているのだ。

えっ?、二酸化炭素はどうするのかってえ?。

20キロくらいソフノライム担いでいけば、何とかなるんじゃないのかあ?。

ベルヌは、そこまで考えてないしな。

CCRでネックになるのは、酸素の量じゃなくって、二酸化炭素の処理だ。

そして、長い長い減圧・・・。

大気圧潜水にするか、人間の身体が変わらない限り、それを避けることはできない。

他にも、いろいろネックはあって、深海は人類にとっては最後の秘境になるだろう。

ウィキには、フランス語の原本が上がっている(引用は、サンゴの墓地への埋葬シーン)。

(CHAPITRE XXIV
LE ROYAUME DE CORAIL.)
https://fr.wikisource.org/wiki/Vingt_mille_lieues_sous_les_mers/Partie_1/Chapitre_24

自動翻訳で読むと、深度は300m位だな。

その深度に、サンゴが棲息するかどうかについては、深く追求しない・・・。

第16章、17章には、水底を長時間にわたって歩くシーンも登場する。

当時、ベルヌが、ダイビングのことを実際には分かっていなかったということが、ハッキリする。

まあ、ベルヌでなくても分かっていなかったわけだから、それは仕方ない。

SFだからな。

嘘八百も芸の内だ。

浮沈子が言いたかったのは、そういう空想を超えて、現実の世界が展開されていくということだ。

画像は、ウィキに載っていたものだが、腰に付けているランタン(水中ライト?)の電源は、リチウムイオン電池なんだろうかと、気になってしまう(レイザーのは、24時間持つらしい:明るさに依ります)。

小説ではこの辺りへの言及はない(たぶん)。

事実は小説より奇なりである。

使い捨て曲面モニターが、実現しないと断言することは出来まい?。

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