地球外生命を考える2018年07月05日 11:05

地球外生命を考える
地球外生命を考える


NHKスペシャルで、超深海について取り上げられた番組があった。

(超深海 地球最深(フルデプス)への挑戦)
https://www.nhk.or.jp/darwin/feature/deepsea/deepocean3/

マリアナ海溝の底に、UROV11K(浮上する際に行方不明?)を降ろして、いるはずがないと言われている魚類を探すというNHK版木曜スペシャル的番組なわけだ(そうなのかあ?)。

録画して、何度か見たが、8000mくらいにランダーを降ろして、マリアナスネイルフィッシュの撮影に成功する話が出てくる。

番組の最後には、この超深海に生息する魚類が、南極由来であることが示唆されていた。

水温が低く、エサが少ない環境が共通していると言われる。

そこに生存可能な空間があれば、自分自身の遺伝子を改変させてまで適応し、新たな生存圏を獲得しようとする生物の本質を見る思いだ。

リサニップが唱える「意志による進化」によって、人類の遺伝子を弄り、例えば宇宙空間や火星に適応させようという動きも、その生命の本質によるものなのかもしれない。

(宇宙人の作り方?)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2018/03/25/8811112

我々は、人類が他の生物とは異なる能力を持ち、自らの意志で行動していると考えがちだが、神経細胞の集まりに過ぎないちっぽけな脳が考えることなど、たかが知れているのだ。

浮沈子は、個人的には人類が地球に留まるべきだと思っているし、地球以外には知的生命はおろか、ゾウリムシほどの生命体もいないと信じている(ゾウリムシには失礼かも!)。

(ゾウリムシ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%82%B7

「障害物などに接触すると、繊毛逆転により遊泳方向を反転する(後退遊泳)。」

ほほう、バックワードキックまで出来るのか・・・。

まあ、どうでもいいんですが。

せいぜい、探査機に微生物を仕込んで(意図したものであるかどうかは別にして)、他の惑星や衛星に送り込んで播種するのが関の山だと思っている。

それだって、やり過ぎには違いないからな。

地球という、自らが生まれた惑星の上で、大人しくしていればいいものを・・・。

太陽系の外の世界に、本当に生命が存在しないかどうかは分からない。

絶対いないと断言することは、ロジカルには主張しがたいからな。

そう信じるということしか言えない。

全宇宙を調べ尽くして存在を否定することは不可能だ。

また、地球にだけ生命が誕生したということを、根本原理から示すこともできまい。

まねっこでない、完全オリジナルの人工生命を工学的に作り出すのは時間の問題かもしれないが、それは人類が生命の本質を解き明かしたことにはならない。

その実験(!)を重ねて、これこれこういう方法でなければ、生命は生まれなかったという、生命の起源の法則(?)を示すことが出来れば、大金星だけどな。

その条件を満たす環境(惑星や衛星、あるいは、宇宙空間の分子雲とか)を特定できれば、現在のような、恒星の近くで液体の水が存在するなどというザルな条件によるよりも、確かな探査が可能になるに違いない。

水と有機物があれば、自動的に生命が発生するくらいなら、浮沈子が今飲んでいる粉コーヒーを融かしたコップからだって、生命の誕生は起こるに違いない(5億年くらい待てば・・・)。

仮に、浮沈子の信念を脇に置いておいて、地球外生命体の存在が、十分に確からしく発見できたとして、その時何が起こるだろうか?。

世界中が大混乱に陥って、宗教や政治が崩壊し、そのパニックで人類が破滅とかするだろうか?。

そんなことにはならないと断言しておこう。

昨日のように今日があり、近所のスーパーの特売品の方が、余程重要な日常生活が消えてなくなるわけではないのだ。

世界は、科学的真実の上に回っているわけではなく、日常的現実の上に依って立っているわけだからな。

謎の円盤UFOのように、秘密基地を映画制作会社でカモフラージュする必要はない。

人々は、その科学的真実を受け入れ、それを日常生活の中で消化し、来るべき宇宙人との決戦に備えて税金を払うだけだ(そうなのかあ?)。

まあいい。

要するに、自らを宇宙人に仕立てることも、ひょっとしたらいるかもしれない宇宙人とコンタクトすることも、器用にこなしてしまうに違いない。

もしかしたら、ビジター(V)のように、宇宙人とにゃんにゃんして(子供は分かんなくていいです!)、ハイブリッドが誕生するかもしれない。

人類レベルで考えると、単なるSFになっちまうけど、細菌とかそういうレベルで考えれば、あり得ない話ではないような気もする。

オウムアムアのように、太陽系外から飛来する彗星とかによって、地球にもたらされた生命の種が、この星の生命の誕生と進化に影響を与えなかったという明白な証拠はない。

えーと、与えたという証拠もないけどな。

まあいい。

宇宙における生命について、確かなことは一つだけ。

どっから来たかは知らないが、地球という星の上に、しこたま蔓延っているということだ。

しかも、その中に、自分自身がいるということで、かなりややっこしい感じになっている。

浮沈子的には、もう、それだけでお腹いっぱいで、地球以外の生命なんて、いない方がややっこしくならなくていいと考えているだけなのかもしれない。

21世紀初頭の認識として、生命が物質進化の過程で、物理化学的に生成されたことに異論はないだろう。

物質だけではなく、何らかの「生命の素」(味の素のようなものか)を振り掛けないと出来ないとか信じている科学者がいたとしたら、ちょっと考え物だ。

そうすると、物質進化(変化でもいいですが)を起こしうる条件さえ整えれば、どこででも生命は誕生するということになる。

物理化学の法則は、全宇宙で共通というのが常識だからな。

しかし、その条件が何なのかは正確には分からない。

分かっていることは、今のところ、その条件が極めてキビシーことだけ。

地球以外での生命の存在が確認されたことはない。

我々は、生命の起源と進化について、ようやく上っ面を学び始めたに過ぎない。

コンサバな浮沈子は、地球外生命の存在を拒否し、人類の宇宙への進出にも積極的とは言えないポジションを維持しているが、そんなことにはお構いなく(まあ、トーゼンですが)、探査や実験が繰り広げられていく。

いつの日か、今日のブログの記事を読み返して、切歯扼腕することがあるかも知れない。

地球外生命を否定し続けることは、たった一つの例外を示すだけで覆る。

アランヒルズの隕石から、あやしげな模様が見つかった時には、焦ったけどな。

(アラン・ヒルズ84001)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%AB%E3%82%BA84001

「内部から細菌のような生命体の化石らしきものが確認され、地球外生命の痕跡ではないかと取り沙汰された」

今のところ、確定されたという話は聞かない。

概ね、生命の痕跡ではないとされているようだ。

やれやれ・・・。

大衆は、地球外生命体の存在を示唆するニュースに飛びつくが、浮沈子にはその態度は理解できない。

そんなものは、いないに越したことはないのだ。

さて、与太ブログを書いているうちに、腹も減ってきたからな。

食物探索行動に移るとするか。

これもまた、生命の本質の一つだからな・・・。

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