原発と貧乏2012年08月23日 01:36

原発と貧乏
原発と貧乏


初めに断っておくが、貧乏(貧困)は、悪である。別に、市場経済に組み込まれていなくても良いが、生活に必要な物資やサービスが十分に受けられずにいることが、「良いこと」であるはずがない。

極めてローカルな社会の中で、物々交換で完結していても、それはそれで良い。技術が進歩して、少ない資源を有効に活用したり、リサイクルできれば、なお良い。

さて、原発が本当に安価な電力を供給でき、我が国の経済を支えるのに不可欠であって、脱原発などもっての外、いや、むしろ福島を教訓にして安全性の強化を図り、原発依存度を5割から8割くらいに上げて、電気自動車の普及で環境改善し、東京都が買い上げた尖閣諸島を核廃棄物の最終処分場として活用し、上陸すれば致死的な電離放射線を浴びざるを得ないようにしてしまえば、領土問題で争う心配もなくなり、沖縄県の経済発展にも資することになるし、これほど幸せなことは無いが、実際はそんな御伽噺のようにはいかないらしい。

百万年に及ぶ核廃棄物の管理費用、数十年に一度は発生する原子力発電所の重大事故の対策費、数十年後に増加する医療費、今後も続く立地自治体への地域振興費、関係国会議員や偉い学者(偉くなければいけない:助教じゃダメだな)への寄付や賄賂、多くの国民を洗脳する教育費や宣伝費、厄介なマスコミを脅すための対策費(銃撃とか)、核物質(原爆の原料)を管理するマーシャルロウ体制の維持費(北朝鮮に学べ!)、エトセ、エトセで、とてもじゃないが割に合わない。

それでも、石油や天然ガスなどの化石燃料を海外に依存しなくてはならない我が国は、2度の石油ショックでトラウマを抱え、100パーセント原発から脱却するなどということは、金輪際あり得ない状況にある。家庭で使用するエネルギーの多くを、太陽光や都市ガスのコジェネ利用で賄うことができても、収益の9割以上を家庭から得ている電力会社(東電)は、そんなことになっては困るわけだ(産業界が、彼らの必要から電力会社を作ったわけだから、その負担を押し付ける相手が足抜けしては困るわけだ)。

かくして、国民の多くが政治を通して反原発や再生可能エネルギーの普及を進めようとしても、札束で顔をひっぱたかれているセンセイ達は、結局経済の発展と産業の振興に名を借りた私利私欲のために選挙民を裏切ることになるわけだ。

原発を止める方法は、一つしかない。

貧乏になるしかない。

ネットでは、原発推進派(私もその一人かも)が、原発を作らないと日本は貧乏国家になると宣伝しているようなので、間違いはなかろう(敵の戦術を逆手に取るわけですな)。

金持ちや、優秀な人々が我が国を見限って国外に逃げ出してしまい、「ろくでなし」と「でくのぼう」だけの貧乏国家になっていくのだ。高度な産業も、集約された頭脳もみんな逃げ出すほどの超貧困国家になれば、誰もこの国に投資をしようとはしなくなる。資本に国境はない(不動産とかあるけど)。あらゆる資本が逃げ出して、もぬけの殻になった日本では、電力需要がないので電力会社すら無くなるに違いない。

もちろん、原発なんて本当に必要なくなる。作ってくれといっても、そんな企業はどこにもない。

それでなくとも、我が国の人口は、今世紀末には半分くらいになる。既に、特段の政策をとるまでもなく、衰退の道を歩み始めている。焦土作戦や癌に対する飢餓療法ではないが、本体が衰退すれば、そこに依存している病巣もまた衰退する。黙っていても電力会社は滅びる運命にあるのだ。

豊かな生活の、幻影は消える。ロウソクの炎が揺らめき消えるように・・・。

しかし、これは日本だけのディストピアなのか?。

やがて、人類全体に訪れる必然ではないのか。

70億を超えた世界人口は、徐々に増加率を下げて、100年後には減少に転じると予想されている。一時的に増大するエネルギー需要も、やがて減少に転じる。再び貧困の時代が到来し、世界は闇に包まれるのか。

いやいや、そんなことはない(断言!)。

火星があるじゃん!(そうきたか!)。

「ろくでなし」と「でくのぼう」だけになった地球を捨てて、新人類は火星に行くわけだな。確かに酸素が殆どないから、たとえ化石燃料があったとしても(そんなに生物いたのかあ?)、燃焼させて電気を起こすことも困難だし、太陽からの距離も離れているから太陽光発電も難しい。

火星でなら、東電でも関電でもいくらでも原発作って発電して、イーロン・マスクの電気自動車走らせて、その辺に核廃棄物の山作って、好きなようにやり散らかしてくれ!。

もっとも、水が潤沢にあるわけではないから、冷却するのに一工夫いるだろう(ペルティエ素子でも使うか)。

まあ、しかし、なんだな、シリアスな話題で、こんなにおちゃらけた記事を書いてしまって、いささか反省している。その一方で、現実離れした柔軟な発想がないと、雪隠詰めのような現状を打開する道は見えてこないのではないか、とも思う。

豊かな時代に豊かな国で生きている我々は、貧困の悲惨さ、恐ろしさ、無慈悲さを知らない。産まれた子供の半数が5歳まで生きられない状況など想像もできない。多くの人々は十分な栄養が取れない。病院にもかかれずに自宅で息を引き取る。教育も福祉も崩壊する。多産多死の人口構成に逆戻りする。過酷な徴税と一部の権力者による搾取、外国からの支援に頼らざるを得ない国家経済、瀬戸際外交と軍事依存の先軍政治(どこか、ご近所にも・・・)。

この国のこの社会は、「貧乏はいやだ!」、「豊かになりたい!」という、この国の先人たちの血のにじむような思い、努力によって築かれてきた。走り続けなければ倒れてしまう、競争に勝ち続けなければ脱落してしまう。そういう思いに駆られ、さらに、豊かさを実感できる豊富な物資に囲まれた生活がその努力を加速して、過労死などという、本末転倒な状況すら生まれた。

どこか、ちょうどいい落としどころはなかったのか、今からそこへ戻ることなどできるのか。

私は、各々が、自分の心に問いかけ、百叩きをして本音を吐き出すしかないと思っている。今、問われていることは、本気で選択することだと思う。この国の未来を、自分に繋がる人々の将来を。

原発依存度を5割以上にするなどという(不届き千万な)選択肢は、誰からも与えられなかった。残念な事故が起こった。人災の側面も確かにあった。しかし、この事故を乗り越えることによってしか、この国の未来は拓けない(拓かなくてもいいんですが)。安全な原発(そんなものは、幻に過ぎないが)への依存度を増やして、化石燃料の消費を抑制し、需要家はエネルギー効率を高めて時間を稼ぎ、可能な限り速やかに再生可能エネルギーの普及拡大を図る。その際、削減されるべき対象は、原発ではなく火力である。

原発もまた、一時的な発電(発熱)技術であり、核融合炉の実用化の暁には代替される(ここにも、山のような問題があるらしいですが)。

一昔前のユートピアかもしれないし、その構想は既に終わった話かもしれないが、私はまだ、その夢を追い続けている。

加給器2012年08月23日 20:18

加給器
加給器


画像は、アルファロメオ・ミトである。

都内某所で撮影。

昨日のブログで宿題になっていたボクスターのスピードメーターは、アナログでは255kmまでの表示であった。

さて、試乗記などを読むと、1.4リットルのターボで215km出ると書いてある。スペシャルモデルのGTAに至っては、1.75リットル(たぶんターボ)で250kmと書いてあった。

加給器ってそんなんスゴイのか?。

(過給機)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E7%B5%A6%E6%A9%9F

ウェイストゲートバルブ、ターボラグ、インタークーラー、ブースト計など、懐かしい単語が目白押しである。

この外にも、フローティングメタル、タービンブレード、クーリングダウン、エンジンブローなどもある。

(ターボチャージャー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC

「小排気量車に高級車/スポーツカーとして相応しい大馬力を付与する手段として重宝された」とある。

その後、税制などの変更や、ガソリン価格の高騰が重なり、

「ターボチャージャーは開発やメンテナンスコストが高額であり、出力向上のためには単純な排気量増大のほうが安上がりと考えているため、ターボチャージャーの採用は消極的」という状況になった。

「一方、欧州の自動車メーカーではエンジンのダウンサイズ目的で小排気量化し、代わりにターボチャージャーによりトルクや馬力を補うエンジンを採用する車種が増えている」とあるとおり、最近では再び脚光を浴びるようになってきた。

「F1では、かつてターボエンジンが全盛だった時代に、BMWが1,500cc 直列4気筒エンジンにターボチャージャーを組み合わせることによって1,500PS以上の出力を発生した」とあるくらいだから、1400ccで260kmのメーターが付いていても、驚くことはないわけだ(なあるほど!)。

F1では、2014年から、またターボが復活するという。

いやいや、別にボクスター・ターボを作ろうとか、500Eにターボ突っ込んで、怒涛のセダンを作ろうとか考えているわけではない(考えていないわけでもない・・・)。

無人島2012年08月23日 21:02

無人島
無人島


なんと魅力的な響きなのだろう。

無人の島、人がいない島。動物たちの楽園、鳥たちのパラダイスである。

(無人島)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E4%BA%BA%E5%B3%B6

「日本は、6852の島嶼によって構成されています。」とあるのは、このページ。

(離島Q&A)
http://www.nijinet.or.jp/qa/index.html

殆どの島は、無人島なのである。島の娘もいなければ、島焼酎もない(クサヤもない)。尖閣諸島も、もちろん無人島である。

(尖閣諸島)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6

この島に、核廃棄物の最終処分場を建設する計画が、どこを読んでも書いてない(あったりまえだ!)。

こんなに鳥が生息する島に、核廃棄物を埋めるなんて、もってのほかである。

国境の島で、大もめにもめているが、鳥たちはどこ吹く風である。境のない海原にEEZの線を引き、領海の線を引く。人間の欲の深さ、業の深さをせせら笑っていることだろう。

無人島は無人のままがいい。

人間がいないことで、保たれる平和もあるようだ。