黄金時代 ― 2013年09月11日 17:56
黄金時代
「15、16、17と、私の人生暗かったあ・・・」
1960年代終わりから1970年代初めにかけて、一世を風靡した藤圭子が投身自殺をしたのは、つい先日だった。
最近は、宇多田ヒカルの母として知られるだけだったが、最後に、ド派手な死に方をした。
どんな事情があったのか、浮沈子は知らない。
特にファンでもない。
話は変わって、1982年に登場した、ポルシェのレーシングカーに、956というのがある。
(ポルシェ・956)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB956
「ワークススペックが10台、カスタマースペックが1983年型12台、モトロニックを搭載し、956Bともいわれる1984年型6台の計18台が製作された。」とある。
このマシンは、さらに962、と呼ばれるモデルに発展する。
(ポルシェ・962)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB962
「製作台数はワークススペックが1台、カスタマースペックがモノコック製作数ベースで17台である。」
「962Cの製作台数はワークススペックが14台、カスタマースペックがモノコック製作数ベースで60台である。カスタマースペックがモノコック製作数ベースなのは、ポルシェ956からポルシェ962Cへのアップデートサービス用として交換用に製作されたモノコックが6台、ワークスポルシェ962Cのスペア用に製作されたモノコックが10台、カスタマー向けスペア用として製作されたモノコックが4台、テスト用モノコックが2台が含まれているためである。」
両方あわせると、92台ということになる。
スペアとか、テスト用とか、アップデート用とか、全部含めてということになる。
90年代に入ると、レギュレーションの変更等も重なり、戦闘力を失っていくが、こんなクルマもあった。
(Dauer 962GT (1994))
http://www.ab.auone-net.jp/~modelcar/962GT.htm
「ポルシェ・エントリーの962がルマンで最後に優勝した1987年以降は、ジャガーやメルセデスがルマンを席巻しており、ポルシェとして94年のルマンに出場する車両も市販車ベースの964ターボS以外になかったことから、ポルシェはダウアーのルマン参戦を積極的に支援しました。」
「最低1台の公道走行可能な車両を作成すれば良いとする、GT1クラスへのホモロゲーション規定の抜け穴をうまく利用し、グループCカーである962に公道走行用の保安部品を取り付けてGT1クラスにホモロゲートし、結果的に優勝したことで、ポルシェはライバル・メーカーから激しい批判を受けました。」
そのくせ、「その後は各メーカーも実質的なプロトタイプ・マシンでGT1クラスに参戦し、GT1の規定自体が見直されることとなりました。」というのだから、非難もクソもあったもんじゃない。
その後、さらに、こんなマシンもあった。
(ポルシェ・WSC95)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BBWSC95
「トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)が開発したジャガー・XJR-14のシャーシーをベースに、改良設計を施したカーボンファイバーのモノコックをTWRが製造し、それにポルシェ・962Cに搭載されていた935/83 3.0リットル水平対向6気筒ターボエンジンとトランスミッションが組み合わされた。総製作台数は2台である。」
なんと、ジャガーのシャシーがベースとある。
ジャガーが怒るんじゃね?。
ポルシェが絡む、ルマンの優勝戦績を見てみよう。
(ル・マン24時間歴代勝者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B324%E6%99%82%E9%96%93%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E5%8B%9D%E8%80%85
1970:ポルシェ917K
1971:ポルシェ917K
1976:ポルシェ・936
1977:ポルシェ・936
1979:ポルシェ・935K3
1981:ポルシェ・936/81
1982:ポルシェ・956
1983:ポルシェ・956
1984:ポルシェ・956
1985:ポルシェ・956
1986:ポルシェ・962C
1987:ポルシェ・962C
1994:ダウアー・962LM
1996:TWR ポルシェ・WSC95
1997:TWR ポルシェ・WSC95
1998:ポルシェ 911 GT1-98
70年代から90年代にかけて、ルマンにおいて、輝かしい戦績を残している。
特に、956(962C含む)が活躍した82年から87年は、ポルシェの黄金時代と呼んでもいいだろう。
その956は、実はもう一つの記録を持っている。
(ポルシェ・956:最強マシン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB956
「ニュルブルクリンク北コース(L=20.830km、1983 - 1984年)での絶対コースレコード6分11秒13は、ドイツの新鋭であったステファン・ベロフが1983年のニュルブルクリンク1,000kmのフリー走行中にこの車で記録したものである。」
(ニュルブルクリンク:モータースポーツでの主なコースレコード)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF#.E3.83.A2.E3.83.BC.E3.82.BF.E3.83.BC.E3.82.B9.E3.83.9D.E3.83.BC.E3.83.84.E3.81.A7.E3.81.AE.E4.B8.BB.E3.81.AA.E3.82.B3.E3.83.BC.E3.82.B9.E3.83.AC.E3.82.B3.E3.83.BC.E3.83.89
「グループC:6分11秒13 - 1983年の1000km耐久レース予選にてステファン・ベロフがポルシェ・956で記録(GPコース建設中の暫定コース L=20.832kmで開催された。)」
918スパイダーが7分を切る30年(!)も前に、ポルシェは、6分に迫る、とんでもない記録を持っているのだ。
もちろん、レーシングマシンと、公道を走行できる車両とを同一の基準で比較することは無謀かもしれない。
しかし、これはどうなんだあ?。
(ラディカル SR8LM…これがニュル市販車最速ラップだ!!)
http://response.jp/article/2009/09/02/128963.html
「ラディカル社は、「市販車最速」を高らかに宣言。」とある。
(Radical SR8LM Rekordversuch:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=zF6QQVFlbns
ちゃんとナンバープレートを付けたレーシングカー(?)が、(公道走行可能な)市販車の最高ラップ(6分48秒)をたたき出している。
ニュルのラップについては、こんな記事がある。
(ニュルタイムの定義を明確にしないと誤解を招くよ?)
http://minkara.carview.co.jp/en/userid/571580/blog/18733692/
「ちなみにこのラディカルのタイムは、英国のEVOだったかオートカーだったかの企画で実際に英国からニュルまで自走して、現地で走行して出したタイム。 記事の書いてるような、公道走行の法規を満たしてないってことはなくて、ちゃんとナンバー付きのタイムね。」
まあ、公道走行可能なナンバー付きのクルマといっても、画像を見る限り、どこからどう見ても、レーシングカーにしか見えない。
(大阪オートメッセ その20 (スーパーカー ラディカル・SR8LM))
http://blogs.yahoo.co.jp/yupiki1010/11383293.html
ちなみに、0.2秒差で市販車最速となった、パガーニ・ゾンタRは、公道は一切走行できない。
しかし、だとすると、この記事は一体どうなっているのか?。
(【フランクフルトモーターショー13】ポルシェ 918スパイダー、ニュルで市販車最速…6分57秒)
http://response.jp/article/2013/09/11/206123.html
繰り返して恐縮だが、このクルマ、計測した9月4日現在、まだ、市販されていない・・・。
あえて言うなら、市販を前提とした最終プロトタイプとして世界最速、というところか。
まあ、どうでもいいんですが。
「ポルシェによると、このタイムは、レーシングカーを除いた公道走行可能な市販車としては、世界最速。」とあるが、それをそのまま記事にするところが、レスポンスらしい。
前出のラディカルの記事と、どう整合性を取るつもりなのか。
記事中のGT-Rのタイムにも問題がある。
(速さの進化は止まらない)
http://www.webcg.net/articles/-/17869
「「日産GT-R」2013年モデルがたたき出したニュルブルクリンクのラップタイムは、7分19秒1。」
「「タイヤも、サスペンションも、すべて標準。つまり、あなたのGT-Rと同じ仕様で走る。」そんな小見出しが躍るGT-Rの最新カタログを読んでいて、笑ってしまった。「2013年モデルは7分19秒1を記録した」のフレーズに続いて、「前走車による0.5秒のタイムロスがあったため、真の実力は7分18秒6と言える」と書かれていたからだ。
反射的に、「予選に失敗したドライバーの言い訳みたいだ」と思った。」
結果的に、「2012年5月には、日産『GT-R』の2013年モデルが、7分18秒6を刻んでいる。」という記述は、誤りということになる。
宣伝用の推定タイムに過ぎない。
売れてなんぼの市販車なので、まあ、いいことにしよう。
何にしても、956の絶対コースレコード6分11秒には、遠く遠く、限りなく遠く及ばないのだ。
遠い遠い昔、30年も前の、おお、奇しくも、浮沈子の83タルガが生産された年の記録である・・・。
世界最速を宣言するなら、この記録を上回ってからにして欲しいものだ(頑張ってね!)。
ルマンに話を戻すと、歴代優勝車の走行距離に、気になる点がある。
「2013 348 4742.89 km
2012 378 5151.76 km
2011 355 4838.30 km
2010 397 5410.71 km
2009 382 5206.27 km
2008 381 5200.65 km
2007 369 5036.85 km
2006 380 5187 km
2005 370 5050.5 km
2004 379 5169.9 km
2003 377 5146.05 km
2002 375 5118.75 km
2001 321 4381.65 km
2000 368 5007.99 km
1999 365 4968 km
1998 351 4773.18 km
1997 361 4909.6 km
1996 354 4814.4 km
1995 298 4055.8 km
1994 344 4678.4 km
1993 375 5100 km
1992 352 4787.2 km
1991 362 4922.81 km
1990 359 4882.4 km
1989 389 5265.115 km
1988 394 5332.79 km
1987 354 4791.777 km
1986 367 4972.731 km
1985 373 5088.507 km
1984 359 4900.276 km
1983 370 5047.934 km
1982 359 4899.086 km
1981 354 4825.348 km
1980 338 4608.02 km
1979 307 4173.93 km
1978 369 5044.53 km
1977 342 4671.63 km
1976 349 4769.923 km
1975 336 4595.577 km
1974 337 4606.571 km
1973 355 4853.945 km
1972 344 4691.343 km
1971 397 5335.313 km
1970 343 4607.81 km
1969 372 4998 km
1968 331 4452.88 km
1967 388 5232.9 km
1966 360 4843.09 km
1965 348 4677.11 km
1964 349 4695.31 km
1963 339 4561.71 km
1962 331 4451.255 km
1961 333 4476.580 km
1960 314 4217.527 km
1959 323 4347.9 km
1958 305 4101.926 km
1957 327 4397.108 km
1956 300 4034.929 km
1955 307 4135.38 km
1954 302 4061.15 km
1953 304 4088.064 km
1952 277 3773.8 km
1951 267 3611.193 km
1950 256 3465.12 km
1949 235 3178.299 km
(1948-1940 第二次世界大戦とフランス復興期のため中断)
1939 248 3354.76 km
1938 235 3180.94 km
1937 243 3287.938 km
(1936 自動車業界ストライキの影響で中止)
1935 222 3006.797 km
1934 213 2886.938 km
1933 233 3144.038 km
1932 218 2954.038 km
1931 184 3017.654 km
1930 179 2930.663 km
1929 174 2843.83 km
1928 154 2669.272 km
1927 137 2369.807 km
1926 147 2552.414 km
1925 129 2233.982 km
1924 120 2077.341 km
1923 128 2209.536 km」
コースの変更や、毎年のように変わるレギュレーションによって、多少の影響はあるだろうが、概ね同じコースを、24時間かかってどれだけの距離を走れるかというレースなので、優勝車の走行距離が、その時代の(競技用)自動車のスピードをあらわしているといってもいい。
1923年に、128周で始まった周回数が、150周を超えたのが1928年。
200周を超えたのが1932年(4年間)。
250周を超えたのが1950年(18年間)
300周を超えたのが1953年(3年間)。
350周を超えたのが、1966年(13年間)。
その後、2010年の397周(距離含め)を最長として、400周を超えたことはない。ルマンにおける自動車の速度は、この50年近くの間、停滞しているのだ。
もっといえば、1971年にも、397周を記録している(距離は短い)ので、40年以上の間、スピードについては、全く進歩がないといってもいい。
随分と乱暴な議論だが、大づかみに言って、正論であろう。
燃焼効率=燃費や、安全性など、改善された要素は大きいが、スピードは変わっていない。
自動車の進歩は、ある意味で終わったのだ(ガーン!)。
こうしてみると、ポルシェの黄金期が、1980年代にあるということが、何か意味のある出来事のように思えてくる。
このことについては、機会があれば、また書く。
「15、16、17と、私の人生暗かったあ・・・」
1960年代終わりから1970年代初めにかけて、一世を風靡した藤圭子が投身自殺をしたのは、つい先日だった。
最近は、宇多田ヒカルの母として知られるだけだったが、最後に、ド派手な死に方をした。
どんな事情があったのか、浮沈子は知らない。
特にファンでもない。
話は変わって、1982年に登場した、ポルシェのレーシングカーに、956というのがある。
(ポルシェ・956)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB956
「ワークススペックが10台、カスタマースペックが1983年型12台、モトロニックを搭載し、956Bともいわれる1984年型6台の計18台が製作された。」とある。
このマシンは、さらに962、と呼ばれるモデルに発展する。
(ポルシェ・962)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB962
「製作台数はワークススペックが1台、カスタマースペックがモノコック製作数ベースで17台である。」
「962Cの製作台数はワークススペックが14台、カスタマースペックがモノコック製作数ベースで60台である。カスタマースペックがモノコック製作数ベースなのは、ポルシェ956からポルシェ962Cへのアップデートサービス用として交換用に製作されたモノコックが6台、ワークスポルシェ962Cのスペア用に製作されたモノコックが10台、カスタマー向けスペア用として製作されたモノコックが4台、テスト用モノコックが2台が含まれているためである。」
両方あわせると、92台ということになる。
スペアとか、テスト用とか、アップデート用とか、全部含めてということになる。
90年代に入ると、レギュレーションの変更等も重なり、戦闘力を失っていくが、こんなクルマもあった。
(Dauer 962GT (1994))
http://www.ab.auone-net.jp/~modelcar/962GT.htm
「ポルシェ・エントリーの962がルマンで最後に優勝した1987年以降は、ジャガーやメルセデスがルマンを席巻しており、ポルシェとして94年のルマンに出場する車両も市販車ベースの964ターボS以外になかったことから、ポルシェはダウアーのルマン参戦を積極的に支援しました。」
「最低1台の公道走行可能な車両を作成すれば良いとする、GT1クラスへのホモロゲーション規定の抜け穴をうまく利用し、グループCカーである962に公道走行用の保安部品を取り付けてGT1クラスにホモロゲートし、結果的に優勝したことで、ポルシェはライバル・メーカーから激しい批判を受けました。」
そのくせ、「その後は各メーカーも実質的なプロトタイプ・マシンでGT1クラスに参戦し、GT1の規定自体が見直されることとなりました。」というのだから、非難もクソもあったもんじゃない。
その後、さらに、こんなマシンもあった。
(ポルシェ・WSC95)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BBWSC95
「トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)が開発したジャガー・XJR-14のシャーシーをベースに、改良設計を施したカーボンファイバーのモノコックをTWRが製造し、それにポルシェ・962Cに搭載されていた935/83 3.0リットル水平対向6気筒ターボエンジンとトランスミッションが組み合わされた。総製作台数は2台である。」
なんと、ジャガーのシャシーがベースとある。
ジャガーが怒るんじゃね?。
ポルシェが絡む、ルマンの優勝戦績を見てみよう。
(ル・マン24時間歴代勝者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B324%E6%99%82%E9%96%93%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E5%8B%9D%E8%80%85
1970:ポルシェ917K
1971:ポルシェ917K
1976:ポルシェ・936
1977:ポルシェ・936
1979:ポルシェ・935K3
1981:ポルシェ・936/81
1982:ポルシェ・956
1983:ポルシェ・956
1984:ポルシェ・956
1985:ポルシェ・956
1986:ポルシェ・962C
1987:ポルシェ・962C
1994:ダウアー・962LM
1996:TWR ポルシェ・WSC95
1997:TWR ポルシェ・WSC95
1998:ポルシェ 911 GT1-98
70年代から90年代にかけて、ルマンにおいて、輝かしい戦績を残している。
特に、956(962C含む)が活躍した82年から87年は、ポルシェの黄金時代と呼んでもいいだろう。
その956は、実はもう一つの記録を持っている。
(ポルシェ・956:最強マシン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB956
「ニュルブルクリンク北コース(L=20.830km、1983 - 1984年)での絶対コースレコード6分11秒13は、ドイツの新鋭であったステファン・ベロフが1983年のニュルブルクリンク1,000kmのフリー走行中にこの車で記録したものである。」
(ニュルブルクリンク:モータースポーツでの主なコースレコード)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF#.E3.83.A2.E3.83.BC.E3.82.BF.E3.83.BC.E3.82.B9.E3.83.9D.E3.83.BC.E3.83.84.E3.81.A7.E3.81.AE.E4.B8.BB.E3.81.AA.E3.82.B3.E3.83.BC.E3.82.B9.E3.83.AC.E3.82.B3.E3.83.BC.E3.83.89
「グループC:6分11秒13 - 1983年の1000km耐久レース予選にてステファン・ベロフがポルシェ・956で記録(GPコース建設中の暫定コース L=20.832kmで開催された。)」
918スパイダーが7分を切る30年(!)も前に、ポルシェは、6分に迫る、とんでもない記録を持っているのだ。
もちろん、レーシングマシンと、公道を走行できる車両とを同一の基準で比較することは無謀かもしれない。
しかし、これはどうなんだあ?。
(ラディカル SR8LM…これがニュル市販車最速ラップだ!!)
http://response.jp/article/2009/09/02/128963.html
「ラディカル社は、「市販車最速」を高らかに宣言。」とある。
(Radical SR8LM Rekordversuch:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=zF6QQVFlbns
ちゃんとナンバープレートを付けたレーシングカー(?)が、(公道走行可能な)市販車の最高ラップ(6分48秒)をたたき出している。
ニュルのラップについては、こんな記事がある。
(ニュルタイムの定義を明確にしないと誤解を招くよ?)
http://minkara.carview.co.jp/en/userid/571580/blog/18733692/
「ちなみにこのラディカルのタイムは、英国のEVOだったかオートカーだったかの企画で実際に英国からニュルまで自走して、現地で走行して出したタイム。 記事の書いてるような、公道走行の法規を満たしてないってことはなくて、ちゃんとナンバー付きのタイムね。」
まあ、公道走行可能なナンバー付きのクルマといっても、画像を見る限り、どこからどう見ても、レーシングカーにしか見えない。
(大阪オートメッセ その20 (スーパーカー ラディカル・SR8LM))
http://blogs.yahoo.co.jp/yupiki1010/11383293.html
ちなみに、0.2秒差で市販車最速となった、パガーニ・ゾンタRは、公道は一切走行できない。
しかし、だとすると、この記事は一体どうなっているのか?。
(【フランクフルトモーターショー13】ポルシェ 918スパイダー、ニュルで市販車最速…6分57秒)
http://response.jp/article/2013/09/11/206123.html
繰り返して恐縮だが、このクルマ、計測した9月4日現在、まだ、市販されていない・・・。
あえて言うなら、市販を前提とした最終プロトタイプとして世界最速、というところか。
まあ、どうでもいいんですが。
「ポルシェによると、このタイムは、レーシングカーを除いた公道走行可能な市販車としては、世界最速。」とあるが、それをそのまま記事にするところが、レスポンスらしい。
前出のラディカルの記事と、どう整合性を取るつもりなのか。
記事中のGT-Rのタイムにも問題がある。
(速さの進化は止まらない)
http://www.webcg.net/articles/-/17869
「「日産GT-R」2013年モデルがたたき出したニュルブルクリンクのラップタイムは、7分19秒1。」
「「タイヤも、サスペンションも、すべて標準。つまり、あなたのGT-Rと同じ仕様で走る。」そんな小見出しが躍るGT-Rの最新カタログを読んでいて、笑ってしまった。「2013年モデルは7分19秒1を記録した」のフレーズに続いて、「前走車による0.5秒のタイムロスがあったため、真の実力は7分18秒6と言える」と書かれていたからだ。
反射的に、「予選に失敗したドライバーの言い訳みたいだ」と思った。」
結果的に、「2012年5月には、日産『GT-R』の2013年モデルが、7分18秒6を刻んでいる。」という記述は、誤りということになる。
宣伝用の推定タイムに過ぎない。
売れてなんぼの市販車なので、まあ、いいことにしよう。
何にしても、956の絶対コースレコード6分11秒には、遠く遠く、限りなく遠く及ばないのだ。
遠い遠い昔、30年も前の、おお、奇しくも、浮沈子の83タルガが生産された年の記録である・・・。
世界最速を宣言するなら、この記録を上回ってからにして欲しいものだ(頑張ってね!)。
ルマンに話を戻すと、歴代優勝車の走行距離に、気になる点がある。
「2013 348 4742.89 km
2012 378 5151.76 km
2011 355 4838.30 km
2010 397 5410.71 km
2009 382 5206.27 km
2008 381 5200.65 km
2007 369 5036.85 km
2006 380 5187 km
2005 370 5050.5 km
2004 379 5169.9 km
2003 377 5146.05 km
2002 375 5118.75 km
2001 321 4381.65 km
2000 368 5007.99 km
1999 365 4968 km
1998 351 4773.18 km
1997 361 4909.6 km
1996 354 4814.4 km
1995 298 4055.8 km
1994 344 4678.4 km
1993 375 5100 km
1992 352 4787.2 km
1991 362 4922.81 km
1990 359 4882.4 km
1989 389 5265.115 km
1988 394 5332.79 km
1987 354 4791.777 km
1986 367 4972.731 km
1985 373 5088.507 km
1984 359 4900.276 km
1983 370 5047.934 km
1982 359 4899.086 km
1981 354 4825.348 km
1980 338 4608.02 km
1979 307 4173.93 km
1978 369 5044.53 km
1977 342 4671.63 km
1976 349 4769.923 km
1975 336 4595.577 km
1974 337 4606.571 km
1973 355 4853.945 km
1972 344 4691.343 km
1971 397 5335.313 km
1970 343 4607.81 km
1969 372 4998 km
1968 331 4452.88 km
1967 388 5232.9 km
1966 360 4843.09 km
1965 348 4677.11 km
1964 349 4695.31 km
1963 339 4561.71 km
1962 331 4451.255 km
1961 333 4476.580 km
1960 314 4217.527 km
1959 323 4347.9 km
1958 305 4101.926 km
1957 327 4397.108 km
1956 300 4034.929 km
1955 307 4135.38 km
1954 302 4061.15 km
1953 304 4088.064 km
1952 277 3773.8 km
1951 267 3611.193 km
1950 256 3465.12 km
1949 235 3178.299 km
(1948-1940 第二次世界大戦とフランス復興期のため中断)
1939 248 3354.76 km
1938 235 3180.94 km
1937 243 3287.938 km
(1936 自動車業界ストライキの影響で中止)
1935 222 3006.797 km
1934 213 2886.938 km
1933 233 3144.038 km
1932 218 2954.038 km
1931 184 3017.654 km
1930 179 2930.663 km
1929 174 2843.83 km
1928 154 2669.272 km
1927 137 2369.807 km
1926 147 2552.414 km
1925 129 2233.982 km
1924 120 2077.341 km
1923 128 2209.536 km」
コースの変更や、毎年のように変わるレギュレーションによって、多少の影響はあるだろうが、概ね同じコースを、24時間かかってどれだけの距離を走れるかというレースなので、優勝車の走行距離が、その時代の(競技用)自動車のスピードをあらわしているといってもいい。
1923年に、128周で始まった周回数が、150周を超えたのが1928年。
200周を超えたのが1932年(4年間)。
250周を超えたのが1950年(18年間)
300周を超えたのが1953年(3年間)。
350周を超えたのが、1966年(13年間)。
その後、2010年の397周(距離含め)を最長として、400周を超えたことはない。ルマンにおける自動車の速度は、この50年近くの間、停滞しているのだ。
もっといえば、1971年にも、397周を記録している(距離は短い)ので、40年以上の間、スピードについては、全く進歩がないといってもいい。
随分と乱暴な議論だが、大づかみに言って、正論であろう。
燃焼効率=燃費や、安全性など、改善された要素は大きいが、スピードは変わっていない。
自動車の進歩は、ある意味で終わったのだ(ガーン!)。
こうしてみると、ポルシェの黄金期が、1980年代にあるということが、何か意味のある出来事のように思えてくる。
このことについては、機会があれば、また書く。
リストリクター ― 2013年09月11日 23:14
リストリクター
(リストリクター)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC
「リストリクター(Restrictor)とは、モータースポーツにおいてエンジン出力を制限する目的で、エンジン吸気口に取り付けられる部品のこと。一般にはトランペット状の管となっているものが多いが、板状のものを使用するカテゴリもある。」
「リストリクターにより「エンジンの過度な高回転化の防止」「出力馬力の均衡化」といった効果が得られ、エンジン開発費の高騰を防ぐ、レースにおける戦力が拮抗するといったメリットがあることから、近年多くのレースカテゴリーにおいてリストリクターの装着が義務化されている。」
「吸気口に装着したリストリクターをチーム側で勝手に取り外したり、リストリクター以外の部分からの吸気が可能になっていたりしたのではリストリクターを設ける意味がないため、リストリクターの装着に際してはレース主催者側で封印が施されるほか、それ以外の部分からの吸気ができない構造になっているかどうかが車検でチェックされる。」
もちろん、現代のレースで採用されているKERSや、ハイブリッド車においては、それぞれ別の出力規制が適用されているのだろうし、今後登場するであろう電気自動車においては、全く異なる規制を導入する必要がある(コイルの巻き数とか?)。
引用にもあるとおり、エンジンの過度の高回転化の防止、出力馬力の均衡化により、エンジン開発費の抑制、レースにおける戦力の拮抗が図られる。
要するに、主催者側としては、抜きつ抜かれつの、手に汗握る白熱のレースを期待するわけで、その興奮とスリルを味わうために、お客さんを呼べたり、スポンサーが付いたり、テレビの放映権料がつり上がったりするわけだ。
オリンピックにおける、薬物禁止のようなものか。
もちろん、選手の健康管理ということもあるだろうが、薬物の効果を借りて高記録を出すというのは、ここ一番の抜きどころでニトロ吹くようなもんで、反則な訳だ。
薬物を禁止しなくても、生身の人間の場合、重量挙げで床が抜けるとか、砲丸投げで人工衛星が増えてしまうというようなことはない(たぶん)。
それでも、そんなエンジェルダストのような薬を開発できたり、購入できたりする国や地域ばかりが勝ってしまうというのは、興行的に面白くないし、ひいては、その競技の価値を失わせることになりかねない。
国家や企業がスポンサーに付いたり、立派な強化施設を利用したり、優秀なコーチを採用したりするというところで、何だかんだと経済的に差がついて、かつての共産圏諸国や現代のスポーツ先進国がメダルを総なめにしているという実態があるとしても、少なくとも、可能な限り人間の生身の身体能力を、才能と鍛錬で引き出して競うという建前を維持しようとしているわけだな。
機械の能力を使う自動車競技の場合、才能とか、鍛錬とか、言ってられないので、手っ取り早く、リストリクターを付けてしまうというわけだ。
出力規制である。
このために、ルマンの周回数が頭打ちとなり、タイヤメーカーは、ほっと一息ついているに違いない。
このリストリクターは、吸気が音速を超えることはないという仮定の下に成立している出力規制アイテムである。
超音速で吸気するシステムが開発されれば、また、別の方法を探らなければならない。
タービンでコンプレッサーを回すなんて、まどろっこしいことは止めて、ロケットエンジンで過給せんかい!(それで飛んだほうが、速いんじゃね?)。
まあいい。
イタチゴッコのような、高出力化と、その規制だが、先行逃げ切りばかりの競艇のようなレースになるよりは、観客を楽しませるという点でも、ある程度のイコールコンディションを整える意味はあるだろう。
かといって、全く同じ能力で、スタート順に僅差でゴールするだけのレースでは、これもまた、絵にならんのじゃないかあ?。
ドライビングの技量、運営のノウハウ、ピットクルーの能力など、クルマの性能以外でも、レース結果に差が出る要素はあり、その辺りを楽しめるようになると、フォーミュラーカーのレースでも、面白さが倍増するわけだ。
しかし、市販車というのは、逆に公道走行のための保安装置や排ガス規制、最低地上高の確保や、突起物の禁止さえクリアすれば、普通乗用車でも、1200馬力のエンジンを積んで、堂々と走ることが出来る。
(【フランクフルトモーターショー13】ブガッティ ヴェイロン 世界に3台の“Jean Bugatti”)
http://response.jp/article/2013/09/10/206045.html
「パワートレインに変更はない。4個のターボチャージャーで過給される8.0リットルW16気筒ガソリンエンジンは、最大出力1200ps、最大トルク153kgmを引き出す。0‐100km/h加速は2.6秒、最高速は410km/h。」とある。
次期ベイロンの発表に期待していたのだが、1600馬力、最高時速460kmのスーパーベイロンは、未だ登場しない。
日本の公道では、せいぜい100馬力、最高時速だって150kmも出れば、実用上困ることは何もない。
道路事情や、交通法規といった、目に見えないリストリクターがそこにはある。
最近は、自転車というリストリクターを路上にばら撒くことによって、速度規制に活用しようという人命軽視の愚挙に出た国もある。
世界中で、こんな話は聞いたこともない。
歩道における自転車取締りに税金を使うのではなく、自転車専用道路に税金を使うのでもなく、生身を露出した動力装置を持たない交通機関を、ダンプやトレーラーが轟音を立てて走る車道へたたき出す・・・。
小学生や、老人についても、一部を除いて同じ措置を取ったわけだ。
よくよく、命を大切にしない国である。
かくいう浮沈子も、自転車に乗るときには、車道を逆走してみたり、信号機のないところで横断したり、一時停止をしなかったり、都合よく歩道を走ったりする。
規則を遵守しているのは、浮沈子が知る限り、お巡りさんだけである。多くの国民は、この法律を悪法だと知り、適当に守り、適当に破って暮らしている。
戦後の一時期、配給の食糧だけを食べて、餓死した裁判官がいたそうである。
(山口良忠)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E8%89%AF%E5%BF%A0
「栄養失調に伴う肺浸潤(初期の肺結核)のため33歳で死去した。」
脚注には、「ルース・ベネディクト著による「菊と刀」では、日本人とアメリカ人の法律に対する考え方の違いについて書かれている。アメリカ人と違って日本人は法律を完璧に遵守すべきものと考えていないとして、その例として食糧管理法を遵守して山口が餓死した事を挙げ、それ以外の日本人でこの法を遵守する者がいなかったと述べられている。」とある。
もちろん、山口以外にも餓死したものはいたし、米国民の遵法意識が我が国よりも高いかどうかについては、異論があろう。
他国が国際法規を遵守しなかったからといって、ミサイルを撃ち込むというのが、遵法精神の発露だとしたら、何をかいわんやである。
このブログは、コンプライアンスを批判する趣旨ではない。
競技ではない、日常の生活の中に法を適用する時、あえて犯罪者になることもまた、法との関わり合い方であるということを言いたいのだ。
リストリクターとは、また、別の話である。
(リストリクター)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC
「リストリクター(Restrictor)とは、モータースポーツにおいてエンジン出力を制限する目的で、エンジン吸気口に取り付けられる部品のこと。一般にはトランペット状の管となっているものが多いが、板状のものを使用するカテゴリもある。」
「リストリクターにより「エンジンの過度な高回転化の防止」「出力馬力の均衡化」といった効果が得られ、エンジン開発費の高騰を防ぐ、レースにおける戦力が拮抗するといったメリットがあることから、近年多くのレースカテゴリーにおいてリストリクターの装着が義務化されている。」
「吸気口に装着したリストリクターをチーム側で勝手に取り外したり、リストリクター以外の部分からの吸気が可能になっていたりしたのではリストリクターを設ける意味がないため、リストリクターの装着に際してはレース主催者側で封印が施されるほか、それ以外の部分からの吸気ができない構造になっているかどうかが車検でチェックされる。」
もちろん、現代のレースで採用されているKERSや、ハイブリッド車においては、それぞれ別の出力規制が適用されているのだろうし、今後登場するであろう電気自動車においては、全く異なる規制を導入する必要がある(コイルの巻き数とか?)。
引用にもあるとおり、エンジンの過度の高回転化の防止、出力馬力の均衡化により、エンジン開発費の抑制、レースにおける戦力の拮抗が図られる。
要するに、主催者側としては、抜きつ抜かれつの、手に汗握る白熱のレースを期待するわけで、その興奮とスリルを味わうために、お客さんを呼べたり、スポンサーが付いたり、テレビの放映権料がつり上がったりするわけだ。
オリンピックにおける、薬物禁止のようなものか。
もちろん、選手の健康管理ということもあるだろうが、薬物の効果を借りて高記録を出すというのは、ここ一番の抜きどころでニトロ吹くようなもんで、反則な訳だ。
薬物を禁止しなくても、生身の人間の場合、重量挙げで床が抜けるとか、砲丸投げで人工衛星が増えてしまうというようなことはない(たぶん)。
それでも、そんなエンジェルダストのような薬を開発できたり、購入できたりする国や地域ばかりが勝ってしまうというのは、興行的に面白くないし、ひいては、その競技の価値を失わせることになりかねない。
国家や企業がスポンサーに付いたり、立派な強化施設を利用したり、優秀なコーチを採用したりするというところで、何だかんだと経済的に差がついて、かつての共産圏諸国や現代のスポーツ先進国がメダルを総なめにしているという実態があるとしても、少なくとも、可能な限り人間の生身の身体能力を、才能と鍛錬で引き出して競うという建前を維持しようとしているわけだな。
機械の能力を使う自動車競技の場合、才能とか、鍛錬とか、言ってられないので、手っ取り早く、リストリクターを付けてしまうというわけだ。
出力規制である。
このために、ルマンの周回数が頭打ちとなり、タイヤメーカーは、ほっと一息ついているに違いない。
このリストリクターは、吸気が音速を超えることはないという仮定の下に成立している出力規制アイテムである。
超音速で吸気するシステムが開発されれば、また、別の方法を探らなければならない。
タービンでコンプレッサーを回すなんて、まどろっこしいことは止めて、ロケットエンジンで過給せんかい!(それで飛んだほうが、速いんじゃね?)。
まあいい。
イタチゴッコのような、高出力化と、その規制だが、先行逃げ切りばかりの競艇のようなレースになるよりは、観客を楽しませるという点でも、ある程度のイコールコンディションを整える意味はあるだろう。
かといって、全く同じ能力で、スタート順に僅差でゴールするだけのレースでは、これもまた、絵にならんのじゃないかあ?。
ドライビングの技量、運営のノウハウ、ピットクルーの能力など、クルマの性能以外でも、レース結果に差が出る要素はあり、その辺りを楽しめるようになると、フォーミュラーカーのレースでも、面白さが倍増するわけだ。
しかし、市販車というのは、逆に公道走行のための保安装置や排ガス規制、最低地上高の確保や、突起物の禁止さえクリアすれば、普通乗用車でも、1200馬力のエンジンを積んで、堂々と走ることが出来る。
(【フランクフルトモーターショー13】ブガッティ ヴェイロン 世界に3台の“Jean Bugatti”)
http://response.jp/article/2013/09/10/206045.html
「パワートレインに変更はない。4個のターボチャージャーで過給される8.0リットルW16気筒ガソリンエンジンは、最大出力1200ps、最大トルク153kgmを引き出す。0‐100km/h加速は2.6秒、最高速は410km/h。」とある。
次期ベイロンの発表に期待していたのだが、1600馬力、最高時速460kmのスーパーベイロンは、未だ登場しない。
日本の公道では、せいぜい100馬力、最高時速だって150kmも出れば、実用上困ることは何もない。
道路事情や、交通法規といった、目に見えないリストリクターがそこにはある。
最近は、自転車というリストリクターを路上にばら撒くことによって、速度規制に活用しようという人命軽視の愚挙に出た国もある。
世界中で、こんな話は聞いたこともない。
歩道における自転車取締りに税金を使うのではなく、自転車専用道路に税金を使うのでもなく、生身を露出した動力装置を持たない交通機関を、ダンプやトレーラーが轟音を立てて走る車道へたたき出す・・・。
小学生や、老人についても、一部を除いて同じ措置を取ったわけだ。
よくよく、命を大切にしない国である。
かくいう浮沈子も、自転車に乗るときには、車道を逆走してみたり、信号機のないところで横断したり、一時停止をしなかったり、都合よく歩道を走ったりする。
規則を遵守しているのは、浮沈子が知る限り、お巡りさんだけである。多くの国民は、この法律を悪法だと知り、適当に守り、適当に破って暮らしている。
戦後の一時期、配給の食糧だけを食べて、餓死した裁判官がいたそうである。
(山口良忠)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E8%89%AF%E5%BF%A0
「栄養失調に伴う肺浸潤(初期の肺結核)のため33歳で死去した。」
脚注には、「ルース・ベネディクト著による「菊と刀」では、日本人とアメリカ人の法律に対する考え方の違いについて書かれている。アメリカ人と違って日本人は法律を完璧に遵守すべきものと考えていないとして、その例として食糧管理法を遵守して山口が餓死した事を挙げ、それ以外の日本人でこの法を遵守する者がいなかったと述べられている。」とある。
もちろん、山口以外にも餓死したものはいたし、米国民の遵法意識が我が国よりも高いかどうかについては、異論があろう。
他国が国際法規を遵守しなかったからといって、ミサイルを撃ち込むというのが、遵法精神の発露だとしたら、何をかいわんやである。
このブログは、コンプライアンスを批判する趣旨ではない。
競技ではない、日常の生活の中に法を適用する時、あえて犯罪者になることもまた、法との関わり合い方であるということを言いたいのだ。
リストリクターとは、また、別の話である。
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