幻の迎撃機 ― 2013年08月15日 00:07
幻の迎撃機
怒りの空を飛ぶことなく、開発途上で消えていった軍用機・・・。
その中で、一際目を引く異形の迎撃機があった。
その名は、「震電」。
局地戦闘機というカテゴリーなんだそうだが、要撃機(迎撃機)の別称である。
(要撃機)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%81%E6%92%83%E6%A9%9F
「爆撃機が飛行する高高度へ短時間で到達するための強力なエンジン、頑丈な爆撃機を撃ち落すための大きな攻撃力が求められる。反面、あくまで対爆撃機用の機体であり、対戦闘機戦闘はあまり考慮されていないため、運動性・格闘性能はあまり重視されない。」
もちろん、現代では爆撃機よりも、ミサイル攻撃の方がヤバクなったこともあり、純粋な迎撃機は姿を消した。
多用途戦闘機(マルチロール機)の機能の一部として運用されている。
F-15や、F-16を、迎撃用として配備しているわけだ。
搭載されるミサイルとの組み合わせが重要らしい。
というより、迎撃用ミサイルの発射基地として運用するわけなんだな。
昔のように、ゴーっと爆撃機が飛んでくると、シュワッチと発進して、ドンドンと迎撃して降りてくるという、分かりやすい形ではないのだ。
第二次世界大戦末期、Bー29の爆撃に晒されていた日本は、特殊な形状の迎撃機を開発していた。
(震電)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%87%E9%9B%BB
ツルのように細い前脚、先尾翼機特有のすっきりとしたノーズ、空のRRに相応しい、胴体後部のプロペラ、みょうちくりんな垂直尾翼と補助車輪・・・。
「自然界に無い様な形状のものには何かしらの欠点があるはずだ。鶴野はそれに気づいていないのだ。」
「1944年11月、技術者を集結させた九州飛行機は通常1年半は掛かる製図作業をわずか半年で完了。約6000枚の図面を書き上げる。」
「1945年8月3日、試験飛行にて初飛行に成功。続く6日、8日と試験飛行を行ったが、発動機に故障が発生し三菱重工へ連絡をとっている最中に終戦となった。」
なぜ、このような航空機が構想されたのか。
「前翼機では武装を前方、エンジン及びプロペラを後方に配置することで機体容積を有効に活用でき、同じ重量の武装であれば機体をより小型にすることが可能となる。従って機体が受ける空気抵抗も減少し、従来型戦闘機の限界速度を超えることが可能となる、というのがその基本理論であった」というのである。
まあ、前方に武装を搭載することがない乗用車では、エンジンを後方に積む絶対的なメリットは、トラクションだけだろう。
機体容積の有効活用による小型化、軽量化が、限界速度の向上に繋がるというのは、説得力のある理由である。
迎撃機は、爆撃機の飛来高度に素早く上昇する必要があったのだ。
先尾翼機については、以前もこのブログで触れている。
(先尾翼機)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/06/02/6832881
「エンテ (Ente) とはドイツ語で鴨のことで、鴨が飛ぶ姿に似ていることからこう呼ばれる。エンテをフランス語に直訳したのがカナール (canard) で、これを英語読みしたのがカナードである。このようにエンテとカナードは同じ語源であるが、カナードは通常、(三翼機のものも含め)前翼自体を意味する。」
ウィキの解説にあるように、もともと、鴨が飛ぶ姿・・・というわけだ。
(カモ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%A8
どうも、鴨葱が気になる。
まあいい。
結局、終戦によって生産型に着手することなく、開発が打ち切られたわけだ。
ある意味で、最後の迎撃機であったのかもしれない。
戦後、数多く登場した迎撃機は、様々な任務をこなせるマルチロール機へと変化していく。
高高度爆撃機を迎撃するという航空需要は、下火になっていくのだ。
この横から見た画像は、どことなく、ポルシェのシルエットに似ている。
スラントした前部、キャノピーの立ち上がり角度、リアへなだらかに落ちていく後部。
くどいようだが、空のRRである。
似ていて当然といえば言える。
ポルシェは、三菱や、サーブやBMWなどのように、航空機産業への関与を積極的に行ったわけではない。ただ、航空機エンジンの製作を行ったことがある。
(ポルシェ PFM3200)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7_PFM3200
3,164ccの排気量をもつこのエンジン、930カレラのエンジンそのものである。ターボが付いたモデルまである。
だれか、このエンジンを、カナード機に積んで飛ばないかなあ!。
怒りの空を飛ぶことなく、開発途上で消えていった軍用機・・・。
その中で、一際目を引く異形の迎撃機があった。
その名は、「震電」。
局地戦闘機というカテゴリーなんだそうだが、要撃機(迎撃機)の別称である。
(要撃機)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%81%E6%92%83%E6%A9%9F
「爆撃機が飛行する高高度へ短時間で到達するための強力なエンジン、頑丈な爆撃機を撃ち落すための大きな攻撃力が求められる。反面、あくまで対爆撃機用の機体であり、対戦闘機戦闘はあまり考慮されていないため、運動性・格闘性能はあまり重視されない。」
もちろん、現代では爆撃機よりも、ミサイル攻撃の方がヤバクなったこともあり、純粋な迎撃機は姿を消した。
多用途戦闘機(マルチロール機)の機能の一部として運用されている。
F-15や、F-16を、迎撃用として配備しているわけだ。
搭載されるミサイルとの組み合わせが重要らしい。
というより、迎撃用ミサイルの発射基地として運用するわけなんだな。
昔のように、ゴーっと爆撃機が飛んでくると、シュワッチと発進して、ドンドンと迎撃して降りてくるという、分かりやすい形ではないのだ。
第二次世界大戦末期、Bー29の爆撃に晒されていた日本は、特殊な形状の迎撃機を開発していた。
(震電)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%87%E9%9B%BB
ツルのように細い前脚、先尾翼機特有のすっきりとしたノーズ、空のRRに相応しい、胴体後部のプロペラ、みょうちくりんな垂直尾翼と補助車輪・・・。
「自然界に無い様な形状のものには何かしらの欠点があるはずだ。鶴野はそれに気づいていないのだ。」
「1944年11月、技術者を集結させた九州飛行機は通常1年半は掛かる製図作業をわずか半年で完了。約6000枚の図面を書き上げる。」
「1945年8月3日、試験飛行にて初飛行に成功。続く6日、8日と試験飛行を行ったが、発動機に故障が発生し三菱重工へ連絡をとっている最中に終戦となった。」
なぜ、このような航空機が構想されたのか。
「前翼機では武装を前方、エンジン及びプロペラを後方に配置することで機体容積を有効に活用でき、同じ重量の武装であれば機体をより小型にすることが可能となる。従って機体が受ける空気抵抗も減少し、従来型戦闘機の限界速度を超えることが可能となる、というのがその基本理論であった」というのである。
まあ、前方に武装を搭載することがない乗用車では、エンジンを後方に積む絶対的なメリットは、トラクションだけだろう。
機体容積の有効活用による小型化、軽量化が、限界速度の向上に繋がるというのは、説得力のある理由である。
迎撃機は、爆撃機の飛来高度に素早く上昇する必要があったのだ。
先尾翼機については、以前もこのブログで触れている。
(先尾翼機)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/06/02/6832881
「エンテ (Ente) とはドイツ語で鴨のことで、鴨が飛ぶ姿に似ていることからこう呼ばれる。エンテをフランス語に直訳したのがカナール (canard) で、これを英語読みしたのがカナードである。このようにエンテとカナードは同じ語源であるが、カナードは通常、(三翼機のものも含め)前翼自体を意味する。」
ウィキの解説にあるように、もともと、鴨が飛ぶ姿・・・というわけだ。
(カモ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%A8
どうも、鴨葱が気になる。
まあいい。
結局、終戦によって生産型に着手することなく、開発が打ち切られたわけだ。
ある意味で、最後の迎撃機であったのかもしれない。
戦後、数多く登場した迎撃機は、様々な任務をこなせるマルチロール機へと変化していく。
高高度爆撃機を迎撃するという航空需要は、下火になっていくのだ。
この横から見た画像は、どことなく、ポルシェのシルエットに似ている。
スラントした前部、キャノピーの立ち上がり角度、リアへなだらかに落ちていく後部。
くどいようだが、空のRRである。
似ていて当然といえば言える。
ポルシェは、三菱や、サーブやBMWなどのように、航空機産業への関与を積極的に行ったわけではない。ただ、航空機エンジンの製作を行ったことがある。
(ポルシェ PFM3200)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7_PFM3200
3,164ccの排気量をもつこのエンジン、930カレラのエンジンそのものである。ターボが付いたモデルまである。
だれか、このエンジンを、カナード機に積んで飛ばないかなあ!。
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