人類の地平42013年07月06日 19:06

人類の地平4
人類の地平4


人間は、概ね脳によって認識を行っている。

(脳)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3

わずか1kgちょっとのこの神経細胞の塊が、宇宙の果てを観測したり、探査機を太陽系外に送り出したり、自らを他の天体の向こう側へ送り込んだりしている。

一体、なぜそんなことをするのだろうか。

ここでは、神とか精神とかいう、得体の知れないワケワカの話は棚上げにして、動物の神経系の成れの果てとしての、人間の脳という器官が作り出す、森羅万象について考える。

たとえば、こんな話がある。

(シミュレーション仮説)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E4%BB%AE%E8%AA%AC

「シミュレーション仮説(シミュレーションかせつ)とは、人類が生活しているこの世界は、すべてシミュレーテッドリアリティであるとする仮説のこと。」とある。

まあ、「マトリックス」の世界であると思えばいい。

(続編では、リアルワールドでも超能力使ったりしてますが・・・。)

(13F:画像参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/13F

「マトリックス-本作の同年に公開された映画。コンピューターによって作られた世界と現実との間を行き来するという設定が本作と類似している。」とある。

浮沈子は、グレッチェン・モルの密かなファンである。

んなこたぁ、どーだっていい!。

ここで、シミュレーション仮設を取り上げたのは、唯脳論的な話をするためではない。

(唯脳論)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%84%B3%E8%AB%96

「人は己の意のままにならぬ自然から開放されるために人工物で世界を覆おうとする。」とある。

そもそも、脳も自然の一部なので、ちと無理があるし、巣を作るツバメとどこが違うのか、浮沈子にはわからん。人工物もまた、自然の一部であり、放置されて数万年のときを経れば、元の自然に還っていく。

人間が作り上げた文明というシロモノも、いずれは朽ちる。

しかも、文明を作り上げた脳は、人工のものではなく、自然の産物であり、(今のところ)100パーセント天然である。

果汁10パーセント未満なんてことは、ないのだ!。

その脳が、電気の刺激で鮮明な記憶を得ることが分かっている。

(ワイルダー・ペンフィールド)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89

「開頭手術の際に脳を電極で刺激すると、鮮明な記憶がよみがえることを発見した。」とある。

このことは、脳という器官が、神秘なベールに包まれたものではなく、電気刺激というシンプルな作用によって、記憶を吐き出すという単純な機能を持った「普通の臓器」であることを意味している。

面白いのは、ペンフィールドが、後に実体二元論を唱えるようになったことの方であるのだが。

(実体二元論:精神と肉体は別というもの)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E4%BD%93%E4%BA%8C%E5%85%83%E8%AB%96

まあいい。

前に、このブログでもこんな記事を書いた。

(人工と自然(その2))
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2012/03/25/6386954

脳の機能を代替するチップが出来そうだというのである。

もはや、進化を止めてしまった脳幹や間脳(大脳の一部)などは、いってみれば首から下の制御機能なので、チップで代替することも可能なのではないか(脳死判定のときゃあ、困るだろうなあ・・・)。

問題は、大脳の機能が(進化の機能は別にして)代替可能かどうかということである。

浮沈子は、最近になって、感情とか、記憶とか、想像力といった高次の脳機能というのは、低次の脳機能を円滑に行うための潤滑油というか、補助的なものに過ぎないのではないか、社会集団を形成して、文明を営み、宇宙の彼方に思いを寄せたりすることは、成長し、子を成し、世代継承を行うという生物の基礎的機能を十全に行うための、単なる手段、付加的な装置に過ぎないのではないかと思うようになってきた。

大脳の高次機能が独立に何かの意義を持ったり、合目的的に作用することは、本質的にないのではないか。

自然の摂理の中で、逸脱することなく、安定的に種が維持できればそれでいい。

明確な根拠はないのだが、そうでなければ、神とか、仏とか、精神などという実体を伴わない人工の概念を持ち出さなければならなくなり、数学と同じく、仮定を作り出して、人工のロジックによって都合のよい結論を得るという、恣意的な議論になってしまう(飛躍しすぎ・・・)。

(中国語の部屋)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B

「中国語を理解できない人を小部屋に閉じ込めて、マニュアルに従った作業をさせるもの。」

この思考実験で、マニュアルを作った人間が中国語を理解できないで成立したなら、「そりゃ、スゴイ!」ということになるんだが、「中国語の理解」という機能を、単に外部化したに過ぎない。

(マリーの部屋)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B

クオリアの存在を思考実験によって主張しようとしたものだが、誤った仮定に基づく思考実験では、建設的な結論を得ることは出来ないという好例である。

浮沈子は、「マリーが白黒の部屋を出るときには、彼女は赤が何であるかを知らず、赤を見る能力もないだろう」という主張に、1票だな。

後段には、全色盲の科学者の話とか出てくるし(結局、色についてはワカラン!といっている)。

これじゃあ、話にならないじゃないですか!。

まあ、どうでもいいんですが。

(デイヴィッド・チャーマーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BA

(意識のハード・プロブレム)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%A0

「チャーマーズはサーモスタットや岩にも、人間のもつそれより遥かに単純であるにせよ、現象的意識がある、と主張する。これは一見かなり突飛な主張だが、精神物理法則を上のようなものとして考え、かつ「自然界の中で人間の脳は、取り立てて特別な何かではない」または「自然を統べる法則はすべての時・場所で共通である」という自然の斉一性を前提しさえすれば、当然の帰結として導かれる。」とある。

浮沈子は、どう考えても、岩はもとよりサーモスタットに意識があると想像することは出来ない。

構造と機能があれば、あるいは、情報とそれを表出する物理的実体があれば、その一方には心的なものがある、というのは、ちと論理的様式美に囚われすぎている。

意識や心といったものは、単に脳が作り出す神経的電気的な「ノイズ」に過ぎないかも知れないではないか。

その「ノイズ」自体に独自の存在意義を認め(哲学を含む「文学」とか「ゲージュツ」とか)、過剰に保護育成することによって、人類は、ある点で限界を迎えるのではないか。

人類の地平の第4は、大脳が作り出す高次機能の限界である。

この話、まだまだネタがありそうなので、機会があればまた取り上げる。

梅雨明け2013年07月06日 20:10

梅雨明け
梅雨明け


正式の梅雨入り「宣言」とか、梅雨明け「宣言」などというのは、ないんだそうだ。

(梅雨:日本)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E9%9B%A8#.E6.97.A5.E6.9C.AC

「日本では各地の地方気象台・気象庁が、数個の都道府県をまとめた地域ごとに毎年梅雨入り・梅雨明けの発表をする。」

「梅雨入り、梅雨明けしたと思われるその日(休日の場合は、以降最初の平日)に「速報値」として発表を行い、これが梅雨入り・梅雨明けの日として報道される。」

「その後、5月から8月の天候経過を総合的に検討し、毎年9月に最終的な梅雨の時期を「確定値」として発表する。」

「梅雨入りや梅雨明けの発表は、確定したことを発表するのではなく、気象庁によれば「予報的な要素を含んでいる」ので、外れる場合もある。」とある。

平日に行う、とあるが、いかにもお役所的な発表であるな。

オホーツク海高気圧が、梅雨前線を挟んで太平洋高気圧とせめぎ合い、太平洋高気圧が卓越して梅雨前線が北に押し上げられ、晴天が続くようになると梅雨明けとなる。

盛夏の到来である。

今日の最高気温は、東京の都心で33度7分、群馬県館林市では37度4分(体温より高い)と高くなり、気象庁は6日昼前、「関東甲信が梅雨明けしたとみられる」と発表した。

(関東地方が梅雨明け)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013070600148

「平年より15日早く、昨年より19日早い。」とある。

滅茶苦茶、早い!(温暖化かあ?)。

浮沈子のアパートのエアコンは、去年から故障中で、直す気がないもんだから、夏は暖房全開状態。去年は、水分の補給に失敗して、脱水状態になってしまった。

今年は気をつけよう(エアコン、直せば?)。

1年のうちで暑くて仕方がない時期は、7月から9月にかけての3か月弱で、寒い日の方が多いのだが、寒さは着込んで凌げても、暑さは凌ぐ方法がないので堪える。

シャワーを浴びたり、冷たいものを食べたりして体温の維持に努める。

昼間は冷房が効いたところにいるので問題ないが、夜寝苦しいのは困る。

雨に弱いオープンカーも、実は、暑い夏が苦手だ。

屋根を外して走っていると、頭の上で、目玉焼きが出来るんじゃないかと思うほど暑い!。

素直に屋根を締めて、03ボクスターなんぞは、良く利くエアコンを全開にする。

今日は、500Eでお出かけしたが、エアコンも快調で安楽ドライブであった。

省エネもいいけど、楽チンなのが一番である。

「生きる喜び」2013年07月06日 23:47

「生きる喜び」
「生きる喜び」


(ポルシェの新SUV、名称は「カイエン」(6/13))
http://www.webcg.net/articles/-/21118

「「カイエン(Cayenne)」は、世界各地で「痛快」「冒険心」「生きる喜び」を表す代名詞とされる。」とある。

(ポルシェ カイエン、累計生産50万台…11年で達成)
http://response.jp/article/2013/07/06/201657.html

ライプツィヒ工場での生産、トゥアレグとの兄弟車(どっちが、兄貴だあ?)、中国で大人気で、2年先まで予約で埋まっているSUV。

(500,000 Porsche Cayenne made in Leipzig:英語版の元記事)
http://www.porsche.com/usa/aboutporsche/pressreleases/pag/?pool=international-de&id=CF6C2CE00EEC5146C1257B9F002BBF08

50万台って、どのくらいの数なのか。

例によって、我が国が誇る世界のトヨタと比べてみよう。

(2013年 トヨタの自動車生産台数 (単位:台))
http://www.toyota.co.jp/jpn/company/about_toyota/data/monthly_data/j001_13.html

乗用車、商用車合わせて、毎月70万台以上の生産だから、50万台というのは概ね21日間、つまり3週間で作っていることになる。

これは、どういうことかというと、高付加価値製品と、一山10円の投売り自動車との違いである。

ちょっと言い方をかえれば、違う商品を作っているのである。

片や、宝石や毛皮が競争相手といい、片や、生活必需品である。

しかし、ポルシェにとって、カイエンというのはスポーツカーを作り続けてきた歴史の中で、画期的な展開だった。

出てきた車も凄かったが、この車を作ろうという決断も素晴らしい。

賭けは当った。

当初、日産70台だったが、今では5倍になっているという。

ポルシェの生産台数の半分以上を占める、押しも押されぬ主力車種である。

ポルシェといえば、カイエンとパナメーラで、この2車種で稼いだ金を、911やボクスターにつぎ込んで宣伝活動をしている感じであるな。

ボクスターやケイマンなんて、殆んど商売になっていないんじゃないの?。

まあいい。

カイエンは、以前ハイブリッドに試乗した。

(カイエン試乗)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2012/09/09/6568675

今読み返すと、顔から火が出そうだが、まあ、その時はそう感じたんだから仕方ない。

日本車では、何がライバルなんだろうか。

(ポルシェカイエンS試乗記:日本車にライバルはないと書いてある:下の方)
http://www.b-otaku.com/level1/sijyouki5/CayenneS-frame.htm

それでも、ランドクルーザーの名前が出てくる。

(THE KING OF 4WD LAND CRUISER“200”)
http://toyota.jp/landcruiser/001_p_006/concept/concept/index.html

「234kW(318PS)/5,600r.p.m.」

「460N・m(46.9kgf・m)/3,400r.p.m.」

「4,400,000円(消費税抜き4,190,476円)~6,350,000円(消費税抜き6,047,619円)」とある。

安い!。

しかし、実際の走りはどうなんだろうか。

(【新車のツボ33】トヨタ・ランドクルーザー 試乗レポート)
http://sportiva.shueisha.co.jp/series/newcar/2012/05/15/33___split/

この評価で、一番高いの持ってこい!で、600万円台ならカイエンでなくても納得ではないのか?。

この他にも、兄弟車のトゥアレグ、Q7や、ダイムラーのGL、ボルボのXC90、BMWのX5などがライバルになっている。

まあ、日本じゃあんまり乗るとこないのかもしれない。

クロカンとかやらないので、この手のクルマの本当の底力を知る機会がない(浮沈子が生息するのは、舗装道路の上だけ)。

そんでもって、この手のクルマで、高速を200km以上でぶっ飛ばすこともない。

まあ、生きる喜びというよりは、「生きて帰れてヨカッタ!」という喜びに浸れるクルマなのかもしれない。

そんな車を、ランクルの倍の値段で50万台も売ったのだから、やっぱ、ポルシェのブランド力はスゴイのだろう。