サイドマウント器材選択(その3)2014年01月05日 11:24

サイドマウント器材選択(その3)
サイドマウント器材選択(その3)


UTDというメーカーがある。

(UTD Equipment)
http://utdequipment.com/index.html

ここは、MCCRも作っていて、浮沈子はサイドマウント化するに当って、そっちの方でチェックしたことがあるのだが、スタイルとしては酸素シリンダーを隠しているので、ズルだな!。

(左か右か、それが問題だ)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/01/06/6683628

まあいい。

んでもって、ここがサイドマウント器材を出している。

アルファシステムという名前のバックマウントシステムに対して、サイドマウントはZシステムという。

中間、飛ばし過ぎじゃね?。

まあ、どうでもいいんですが。

(Z Side Mount)
http://utdequipment.com/new/pages/systems/z_side_mount.html

そんでもって、浮沈子が注目したのは、このシステムのブラダである。

(Z–Trim)
http://utdequipment.com/new/pages/systems/components/z-trim.html

世良さんのところで見たときは、カッコ悪いので良く見なかったのだが、浮き袋が縦に分割されているようだ。

なんか、ビーチ用のマットみたいでダサダサなんだが、これは、サイドマウントの場合、非常に有効なのではないかと考え始めたわけだ。

実は、イントラにXディープのブラダーはどうよ?、と聞いてみたのだが、左右に傾いた時にエアが偏ってしまって、コントロールが難しいという。

ホリスの50とか、ダイブライトのヤツも同じで、真ん中に浮き袋があるタイプには、共通の特性なわけだ。

もっとも、センターだけに浮き袋があればいいが、幅がある場合は、浮いた側にエアが偏って、復元がしにくいという理屈は分かる。

キャメルバックの水筒を改造した自作ブラダーを使用しているイントラ自身が言うのだから、間違いはなかろう。

それに対して、UTDのZシステムの場合は、センター部分にエアがホールドされているので、容易に復元力が働くという理屈である。

実際に使用したときにどの程度のものなのかは不明だが、道理に適ってはいる。

浮き袋を分割するということは、厚みをセーブすることに繋がるので、遊泳時の抵抗や、洞窟や沈船などのペネトレーションの際に有効だろう。

プロ仕様を選べば、背面のプロテクトも強化してあり、そのあたりの製品展開に抜かりはない。

(Z–Tec Pro)
http://utdequipment.com/new/pages/systems/components/z-tec_pro.html

リフトパワーも、この手のブラダーとしては標準的なものだ。

さて、どうしたものか。

世良さんのところ(EX Scuba)へは、別途お買い物に行くので、その時に、改めてじっくりと見てみよう。

グアム潜脱2014年01月05日 22:43

グアム潜脱
グアム潜脱


出国手続きを終え、グアムの空港でビーフカレーを平らげた(まーた食ったのかあ?)。

「てんてこ舞」という店名の割には、暇そうなんだが・・・。

ここのビーフカレーは、一応食える。

美味いといってもいい。

アーモンド型の型抜きのライスが、昔懐かしい。

もっとも、浮沈子の近所の中華屋で、マーボーライスを頼むと、同じような型抜きのライスが付いてくる。

中華屋だぜ!?。

まあ、どうでもいいんですが。

ダイビングを終えて、24時間以上たっても、陸酔いが直らないで困る。

このブログを書きながらも、ゆーらゆーらと揺れている。

脳の回路が、シー・スピナー(Vハルのダイビングボート)の揺れに同期しているのだろう。

フライトまで、あと2時間程あるのだが、ボーッと待つしかない。

インターネットも繋がらないし(みんなパスワードが掛っている)、暇つぶしといえば、このブログを書くだけ・・・。

そう、サイドマウントについて、再考してみるよい機会だ。

水平姿勢になりやすいとか、陸上での負担が少ないとか、浮沈子も感じる様々なメリットは、しかし、導入を図ろうとしている指導団体の謳うメリットであって、ダイバーにとって、真のメリットではないのではないか。

そもそも、バックマウントでシングルタンク、バディシステムでオクトパス装備という現在のスタイルも、そうやって指導団体が作り上げたものだ。

それが、彼らにとって、ダイビングをビジネスとして展開する上で都合が良かったからに他ならない。

浮沈子の感覚からすれば、リブリーザーでなくたって、ベイルアウト用のステージボトルを持たずにダイビングさせるなんて、安全管理を考えたら有り得ないだろう。

実際にバディシステムが機能するためには、最低でも中性浮力の維持は必須だし、自分の残圧が少ない時に、ファーストが壊れたバディには貴重なエアをくれてやらない、という緊急避難的な選択も有り得る。

裁判になっても、浮沈子は勝てると思っている。

それが証拠に、パディのショップで記入させられる誓約書には、バディシステムの遵守についての記述は一切ない(少なくとも、浮沈子は読んだことがない)。

エア切れや、ファーストの故障、高圧ホースの破裂などに対するエクスキューズとしてのバディシステムについて、指導団体自らが、最初から機能しないことを認めているのだ。

歯に衣着せずに言えば、どうせ死ぬなら、一人で死んでくれ!、というのが、パディの姿勢なのである。

その方が、下手にバディを道連れにされるよりは、保険の支払いが少なくて済むのだ(二人死なれると、倍かかる!!)。

浮沈子は、伊豆大島のバディズベルに初めて行った時、そこに書かれた建立の由来の意味が、実は良く分からなかった。

伊豆でダウンカレントに掴まったバディを助けようとして、自らも帰らぬ人となった、大島出身の若いダイバーの父親が立てた碑である。

そのころは、浮沈子はダイバーではなかったし、今でも人の子の親ではない。

しかし、今は、はっきりとわかる。

若いダイバーはバディシステムの犠牲者であり、相方を見殺しにしてでも帰ってきて欲しかったというのが、父親の絶叫にも近い本音であり、しかし、その自己犠牲の姿を称揚することによって自らを慰め、息子を弔おうとしているということが。

もちろん、これは浮沈子の勝手な想像だし、当事者が不快な思いをされるなら、平に謝るしかないが、ここで言いたいのは、シビアアクシデントの際には、バディシステムは裏目に出ることがあるということだ。

もちろん、互いをチェックし合い、行動を共にすることによるトラブル回避の効果が大きいことを否定するつもりはない。

また、ダブルタンクであったとしても、ダウンカレントなどには対処できないだろ?、という突っ込みも分かる。

しかし、現在のバディシステムの限界を知り、こういう場合には、バディを見殺しにしてもいいということは、明確に意識すべきであると考える。

それを伝えずに、バディシステムだから安全だと謳うことは、犯罪に等しい。

レジャーダイビングに対する、当局の公式な規制は一部の国を除いてはないと聞いている。

民間企業である、指導団体のやりたい放題である。

規制当局にしても、業務潜水の規制に精一杯で、余程の政治問題にでもならない限り、レジャーダイビングに手を出す気はないようだ。

自由放任、自己責任の世界である。

死して屍、拾う者なし。

そもそもが、そんな過酷なレジャーを商売のタネにして、広く普及させるなんて、元々考えられない話なのである。

まあ、この話を始めると、ダイビングなんか止めちまえ!、という究極の選択になるので、これ以上は踏み込まない(浮沈子は、基本的にはそう考えている)。

話をサイドマウントに戻す。

浮沈子は、サイドマウントのダイバーにとっての最大の利点は、ダブルタンクの運用が比較的楽に出来るということに尽きると考えている。

そして、2ダイブ目には、新しいタンクに付け替えるのだ。

毎回、満充填のタンクを2本、持って入るのである。

そして、明確に、バディシステムの限界と、自己責任について指導していただくわけだな。

ガスについては、バディ同士、互いに依存することなく、チェックや、その他のトラブルについてのみ、限界を踏まえて協力し合えば、安全性はより高くなる。

長時間の潜水に対する抑制については、それこそ、タンク容量に依存するのではなく、知識として教え、遵守を指導すべきだ。

ダイビング自体を金儲けの手段にするなどという不埒な考えは捨てて、ビフォアダイブや、アフターダイブで稼いでいただいた方がよい。

もちろん、2ダイブでタンク4本使っても、同じ料金でやっていただければ、なおよろしい(できれば、ナイトロックスで!)。

サイドマウント講習の海洋ダイブを行って、いささかインデペンデントダブルタンクの使い心地の良さを味わったくらいで、大きな口を叩くのもいかがなものかと思うが、以上が現在の偽らざる感想である。

ちなみに、浮沈子のレジャーダイブでのオープンサーキットの本数は、生涯で40本程度であり、いわゆるセルフダイビングの経験はない。

金魚の○ンのように、他人様の後を付いて泳ぐのがせいぜいである(たまに、息切れして付いていけないことも・・・)。

機上の空論(グアム編)2014年01月05日 22:45

機上の空論(グアム編)


夕日が雲海に沈み、その残照のグラディエーションが空の水平線(雲平線とか、いうのかあ?)の彼方に、濃いオレンジ色から濃度を落として黒とも灰色とも群青ともいえない空の色に溶け込んでしまうのを、窓から眺める。

そう、今回は、帰りの便のA列(西側の窓際)なのだ。

この、時間と共に移り変わっていく様を見ていると、夜の帳が降りるのではなく、オレンジ色の残照が、暗い夜空に溶けていくように感じられる。

777は、今回、初めて往きも帰りも乗ったのだが、噂に違わぬ名機である。

離陸も着陸も、極めて安定しているし、飛行中の揺れも少ない。

3時間の飛行で降りてしまうのが、惜しいくらいだ。

帰りの機材は、36列目だが、足元も広く過ごしやすい。

日本時間の6時頃に書いているのだが、地球の大気圏と宇宙の境目にある最後の明かりが消えようとしている。

客室はもちろん満席であるが、なんと、この機材には天井のモニターがない。

緊急時の説明も、乗務員が実演する。

今まで、数多くの飛行機に乗ったが、こんなのは初めてであった。

ユナイテッドも、LCCになったのかあ?。

まあいい。

安全は、全てに優先する。

飛行の安全が、最大のサービスである。

777に乗って飛行できるだけでも、その恩恵を被ることになるわけだ。

しかし、もちろん、この機材だって、初めからうまくいったわけではない。

777を業界では「トリプルセブン」と呼ぶらしいが、就航直後は様々な不具合が出て、整備部門では「トラブルセブン」と渾名されていたらしい。

運行するキャリアや、メーカーであるB社の弛まぬ努力によって、世界に冠たる航空機に成長したわけである。

この航空機の設計段階で、ワーキング・トゥギャザーという開発手法が採られたことは有名である。

ユーザーであるキャリア各社のみならず、製造部門とも摺り合わせを行い、また、CADアプリのキャティアによって、世界中の設計部門が、24時間体制で取り組み、短期間のうちに完成させることができた。

しかし、それでも、実際に使ってみて初めて分かる不具合というものはあったわけで、実践の中で鍛えられて初めて実用に耐えられる、ホンモノの道具になるわけだ。

そして、その経験は、次の航空機に生かされる。

最新のボーイングは、最良のボーイングといいたいところだが、787は、生憎、そうではなかった。

全く新しい発想で設計された787は、完全に新世代の航空機で、機体設計、動力系統の設計も、従来の航空機と一線を画していた。

そのため、各部の要素技術の統合で、様々な齟齬が起こり、信じられないようなトラブルが頻発した。

空気よりも重いジェット旅客機という機械は、元々、物理の法則を無理矢理捻じ曲げて、推進力を揚力に変換して宙に浮いている。

その推進力を得るためのエンジンが停止し、再起動するための電力を賄うバッテリーのトラブルという、深刻な問題が起こったことは記憶に新しい。

一般のメディアも大きく報じた。

多くの人命を預かる旅客機は、規制当局による審査を経て、安全性を確保してから運行されているはずである。

運行開始後にトラブルが多発したことは、この審査体制への信頼を揺るがしたといってもいい。

話は変わる。

安全を考える上では、ダイビングもその一例かもしれない。

当局による規制が及んでいるのは高圧ガス保安法くらいで、レジャーダイビングのカスタマーサービスについての規制などは、少なくともわが国においては皆無である。

毎年のように死亡事故を起こしながら、この産業が成り立っているのは、そもそもダイビングが致死的な危険を伴うレジャーであるから、という皮肉な一面もある。

死んだって仕方ないのだ・・・。

しかし、そうなんだろうか。

浮沈子は、よく引き合いに出される登山と、ダイビングは、全く異なるレジャーであると考えている。

現実問題として、登山そのものには、本質的に危険はないのだ。

危ないのは、「危険な登山」であり、ダイビングでいうところのテクニカルダイビングで潜るようなところに相当する。

しかし、ダイビングの場合は、水中という環境が、直ちに命を奪う危険な環境なのだ。

猛吹雪の冬山に登山しているようなもんだな。

着ている防寒具を脱ぎ捨てれば、即刻死が訪れるというわけだ。

それとの比較でいえば、テクニカルダイビングなんか、猛吹雪のエベレストに登っているのと同じようなもんだ(まあ、猛吹雪のときは、山頂アタックはしませんが)。

ダイビングというのは、もしも比較をするなら、そういうテクニカル系の登山と比較されるべきレジャーなのである。

冬山に挑む登山家は、常に死を想定し、綿密な計画と適正な装備を整え、訓練を積み、技術を磨いて挑む。

それは、完全な自己責任であり、冒険であり、死の影を傍らに見ながらの行動となる。

一般のレクリエーショナルダイバーに、その自覚はあるのだろうか。

マウスピースを口から離して、海水を数回肺に流し込んだだけで、簡単に死ぬことが出来る環境に居ながら、平然と写真を撮ったり、泳ぎまくったりしている。

その間も、高分圧の窒素が、肺胞の細胞の壁を隔てて血液中に溶け込み続け、減圧の段階で、無数のマイクロバブルを発生させ、無菌性骨壊死の症状が進行し続けるのだ。

ナイトロックスなら安全という訳にはいかない。

血液中の余剰酸素が、生体にとっては猛毒である活性酸素を増加させ、癌を含むありとあらゆる難病の引き金を引くことになる。

安全なダイビングなど、もともと有り得ないのだ。

命の幾許かを削りながら、この世の生と引き換えに、わずかばかりの快楽を得るヤクザなレジャーなのである。

浮沈子は、ダイビングというレジャーは、根本から見直されるべきだと考えている。

陸上での楽しみを見出せず、人生を儚んで打ち砕かれ、水中でしか癒されない者のみが許される、日陰の存在であるべきだ(暗い・・・)。

ダイビングに出かける時は、ホテルの引き出しの中に、密かに認めた遺書を入れ、部屋を出るときは、二度と戻って来られなくなってもいいように、着るものをきちんと畳んで、借金はせず、過食を慎み、1日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、でくの坊と呼ばれなければならない・・・(なんか、ごちゃ混ぜにしてない?)。

まあ、どうでもいいんですが。

若いうちは、ダイビングなんかに現を抜かしていてはいけないのだ。

人生には、他にするべきことがたくさんある。

陸上にだって、多くの楽しみがあるではないか(ポルシェとかあ?)。

ダイビングというのは、それでも、どうしても、命がけで潜ってみたい、太陽系の中で地球という惑星にだけ豊富に存在する水の中にある、もう一つの宇宙という神の衣の裾に触れ、震えるほどの感動を味わってみたいという救い難い愚か者か、この神秘の世界、人類が脊椎動物として数億年の過去に存在していた遠い遠い記憶の彼方に還っていくという、何物にも代えがたい経験を、自らの人生の中に深く深く刻みたいと思う者だけが、そっと行う秘密の儀式なのだ。

この惑星のあらゆる山よりも高い、高度1万メートルを時速850kmで移動しながらの観想である。

機上の空論として、読み飛ばしていただきたい。