ポルシェ初め ― 2014年01月13日 00:14
ポルシェ初め
年が明けて、初めてポルシェに乗った。
愚弟に付き合って、秋葉原に行く(これは500E)。
書泉(本屋)で、分厚い本を仕入れる。
ダイビングの本である。
月間ダイバー(パラオ特集)が売り切れだったので、品川のMIC21で仕入れる。
まだ、見ていない。
さらに、都内某ポルシェセンターに回り、新春の目出度い記念品をゲット(画像参照)。
金銀の小皿(直径10cm位)。
担当の営業さんがいたので、マカンのその後の情報を聞いてみる。
夏ごろに、展示車、試乗車が入ってくるかも(あくまでも、「かも」、ですが)、という極秘情報を仕入れた!。
日も暮れてから、83タルガに乗り換えて、昨年からの懸案である風切音の対策を行う。
目をつけていたのは、三角窓の上の隙間だ。
ウェザーストリップが痩せて、へこんでいるのが確認できる。
そこに、昨年買ったネオプレーンゴムの隙間テープを適当な長さに切ってチョコッと貼る。
結論から言うと、これが、大正解で、高速を120km巡航しても、殆んど気にならなくなった(むしろ、助手席側の音の方が気になるくらい)。
ダイビングのウェットスーツの素材である。
浮沈子的には、意味も無く嬉しかったりする!。
ヤターッ!。
風切音でお悩みの930タルガトップにお乗りの方は、是非是非、参考にしてください。
さて、83タルガの初乗りは、実に快適なドライブとなった。
寒い国から来たクルマは、やはり、冬場に乗ってやるのがよろしい。
ヒーターのレバーを起こしておくだけで、暑いくらいの暖気が狭い車内に入ってくる。
ファンを回すまでもない。
うーん、冬は83タルガに限る。
疎開先で、03ボクスターと交換。
帰りは、愚弟の運転で、浮沈子は助手席で寛ぐ。
これはこれで、申し分のないクルマだ。
流してよし、踏んでよし、曲がってよし、止まってよし。
3台の所有車を1日で乗ることは、滅多にない。
どれも、それぞれの良さがあり、また、欠点もある。
2014年になって、総車歴は、500Eが22年、03ボクスターが11年、83タルガは31年で、合計64年となった。
なんか、足し算しても意味はないような気もするが、メンテコストは、車歴に応じて、しっかりかかる。
さすがに83タルガを新車並みの乗り味にするというのは、フルレストアでもしない限り難しいが、消耗部品をしっかり換えて、可能な限り、いい乗り味を味わいたい(新型タルガでは、ぶっといBピラーも復活するみたいだし)。
500Eと03ボクスターは、もう、何もいうことはない。
往年の乗り味を保って、まだまだこれからガンガン行くぞ、という感じである。
特に、03ボクスターは、何の問題もなく、床まで踏んでぶん回せる。
シャシーがエンジンに、完全に勝っている。
ティプトロだが、素の986の良さが味わえる。
今日、疎開先から呼び戻したので、少し乗ってやろう。
夜も更けた道を、少しの間だけフルオープンにして走る(当然、サイドウインドウも降ろします)。
沁みるような走りだ(昔、レグノのCMで、ショーン・コネリーが出ていた時のキャッチ)。
(ブリジストン レグノCM(ショーンコネリー1):動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=1nDdl0Q9KPw
まあ、もちろん、レグノなんて履いてないが。
気温はたぶん7度くらい。
キンとした空気が、塊になってぶつかっては渦を巻く。
オープンは、冬!。
冬こそ、オープンカーの季節だ。
ヒーターをガンガンに利かせ、シートヒーターという秘密兵器も繰り出して、町中の視線を浴びて走る(ばっかじゃねえの?、という呆れ顔には、ニッコリと笑顔で応える!)。
しっかりと防寒していれば、これほど心地よいドライブはない。
今年、初めての、ポルシェのドライブ。
風切音がなくなり、ハンドリングもまあまあになった83タルガと、相変わらず優等生の03ボクスター。
堪能した・・・。
年が明けて、初めてポルシェに乗った。
愚弟に付き合って、秋葉原に行く(これは500E)。
書泉(本屋)で、分厚い本を仕入れる。
ダイビングの本である。
月間ダイバー(パラオ特集)が売り切れだったので、品川のMIC21で仕入れる。
まだ、見ていない。
さらに、都内某ポルシェセンターに回り、新春の目出度い記念品をゲット(画像参照)。
金銀の小皿(直径10cm位)。
担当の営業さんがいたので、マカンのその後の情報を聞いてみる。
夏ごろに、展示車、試乗車が入ってくるかも(あくまでも、「かも」、ですが)、という極秘情報を仕入れた!。
日も暮れてから、83タルガに乗り換えて、昨年からの懸案である風切音の対策を行う。
目をつけていたのは、三角窓の上の隙間だ。
ウェザーストリップが痩せて、へこんでいるのが確認できる。
そこに、昨年買ったネオプレーンゴムの隙間テープを適当な長さに切ってチョコッと貼る。
結論から言うと、これが、大正解で、高速を120km巡航しても、殆んど気にならなくなった(むしろ、助手席側の音の方が気になるくらい)。
ダイビングのウェットスーツの素材である。
浮沈子的には、意味も無く嬉しかったりする!。
ヤターッ!。
風切音でお悩みの930タルガトップにお乗りの方は、是非是非、参考にしてください。
さて、83タルガの初乗りは、実に快適なドライブとなった。
寒い国から来たクルマは、やはり、冬場に乗ってやるのがよろしい。
ヒーターのレバーを起こしておくだけで、暑いくらいの暖気が狭い車内に入ってくる。
ファンを回すまでもない。
うーん、冬は83タルガに限る。
疎開先で、03ボクスターと交換。
帰りは、愚弟の運転で、浮沈子は助手席で寛ぐ。
これはこれで、申し分のないクルマだ。
流してよし、踏んでよし、曲がってよし、止まってよし。
3台の所有車を1日で乗ることは、滅多にない。
どれも、それぞれの良さがあり、また、欠点もある。
2014年になって、総車歴は、500Eが22年、03ボクスターが11年、83タルガは31年で、合計64年となった。
なんか、足し算しても意味はないような気もするが、メンテコストは、車歴に応じて、しっかりかかる。
さすがに83タルガを新車並みの乗り味にするというのは、フルレストアでもしない限り難しいが、消耗部品をしっかり換えて、可能な限り、いい乗り味を味わいたい(新型タルガでは、ぶっといBピラーも復活するみたいだし)。
500Eと03ボクスターは、もう、何もいうことはない。
往年の乗り味を保って、まだまだこれからガンガン行くぞ、という感じである。
特に、03ボクスターは、何の問題もなく、床まで踏んでぶん回せる。
シャシーがエンジンに、完全に勝っている。
ティプトロだが、素の986の良さが味わえる。
今日、疎開先から呼び戻したので、少し乗ってやろう。
夜も更けた道を、少しの間だけフルオープンにして走る(当然、サイドウインドウも降ろします)。
沁みるような走りだ(昔、レグノのCMで、ショーン・コネリーが出ていた時のキャッチ)。
(ブリジストン レグノCM(ショーンコネリー1):動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=1nDdl0Q9KPw
まあ、もちろん、レグノなんて履いてないが。
気温はたぶん7度くらい。
キンとした空気が、塊になってぶつかっては渦を巻く。
オープンは、冬!。
冬こそ、オープンカーの季節だ。
ヒーターをガンガンに利かせ、シートヒーターという秘密兵器も繰り出して、町中の視線を浴びて走る(ばっかじゃねえの?、という呆れ顔には、ニッコリと笑顔で応える!)。
しっかりと防寒していれば、これほど心地よいドライブはない。
今年、初めての、ポルシェのドライブ。
風切音がなくなり、ハンドリングもまあまあになった83タルガと、相変わらず優等生の03ボクスター。
堪能した・・・。
Bピラー ― 2014年01月13日 01:39
Bピラー
画像は、明日にでもワールドプレミアされる、991タルガの予想図である。
(2015 Porsche 911 Targa leaked - Photos)
http://www.inautonews.com/2015-porsche-911-targa-leaked/2015-porsche-911-targa#.UtK5w9JdV8E
「Rumors are saying that the sports car pictured above will be officially unveiled during the 2014 Geneva Motor Show, in March.」
(噂では、画像のタルガは、3月のジュネーブモーターショーまでには、公式発表されるといわれている。:浮沈子:訳)
そんなに、引っ張るのかあ?。
まあいい。
しかし、ここに、例のタルガトップを電動で収納するという技の種明かしが載っているのを発見した!。
(This Is How The New Porsche 911 Targa's Trick Top Will Work)
http://www.0-60mag.com/news/2013/10/this-is-how-the-new-porsche-911-targas-trick-top-will-work/
これこそ、スクープというものであるな。
リアガラスが動くというのは、考えもつかなかった。
しかも、ルーフを支える支柱は、なんと、ぶっといBピラーに隠されていたのだ!。
ポルシェは、無意味な造形はしない。
あらゆる形には、合理的な意味があるのだ。
あのタルガトップが、電動で収納されるところを見るだけでも、価値があるような気がする。
感動ものだな。
そこに、Bピラーがあるから、実装できた仕掛けである。
だが、喜んでばかりもいられないのだ。
浮沈子は、このBピラーのデザインに、不満なのである。
比較のために、930の画像を見ていただこう。
(これは、借り物の画像です)
http://www.zebra-zone.com/wp-content/uploads/2011/02/1102targa2.jpg
そう、三角窓の後ろの縁と、Bピラーの前縁の後退角が等しく、デザイン上の特徴となっている。
また、フロントガラスも、それ程寝ていないため、Bピラーの角度との違和感が少ない。
991型については、三角窓の廃止があり、フロントウインドウが寝ているので、Bピラーの角度が不自然に感じられるのだ。
この角度は、サイドウインドウの収納との関係で、ドアの後縁の延長として決まったものと思われるが、デザイン上は破綻している(浮沈子の思い込みですが)。
流麗なルーフラインを活かしながら、もう少し何とかならなかったのだろうか。
まあいい。
どーせ、浮沈子には縁のないクルマである(30年後かあ?)。
既に、デザインは決まっていて、今更変えようもないし、トップの収納という機能的な要素とも絡んで、この角度は必然になっているに違いない。
しかし、930(901)のBピラーのデザインというのが、如何に秀逸であったかが分かる。
誰が手がけたかは知らないが、三角窓のラインと合わせた角度は、重苦しくなりがちなピラーの太さを、後傾させることによる軽快感と、全体のフォルムへの溶け込みという点で、これしかない!、という、唯一無二の角度であった。
まあ、どうでもいいんですが。
83タルガのオーナーとしては、新型タルガに焼きもち焼いて、少し虐めたくなったのかもしれない。
浮沈子は、Bピラーフェチではないが、あの造形こそ、タルガの命、勲章、錦の御旗、水戸黄門の葵の御紋の印籠なのである。
「この紋所が目に入らぬか!」と、決め台詞を吐いて、突きつけた印籠が、ちょっとナナメになっていたりしたら、カッコ悪いでしょ?。
画像は、明日にでもワールドプレミアされる、991タルガの予想図である。
(2015 Porsche 911 Targa leaked - Photos)
http://www.inautonews.com/2015-porsche-911-targa-leaked/2015-porsche-911-targa#.UtK5w9JdV8E
「Rumors are saying that the sports car pictured above will be officially unveiled during the 2014 Geneva Motor Show, in March.」
(噂では、画像のタルガは、3月のジュネーブモーターショーまでには、公式発表されるといわれている。:浮沈子:訳)
そんなに、引っ張るのかあ?。
まあいい。
しかし、ここに、例のタルガトップを電動で収納するという技の種明かしが載っているのを発見した!。
(This Is How The New Porsche 911 Targa's Trick Top Will Work)
http://www.0-60mag.com/news/2013/10/this-is-how-the-new-porsche-911-targas-trick-top-will-work/
これこそ、スクープというものであるな。
リアガラスが動くというのは、考えもつかなかった。
しかも、ルーフを支える支柱は、なんと、ぶっといBピラーに隠されていたのだ!。
ポルシェは、無意味な造形はしない。
あらゆる形には、合理的な意味があるのだ。
あのタルガトップが、電動で収納されるところを見るだけでも、価値があるような気がする。
感動ものだな。
そこに、Bピラーがあるから、実装できた仕掛けである。
だが、喜んでばかりもいられないのだ。
浮沈子は、このBピラーのデザインに、不満なのである。
比較のために、930の画像を見ていただこう。
(これは、借り物の画像です)
http://www.zebra-zone.com/wp-content/uploads/2011/02/1102targa2.jpg
そう、三角窓の後ろの縁と、Bピラーの前縁の後退角が等しく、デザイン上の特徴となっている。
また、フロントガラスも、それ程寝ていないため、Bピラーの角度との違和感が少ない。
991型については、三角窓の廃止があり、フロントウインドウが寝ているので、Bピラーの角度が不自然に感じられるのだ。
この角度は、サイドウインドウの収納との関係で、ドアの後縁の延長として決まったものと思われるが、デザイン上は破綻している(浮沈子の思い込みですが)。
流麗なルーフラインを活かしながら、もう少し何とかならなかったのだろうか。
まあいい。
どーせ、浮沈子には縁のないクルマである(30年後かあ?)。
既に、デザインは決まっていて、今更変えようもないし、トップの収納という機能的な要素とも絡んで、この角度は必然になっているに違いない。
しかし、930(901)のBピラーのデザインというのが、如何に秀逸であったかが分かる。
誰が手がけたかは知らないが、三角窓のラインと合わせた角度は、重苦しくなりがちなピラーの太さを、後傾させることによる軽快感と、全体のフォルムへの溶け込みという点で、これしかない!、という、唯一無二の角度であった。
まあ、どうでもいいんですが。
83タルガのオーナーとしては、新型タルガに焼きもち焼いて、少し虐めたくなったのかもしれない。
浮沈子は、Bピラーフェチではないが、あの造形こそ、タルガの命、勲章、錦の御旗、水戸黄門の葵の御紋の印籠なのである。
「この紋所が目に入らぬか!」と、決め台詞を吐いて、突きつけた印籠が、ちょっとナナメになっていたりしたら、カッコ悪いでしょ?。
タルガ(その2) ― 2014年01月13日 13:59
タルガ(その2)
やはり、デトロイトでの発表になるようだ。
(991型911 タルガ、デトロイトでのデビューを予告)
http://openers.jp/car/exclusive_auto_collection/porsche/news_porsche_911_targa_debut_at_naias_42242.html
ニュルを走っている動画もある。
(2014 Porsche 991 Targa testing on the Nürburgring Nordschleife:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=gjcdITNxQu0#t=11
街中での、ディテイルが分かる動画もある。
(New Porsche 911 Targa 2013 / 2014 - 991 series - barely disguise prot:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=cMoARm_Zfps
「ポルシェでは、1月13日の11時45分(日本時間1月14日01時45分)に、ショー会場内ポルシェブースでおこなわれる記者会見を、リアルタイムでオンライン配信する予定」とオープナーの記事にある。
ドキドキ。
夜更かしして、リアルタイムで見たいな。
ニュルの動画を観ていると、でかくなっても911はスポーツカーなんだ、ということがよくわかる。
ドライバーの意志に、忠実に従って、減速し、曲がり、加速する。
セラミック製のブレーキディスクは、一瞬で適切な速度まで減速し、350馬力(Sは400馬力)のエンジンは、約1.6トンの車体を、苦もなく加速している。
ハンドリングも秀逸に違いない。
走ること以外のあらゆる要素を犠牲にして、走るためだけに作られたクルマ。
サラブレッドなのだ。
それは、オープンカーであるタルガやカブリオレでも変わらない。
Bピラーのデザインがどうの、リアガラスの黒い縁取りがどうのといっても、走りにかかわる部分に妥協はない。
それは、このクルマが、紛れもないスポーツカーであるからだ。
絶対的な剛性がクーペに劣るとか、若干重量が増えるとか、そういう話ではない。
上物を多少いじくったくらいでは、スポーツカーの確かな素性は変わらない。
おそらく、4輪駆動のモデルも投入されると思われる。
このクルマは、走ってなんぼのクルマである。
オーナーとなる幸せな方は、是非とも走り倒していただきたい。
83タルガを30年後に拾い上げ、こつこつと手を入れながら乗り回している浮沈子が言うのだから、間違いない(ホントかあ?)。
実際にオーナーの手元に届くのは、来年くらいになってしまうだろうが、それまで待つ価値は十分ある。
フルオープンでもなければ、ガチッとしたクーペでもない。
中途半端といえば中途半端だが、開放感と確かな閉塞感を併せ持った、稀有な存在である。
スライディングルーフからぶっといBピラーへの回帰は、浮沈子にとっては嬉しい。
担当の営業さんの話では、クーペモデルにグラスルーフが登場するので、差別化を図ったのではないかということだった。
タルガのBピラーは、転倒時のセーフティバーとしての位置付けで、もともと強度メンバーとして設計されたわけではなく、初期からずっとボルト止めであった。
今回の991型タルガの車体構造がどうなっているかは不明だが、おそらく、強度部材としての役割はないだろう。
ネットの情報によれば、凝った仕掛けでトップを電動で収納するらしい。
あと12時間もすれば、全ては明らかになる。
その直前に、ああでもない、こうでもないと、妄想を逞しくするのが楽しいのである。
久々に新車の発表に興奮気味であるな(血圧のクスリ、飲まなくっちゃ!)。
やはり、デトロイトでの発表になるようだ。
(991型911 タルガ、デトロイトでのデビューを予告)
http://openers.jp/car/exclusive_auto_collection/porsche/news_porsche_911_targa_debut_at_naias_42242.html
ニュルを走っている動画もある。
(2014 Porsche 991 Targa testing on the Nürburgring Nordschleife:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=gjcdITNxQu0#t=11
街中での、ディテイルが分かる動画もある。
(New Porsche 911 Targa 2013 / 2014 - 991 series - barely disguise prot:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=cMoARm_Zfps
「ポルシェでは、1月13日の11時45分(日本時間1月14日01時45分)に、ショー会場内ポルシェブースでおこなわれる記者会見を、リアルタイムでオンライン配信する予定」とオープナーの記事にある。
ドキドキ。
夜更かしして、リアルタイムで見たいな。
ニュルの動画を観ていると、でかくなっても911はスポーツカーなんだ、ということがよくわかる。
ドライバーの意志に、忠実に従って、減速し、曲がり、加速する。
セラミック製のブレーキディスクは、一瞬で適切な速度まで減速し、350馬力(Sは400馬力)のエンジンは、約1.6トンの車体を、苦もなく加速している。
ハンドリングも秀逸に違いない。
走ること以外のあらゆる要素を犠牲にして、走るためだけに作られたクルマ。
サラブレッドなのだ。
それは、オープンカーであるタルガやカブリオレでも変わらない。
Bピラーのデザインがどうの、リアガラスの黒い縁取りがどうのといっても、走りにかかわる部分に妥協はない。
それは、このクルマが、紛れもないスポーツカーであるからだ。
絶対的な剛性がクーペに劣るとか、若干重量が増えるとか、そういう話ではない。
上物を多少いじくったくらいでは、スポーツカーの確かな素性は変わらない。
おそらく、4輪駆動のモデルも投入されると思われる。
このクルマは、走ってなんぼのクルマである。
オーナーとなる幸せな方は、是非とも走り倒していただきたい。
83タルガを30年後に拾い上げ、こつこつと手を入れながら乗り回している浮沈子が言うのだから、間違いない(ホントかあ?)。
実際にオーナーの手元に届くのは、来年くらいになってしまうだろうが、それまで待つ価値は十分ある。
フルオープンでもなければ、ガチッとしたクーペでもない。
中途半端といえば中途半端だが、開放感と確かな閉塞感を併せ持った、稀有な存在である。
スライディングルーフからぶっといBピラーへの回帰は、浮沈子にとっては嬉しい。
担当の営業さんの話では、クーペモデルにグラスルーフが登場するので、差別化を図ったのではないかということだった。
タルガのBピラーは、転倒時のセーフティバーとしての位置付けで、もともと強度メンバーとして設計されたわけではなく、初期からずっとボルト止めであった。
今回の991型タルガの車体構造がどうなっているかは不明だが、おそらく、強度部材としての役割はないだろう。
ネットの情報によれば、凝った仕掛けでトップを電動で収納するらしい。
あと12時間もすれば、全ては明らかになる。
その直前に、ああでもない、こうでもないと、妄想を逞しくするのが楽しいのである。
久々に新車の発表に興奮気味であるな(血圧のクスリ、飲まなくっちゃ!)。
タイがタイヘン?(その2) ― 2014年01月13日 18:15
タイがタイヘン?(その2)
タイの首都、バンコク。
(バンコク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%82%AF
「よく間違われるがバンコクは市ではなく首都府である。そのため、日本の外務省の資料では必ず「バンコク都」と表現される。」
東京都(23区)みたいなもんかあ?。
しかし、東京都の特別区は、英語標記ではシティとなっている。
(Welcome to Ota City.:浮沈子の生息地の一つ)
http://www15.j-server.com/LUCOTAKU/ns/tl.cgi/http%3a//www.city.ota.tokyo.jp/yokoso/index.html?SLANG=ja&TLANG=en&XMODE=0&XPARAM=query,&XCHARSET=Shift_JIS&XPORG=,&XJSID=0
まあ、どうでもいいんですが。
タイ王国のダイビングスポットを開拓しようとしている浮沈子は、政権崩壊でぐちゃぐちゃになっている中央アフリカ共和国や、内戦が終結するかどうか微妙な情勢の南スーダンをほっぽらかして、この国の政治情勢の分析にかかりきりである(身勝手、無責任、興味本位、不真面目、何とでも言ってくれ!)。
今日から、バンコク閉鎖とかいう、物騒な記事も出ている。
(「バンコク閉鎖」始まる デモ隊が主要交差点封鎖)
http://www.asahi.com/articles/ASG1F33DHG1FUHBI00F.html
イギリスのように、立憲君主制の王国なのだが、国王(ラーマ9世:通称プーミポンアドゥンヤラデート:「大地の力・並ぶ事なき権威」の意)も高齢だし、以前のような求心力はない。
なにしろ、元々、政変の多い国なのである。
(タイにおける政変一覧)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%94%BF%E5%A4%89%E4%B8%80%E8%A6%A7
「アユタヤ王朝以前についてはラーンナー王朝などのアユタヤの覇権下にない地方政権が乱立していたことや、地域をアユタヤのみに限っても記録されているだけで数限りなくあり、史料によっても年代が違ったりと煩雑になるため避ける。」
こんな前置きから始まるくらいで、昔は、もっと激しかったようだ。
最近の政変には、軍が関与することが多い。
タイ王国は、植民地化もされず、連綿と続く王政の中で、内紛は構造的なものになっているのだろうと、浮沈子は想像する。
この国の政変というのは、まあ、いってみれば、必然なのである。
(タイの政治)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB
「2006年4月2日に下院選挙が行われたが、民主党など主要政党はボイコットし、タクシン・チナワット首相が率いる与党のタイ愛国党が大半の議席を占めた。しかし、プミポン国王が野党不参加の総選挙の可否について憲法裁判所の判断を求め、同裁判所は下院選挙無効の裁定を下した。やり直し選挙には与野党とも参加する意向を示していた中、9月、クーデターが発生。「民主主義統治改革評議会」が三権を停止した。その後、新憲法の起草、新憲法の同意を得る国民投票を経た後、下院選挙が行われ、2008年2月6日、サマック・スントラウェート内閣が発足した。民政復帰は2006年9月の軍部によるクーデター以来。」
「2008年5月から反タクシン派である市民団体の民主市民連合(PAD)が、2006年のクーデター以来の反政府運動を繰り広げる中、9月9日に、サマック首相のテレビ出演に対する憲法裁判所による違憲判決がなされ、首相が辞任することとなる。そこで、タクシン元首相の義弟であるソムチャーイ・ウォンサワットが首相に就任したが、PADによる反政府運動が首相府を占拠するなど激しくなる。11月には、PADがバンコクにあるスワンナプーム国際空港とドンムアン空港を占拠し首都の空港機能が麻痺する事態になる中、12月2日に、与党の選挙違反に関して憲法裁判所が人民の力党など与党3党に対し解党命令を行ない、ソムチャーイ政権も崩壊する。これを受けて、野党であった民主党がタクシン派の多くを除く旧連立与党の政党と協力し、12月15日に下院にてアピシット・ウェートチャーチーワが首相に任命された。」
(混迷のタイ情勢、政治対立なぜ再燃 (Q&A))
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0101C_R01C13A2FF8000/
「2010年にも大規模な騒乱で90人超の死者を出したタイ。なぜ深刻な政治対立が再燃したのか。背景を探った。」
「Q 反政府派と政権側は何を巡り対立しているのか。
A 最大野党の民主党が主導する反政府派は「タクシン元首相体制からの脱却」を主張。06年にタクシン氏が失脚した軍事クーデター以来、現政権を支えるタクシン派と、反タクシン派の政治対立が長引いていた。民主党はタクシン氏の妹のインラック首相が率いる現政権をタクシン傀儡(かいらい)政権と批判している。」
「Q タクシン氏はなぜ影響力を維持できるのか。
A 同氏は01~06年の首相在任中に低額医療や農民の債務繰り延べなど、歴代政権で初めて地方の貧困対策に取り組んだ。人口の半分を占める農民や都市の低所得層など恩恵を受けた国民の多くはいまだに同氏支持派とされる。一方で都市の知識層などの支持は取り付けられなかった。」
「10年には最高裁判所で一族資産の6割が不正蓄財とみなされ没収、有罪判決を受けた。ただ現在も拠点のアラブ首長国連邦(UAE)などから電話やメールで現政権幹部と頻繁に連絡を取り合い、政策や意思決定に影響を及ぼしているとされている。」
「Q タクシン氏の帰国につながる恩赦法案は否決されたのになぜ騒ぎは収まらないのか。
A 反政府派が反発するきっかけとなった恩赦法案は与党が提出し、8月に下院審議が始まった。タクシン氏は汚職罪に問われたが収監を拒み国外逃亡中。反タクシン派は法案に反対し10月末から街頭での大規模集会を開始したが、与党は下院で法案を強行採決した。これには大学や一般の中間層などからも「汚職の容認だ」と批判が相次いだ。法案は上院で否決されたものの、反タクシン派はデモの目的を法案反対から政権打倒に切り替えて活動を先鋭化した。」
「政党:下院議席数
タイ貢献党:265議席
民主党:159議席
タイ誇り党:34議席
タイ国民発展党:19議席
タイ団結国家開発党:7議席
パランチョン党:7議席
愛タイ国党:4議席
母国党:2議席
新民主党:1議席
大衆党:1議席
ラックサンティ党:1議席
合計:500議席」
この議席数を見て、浮沈子は我が国の55年体制を想起した。
(55年体制)
http://ja.wikipedia.org/wiki/55%E5%B9%B4%E4%BD%93%E5%88%B6
「55年体制の定義は与党の自民党と野党の社会党という構図、自民党と社会党が対立している構図、自民党が第1党で社会党が第2党という構図など諸説あるが、一般的には第1与党の自民党と第1野党の社会党という構図が有力である。」
「「一と二分の一」の確定
自由民主党は押し付け憲法論を主張、自主憲法制定を党是に定めた。1958年(昭和33年)の総選挙では互いに過半数にのぼる候補を立て、真っ向から争った。投票率76.99%は男女普通選挙になってからでは最高の記録であり、二大政党制への国民の関心の高まりを示したものといえた。その結果、定数467で自由民主党287議席(他、追加公認11)、日本社会党166議席(他、追加公認1)となり、二大政党の公認候補だけで97%の議席を占めた。これは総選挙最高峰の記録である。しかし、議席数は追加公認を含めると、自由民主党が1議席を減らしただけの圧勝であり、日本社会党は7議席を増やしたものの、護憲に必要な3分の1の議席を確保したに留まった。」
「このように、二大政党制といっても国会の議席数では自由民主党と日本社会党の勢力比は2:1であった。そのため、「一と二分の一政党制」とも呼ばれる。この保守と革新の“2:1”の比率は、保守分裂のため社会党が第1党になった1947年(昭和22年)の総選挙の時点で既に現れていた。」
「55年体制は、自由民主党から日本社会党への政権交代が実現できない一方、保守政党は国会で憲法改正のための3分の2以上の議席を確保できなかったことから、政権交代と憲法改正のない体制とされる。」
「戦後しばらくは、いわゆる諸派・ミニ政党がしばしば議席を獲得していた。しかし55年体制成立以降は、参議院で一時的にミニ政党が進出した時期もあるが、衆議院で議席を獲得することはほとんどなくなった。」
まあ、似ているというだけで、具体的な関連については何のエビデンスもない。
現在の首相は、インラック・シナワットである。
(インラック・シナワトラ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%83%88%E3%83%A9
「タイ初の女性首相として積極的に内政に携わり、国民融和や貧困対策を推進し、国家の安定に貢献している。また、2011年のタイ大洪水の際には、洪水対策の陣頭指揮に当たり、バンコク中心部の浸水防止を担った。」
「2011年の就任時は、「タクシン元首相の操り人形」と皮肉られ、直後の洪水危機への対応では、後手に回ったとの批判も浴びた。しかし、経済の好調もあり、支持率は高い水準を維持。政権運営にも慣れ、女性らしいソフトさと、安定した手腕で評価を高めつつある。女性の社会進出が進むタイで「女性が収入を得ることは、国の経済と家計に重要な意味があり、男性にも良い影響を与える」と自負し、1男の面倒を見ながら激務をこなしている。」
「記者会見などで、しばしば原稿を読み間違えてしまい、後ろに控えているスタッフから訂正を囁かれる場面が散見されている。」
まあいい。
政治手法としては穏健派だし、政策選択も悪くない。
同族政治の弊害はあるのだろうが、そんなことは何処の国でもある。
革新野党が先鋭化するだけの安定を誇っているということだ。
写真を見る限り、浮沈子のタイプのタイ美人だな。
まあ、どうでもいいんですが。
タクシン元首相の妹ということで、傀儡政権と言われているが、政治は結果が全てであると浮沈子は考えている(タイの国民がどう考えているかは、良く分かりません)。
(タクシン・チナワット)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%88
「1986年4月24日(タイ仏歴2529年)、タクシンは携帯電話サービスの営業権を政府から獲得してAISという携帯電話会社を立ち上げた。この企業は成功を収め、タイでの携帯電話の普及に伴って黒字を拡大し、タイを代表するコミュニケーション会社となった。今ではチナワット家はタイ国一の富豪と言われる。」
むむっ、ケータイ成金なわけか。
「政治家時代は既得権益層の権益を奪う政策をおこなっていたため、既得権益層の激しい反発を受け、後のクーデターにつながることになる。」
このくだりを読むと、浮沈子は、リクルート事件を思い出すのだ。
経済界の辞書には、「正義」という単語はない。
「帰国すれば収監されることになるので、現在もタイに戻れない状態が続いている。それでも母国に対して未練があるようで、2011年4月23日にタイ貢献党(新党プアタイ)が開催した党大会にテレビ電話で参加し、声を震わせながら「タイに帰りたい」と語っている。」
「主な政策
タクシンの政策は以下のように極めて特徴的で、タイ北部の農村重視の政治を見せる一方で、経済政策は大胆である。
・風俗店の取り締まりや、ナイト・スポットの深夜営業禁止政策
・麻薬取り締まり強化
・健康保険制度の整備や30バーツ医療
・一村一製品運動
・公的資金を大量に投入する経済政策タクシノミックス(Thaksinomics)
・地方における建設やインフラストラクチャー(携帯電話などの情報通信を含む)を中心とした公共事業
・アメリカに対しては友好的な態度をとるが、アメリカの内政干渉的な言動に対しては断固抗議」
「このような政策は、全体的に特に華僑経済政策を中心に評価されている。タクシンの人気が高いのは、タイ北部の有力者や華僑の有力者を掌握しているためではあるが、その一方で国民皆保険の導入や地方への富の分配でタイの特に地方住人の生活水準を向上させたという評価もある。しかしながら、タイ経済については現在混乱している。」
「外交では「全方位外交」を装いつつ、中華人民共和国を重視していた。愛国党は北京に支部が開設できた。また、タクシン政権の閣僚や愛国党幹部には副首相やエネルギー大臣などを務めたプロミン・ルートスリデート、情報通信技術省大臣を務めたスラポン・スープウォンディー、側近で運輸省副大臣も務めたプームタム・ウェーチャヤチャイ、農業省副大臣を務めたプラパット・パンヤーチャートラック(通称、アイ・カーンヤーオ)などといった元タイ国共産党員が多く、反共色が濃かった歴代政権とは一線を画した。」
「タクシンは政治の基盤固めも着実で、反対勢力となりうる軍や警察の最高ポストに親族を配置し、強引にマスコミを統制している。このような手法はタクシンがシンガポールの華人リー・クワンユーのような親族を周辺に配置した開発独裁政治を理想とするからだと言われている。」
警察官僚上がりのビジネスマンが、共産党との繋がりが深いというのは興味深い。
「非常事態宣言(2006年9月)
2006年9月19日午後10時(タイ時刻)、国連総会出席のためアメリカのニューヨークに滞在中に非常事態宣言を出した。ソンティを筆頭とする陸軍に、クーデターの動きがあったことを察知したと見られている。この非常事態宣言の直後、軍事クーデターが起こった。」
「ソンティ司令官側のスポークスマンは、タクシンによる非常事態宣言は無効にし、戒厳令、憲法を無効にすること等の布告・声明を発表し、後に2006年9月20日夕刻に、プミポン国王がソンティ司令官の行政改革団の暫定首班就任を承認したことにより、タクシン政権の崩壊と非常事態宣言の無効が確定した。」
既得権益を大胆に剥奪し、共産党に擦り寄り、クーデターによって政権を失い、祖国を追われたわけだ。
国王の対応もまた、既得権益の保護というコンサバな選択に落ち着く。
現在のインラック政権のスタンスも、おそらく、その方向なのだろう。
ざっと見る限り、野党勢力が政権を覆すことはできまい。
デモは、やがて収束し、政情は安定すると見ている。
しかし、懸念材料がないとはいえない。
「近年の政治情勢
2006年4月2日に下院選挙が行われたが、民主党など主要政党はボイコットし、タクシン・チナワット首相が率いる与党のタイ愛国党が大半の議席を占めた。しかし、プミポン国王が野党不参加の総選挙の可否について憲法裁判所の判断を求め、同裁判所は下院選挙無効の裁定を下した。やり直し選挙には与野党とも参加する意向を示していた中、9月、クーデターが発生。「民主主義統治改革評議会」が三権を停止した。その後、新憲法の起草、新憲法の同意を得る国民投票を経た後、下院選挙が行われ、2008年2月6日、サマック・スントラウェート内閣が発足した。民政復帰は2006年9月の軍部によるクーデター以来。」
現在、民主党は、選挙のボイコットを掲げている。
その場合、王宮の要請で、憲法裁判所の裁定が再び行われる可能性もある。
選挙無効ということになれば、政情不安のスキをついて、再びクーデターが起こる可能性もある。
王宮が、そのとき、イニシャチブを発揮するかどうかは、予断を許さない。
軍政への回帰が起こる可能性も否定できない。
ちょっと前の記事だが、参考になる資料を見つけた。
(溶解する王制―タイ政治情勢の行方)
http://www.yafo.or.jp/self/asia/asia22/asia22_pdf/h22-2.pdf
タイで名前を聞かれたら、「クン・コボリ」と言ってみよう!(おまえは、そんなにハンサムじゃない!)。
タイ国王が、宗教上も、政治上も、軍事上も、大きな力を持っていて、クーデターを通じて国家をコントロールしているわけで、その求心力が低下して、国情が不安定になるというのが最大の問題であることが分かった。
王政がひっくり返って、共和制になることは、浮沈子的には何の問題もないと思われるんだが、タイ国民にとっては、天地がひっくり返るような話だろうな。
我が国においても、天皇制の崩壊を口にすることも憚られる状況が続いているし・・・。
これ以上書くと、不敬罪でタイに入国できなくなって、ダイビングもパーになるので止めておこう(身勝手なヤツなんで・・・)。
(混迷続くタイの政治情勢)
http://www.daiwa-am.co.jp/system/files/report/report_%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88_20131220_22143.pdf
「<総選挙では政治混迷は解消しない見込み>
総選挙の立候補の受付が2014年1月1日に締め切られましたが、デモによる妨害によって一部の選挙区では立候補者が不在という異常事態になっています。このため、予定通り総選挙を実施しても、下院議員の当選者数が法定数より少ないため、下院を招集できず、下院による首相選出が行えないとみられます。最終的には選挙のやり直しになると思われますが、PDRCがタクシン元首相の影響力の排除を目指している以上、仮に選挙をやり直しても政治混迷は容易には解消しないと思われます。プラユット陸軍指令官が12月27日の記者会見でクーデターの可能性を否定しなかったことも、今後のタイの政局の行方を考える上で念頭に置いておく必要がありそうです。」
おやおや、政治的混乱は、当分続きそうだな。
(タイ軍事クーデターのうわさ強まる Xデーは14日?)
http://www.newsclip.be/article/2014/01/07/20320.html
「タイ陸軍は11日のタイの「子どもの日」と18日の「タイ陸軍記念日」のイベントのためとして、バンコク都内に戦車などの搬入を進めている。」
陸軍記念日はともかく、子どもの日のための戦車搬入って、何なんだあ?。
「一方、タクシン元首相派の政権与党プアタイのスニサー副報道官は6日、クーデターのうわさに言及し、「13日のデモで何者かが発砲し、それを理由に軍がクーデターに乗り出す」、「国際社会の反発を避けるため、クーデター後、市民が兵士に花を渡す」、「占い師がクーデターの実行日に14日を選んだ」、「クーデター後に設置される政権はタクシン派を弾圧し、反タクシン派の野党民主党が選挙で勝てる状況になれば1年で選挙を行う。無理そうであれば任期を延長する」といったうわさがあるとして、民主党のアピシット党首(前首相)に真偽を問うた。」
「占い師がクーデターの実行日に14日を選んだ」って、ちょっと信じられない話ではあるな。
「ステープ氏らはインラク首相の兄であるタクシン元首相の影響力排除、インラク政権の退陣などを要求し、昨年11月からバンコク都内の民主記念塔などで座り込みの反政府集会を続けている。12月8日には民主党が党所属の下院議員全員の議員辞職を発表。翌9日、バンコクで20万人規模の反政府デモを行い、インラク首相を下院解散、総選挙に追い込んだ。しかし、ステープ元副首相はインラク政権を退陣させた上で、様々な職種の代表からなる「人民議会」に国権を委ねるという事実上のクーデター計画を打ち出し、総選挙を拒否。バンコク都内の主要道路を今月13日からデモ隊で封鎖し、バンコクを「シャットダウン」するとしている。」
風雲急を告げるバンコクの情勢。
しかし、たぶん、田舎のほうは、間違いなくタクシン派が優性なのだろう。
国内の南北問題を、どのように解決するのか。
その知恵を出さない限り、この国の政情が、真に安定することはない。
タイの首都、バンコク。
(バンコク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%82%AF
「よく間違われるがバンコクは市ではなく首都府である。そのため、日本の外務省の資料では必ず「バンコク都」と表現される。」
東京都(23区)みたいなもんかあ?。
しかし、東京都の特別区は、英語標記ではシティとなっている。
(Welcome to Ota City.:浮沈子の生息地の一つ)
http://www15.j-server.com/LUCOTAKU/ns/tl.cgi/http%3a//www.city.ota.tokyo.jp/yokoso/index.html?SLANG=ja&TLANG=en&XMODE=0&XPARAM=query,&XCHARSET=Shift_JIS&XPORG=,&XJSID=0
まあ、どうでもいいんですが。
タイ王国のダイビングスポットを開拓しようとしている浮沈子は、政権崩壊でぐちゃぐちゃになっている中央アフリカ共和国や、内戦が終結するかどうか微妙な情勢の南スーダンをほっぽらかして、この国の政治情勢の分析にかかりきりである(身勝手、無責任、興味本位、不真面目、何とでも言ってくれ!)。
今日から、バンコク閉鎖とかいう、物騒な記事も出ている。
(「バンコク閉鎖」始まる デモ隊が主要交差点封鎖)
http://www.asahi.com/articles/ASG1F33DHG1FUHBI00F.html
イギリスのように、立憲君主制の王国なのだが、国王(ラーマ9世:通称プーミポンアドゥンヤラデート:「大地の力・並ぶ事なき権威」の意)も高齢だし、以前のような求心力はない。
なにしろ、元々、政変の多い国なのである。
(タイにおける政変一覧)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%94%BF%E5%A4%89%E4%B8%80%E8%A6%A7
「アユタヤ王朝以前についてはラーンナー王朝などのアユタヤの覇権下にない地方政権が乱立していたことや、地域をアユタヤのみに限っても記録されているだけで数限りなくあり、史料によっても年代が違ったりと煩雑になるため避ける。」
こんな前置きから始まるくらいで、昔は、もっと激しかったようだ。
最近の政変には、軍が関与することが多い。
タイ王国は、植民地化もされず、連綿と続く王政の中で、内紛は構造的なものになっているのだろうと、浮沈子は想像する。
この国の政変というのは、まあ、いってみれば、必然なのである。
(タイの政治)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB
「2006年4月2日に下院選挙が行われたが、民主党など主要政党はボイコットし、タクシン・チナワット首相が率いる与党のタイ愛国党が大半の議席を占めた。しかし、プミポン国王が野党不参加の総選挙の可否について憲法裁判所の判断を求め、同裁判所は下院選挙無効の裁定を下した。やり直し選挙には与野党とも参加する意向を示していた中、9月、クーデターが発生。「民主主義統治改革評議会」が三権を停止した。その後、新憲法の起草、新憲法の同意を得る国民投票を経た後、下院選挙が行われ、2008年2月6日、サマック・スントラウェート内閣が発足した。民政復帰は2006年9月の軍部によるクーデター以来。」
「2008年5月から反タクシン派である市民団体の民主市民連合(PAD)が、2006年のクーデター以来の反政府運動を繰り広げる中、9月9日に、サマック首相のテレビ出演に対する憲法裁判所による違憲判決がなされ、首相が辞任することとなる。そこで、タクシン元首相の義弟であるソムチャーイ・ウォンサワットが首相に就任したが、PADによる反政府運動が首相府を占拠するなど激しくなる。11月には、PADがバンコクにあるスワンナプーム国際空港とドンムアン空港を占拠し首都の空港機能が麻痺する事態になる中、12月2日に、与党の選挙違反に関して憲法裁判所が人民の力党など与党3党に対し解党命令を行ない、ソムチャーイ政権も崩壊する。これを受けて、野党であった民主党がタクシン派の多くを除く旧連立与党の政党と協力し、12月15日に下院にてアピシット・ウェートチャーチーワが首相に任命された。」
(混迷のタイ情勢、政治対立なぜ再燃 (Q&A))
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0101C_R01C13A2FF8000/
「2010年にも大規模な騒乱で90人超の死者を出したタイ。なぜ深刻な政治対立が再燃したのか。背景を探った。」
「Q 反政府派と政権側は何を巡り対立しているのか。
A 最大野党の民主党が主導する反政府派は「タクシン元首相体制からの脱却」を主張。06年にタクシン氏が失脚した軍事クーデター以来、現政権を支えるタクシン派と、反タクシン派の政治対立が長引いていた。民主党はタクシン氏の妹のインラック首相が率いる現政権をタクシン傀儡(かいらい)政権と批判している。」
「Q タクシン氏はなぜ影響力を維持できるのか。
A 同氏は01~06年の首相在任中に低額医療や農民の債務繰り延べなど、歴代政権で初めて地方の貧困対策に取り組んだ。人口の半分を占める農民や都市の低所得層など恩恵を受けた国民の多くはいまだに同氏支持派とされる。一方で都市の知識層などの支持は取り付けられなかった。」
「10年には最高裁判所で一族資産の6割が不正蓄財とみなされ没収、有罪判決を受けた。ただ現在も拠点のアラブ首長国連邦(UAE)などから電話やメールで現政権幹部と頻繁に連絡を取り合い、政策や意思決定に影響を及ぼしているとされている。」
「Q タクシン氏の帰国につながる恩赦法案は否決されたのになぜ騒ぎは収まらないのか。
A 反政府派が反発するきっかけとなった恩赦法案は与党が提出し、8月に下院審議が始まった。タクシン氏は汚職罪に問われたが収監を拒み国外逃亡中。反タクシン派は法案に反対し10月末から街頭での大規模集会を開始したが、与党は下院で法案を強行採決した。これには大学や一般の中間層などからも「汚職の容認だ」と批判が相次いだ。法案は上院で否決されたものの、反タクシン派はデモの目的を法案反対から政権打倒に切り替えて活動を先鋭化した。」
「政党:下院議席数
タイ貢献党:265議席
民主党:159議席
タイ誇り党:34議席
タイ国民発展党:19議席
タイ団結国家開発党:7議席
パランチョン党:7議席
愛タイ国党:4議席
母国党:2議席
新民主党:1議席
大衆党:1議席
ラックサンティ党:1議席
合計:500議席」
この議席数を見て、浮沈子は我が国の55年体制を想起した。
(55年体制)
http://ja.wikipedia.org/wiki/55%E5%B9%B4%E4%BD%93%E5%88%B6
「55年体制の定義は与党の自民党と野党の社会党という構図、自民党と社会党が対立している構図、自民党が第1党で社会党が第2党という構図など諸説あるが、一般的には第1与党の自民党と第1野党の社会党という構図が有力である。」
「「一と二分の一」の確定
自由民主党は押し付け憲法論を主張、自主憲法制定を党是に定めた。1958年(昭和33年)の総選挙では互いに過半数にのぼる候補を立て、真っ向から争った。投票率76.99%は男女普通選挙になってからでは最高の記録であり、二大政党制への国民の関心の高まりを示したものといえた。その結果、定数467で自由民主党287議席(他、追加公認11)、日本社会党166議席(他、追加公認1)となり、二大政党の公認候補だけで97%の議席を占めた。これは総選挙最高峰の記録である。しかし、議席数は追加公認を含めると、自由民主党が1議席を減らしただけの圧勝であり、日本社会党は7議席を増やしたものの、護憲に必要な3分の1の議席を確保したに留まった。」
「このように、二大政党制といっても国会の議席数では自由民主党と日本社会党の勢力比は2:1であった。そのため、「一と二分の一政党制」とも呼ばれる。この保守と革新の“2:1”の比率は、保守分裂のため社会党が第1党になった1947年(昭和22年)の総選挙の時点で既に現れていた。」
「55年体制は、自由民主党から日本社会党への政権交代が実現できない一方、保守政党は国会で憲法改正のための3分の2以上の議席を確保できなかったことから、政権交代と憲法改正のない体制とされる。」
「戦後しばらくは、いわゆる諸派・ミニ政党がしばしば議席を獲得していた。しかし55年体制成立以降は、参議院で一時的にミニ政党が進出した時期もあるが、衆議院で議席を獲得することはほとんどなくなった。」
まあ、似ているというだけで、具体的な関連については何のエビデンスもない。
現在の首相は、インラック・シナワットである。
(インラック・シナワトラ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%83%88%E3%83%A9
「タイ初の女性首相として積極的に内政に携わり、国民融和や貧困対策を推進し、国家の安定に貢献している。また、2011年のタイ大洪水の際には、洪水対策の陣頭指揮に当たり、バンコク中心部の浸水防止を担った。」
「2011年の就任時は、「タクシン元首相の操り人形」と皮肉られ、直後の洪水危機への対応では、後手に回ったとの批判も浴びた。しかし、経済の好調もあり、支持率は高い水準を維持。政権運営にも慣れ、女性らしいソフトさと、安定した手腕で評価を高めつつある。女性の社会進出が進むタイで「女性が収入を得ることは、国の経済と家計に重要な意味があり、男性にも良い影響を与える」と自負し、1男の面倒を見ながら激務をこなしている。」
「記者会見などで、しばしば原稿を読み間違えてしまい、後ろに控えているスタッフから訂正を囁かれる場面が散見されている。」
まあいい。
政治手法としては穏健派だし、政策選択も悪くない。
同族政治の弊害はあるのだろうが、そんなことは何処の国でもある。
革新野党が先鋭化するだけの安定を誇っているということだ。
写真を見る限り、浮沈子のタイプのタイ美人だな。
まあ、どうでもいいんですが。
タクシン元首相の妹ということで、傀儡政権と言われているが、政治は結果が全てであると浮沈子は考えている(タイの国民がどう考えているかは、良く分かりません)。
(タクシン・チナワット)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%88
「1986年4月24日(タイ仏歴2529年)、タクシンは携帯電話サービスの営業権を政府から獲得してAISという携帯電話会社を立ち上げた。この企業は成功を収め、タイでの携帯電話の普及に伴って黒字を拡大し、タイを代表するコミュニケーション会社となった。今ではチナワット家はタイ国一の富豪と言われる。」
むむっ、ケータイ成金なわけか。
「政治家時代は既得権益層の権益を奪う政策をおこなっていたため、既得権益層の激しい反発を受け、後のクーデターにつながることになる。」
このくだりを読むと、浮沈子は、リクルート事件を思い出すのだ。
経済界の辞書には、「正義」という単語はない。
「帰国すれば収監されることになるので、現在もタイに戻れない状態が続いている。それでも母国に対して未練があるようで、2011年4月23日にタイ貢献党(新党プアタイ)が開催した党大会にテレビ電話で参加し、声を震わせながら「タイに帰りたい」と語っている。」
「主な政策
タクシンの政策は以下のように極めて特徴的で、タイ北部の農村重視の政治を見せる一方で、経済政策は大胆である。
・風俗店の取り締まりや、ナイト・スポットの深夜営業禁止政策
・麻薬取り締まり強化
・健康保険制度の整備や30バーツ医療
・一村一製品運動
・公的資金を大量に投入する経済政策タクシノミックス(Thaksinomics)
・地方における建設やインフラストラクチャー(携帯電話などの情報通信を含む)を中心とした公共事業
・アメリカに対しては友好的な態度をとるが、アメリカの内政干渉的な言動に対しては断固抗議」
「このような政策は、全体的に特に華僑経済政策を中心に評価されている。タクシンの人気が高いのは、タイ北部の有力者や華僑の有力者を掌握しているためではあるが、その一方で国民皆保険の導入や地方への富の分配でタイの特に地方住人の生活水準を向上させたという評価もある。しかしながら、タイ経済については現在混乱している。」
「外交では「全方位外交」を装いつつ、中華人民共和国を重視していた。愛国党は北京に支部が開設できた。また、タクシン政権の閣僚や愛国党幹部には副首相やエネルギー大臣などを務めたプロミン・ルートスリデート、情報通信技術省大臣を務めたスラポン・スープウォンディー、側近で運輸省副大臣も務めたプームタム・ウェーチャヤチャイ、農業省副大臣を務めたプラパット・パンヤーチャートラック(通称、アイ・カーンヤーオ)などといった元タイ国共産党員が多く、反共色が濃かった歴代政権とは一線を画した。」
「タクシンは政治の基盤固めも着実で、反対勢力となりうる軍や警察の最高ポストに親族を配置し、強引にマスコミを統制している。このような手法はタクシンがシンガポールの華人リー・クワンユーのような親族を周辺に配置した開発独裁政治を理想とするからだと言われている。」
警察官僚上がりのビジネスマンが、共産党との繋がりが深いというのは興味深い。
「非常事態宣言(2006年9月)
2006年9月19日午後10時(タイ時刻)、国連総会出席のためアメリカのニューヨークに滞在中に非常事態宣言を出した。ソンティを筆頭とする陸軍に、クーデターの動きがあったことを察知したと見られている。この非常事態宣言の直後、軍事クーデターが起こった。」
「ソンティ司令官側のスポークスマンは、タクシンによる非常事態宣言は無効にし、戒厳令、憲法を無効にすること等の布告・声明を発表し、後に2006年9月20日夕刻に、プミポン国王がソンティ司令官の行政改革団の暫定首班就任を承認したことにより、タクシン政権の崩壊と非常事態宣言の無効が確定した。」
既得権益を大胆に剥奪し、共産党に擦り寄り、クーデターによって政権を失い、祖国を追われたわけだ。
国王の対応もまた、既得権益の保護というコンサバな選択に落ち着く。
現在のインラック政権のスタンスも、おそらく、その方向なのだろう。
ざっと見る限り、野党勢力が政権を覆すことはできまい。
デモは、やがて収束し、政情は安定すると見ている。
しかし、懸念材料がないとはいえない。
「近年の政治情勢
2006年4月2日に下院選挙が行われたが、民主党など主要政党はボイコットし、タクシン・チナワット首相が率いる与党のタイ愛国党が大半の議席を占めた。しかし、プミポン国王が野党不参加の総選挙の可否について憲法裁判所の判断を求め、同裁判所は下院選挙無効の裁定を下した。やり直し選挙には与野党とも参加する意向を示していた中、9月、クーデターが発生。「民主主義統治改革評議会」が三権を停止した。その後、新憲法の起草、新憲法の同意を得る国民投票を経た後、下院選挙が行われ、2008年2月6日、サマック・スントラウェート内閣が発足した。民政復帰は2006年9月の軍部によるクーデター以来。」
現在、民主党は、選挙のボイコットを掲げている。
その場合、王宮の要請で、憲法裁判所の裁定が再び行われる可能性もある。
選挙無効ということになれば、政情不安のスキをついて、再びクーデターが起こる可能性もある。
王宮が、そのとき、イニシャチブを発揮するかどうかは、予断を許さない。
軍政への回帰が起こる可能性も否定できない。
ちょっと前の記事だが、参考になる資料を見つけた。
(溶解する王制―タイ政治情勢の行方)
http://www.yafo.or.jp/self/asia/asia22/asia22_pdf/h22-2.pdf
タイで名前を聞かれたら、「クン・コボリ」と言ってみよう!(おまえは、そんなにハンサムじゃない!)。
タイ国王が、宗教上も、政治上も、軍事上も、大きな力を持っていて、クーデターを通じて国家をコントロールしているわけで、その求心力が低下して、国情が不安定になるというのが最大の問題であることが分かった。
王政がひっくり返って、共和制になることは、浮沈子的には何の問題もないと思われるんだが、タイ国民にとっては、天地がひっくり返るような話だろうな。
我が国においても、天皇制の崩壊を口にすることも憚られる状況が続いているし・・・。
これ以上書くと、不敬罪でタイに入国できなくなって、ダイビングもパーになるので止めておこう(身勝手なヤツなんで・・・)。
(混迷続くタイの政治情勢)
http://www.daiwa-am.co.jp/system/files/report/report_%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88_20131220_22143.pdf
「<総選挙では政治混迷は解消しない見込み>
総選挙の立候補の受付が2014年1月1日に締め切られましたが、デモによる妨害によって一部の選挙区では立候補者が不在という異常事態になっています。このため、予定通り総選挙を実施しても、下院議員の当選者数が法定数より少ないため、下院を招集できず、下院による首相選出が行えないとみられます。最終的には選挙のやり直しになると思われますが、PDRCがタクシン元首相の影響力の排除を目指している以上、仮に選挙をやり直しても政治混迷は容易には解消しないと思われます。プラユット陸軍指令官が12月27日の記者会見でクーデターの可能性を否定しなかったことも、今後のタイの政局の行方を考える上で念頭に置いておく必要がありそうです。」
おやおや、政治的混乱は、当分続きそうだな。
(タイ軍事クーデターのうわさ強まる Xデーは14日?)
http://www.newsclip.be/article/2014/01/07/20320.html
「タイ陸軍は11日のタイの「子どもの日」と18日の「タイ陸軍記念日」のイベントのためとして、バンコク都内に戦車などの搬入を進めている。」
陸軍記念日はともかく、子どもの日のための戦車搬入って、何なんだあ?。
「一方、タクシン元首相派の政権与党プアタイのスニサー副報道官は6日、クーデターのうわさに言及し、「13日のデモで何者かが発砲し、それを理由に軍がクーデターに乗り出す」、「国際社会の反発を避けるため、クーデター後、市民が兵士に花を渡す」、「占い師がクーデターの実行日に14日を選んだ」、「クーデター後に設置される政権はタクシン派を弾圧し、反タクシン派の野党民主党が選挙で勝てる状況になれば1年で選挙を行う。無理そうであれば任期を延長する」といったうわさがあるとして、民主党のアピシット党首(前首相)に真偽を問うた。」
「占い師がクーデターの実行日に14日を選んだ」って、ちょっと信じられない話ではあるな。
「ステープ氏らはインラク首相の兄であるタクシン元首相の影響力排除、インラク政権の退陣などを要求し、昨年11月からバンコク都内の民主記念塔などで座り込みの反政府集会を続けている。12月8日には民主党が党所属の下院議員全員の議員辞職を発表。翌9日、バンコクで20万人規模の反政府デモを行い、インラク首相を下院解散、総選挙に追い込んだ。しかし、ステープ元副首相はインラク政権を退陣させた上で、様々な職種の代表からなる「人民議会」に国権を委ねるという事実上のクーデター計画を打ち出し、総選挙を拒否。バンコク都内の主要道路を今月13日からデモ隊で封鎖し、バンコクを「シャットダウン」するとしている。」
風雲急を告げるバンコクの情勢。
しかし、たぶん、田舎のほうは、間違いなくタクシン派が優性なのだろう。
国内の南北問題を、どのように解決するのか。
その知恵を出さない限り、この国の政情が、真に安定することはない。
シグナス結合 ― 2014年01月13日 20:43
シグナス結合
オービタルサイエンシズのシグナス補給船が、ISSへ到着し、結合に成功した。
(シグナス補給船 国際宇宙ステーションに予定通り結合)
http://response.jp/article/2014/01/13/214699.html
「シグナス補給船の開室は、13日月曜日を予定している。」
(米補給船が宇宙ステーションに到着、民間で2社目)
http://www.cnn.co.jp/fringe/35042419.html
「NASAと契約してISSへの物資補給を担う民間企業はスペースXに続く2社目となる。」
(民間船、ISSにドッキング=若田さんがアーム操作)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014011300001
「ドッキングでは、ISS乗員の若田光一さんがロボットアームでシグナスをつかんで誘導。また、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)がシグナスの管制に協力した。」
さて、物資の補給は、これで体勢が整ったことになるが、人員の輸送は相変わらず、ソユーズ頼みというところである。
別に、それだって悪いわけじゃないが、物資補給体勢と比較して、余りにオソマツではないのか。
(無人宇宙補給機)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E4%BA%BA%E5%AE%87%E5%AE%99%E8%A3%9C%E7%B5%A6%E6%A9%9F
「・ロシアのプログレス補給船 : 1978年1月20日 - 現在。
・欧州の欧州補給機 (ATV) : 2008年3月9日に打ち上げられ初補給。
・日本の宇宙ステーション補給機 (HTV) : 2009年9月10日に打ち上げられ初補給。
・アメリカのスペースX社のドラゴン : 2012年5月22日に打ち上げられ初補給。商業軌道輸送サービス (COTS) 計画により開発され、商業補給サービス (CRS) を行う。
・アメリカのオービタル・サイエンシズ社のシグナス : 2013年9月18日に打ち上げられ初補給。ドラゴンと同じくCOTS計画により開発され、CRSを行う。」
このうち、地上に物資を持ち帰ることができるのは、スペースXのドラゴンただ一つである。
情けない(NASAけない?、なんちゃって!)。
まあいい。
もちろん、有人機のソユーズだって、ちっこい荷物は持って帰れるかもしれないが、大したこたぁない。
有人機の開発については、先日、詳細に調査した。
(民間輸送ロケット)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/01/08/7180952
「現在、ボーイング、シエラネバダ、スペースXが、熾烈な開発競争を続けていて、予断を許さない。」
「ウイリアム・ガーステンマイヤー(NASAのエライ人)は、ISSへの人員の搬送に最も相応しい唯1社が選ばれるだろう、と宣言した。」
ただ1社だけが選定されるわけだな。
もちろん、NASAも黙ってはいない。
オリオン宇宙船は、月や火星だけではなく、ISSへの人員輸送も視野に入れている。
(オリオン宇宙船の初打ち上げまで、あと1年)
http://www.sorae.jp/030601/4994.html
「オリオンは「国際宇宙ステーション(ISS)からの緊急帰還用」として開発を続行」とある。
(About Orion:元記事)
http://www.nasa.gov/exploration/systems/mpcv/index.html#.UtPEuNJdV8E
「・Spacecraft to serve as the primary crew vehicle for missions beyond LEO
・Capable of conducting regular in-space operations (rendezvous, docking, extravehicular activity) in conjunction with payloads delivered by the Space Launch System (SLS) for missions beyond LEO
・Capability to be a backup system for International Space Station cargo and crew delivery」
(・LEOを超えてのミッションのための主要クルー車両として機能する宇宙船
・低軌道を超えてのミッションのために定期的にある空間操作宇宙発射システム(SLS)で配信ペイロードに関連して(ランデブー、ドッキング、船外活動)を行うことが可能な
・国際宇宙ステーションの貨物や乗組配信のためのバックアップシステムとしての能力:機械翻訳のまま)
2つ目の目的は、別に打ち上げたペイロードとドッキングして、ミッションを遂行する能力のことかもしれないな。
3つ目に、ISSの脱出用宇宙船としての機能が明記されている。
通常時は、人員の輸送に従事することはないのだろう。
それは、ソユーズや商業有人宇宙機が行う。
米国とロシア以外には、ISSへの有人飛行を行わせる意向はない。
まあ、中国は、独自に天宮との間のソユーズ改良型宇宙船を運用するだろうが。
(JAXAのHTV-R、ドラゴン宇宙船に似たデザインに)
http://science.slashdot.jp/story/13/10/28/0333204/JAXA%E3%81%AEHTV-R%E3%80%81%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3%E5%AE%87%E5%AE%99%E8%88%B9%E3%81%AB%E4%BC%BC%E3%81%9F%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AB
「以前のデザインは元々、HTV-RをHTV8号機として打ち上げるために、既存の設計を極力変更せず開発費と開発期間を圧縮するために考えられたものだったが、2014年度予算要求にすら乗らない現状では意味がなくなり、お蔵入りになったとのこと。」
日本独自の有人宇宙船や、宇宙からの物資回収技術は、未来永劫必要ない、というのが、現政権の、つまり、国民の大多数の意見である。
浮沈子も、ほぼ、同意見だ。
何も、我が国が独自に行う必要はないだろう。
米国の宇宙開発に、コバンザメのように引っ付いていればいいのだ(ただし、コバンザメとは逆に、エサを横取りされる運命なんだが・・・)。
ISSのきぼうモジュールとHIVの与圧モジュールの開発が、我が国最後の有人宇宙開発であって、何が悪いというのか。
周辺技術開発を請け負って、米国主導の火星ロケットのお零れに与かれるように、せいぜい技術を磨いておくことだ。
うっかりすると、米国は、よりコストの安い中国と技術提携をしてしまうかもしれない。
日本飛ばしは、ニクソン以来、米国の十八番だからな。
独自の有人飛行技術を我が国が取得するのは、100年後だろうが、そのころには、やりたくても出来なくなっているだろう。
人口は半分以下、経済力は縮退し、そろそろ中国と一緒になった方がいいかも、とか考えてる頃だろう。
韓国や北朝鮮なんて国家は、とっくに地図から消えてるだろうし・・・。
ま、その頃は、沖縄の米軍基地問題は全面解決してるな(米軍は、全面的に撤退して、1兵たりとも残ってないだろうよ)。
アジア市場の旨みは、既に米国経済にはないのだ。
その頃は、大西洋を挟んで、対アフリカ貿易が盛んになっていることだろう。
太平洋は、中国にくれてやるよ!。
煮て食おうが、焼いて食おうが、好きにすればあ?。
まあ、どうでもいいんですが。
我が国の将来なんて、せいぜいそんなもんだ。
有人宇宙飛行が聞いて呆れる・・・。
別に、有人でなくたって、宇宙開発は可能だ。
今なら、まだ、無人探査の面で貢献できることは多々ある。
ロボット技術や映像技術で、民生品では世界をリードしている。
これを宇宙開発に活かせばいいのだ。
浮沈子は、日本なんて宇宙開発止めちまえ!、とは言っていない(近いですが)。
小惑星とか、火星とか、セコイこといってないで、エウロパ行って、サンプル採って来い!。
きぼうモジュールなんかに大金使い続けるなら、そっちの方が、余程人類のためになると思うんだが。
もちろん、ローンチサービスは、スペースXだな。
安くて安心、三菱の半分以下の金額で上げてくれるだろうよ。
もっとも、予約がいっぱいで、断られるかもしれないけど。
オービタルサイエンシズのシグナス補給船が、ISSへ到着し、結合に成功した。
(シグナス補給船 国際宇宙ステーションに予定通り結合)
http://response.jp/article/2014/01/13/214699.html
「シグナス補給船の開室は、13日月曜日を予定している。」
(米補給船が宇宙ステーションに到着、民間で2社目)
http://www.cnn.co.jp/fringe/35042419.html
「NASAと契約してISSへの物資補給を担う民間企業はスペースXに続く2社目となる。」
(民間船、ISSにドッキング=若田さんがアーム操作)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014011300001
「ドッキングでは、ISS乗員の若田光一さんがロボットアームでシグナスをつかんで誘導。また、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)がシグナスの管制に協力した。」
さて、物資の補給は、これで体勢が整ったことになるが、人員の輸送は相変わらず、ソユーズ頼みというところである。
別に、それだって悪いわけじゃないが、物資補給体勢と比較して、余りにオソマツではないのか。
(無人宇宙補給機)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E4%BA%BA%E5%AE%87%E5%AE%99%E8%A3%9C%E7%B5%A6%E6%A9%9F
「・ロシアのプログレス補給船 : 1978年1月20日 - 現在。
・欧州の欧州補給機 (ATV) : 2008年3月9日に打ち上げられ初補給。
・日本の宇宙ステーション補給機 (HTV) : 2009年9月10日に打ち上げられ初補給。
・アメリカのスペースX社のドラゴン : 2012年5月22日に打ち上げられ初補給。商業軌道輸送サービス (COTS) 計画により開発され、商業補給サービス (CRS) を行う。
・アメリカのオービタル・サイエンシズ社のシグナス : 2013年9月18日に打ち上げられ初補給。ドラゴンと同じくCOTS計画により開発され、CRSを行う。」
このうち、地上に物資を持ち帰ることができるのは、スペースXのドラゴンただ一つである。
情けない(NASAけない?、なんちゃって!)。
まあいい。
もちろん、有人機のソユーズだって、ちっこい荷物は持って帰れるかもしれないが、大したこたぁない。
有人機の開発については、先日、詳細に調査した。
(民間輸送ロケット)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/01/08/7180952
「現在、ボーイング、シエラネバダ、スペースXが、熾烈な開発競争を続けていて、予断を許さない。」
「ウイリアム・ガーステンマイヤー(NASAのエライ人)は、ISSへの人員の搬送に最も相応しい唯1社が選ばれるだろう、と宣言した。」
ただ1社だけが選定されるわけだな。
もちろん、NASAも黙ってはいない。
オリオン宇宙船は、月や火星だけではなく、ISSへの人員輸送も視野に入れている。
(オリオン宇宙船の初打ち上げまで、あと1年)
http://www.sorae.jp/030601/4994.html
「オリオンは「国際宇宙ステーション(ISS)からの緊急帰還用」として開発を続行」とある。
(About Orion:元記事)
http://www.nasa.gov/exploration/systems/mpcv/index.html#.UtPEuNJdV8E
「・Spacecraft to serve as the primary crew vehicle for missions beyond LEO
・Capable of conducting regular in-space operations (rendezvous, docking, extravehicular activity) in conjunction with payloads delivered by the Space Launch System (SLS) for missions beyond LEO
・Capability to be a backup system for International Space Station cargo and crew delivery」
(・LEOを超えてのミッションのための主要クルー車両として機能する宇宙船
・低軌道を超えてのミッションのために定期的にある空間操作宇宙発射システム(SLS)で配信ペイロードに関連して(ランデブー、ドッキング、船外活動)を行うことが可能な
・国際宇宙ステーションの貨物や乗組配信のためのバックアップシステムとしての能力:機械翻訳のまま)
2つ目の目的は、別に打ち上げたペイロードとドッキングして、ミッションを遂行する能力のことかもしれないな。
3つ目に、ISSの脱出用宇宙船としての機能が明記されている。
通常時は、人員の輸送に従事することはないのだろう。
それは、ソユーズや商業有人宇宙機が行う。
米国とロシア以外には、ISSへの有人飛行を行わせる意向はない。
まあ、中国は、独自に天宮との間のソユーズ改良型宇宙船を運用するだろうが。
(JAXAのHTV-R、ドラゴン宇宙船に似たデザインに)
http://science.slashdot.jp/story/13/10/28/0333204/JAXA%E3%81%AEHTV-R%E3%80%81%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3%E5%AE%87%E5%AE%99%E8%88%B9%E3%81%AB%E4%BC%BC%E3%81%9F%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AB
「以前のデザインは元々、HTV-RをHTV8号機として打ち上げるために、既存の設計を極力変更せず開発費と開発期間を圧縮するために考えられたものだったが、2014年度予算要求にすら乗らない現状では意味がなくなり、お蔵入りになったとのこと。」
日本独自の有人宇宙船や、宇宙からの物資回収技術は、未来永劫必要ない、というのが、現政権の、つまり、国民の大多数の意見である。
浮沈子も、ほぼ、同意見だ。
何も、我が国が独自に行う必要はないだろう。
米国の宇宙開発に、コバンザメのように引っ付いていればいいのだ(ただし、コバンザメとは逆に、エサを横取りされる運命なんだが・・・)。
ISSのきぼうモジュールとHIVの与圧モジュールの開発が、我が国最後の有人宇宙開発であって、何が悪いというのか。
周辺技術開発を請け負って、米国主導の火星ロケットのお零れに与かれるように、せいぜい技術を磨いておくことだ。
うっかりすると、米国は、よりコストの安い中国と技術提携をしてしまうかもしれない。
日本飛ばしは、ニクソン以来、米国の十八番だからな。
独自の有人飛行技術を我が国が取得するのは、100年後だろうが、そのころには、やりたくても出来なくなっているだろう。
人口は半分以下、経済力は縮退し、そろそろ中国と一緒になった方がいいかも、とか考えてる頃だろう。
韓国や北朝鮮なんて国家は、とっくに地図から消えてるだろうし・・・。
ま、その頃は、沖縄の米軍基地問題は全面解決してるな(米軍は、全面的に撤退して、1兵たりとも残ってないだろうよ)。
アジア市場の旨みは、既に米国経済にはないのだ。
その頃は、大西洋を挟んで、対アフリカ貿易が盛んになっていることだろう。
太平洋は、中国にくれてやるよ!。
煮て食おうが、焼いて食おうが、好きにすればあ?。
まあ、どうでもいいんですが。
我が国の将来なんて、せいぜいそんなもんだ。
有人宇宙飛行が聞いて呆れる・・・。
別に、有人でなくたって、宇宙開発は可能だ。
今なら、まだ、無人探査の面で貢献できることは多々ある。
ロボット技術や映像技術で、民生品では世界をリードしている。
これを宇宙開発に活かせばいいのだ。
浮沈子は、日本なんて宇宙開発止めちまえ!、とは言っていない(近いですが)。
小惑星とか、火星とか、セコイこといってないで、エウロパ行って、サンプル採って来い!。
きぼうモジュールなんかに大金使い続けるなら、そっちの方が、余程人類のためになると思うんだが。
もちろん、ローンチサービスは、スペースXだな。
安くて安心、三菱の半分以下の金額で上げてくれるだろうよ。
もっとも、予約がいっぱいで、断られるかもしれないけど。
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