500Eデスビ ― 2014年07月20日 22:37
500Eデスビ
以下は、J-AUTOの金川さんの受け売り。
500Eのデストリビューターは、ダイムラーに納品されたものと、ボッシュ直売りのものとは異なり、直売りのデスビは寿命短く、ベンツ純正品は、清掃のみで長期間持つ。
浮沈子は、もちろん、純正である。
数万円を惜しんで、長期にみると高い買い物をするより、多少高くても良いものを求めた。
しかし、なかなか乗ってやれない日々が続くと、機嫌を損ねるわけだな。
V8のエンジンがまともに点火せず、ブルブルと震えるのだ。
点火系の問題である。
燃料じゃあなかろう・・・。
おまけに、フロントブレーキからは異音がしている。
初期型ブレンボの、アルミ製キャリパーにありがちな歪みのせいだ。
結局、根本対策はキャリパー交換しかない。
93年式の16インチで対応できるヤツを、足回りを18インチに変えるオーナーが現れるのを待って手に入れるわけだ。
浮沈子も、一時ブレーキのグレードアップを考えていたのだが、実際に乗ってみて、その必要性を感じなかった。
回転するホイールをロックさせるパワーは、十分持っている。
この車が生まれた国での通常の使用速度である、250kmで必要になるストッピングパワーは、与えられているのだ。
16インチに収まるヤツにしてください・・・。
デスビ清掃で快調になったエンジンを回しながら帰路に着く。
愚弟の運転は、相変わらず吹かし気味だ。
FD乗ってんじゃねえんだからな。
タイヤも、そろそろ考えてもいい。
ミシュラン辺りが狙い目なんだろうか。
銘柄に拘るよりも、経年劣化して固くなったゴムで走り続けずに、早めに代えてやるのが正解だろう。
EZL(イグナイター)が逝ってしまったクルマが入っていた。
新品で53まんえん(!)だそうだ。
もう、なんか、どうにでもしてくれという状況だな。
それでも、このクルマに乗り続けたいという人はいるのだ。
人生の掛け替えのない時間(特に、最近はそう感じることが多い)を共に過ごすクルマとして、500Eというクルマは、少なくとも浮沈子にとっては十分である。
今や、博物館行きの感がある4ドアセダン(しかも、カクカクとした四角い形)で、燃費最悪(リッター5キロ)、そんなクルマを乗り回して、何が面白いのか。
うーん、乗ればわかるとしか言えないが、乗らずに分からせる術を知らない。
重く、ずしりとした感覚、ガチではなく、強靭なバネのような弾力性のある剛性感、大排気量NAエンジンの素直な特性と、踏み込んだ時の軽やかな加速(ガソリン代の方も、軽やかに消えていくんですが)。
切ったら切っただけ素直に曲がっていくハンドリングや、意外なほど小回りが利く車体の扱いやすさ。
我が国の高速道路では持て余す性能だが、法定速度での乗り味も悪くはない。
この手のクルマは、実用車として乗り倒してナンボである。
遠慮なく乗って、消耗品はどんどん代える。
考えてみれば、22年も前のクルマなのに、何の不自由もない。
カーステとか、カーナビは一応現代的なものに代えたが、走りの部分は往時のままである。
浮沈子にとっては、アガリのクルマだ。
他に、どんなに高価で現代的なクルマが手に入れられようと、このクルマから乗り換えることはない。
走り続けられる限り、どこまでも走るだけだ。
走ること、走るために乗ること、そのことによってクルマと関わることの喜びを感じさせてくれること、戦闘的にならず、自分のペースで走って十分満足できること。
乗れば乗るだけ、クルマに馴染む。
まあ、6リッターとか、気になるクルマがないわけではない。
しかし、このクルマが持つバランスの良さ、クルマ作りの確かさは、独特のものだ。
電子制御の修飾のない、まろやかな味わいが心地よいのだ。
よくも、こんな車を作ったものだ。
このクルマを生み出した時代に、辛うじて生を営み、乗り続けることが出来るというのは幸せというより他にない。
今では、このクルマの二倍もの馬力を搾り出すモンスターセダンが溢れている。
300kmを超える最高速で、風のように抜き去っていくだろう(もちろん、アウトバーンでの話!)。
そういうクルマに乗りたいとは思わない。
分不相応というものである。
最速、最強、最新のクルマ・・・。
そういう競争の世界から離れたところに、500Eの価値はある。
オンリーワンの価値。
乗れば分かる。
デスビが煤で汚れて、調子悪くなるような状態になって、申し訳ない・・・。
もちっと、乗ってやらねば・・・。
以下は、J-AUTOの金川さんの受け売り。
500Eのデストリビューターは、ダイムラーに納品されたものと、ボッシュ直売りのものとは異なり、直売りのデスビは寿命短く、ベンツ純正品は、清掃のみで長期間持つ。
浮沈子は、もちろん、純正である。
数万円を惜しんで、長期にみると高い買い物をするより、多少高くても良いものを求めた。
しかし、なかなか乗ってやれない日々が続くと、機嫌を損ねるわけだな。
V8のエンジンがまともに点火せず、ブルブルと震えるのだ。
点火系の問題である。
燃料じゃあなかろう・・・。
おまけに、フロントブレーキからは異音がしている。
初期型ブレンボの、アルミ製キャリパーにありがちな歪みのせいだ。
結局、根本対策はキャリパー交換しかない。
93年式の16インチで対応できるヤツを、足回りを18インチに変えるオーナーが現れるのを待って手に入れるわけだ。
浮沈子も、一時ブレーキのグレードアップを考えていたのだが、実際に乗ってみて、その必要性を感じなかった。
回転するホイールをロックさせるパワーは、十分持っている。
この車が生まれた国での通常の使用速度である、250kmで必要になるストッピングパワーは、与えられているのだ。
16インチに収まるヤツにしてください・・・。
デスビ清掃で快調になったエンジンを回しながら帰路に着く。
愚弟の運転は、相変わらず吹かし気味だ。
FD乗ってんじゃねえんだからな。
タイヤも、そろそろ考えてもいい。
ミシュラン辺りが狙い目なんだろうか。
銘柄に拘るよりも、経年劣化して固くなったゴムで走り続けずに、早めに代えてやるのが正解だろう。
EZL(イグナイター)が逝ってしまったクルマが入っていた。
新品で53まんえん(!)だそうだ。
もう、なんか、どうにでもしてくれという状況だな。
それでも、このクルマに乗り続けたいという人はいるのだ。
人生の掛け替えのない時間(特に、最近はそう感じることが多い)を共に過ごすクルマとして、500Eというクルマは、少なくとも浮沈子にとっては十分である。
今や、博物館行きの感がある4ドアセダン(しかも、カクカクとした四角い形)で、燃費最悪(リッター5キロ)、そんなクルマを乗り回して、何が面白いのか。
うーん、乗ればわかるとしか言えないが、乗らずに分からせる術を知らない。
重く、ずしりとした感覚、ガチではなく、強靭なバネのような弾力性のある剛性感、大排気量NAエンジンの素直な特性と、踏み込んだ時の軽やかな加速(ガソリン代の方も、軽やかに消えていくんですが)。
切ったら切っただけ素直に曲がっていくハンドリングや、意外なほど小回りが利く車体の扱いやすさ。
我が国の高速道路では持て余す性能だが、法定速度での乗り味も悪くはない。
この手のクルマは、実用車として乗り倒してナンボである。
遠慮なく乗って、消耗品はどんどん代える。
考えてみれば、22年も前のクルマなのに、何の不自由もない。
カーステとか、カーナビは一応現代的なものに代えたが、走りの部分は往時のままである。
浮沈子にとっては、アガリのクルマだ。
他に、どんなに高価で現代的なクルマが手に入れられようと、このクルマから乗り換えることはない。
走り続けられる限り、どこまでも走るだけだ。
走ること、走るために乗ること、そのことによってクルマと関わることの喜びを感じさせてくれること、戦闘的にならず、自分のペースで走って十分満足できること。
乗れば乗るだけ、クルマに馴染む。
まあ、6リッターとか、気になるクルマがないわけではない。
しかし、このクルマが持つバランスの良さ、クルマ作りの確かさは、独特のものだ。
電子制御の修飾のない、まろやかな味わいが心地よいのだ。
よくも、こんな車を作ったものだ。
このクルマを生み出した時代に、辛うじて生を営み、乗り続けることが出来るというのは幸せというより他にない。
今では、このクルマの二倍もの馬力を搾り出すモンスターセダンが溢れている。
300kmを超える最高速で、風のように抜き去っていくだろう(もちろん、アウトバーンでの話!)。
そういうクルマに乗りたいとは思わない。
分不相応というものである。
最速、最強、最新のクルマ・・・。
そういう競争の世界から離れたところに、500Eの価値はある。
オンリーワンの価値。
乗れば分かる。
デスビが煤で汚れて、調子悪くなるような状態になって、申し訳ない・・・。
もちっと、乗ってやらねば・・・。
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