中性浮力の特訓2017年01月31日 01:13

中性浮力の特訓


大井町のプールも、あと1日だけ。

今日は、最終日の前日ということもあって、気合が入る。

で、浮沈子は、例によってペトレルを忘れてしまったので、記録はない。

1時間ほど、水底近くでトリムを取ったり、3m位でフィンワークを練習する。

夕方行ったら、30分くらいしてからにしてほしいと言われ、久々にジムのメニューをこなす。

最弱のウエイトトレーニングが、結構キツイ!。

ヤバイな・・・。

初心者向けのマシンだけ、男性向け最弱のウエイトを設定して、10回×2クールを行う。

自重筋トレも10回×2。

最近は、足上げはやらないで、腹筋のみ。

両手を体側に沿わせて行う。

その方が、楽だしな(←こんなことでいいのかあ?)。

まあいい。

その後、クロストレーナーを、クーリングダウンを兼ねて、ゆっくりとしたペースで漕ぐ。

これで、大体30分だ。

通常は、この後、プールで泳ぐんだが、今日はダイビングの練習。

その後、残タン使ってIE受験生の自主トレに付き合う。

淡水でウエットスーツでスチールタンクというのは、ちょっとかわいそうだ。

しかも、器材脱着とホバリング。

背中を下にして、仰向けで浮く感じになってしまう。

仕方ないんだが、実際の試験ではドライスーツということになる。

同じ環境でトレーニングしなければ、コツはなかなかつかめないんだが、それでも何とかぷかぷかしていた。

大したもんだな。

IE受けようというだけのことはある。

浮沈子は、同じコンフィギュレーションでは出来ないかもしれない。

アルミタンクでドーナツブラダーとかでなければ、難しいだろう。

柏崎さんは、タンクの位置を調整したりして、少しでも快適になるように配慮したり、呼吸のタイミングを指示したりして、ホバリングで静止する感覚を身に着けようと工夫している。

浮沈子も指導を受けたように、息を吐く時の勢いをつけるとうまくいく(吸う時は、上手くいくんだがな)。

ウエイトのバランスも重要だ。

呼吸を調整して浮力がコントロールできるオープンサーキットは、その機能を上手く使えば、ピタッと静止することも可能だ(浮沈子は、未だに出来ませんが)。

インストラクターは、教える立場で、上手くできない人に対してどうしたら出来るようになるかを常に考えていなければならない。

試験は、通過儀礼であって、実際のインストラクションでは、人に応じて様々な引出しを用意し、メニューを繰り出していく。

ホバリングも同じだな。

2人の受験生に対して、異なるアプローチで会得させようとしていた。

うーん、見事だな・・・。

明日は、プール最終日。

浮沈子は、最後のプール練習になる。

連続だけど、後顧の憂いをなくしておかなくてはならない。

ダイビングの奥は深い。

自分が上手く潜れるのは当然として、初心者やビギナーのスキルをどう上げていくか。

更に、上級者のスキルアップを如何にサポートしていくか。

経験も必要だし、考えることも重要だな。

今日は学ぶことが多かった。

マレスのフィンにもだんだん慣れてきて、少しバックワードキックのコツをつかみかけている。

トリムを取ることの重要性を痛感している。

崩れたフォームでは、全てが悪い循環に繋がっていく。

大井町のプールサイドは、レンタル用や預かりの器材が撤去されて、がらんとしていた。

本当に、ここが使えなくなるんだと、実感する。

もう、フルセットで置いてあるのは、浮沈子の器材だけだ(サイドマウントですが)。

明日は、泣いても笑っても最後の日になる。

藤上さんは、その思いもひとしおだろう。

ここで体験ダイビングして、ダイバーになり、スタッフとして勤め、インストラクターになったわけだ。

多くのダイバーを育て、スノーケリングの講習も開くようになった。

これからという時に、閉鎖になってしまう。

取り壊し・・・。

跡がどうなるのかは分からない。

6階部分には、テナントが入るのかもしれないし、7階部分は風呂になるという話も聞いた(いずれも、未確認)。

大井町ジェクサー自体が、4月にはリニューアルということで、1か月休止になる。

変化の時だな。

何事も、時とともに移ろい、同じ場所に留まることを知らない。

そこに集う人々もまた、去る者あり来る者あり、入れ替わっていく。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず(方丈記)。

同時代の災厄について綴られた作品だということだが、浮沈子は読んだことはない。

災厄といえば、米国がいよいよ一部の国々の人々に対する入国規制を始めたそうだ。

米国に対する災厄を未然に防ぐためということなんだろうが、とばっちりを被る人々にとっては、とんでもない災厄だな。

「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」

米国が閉鎖的になるのは、これが初めてではない。

いつか、揺り戻しが来て、大らかな大国の姿に戻ることを期待しよう。

しかし、極端だな。

ホバリングではないが、中性浮力を取るわけにはいかないんだろうか・・・。

忘却の彼方2017年01月31日 08:31

忘却の彼方


最近(?)もの忘れが多い。

昨日も、ダイコンを忘れた。

そればかりではない。

大井町に自転車でいくのだが、駅前の商業ビル(イトーヨーカドー)の駐輪場に停める。

100円払うと、ほぼ1日(10時間)停めていられるのだが、その料金を払う時に、駐輪機(つーのかあ?)の番号を入力しなければならない。

3桁の数字が覚えられない。

精算機の前で、しばし佇んだのち、諦めてもう一度確認しに戻る。

屈辱的な思いがこみ上げてくる・・・。

クッソーッ、こんなはずじゃなかったのに・・・。

ふつふつと湧き上がってくるやりきれない思いを噛み締めながら、再び精算機の前に立つ。

あれっ?、何番だっけえ???。

自己嫌悪の塊になりながら、再度確認に戻るわけだな。

いつも、だいたい同じ辺りに停めるので、番号が似通ってしまうということはある。

間違えると、100円が無駄になるので、念には念を入れる。

その行動パターン自体に問題はないのだが、その度に自己嫌悪に駆られる。

焦りと、屈辱と、悲しさと、諦めと・・・。

40代の頃から、8桁の電話番号が覚えられなくなった。

早見表を見て掛けようとするのだが、4桁ずつ見返さないと掛けられなくなる。

そう、あの頃は、少なくとも4桁は覚えられてたわけだな。

最近は、3桁も怪しい・・・。

覚えていようと意識しなければ、忘れてしまう。

そのうち、フィットネスのロッカーの暗証番号を忘れるようになるんだろう(これは4桁)。

毎回変えているわけではないし、物理的な鍵もあるので、設定しやすい番号で不都合はない。

最近、番号を変えた。

他の暗証番号と同じにした(もちろん、絶対秘密!)。

そういうのは、良くないと分かっていても、素っ裸のままで係の人を電話で呼び出す光景を考えると、覚えやすいのが一番だ。

短期記憶を司っているのは、脳の海馬と呼ばれている部位だと聞いたことがある。

(海馬 (脳))
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%A6%AC_(%E8%84%B3)

「特徴的な層構造を持ち、脳の記憶や空間学習能力に関わる脳の器官。」

「その他、虚血に対して非常に脆弱であることや、アルツハイマー病における最初の病変部位」

「心理的ストレスを長期間受け続けるとコルチゾールの分泌により、海馬の神経細胞が破壊され、海馬が萎縮する。」

ヤバイな・・・。

その形状がタツノオトシゴ(海馬)に似ていることから、名付けられたといわれている。

最近の研究では、ここから転送された記憶は、大脳に分散され、長期記憶として保存されるんだそうだ。

その際に、睡眠が果たす役割が重要視されている。

よく眠り、記憶の定着を図らなければならないな。

もっとも、大脳の方も怪しいので、余り送り込まない方がいいかもしれない(そうなのかあ?)。

まあ、どうでもいいんですが。

記憶力の減退に打ちのめされ、ようやく自転車を引き出して、冷え切った夜中の道を漕いで帰る。

ブリヂストンのバックライトは、LR44電池に換装していたが、発火防止のため太陽電池をテープで塞ぎ、ついでに光センサーも塞いで(!)、昼間からピカピカさせていたので、半年ほどしか持たなかった。

1個50円プラス税(近所の100均で、2個入り)。

アキバでは、250円プラス税で10個も売ってた。

ちゃんとしたニッケル水素のボタン電池がどのくらい持つのかは知らないが、250円で買えば、5年は持つ計算だ。

正規の電池がそれ程持つとは思えないし、300円以上はするから、どう考えても二次電池にするというのはいただけないな。

B社としては、太陽電池との組み合わせで、エコをアピールしたいのかもしれない。

まあいい。

浮沈子は、夜間走行では、もう一つのバックライトを点灯している。

こっちは防水ではないので、雨の日は使えない。

まあ、雨の日は、自転車に乗らないということもあるけどな。

昔は、ナンバーを合わせるチェーンロックをしていたんだが、最近は自転車の後輪を止めるふつーのカギだけ掛けている。

そう、番号を忘れるリスクがあるからな。

んじゃあ、物理的な鍵を忘れたり、落としたりするリスクはどうなのかということもある。

鍵など掛けずに停めておけるのが一番だ。

しかし、悪心(あくしん)を起こさせてはならないということもあるしな。

悩ましいところだ。

もの忘れの弊害は留まるところを知らない。

今日は、ダイコンを忘れないように、すでにバッグの中に入れている。

日々の予定も、ネット上のカレンダーに書き留めておくようにしている。

万全だ。

まあ、そのカレンダーを見忘れるという、救い難い状況ではあるがな・・・。

分断2017年01月31日 10:10

分断


米国の状況を、注意深く見ている。

我が国に対する影響ということもあるが、この国が置かれた歴史的な立場ということもあるしな。

大統領選挙の前から、ずーっとその兆しはあった。

そもそも、オバマが8年前に当選したとき、米国は分断の危機にあった。

国家を一つにまとめ、率いていくのが務めだから、対立を収め、統合に向かうのが政治というものだと思っていた。

少なくとも、表向きは、そういうメッセージを発信してきた。

しかし、対立は収まらず、潜在し、選挙の結果として表面化する。

一風変わった大統領で、米国第一主義を掲げながら、分断を加速しているようにも見える。

マスコミが、そう見せているだけかもしれないけどな。

浮沈子は、よその国の話なので、基本的にはどーでもいーと思っている。

その国の選択だしな。

しかし、とばっちりが来るのは御免被りたい。

今のところ、我が国は静観の構えだ。

つーか、呆気にとられているんじゃなかろうか?。

(孤立主義)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A4%E7%AB%8B%E4%B8%BB%E7%BE%A9

「第二次世界大戦前までアメリカ合衆国が原則とした外交政策で、モンロー主義に代表される。」

建国の時から、この国は一国主義的な要素を孕んでいた。

浮沈子は、戦後生まれの戦後育ちだから、世界中にちょっかい出しては戦争を輸出している国家と思っているが、元々はそうではない。

「第二次世界大戦が始まっても孤立主義の支持は根強く、是非を問う論争が続いた。しかしながら、この論争は1941年12月7日(米国時間)の日本による真珠湾攻撃によって終息し、アメリカは第二次世界大戦に参戦した。」

なんと、ウィキでは、引き金を引いたのは我が国だとある。

まあ、そういう見方もあるけどな。

戦後の冷戦、代理戦争、ソ連の崩壊を経て、世界の警察になったが、平和の報酬を求めてそこから手を引く。

米国は、再び貝の口を閉ざし始めた。

良し悪しの議論はあるが、この流れは止められないだろう。

国際社会を制御下に置こうという試みは、人類社会の中で何度も繰り返されてきたが、挫折、敗北、失敗、諦念の連続だ。

ヘタしたら、国連からも脱退するかもしれない。

まあ、それはないだろうけど。

いちゃもん着けるくらいはするだろうな。

そして、国際関係の解決は、貿易摩擦と戦争によって行われることになる。

関税を上げ、ブロック経済を築き、支配し、争う。

そうなるんだろうか?。

いまさら?。

世界中にサプライチェーンが張り巡らされている中で、そんなことが可能なんだろうか?。

人、モノ、カネを分断し、上手く回すことが出来るんだろうか?。

小国ならば、いざ知らず、米国の規模でそんなことが可能になるとは思えないけどな。

たぶん、実際は、ご都合主義で、抜け道だらけになることは見えている。

何か、特定の方針があってのことではなく、場当たり的で、不公平で、分かり辛く、特定の集団に阿った形になるんだろう。

もっとも、そうでない政策なんて、現実にはあり得ないけどな。

しかし、それを大っぴらにやろうというのは珍しいかもしれない。

([FT]米国の価値損なう入国制限(社説)米大統領令、際立つ恣意性)
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO12294620Q7A130C1000000/

「そして何よりも、共和党が支配する米議会に、政党よりも(民主主義の)原則を重んじる覚悟がどれだけあるのか、世界中が見守っている。」

だから、米国第一主義だってば!。

それを掲げて政権を取ったわけだから、正当性はそれしかない。

もっとも、何が米国第一かは、良く分からないけどな。

しかし、それを説明する気は毛頭ないように見える。

(「メディアは抵抗勢力。黙っていろ!」 トランプ氏最側近、バノン氏が痛烈批判)
http://www.sankei.com/world/news/170127/wor1701270025-n1.html

「メディアは抵抗勢力だ。彼らはこの国を理解していない」

その是非は別としても、事実として正しい。

浮沈子を含め、多くの人々はメディアを通じてしか米国を知り得ない。

どうあるべきかを語ることはたやすいが、どうであるかを語ることは困難だ。

そのことを、思い知ったわけだな。

世界は米国だけで出来ているわけでもなければ、その価値観が世界のスタンダードなわけでもない。

浮沈子から見れば、そうとう変わった国だ。

我が国は、別にそれに連なろうとしているわけではない。

そんなことが出来るのは、米国だけで、通商国家として立ち行かなくなれば、我が国は消えてなくなる(中国になっちゃうのかあ?)。

世界の多くの国々と仲良くして、米国以上に移民を制限しつつ、国防をおんぶにだっこしてもらって、急速に減少する人口を抱えながら、高齢化を乗り切り、国家の存続を図らなければならない。

米国は、一方的に我が国の国力を削ごうとしているように見える。

メディアのねつ造かも知れないけどな。

ともあれ、今までの様々なスキームが、音を立てて崩れ去っていくのを見守るしかない。

分断の構図が、米国だけではなく、世界中に広がっていこうとしているのかもしれない。

それが、どこまでも進むのか、それとも新たな平衡を見出すのか。

規制の撤廃による景気の浮揚に期待して、米国株価は上昇しているらしいが、それが本物かどうかわかるのは先の話だ。

この星の上で、小さな変化が起こっている。

その流れが、本流となり、大河となって世界を変えていくのか、それとも局地的な動揺に留まるのか。

それは、たぶん、誰にもわからないのだ。