オーマイガー!2013年07月12日 00:04

オーマイガー!
オーマイガー!


(アシアナ機墜落の瞬間がカメラに)
http://www.cnn.co.jp/video/11281.html

「韓国アシアナ航空214便が米サンフランシスコ国際空港で着陸に失敗し炎上した事故で、その瞬間を収めたビデオがあることが分かった。」

このページで見ることが出来る(オーマイガー!)。

事故機が尻餅を搗いた後、大きく跳ね上がって回転しながら叩きつけられた様子が見て取れる。

これだけの事故で、死者が2人というのは、奇跡に近い。

一方で、こんな記事もある。

(避難開始は90秒後=機長ら判断に遅れ-アシアナ機事故・米)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2013071100255

火災が発生しなければ、そのまま機内に留めるつもりだったのだろうか?。

「機体の外で火災が発生している」とあるが、エンジンなんだろうか?。

機体の火災は、内部からではないのか。

「二つの脱出用シューターが機内で膨らむ」とある。

なんか、謎の多い事故である。

(激突前「まばゆい光」…アシアナ事故で乗員証言)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130711-OYT1T00320.htm?from=ylist

「NTSBは10日、操縦していたパイロットが韓国航空当局の調査に対し、護岸に激突する34秒前の高度150メートル付近で、「まばゆい光を浴びて前が見えなくなった」と証言していたことを明らかにした。原因については「一時的な問題だろう」としている。」

なにやら、怪しげな情報も飛び出しているようだ(UFOとか・・・)。

ちょっと異なる観点からの記事もある。

(アシアナ機事故、脱出時に荷物抱えた中国人画像で論議)
http://www.cnn.co.jp/world/35034591-3.html

「米大手アメリカン航空の乗員から多数の中国人は座席で安全ベルト着用や着陸時に座席を元の位置に戻すことも拒否し、重量過多の荷物を頭上の収納室に押し込むなどとの苦情を聞いたと指摘。」

「旅客機によっては乗務員の指示に従わない乗客は最高で1500米ドル(約14万7000円)の罰金に直面するとの機内放送を中国語で何度も流さなければならない」

「「これらの乗客は誤った振る舞いをすれば緊急着陸の際、自らの命がなくなることを知らないのだろうか」と締めくくった。」

「アシアナ機事故を調べる米運輸安全委員会(NTSB)は、乗客の振る舞いが避難作業の安全性や効率化にどう影響したのかについてこれまでコメントなどは出していない。」

まあ、コメントしない方が無難だな。

タイトルとは関係なく、シートベルトの着用についての記事もある。

(アシアナ航空事故、「中国人で幸い」韓国番組司会者が発言)
http://www.epochtimes.jp/jp/2013/07/html/d14630.html

「2人とも、機外に投げ出された。しかし、現地の消防当局によると1人の遺体には車に轢かれた痕が残っているという。救助に駆けつけた救急車に轢かれた可能性が出ているため、すでに検死に着手し、死因の特定を急いでいる。」

「もう1人について、救助に当たった医師の話によると、事故発生当時、シートベルトを着用していなかったことが分かった。」

救助に来た救急車に轢かれるというのは飽きれた話だが、機外に投げ出されたのは、おそらくシートベルトをしていなかったからではないか。

この2人も、シートベルトをしていれば、助かっていたかもしれない。

かつて、日本人は、団体旅行で我が物顔に振る舞い、世界各国の顰蹙を買った。

今や、韓国、中国が、その役を買って出ているわけだ。

パスポート、現金、貴重品。浮沈子は、飛行機の中で、全て身につけている。完全に手ぶらで放り出されても、問題はない。

もちろん、これらが無くても、命さえ無事ならどうにでもなる。

パスポートは再発行されるし、現金や貴重品は、保険で賄うことができる。

しかし、命が償われることはない。

物に不自由し、物に価値を見出し、物を多く持っている人がエライと思っているうちは、豊かとはいえない。

もちろん、物が人を豊かにしてくれる面があることは事実だが、物が無くても豊かになることはできる。

物に頼らずにどれだけ豊かに過ごせるかが、本当の豊かさの証なのだが、プライスレスな豊かさを追求するには、最低限の物は必要である。

我が国は、もう少しで、その豊かさを享受できるところまで辿りついた。

自動車が売れなくなり、ケイタイが普及していることは、その現れかもしれない。

貧しい時代の日本人である浮沈子は、クルマを3台も所有し(バイクや自転車やCCRもあります)、電子デバイスが溢れる部屋に住むが、必ずしも豊かとはいえない。

CNNの記事は、中国人の振る舞いについての記事であるが、耳の痛い記事でもある。

コンチよ!・・・2013年07月12日 01:49

コンチよ!・・・
コンチよ!・・・


(コンティネンタル: 自動運転の開発に注力)
http://www.continental-corporation.com/www/pressportal_jp_jp/themes/press_releases/1_topics/pr_2012_12_18_automated_driving_jp.html

レスポンスの記事になっていた。

(自動運転はすぐそこまで来ている…コンチネンタルが描く車両制御技術のロードマップ)
http://response.jp/article/2013/07/11/202011.html

「なぜクルマが事故を起こすのか? その76%が運転者の判断の間違いです。そして、70%の重い事故は回避できます。さらにアクティブとパッシブ・セーフティを統合することにより、ゼロ・アクシデントを可能とします」

コンチネンタルコーポレーション、シャシー&セーフティー部門取締役会メンバーであり、コンチネンタル・オートモーティブ社長も務めるChristoph Hagedorn(クリストフ・ハゲドーン)氏(その名前が、妙に気になる・・・)の説明とある。

事故防止、安全性の向上のためという、錦の御旗の下、自動車の商品性の向上(と、デバイス会社の売り上げ向上)のために、自動運転を推し進めようという、ボッシュもデンソーも、ネコも杓子も同じ、金太郎飴のような話が書いてある。

コンチよ!、お前もか・・・。

(コンチネンタル (自動車部品製造業))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB_(%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E9%83%A8%E5%93%81%E8%A3%BD%E9%80%A0%E6%A5%AD)

まあいい。

利益追求をなるべく表に出さずに、ソサイアビリティを前面に押し立ててくるパターンも、度重なるといささか鼻についてこないでもない。

「驚くべきは、その実験車の内容だ。なんと、テスト用の自動運転車に装着されるコンポーネンツは、すべて量産車に採用されているものばかりであったのだ。」

「これまで、自動運転車といえば、屋根の上に大きなカメラを載せ、いかにも特別しつらえといった出で立ちであった。」

浮沈子は、実験車の内容にはあまり驚かないが、「屋根の上のカメラ」というのは、記者の勉強不足を曝け出していて、ちょっと驚く。

(360度の視界)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/06/23/6874772

まあ、レスポンスだから、大目に見てもいい(玉石混交の媒体だし)。

「そして、最終的な目標が2025年。」

「高速道路での完全な自動運転だ。時速130km以上での走行を可能とする。」

「ドライバーはハンドルの前に座る必要はない。」

2025年といえば、あと12年である。

高速道路に限定されていても、完全自動運転が可能になるわけだな(コンチは、かなり現実的なプランを選択したようだが、これでは事故をゼロにはできないだろう)。

そうなったら、追い越し車線を法令を無視してトロトロ走るクルマもいなくなって、思いっきり床まで踏めるわけだ!!(そうじゃないって・・・)。

レスポンスの記事は、コンチのホームページの記事の丸写しであるが、ネタ元が同じなので、やむを得まい。

画像はコンチのページからダウンロードしたものだが、(建物が円筒形のビルばかりというステレオタイプの未来都市は別にして)自動運転のクルマが走っている高速道路の反対車線は、どうやら右側にあるようだ。

右側通行の国らしいのだが、そんな設計ってあるのだろうか?(下のレベルの高速は、対向車線はちゃんと左側にある)。

まあ、どうでもいいんですが。

電動操舵装置2013年07月12日 04:21

電動操舵装置
電動操舵装置


(さらば機械式ステアリング)
http://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1210/19/news017.html

前の記事で使った画像を見ていて、自動運転になってハンドル操作が必要ない時に、運転席のハンドルは、邪魔者以外の何物でもなく、メーターパネルに映し出される動画などの鑑賞の妨げになることに気付いた。

(コンチよ!・・・)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/07/12/6899081

まあ、将来は、電動アシストパワーステアリングではなく、完全電動ステアリングが登場して、必要ない時にはリュック・ベッソンの「タクシー」じゃないが、ステアリングを外してしまって、すっきりした運転席周りを実現できるんじゃないかと思って、調べてみた。

なんと、初出の記事には、既に市販化と書かれている。

(「インフィニティQ50」がラインオフ、ハイブリッドやステアバイワイヤを搭載)
http://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1305/15/news021.html

(インフィニティ・Q50)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BBQ50

(日産 スカイライン 次期型、インフィニティ Q50…米国先行受注は3650台)
http://response.jp/article/2013/07/11/201945.html

「Q50は8月5日から、全米のインフィニティ販売店に並べられる予定。」

なんと!、あと1か月もしないうちに、未来がやってくるというわけである。

長生きはするもんだ。

バックアップのために、ステアリングコラムは残されていて、クラッチで繋ぐことができるようになっているが、普段は接続されていない。

路面のフィードバックは、センサーが感知した情報を、アクチュエイターに伝え、バーチャルに再現するのだという。

世も末だな・・・。

応答速度の向上、選択的なステアリングフィールの演出、そして、完全自動運転への布石・・・。

アクセルもクラッチもブレーキも電気になってきた。最後の牙城といわれたステアリングが、この夏、電気になる。

夏といえば、終戦記念日(敗戦の日?:この日は、なぜか祝日ではない!)。

(峠三吉)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%A0%E4%B8%89%E5%90%89

「ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ」

浮沈子の好きな有名な詩であるが、この詩が、朝鮮戦争の際に、米国が中国に対して原爆を投下しようとしたことをきっかけに詠まれたものであるとは、知らなかったな。

(吉永小百合が朗読する「人間をかえせ」:朗読聞けます)
http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_ca56.html

「わたしにつながる にんげんをかえせ」というところが、この詩の優れたところである。

インセクト・ビューから、バーズ・ビューへの転換が行われ、個人の意識が人類全体の意識に普遍化される瞬間である。

この詩は、人類恒久の平和を希求する形で終わっているが、私たちにある問いかけを残している。

それは、その「くずれぬへいわ」を実現するためにはどうしたらよいかということである。

その答えは、実はこの詩の中にちゃんと書いてある。

人類意識から個人意識へ、バーズ・ビューからインセクト・ビューへ回帰することである。

世界平和とか、戦争をなくそうとか、個人の日常とはかけ離れたことを考える時、峠は「人間一人ひとりの実践によって、人類の願いは実現するのだ」と明記しているのである。

平和を希求する極限の個の意識の中に、人類意識を見出したということは、ひるがえってみれば、逆に、人類意識の変革は、個の意識の変革なくしては有り得ないという、至極当然の結論になる。

当時の中国は、占領下にあった日本にとっては、朝鮮戦争においては敵国であったわけだ。

敵国に対する戦争行為の批判ということになる。

時代や状況が切迫する中で、普遍的な価値を見出すことは困難であったに違いない。

それを、一人ひとりの意識の中に求め、導き出したわけだな。詩人の透徹した感性は、時代を超えた真理を捉えたのである。

まあ、その後の展開によって、今日の朝鮮半島や東アジアを巡る状況が生まれたわけだから、あの時、何発か落としていれば良かったんじゃないのか?。

そしたら、ノドンとかテポドンもなかったろうし、中国艦隊が太平洋を我が物顔に遊弋することもなかったろうし、尖閣問題も起こらなかったろうし・・・。

歴史に「もしも」はないのだが、不謹慎な想像を逞しくすれば、ひょっとしたら、峠は余計なことをしてくれたのかもしれない(すいません、冗談です、勿論)。

まあいい。

この詩を持ち出したのは、ほかでもない、電動操舵装置のことを書いていて、ふと幻聴が聞こえたからである。

シリアスな詩を茶化すつもりはないのだが、アナログ的機械大好き人間の浮沈子としては、それは、こんな風にも聴こえてくる・・・。

「前輪につながる すてありんぐをかえせ」

絶句!・・・。