憲法と集団的自衛権2014年05月03日 12:26

憲法と集団的自衛権


法律に疎い浮沈子は(じゃあ、何に詳しいんだあ?)、憲法改正をしないと集団的自衛権が発動できないというのが、どうしても理解できないでいる。

(憲法と自衛権)
http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html

「2.憲法第9条の趣旨についての政府見解:(4)集団的自衛権:
国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているとされています。わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然です。しかしながら、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、これを超えるものであって、憲法上許されないと考えています。」

(集団的自衛権)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E5%9B%A3%E7%9A%84%E8%87%AA%E8%A1%9B%E6%A8%A9

「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。— 国連憲章第51条」

「上記のように国連憲章には「固有の権利」として規定されたが、個別的自衛権(自国を防衛する権利)は同憲章成立以前から国際法上承認された国家の権利であったのに対し、集団的自衛権については同憲章成立以前にこれが国際法上承認されていたとする事例・学説は存在しない」

つまり、集団的自衛権という法的概念自体、第二次世界大戦後の国際情勢の中で生まれた、まあ、ご都合主義的な考え方であったということだ。

単一国家が固有している自衛権とは、本質的に異なる。

「国連憲章第8章に定められた“地域的機関”(欧州連合やアフリカ連合などの地域共同体のこと)による強制行動には、安全保障理事会による事前の許可が必要とされることとなり、常任理事国の拒否権制度が導入されたことから常任理事国の拒否権発動によって地域的機関が必要な強制行動を採れなくなる事態が予想された。」

「このような理由から、サンフランシスコ会議におけるラテンアメリカ諸国の主張によって、安全保障理事会の許可がなくても共同防衛を行う法的根拠を確保するために集団的自衛権が国連憲章に明記されるに至った。」

「冷戦期には集団的自衛権に基づいて北大西洋条約機構(NATO)やワルシャワ条約機構(WTO)といった国際機関が設立され、集団的自衛を実践するための共同防衛体制が構築された」

まず、紛争を防ぐために、地域的機関による集団的な強制行動が規制され、安全保障理事会の事前承認を受けることになる。

常任理事国の拒否権にあったら、実施できないわけで、共同防衛を行うことができなくなる。

それを可能とするために明文化されたわけだ。

(国際連合憲章 第8章 地域的取極め)
http://www1.umn.edu/humanrts/japanese/Jchapter8.html

「第53条
1 安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取極または地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。」

続く記述は、意味深長だな。

「もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。

2 本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。」

我が国は、この「敵国」に当たる。

仮定の話として、我が国がNATO加盟国を侵略しようとすれば、NATO軍は集団的自衛権を行使して自衛隊を粉砕できるというわけだ。

まあ、どうでもいいんですが。

「集団的自衛権が攻撃を受けていない第三国の権利である以上、実際に集団的自衛権を行使するかどうかは各国の自由であり、通常第三国は武力攻撃を受けた国に対して援助をする義務を負うわけではない」

「そのため米州共同防衛条約、北大西洋条約、日米安全保障条約などのように、締約国の間で集団的自衛を権利から義務に転換する条約が結ばれることもある」

米国は、日米安全保障条約により、我が国が攻撃された時に応戦する集団的自衛権を、義務的かつ片務的に課せられている。

我が国には、米国に対しそのような義務は負っていないため、「武力攻撃を受けた国(米国)に対して援助をする義務を負うわけではない」ということになる。

政府解釈では、「憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきもの」とされていて、「他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、これを超えるもの」だというのだ。

それって、おかしいと感じないか?。

もともと、共同防衛を実効たらしめるための集団的自衛権を、個別的自衛権の議論とごちゃ混ぜにしている。

我が国が有する集団的自衛権は、他国侵略のためでもなければ、米国国民を守るためのものでもない。

我が国の国土と主権を守るためのものである。

そのための日米安全保障条約であり、米国との共同防衛システムなのだ。

それが行使できないということ自体、そもそもおかしい議論である。

今時、他国の侵略を単一で阻止できる実力を持つ国など、限られている。

米国、ロシア、中国くらいのものではないか。

多くの国々が、自衛の為に軍事同盟を結び、共同防衛を行っているのが実態だ。

その実態に合わせて国連憲章も作られている。

憲法解釈上、行使できないとする我が国の立場は、日米軍事同盟(日米安全保障条約)が片務的であることを前提とした、ご都合主義的解釈なのではないのか。

まあ、それでもいいんですが、憲法上許されないというのは、どう考えてもおかしい。

議論としては、共同防衛機構である日米軍事同盟が合憲ならば、双務的であれ片務的であれ、集団的自衛権は憲法上行使可能であって、改定すべきは日米軍事同盟のお約束の方だと考えるのが自然だ。

そもそも、安保には片務的だからといって、双務的行為を禁じる条項もない。

我が国が軍事同盟を結んでいることで、集団的自衛権はいつでも行使可能な状態にある。

政府解釈が、憲法を根拠にするのは勝手だが、周辺諸国に対する単なるリップサービスに過ぎないと浮沈子は見ている。

集団的自衛権の抑止に、本気じゃないんだ。

不真面目すぎる。

そのことは、個別的自衛権についてもいえる。

侵略が試みられようとする時、敵国のミサイル基地を直接打撃する兵器を持たないで、どうして国土を守れるのか?。

「個々の兵器のうちでも、性能上専(もっぱ)ら相手国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、これにより直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されません。したがって、例えば、ICBM(Intercontinental Ballistic Missile)(大陸間弾道ミサイル)、長距離戦略爆撃機、あるいは攻撃型空母を自衛隊が保有することは許されないと考えています。」

馬鹿じゃないのかあ?。

21世紀の現代、地球の裏側からでも我が国を狙ってミサイルを発射することは、いつでも可能である。

我が国が独自に保有しなくても、米国との軍事同盟の中で抑止できればそれでいいが、その米国の(日本防衛用の)ミサイル基地が攻撃された時は、いったいどうするのか?。

自衛隊は、歪な軍隊である。

日本侵略という規模の有事の際は、日米軍事同盟の中でしか機能しない。

丸裸にされた自衛隊などで、我が国の国土を防衛できると、政府が本気で考えているのなら、直ちに政権を交代させなければならない。

我が国の防衛は、現実的に日米軍事同盟によって確保されており、その取り決めが合憲である限り、集団的自衛権はいつでも行使できると考えるのが普通だろう?。

憲法を変える必要なんて、全くない。

変えるべきなのは、おかしな政府解釈である。

集団的自衛権を行使しないのは、国際法上の義務ではなく、地域的機関である日米安全保障条約も義務化を求めていないという政策上の理由からであって、憲法に根拠を求めるのはそもそも無理がある。

個別的自衛権や集団的自衛権を行使して、他国を侵略することが禁じられているだけだ。

それだって、敵国の軍事拠点を無力化することを妨げているわけではない。

浮沈子は、日本国憲法は、米国が(下案を)作ったにしてはなかなか良く出来ていると思っている。

しかし、単なる国家統治の道具であることに変わりはない。

200年後にはなくなっているだろうこの国を、今、どうしたいのか。

どうすべきなのか。

夕べNHKのニュースに登場していた学者が、憲法擁護と国防を量りにかけた議論をしていた。

浮沈子は、なんの躊躇いもなく国防を採る。

国家なくして、だれが憲法を擁護するのか。

他国に侵略され、その国の憲法を擁護したいのなら、それもいい。

真の護憲は、我が国の国防を、真面目に考える者にしか語れないと浮沈子は固く信じている。

今日は憲法記念日、平和な日本が今後も続くことを願う日であるな。

(憲法記念日)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B2%E6%B3%95%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5

ウクライナの憲法記念日は6月28日とある。

彼らがその日を祝うことが出来るかどうか。

世界には、国家の存亡を問われている国々が、この瞬間にも存在するのだ。

「各国の憲法記念日:
アゼルバイジャン, 11月12日 (1995年)
アメリカ合衆国, 9月17日 (1787年)
アルメニア, 7月5日 (1995年)
ウクライナ, 6月28日 (1996年)
ウズベキスタン, 12月8日 (1992年)
ウルグアイ, 7月18日 (1830年)
オーストラリア, 1月1日 (1901年)
オランダ, 12月15日
ジブラルタル, 1月29日 (2006年)
スウェーデン, 6月6日 (1809年, 1974年)
スペイン, 12月6日 (1978年)
スロバキア, 9月1日 (1992年)
セルビア, 4月27日 (1835年)
タイ王国, 12月10日 (1932年)
大韓民国, 7月17日 (1948年)
台湾, 12月25日 (1946年)
タジキスタン, 11月6日 (1994年)
デンマーク, 6月5日 (1849年, 1953年)
ドイツ, 5月23日 (1949年)
ドミニカ共和国, 11月6日 (1844年)
ニウエ, 10月19日 (1974年)
日本, 5月3日 (1947年)
ノルウェー, 5月17日 (1814年)
プエルトリコ, 7月25日 (1952年)
フェロー諸島, 6月5日
ベルギー, 11月15日
ベラルーシ, 3月15日 (1994年)
ポーランド, 5月3日 (1791年)
ミクロネシア連邦, 5月10日 (1979年)
メキシコ, 2月5日 (1917年)
リトアニア, 10月25日 (1992年)
ルーマニア, 12月8日 (1991年)
ロシア, 12月12日 (1993年)」

平和な日本では、国民の祝日であり、連休初日ということもあって、高速道路は40kmとかの大渋滞になっているという。

大韓民国では、フェリーに続いて地下鉄の事故が起こっている。

タイ王国でな反政府デモが続き、中国は新疆ウイグル自治区での爆弾テロに揺れている。

アフガニスタン(憲法記念日って、あるのかあ?)では、地滑りで多数の犠牲者が出ている。

日本は平和だ。

この平和な国を、大切に守りたい。

戦力の保持は、その使い方を誤ると、抑止力から一転して侵略の道具になる。

為政者には、改めて自制を促したいな。

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