21世紀のクルマ2015年10月21日 01:11

21世紀のクルマ


設計自体は20世紀だが、その作りと乗り味は21世紀のクルマそのもの。

走る、曲がる、止まるという、クルマの基本性能をとことん追求して、専用のオープンボディに載せたファンカー(ポルシェはプロムナードカーといってますが)である。

03ボクスター。

986型、2.7リッター水平対向自然吸気6気筒エンジン。

リアウインドウがガラスになって、ほぼ986型の最終型(後期)。

エンジンは228馬力。

前後とも、マクファーソンストラットで、当然、コイルスプリングである。

当時は、たぶん、600万円を切っていたと思われる個体だが、シートヒーターとか、オプションが付いているので、若干高いかもしれない。

気分転換に、83タルガと入れ替える。

1983年から2003年へ。

世紀を超えて、ポルシェが何をしてきたかが、この2台を乗り換えたとたんに分かる。

ボディの作りや、エンジン、サスペンションに至るまで、ソフィスティケートされた乗り味。

作りこみの良さ、スムーズさ。

最近流行の電子制御は、限定されているとはいえ、PSMとかしっかりついているボクスターに、破綻はない。

オートマ(ティプトロニック)だが、街乗りではこの方がいい。

たぶん、サーキットでも、浮沈子の腕では速いに違いない。

真夜中の道を、ひた走る。

風が首の後ろに巻き込むのは、83タルガと同じだ。

冬に向けて、マフラーと耳当てを調達しなければならない。

以前もネットで探したのだが、適当なものが見つからなかった。

オープンカーの専門店を当たってみる必要があるかもしれない。

サイドウインドウを閉めれば、巻き込みは抑えられるが、それではオープンに乗っている意味が半減する。

真冬に、ヒーターギンギンに効かせながら、しっかり着込んでフルオープンで乗るのが正しい。

このクルマ、やっぱ手放せない。

浮沈子をポルシェに出会わせてくれたクルマだ。

無理せずに、扱いやすい車種にして正解だった。

初めから83タルガのような、コテコテの911だったら、少し印象が違っていただろう。

最近の981の試乗もしたが、986の緩い感じはない。

ガッチリとした、ポルシェらしい乗り味になっている。

サスペンションの固さや、エンジンのフィーリングを電子の力で魔法のように変える。

別のクルマだな。

986は優しい。

多少、腹筋を鍛えられるところはあるが、街乗りで流して走る程度なら、日常でも使える。

峠とか、サーキットでそれなりのペースで走らせれば、筋肉痛3日分くらいの走りは出来るだろう。

でも、83タルガに比べれば優しい。

現代の991に比べてどうだろう?。

変幻自在の21世紀のクルマは、浮沈子には分からなくなっている。

理解を超えていて、乗せられている感が強い。

そういうクルマを所有したいとは思わないな。

身近に置くのは、気心の知れたクルマがいい。

20世紀のクルマ、電子の魔法が掛かっていないクルマだ。

しかし、エンジンとかは、20世紀から電子の力を借りている。

500Eも、03ボクスターも、コンピューターのマップに従って、エンジンに燃料を噴射し、タイミングを計って火花を飛ばす。

排気ガスの有害成分を減らして、燃費良く(あまり良くないですが)、環境にも優しい(ハズ)。

83タルガは、そういう仕掛けは、最小限だ。

ガソリン臭く、昔のクルマの匂いがする。

それでも、浮沈子の感性には一番響くクルマだ。

03ボクスターに乗っていると、21世紀のクルマの感覚に近い(まあ、一応、21世紀のクルマですから)。

サスペンションも、エンジンも、完成度が高く、ボディもガッチリしている(オープンカーのくせに・・・)。

ブレーキにはABSが付いているし、ハンドルはパワステだ。

PSMは、スピンを防ぐ補助機能だし、エンジンの制御は当然コンピューターがやっている。

ドライバーは、適当にアクセル吹かしてハンドル切るだけでいい。

そのうち、そういうことも含めて、コンピューターがやることになる。

(トヨタ、自動運転車の試乗で感じた「可能性」
市販化は2020年頃、コストや耐久性に課題)
http://toyokeizai.net/articles/-/87762

(トヨタの自動運転、まだ乗り越えていない壁
首都高のデモ走行体験で見えてきた)
http://toyokeizai.net/articles/-/88573

(トヨタが目指す「究極の安全車」の現在地
自動運転プロジェクトのキーマンに聞く)
http://toyokeizai.net/articles/-/88782

たまたま、今日読んだ記事の関連記事を拾ってみた。

トヨタは、グーグルに比べると、遥かに遅れている感じがする。

(クリス・アームソン: 自動運転車は周りの世界をどう見ているのか)
http://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20150914-00002291-ted

浮沈子が乗っている3台のクルマが、自動運転の夢を見ることはない。

人間に操られ、その意思のままに動くように仕立てられた機械だ。

人間なしには、ピクリとも動かない。

浮沈子には、機械というのはそういうものだという、刷り込みにも似た感覚がある。

コンピューターのように、ネットに接続して、何かをしましょうかなどと聞いてくることはない。

キーを回し、エンジンを始動して、初めて役に立つ道具だ。

言われた通りにしか動かないし、それで十分だ。

そのために、教習所があるし、交通ルールや信号機もある。

そういったものを、全部チャラにして、機械が勝手にクルマを動かすなどというのは、許し難いことのように思える。

100歩譲って、高速道路走行だけ自動運転にしてもいいが、左車線だけにしてもらいたいもんだな。

駐車場に03ボクスターを停めて、カバーを掛けながら、21世紀のクルマがどうなっていくのかを考える。

どうなってもいいが、運転の自由を奪うことのないようにしてもらいたいな。

確かに、自動運転にした方が安全かもしれないが、それは、もはや自動車ではない。

電車やバスなどの公共交通機関だ。

タクシーくらいなら自動運転にしてもいいが、自分で運転する自由を奪われるのは辛い。

しかし、これからの人々は、クルマを運転するという行為を、野蛮で危険な行為と感じることだろう。

あんなもんを、人間が操作するなんて、とんでもない!。

許しがたい暴挙だ!。

まあいい。

そういう時代になってきたということなんだろう。

いい時代に生まれたのかもしれない。

浮沈子が運転免許証を返上する頃、巷では、自動運転に対する大議論が沸騰しているかもしれないな。

まあ、どうでもいいんですが。

自分で運転できなくなれば、浮沈子は、自動運転に大いに賛成することだろう。

身勝手な、年寄りの本領発揮というところだ。

それまでは、せいぜい安全運転に徹して、20世紀のクルマを転がすことにしよう。