原子力電池2012年08月07日 03:16

原子力電池
原子力電池


(画像は、キュリオシティを真上から見た3Dで、右側にあるフィンのついた筒状のものが「原子力電池」)

(Radioisotope thermoelectric generator)
http://en.wikipedia.org/wiki/Radioisotope_thermoelectric_generator

(原子力電池)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E9%9B%BB%E6%B1%A0

(第五話「惑星探査のヒーロー:宇宙船用熱電発電器」)
http://www.kelk.co.jp/useful/netsuden5.html

(熱電変換素子)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E9%9B%BB%E5%A4%89%E6%8F%9B%E7%B4%A0%E5%AD%90

(ゼーベック効果)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AF%E5%8A%B9%E6%9E%9C

(ペルティエ効果)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A8%E5%8A%B9%E6%9E%9C

(熱電対)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E9%9B%BB%E5%AF%BE

(サーモパイル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%AB

(放射温度計)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E5%B0%84%E6%B8%A9%E5%BA%A6%E8%A8%88

ここまで調べて、ようやく耳の穴に突っ込む最近の体温計と、ボイジャーに積まれた原子力電池が同じ原理で作動していることを知った。

ペルチエ効果はオマケである。パソコンいじりに興じていた頃の懐かしい単語が出てきたので書いておいた。

要するに、放射性元素の崩壊熱であろうが、焚き火であろうが、熱いところと冷たいところ(放射熱であれば、熱源の反対側は冷たい)がありさえすれば、発電できるということである。

発電効率(変換効率)が低く、まだ数パーセントであるが、廃熱を有効に利用できるなどのコジェネ需要がある。

当然、宇宙空間においては、太陽電池が使用できない環境での利用が最優先である(軍事衛星含めて)。

そのうち、耳の穴に突っ込んだカナル型イヤホンで、ワイヤレスに音楽を聴くことができるようになるかも!(猛暑日とか、だめだな・・・)。

故郷の風景?2012年08月07日 21:39

故郷の風景?
故郷の風景?


(画像は、キュリオシティのアームのカメラがダストカバー越しに捉えた火星の風景:まだ、折り畳まれて収納されているので、斜めになっている)

(Curiosity's First Color Image of the Martian Landscape)
http://www.nasa.gov/mission_pages/msl/multimedia/PIA15691.html

SFでもなければ、世迷言でもない。

人類は、火星人だった(やっぱ、世迷言じゃん!)。

この風景を見たときに、「懐かしさ」を感じた。故郷の山、故郷の大地、故郷の空気(薄いです)。

太古の昔、ここには川が流れ、森が繁り、鳥が歌い、花が咲き乱れていたに違いない。

火星人だった人類は、仲良く、戦争なんかしないで暮らしていたのだ。しかし、大気は徐々に失われ、豊かな水は干上がっていった。滅亡の時が迫っていたのである。

火星歴○△□×年(そんなころに、PSPがあったとは!)、火星連邦は、お隣の惑星である地球に移住することを決意する。彼らは優れた科学技術と高度な文明を築いていたが、地球への移住には、大きな問題があった。

当時の地球は、恐竜が跋扈していたのである。そこで、火星人類は一計を案じた。

火星の月を一つ、地球に落下させ、恐竜を退治してしまおうというのである。時、あたかも6500万年前のことである(そうだったのか!)。

長い時間をかけて、周到な準備を行い、事は成された。

大異変から十分な時間がたった時、既に死の星となった火星から巨大スペースコロニーでラグランジュ点に避難していた人類は、隕石落下というテラフォーミングが為された地球に降り立つことになった。

類人猿と現代人の間には、ミッシングリンクという「失われた鎖」があるという。分子生物学によれば、遺伝子的には500万年から600万年前にチンパンジーと別れたことになっているのに、その頃の化石がないというのだ。

(ミッシングリンク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF

もちろん、高度な科学文明を有する火星人類に抜かりはない。遺伝子操作はお手の物である。最近、チャドやケニアでこの手の化石が出土しているが、後世の子孫である我々は、先祖の仕掛けたトラップにはまっているに過ぎない。

さて、地球人類となったご先祖様は、空を仰ぎ見るたびに郷愁に駆られることになるのである。

古来、宇宙を旅する物語は枚挙に暇がないほどである。

そして、我々の遺伝子の中には、帰巣本能とでもいうべき望郷の思いがインプリントされ、再び宙(そら)へと駆け上がるべく、宇宙ロケットなんかを飛ばしているんですなあ。

「ふるさとへ帰るのを 旅とは言わない
 ふるさとへ帰る人を 旅人とは言わない
 だけど 旅人のように 心は ふるさとへ
 今日も 帰るの 亀田のあられ おせんべい」

すみません、調子に乗りすぎました。

老後は火星に住みたいという、イーロン・マスクなんかは、間違いなく火星人の子孫だ。他にもその記憶を呼び起こされて、宇宙に飛び立とうとしている人類は大勢いる。他の人々から変人扱いされ、自宅の居間にデビルズタワーの模型を作ってしまう人たちである(未知との遭遇かよ!)。

火星への帰還、壮大な故郷への旅、お世話になったこの地球を後にして、真の故郷へ帰っていく。

今宵の物語は、このあたりで。「続きはまた明日・・・」(シェヘラザードかよ!)。

ブルータス!2012年08月07日 22:13

ブルータス!


500Eの修理見積もりが出た!。

2ひゃくまんえんを超えている・・・。

ブルータス!、おまえもか!!。

EZLとスロットルアクチュエーターは、次回見送りとなった(この2つだけで、50万円です)。

それでも、かろうじて200万位だ(この中には、エアコン関係や、エンジンの中身、トランスミッション、デフ、リアサブフレームマウントは、一切入っていない)。

足回りと、ハンドル、ホース、ハーネス、その他、ありとあらゆる細かい部品をかき集めると、この値段になる。

およそ、J-AUTOで見つけられるところは、丁寧に見てもらった。それでも、見落としはある。

電動シートと、電動テレスコピックハンドルが漏れている。

内装は、別の見積りになるのかもしれない(ひえーっ!)。

さすがは、新車価格1550万円のクルマである。

ヤナセで50万かけているので、なんだかんだで300万かかることになる。元値が100万だから、400万円である。もう一声で、E60が買えてしまう・・・。

悪夢だ。

夢なら覚めて欲しい。

お盆を挟んで、約1か月の工期である。

これから、金策に走らなければならない。隣には、ポルシェボクスターが止まっている・・・。

いやいや、お前を手放すことはしないから、大丈夫だよ。

しかし、想定外の見積りであった。

内容については、しっかりと聴いてきた。よく見ている。20年間ほとんど部品交換をしていないので、きっと高くつくとは思っていたが、150万くらいだろうと踏んでいた(込み込みで)。

倍額とは恐れ入った。完全にノックアウトである。

大衆車2012年08月07日 23:43

大衆車


500Eの見積りに、衝撃を受け、立ち直れない。

覚悟はしていたものの、想定の範囲外であった。

庶民感覚からいったら、法外な値段である。

しかし、考えようによっては、極めて安いと言えなくもない。

クラシックカーのレストアのようなものである。元の乗り味に、限りなく近くなる(EZLが不安ですなあ)。そういうクルマだ。

世の中には、違う種類のクルマもある。10年10万キロで、ボディが終わり、車の寿命が来る。エンジンを載せ換えても、足回りを全部替えても、オールペイントしても、何をしても何を交換しても、車そのものであるボディが終わってしまう。

モノコックを交換するというのだそうだ。

エンジンの方が長持ちするので、ボディを交換する。

なんか、変な感じだが、国産では当たり前だそうだ(コメントでご指摘をいただきました。もちろん、当たり前ではありませんね、失礼しました!:エンジンスワップの記事の読みすぎでしょうか・・・)。

大衆車の代名詞である、世界に誇るトヨタのカローラ(最近はアクシオというのだそうだ:オグシオではない。アジシオでもない)。

(トヨタ カローラ アクシオ:グレード・価格)
http://toyota.jp/corollaaxio/002_p_001/concept/grade/index.html

概ね、200万円のクルマである。

10年で200万円だから、年間20万円の減価償却になる。実質400万円の購入費となる500Eは、40万円だ。ガソリン代も税金も高い。

どこかが壊れた時の修理費なんて、考えたくなくなるほど高い。維持費は、3倍かかると思っていればいいだろう。変わらないのは駐車場の賃料くらいである。

さて、10年経って、カローラは下取り5万円くらいで乗り換えられる。新車である。最新の技術が投入されていて、燃費もいいし、故障もほとんどない。営業さんは大喜びである。

ベンツは、そろそろエンジンのオーバーホールの時期になって、またまた100万くらいの金額が飛んでいく。ミッションも同時、エアコンも同時、足回りも交換となると、200万円コースですなあ。

カローラ新車1台分が出て行くわけだ。

うん?、ということは、長く乗るということと、経済的な負担はあんまり関係ないんじゃない?。

10年毎に、200万円かかっていく。その間の維持費もかかっていく。資産としての価値は、確実に無くなっていくので、実用価値(使用価値)しかない。

500Eとカローラは同じなのか。500Eはカローラよりもダメなクルマなのか。

そうではない。

クルマの価値は、この話の中には一切出てこないところにある。

大衆車ではないクルマが、なぜ売れるのか。同じ工業製品なのに、移動の手段としては大差ない性能(特に日本の道路事情では)なのに、なぜ、10倍もする値段が付くのか。

一度でも乗れば分かる。

ああ、クルマの価値は、ここにあるのか。

高級車(と、とりあえず呼ぶことにする)には、神が宿るのである。

ハンドルの神様、アクセルの神様、ブレーキの神様、エンジンの神様、サスペンションの神様。

そして、神の中の神、王の中の王、ボディの神様。

10年経つと、どうもご機嫌を損ねるらしく、この神々は貢物を求めるのだ。メンテナンスと消耗品の交換というやつだ。

しかし、ボディの神様だけは、御心が広い。

そして、廃車になるときに、静かに去っていかれる。

神宿るクルマに、一度でも乗ると、魂のない工業製品には戻れなくなる。神様も罪作りな方々である(ばちあたりめ!)。