スピード24 ― 2014年10月04日 07:08
スピード24
浮沈子がこのブログで今回のエボラを取り上げたのは、7月9日。
(スピード)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/07/09/7383983
今見ると、カワイイグラフが懐かしいな。
怒涛の8月、狂気の9月が過ぎてみれば、感染者は約7500人。
7月当初のざっと10倍になっている!(年内に10万人は、視野に入ってきたな)。
10月1日付の集計で、英語版のウィキが更新された。
(Timeline of cases and deaths)
http://en.wikipedia.org/wiki/Ebola_virus_epidemic_in_West_Africa#Timeline_of_cases_and_deaths
ウィキのグラフはタイムラグがあるので、実日数ベースのグラフを作ってみた(画像参照:スピード22でも使用)。
指数関数的な増加が、コンスタントな増加に変化しつつあるように見える。
そうはいっても、致死性の高い感染症が、こんな増加を示すなんて、今までの常識では考えられない。
しかるべき公衆衛生機関が機能して、しかるべく処置を行い、一定の拡大を見た後に、しかるべく終息するというのが普通だ。
異常なのである。
我々が今目にしている事態は、感染症の歴史に残る世紀のイベントなのだ。
こうなった原因については、エボラに対する知識の不足、最貧国の保健医療システムの脆弱さ、独特の埋葬、国境を越えた日頃からの移動、首都への伝播、感染防止対策の不徹底、その器材の不足、WHOの対応の遅さ、各国の国際援助の欠如、エトセエトセが挙げられよう。
しかし、それらの個別の事情をいくら積み重ねても、真相に迫ることはできない。
真の原因は、人間の驕りである。
いわく、病気に罹っても、治療することが出来る(祈祷でも何でもいいんですが)。
いわく、人間は、感染症を制御し、押さえ込むことが出来る。
事実、多くの流行は押さえ込まれてきたし、一部の感染症は、地球上から根絶されつつある。
科学の勝利!(誰に対して?)。
それは、人間の驕りであり、大きな過ちを犯す土壌となった。
エボラは今回、米国に渡り、感染を広げようとしている。
CDCのお膝元であり、世界最大の医療大国でもある。
しかし、その実態は、お粗末極まりない状況だった。
(コラム:なぜ米国でエボラ感染者は見逃されたか)
http://jp.reuters.com/article/jp_ebola/idJPKCN0HS0A120141003
「病院で看護師には西アフリカへの渡航の事実を伝えたが、「軽度かつ通常のウイルス性疾患」と診断され、抗生剤を処方されて帰宅した。」
「ウイルス性疾患に抗生剤を処方すべきではない」
「われわれは患者の診察に十分な時間を割かず、彼らの心配や病院に来た理由を理解しないことがままある。」
「医療の世界は、最も階層的な職場文化を持つ場所の1つだ。」
「看護師は患者の代弁者としての役割を担うが、医師は時として彼らの懸念をはねつけることがある。」
驕り以外の何物でもないな。
抗生剤を投与することが、何の効果もないことは、素人でも知っている。
しかし、多分、病院の収益を上げるためには、何らかの処方が必要だったのだろうし、保健請求する時には、保険会社が納得するような病名を付けるのかもしれない。
医者が威張りまくっていて、チーム医療とは名ばかりの専制君主時代の王様のように振舞っているのは、誰でも知っている。
高度な訓練を受けているから、それは当然のこととして認められているし、命に関わる判断については、責任の所在を明確にしておく必要もある。
今回は、患者の渡航履歴が医師に伝達されなかったといわれているが、ホントかなあ?。
まあいい。
CDCは、ここで食い止められなければ、面目丸つぶれである。
ナイジェリアやセネガルでできたことが、偉そうにしている米国で失敗したなんてことになったら、目も当てられない。
だが、浮沈子は、その可能性は高いと考えている。
エボラが蔓延した原因は、西アフリカ地域に高度な医療がなかったからではない。
患者の診察に際して、適切な判断(診断)を行い、公衆衛生の基礎に従って、適切に隔離して感染を遮断しなかったからである。
テキサスの病院が、取り立てて杜撰だということはないだろう。
また、テキサス州やダラス市が、公衆衛生に無頓着であるわけはない。
しかし、当初18人といわれていた感染の恐れがある対象者が、CDCのチームが関与したとたんに、100人に跳ね上がったことを見て、唖然とする。
米国の医療水準が高いというのは、神話(Myth)に過ぎない。
(ワシントンでエボラ疑いの患者、ナイジェリアへ最近渡航)
http://jp.reuters.com/article/jp_ebola/idJPKCN0HS1JL20141003
まあ、ナイジェリアから飛び火感染したとしたら、超レアケースだな。
しかし、ダラスのようなことは、全米でいくらでも起こり得る話だ。
今回のケースがどうであったかということは別にして、これから起こる飛び火感染に、しっかりと対応することが重要だ。
ベルギーは、果敢にも直行便を飛ばし続けている。
(航空業界、西アフリカ便でエボラ熱対策に追われる)
http://jp.reuters.com/article/jp_ebola/idJPKCN0HS09X20141003
「ギニア、シエラレオネ、リベリアとの直行便を運航する欧州の航空会社はブリュッセル航空のみとなった。」
いい度胸だな。
賞賛に値する。
まあ、今回の件で、米国人がどう思うかは別の話だ。
「モロッコ国営のロイヤル・エア・モロッコもギニア、シエラレオネ、リベリアを結ぶ便の運航を続けており、乗員はエボラ出血熱の症状を見分ける訓練を受けているという。」
そんな訓練には、何の意味もない。
「抗菌効果を持つ手洗い用洗浄剤やプラスチック製手袋も十分に備えている。」
適切に使用しなければ、唯の在庫だ。
正しい手洗いの方法を知っている乗客が、一体、どのくらいいるというのか。
「旅行者は安心していい。世界保健機関(WHO)は搭乗中のエボラ出血熱の感染確率が非常に低いと明言している」
機内感染がないとは、明言していない。
まあ、でも、こんだけ騒がれれば、ちっとは気を配るだろうな。
米国での感染拡大が起こるかどうか、今、世界が注目している。
それは、エボラのスピードを加速し、新たな安住の地を与え、世界の風土病(全世界に広がれば、風土病とは言いませんが)になることを意味する。
米国との往来を遮断することは、事実上不可能だからだ。
人の驕り、人間の能力に対する過信が、この災厄を招いたのだ。
西アフリカ地域にいる何万人もの外国人が帰国する時、飛び火感染のリスクは高まる。
それを抑える意味でも、現地での感染抑制が急務なのだ。
もう一度、画像のグラフを見て、抑制とは程遠い現状をかみ締めよう。
浮沈子がこのブログで今回のエボラを取り上げたのは、7月9日。
(スピード)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/07/09/7383983
今見ると、カワイイグラフが懐かしいな。
怒涛の8月、狂気の9月が過ぎてみれば、感染者は約7500人。
7月当初のざっと10倍になっている!(年内に10万人は、視野に入ってきたな)。
10月1日付の集計で、英語版のウィキが更新された。
(Timeline of cases and deaths)
http://en.wikipedia.org/wiki/Ebola_virus_epidemic_in_West_Africa#Timeline_of_cases_and_deaths
ウィキのグラフはタイムラグがあるので、実日数ベースのグラフを作ってみた(画像参照:スピード22でも使用)。
指数関数的な増加が、コンスタントな増加に変化しつつあるように見える。
そうはいっても、致死性の高い感染症が、こんな増加を示すなんて、今までの常識では考えられない。
しかるべき公衆衛生機関が機能して、しかるべく処置を行い、一定の拡大を見た後に、しかるべく終息するというのが普通だ。
異常なのである。
我々が今目にしている事態は、感染症の歴史に残る世紀のイベントなのだ。
こうなった原因については、エボラに対する知識の不足、最貧国の保健医療システムの脆弱さ、独特の埋葬、国境を越えた日頃からの移動、首都への伝播、感染防止対策の不徹底、その器材の不足、WHOの対応の遅さ、各国の国際援助の欠如、エトセエトセが挙げられよう。
しかし、それらの個別の事情をいくら積み重ねても、真相に迫ることはできない。
真の原因は、人間の驕りである。
いわく、病気に罹っても、治療することが出来る(祈祷でも何でもいいんですが)。
いわく、人間は、感染症を制御し、押さえ込むことが出来る。
事実、多くの流行は押さえ込まれてきたし、一部の感染症は、地球上から根絶されつつある。
科学の勝利!(誰に対して?)。
それは、人間の驕りであり、大きな過ちを犯す土壌となった。
エボラは今回、米国に渡り、感染を広げようとしている。
CDCのお膝元であり、世界最大の医療大国でもある。
しかし、その実態は、お粗末極まりない状況だった。
(コラム:なぜ米国でエボラ感染者は見逃されたか)
http://jp.reuters.com/article/jp_ebola/idJPKCN0HS0A120141003
「病院で看護師には西アフリカへの渡航の事実を伝えたが、「軽度かつ通常のウイルス性疾患」と診断され、抗生剤を処方されて帰宅した。」
「ウイルス性疾患に抗生剤を処方すべきではない」
「われわれは患者の診察に十分な時間を割かず、彼らの心配や病院に来た理由を理解しないことがままある。」
「医療の世界は、最も階層的な職場文化を持つ場所の1つだ。」
「看護師は患者の代弁者としての役割を担うが、医師は時として彼らの懸念をはねつけることがある。」
驕り以外の何物でもないな。
抗生剤を投与することが、何の効果もないことは、素人でも知っている。
しかし、多分、病院の収益を上げるためには、何らかの処方が必要だったのだろうし、保健請求する時には、保険会社が納得するような病名を付けるのかもしれない。
医者が威張りまくっていて、チーム医療とは名ばかりの専制君主時代の王様のように振舞っているのは、誰でも知っている。
高度な訓練を受けているから、それは当然のこととして認められているし、命に関わる判断については、責任の所在を明確にしておく必要もある。
今回は、患者の渡航履歴が医師に伝達されなかったといわれているが、ホントかなあ?。
まあいい。
CDCは、ここで食い止められなければ、面目丸つぶれである。
ナイジェリアやセネガルでできたことが、偉そうにしている米国で失敗したなんてことになったら、目も当てられない。
だが、浮沈子は、その可能性は高いと考えている。
エボラが蔓延した原因は、西アフリカ地域に高度な医療がなかったからではない。
患者の診察に際して、適切な判断(診断)を行い、公衆衛生の基礎に従って、適切に隔離して感染を遮断しなかったからである。
テキサスの病院が、取り立てて杜撰だということはないだろう。
また、テキサス州やダラス市が、公衆衛生に無頓着であるわけはない。
しかし、当初18人といわれていた感染の恐れがある対象者が、CDCのチームが関与したとたんに、100人に跳ね上がったことを見て、唖然とする。
米国の医療水準が高いというのは、神話(Myth)に過ぎない。
(ワシントンでエボラ疑いの患者、ナイジェリアへ最近渡航)
http://jp.reuters.com/article/jp_ebola/idJPKCN0HS1JL20141003
まあ、ナイジェリアから飛び火感染したとしたら、超レアケースだな。
しかし、ダラスのようなことは、全米でいくらでも起こり得る話だ。
今回のケースがどうであったかということは別にして、これから起こる飛び火感染に、しっかりと対応することが重要だ。
ベルギーは、果敢にも直行便を飛ばし続けている。
(航空業界、西アフリカ便でエボラ熱対策に追われる)
http://jp.reuters.com/article/jp_ebola/idJPKCN0HS09X20141003
「ギニア、シエラレオネ、リベリアとの直行便を運航する欧州の航空会社はブリュッセル航空のみとなった。」
いい度胸だな。
賞賛に値する。
まあ、今回の件で、米国人がどう思うかは別の話だ。
「モロッコ国営のロイヤル・エア・モロッコもギニア、シエラレオネ、リベリアを結ぶ便の運航を続けており、乗員はエボラ出血熱の症状を見分ける訓練を受けているという。」
そんな訓練には、何の意味もない。
「抗菌効果を持つ手洗い用洗浄剤やプラスチック製手袋も十分に備えている。」
適切に使用しなければ、唯の在庫だ。
正しい手洗いの方法を知っている乗客が、一体、どのくらいいるというのか。
「旅行者は安心していい。世界保健機関(WHO)は搭乗中のエボラ出血熱の感染確率が非常に低いと明言している」
機内感染がないとは、明言していない。
まあ、でも、こんだけ騒がれれば、ちっとは気を配るだろうな。
米国での感染拡大が起こるかどうか、今、世界が注目している。
それは、エボラのスピードを加速し、新たな安住の地を与え、世界の風土病(全世界に広がれば、風土病とは言いませんが)になることを意味する。
米国との往来を遮断することは、事実上不可能だからだ。
人の驕り、人間の能力に対する過信が、この災厄を招いたのだ。
西アフリカ地域にいる何万人もの外国人が帰国する時、飛び火感染のリスクは高まる。
それを抑える意味でも、現地での感染抑制が急務なのだ。
もう一度、画像のグラフを見て、抑制とは程遠い現状をかみ締めよう。
アシスト ― 2014年10月04日 18:57
アシスト
「ポイント1に、アシスト1だな」
大富豪の家に生まれ、何不自由なく育ち、スポーツマンで一流大学で成績も優秀・・・。
映画の中のセリフにあったかどうかは知らないが、原作の中には、確かそんなやり取りがあったような気がする。
ホッケーの試合でこっぴどく殴られて、顔にあざを作った主人公が、父親に食事に誘われる。
ステーキでもどうだ?。
浮沈子は知らないんだが、殴られてアザを作ったときは、ステーキを当てるといいという言い伝え(?)があるそうで、いやみを言われたのかと思ってしまう。
わしが言っているのは、食べる方のだ。
( "二人の大学生活":屋外 コーネル・ホッケー場 昼間)
http://homepage1.nifty.com/mokkawa/Love_Story/Love_Story02.htm
「Probably want a steak, son.」
「Thank you, Father. But the doctor took care of it.」
「I meant, for your stomach, Oliver.」
(レイ・ミランド)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89
「1970年の『ある愛の詩』で主役のライアン・オニールの父親を演じた。」
まあ、どうでもいいんですが。
トミー・リー・ジョーンズが、映画初出演で出ていたとは知らなかったな(画像参照)。
で、今日は、大井町のプールで、レスキューダイバーコースのアシストを行う。
お手伝い、パシリ、溺れ役・・・。
これも、ダイブマスターになるための修行である。
水底で土左衛門を演じたり、水面でパニックダイバーを演じたりと、アカデミー賞さながらの名演技!。
タンクを運んだり、残圧をチェックしたりして、準備や片付けの真似事もする。
これはもう、アシストというより、一人前の仕事である。
10時半から水に漬かり、途中30分ほどの休憩を入れて、3時近くまでの講習である。
器材の事前チェックの重要性や、適正ウエイトを確認する必要性など、なぜ、それをするのか、根本に遡って学ぶ。
オープンウォーターダイバーは、それが出来さえすれば良かったが、レスキューダイバーは、自らと、バディグループが、安全にダイビングを楽しめるように、ストレスを管理したり、安全なダイビングに配慮したりする。
なぜ、そうしなければならないのか、そうしなかった時には、どんな危険があるのか、それは受け入れられるものなのか、避けるべきものなのかを、実践的に学ぶ。
5月にやったばっかなのに、とっくに忘れていることを、もう一度思い出しながら、生徒と一緒になって聞く。
あれっ?、ポジション取りが悪いんじゃね?。
今日は、レスキューの生徒ではない!。
あ、そっか・・・。
ダイブマスターのアシスト講習なのだ。
さすがに、水面曳航の実習の時は、皆さんが使い慣れたSプロの器材に着替えて、溺れ役を務める。
SMS75のままでやらせた方が、勉強になると思うんだが・・・。
まあいい。
明日は、台風18号が直撃コースを接近してくる中、富戸のベースキャンプを根城に、どっか潜れるとこはないかと、探し回るわけだな。
リアルなレスキューにならなきゃいいんだが(冗談抜きで!)。
さすがに、今日の生徒さんたちは、皆、ダイビングは浮沈子よりも上手で、レスキューのスキルはともかく、普通に潜っている分には、何の心配もない。
お一人だけ、適正ウエイトの選択に苦労されていたようでしたが。
しかし、そうやって、自分のウエイトを意識していくようになれば、器材が変わったり、スーツが変わったりしたときに、微調整してコントロールできるようになる。
自分が出来るようになれば、周囲のダイバーのことにも目が行くようになるわけで、いい循環が回りだすのだ。
明日は、早朝の新幹線で熱海行きである。
少し休んで、ガッツ出していかなければならない。
ステーキでも食うかな。
もちろん、食べる方の、である・・・。
「ポイント1に、アシスト1だな」
大富豪の家に生まれ、何不自由なく育ち、スポーツマンで一流大学で成績も優秀・・・。
映画の中のセリフにあったかどうかは知らないが、原作の中には、確かそんなやり取りがあったような気がする。
ホッケーの試合でこっぴどく殴られて、顔にあざを作った主人公が、父親に食事に誘われる。
ステーキでもどうだ?。
浮沈子は知らないんだが、殴られてアザを作ったときは、ステーキを当てるといいという言い伝え(?)があるそうで、いやみを言われたのかと思ってしまう。
わしが言っているのは、食べる方のだ。
( "二人の大学生活":屋外 コーネル・ホッケー場 昼間)
http://homepage1.nifty.com/mokkawa/Love_Story/Love_Story02.htm
「Probably want a steak, son.」
「Thank you, Father. But the doctor took care of it.」
「I meant, for your stomach, Oliver.」
(レイ・ミランド)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89
「1970年の『ある愛の詩』で主役のライアン・オニールの父親を演じた。」
まあ、どうでもいいんですが。
トミー・リー・ジョーンズが、映画初出演で出ていたとは知らなかったな(画像参照)。
で、今日は、大井町のプールで、レスキューダイバーコースのアシストを行う。
お手伝い、パシリ、溺れ役・・・。
これも、ダイブマスターになるための修行である。
水底で土左衛門を演じたり、水面でパニックダイバーを演じたりと、アカデミー賞さながらの名演技!。
タンクを運んだり、残圧をチェックしたりして、準備や片付けの真似事もする。
これはもう、アシストというより、一人前の仕事である。
10時半から水に漬かり、途中30分ほどの休憩を入れて、3時近くまでの講習である。
器材の事前チェックの重要性や、適正ウエイトを確認する必要性など、なぜ、それをするのか、根本に遡って学ぶ。
オープンウォーターダイバーは、それが出来さえすれば良かったが、レスキューダイバーは、自らと、バディグループが、安全にダイビングを楽しめるように、ストレスを管理したり、安全なダイビングに配慮したりする。
なぜ、そうしなければならないのか、そうしなかった時には、どんな危険があるのか、それは受け入れられるものなのか、避けるべきものなのかを、実践的に学ぶ。
5月にやったばっかなのに、とっくに忘れていることを、もう一度思い出しながら、生徒と一緒になって聞く。
あれっ?、ポジション取りが悪いんじゃね?。
今日は、レスキューの生徒ではない!。
あ、そっか・・・。
ダイブマスターのアシスト講習なのだ。
さすがに、水面曳航の実習の時は、皆さんが使い慣れたSプロの器材に着替えて、溺れ役を務める。
SMS75のままでやらせた方が、勉強になると思うんだが・・・。
まあいい。
明日は、台風18号が直撃コースを接近してくる中、富戸のベースキャンプを根城に、どっか潜れるとこはないかと、探し回るわけだな。
リアルなレスキューにならなきゃいいんだが(冗談抜きで!)。
さすがに、今日の生徒さんたちは、皆、ダイビングは浮沈子よりも上手で、レスキューのスキルはともかく、普通に潜っている分には、何の心配もない。
お一人だけ、適正ウエイトの選択に苦労されていたようでしたが。
しかし、そうやって、自分のウエイトを意識していくようになれば、器材が変わったり、スーツが変わったりしたときに、微調整してコントロールできるようになる。
自分が出来るようになれば、周囲のダイバーのことにも目が行くようになるわけで、いい循環が回りだすのだ。
明日は、早朝の新幹線で熱海行きである。
少し休んで、ガッツ出していかなければならない。
ステーキでも食うかな。
もちろん、食べる方の、である・・・。
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