一蓮托生2013年03月13日 22:54

一蓮托生
一蓮托生


(焦点:787型機問題、米当局の監督体制に疑問の声)
http://jp.reuters.com/article/jp_boeing/idJPTYE92305P20130304?sp=true

このところ、いろいろ雑事が重なって、B787問題に構っていられなくなっていた。

業界癒着というか、一体というか、この記事から窺うことが出来るのは、「安全」を担保することの困難さ、というよりは、安く、早く、遠くを追求してきた航空業界が辿りついたところが、ここだったという訳だ。

安全は、最早、当局が監督しているから担保されるのではない。

事故が起こった時に負担する支払いを賄う保険料と、それを上乗せした運賃が、収益最大になるような価格設定となるかどうかの経済原則だけで担保されている。

人の命は、金で購えるというのが、航空災害の経済論だ。さもなければ、飛行機なんてものが客を乗せて飛ぶなんていう商売が、許されるはずがない。

空気より重い物は、飛んではイカン!(この前、エジプトで熱気球の事故があったばかり・・・)。

その、米国の「規制」当局が、発火を前提に改良されたバッテリーを搭載した試験飛行を認めたという。

(米FAA、787の試験飛行許可)
http://jp.reuters.com/article/jp_boeing/idJP2013031301000981

来月の商業飛行再開が見えてきたというわけだ。

しかし、日経はこんな記事を載せている。

(バッテリー本体を精査、ボーイング787で米当局 米紙報道)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGN13001_T10C13A3000000/

WSJの記事だそうだ。

残念ながら、有料会員でないと読めない。

例のデンドライトのことなのかもしれないが、詳細は不明だ。

(デンドライト)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/02/13/6720264

手前味噌で恐縮だが、ちょうど1か月前になる。

発火の確率を十分に低くし、事実上、電池としての寿命内では起こり得ないほどに小さく出来れば、この問題にもケリがつくのだろうが、そう簡単にいくのだろうか。

国家運輸安全委員会(NTSB)は、独立の組織である。

(国家運輸安全委員会)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E9%81%8B%E8%BC%B8%E5%AE%89%E5%85%A8%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A

来月にはフォーラムや公聴会(ヒアリング)を実施するとしている。ここでは、事故の原因究明に力点が置かれ、改善を規制当局に勧告するわけだ。

メーカーと一蓮托生になってしまった規制当局とは、一線を画している。

FAAは、前門のトラと後門の狼に睨まれているわけだ。

浮沈子は、運行再開されてもしばらくは乗らずに済むからいいが、フィリピンエアが導入したら乗らざるを得なくなる(今のところ、発注はないようだ)。

顧客は、航空機を選ぶことが事実上出来ないのだ。

ホームに入ってくる電車が気に入らないからといって、乗らないわけにはいかない。陸上ではクルマに乗るという手もあるが、島国ニッポンは、海を越えていかなければならない。

当局には、公共交通機関としての安全を、「独立に」担保する責任があると考えるのは間違っているのだろうか。

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