どこでもドア2013年03月20日 11:39

どこでもドア
どこでもドア


ドラえもんの「ひみつ道具」のなかで、誰もが知っているアイテムである。

(どこでもドア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%A7%E3%82%82%E3%83%89%E3%82%A2

アイデアは、1954年のアイザック・アシモフの短編にもあるそうだ(「こんなにいい日なんだから」)。

トヨタが、ピンクのクラウンの色を決める際に、このドアの色をイメージしていたという。

(【トヨタ クラウン 新型発売】イメージ覆すピンクのクラウン登場…2013年冬に市販へ)
http://ethicallifehack.blog.fc2.com/blog-entry-1107.html

「このピンクのクラウンは、新型ではこれまでのイメージを覆したいという豊田社長に、同社社員がCMモチーフとなっているドラえもんの「どこでもドア」カラーの外装色を提案したことで実現したもの。」とある。

浮沈子は、ハッとした。

どこでもドアというのは、移動そのものも楽しさや、運転する喜びを放棄して、移動するという行為を、ドアを開閉するという動作だけに矮小化するアイテムである。

「いくらアスリートとはいえ、ホイールの黒といい、この派手なピンクといい、大事なものを奪われた気がしてなりません・・・」と、記事の最後にあるように、かつて「いつかはクラウン」という至高の存在として宣伝されていた、高級感や、ブランド価値を、ことごとく捨て去ってしまった。

それでも、どこでもドアに象徴される「乗り心地の良さ」、「疲労が少ない」、「静かな車内」などの「クラウンらしさ」は健在なのだろう。

(【トヨタ クラウン 試乗】 14代目は歴代最大の進化を遂げたReBORNの象徴か?…青山尚暉)
http://response.jp/article/2013/03/18/193844.html

まあ、ドアの開閉感がショボイのは仕方ないか。

500Eオーナーとしては、殆んど全く興味が湧かないクルマではあるが、レクサスがある以上、最早、至高の存在ではない。

単に、マークXとLSの間の車種にすぎない。

コストを落として、それなりの満足を与え、10年乗ったらスクラップにしても惜しくないクルマだ(300万円台から買えます)。

500Eのように、コスト度外視で絶対の満足を与え、20年乗っても300万円かけてメンテナンスする価値があるクルマとは、存在する世界が違う。

もう、そんなクルマは、二度と出ないだろう。

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