キャットニップ ― 2014年05月21日 22:03
キャットニップ
(イヌハッカ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%AB
「英名であるcatnipは「猫が噛む草」という意味であり、その名の通り、猫はこの草を好む。これはこの草の精油にネペタラクトンという猫を興奮させる物質が含まれているからである。」
カットニス・エバディーンの渾名である。
ゲイルが付けた渾名なので、彼しか知らない。
二人だけの時の呼び名といってもいい。
ハンガー・ゲームを読み始めて、その世界観に入っていく時、浮沈子が引っ掛かったのが、この名前だ。
「わたしの本当の名前はカットニスだが、初めてゲイルに名前を教えたとき、わたしはほとんど消え入りそうな声でつぶやいた。それで彼はキャットニップと聞きまちがえたのだ。」
「それから森の中で一匹のオオヤマネコがおこぼれを期待してわたしのあとをついて回ったことがあった。そのときゲイルは猫が好む香りがする植物、キャットニップというあだ名を正式にわたしにつけた。」
(オオヤマネコ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B3
「オオヤマネコ/リンクス lynx の名は、「光」を意味するギリシャ語に由来し、照度の単位ルクス lux とも同根である。これは、オオヤマネコの眼がかすかな光でもよく見えることに由来するが、古代ローマでは観察眼の鋭さを「オオヤマネコの眼」と表現し、英語では、lynx-eyed 「オオヤマネコの眼をした」という表現で「眼の鋭い」ことを表す。古代から中世にかけて、どんなものでも見透かしてしまう超越的な視線の持ち主と考えられた「ボイオティアの大山猫(リンクス)」の名が、しばしば比喩として引かれた。」
「中世キリスト教では、明敏や明智を表すものとして、貴族の紋章にオオヤマネコを用いたものがある。17世紀に設けられた西洋星座のやまねこ座も、明るい星のない星域に「この星座を見るためには誰もがヤマネコのような目を必要とするから」という理由からオオヤマネコがイメージされている。」
(やまねこ座)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%AD%E3%81%93%E5%BA%A7
「1687年に天文学者のヨハネス・ヘヴェリウスによって設定された[1]。おおぐま座とぎょしゃ座の間の大きな隙間を埋めるように作られたが、明るい星がなく、ヘヴェリウスは「この星座を見るためには、ヤマネコ(厳密にはオオヤマネコ)のような鋭い目が必要だ」と述べている。」
「新しい星座であり、神話は伝わっていない。」
まあ、カットニスは、付きまとうオオヤマネコを恐れて、獲物が近寄らなくなるという理由から、このオオヤマネコを殺してしまう。
毛皮がいい値段で売れたという記述もあって、狩猟民族でない浮沈子は、ちょっと付いていけない。
この手のグロな描写は、カットニスの妹であるプリムの飼い猫、キンポウゲに関する部分でも出てくる。
「わたしもいまでは狩りで仕留めた獲物をさばくとき、キンポウゲにはらわたを分けてやることがある。」
狩猟民族でもなければ、肉屋でもないので、この手の描写には弱い。
カットニスは、狩りの名手という設定で、弓矢に長けている。
ハンガー・ゲームという殺し合いの中で、彼女の弓の腕前は大したものだ。
まだ、数ページしか読んでいないが、今後もこういう描写が多数出てくるだろう。
もともと、殺し合い(バトルロワイアル)の映画なのだ。
それを、テレビで中継するという荒唐無稽、支離滅裂、あるまじき人非人の行為なのである。
もう、その設定だけで、浮沈子はアップアップであるのに、いきなり獲物の解体の記述があるわけだな。
こんなもんを、児童書としてガキに読ませていいんだろうか?。
文庫本のカバーには、スーザン・コリンズがハンガーゲームを書くに至った経緯が書かれている。
「・・・番組制作の際に出会った児童書作家にすすめられ、児童書の執筆を始める。ハンガー・ゲームシリーズ(3部作)は全世界で空前のベストセラーとなり・・・」
罪な児童書作家がいたものだ。
浮沈子は、第2作の映画しか知らないが、オトナの鑑賞に堪えるかどうかというギリギリの作品だな。
思い出すのは、ラッセル・クロウの鼻水の名演技で有名な「グラディエーター」だな。
(グラディエーター)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC
そう、見世物にされる剣闘士と、広大な自然を模したスタジアムで行われるバトルロワイアルには、共通のものがある。
統治の道具として使われる剣闘士のショーと、ハンガー・ゲームが似ているというだけではなく、その競技者と最高権力者が対峙するという、通常は有り得ない設定も似ている。
物語や映画を鑑賞する我々自身が、そういう設定を好むということだ。
この構造は、フィクションと現実の娯楽の枠を超えて、入れ子構造のようになっているのだ。
そして、一競技者に過ぎないマキシマスやカットニスが、ゲームの主催者である最高権力者をやっつける(?)という筋書きに酔うのだ。
この構図が、実は児童書(?)や映像娯楽によって統治されている我々の、真の姿を映し出す。
そんなことは、百も承知で鑑賞する。
その自虐的な快感も含めて、この手の娯楽は存在するのだ。
もう一つ、浮沈子にとっては問題がある。
紙の本の場合(文庫本ですが)、老眼鏡なしには読むことが出来ない。
仕事用に度を強めた老眼鏡は、日常ではほぼ不要で、送られてくる手紙などを読むときにしか掛けない。
紙の娯楽本を読まなくなって随分になるが、今回は紙本を買ってしまったので仕方なく掛ける。
ーーーー
40ページまで読んで、いささか疲れる。
電子書籍になっていれば、その方が安いし、目にも優しい。
第一部のそのまた第一章を読んで感じたのは、この作品は物語の設定が全てだということだ。
語り口に独特のものがあるわけでもなく、カットニスの一人称で綴られているというのが唯一の特徴で、そこにある種の限界がある。
読み手は、彼女の目を離れて状況を認識することが出来ない。
また、彼女が知りえない状況を、作者が説明することも出来ない。
それは、一方では、若い読者がこの架空の世界を認識する手助けにもなっている。
彼らが現実を捉えるのは、概ね、自己中心的な見方によるのであって、俯瞰的に全体を捉えることをしないからだ。
分かりやすく、同時に、危険な観点である。
それも含めて、この作品を鑑賞すべきだろう。
浮沈子は、このパネムという架空国家の統治方法が理に適っているといっているわけではない。
しかし、架空の統治として、ある種の説得力を持っていると思っている。
いささか、階級の分断がシンプルだが、児童書なので仕方ない。
12の地区が、それぞれ特徴的な産業に従事させられているという設定も、ちょっと無理がある。
しかし、御伽噺としては、分かりやすいのが一番だ。
背景の描写も、単純化出来る。
作者が意図したかどうかは分からないが、冒頭でカットニスがオオヤマネコを殺したというエピソードは象徴的だな。
「明敏や明智を表すもの」の象徴として扱われてきた動物を亡きものにしたということは、愚鈍と混沌の世界への導きを示す行為である。
そのオオヤマネコが慕ったカットニスのあだ名である、キャットニップという名前が、浮沈子的には妙に気になった。
(イヌハッカ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%AB
「英名であるcatnipは「猫が噛む草」という意味であり、その名の通り、猫はこの草を好む。これはこの草の精油にネペタラクトンという猫を興奮させる物質が含まれているからである。」
カットニス・エバディーンの渾名である。
ゲイルが付けた渾名なので、彼しか知らない。
二人だけの時の呼び名といってもいい。
ハンガー・ゲームを読み始めて、その世界観に入っていく時、浮沈子が引っ掛かったのが、この名前だ。
「わたしの本当の名前はカットニスだが、初めてゲイルに名前を教えたとき、わたしはほとんど消え入りそうな声でつぶやいた。それで彼はキャットニップと聞きまちがえたのだ。」
「それから森の中で一匹のオオヤマネコがおこぼれを期待してわたしのあとをついて回ったことがあった。そのときゲイルは猫が好む香りがする植物、キャットニップというあだ名を正式にわたしにつけた。」
(オオヤマネコ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B3
「オオヤマネコ/リンクス lynx の名は、「光」を意味するギリシャ語に由来し、照度の単位ルクス lux とも同根である。これは、オオヤマネコの眼がかすかな光でもよく見えることに由来するが、古代ローマでは観察眼の鋭さを「オオヤマネコの眼」と表現し、英語では、lynx-eyed 「オオヤマネコの眼をした」という表現で「眼の鋭い」ことを表す。古代から中世にかけて、どんなものでも見透かしてしまう超越的な視線の持ち主と考えられた「ボイオティアの大山猫(リンクス)」の名が、しばしば比喩として引かれた。」
「中世キリスト教では、明敏や明智を表すものとして、貴族の紋章にオオヤマネコを用いたものがある。17世紀に設けられた西洋星座のやまねこ座も、明るい星のない星域に「この星座を見るためには誰もがヤマネコのような目を必要とするから」という理由からオオヤマネコがイメージされている。」
(やまねこ座)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%AD%E3%81%93%E5%BA%A7
「1687年に天文学者のヨハネス・ヘヴェリウスによって設定された[1]。おおぐま座とぎょしゃ座の間の大きな隙間を埋めるように作られたが、明るい星がなく、ヘヴェリウスは「この星座を見るためには、ヤマネコ(厳密にはオオヤマネコ)のような鋭い目が必要だ」と述べている。」
「新しい星座であり、神話は伝わっていない。」
まあ、カットニスは、付きまとうオオヤマネコを恐れて、獲物が近寄らなくなるという理由から、このオオヤマネコを殺してしまう。
毛皮がいい値段で売れたという記述もあって、狩猟民族でない浮沈子は、ちょっと付いていけない。
この手のグロな描写は、カットニスの妹であるプリムの飼い猫、キンポウゲに関する部分でも出てくる。
「わたしもいまでは狩りで仕留めた獲物をさばくとき、キンポウゲにはらわたを分けてやることがある。」
狩猟民族でもなければ、肉屋でもないので、この手の描写には弱い。
カットニスは、狩りの名手という設定で、弓矢に長けている。
ハンガー・ゲームという殺し合いの中で、彼女の弓の腕前は大したものだ。
まだ、数ページしか読んでいないが、今後もこういう描写が多数出てくるだろう。
もともと、殺し合い(バトルロワイアル)の映画なのだ。
それを、テレビで中継するという荒唐無稽、支離滅裂、あるまじき人非人の行為なのである。
もう、その設定だけで、浮沈子はアップアップであるのに、いきなり獲物の解体の記述があるわけだな。
こんなもんを、児童書としてガキに読ませていいんだろうか?。
文庫本のカバーには、スーザン・コリンズがハンガーゲームを書くに至った経緯が書かれている。
「・・・番組制作の際に出会った児童書作家にすすめられ、児童書の執筆を始める。ハンガー・ゲームシリーズ(3部作)は全世界で空前のベストセラーとなり・・・」
罪な児童書作家がいたものだ。
浮沈子は、第2作の映画しか知らないが、オトナの鑑賞に堪えるかどうかというギリギリの作品だな。
思い出すのは、ラッセル・クロウの鼻水の名演技で有名な「グラディエーター」だな。
(グラディエーター)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC
そう、見世物にされる剣闘士と、広大な自然を模したスタジアムで行われるバトルロワイアルには、共通のものがある。
統治の道具として使われる剣闘士のショーと、ハンガー・ゲームが似ているというだけではなく、その競技者と最高権力者が対峙するという、通常は有り得ない設定も似ている。
物語や映画を鑑賞する我々自身が、そういう設定を好むということだ。
この構造は、フィクションと現実の娯楽の枠を超えて、入れ子構造のようになっているのだ。
そして、一競技者に過ぎないマキシマスやカットニスが、ゲームの主催者である最高権力者をやっつける(?)という筋書きに酔うのだ。
この構図が、実は児童書(?)や映像娯楽によって統治されている我々の、真の姿を映し出す。
そんなことは、百も承知で鑑賞する。
その自虐的な快感も含めて、この手の娯楽は存在するのだ。
もう一つ、浮沈子にとっては問題がある。
紙の本の場合(文庫本ですが)、老眼鏡なしには読むことが出来ない。
仕事用に度を強めた老眼鏡は、日常ではほぼ不要で、送られてくる手紙などを読むときにしか掛けない。
紙の娯楽本を読まなくなって随分になるが、今回は紙本を買ってしまったので仕方なく掛ける。
ーーーー
40ページまで読んで、いささか疲れる。
電子書籍になっていれば、その方が安いし、目にも優しい。
第一部のそのまた第一章を読んで感じたのは、この作品は物語の設定が全てだということだ。
語り口に独特のものがあるわけでもなく、カットニスの一人称で綴られているというのが唯一の特徴で、そこにある種の限界がある。
読み手は、彼女の目を離れて状況を認識することが出来ない。
また、彼女が知りえない状況を、作者が説明することも出来ない。
それは、一方では、若い読者がこの架空の世界を認識する手助けにもなっている。
彼らが現実を捉えるのは、概ね、自己中心的な見方によるのであって、俯瞰的に全体を捉えることをしないからだ。
分かりやすく、同時に、危険な観点である。
それも含めて、この作品を鑑賞すべきだろう。
浮沈子は、このパネムという架空国家の統治方法が理に適っているといっているわけではない。
しかし、架空の統治として、ある種の説得力を持っていると思っている。
いささか、階級の分断がシンプルだが、児童書なので仕方ない。
12の地区が、それぞれ特徴的な産業に従事させられているという設定も、ちょっと無理がある。
しかし、御伽噺としては、分かりやすいのが一番だ。
背景の描写も、単純化出来る。
作者が意図したかどうかは分からないが、冒頭でカットニスがオオヤマネコを殺したというエピソードは象徴的だな。
「明敏や明智を表すもの」の象徴として扱われてきた動物を亡きものにしたということは、愚鈍と混沌の世界への導きを示す行為である。
そのオオヤマネコが慕ったカットニスのあだ名である、キャットニップという名前が、浮沈子的には妙に気になった。
だいち2号 ― 2014年05月21日 22:41
だいち2号
随分先だと思っていたが、もう2日後になった「だいち2号」の打ち上げ。
(「大地にも、精密検査が必要だ。」だいち2号をH-IIAロケットで打ち上げます!)
http://www.jaxa.jp/projects/sat/alos2/index_j.html
(だいち2号特設サイト)
http://fanfun.jaxa.jp/countdown/daichi2/index.html
「ALOS-2では、「だいち」のPALSAR(フェーズドアレイ方式Lバンド合成開口レーダ)と比べ、新たな観測モード(スポットライトモード)を追加し、1~3mの分解能を目指します。」
「さらにALOS-2では、「だいち」PALSARにはない左右観測機能をもたせることに加えて、観測可能領域を向上(870km→2,320km)させることで、迅速に観測できる範囲を3倍程度にまで大幅に広げ、観測頻度を向上させます。」
1mの分解能というのは凄いな。
この衛星は、太陽同期軌道という特殊な軌道を採り、観測地域を常に正午の時間帯で見ることができる。
(ミッション)
http://www.satnavi.jaxa.jp/project/alos2/mission.html
まあ、世界中を観測することが出来るスパイ衛星でもある。
別に、日本だけを観測しているわけではない。
その情報は、穀物の生育状況とか、災害の評価、地表の状態、波浪などの把握にも使用される。
地球表面の7割は海洋なので、当然、海洋の観測だって行われるに違いないのだ。
解像度1mなら、船舶の識別も可能である。
そんなレーダーを積んだ衛星が、あと2日後には宇宙に飛び出す。
我が国は、こういった衛星からのデータを、戦略的に活用しているんだろうか?。
技術は一流かも知れないが、そういった情報活用の点ではいい評価を聞いたことがない。
まあ、米国に流して解析してもらって、美味しいところだけ教えてもらうというのもアリかも知れない。
インテリジェンスは、そう簡単には育たない。
どうしたって、人間が関与する部分が残り、それには、教育とか経験がものをいうからだ。
穀物の生育状況、資源の情報などだけではなく、軍事的な様々な情報も、この衛星で取得可能だ。
解像度1mで、昼夜天候を問わずに観測できる。
オオヤマネコの目である。
目があるだけじゃ、駄目なんですけど・・・。
随分先だと思っていたが、もう2日後になった「だいち2号」の打ち上げ。
(「大地にも、精密検査が必要だ。」だいち2号をH-IIAロケットで打ち上げます!)
http://www.jaxa.jp/projects/sat/alos2/index_j.html
(だいち2号特設サイト)
http://fanfun.jaxa.jp/countdown/daichi2/index.html
「ALOS-2では、「だいち」のPALSAR(フェーズドアレイ方式Lバンド合成開口レーダ)と比べ、新たな観測モード(スポットライトモード)を追加し、1~3mの分解能を目指します。」
「さらにALOS-2では、「だいち」PALSARにはない左右観測機能をもたせることに加えて、観測可能領域を向上(870km→2,320km)させることで、迅速に観測できる範囲を3倍程度にまで大幅に広げ、観測頻度を向上させます。」
1mの分解能というのは凄いな。
この衛星は、太陽同期軌道という特殊な軌道を採り、観測地域を常に正午の時間帯で見ることができる。
(ミッション)
http://www.satnavi.jaxa.jp/project/alos2/mission.html
まあ、世界中を観測することが出来るスパイ衛星でもある。
別に、日本だけを観測しているわけではない。
その情報は、穀物の生育状況とか、災害の評価、地表の状態、波浪などの把握にも使用される。
地球表面の7割は海洋なので、当然、海洋の観測だって行われるに違いないのだ。
解像度1mなら、船舶の識別も可能である。
そんなレーダーを積んだ衛星が、あと2日後には宇宙に飛び出す。
我が国は、こういった衛星からのデータを、戦略的に活用しているんだろうか?。
技術は一流かも知れないが、そういった情報活用の点ではいい評価を聞いたことがない。
まあ、米国に流して解析してもらって、美味しいところだけ教えてもらうというのもアリかも知れない。
インテリジェンスは、そう簡単には育たない。
どうしたって、人間が関与する部分が残り、それには、教育とか経験がものをいうからだ。
穀物の生育状況、資源の情報などだけではなく、軍事的な様々な情報も、この衛星で取得可能だ。
解像度1mで、昼夜天候を問わずに観測できる。
オオヤマネコの目である。
目があるだけじゃ、駄目なんですけど・・・。
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