ダイバーの末路2012年01月01日 10:03

水中の墓誌
水中の墓誌


セブに来て、必ず1回はこのプレートの所を訪れる。イントラが案内してくれて、表面を擦ってきれいにしようとするのだが、汚れてしまって読み取れない。コンチキのダイビングスポットで亡くなった方の墓誌である。本当は、もう1枚、少し離れたところにもあり、元は並んで置いてあった。

こんな最期を遂げて、本人も無念だろうと思う。ダイビングは、レクリエーショナルであれテクニカルであれ、レジャーダイビングであり、所詮遊びなのだ。無論、遊びに命賭けることはあっていい。自己責任の世界だから。でも、それって、ここじゃあないよね。リゾートダイビングに命賭けたって、誰も感心したりはしない。

聞くところによると、二人とも事故なんだそうだ。

ダイバーの末路は引退か、死か。それしかない。この魅力的な趣味に別れを告げるのは、いささか後ろ髪引かれる思いだが(前髪ないので・・・)、いつかはその時を迎える。政治家の進退は自分で決めるというが、ダイバーも同じだ。サーティフィケートを取ってしまえば、原則として更新はしない。自分の判断で辞めるしかない。

もっとも、最近は医師の診断書がないと50歳以上は潜らせてくれないショップもあるようだ。私もその診断書を書いてもらっている。ハードなダイビングはダメ!、と言われているんですよ、イントラ!。

で、いつか辞める。

急に辞めるのではなく、徐々に制限をかけていくことになるだろう。あと数年でピークを迎えるとして、たとえば80メートル位まで行けるようになっていたとすれば、60メートルまでとか、40メートル、20メートルと行った具合に、徐々に深度を制限するとか、潜水時間を短くするとか。

CCRも、その頃には年寄りでも担げる小ぶりで軽い奴が出来ていることだろうから、そいつに取り替えてしまえばいい。CCRにはこだわりたいなあ・・・。

で、いつか辞める。

ザ・ラストダイブである。その日は、水曜の大波の日(?)で、きっと抜けるような青空で、燦々と陽が照りつける絶好のダイビング日和に違いない(と夢想する・・・)。ちょっと古くなったCCRを担いでダイビングする。水中は青一色の素晴らしい世界だ。ゆらゆらと(あるいは、ヨタヨタと)ダイビングを楽しんだあと、エキジットで大波に巻き込まれて転けてしまう(ここは、是非こけてしまいたい)。足をくじいて両肩を支えられながらエキジットすると、若いダイバーがそこにいて、彼に大切にしていたCCRを譲るのだ・・・(これって、ビッグウエンズデーの観すぎ?)。

という具合に、無事に引退出来るのが理想だが、そうはいかないかもしれない。減圧症に罹り、関節の痛みや痺れ、麻痺に苦しみながら引退するかもしれない。分をわきまえないダイビングを強行して、周りに思いっきり迷惑をかけたり、果ては巻き添えまで出して、失意の内に引退せざるを得ないことになるかもしれない(これだけは、したくないよなあ)。

生きてさえいれば、ダイビングなんかできなくても、他のことでいくらでも人生を楽しむことができる。ダイビングなんかで死んでしまったら、何んにもならない。所詮、高がダイビングである。

孤独に歩め、悪をなさず、求めるところは少なく、林の中の象のように。

ダイビングを辞めた後の人生も、考えておかなくっちゃなあ(ポルシェか?)。

大晦日のセブ2012年01月01日 10:07

水中の菜園?
水中の菜園?


年末年始をセブで過ごすことになって、4年目である。2008年からCCRを習い始めて、丸3年以上になった。私の場合、そもそもファンダイブ20本でCCRになったので、ダイビングそのものも丸4年に過ぎない。

なあんだ、まだ初心者なんじゃん!。

その通り、新人ですぅーっ!(キモイ・・・)。

だから、経験がモノを云うこの世界では、本当は大人しく人の言うことを聞いて、ハイハイと言っていればいいのだ。決して、CCRはテクニカルダイビング御用達の器材ではない!、とか、今どき空気吸ってるダイバーは「化石」だ!、とか、サイドマウントなんて単なる流行りもんじゃん!、とか言ってはいかんのです、ハイ・・・。

外では、年越しの花火が時折、ドーンといって上がっている。これが深夜になると、バ、バ、バ、バアーンと上がって、爆竹のバチバチ、バーンというのと一緒になって、大変なことになる。大音量で音楽が鳴ったりもする。新年は(有難いことに)1年に1回しかこないので、まあ、仕方がないから我慢することにしている。

日本の風情ある大晦日の雰囲気とは大違いだ。ダイレクトでエネルギッシュで、単純である。若いのだ、全てが。この国の姿そのものである。別に、それが悪いと言っているわけじゃない。他国の文化を理解することは大切なことで、ひいては世界平和に貢献する、と、ユネスコ憲章の前文にも書いてあった。

心の中に平和の砦を築くのも、楽じゃあない。

今日の晩飯は、無難にシュリンプカレーとガーリックライスにした。昨日はスペシャルフライドライスだったが、ちょっと野菜が足りない。明日はトマトスープかベジタブルスープにしよう。

いや、ひょっとするとまたハルハイでピザにするかも。どうも、ここ(コンチキ)のコーヒー(のようなもの)の味にはなじめない。インスタントであることは承知の上なのだが、もうちょっと何とかならないものかと、3年間ずうーっと思っているが、全く変わらない。

そこにいくと、さすがにオーストリア人オーナーが経営するハルハイのエスプレッソは美味い。いや、多分普通の味なのだが、極上の香りが漂う。そもそも、ここでなくては香りのするコーヒーにありつけない。

一泊3600円の安宿で、文句を言っても始まらないが・・・。

ああ、また花火が上がった。

今日はたっぷりと昼寝をしたので、現地時間の10時半ではまだ眠くならない。日本との時差は1時間だが、やることがないので余計時間が経つのが遅い。しかも明日はイントラの都合でダイビングは10時からだ。

1日に1本、それもCCRを使っての殿様ダイビング。器材はイントラやローカルが水中まで運んでくれるので、装備重量40キログラムを超えるCCR及びベイルアウト用シリンダーを持つこともない。楽な遊びだ。水温は28度以上あるし、このところの天気は曇りがちで体に優しい。それでも、気を付けないと脱水する。ここは熱帯なのだ。

元旦のセブ2012年01月01日 14:36

元旦のセブ
元旦のセブ


2012年になった。

風は強いが、天気は上々である。

夕べは爆竹こそ鳴らなかったものの、花火と音楽が午前零時を挟んでうるさかった。

それでも、1時前には静かになる。不景気なのかもしれない。ようやく眠れた。

今朝は静かである。いつも賑やかな韓国人経営のダイビングショップも本日は休業。

朝食を食べ終わった。食堂のスタッフが、パソコンを新しくしたのか、前の白い奴はどうしたんだ?、と聞いてくる。1年前のことを、そこまで覚えてるか?。

ちょっと、びっくり・・・。

2012初ダイブ2012年01月01日 14:38

水深10Mの初日?
水深10Mの初日?


まったりと初ダイブ。

34メートル、53分、水温28.6度(変わんないねえ)。出物なし。

安全停止の時に、マニュアルで酸素を足す裏技を駆使するも、5.7メートルと7.5メートルを行ったり来たり・・・。先は長いなあ。

あいかわらず、魚たちは人のことを無視して目の前を平気で横切る。てめーら、ナメてんのか?。ナメきってるんだろうな。うぜえよ(おまえに言われたくない・・・)。

サカナを見ても、食えるかどうかしか頭にないので、ちっこいのはどうでもいいんですが、ここはそんなのしか泳いでいない。

彼らには、暮れも正月も関係ない。生きること、生き残ること、子孫を残すことに全てを賭けている。へっぽこCCRダイバーにかまっている暇などないのだ。

純粋で、潔い。

今日は、水中では余裕だったので、エキジットしても疲れはない。不快感もない。ダイビングに慣れてきたのがわかる。

しかし、油断は禁物だ。

こういう時に限って、イントラは課題を出すからだ。

覚えてねーよ・・・。

心の窓2012年01月02日 09:50

ミノカサゴ見っけ!
ミノカサゴ見っけ!


ようやく、チョプシー(野菜たっぷり、イカと豚肉のあんかけ煮。味は堅焼きそばのあんかけに似ていて、おいしい。この食堂「唯一の」お薦めメニュー。)にありついた。あとガーリックライス、コーピー(セブマクタンのコンチキの食堂で出される、コーヒーのような飲み物。味は全く違うが、強い自己暗示により、「コーヒーかも・・・」という段階になると、サーティフィケートが発行される???)。

しっかりと、8時過ぎまで朝寝坊して、ゆっくりと朝食を摂り、10時にのこのことホテルの敷地内に建つダイビングショップへ行き、30分位かけて器材と人間様の準備をして、重い器材はローカルに担がせて水中に運んでもらい、50分くらいのまったりダイビングをして、ホテルで温水シャワーを浴び、たっぷりと水分補給をしてから、たらふく昼飯を食い、(たぶん)昼寝をし、イントラをさそって、今日も夕食はハルハイへピザを食いに行こうとしている(食い過ぎ・・・)。

怠惰な生活である。否定はしない。いや、大いに結構!。毎日、ずーっとこれでもいいかも・・・。飽きるな、きっと。だから(というわけではないが)、1月5日は沈船ダイブということになった。ジンベイザメはどうなった?。まあ、夕食の時に聞いてみよう。

ホエールシャークと言うんだそうだ(デカイからね)。日本では「甚平鮫」。体の模様が着物の甚平の絞り模様に似ているからだとか。(普通の)ダイバーの憧れで、マンタと共に、東西の横綱級の人気なんだそうだ(番外はクジラ?)。

今回、イントラから情報があったときには、「別にいいじゃん」とか思ったけど(だって、片道車で4時間とか言ってるし・・・)、せっかくだから見てみたい。今度の正月休みはキリマンジャロだし(まだ言ってる)。

熱帯のリゾートに5日もいると、少しは心も和んでくる。夕べからパキシルを1日1錠に減量した。もちろん、医師の指示による。本当は、12月28日から減量しても良かったのだが、不安だったので夕べからにした。

1日1錠で、離脱プログラムを継続する。

離脱症状が出るとしても、そんなにはっきりとは分からないだろう。精神症状も身体症状もあるという。要はうつ状態がぶり返してしまう。なるべくコミュニケーションを取るようにして、ストレスのない状態を維持しなければならない。

完全に離脱するまでは、数か月から1年くらいかかる場合もあるようだ。治療期間とか投与量によっても、また、本人の薬物感受性によっても変わってくる。

まあ、気長に付き合うことにする。

心の窓は、まだ全開(全快?)ではないかもしれないから・・・。