脚は開いているか? ― 2014年05月03日 03:04
脚は開いているか?
アドルフ・ヒトラーは、パリが燃えているかと尋ねたという。
(パリは燃えているか)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%81%AF%E7%87%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%8B
「映画の終盤、降伏する前にパリを破壊しろというアドルフ・ヒトラーの命令が下ったが、最終的にコルティッツ将軍は命令に従わずに連合国に無条件降伏し、パリを破壊から守った。」
まあ、どうでもいいんですが。
画家を志していたヒトラーが、芸術の都を焦土とする命令を下すというのが、実に戦争の悲劇である。
(アドルフ・ヒトラー:青年期の挫折)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC#.E9.9D.92.E5.B9.B4.E6.9C.9F.E3.81.AE.E6.8C.AB.E6.8A.98
「1905年、漸く正規の教育課程から解放されたヒトラーは父の遺産と年金から仕送りを得る約束を母親から貰い、芸術の都であるウィーンへ移住して美術を学ぶ事を決めた。1907年にはウィーン美術アカデミーを受験した。」
まあ、受験は失敗し、その後もぱっとしなかった。
「人物デッサンを嫌う傾向から「画家は諦めて建築家を目指してはどうか」と助言されたエピソードは有名である。ウィーンでの美術館巡りでは建物自体の観賞を好んだと書き残すなど、ヒトラーは実際には建築物を好んでいてこの助言に大いに乗り気になったが、程なく彼は建築家を目指すのは画家より更に非現実的な望みである事を知ったと書き残している。」
「1908年2月からは生活の拠点もウィーンに移し、アウグスト・クビツェクと共同生活を始めた。この年にもアカデミーを受験したが、再び失敗した。二度目の試験では予備試験にすら受からず、むしろ合格は遠ざかっていたという。」
さて、話は変わって、先月の19日早朝(日本時間)に打ち上げられたスペースX社のファルコン9の1段目の写真が上がっている。
(FIRST STAGE LANDING VIDEO)
http://www.spacex.com/news
ビデオで見ると、ブロックノイズがひどいが、修復されたものを見ると、一瞬、画像が鮮明になる(画像参照)。
おお、脚が開いているじゃん!。
生データを公開して、世間に協力を求めるなんざ、イーロン・マスクも味なことやるねえ!。
ソフトウェア屋の発想だな。
(伽藍とバザール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BD%E8%97%8D%E3%81%A8%E3%83%90%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB
「人月の神話」と共に、ソフトウェア関連の書籍(?)の古典である。
(人月の神話)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%9C%88%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1
まあいい。
今後、テレメトリーされたデータの解析が進めば、第一段目の回収の成否が明らかになるだろう。
スペースXが、更なる実験を行い、ロケットの再利用の実用化に目処を付けることが出来るかどうか。
浮沈子は、大注目している。
それは、人類が再び地球周辺を離れて、月や火星に行くことができるかどうかという、歴史的な話だからである。
その要素技術の一つが、再利用であり、ソフトランディングの技術なのだ。
しかも、地球重力下で成功すれば、火星で行うことは容易いに違いない。
脚は、開いていた。
そして、再利用ロケットの開発は、今年、山場を迎えそうだ。
アドルフ・ヒトラーは、パリが燃えているかと尋ねたという。
(パリは燃えているか)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%81%AF%E7%87%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%8B
「映画の終盤、降伏する前にパリを破壊しろというアドルフ・ヒトラーの命令が下ったが、最終的にコルティッツ将軍は命令に従わずに連合国に無条件降伏し、パリを破壊から守った。」
まあ、どうでもいいんですが。
画家を志していたヒトラーが、芸術の都を焦土とする命令を下すというのが、実に戦争の悲劇である。
(アドルフ・ヒトラー:青年期の挫折)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC#.E9.9D.92.E5.B9.B4.E6.9C.9F.E3.81.AE.E6.8C.AB.E6.8A.98
「1905年、漸く正規の教育課程から解放されたヒトラーは父の遺産と年金から仕送りを得る約束を母親から貰い、芸術の都であるウィーンへ移住して美術を学ぶ事を決めた。1907年にはウィーン美術アカデミーを受験した。」
まあ、受験は失敗し、その後もぱっとしなかった。
「人物デッサンを嫌う傾向から「画家は諦めて建築家を目指してはどうか」と助言されたエピソードは有名である。ウィーンでの美術館巡りでは建物自体の観賞を好んだと書き残すなど、ヒトラーは実際には建築物を好んでいてこの助言に大いに乗り気になったが、程なく彼は建築家を目指すのは画家より更に非現実的な望みである事を知ったと書き残している。」
「1908年2月からは生活の拠点もウィーンに移し、アウグスト・クビツェクと共同生活を始めた。この年にもアカデミーを受験したが、再び失敗した。二度目の試験では予備試験にすら受からず、むしろ合格は遠ざかっていたという。」
さて、話は変わって、先月の19日早朝(日本時間)に打ち上げられたスペースX社のファルコン9の1段目の写真が上がっている。
(FIRST STAGE LANDING VIDEO)
http://www.spacex.com/news
ビデオで見ると、ブロックノイズがひどいが、修復されたものを見ると、一瞬、画像が鮮明になる(画像参照)。
おお、脚が開いているじゃん!。
生データを公開して、世間に協力を求めるなんざ、イーロン・マスクも味なことやるねえ!。
ソフトウェア屋の発想だな。
(伽藍とバザール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BD%E8%97%8D%E3%81%A8%E3%83%90%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB
「人月の神話」と共に、ソフトウェア関連の書籍(?)の古典である。
(人月の神話)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%9C%88%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1
まあいい。
今後、テレメトリーされたデータの解析が進めば、第一段目の回収の成否が明らかになるだろう。
スペースXが、更なる実験を行い、ロケットの再利用の実用化に目処を付けることが出来るかどうか。
浮沈子は、大注目している。
それは、人類が再び地球周辺を離れて、月や火星に行くことができるかどうかという、歴史的な話だからである。
その要素技術の一つが、再利用であり、ソフトランディングの技術なのだ。
しかも、地球重力下で成功すれば、火星で行うことは容易いに違いない。
脚は、開いていた。
そして、再利用ロケットの開発は、今年、山場を迎えそうだ。
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