ロボットカー ― 2013年09月20日 21:33
ロボットカー
いつの間にか、この言葉が、定着しだした。
「自動運転車(ロボットカー)」
(【フランクフルトモーターショー13】メルセデス Sクラス 新型にロボットカー…2020年までに市販へ)
http://response.jp/article/2013/09/20/206817.html
2020年という時期も、符丁のように合っている。
(日産、ロボットカーを市販へ…2020年までの実用化を目指す)
http://response.jp/article/2013/08/28/205090.html
ベンツよ、お前もか?。
「2020年までに自動車メーカーで最初に、自動運転車を市販したい」
市販したって、公道で運転できなければ何の役にも立たない。
床の間の飾りである。
社会が、ロボットカーを受け入れるのか、メーカーが、自動運転中の事故(もらい事故を含めて)に対して、全責任を負うのか。
タクシーや、ハイヤーの業界が黙っているのか。
代行運転などという職業が、消えてなくなるのか。
サーキットで、人間が運転する競技車両をぶっちぎって、表彰台を独占するのか(表彰台には、開発者が上がるのか?)。
教習所の教官は、おまんま食い上げになるのか。
ナイト2000(キット)のように、気の利いたセリフを喋るのか?。
(ナイト2000)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%882000
流星号のように、時計型スマホ(アイウォッチ?)で呼ぶと、直ぐにやってくるのか。
なぜ、ロボットバイクとか、ロボット自転車ではなく、ロボットカーなのか。
バイクに対しては「進化の乏しい乗り物」とでも思っているのだろうか(ナイト2000参照)。
(ロボットカー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%BC
「人間の運転なしで自動で走行できる自動車である」とあるが、おサルの電車との違いは、何なのか?。
「ロボットカーの商品化、普及により、事故の減少、渋滞削減、CO2削減が見込まれている」とあるが、そんな根も葉もない噂を、我々人間のドライバー(特に、オートマ限定でない免許所持者)は、認めてしまっていいのか。
浮沈子のような、不良ドライバー(駐車違反多数、スピード違反無数、安全運転義務違反(サンダル履きで、83タルガを180kmで飛ばす)日常・・・)が、目の敵にして幅寄せしてきたら、自衛権行使して、緊急事務管理として、マシンガンぶっ放したりするのかあ?(明らかに、過剰防衛だと思うんだが)。
これらの、しょうもない事例のほかにも、ロボットカーを取り巻く様々な事象が生まれ、ロボットカーに恋をしたり、失恋の余り、無理心中を図ったり(ロボットカーの方が?)、ロボットカー同士の結婚を認めないのは、憲法に反すると訴えたり(車権?)、ありとあらゆる事態が起こる可能性がある。
(火の鳥 (漫画):復活編:チヒロ参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E3%81%AE%E9%B3%A5_(%E6%BC%AB%E7%94%BB)
「2482年。主人公の少年レオナはエアカーから墜落した。レオナは科学の治療で生き返るが、人工細胞で脳を補うという方法のため認識障害を起こす。」
「具体的には、有機物(生命体)が無機物に見え、無機物が有機物(生命体)に見えるようになった。そのため、彼には両親や医者が奇妙な無機物の塊にしか見えなくなってしまった。」
「ある日、彼は美しい少女と出会う。彼は少女に恋心を抱いて追いかけるが、彼女の正体はロボットであった。認識障害が改善されて以降もロボットのチヒロを人間の女性と認識し愛する事に変わり無く、結果チヒロと駆け落ちしてしまう。そしてレオナはある決断をする・・・」
このあらすじには書かれていないが、チヒロもまた、レオナに恋をするのだ。
手塚治の想像力の成せる技、単なるロジックではない、ファンタジーを紡ぐ才能の見せ所である。
浮沈子は、洗車をしない。
たまに、3年に1度くらいすることもあるが、概ね、天水洗車(雨ざらしともいう)に任せている。
クルマの塗装の上から、薬品や塗膜を施して、景色が写るほどのピカピカ状態に磨き上げている輩が聞いたら、卒倒するほどのズボラである。
浮沈子としては、クルマを美しく磨く方々は、皆、レオナに見えるのである(見る方の問題でもある・・・)。
まあいい。
ロボットカーというと、どうもアクチュエイターとか、レーザーレーダーなどのお堅い話になりがちなので、たまには息抜きもいいかと。
経済産業省のお役人が心配しているのは、事故が起こった時に、自分たちに火の粉が降りかかってこないような法律上の仕掛けを考えることのほかにも、それでなくてもアブナイ自動車フェチが、これ以上増えたらどうしよう?、ということだったりして!。
毎年毎年、リコールばっかりしている(たまに、隠したりもしますが)、しょうもないメーカーに、自動運転なんかさせられるか!、と思っているに違いないのだ。
少なくとも、メーカーと、それを監督している自分たちに責任が回ってこないようには、しておかなければならない。
手抜きやバグで、毎日何十人も事故で死ぬことだって、可能性としてはありうる。
そんなものを、道路運送車両法で認めて、公道を走らせるわけにはいかない。
責任者、出てこーい!(古っ!)。
ドライバーは、クルマに恋している場合ではないのだ・・・。
いつの間にか、この言葉が、定着しだした。
「自動運転車(ロボットカー)」
(【フランクフルトモーターショー13】メルセデス Sクラス 新型にロボットカー…2020年までに市販へ)
http://response.jp/article/2013/09/20/206817.html
2020年という時期も、符丁のように合っている。
(日産、ロボットカーを市販へ…2020年までの実用化を目指す)
http://response.jp/article/2013/08/28/205090.html
ベンツよ、お前もか?。
「2020年までに自動車メーカーで最初に、自動運転車を市販したい」
市販したって、公道で運転できなければ何の役にも立たない。
床の間の飾りである。
社会が、ロボットカーを受け入れるのか、メーカーが、自動運転中の事故(もらい事故を含めて)に対して、全責任を負うのか。
タクシーや、ハイヤーの業界が黙っているのか。
代行運転などという職業が、消えてなくなるのか。
サーキットで、人間が運転する競技車両をぶっちぎって、表彰台を独占するのか(表彰台には、開発者が上がるのか?)。
教習所の教官は、おまんま食い上げになるのか。
ナイト2000(キット)のように、気の利いたセリフを喋るのか?。
(ナイト2000)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%882000
流星号のように、時計型スマホ(アイウォッチ?)で呼ぶと、直ぐにやってくるのか。
なぜ、ロボットバイクとか、ロボット自転車ではなく、ロボットカーなのか。
バイクに対しては「進化の乏しい乗り物」とでも思っているのだろうか(ナイト2000参照)。
(ロボットカー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%BC
「人間の運転なしで自動で走行できる自動車である」とあるが、おサルの電車との違いは、何なのか?。
「ロボットカーの商品化、普及により、事故の減少、渋滞削減、CO2削減が見込まれている」とあるが、そんな根も葉もない噂を、我々人間のドライバー(特に、オートマ限定でない免許所持者)は、認めてしまっていいのか。
浮沈子のような、不良ドライバー(駐車違反多数、スピード違反無数、安全運転義務違反(サンダル履きで、83タルガを180kmで飛ばす)日常・・・)が、目の敵にして幅寄せしてきたら、自衛権行使して、緊急事務管理として、マシンガンぶっ放したりするのかあ?(明らかに、過剰防衛だと思うんだが)。
これらの、しょうもない事例のほかにも、ロボットカーを取り巻く様々な事象が生まれ、ロボットカーに恋をしたり、失恋の余り、無理心中を図ったり(ロボットカーの方が?)、ロボットカー同士の結婚を認めないのは、憲法に反すると訴えたり(車権?)、ありとあらゆる事態が起こる可能性がある。
(火の鳥 (漫画):復活編:チヒロ参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E3%81%AE%E9%B3%A5_(%E6%BC%AB%E7%94%BB)
「2482年。主人公の少年レオナはエアカーから墜落した。レオナは科学の治療で生き返るが、人工細胞で脳を補うという方法のため認識障害を起こす。」
「具体的には、有機物(生命体)が無機物に見え、無機物が有機物(生命体)に見えるようになった。そのため、彼には両親や医者が奇妙な無機物の塊にしか見えなくなってしまった。」
「ある日、彼は美しい少女と出会う。彼は少女に恋心を抱いて追いかけるが、彼女の正体はロボットであった。認識障害が改善されて以降もロボットのチヒロを人間の女性と認識し愛する事に変わり無く、結果チヒロと駆け落ちしてしまう。そしてレオナはある決断をする・・・」
このあらすじには書かれていないが、チヒロもまた、レオナに恋をするのだ。
手塚治の想像力の成せる技、単なるロジックではない、ファンタジーを紡ぐ才能の見せ所である。
浮沈子は、洗車をしない。
たまに、3年に1度くらいすることもあるが、概ね、天水洗車(雨ざらしともいう)に任せている。
クルマの塗装の上から、薬品や塗膜を施して、景色が写るほどのピカピカ状態に磨き上げている輩が聞いたら、卒倒するほどのズボラである。
浮沈子としては、クルマを美しく磨く方々は、皆、レオナに見えるのである(見る方の問題でもある・・・)。
まあいい。
ロボットカーというと、どうもアクチュエイターとか、レーザーレーダーなどのお堅い話になりがちなので、たまには息抜きもいいかと。
経済産業省のお役人が心配しているのは、事故が起こった時に、自分たちに火の粉が降りかかってこないような法律上の仕掛けを考えることのほかにも、それでなくてもアブナイ自動車フェチが、これ以上増えたらどうしよう?、ということだったりして!。
毎年毎年、リコールばっかりしている(たまに、隠したりもしますが)、しょうもないメーカーに、自動運転なんかさせられるか!、と思っているに違いないのだ。
少なくとも、メーカーと、それを監督している自分たちに責任が回ってこないようには、しておかなければならない。
手抜きやバグで、毎日何十人も事故で死ぬことだって、可能性としてはありうる。
そんなものを、道路運送車両法で認めて、公道を走らせるわけにはいかない。
責任者、出てこーい!(古っ!)。
ドライバーは、クルマに恋している場合ではないのだ・・・。
鳥の歌 ― 2013年09月20日 23:36
鳥の歌
性格の悪さを売りにしていた、女優の持ち歌ではない。
(鳥の詩 杉田かおる:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=4M9UKrxma-w
だから、これじゃないって!。
(Casals "El Cant dels Ocells" at the U.N. Day カザルス『鳥の歌』:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=rt9iz3xApVg
(パブロ・カザルス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%B6%E3%83%AB%E3%82%B9#cite_note-7
(鳥の歌 (カザルス))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E3%81%AE%E6%AD%8C_(%E3%82%AB%E3%82%B6%E3%83%AB%E3%82%B9)
「この曲には、故郷への思慕と、平和の願いが結びついており、以後カザルスの愛奏曲となった。」
「1971年10月24日、カザルス94歳のときにニューヨーク国連本部において「私の生まれ故郷カタルーニャの鳥は、ピース、ピース(英語の平和)と鳴くのです」と語り、『鳥の歌』をチェロ演奏したエピソードは伝説的で、録音が残されている」
まあ、演奏のほうはともかく、国連で、世界各国の高官を前に、94歳の演奏家が、ピース、ピース、ピースと3回も叫ぶ(その前に、「このピース(小品(楽曲などにおける小さい作品))は・・・」と引っ掛けているのは、独特のユーモアなのか)。
もともと「原曲はカザルスの故郷カタルーニャのクリスマス・キャロルであり、聖誕を鳥が祝っている様子を歌っている。」とある。
平和とは、関係ない。キリスト教は、しばしば暴力的である。
最近、「やられたらやり返す。倍返しだ!」という決め台詞が流行っているらしい。
(「やられたらやり返す。倍返しだ!」ドラマ【半沢直樹】の名言が色んな場面で使われてる)
http://matome.naver.jp/odai/2137518361745716001
まあ、どうでもいいんですが。
応酬の連鎖はエスカレートし、双方が耐え難くなるまで続く。
そして、いつの日か、人類は自らを滅ぼす。
(平和主義)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E4%B8%BB%E7%BE%A9
耳に心地よいこの言葉も、妥協の産物である(そうじゃない思想って、あんのか?)。
絶対無抵抗は、相手の暴力の容認であり、平和主義ではないだろう。暴力行為を許せば、それだけが力を持つ社会を許すことになる。
だいたい、人間なんて、それほど上等に出来ているわけじゃあない。
アーミッシュのように、馬車に乗り、瓶詰め作って生きているだけじゃあ、収まらないのが人間だ。
(大切なこと)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/01/03/6679635
(心の中のとりで)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2011/12/27/6266339
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」
その砦を攻めるために、また、守るために、新たな血が流れるのだ。
農業という最初の革命が起こり、土地に根ざした価値が生まれた。
国土は、絶対に守るべきものであり、財産であったわけだ。そのための争いは、当然ある。
工業という第二の革命が起こり、石炭、石油、鉄鉱石といった鉱物資源や加工燃料、動力燃料が価値の源泉となった。
原料や市場を押さえるための争いも、当然起こる。
コンピューターの普及とインターネットの発達により、第三の革命が起こる。
情報が価値を持ち、煮ても焼いても食えないものに、人々が夢中になる時代になった。
しかも、この価値の担い手は、易々と国境を越えて、グローバルに広がる。
いまや、食や物質に恵まれた我々は、情報を食らい、情報に飢え、情報を収集し、情報を発信する動物になった。
地球の裏側のメーカーと、電子メールで取引し、決済する。
それが、普通のことになる。
おかげで、CCRの修理とか、簡単に行えるようになった。
もう、何も争う種はなくなったと思ったら、宗教戦争紛いの紛争が収まらない。
こころの砦も、当てにならんな。
人類が、次にやるべきことは、唯一つ、平和の配当を受け取ることだろう。
(平和の配当)
http://kotobank.jp/word/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%AE%E9%85%8D%E5%BD%93
「冷戦終結の結果、米ロなどで軍事用の予算、人員、技術を民生用に振り向ける可能性への期待を表す言葉。米国ブッシュ(父)政権は、冷戦後の国防費削減傾向を逆転させ軍拡を推進。ロシアは軍事費が激減し、産業や研究開発の民生用転換が図られたが、雇用不安などから民需転換が期待通り進まず、かえって武器輸出を進める傾向もある。また、途上国に平和の配当が及ぶ期待がもたれたが、経済援助の減少、内政の不安定などから、期待外れに終わっている。」
まあ、変わり目にはいろいろあるだろうが、アホなことに金を使わずに、庶民の幸福のために使おうや。
そもそも、平和であることは、そのまま普通の生活を営むことができるという意味で、配当である。
確かに、生産性の低い土地へ追いやられて、経済的に貧しい状態におかれることもあるだろうが、戦争をしたからといって、それが解決されるわけではない。
別の話なのである。
鳥は、大空を舞い、国境を飛び越え、自由に行き来する。
鳥の歌が、自由な情報の往来と、それがもたらす平和の象徴なら、ピース、ピースと聞こえても、不思議はないかもしれない。
性格の悪さを売りにしていた、女優の持ち歌ではない。
(鳥の詩 杉田かおる:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=4M9UKrxma-w
だから、これじゃないって!。
(Casals "El Cant dels Ocells" at the U.N. Day カザルス『鳥の歌』:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=rt9iz3xApVg
(パブロ・カザルス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%B6%E3%83%AB%E3%82%B9#cite_note-7
(鳥の歌 (カザルス))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E3%81%AE%E6%AD%8C_(%E3%82%AB%E3%82%B6%E3%83%AB%E3%82%B9)
「この曲には、故郷への思慕と、平和の願いが結びついており、以後カザルスの愛奏曲となった。」
「1971年10月24日、カザルス94歳のときにニューヨーク国連本部において「私の生まれ故郷カタルーニャの鳥は、ピース、ピース(英語の平和)と鳴くのです」と語り、『鳥の歌』をチェロ演奏したエピソードは伝説的で、録音が残されている」
まあ、演奏のほうはともかく、国連で、世界各国の高官を前に、94歳の演奏家が、ピース、ピース、ピースと3回も叫ぶ(その前に、「このピース(小品(楽曲などにおける小さい作品))は・・・」と引っ掛けているのは、独特のユーモアなのか)。
もともと「原曲はカザルスの故郷カタルーニャのクリスマス・キャロルであり、聖誕を鳥が祝っている様子を歌っている。」とある。
平和とは、関係ない。キリスト教は、しばしば暴力的である。
最近、「やられたらやり返す。倍返しだ!」という決め台詞が流行っているらしい。
(「やられたらやり返す。倍返しだ!」ドラマ【半沢直樹】の名言が色んな場面で使われてる)
http://matome.naver.jp/odai/2137518361745716001
まあ、どうでもいいんですが。
応酬の連鎖はエスカレートし、双方が耐え難くなるまで続く。
そして、いつの日か、人類は自らを滅ぼす。
(平和主義)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E4%B8%BB%E7%BE%A9
耳に心地よいこの言葉も、妥協の産物である(そうじゃない思想って、あんのか?)。
絶対無抵抗は、相手の暴力の容認であり、平和主義ではないだろう。暴力行為を許せば、それだけが力を持つ社会を許すことになる。
だいたい、人間なんて、それほど上等に出来ているわけじゃあない。
アーミッシュのように、馬車に乗り、瓶詰め作って生きているだけじゃあ、収まらないのが人間だ。
(大切なこと)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/01/03/6679635
(心の中のとりで)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2011/12/27/6266339
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」
その砦を攻めるために、また、守るために、新たな血が流れるのだ。
農業という最初の革命が起こり、土地に根ざした価値が生まれた。
国土は、絶対に守るべきものであり、財産であったわけだ。そのための争いは、当然ある。
工業という第二の革命が起こり、石炭、石油、鉄鉱石といった鉱物資源や加工燃料、動力燃料が価値の源泉となった。
原料や市場を押さえるための争いも、当然起こる。
コンピューターの普及とインターネットの発達により、第三の革命が起こる。
情報が価値を持ち、煮ても焼いても食えないものに、人々が夢中になる時代になった。
しかも、この価値の担い手は、易々と国境を越えて、グローバルに広がる。
いまや、食や物質に恵まれた我々は、情報を食らい、情報に飢え、情報を収集し、情報を発信する動物になった。
地球の裏側のメーカーと、電子メールで取引し、決済する。
それが、普通のことになる。
おかげで、CCRの修理とか、簡単に行えるようになった。
もう、何も争う種はなくなったと思ったら、宗教戦争紛いの紛争が収まらない。
こころの砦も、当てにならんな。
人類が、次にやるべきことは、唯一つ、平和の配当を受け取ることだろう。
(平和の配当)
http://kotobank.jp/word/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%AE%E9%85%8D%E5%BD%93
「冷戦終結の結果、米ロなどで軍事用の予算、人員、技術を民生用に振り向ける可能性への期待を表す言葉。米国ブッシュ(父)政権は、冷戦後の国防費削減傾向を逆転させ軍拡を推進。ロシアは軍事費が激減し、産業や研究開発の民生用転換が図られたが、雇用不安などから民需転換が期待通り進まず、かえって武器輸出を進める傾向もある。また、途上国に平和の配当が及ぶ期待がもたれたが、経済援助の減少、内政の不安定などから、期待外れに終わっている。」
まあ、変わり目にはいろいろあるだろうが、アホなことに金を使わずに、庶民の幸福のために使おうや。
そもそも、平和であることは、そのまま普通の生活を営むことができるという意味で、配当である。
確かに、生産性の低い土地へ追いやられて、経済的に貧しい状態におかれることもあるだろうが、戦争をしたからといって、それが解決されるわけではない。
別の話なのである。
鳥は、大空を舞い、国境を飛び越え、自由に行き来する。
鳥の歌が、自由な情報の往来と、それがもたらす平和の象徴なら、ピース、ピースと聞こえても、不思議はないかもしれない。
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