危険の証明2012年11月06日 21:53

危険の証明
危険の証明


むかし、「人間の証明」という映画があった。

(人間の証明)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E8%A8%BC%E6%98%8E#.E9.96.A2.E9.80.A3.E9.A0.85.E7.9B.AE

「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね ええ、夏、碓氷から霧積へ行くみちで 渓谷へ落としたあの麦藁帽ですよ…」

くぅーっ!、泣かせるなあ!。

「野性の証明」なんてのもあったなあ・・・(遠い目)。

(野性の証明)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%80%A7%E3%81%AE%E8%A8%BC%E6%98%8E

薬師丸ひろ子も48のオバサンである。高倉健は、なんと81歳!。お体大切にね。

てなことは、どうでもいい!。

本題は、これ。

(危険の証明:近藤次郎)
http://ci.nii.ac.jp/els/110006162128.pdf?id=ART0008130397&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1352292199&cp=

1986年というから、今から26年以上前のことになる。今は引退してしまったスペースシャトル。その一機であるチャレンジャーが、打ち上げ後1分余り後に、空中で大爆発(実は、爆燃)を起こした。

(チャレンジャー号爆発事故)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E5%8F%B7%E7%88%86%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85

何度も何度も放映された爆発直後の映像を、今でも鮮明に覚えている。

この記事の中に、注目すべき一文がある。

「シャトルの開発中に乗員の脱出装置について何度か検討されたが、NASAの結論は、シャトルには高い信頼性が期待できるので脱出装置は必要ないというものであった。」

「安全神話」というやつである。事故は、ある確率で「必ず起こる」が、それが十分に低い時は、まるで事故など「起きるはずがない」ように見える。どのくらい低ければ、安全と言えるのだろうか。逆に、どのくらい高ければ危険と言えるのだろうか。

(<スペース・シャトル>危険の確率)
http://www2g.biglobe.ne.jp/aviation/kikenritu.html

妥当な記事が見つけられなかったので、西川さんの記事を引用させていただく。

これによれば、スペースシャトルは、ざっと100分の1の確立でシビアアクシデントを起こす。これは、たぶんものすごーく高い。引退して正解である。スペースX社のドラゴンは、枯れた技術を採用しているので、これよりは低い危険率であることを願おう。

ともかく、実際の事故は、なかなか計算どおり起こってくれない。概ね、高くなる。100万年に1回の事故率といわれた原発は、100年も経たないうちに、3回も大事故を起こしてなお建設中である。懲りないなあ・・・。

(大間原子力発電所)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%96%93%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80

近藤次郎氏の記事の中に、「安全の証明」と「危険の証明」という用語が出てくる。どちらの証明も極めて困難な命題だ。おそらく、論理的に証明することは不可能であろう。

人間が未来を見通すことができない以上、過去の経験に照らして確率的に表現するか、結果を待って確認するかのどちらかしかない。スペースシャトルの事故は、結果をもって証明した。二度も。

(コロンビア号空中分解事故)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%A2%E5%8F%B7%E7%A9%BA%E4%B8%AD%E5%88%86%E8%A7%A3%E4%BA%8B%E6%95%85

まあ、読んでいるだけで陰鬱になる。宇宙旅行の神様(道祖神か?)は、一体何人の生贄を求め続けるのだろう?。

冒険であり、命がけの仕事なのだ。たぶん、生命保険はかけられないだろう。仕方ない、それでも行きたい人が応募して英雄になる。それはそれでいい。皆、覚悟の上の判断である。確率でも結果でも、危険の証明を受け入れる準備はできている。

ワタクシに、そんな覚悟はない。

安全で安楽で、安穏とした日常を送りたいだけだ。何千トンもの燃料を燃やし尽くして宇宙の高みに駆け上がろうなどとは、夢に思うことはあっても、リスクを負って自ら立ち向かおうとは思わない。

人身御供や人柱が沢山出て、出切った頃に、まだ生きていれば乗りたいとは思う。あるいは、これで逝っても悔いはない、という時になれば、チャレンジするかもしれない。乗せてくれるかどうかは別の話である。

原発の敷地を活断層が走っているという(えーと、今日の時点では結論は先送りでしたな)。稼働中の原発を、安全の証明がないから止めろ、とか、危険の証明がないから止めるな、とか、いろいろ議論があるようだが、百万回議論しても結論は出ないだろう(学者センセイなんかに、決められるもんですか!)。

(原発と活断層 疑わしきは白紙に戻せ)
http://www.shinmai.co.jp/news/20121106/KT121105ETI090004000.php

止めるにしても、止めないにしても、その結果を受け入れることができるかどうか。その判断を求められているのは、関西電力でもなければ、財界でも政府でもない。

我々、一人ひとりなのである。