試乗2012年08月30日 21:26

試乗


自動車の試乗(概ね新車)は、ちょっと勇気がいる。

もちろん、購入を前提にしているときは、何の遠慮も要らない。丸一日試乗してもいいくらいだ(ガソリン代、向こう持ちで?)。

一切買う気はなく、ただ、乗りたいだけ(ガソリン代、向こう持ちで!)。ほとんど、ガキの遊びである。その代わり、正直な感想を提供する。買わないのだから、思いっきり素直になれる。

ゴルフとか、巷でチヤホヤされている車だと、一層きつくなる(営業さんは、全然堪えていないようだ)。乗り出しで300万円の車なら、実用性だけではなくて、乗ることの喜びも求めたい、とか言ったんだけど・・・。

いいものは、やはりいい。この前試乗したポルシェのボクスター(981)は、手前味噌ではないが、ホントに良かった。買わない(買えない)けど。

マークXだって悪くはない。静かだし、乗りやすいし、目をつぶって乗れば、ベンツのEクラスだといっても分からないだろう。

自分の目で見て、自分の足で踏んで、自分の尻で感じる車の味。試乗記や、ビデオを見ただけでは決して分からない本物の感じ。

外車だからといって、ステータスシンボルなんていう感覚は、今や日本にはないだろう。実際、買いやすくなってきた。へたな国産車を買うくらいなら、外車を買って長く付き合うほうが経済的かもしれない(良い日本車に長く乗るのが最も経済的!)。

それよりも、いろいろ試乗してみて思うのは、国産、輸入を問わず、だんだんと自動車がせこくなってきているということだ。車重が軽くなり、燃費が良くなり、操作系が軽快になる。

一昔前は、自動車を運転するのは男に決まっていた(私自身は、決して男中心の考え方はしていない。男の子中心ではあるけれど)。フェラーリが、どこぞの女流作家に車を売らなかった話もあるくらいだ。

(貴女の細腕で操縦出来るフェラーリは無い。)
http://blogs.yahoo.co.jp/baronwk/8569358.html

しかし、今やそんなことは言っていられない。天の半分は女が支えているのである(もう少し、少ないかも)。

(世界男女比107:100、女性にはなお格差=国連報告)
http://news.livedoor.com/article/detail/5087002/

お父さんが満員電車に詰め込まれて働きに行く頃、お母さんは、ガキドモ(失礼!、お子様たち)と、ファミレスで涼んでいるのである。そして、足になるのは自転車か、コンパクトカーである。

べつに、ベンツでもいいんですけど。

初めて乗ったダルマのセリカ(1600ST)には、パワーアシストなんか無かった。マニュアルシフトで、ガンガン走った。男の車だったように思う。

(トヨタ・セリカ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%82%AB

全ての操作系が重く、左足と右肩が痛くなった。クラッチとハンドルのせいである。車重を見て驚く。こんなに軽かったっけ?。

そのセリカの名も、2006年で消えた。

20世紀の奇跡であった、自動車の歴史は、ここに来て大きく変わろうとしている。電子制御、電気自動車、カーボンファイバー、そして自動運転の時代がそこまで来ている。

男のクルマなんて、どこにもない。

ずっしりとしたステアリングフィール、速く走らせようとすれば、一筋縄ではいかないクセのあるエンジンや足回り、峠に何度も通って習得するドラテク、環境と財布に厳しい燃費、ひとしきり走った後は、ウ○コ座りしてしまうほどくたびれる運転。

夜中じゅう走って、眠い目で見る夜明けの光芒。

そうか、20世紀に夢見た21世紀は、とっくの昔に消えてしまって、足元に転がっているのは、矮小化されたチンケな未来、物理の法則を電磁石で誤魔化すまがい物の跋扈する、安物の世界だ。

いや、最新のアクティブコントロールといえども、良い駆動系や、操作系に組み込まれなければ、その機能を発揮することは出来ない。本物の安物を作るためには、本物に近い安物でなければならない。

物理の法則を誤魔化すことが出来るのは、最後の仕上げの部分、職人技のセッティングのところだけだ(これこそが、クルマに命を吹き込む)。

試乗車を降りて、ボクスターに乗り換える。ガソリン代、こっち持ちなので、ゆっくりと走る。2003年モデルだが、これは20世紀のクルマだ。PSM(ポルシェ・スタビリティ・マネージメントシステム)が介入してくるのは、最後の最後だけ。ポルシェは分かっているんだ。

自動車のどこに価値があって、ユーザーが何に金を払うかということを。

試乗車の余韻とボクスターの振動を重ねる時、自分が20世紀の自動車しか乗れない人間になっていることを思い知る。スイッチのようなアクセルや、カックンブレーキ、手の平でクルクル回るハンドルや、スイッチ一つで豹変するエンジンには、何の魅力も感じない(楽でいいけど)。

自分の足の裏に直結したエンジン、力を込めて切るハンドル、渾身の踏力で踏み込むブレーキ、手に汗握るコーナリング、ガソリンの残量が減っていくのが分かるほどの(超)高速クルージング。

みんな、消えてしまった。

そして、出来のよい小粒の車たちの天下になった。

さて、次は何を試乗しようか?。

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