「築地です」? ― 2014年05月20日 02:03
「築地です」?
朝日新聞社の東京本社は、東京都中央区の築地というところにある。
(朝日新聞社)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE
登記上の本社は大阪になるが、浮沈子は、てっきり東京の新聞社だと思っていた。
この会社は、今でこそ右寄りの論客から「赤新聞」呼ばわりされているが、どうして、政府や財閥からの資金を得て経営を安定させた経緯を持つ、我が国の御用新聞の一つに過ぎない。
第一次世界大戦終了の1919年、株式会社朝日新聞として改組されたとある。
お家騒動の絶えない社風もある。
東京本社が築地に移転したのは1980年だった。
「鉛活字を使わない電算写植新聞制作システム『ネルソン』導入」とあるが、あまり覚えていないな。
浮沈子は、実家が朝日新聞を購読していたが、自身は取ったことはない。
このブログは、たまたま、朝日ネットを使用しているが、これは偶然である。
で、昼飯を食った店で今日の新聞を読んでいたら、「ツキジデス」の罠がどうのこうの、という記事があった。
((ニュースの扉)ツキジデスで考える集団的自衛権 アテナイが陥った同盟の「罠」)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11142999.html?iref=comtop_pickup_01
例によって、この会社はケチなので、会費を払わないと記事の全文を読ませない。
まあ、彼らとて、おまんまを食っていかなければならないので止むを得まい。
紙の媒体を購読する人々が減って、みんなネットでニュースを見るようになったが、タダで読まれては堪らないわけだ。
この記事の題名を見て、標題のように「築地です」に違いないと思った。
同紙は、「プロメテウスの罠」という原発シリーズを連載しており、その捻りかと思ったわけだ・・・。
さにはあらず、古代ギリシャの歴史家の名前だそうだ。
(トゥキディデス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%AD%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%87%E3%82%B9
「古典ギリシア語の母音の長短を考慮して音訳するとトゥーキューディデース。その他、トゥキュディデス、ツキジデスなどとカナ表記される。」
「代表作はペロポネソス戦争を実証的な立場から著した『戦史(ペロポネソス戦争の歴史)』」
(戦史 (トゥキディデス))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%8F%B2_(%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%AD%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%87%E3%82%B9)
「古代ギリシアのアテナイ出身の歴史家トゥキディデスが著した歴史書である。」
「アテナイの興隆と衰退、ペロポネソス戦争(紀元前431年–紀元前404年)の経過を記録した本書は全8巻からなる」
朝日新聞が、この歴史家を取り上げたのは、どうやら集団的自衛権の関係で、政治家に乗せられて集団的自衛権を結ぶと、悲惨な末路になるぞ、といいたいらしい。
「トゥキディデスは、ペロポネソス戦争がギリシア世界を揺るがす大戦に発展すると考え、その記録を残す事によって後世の人々が似たような事態に直面したときに、この記録(故に戦史と称された)を教訓としてうまく活かせるようとの意図で執筆したと、序言で述べている。」
英語訳の全文は、無料で読むことが出来る。
(The History of the Peloponnesian War by Thucydides)
http://www.gutenberg.org/ebooks/7142
朝日は、どうやら、アテナイの軍事同盟が原因だといいたいらしいが、記事を読むと勃興する新勢力と、それに脅威を抱いた既存の勢力(スパルタ)が戦争に突入していくというシンプルな話で、前駐中国大使の丹羽宇一郎さんの警告を紹介しているのだ。
なあんだ、別に集団的自衛権の話じゃないじゃん・・・。
米中の軍事衝突が起こって、我が国がそれに巻き込まれるというのは、余り嬉しくないシナリオだが、台湾情勢を考えれば有り得ない話ではない。
紀元前数世紀の話を、現代の国際情勢に当て嵌めようとすることには無理があるが、人間のサガというか、業のようなものを感じる。
もちろん、現在のところ、米国の海軍力が中国のそれを圧倒しており、また、太平洋への軍事力を増強するという米国の方針もあって、そう簡単に中国が太平洋からインド洋にかけての勢力を拡大することが出来るとは思われない。
しかし、トレンドとしての中国の台頭と、それを懸念する米国という図式は、アテナイの台頭と、スパルタの関係に似ていなくもない。
「新たな国の台頭が、守りに入った大国に脅威と映り戦争へ。「これはパワーポリティクスの歴史で繰り返されてきた。『戦史』は国際政治の分野で必読書の一つ」。外務省中国課長などを務めた浅井基文・元広島市立大広島平和研究所長は語る。浅井さんは「米側は、自衛隊が北大西洋条約機構(NATO)加盟国並みに共同で行動してくれることを望んでいる」とみる。」
本当に米国がそれを望んでいるのかは別にして、グアムに戦線を後退させようとしたり、懸念される南シナ海情勢に対応する際の東アジア全体の軍事力の展開を考えた時に、我が国が一定の役割を果たすことを期待してもおかしくはない。
純粋に軍事論としては十分に有り得る話だが、政治情勢を考えると、本気でそれを期待するかどうかは別だろう。
歪な軍隊である自衛隊は、まともな戦争など出来はしない。
ツキジデスの戦記は、途中までしか書かれずに未完となり、ソクラテスの弟子が書き上げたといわれている。
歴史の中の一時の戦争など、アホな人間の性に過ぎないと気づいて、ばかばかしくなって書くのを止めたのではないか。
そして、「歴史は繰り返す」ということになる。
(歴史は繰り返す)
http://kotowaza-allguide.com/re/rekishiwakurikaesu.html
「古代ローマの歴史家クルティウス・ルフスの言葉「History repeats itself.」の訳語。
いつの時代も人間の本質に変わりないため、過去にあったことは、また後の時代にも繰り返して起きるということ。」
戦闘員である軍人が死ぬのは、ある意味で仕方ないが、現代の戦争の人的被害は、非戦闘員の死者が大部分である。
それは、戦線の後方を叩けば、そこからのロジスティクスに頼っている前線勢力を弱体化できるという作戦思想によっている。
前線の後方ということは、通常は非戦闘地域であり、軍需産業だけではなく、一般国民の生活も営まれている。
国家の総力戦である戦争には、銃後という概念はないのかも知れない。
我が国は、日米軍事同盟を結び、緊密な運用を行っている。
この先にあるのは、一括した連携と協力、出来れば一体化した運用だ。
日米韓台の軍事力を、一つの指揮権の元に統合して運用できれば、こんな有難いことはないに違いない。
本当にそういう軍事力が展開できたとして、台頭する中国を封じ込めることが出来るのだろうか。
しかし、まあ、考えてみれば、我が国自身が、かつては新興の勢力であって、軍事同盟を結び、他の国々の連合軍と戦った歴史を持つ。
性というか、業というか、戦争が本当にそういった人間の本性に根ざしているというのなら、今後も世界に争いが絶えることはない。
技術は進歩し、ミサイルが宇宙を飛び交う時代になった。
戦争の被害は、瞬時に、大規模になってきている。
ツキジデスの時代とは違うのだ。
朝日の紙面では、隣のページに「月面の所有権」について書かれていた。
((科学の扉)月はだれのもの? 探査は自由、米で「遺産化」案)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11143009.html
絶妙のページ割であるな・・・。
朝日新聞社の東京本社は、東京都中央区の築地というところにある。
(朝日新聞社)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE
登記上の本社は大阪になるが、浮沈子は、てっきり東京の新聞社だと思っていた。
この会社は、今でこそ右寄りの論客から「赤新聞」呼ばわりされているが、どうして、政府や財閥からの資金を得て経営を安定させた経緯を持つ、我が国の御用新聞の一つに過ぎない。
第一次世界大戦終了の1919年、株式会社朝日新聞として改組されたとある。
お家騒動の絶えない社風もある。
東京本社が築地に移転したのは1980年だった。
「鉛活字を使わない電算写植新聞制作システム『ネルソン』導入」とあるが、あまり覚えていないな。
浮沈子は、実家が朝日新聞を購読していたが、自身は取ったことはない。
このブログは、たまたま、朝日ネットを使用しているが、これは偶然である。
で、昼飯を食った店で今日の新聞を読んでいたら、「ツキジデス」の罠がどうのこうの、という記事があった。
((ニュースの扉)ツキジデスで考える集団的自衛権 アテナイが陥った同盟の「罠」)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11142999.html?iref=comtop_pickup_01
例によって、この会社はケチなので、会費を払わないと記事の全文を読ませない。
まあ、彼らとて、おまんまを食っていかなければならないので止むを得まい。
紙の媒体を購読する人々が減って、みんなネットでニュースを見るようになったが、タダで読まれては堪らないわけだ。
この記事の題名を見て、標題のように「築地です」に違いないと思った。
同紙は、「プロメテウスの罠」という原発シリーズを連載しており、その捻りかと思ったわけだ・・・。
さにはあらず、古代ギリシャの歴史家の名前だそうだ。
(トゥキディデス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%AD%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%87%E3%82%B9
「古典ギリシア語の母音の長短を考慮して音訳するとトゥーキューディデース。その他、トゥキュディデス、ツキジデスなどとカナ表記される。」
「代表作はペロポネソス戦争を実証的な立場から著した『戦史(ペロポネソス戦争の歴史)』」
(戦史 (トゥキディデス))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%8F%B2_(%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%AD%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%87%E3%82%B9)
「古代ギリシアのアテナイ出身の歴史家トゥキディデスが著した歴史書である。」
「アテナイの興隆と衰退、ペロポネソス戦争(紀元前431年–紀元前404年)の経過を記録した本書は全8巻からなる」
朝日新聞が、この歴史家を取り上げたのは、どうやら集団的自衛権の関係で、政治家に乗せられて集団的自衛権を結ぶと、悲惨な末路になるぞ、といいたいらしい。
「トゥキディデスは、ペロポネソス戦争がギリシア世界を揺るがす大戦に発展すると考え、その記録を残す事によって後世の人々が似たような事態に直面したときに、この記録(故に戦史と称された)を教訓としてうまく活かせるようとの意図で執筆したと、序言で述べている。」
英語訳の全文は、無料で読むことが出来る。
(The History of the Peloponnesian War by Thucydides)
http://www.gutenberg.org/ebooks/7142
朝日は、どうやら、アテナイの軍事同盟が原因だといいたいらしいが、記事を読むと勃興する新勢力と、それに脅威を抱いた既存の勢力(スパルタ)が戦争に突入していくというシンプルな話で、前駐中国大使の丹羽宇一郎さんの警告を紹介しているのだ。
なあんだ、別に集団的自衛権の話じゃないじゃん・・・。
米中の軍事衝突が起こって、我が国がそれに巻き込まれるというのは、余り嬉しくないシナリオだが、台湾情勢を考えれば有り得ない話ではない。
紀元前数世紀の話を、現代の国際情勢に当て嵌めようとすることには無理があるが、人間のサガというか、業のようなものを感じる。
もちろん、現在のところ、米国の海軍力が中国のそれを圧倒しており、また、太平洋への軍事力を増強するという米国の方針もあって、そう簡単に中国が太平洋からインド洋にかけての勢力を拡大することが出来るとは思われない。
しかし、トレンドとしての中国の台頭と、それを懸念する米国という図式は、アテナイの台頭と、スパルタの関係に似ていなくもない。
「新たな国の台頭が、守りに入った大国に脅威と映り戦争へ。「これはパワーポリティクスの歴史で繰り返されてきた。『戦史』は国際政治の分野で必読書の一つ」。外務省中国課長などを務めた浅井基文・元広島市立大広島平和研究所長は語る。浅井さんは「米側は、自衛隊が北大西洋条約機構(NATO)加盟国並みに共同で行動してくれることを望んでいる」とみる。」
本当に米国がそれを望んでいるのかは別にして、グアムに戦線を後退させようとしたり、懸念される南シナ海情勢に対応する際の東アジア全体の軍事力の展開を考えた時に、我が国が一定の役割を果たすことを期待してもおかしくはない。
純粋に軍事論としては十分に有り得る話だが、政治情勢を考えると、本気でそれを期待するかどうかは別だろう。
歪な軍隊である自衛隊は、まともな戦争など出来はしない。
ツキジデスの戦記は、途中までしか書かれずに未完となり、ソクラテスの弟子が書き上げたといわれている。
歴史の中の一時の戦争など、アホな人間の性に過ぎないと気づいて、ばかばかしくなって書くのを止めたのではないか。
そして、「歴史は繰り返す」ということになる。
(歴史は繰り返す)
http://kotowaza-allguide.com/re/rekishiwakurikaesu.html
「古代ローマの歴史家クルティウス・ルフスの言葉「History repeats itself.」の訳語。
いつの時代も人間の本質に変わりないため、過去にあったことは、また後の時代にも繰り返して起きるということ。」
戦闘員である軍人が死ぬのは、ある意味で仕方ないが、現代の戦争の人的被害は、非戦闘員の死者が大部分である。
それは、戦線の後方を叩けば、そこからのロジスティクスに頼っている前線勢力を弱体化できるという作戦思想によっている。
前線の後方ということは、通常は非戦闘地域であり、軍需産業だけではなく、一般国民の生活も営まれている。
国家の総力戦である戦争には、銃後という概念はないのかも知れない。
我が国は、日米軍事同盟を結び、緊密な運用を行っている。
この先にあるのは、一括した連携と協力、出来れば一体化した運用だ。
日米韓台の軍事力を、一つの指揮権の元に統合して運用できれば、こんな有難いことはないに違いない。
本当にそういう軍事力が展開できたとして、台頭する中国を封じ込めることが出来るのだろうか。
しかし、まあ、考えてみれば、我が国自身が、かつては新興の勢力であって、軍事同盟を結び、他の国々の連合軍と戦った歴史を持つ。
性というか、業というか、戦争が本当にそういった人間の本性に根ざしているというのなら、今後も世界に争いが絶えることはない。
技術は進歩し、ミサイルが宇宙を飛び交う時代になった。
戦争の被害は、瞬時に、大規模になってきている。
ツキジデスの時代とは違うのだ。
朝日の紙面では、隣のページに「月面の所有権」について書かれていた。
((科学の扉)月はだれのもの? 探査は自由、米で「遺産化」案)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11143009.html
絶妙のページ割であるな・・・。
機上の空論(プーケット帰国編) ― 2014年05月20日 02:51
機上の空論(プーケット帰国編)
この空港から帰るのも2回目になる。
店は、2月に来た時と変わっていないようで、概ね同じだが、搭乗待合の椅子にプライオリティーシートが設定されている。
そんなもんは無視して座っているやつもいる。
ガラガラに空いているので、まあ、どうでもいいんですが。
7時に出発なのだが、一向に搭乗が始まらない。
まあ、タイですから・・・。
この国の凄いところは、一見緩い対応が、実は人間を中心としたシステムとして、柔軟に回っているというところである。
と書いたところで、搭乗が始まったようだ。
続きは、たぶん、スワンナプームで。
ーーーー
スワンナプームの乗り継ぎは、地獄だな。
ドメスティックで到着してから、E1ゲートに着くまでに何キロも歩く。
フロアを移動するのも、端から端まで歩いていかないとエスカレーターがない。
各ゲートの間には、土産物屋が軒を並べていて、そこを通り抜けないとゲート間を移動できない。
前もそうだったが、今回も同じだ。
しかも、インフォメーションは、ゲートを間違えて教えるし(最初、A6とかチケットに書いた)。
日本語でメニューが出ていた店に入って、ビーフカレーを食べる(また、食ったのかあ?)。
だって、タイトルは、機上の「食う」論じゃなかったっけ?。
まあ、どうでもいいんですが。
プーケットからの便は、めずらしく定刻に出発した。
タイ国際航空も、たまには普通のことをやってくれるな。
店では、ロシア語を喋り捲るオバチャンが4人(3人だと姦しいというのだろうが、4人だ!)、絶好調である。
あと5分ほどで搭乗開始だ。
後は、機内で書く。
ーーーー
機上では、爆睡した。
もうすぐ到着である。
乗って直ぐにサンドイッチが出て、朝にはちゃんとした食事が出た。
うーん、このブログの題名は、機上の食う論にした方が良さそうな気がする。
機材はB747-400である。
燃費が悪くて経済的な競争力が多少劣っているとはいえ、乗り心地といい精神的な安心感といい、4発に敵うものはない。
777-200から乗り継ぐと、明らかに違う。
機体の剛性の高さと、エンジンのゆとりが違うような気がする。
そんなもん、分るわけはないのだが、747が培ってきた安定感というのが強調される。
777だって、悪い飛行機ではない。
最近の複合材料を多用した787などに比べてどうかという比較はできないが、アルミ合金を主体とした機体構造を採る航空機の中では優秀な部類だろう。
もっとも、比較する相手がA340辺りなので、フィリピン航空の機材で比べると、やはり4発がいいということになってしまうかな。
主翼に重量のあるエンジンを搭載するということは、安定性も高いに違いない。
飛行機は、主翼が飛んでいて、胴体はそれに乗っかっているわけで、727やトライスターのように、エンジンを胴体に乗っけるというのは構造的にはいただけないのだ。
ホンダジェットが、サイテーションのように胴体にエンジンを搭載せずに、主翼(上面)に載っけてきたのは、機体後部の構造やスペース・ユーティリティの問題もあるが、動的な安定性の重視ということも大きいに違いない。
自動車の場合は、バネ下重量の軽減ということがよく言われる。
航空機だって、本来ならバネ下にあたる主翼を軽くし、よく動くように設計すれば、人が乗る胴体部分は揺れずにすむと思うのだが、実際の航空機はそうはなっていない。
戦闘機など、高機動を要求される機体では、確かにエンジンは胴体側にあって、主翼は軽くなっている。
この辺りは、機会があったら調べてみよう。
この空港から帰るのも2回目になる。
店は、2月に来た時と変わっていないようで、概ね同じだが、搭乗待合の椅子にプライオリティーシートが設定されている。
そんなもんは無視して座っているやつもいる。
ガラガラに空いているので、まあ、どうでもいいんですが。
7時に出発なのだが、一向に搭乗が始まらない。
まあ、タイですから・・・。
この国の凄いところは、一見緩い対応が、実は人間を中心としたシステムとして、柔軟に回っているというところである。
と書いたところで、搭乗が始まったようだ。
続きは、たぶん、スワンナプームで。
ーーーー
スワンナプームの乗り継ぎは、地獄だな。
ドメスティックで到着してから、E1ゲートに着くまでに何キロも歩く。
フロアを移動するのも、端から端まで歩いていかないとエスカレーターがない。
各ゲートの間には、土産物屋が軒を並べていて、そこを通り抜けないとゲート間を移動できない。
前もそうだったが、今回も同じだ。
しかも、インフォメーションは、ゲートを間違えて教えるし(最初、A6とかチケットに書いた)。
日本語でメニューが出ていた店に入って、ビーフカレーを食べる(また、食ったのかあ?)。
だって、タイトルは、機上の「食う」論じゃなかったっけ?。
まあ、どうでもいいんですが。
プーケットからの便は、めずらしく定刻に出発した。
タイ国際航空も、たまには普通のことをやってくれるな。
店では、ロシア語を喋り捲るオバチャンが4人(3人だと姦しいというのだろうが、4人だ!)、絶好調である。
あと5分ほどで搭乗開始だ。
後は、機内で書く。
ーーーー
機上では、爆睡した。
もうすぐ到着である。
乗って直ぐにサンドイッチが出て、朝にはちゃんとした食事が出た。
うーん、このブログの題名は、機上の食う論にした方が良さそうな気がする。
機材はB747-400である。
燃費が悪くて経済的な競争力が多少劣っているとはいえ、乗り心地といい精神的な安心感といい、4発に敵うものはない。
777-200から乗り継ぐと、明らかに違う。
機体の剛性の高さと、エンジンのゆとりが違うような気がする。
そんなもん、分るわけはないのだが、747が培ってきた安定感というのが強調される。
777だって、悪い飛行機ではない。
最近の複合材料を多用した787などに比べてどうかという比較はできないが、アルミ合金を主体とした機体構造を採る航空機の中では優秀な部類だろう。
もっとも、比較する相手がA340辺りなので、フィリピン航空の機材で比べると、やはり4発がいいということになってしまうかな。
主翼に重量のあるエンジンを搭載するということは、安定性も高いに違いない。
飛行機は、主翼が飛んでいて、胴体はそれに乗っかっているわけで、727やトライスターのように、エンジンを胴体に乗っけるというのは構造的にはいただけないのだ。
ホンダジェットが、サイテーションのように胴体にエンジンを搭載せずに、主翼(上面)に載っけてきたのは、機体後部の構造やスペース・ユーティリティの問題もあるが、動的な安定性の重視ということも大きいに違いない。
自動車の場合は、バネ下重量の軽減ということがよく言われる。
航空機だって、本来ならバネ下にあたる主翼を軽くし、よく動くように設計すれば、人が乗る胴体部分は揺れずにすむと思うのだが、実際の航空機はそうはなっていない。
戦闘機など、高機動を要求される機体では、確かにエンジンは胴体側にあって、主翼は軽くなっている。
この辺りは、機会があったら調べてみよう。
タイ全土に戒厳令 ― 2014年05月20日 10:01
タイ全土に戒厳令
(戒厳)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%92%E5%8E%B3
「戒厳の宣告を行うこと自体をしばしば「戒厳令をしく」「戒厳令下に置く」というが、この表現は誤りである。「戒厳令」は「戒厳」を規定した法令の名称であり、「戒厳の布告」により、「戒厳令」に規定された非常事態措置が適用されることになる。」
細かいこと言われても、ぴんとこないが、現代の我が国には戒厳令はない。
以前から、有事法制が議論されているが、「いずれかの国が日本と周辺の制空権、制海権を確保した上で、地上軍を日本本土に上陸侵攻させ、国土が戦場と化す事態を想定した法制」とある。
もっぱら、戦時下の国家統制ということになる。
「戒厳(かいげん)とは、戦時において兵力をもって一地域あるいは全国を警備する場合において、国民の権利を保障した法律の一部の効力を停止し、行政権・司法権の一部ないし全部を軍隊の権力下に移行することをいう。また、戒厳について規定した法令を戒厳令(英語:martial law)という。
しばしば、非常事態宣言と共に、軍部によるクーデターで活用される。」
まあ、軍部がクーデターを起こした際には、国家権力を掌握するので、軍政下に入り、自動的に戒厳状態になるわけだな。
もちろん、クーデターでなくても戒厳は有り得るが、政治権力が停止されるので、事実上はクーデターと同じだ。
(タイ陸軍司令官が全土に戒厳令 治安全権を掌握)
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=70067
「バンコク共同】インラック前首相が憲法裁判所の判決で失職するなど政治混乱が続くタイで、陸軍のプラユット司令官が20日、全土に戒厳令を布告した。陸軍が治安全権を掌握する。同日午前3時(日本時間同5時)をもって発令された。」
「タイでは昨年から反政府派のデモが続き、死傷者多数が出ている。政府は下院を解散、国民の審判を仰ごうとしたが、反政府派が総選挙を妨害し混乱収拾は難航。」
「総選挙実施を主張する政府と、総選挙を経ないで新政権樹立を目指す反政府派の溝が埋まらず、双方の支持者同士による衝突など、治安悪化の懸念が高まっていた。(共同通信)」
浮沈子が帰国したのは19日朝だから、そのおよそ24時間後ということになる。
やれやれ、スワンナプームで足止めとかくわなくてよかった。
タイでは、以前にも同様の事態が起こっていて、今回も、いつ起こるかわからない情勢だった。
今後の推移は不明だが、とりあえずは日常に影響はないようだ。
(タイ全土に戒厳令=陸軍司令官が発表へ)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201405/2014052000076&g=int
「陸軍系のテレビ局チャンネル5は、テロップで「陸軍は20日午前3時から全国に戒厳令を発令した」と報道。「陸軍の目的は、平和と、全ての国民およびグループの安全を回復することにある」とし、「全てのタイ市民に、パニックになったり怖がったりしないよう促す。平常通り生活を行うことができる」と呼び掛けた。
また、「戒厳令はクーデターではない」と強調した。(2014/05/20-08:57)」
通常、対外的な実力部隊である陸軍が、国民を統制するのだから、クーデターでないといわれても混乱する。
お巡りさんと、軍人のどっちの言うこと聞けばいいのか?。
まあ、ピピ島では、どっちもいないに等しいから関係ないけど。
前回のクーデターの時も、銀行が一日閉まっただけで、何の影響もなかったという。
タイって、そういうとこです・・・。
きっと、クーデターの最中でも、ダイビングとか普通にやってるだろうし、マッサージして、イテテッとかいってるだろうし、ローカルの店でパッタイ食って満足してるに決まっている。
タイという国を理解するには、その中に入ってみるのが一番だ。
(タイ陸軍が戒厳令を発令、政府は引き続き機能)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0E000B20140520
「また、タイ陸軍の報道官は、ロイターに対して、政府は引き続き機能している、と述べた。」
「報道官は「戒厳令は平和と安定を回復することが目的で、政府とは関係ない。政府は依然、通常通り機能している」と語った。」
常識では考えられない状況だが、タイではあってもいいかな、と思えてくるのだ。
「さらに、部隊がバンコク市内を巡回しており、複数のテレビ局を確保したとし「国民にパニックを起こさないよう伝えるための協力が必要だ。これはクーデターではない」と述べた。」
放送局を占拠するのは、通常は緊急事態を宣言し、戒厳令が敷かれたことを周知するのが目的なんだが、クーデターでないことを伝えるためだという。
なんてこった!。
ゆるーい国では、戒厳令もゆるーいのか。
まあいい。
次回のタイ訪問は、しかし、情勢が落ち着いてからになるだろう。
なあに、心配することはない。
ピピ島には、今回もまた、何の影響もないに違いない。
(戒厳)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%92%E5%8E%B3
「戒厳の宣告を行うこと自体をしばしば「戒厳令をしく」「戒厳令下に置く」というが、この表現は誤りである。「戒厳令」は「戒厳」を規定した法令の名称であり、「戒厳の布告」により、「戒厳令」に規定された非常事態措置が適用されることになる。」
細かいこと言われても、ぴんとこないが、現代の我が国には戒厳令はない。
以前から、有事法制が議論されているが、「いずれかの国が日本と周辺の制空権、制海権を確保した上で、地上軍を日本本土に上陸侵攻させ、国土が戦場と化す事態を想定した法制」とある。
もっぱら、戦時下の国家統制ということになる。
「戒厳(かいげん)とは、戦時において兵力をもって一地域あるいは全国を警備する場合において、国民の権利を保障した法律の一部の効力を停止し、行政権・司法権の一部ないし全部を軍隊の権力下に移行することをいう。また、戒厳について規定した法令を戒厳令(英語:martial law)という。
しばしば、非常事態宣言と共に、軍部によるクーデターで活用される。」
まあ、軍部がクーデターを起こした際には、国家権力を掌握するので、軍政下に入り、自動的に戒厳状態になるわけだな。
もちろん、クーデターでなくても戒厳は有り得るが、政治権力が停止されるので、事実上はクーデターと同じだ。
(タイ陸軍司令官が全土に戒厳令 治安全権を掌握)
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=70067
「バンコク共同】インラック前首相が憲法裁判所の判決で失職するなど政治混乱が続くタイで、陸軍のプラユット司令官が20日、全土に戒厳令を布告した。陸軍が治安全権を掌握する。同日午前3時(日本時間同5時)をもって発令された。」
「タイでは昨年から反政府派のデモが続き、死傷者多数が出ている。政府は下院を解散、国民の審判を仰ごうとしたが、反政府派が総選挙を妨害し混乱収拾は難航。」
「総選挙実施を主張する政府と、総選挙を経ないで新政権樹立を目指す反政府派の溝が埋まらず、双方の支持者同士による衝突など、治安悪化の懸念が高まっていた。(共同通信)」
浮沈子が帰国したのは19日朝だから、そのおよそ24時間後ということになる。
やれやれ、スワンナプームで足止めとかくわなくてよかった。
タイでは、以前にも同様の事態が起こっていて、今回も、いつ起こるかわからない情勢だった。
今後の推移は不明だが、とりあえずは日常に影響はないようだ。
(タイ全土に戒厳令=陸軍司令官が発表へ)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201405/2014052000076&g=int
「陸軍系のテレビ局チャンネル5は、テロップで「陸軍は20日午前3時から全国に戒厳令を発令した」と報道。「陸軍の目的は、平和と、全ての国民およびグループの安全を回復することにある」とし、「全てのタイ市民に、パニックになったり怖がったりしないよう促す。平常通り生活を行うことができる」と呼び掛けた。
また、「戒厳令はクーデターではない」と強調した。(2014/05/20-08:57)」
通常、対外的な実力部隊である陸軍が、国民を統制するのだから、クーデターでないといわれても混乱する。
お巡りさんと、軍人のどっちの言うこと聞けばいいのか?。
まあ、ピピ島では、どっちもいないに等しいから関係ないけど。
前回のクーデターの時も、銀行が一日閉まっただけで、何の影響もなかったという。
タイって、そういうとこです・・・。
きっと、クーデターの最中でも、ダイビングとか普通にやってるだろうし、マッサージして、イテテッとかいってるだろうし、ローカルの店でパッタイ食って満足してるに決まっている。
タイという国を理解するには、その中に入ってみるのが一番だ。
(タイ陸軍が戒厳令を発令、政府は引き続き機能)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0E000B20140520
「また、タイ陸軍の報道官は、ロイターに対して、政府は引き続き機能している、と述べた。」
「報道官は「戒厳令は平和と安定を回復することが目的で、政府とは関係ない。政府は依然、通常通り機能している」と語った。」
常識では考えられない状況だが、タイではあってもいいかな、と思えてくるのだ。
「さらに、部隊がバンコク市内を巡回しており、複数のテレビ局を確保したとし「国民にパニックを起こさないよう伝えるための協力が必要だ。これはクーデターではない」と述べた。」
放送局を占拠するのは、通常は緊急事態を宣言し、戒厳令が敷かれたことを周知するのが目的なんだが、クーデターでないことを伝えるためだという。
なんてこった!。
ゆるーい国では、戒厳令もゆるーいのか。
まあいい。
次回のタイ訪問は、しかし、情勢が落ち着いてからになるだろう。
なあに、心配することはない。
ピピ島には、今回もまた、何の影響もないに違いない。
月面基地ロシア版 ― 2014年05月20日 11:53
月面基地ロシア版
(ロシア、2030年に月基地建設へ…探査機「ルナ」後継も)
http://response.jp/article/2014/05/14/223129.html
(ロシアが2030年代の月面基地計画を構想、新たな無人月探査機シリーズも再開か)
http://moonstation.jp/ja/blog/archives/1186
まあ、計画倒れになることは間違いない。
「今回発表された計画は、以前からのロシアの月探査計画から大胆に踏み込んだ内容となっています。とりわけ、2040年代へも続く有人月面基地構想は、いわゆる「大ロシア」的な雰囲気を漂わせており、近年とりわけその傾向を強めている「大国ロシアの国威発揚」の側面があるのではないかと推測されます。」
「この「3段階、無人機4機、将来月面基地」というロシアの月探査計画がうまくいくかどうかは、それを支えるロシアの財政的、政治的、技術的な側面がすべてちゃんと機能し、計画を進めていこうという意思がしっかりとみえるということが鍵となると思います。」
ロシアの宇宙開発が、再び世界を牽引していくことはない。
今回の計画の発表も、悪あがきにしか見えない。
中国も月を目指しているが、実現は困難と見ている。
宇宙開発は、金をドブに捨てるようなものだ。
それに対する見返りは、事実上、何もない。
明確な経済効果がない事業に、民間資金は流れない。
政府資金を流し込もうというなら、それに見合う国威発揚なり何なりの効果が得られなければならない。
今更、月かよ!・・・。
というわけで、浮沈子的には、このニュースはサゲだな。
しかし、有人月面基地でなくても、科学的な関心として、月に天体観測のベースを置くということは考えられる。
別に、人間が行かなくたっていいのだ。
大気の殆どない月面と、地球の6分の1の重力を活用して、巨大天文台を設置するというのは悪くない。
そのデータを、高速通信で送ってくるというのは、なかなか魅力的な構想であるな。
これらの設置を、無人で行うことが出来れば、かなり得るものは大きいだろう。
メンテナンスを含めた体制を整えられるかどうかだ。
うーん、やっぱ無理かあ?。
今さらロシアに何かを期待するっていうのは、難しいだろう。
もう、地球周回軌道の外に出て、何かをするってことはないかもしれない。
今回の計画発表は、最後の悪あがきというところなのだろう。
悲しい気分で記事を読んだ。
(ロシア、2030年に月基地建設へ…探査機「ルナ」後継も)
http://response.jp/article/2014/05/14/223129.html
(ロシアが2030年代の月面基地計画を構想、新たな無人月探査機シリーズも再開か)
http://moonstation.jp/ja/blog/archives/1186
まあ、計画倒れになることは間違いない。
「今回発表された計画は、以前からのロシアの月探査計画から大胆に踏み込んだ内容となっています。とりわけ、2040年代へも続く有人月面基地構想は、いわゆる「大ロシア」的な雰囲気を漂わせており、近年とりわけその傾向を強めている「大国ロシアの国威発揚」の側面があるのではないかと推測されます。」
「この「3段階、無人機4機、将来月面基地」というロシアの月探査計画がうまくいくかどうかは、それを支えるロシアの財政的、政治的、技術的な側面がすべてちゃんと機能し、計画を進めていこうという意思がしっかりとみえるということが鍵となると思います。」
ロシアの宇宙開発が、再び世界を牽引していくことはない。
今回の計画の発表も、悪あがきにしか見えない。
中国も月を目指しているが、実現は困難と見ている。
宇宙開発は、金をドブに捨てるようなものだ。
それに対する見返りは、事実上、何もない。
明確な経済効果がない事業に、民間資金は流れない。
政府資金を流し込もうというなら、それに見合う国威発揚なり何なりの効果が得られなければならない。
今更、月かよ!・・・。
というわけで、浮沈子的には、このニュースはサゲだな。
しかし、有人月面基地でなくても、科学的な関心として、月に天体観測のベースを置くということは考えられる。
別に、人間が行かなくたっていいのだ。
大気の殆どない月面と、地球の6分の1の重力を活用して、巨大天文台を設置するというのは悪くない。
そのデータを、高速通信で送ってくるというのは、なかなか魅力的な構想であるな。
これらの設置を、無人で行うことが出来れば、かなり得るものは大きいだろう。
メンテナンスを含めた体制を整えられるかどうかだ。
うーん、やっぱ無理かあ?。
今さらロシアに何かを期待するっていうのは、難しいだろう。
もう、地球周回軌道の外に出て、何かをするってことはないかもしれない。
今回の計画発表は、最後の悪あがきというところなのだろう。
悲しい気分で記事を読んだ。
BMWとCFRPと電動化 ― 2014年05月20日 12:50
BMWとCFRPと電動化
自動車の構造部材としてカーボンを積極的に使っていこうという流れが、いよいよ本格化してきた。
背景には、省エネ省資源というエコの流れがある。
単なる高性能化とか、軽量化といった一時的なブラフではなく、トレンドとしての素材革命が起こっている。
鉄から炭素へ。
浮沈子が、以前から指摘している動きが、自動車メーカーレベルで顕在化してきたというわけだ。
(BMW 7シリーズ 次期型、カーボンファイバーで軽量化へ)
http://response.jp/article/2014/05/20/223538.html
「次期7シリーズの軽さは、セグメントで極めて高い基準を打ち立てることになるだろう」
2トン近辺の重量が、一気に1.5トンくらいになれば、相当のインパクトがあるだろう。
問題は、この素材の歴史的寿命は、まだ確認されていないということだ。
100年前の自動車が、未だに走っているというのが当たり前なクラシックカーの世界で、カーボン製の車体がどう受け入れられるかということだ。
もちろん、そんなことは実際の話としてはどうでもいいかもしれないが、少なくとも数十年の稼動寿命を全うしなければ、工業製品としてはいかがなものか。
本格的なフルカーボンボディの市販車が登場してから、まだ20年くらいしか経っていない。
一部の部材(天井とか)を置き換えるのではなく、骨格そのもの、外板や内装を含めた殆どの素材を鉄やアルミから置き換えていかなければ、目に見えるほどの軽量化は達成できない。
ⅰシリーズにBMWが取り組んだ時、当然BMW本体にカーボン化がなされるという方向性は見えていたわけで、いつ、どのように実現させるかという点だけが問題だった。
これほど早いタイミングで、文法どおり、高級車である7シリーズを皮切りにするあたりに、BMWの本気度が見えるような気がする。
(Next BMW 7 Series to Use Carbon Fiber, Says Board Member)
http://www.automobilemag.com/features/news/1405-next-bmw-7-series-to-use-carbon-fiber-says-board-member/#ixzz32Dq7gIyi
この記事によれば、7シリーズ以外の他のシリーズにカーボンファイバーが使用されるのも時間の問題のようだな。
「BMW invested an additional $200 million to expand production at its carbon fiber plant, making it the largest producer of the material in the world. Previously an exclusive provider of carbon fiber for BMW’s Project i cars, the factory will build carbon fiber for other model series, according to supplier network board member Dr. Klaus Draeger.」
この中では触れられていないが、カーボン素材の採用が進んでも、BMWはただ1点だけ、死守するポイントがあると、浮沈子は確信している。
それが、本当に駆けぬける喜びに繋がっているかどうかはともかく、前後重量配分50対50という、例のこだわりである。
そこに拘り続けることが、BMWのアイコンならば、それもいい。
上ものの軽量化は、高級感を阻害する恐れもある。
ばね下重量との関係で、ボディの軽さが、低級な振動を生じかねない。
カーボン素材になって、その辺りがどう変わるかというのも興味のあるところだ。
フルサイズセダンのFセグメント(Lセグメント)に、カーボンを本格的に投入するということのリスクを、BMWは十分に計算しているだろう。
ベンツやアウディとの競争で、このまま、ずるずると後退していくわけにはいかないのだ(トヨタとは、仲良くしたいらしい)。
起死回生、一発逆転、突き放したボディ性能を手に入れ、電動化に突き進みたいのだ。
BMWは、欧州車ではおそらく最も早く電動化すると思われるが、カーボンボディはそのための布石に過ぎない。
既存のボディのまま、蓄電池式の電動化を果たすことは困難だ。
燃料電池でトヨタと組み、ボディ技術をシェアして、一気に電動化への基礎技術を取得するという戦略的判断をしたわけだが、そのタイミングと先行投資の規模が市場の動きを加速することになるのかどうか。
浮沈子は、エンジン屋であるBMWが、真っ先に電動化に突っ走るのを見るのは本意ではない。
一時期、水素エンジンに嵌っていたように、内燃機関屋として、最後までがんばって欲しい。
軽量カーボンボディで、高性能エンジンをぶん回して駆けぬけるBMWというのが、一番イメージ的にはカッコイイ!。
ⅰ3を試乗したときも、これがBMWとは、イメージしづらかった。
メーカーとして、市場が求めるものを提供するということは当然だが、高級車メーカーは、それだけでは食っていけない。
そのブランドでなければ得られない、唯一無二の付加価値を乗っけていかなければ、高いプライスタグは付けられないのだ。
炭素と電気で、それを具現化することが出来るのだろうか。
期待と不安を感じながら、お手並み拝見というところか。
自動車の構造部材としてカーボンを積極的に使っていこうという流れが、いよいよ本格化してきた。
背景には、省エネ省資源というエコの流れがある。
単なる高性能化とか、軽量化といった一時的なブラフではなく、トレンドとしての素材革命が起こっている。
鉄から炭素へ。
浮沈子が、以前から指摘している動きが、自動車メーカーレベルで顕在化してきたというわけだ。
(BMW 7シリーズ 次期型、カーボンファイバーで軽量化へ)
http://response.jp/article/2014/05/20/223538.html
「次期7シリーズの軽さは、セグメントで極めて高い基準を打ち立てることになるだろう」
2トン近辺の重量が、一気に1.5トンくらいになれば、相当のインパクトがあるだろう。
問題は、この素材の歴史的寿命は、まだ確認されていないということだ。
100年前の自動車が、未だに走っているというのが当たり前なクラシックカーの世界で、カーボン製の車体がどう受け入れられるかということだ。
もちろん、そんなことは実際の話としてはどうでもいいかもしれないが、少なくとも数十年の稼動寿命を全うしなければ、工業製品としてはいかがなものか。
本格的なフルカーボンボディの市販車が登場してから、まだ20年くらいしか経っていない。
一部の部材(天井とか)を置き換えるのではなく、骨格そのもの、外板や内装を含めた殆どの素材を鉄やアルミから置き換えていかなければ、目に見えるほどの軽量化は達成できない。
ⅰシリーズにBMWが取り組んだ時、当然BMW本体にカーボン化がなされるという方向性は見えていたわけで、いつ、どのように実現させるかという点だけが問題だった。
これほど早いタイミングで、文法どおり、高級車である7シリーズを皮切りにするあたりに、BMWの本気度が見えるような気がする。
(Next BMW 7 Series to Use Carbon Fiber, Says Board Member)
http://www.automobilemag.com/features/news/1405-next-bmw-7-series-to-use-carbon-fiber-says-board-member/#ixzz32Dq7gIyi
この記事によれば、7シリーズ以外の他のシリーズにカーボンファイバーが使用されるのも時間の問題のようだな。
「BMW invested an additional $200 million to expand production at its carbon fiber plant, making it the largest producer of the material in the world. Previously an exclusive provider of carbon fiber for BMW’s Project i cars, the factory will build carbon fiber for other model series, according to supplier network board member Dr. Klaus Draeger.」
この中では触れられていないが、カーボン素材の採用が進んでも、BMWはただ1点だけ、死守するポイントがあると、浮沈子は確信している。
それが、本当に駆けぬける喜びに繋がっているかどうかはともかく、前後重量配分50対50という、例のこだわりである。
そこに拘り続けることが、BMWのアイコンならば、それもいい。
上ものの軽量化は、高級感を阻害する恐れもある。
ばね下重量との関係で、ボディの軽さが、低級な振動を生じかねない。
カーボン素材になって、その辺りがどう変わるかというのも興味のあるところだ。
フルサイズセダンのFセグメント(Lセグメント)に、カーボンを本格的に投入するということのリスクを、BMWは十分に計算しているだろう。
ベンツやアウディとの競争で、このまま、ずるずると後退していくわけにはいかないのだ(トヨタとは、仲良くしたいらしい)。
起死回生、一発逆転、突き放したボディ性能を手に入れ、電動化に突き進みたいのだ。
BMWは、欧州車ではおそらく最も早く電動化すると思われるが、カーボンボディはそのための布石に過ぎない。
既存のボディのまま、蓄電池式の電動化を果たすことは困難だ。
燃料電池でトヨタと組み、ボディ技術をシェアして、一気に電動化への基礎技術を取得するという戦略的判断をしたわけだが、そのタイミングと先行投資の規模が市場の動きを加速することになるのかどうか。
浮沈子は、エンジン屋であるBMWが、真っ先に電動化に突っ走るのを見るのは本意ではない。
一時期、水素エンジンに嵌っていたように、内燃機関屋として、最後までがんばって欲しい。
軽量カーボンボディで、高性能エンジンをぶん回して駆けぬけるBMWというのが、一番イメージ的にはカッコイイ!。
ⅰ3を試乗したときも、これがBMWとは、イメージしづらかった。
メーカーとして、市場が求めるものを提供するということは当然だが、高級車メーカーは、それだけでは食っていけない。
そのブランドでなければ得られない、唯一無二の付加価値を乗っけていかなければ、高いプライスタグは付けられないのだ。
炭素と電気で、それを具現化することが出来るのだろうか。
期待と不安を感じながら、お手並み拝見というところか。
最近のコメント