原発との共存2012年04月24日 04:03

原発との共存
原発との共存


今、この時期にこんなことを書くのは馬鹿だと思う。しかし、自分がその一部である自然のなかで、その自然の恵みを享受しながら生活しているということを考えると、しっかりと書いておかなければならない。

人間は、原発と共存することでしか生きられない。

核融合を含めた原子力エネルギーなしには、生きていけないのだ。エネルギー密度の小さい太陽光発電や、風力、波力発電、立地に制限のある地熱発電など、いくらも候補はあるが、石炭、石油、天然ガス等の化石燃料に比べれば、扱いづらく、集約化も図りづらい。

もちろん、化石燃料の燃焼に伴う二酸化炭素の発生や窒素酸化物の発生は問題であり、石炭火力に至っては、放射性物質の発生もある。将来的には枯渇の問題もある。

人間は、何としても原子力エネルギーをものにして、これと共存していくしかないのだ。

事故は、また必ず繰り返されるだろうし、被害も出る。将来にわたって放射性物質の蓄積が起こり、障害が発生するかもしれない。しかし、それでもそれらを乗り越えて、この技術を確立し、活用していくしかない。

それが、人間の宿命なのだ。

重い話である。軽々しく語ることは許されないことは分かっている。具体的な数字や、根拠を示して論理的に説明することは私にはできない。何の拠り所もなく、世迷言を並べているだけなのかもしれない。無責任極まりない態度である。

百も承知なのだが、それでも人間は、核エネルギーを手放すことはないだろうし、結局、それに頼って生きていくしかないと確信している。

原子力エネルギーは、エネルギー密度が高く、取り扱いが容易で管理しやすいからだ(たとえば太陽光に比べて)。そして、万が一環境中に漏出した場合でも希釈・拡散されて生物濃縮されにくい(ヨウ素などを除けば)。

多くの化学物質に比較しても、発がん性を有意に高めるためには、相当程度の被曝が必要だし、急性放射線障害などはめったに起こることはない。

この文明の恩恵を放棄して、未来の人々がわずかなエネルギー資源での生活を受け入れるか、放射能と共存して、豊かなエネルギーによる生活を享受するか。

スリーマイルを起こした米国は、今でも世界最大の原発所有国であり、チェルノブイリを起こしたロシアも、多くの原発を事故後に建設している。フクシマの事故に苦しむ我が国も、50機の原発の再稼動に向けて動き出した。

人間が原子力エネルギーを捨てるなどということは、あり得ない話だ。それは、人間が全ての武器を捨てて、戦うことを止めることよりもあり得ないことだ。

核融合にも放射能汚染はある。

このことは、別の機会に書くことにしようと思っているが、考えようによっては核分裂生成物(放射性廃棄物)よりも始末に負えないものだ。

しかし、それでも人間はその開発や実用化に向けての努力を続けているし、これからも続けていくだろう。

放射能、原子力エネルギー、核廃棄物、言い方は様々で、色々な角度から色々な表現がされるだろうが、化学エネルギーや物理エネルギーではない、原子核エネルギーについて人間が知ってしまった以上、それを止めることは人間にはできない。

もっとも、そのために全ての人間が滅んでしまったとすれば、話は別なのだが・・・。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
kfujitoの徒然の筆者のペンネームは、
「○○子」です。
○○を記入してください。

コメント:

トラックバック