パソコンの終焉2013年08月25日 03:54

パソコンの終焉
パソコンの終焉


コンピューターを個人が複数所有する時代が来ることは、分かっていた。

それが、やがて、ネットワーク化され、サーバーが提供するサービスの端末として使われるようになることも、分かっていた。

固定電話が、携帯電話に取って代わられていくように、持ち運びのできるノートパソコンが、個人ユースでは主流になるだろうということも、分かっていた。

唯一、分からなかったのは、携帯電話がパソコンに取って代わり、タブレットの登場で、それが一気に加速して、パソコンを駆逐しようとしていることだった。

しかし、このことは、1970年に作成された、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」の中で、明確な形で表現されている。

(サムスン、iPadのデザインは映画『2001年宇宙の旅』に既出と主張 (動画))
http://japanese.engadget.com/2011/08/23/ipad-2001/

この映画の中では、ノートパソコンはおろか、デスクトップ型のパソコンさえ登場しない。

その形が登場するのは、後に作られた「2010」という続編の方だった。

どちらが未来を見ていたのか。

HAL9000というのは、大型汎用コンピューターなのか、実際には、モジュール化された、分散型の光デバイスを使ったブレードコンピューターのような姿をしている。

(1月12日は『HAL 9000』の誕生日)
http://wired.jp/2011/01/14/1%E6%9C%8812%E6%97%A5%E3%81%AF%E3%80%8Ehal-9000%E3%80%8F%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F%E6%97%A5/

よく登場する、赤い一つ目のユニットは、ヒューマンインターフェースであって、HAL9000の本体ではない。

これは、今でいえば、クラウドのようなもので、高度で高速なコンピューティングを映像化するための表現の一つに過ぎない。

もっとも、木星軌道のように、通信が数十分かかるような状況では、ネットワークを使ったクラウドコンピューティングは使用できず、一切合財を積み込んでいくしかない。

そして、人間とのコミュニケーションは、音声と画像認識を使用したヒューマンインターフェースにより行われる。

キーボードとかは、一切出てこないし、いわゆるパソコンのモニターもない。

コンピューターは、ユビキタスに存在し、どこにいてもアクセスできるようになっている。

HAL9000は、全てのデバイスをコントロールしているので、人間が何かをそこから取り出したり、入力したりすることはない。

故障したユニットのワイヤーフレーム画像が出てくるシーンがあるが、HAL9000が「自主的に」表示したものである。

登場するタブレット型の端末は、どうやら人間がチェックしたりするメモパッドのような使い方や、BBCの録画を見るためのものらしい。

本当の端末なのだ。

IBMは、汎用機メーカーとして、コンピューターの未来を、このように見ていたのかもしれない。

パーソナルコンピューター=パソコンは、どうやら、一時期の流行で、これからは、クラウドコンピューティング端末として、コンピューターのユビキタス化が完成するまでの、過渡的なデバイスとして使用されていくに違いない。

将来は、町の中や、公共インフラ(道路や街灯)などにインターフェースが仕込まれて、それこそグーグルグラスのようなウエアラブルなデバイスか、脳内埋め込み式デバイスによって、ヒューマンインターフェースをとるようになるだろう。

パソコンという存在が、消える時である。

もちろん、文字を使ったコミュニケーションは残るかもしれないし、絵画や映像などを作成するためのデバイスは必要だ。

だが、そのツールは、電子ペンや、電子筆だったりする。

指とか、手の平かもしれない。

あるいは、脳波を読み取って、そのまま入力していくことになる。

それは、クラウドの向こう側で動くアプリケーションによって行われ、クラウド上で保存され、共有され、消費される。

そこに、パソコンが介在する余地はない。

インターネットを介したサーバーサイド処理を実現した時、こうなることは分かっていたはずである。

その時が、近付いてきた。

(米マイクロソフトのバルマーCEOが1年以内に退任へ)
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MRZJF16VDKI401.html

10億人の顧客をもち、パソコンのOSとキラーアプリを独占してきたマイクロソフトも、転換点を迎えている。

「ハードウエアとサービス」を提供する企業への転換を図ろうとしている。

もはや、ソフトを売る会社ではないのだ。

Xボックスで、ネット越しにワープロと表計算ができるようになるとか、そういう話ではない。

しかし、まあ、イメージとしては近いのかもしれない。

ビジネスモデルとしては、アップルのそれに近い。

そのハードウェアにしても、早晩、ホワイトボックスになる。

(将来は世界市場の76%がタブレットPCになる!?)
http://ascii.jp/elem/000/000/786/786299/

(ホワイトボックス (パソコン))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%9C%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9_(%E3%83%91%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%B3)

タブレットが流行りの昨今だが、これも一時の流行に過ぎない。

ウエアラブルになるまでの、つなぎといってもいいだろう。

その先にある、本当の未来、人類の意識が、ネットワークによって統合されていく世界を、浮沈子が見ることはないだろう。

コンピューター(エニアック)の登場から67年が経ち、世界は再びジャイアントブレインを志向し始めているのだ。

(ENIAC)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ENIAC

(メインフレーム)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0

「ペンシルベニア大学の学生は1995年にENIACを7.44mm x 5.29mmのシリコン基板上にトランジスタを0.5umのCMOS技術で174,569個形成する事により再現した」

かつてのジャイアントブレインは、ワンチップのデバイスになり、新しい歴史が書き加えられている。

パーソナル端末、パーソナルターミナルの時代。

略して、パソタン(?)または、パソター(??)。

なんか、締りのない略称であるな。

「生殖」の碑2013年08月25日 13:02

「生殖」の碑
「生殖」の碑


「聖職の碑」なら、聞いたことがある。

(聖職の碑)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E8%81%B7%E3%81%AE%E7%A2%91

いや、観たことがある。

鶴田浩二の印象が深い。

大竹しのぶって、出てたっけなあ?。

八甲田山は、秋吉久美子の印象が強い(女っ気のない映画だし・・・)。

まあ、どうでもいいんですが。

表題の「生殖」のほうは、エッチな話ではなく、真面目な話である。

(40歳以上は推奨せず 卵子凍結、学会指針 将来の妊娠希望で歯止め)
http://sankei.jp.msn.com/science/news/130823/scn13082321590005-n1.htm

(結婚より「卵子の凍結保存」を希望する米国女性)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1600V_W3A510C1000000/?df=2

(凍結卵巣について)
http://conceive.blog81.fc2.com/blog-entry-146.html

卵子どころか、卵巣丸ごと凍結保存して、自家移植して妊娠するという荒業(?)もある。

「治療前に二つある卵巣のうち一つを摘出、表面付近の組織を取り出し、液体窒素などで急速冷凍。がん治療後にもう一つの卵巣に移植する。」とある。

なるほどね、臓器丸ごとの移植ではないのだ。

冷凍保存は、一気に行わないと、組織を損傷してしまう。

臓器丸ごとというのは、まだまだ実験段階なのだろう。

(リプロセルフバンク)
http://reprosupp.com/project/reproselfbank.html#prettyPhoto

(体外受精)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%93%E5%A4%96%E5%8F%97%E7%B2%BE

体外受精の治療方法としての地位は、既に確立しており、エンブリオロジスト(胚培養士)なる職業もあるようだ。

(臨床エンブリオロジスト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E5%BA%8A%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%83%88

今回、話題になったのは、不妊治療ではなく、「ウミドキ」を選ぶために、健康な卵子(不健康な卵子というのもあるのか?)というか、若くピチピチした、受精したくてウズウズしている卵子(老化していない卵子)を凍結保存して、将来、理想の夫が現れた時に、お相手のイキのいい凍結精子と合体させて、子供を授かるという、まるで、残業で観ることが出来ないテレビ番組を、録画しておいて、後から再生して観るみたいな感じ(!?)。

それとも、お相手の方は、ナマなんだろうか?(ピピーッ、この話題、ここまで!)。

まあいい。

いわゆる、普通の妊娠をパスして、冷凍した素材(!)を、適当な時期に適当な相手とミックスして、場合によっては、代理出産とかで産んでもらって、子育ての美味しいところだけ戴こうというわけだ。

一度きりの人生を、自分の理想とするパートナーを見つけるために有効に使い、結婚、妊娠、出産、育児という重労働を軽減し、あるいは、タイムシフトするという、誠に結構な話である。

「アメリカの中流社会では、結婚の際には収入や学歴より、「魂のマッチング」を重視する。結婚は「真の親友、ソウル・メイトを探し当てた証し」だという、超ロマンチック主義なのだ。」とある。

「生物学上、このような選択を迫られない男性を羨ましく思いつつ、この分野が将来どう伸びていくのか、変わりゆく生殖分野の将来を、興味深く思っている。」と結ばれている。

しかし、先の引用の中では、こうある。

「精子は40歳から妊娠能が低下します。晩婚化が進む中、例え既にお子さんがいらしても、2子目以降の妊活が40歳の場合は精子濃度や運動性の著しい低下によって男性側の不妊要因が発生します。」

「「自分の精子は今、元気かな?」「将来に備えて保存したいな…」そんな不安もご相談ください。また、がん治療によっても妊娠能が低下するため、病気の治療前の精子保存によって受精能を温存できます。」

オトコだって、選択を迫られているのだ!(誰もが、池端清亮(上原謙の本名)ではない・・・)。

(上原謙)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E8%AC%99

まあいい・・・?。

今後、完全試験管ベビー(文字通り、一切母体のお世話にならずに産まれてくる赤ちゃん)が誕生してくるようになると、有性生物の基本的特性である生殖とは何かという、本質的な問題に立ち至る。

(「すばらしい新世界」実現迫る?:2002年のネイチャー記事)
http://www.h5.dion.ne.jp/~allinone/natureland/bio/womb.html

(すばらしい新世界)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84%E6%96%B0%E4%B8%96%E7%95%8C

遺伝子的には、別に人工子宮で培養されても全く問題はないが、さて、このブログでは、マトリックスで表現されていたような、「生まれることのない胎児」、つまり、遺伝子バンクとして、継代培養されるエンブリオについても考えておきたい。

まあ、ちょっと、刺激が強すぎるので、お子様向けではないが。

一度も子宮に入らないので、現行法では自然人としての権利はない。何してもいいということになるのだろうが、見た目は、完全なヒトである。

ただし、臍の緒は、死ぬまで付いているし、肺呼吸することも、経口で食事を摂ることもない。

性的に成熟するまで培養されると、生殖細胞を採取されて、破棄される(燃えるゴミの日に、出すのかあ?)。

うーん、どう考えても、倫理的な問題があるな。

やはり、生殖という概念の原点に帰って、DNAのミキシングレベルで留めておくべきなのだろう。

遺伝子を抜き取った卵細胞に、両親(?)のDNAを混ぜて製造したミキシングDNAを核に移植する。

んでもって、あとは、ちゃんと発生させて、人工子宮で育てて産まれてくれば、何の問題もない(ほんとかあ!?)。

問題なのは、両親のDNAに、遺伝的な欠陥が多いことだろう。

タバコ吹かしたり、ヤクをやったり、原発事故の放射線をしこたま浴びたり、CCRで酸素吸いまくったりした挙句、ボロボロになった遺伝子を、生殖という修復行為で直して、親の因果が子に報いないようにするのが自然の摂理なんだが、それでも遺伝子欠陥が修復されないまま、胎児側に受け継がれてしまうとか、そもそも受精の際に、欠陥が新たに生じてしまうということはある。

ヒトの全遺伝子配列が明らかになったのだから、遺伝子を解析して発現形を自由にデザイン出来るようになるのは、時間の問題であろう。

DNAの人工合成は、既に現実の話になっているので、生殖は、そのうち、コンピューターの中で行われることになるのだ。

「ねえ、髪の色は、やっぱり黒がいいわよねえ?」

「どうせ、チャパツに染めるんだろうから、生まれた時から茶色がいいんでね?」

パソコンを見ながら、こんな会話が行われてから9か月後、クロネコヤマトの宅急便が届く(生もの・取扱注意・天地無用!)。

なんと、届いた赤ちゃんは、金髪だった!。

さっそく、ラボにクレームを入れる。

「いったい、どうなっとるんだ!。」

「お客様、当社は市場分析の結果、お子様が成長なさった時代には、金髪に染めることが流行していると判明したため、スペシャルサービスとして、金髪にて出荷しております。」

「もし、お気に召さなければ、お取替えも可能ですが、いかがいたしましょうか?。」

「また、9か月待つことになるのかね?。」

「いえ、一部の修復ならば、一週間程度で可能でございます。」

かみさんが、横から口を挟む。

「ねえ、金髪もいいんじゃない?。このまま、育てましょうよ!。」

「いや、実は俺もそう思っていたところなんだ。おっ、今笑ったんじゃないか?。」

まあいい。

恋愛、結婚、妊娠、出産、育児と、ほとんどそのためだけに一生を費やす時代は、過去のものになりつつある。

いま、このブログを綴っているパソコンが、生殖の碑になるのかもしれない。

RRの復権?2013年08月25日 20:04

RRの復権?
RRの復権?


今、ここに1台のクルマが登場しようとしている。

その名は、BMWⅰ3。

(「電気で走る」だけじゃない)
http://www.webcg.net/articles/-/28954

ちょっとクセのある記事で、読みづらいところはあるが、BMWが仕上げたシティ・ラナバウトの出来は、上々のようだ。

「実際に振り回してみると、タイトスラロームや低中速コーナーでガシガシ負荷が乗る状況でもi3は一向に破綻する気配をみせない。高速コーナーは試せていないが、今回の試乗での穏やかな流れ出しをみてもトリッキーな挙動は極力封じ込められているとみていいだろう。むしろ細いタイヤと軽い上屋のコンビネーションが軽妙にして確実なロードコンタクトを持つなど、よくできたいにしえのコンパクトカーのようなフィーリングを備えていることにニンマリさせられた。」

「アクセルを踏んだ瞬間、間髪入れず放たれる強力……どころか全力のモータートルクを特殊なサイズのタイヤで抑え込む。特性的に考えるとなおさらに、トルクステアの影に悩まされるFFよりもRRのほうがEVには合っているのではないかという気がしてくる。特にドライビングファンを追求するならば、EVにおける後輪駆動の優位は、ガソリンエンジンのそれとは比較にならない。i3には、そう思わせるだけの面白さが備わっている。」

しかし、本当にそうなのか。

電気自動車は、モーターよりも重量が嵩むバッテリーを無視して、重量バランスを語ることは出来ない。

全体の重量分布をみると、MRといった方がいい。

確かに、駆動輪はリアであろうが、モーターの搭載位置としては、どこでも良く、ロスを最小限にするために、駆動輪の近くに置いたに過ぎない。

既に、どこにモーターを搭載するかということは、サスペンションの電子制御やブレーキの捌き、モーター出力のコントロールを考えた時に、さほど意味を持たなくなっているのではないか。

(新RR時代)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/07/03/6885471

(新RR時代2)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/07/03/6886658

今、読み返してみると、少し表層的な気がする。

エンジンでアクスルを回す時代には、たしかにFFか、FRか、MRか、RRかといった、エンジン搭載位置と駆動輪の関係は、重量の静的バランスや、加速時や、コーナーリングの際の動的バランスに大きな影響があり、大きな意味があった。

エンジンが、クルマの重量物であるという自明の前提があったわけだ。

EVや、FCVの場合には、この前提が大きく変わり、原動機搭載位置と駆動輪の組み合わせで車を語ることの意味がないのではないか。

浮沈子は、インホイールモーターが普及するかどうかが、電気駆動車のキーポイントであると見ているが、そうなると、この議論の意味すらなくなってしまう。

RRなどという、レトロな構成の話が、ブログネタになるのも、今のうちかもしれない。

FFMRなⅰ82013年08月25日 22:59

FFMRなⅰ8
FFMRなⅰ8


今、ここに1台のクルマが登場しようとしている。

その名は、BMWⅰ8。

(新時代の到来を告げる唯一無比のi8)
http://allabout.co.jp/gm/gc/425987/

唯一無比というのが気になったので、調べてみた。

(唯一無二という言葉はインターネットの辞書で意味が書いてあるのですが 唯一無比と...)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q142761694

無比という言葉が、薬のムヒ(株式会社池田模範堂のかゆみ止め)の語源とは、知らなかったな。

正確無比とか、冷酷無比などと使われるのが一般で、唯一無比というのは、余り聞かない。

天下無比というのも、天下無双という方が、通りがいい。

漢文の素養のない浮沈子には、馴染めない言葉だ。

まあいい。

で、ⅰ8だが、フロントにモーターを積み、フロントアクスルを駆動し、ミッドシップしたエンジンでリアアクスルを駆動する、FFMRとでも表現すべき構成をとっている。

これは、次期ホンダNSXと酷似している。

(動画の一部:この動画は消されたらしい)
http://blog-imgs-51-origin.fc2.com/g/o/o/goodboy22ch/k2m13050136-41_1.jpg

まあ、NSXの方は、前輪のモーター2つに差動かけて曲がるらしいが。

ⅰ8は、西川淳によれば、まだ煮詰めの甘さがあるようだが、プロトタイプにジャーナリストを乗せるほどに仕上がってきたというところか。

(2014 BMW i8 Hits The Nürburgring: Video:ニュルを走る動画観られます)
http://www.motorauthority.com/news/1053087_2014-bmw-i8-hits-the-nrburgring-video

西川淳のレポートの最後に、気になる一言があった。

「ライバルはズバリ、ポルシェ911、とみた。」

ほんとかあ?。

将来は、乗り降りのし易さを考慮して(違うでしょ!?)、オープンも登場する(画像参照)。

今のところ、スポーツタイプに、一向にハイブリッドを導入する気配のないP社は、どこ吹く風。

彼らが見ているのは、あくまでもフェラーリのケツ(もとい、後姿)である。

ただし、918の後に続くモデルは、ハイブリッド化される公算が高い。

次期992型911が怪しい。

982型のボクスター・ケイマンが先になるかもしれない。

その前に、パナメーラクーペ辺りで、サウンドする可能性もある。

もはや、P社といえども、世の中の流れには逆らえないのだ。